ペルソナ3 異界の虚影
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後編
前書き
後編です。実は最初にUPしたものからラスボスを変更しました。このラスボスはワタシの書いてきた「夢幻の鏡像」「ファタモルガーナの島」「幻影少女」と同じ敵となります。今回の話が「夢幻の鏡像」から始まるシリーズの完結編的なポジションとなるようにしました。とはいってもそれぞれ独立した話ですので、別に順を追って読んでいただく必要は全くありません。もし興味があれば、他の話も覗いていただけると幸いです。
今回の異変について、私たちはベルベットルームでイゴールさんから説明を受けた。
私たちの世界と並行した別の世界があるということ。
そのもう一つの世界に私は存在せず、代わりに私と同じ役割をしている男性がいるということ。
そして、その時ベルベットルームには『彼』も来ていて、私と並んで立って話を聞いているということを。
確かに、私はおぼろげに『彼』の気配を感じていた。時折、声も聞こえた気がする。。
しかしいくら見ようとしてもその姿をはっきり捉えることができず、それどころか『彼』に意識を向けることもできなかった。
たとえ声が聞こえても、意識を向けられないのでは会話もできない。
もしかしたら、これは私の錯覚なのでは、と疑ったりもした。
しかし驚いたことに、その場にいた特別課外活動部のみんなには、私と『彼』、二人の姿がはっきり見えているのだという。
そしてみんなには、私についての記憶と同時に『彼』についての記憶もあるのだという。
みんなは二つの世界、両方の記憶を持っているという異常な状態にありながら、それについて何も違和感を感じていないと言っていた。
ゆかり は記憶のダブりについて、「同じところに2回旅行に行った」程度の感じだ、と言っていた。
みんなからすれば『彼』の存在を認識できていない私の方が不自然に見えたことだろう。
アイギスは、私達二人ともが『そばにいることが大事な人』だと言った。
ゆかり は、『彼』のことが気になるらしくて、歩きながらもちらちらと目を向けている、ことに私は気づいた。
順平が、肩に手をまわして『彼』をからかったとき、『彼』はめんどくさそうに「どうでもいい」と答えていた。
学生寮の前にいた3体のシャドウは、先輩たちと一緒に『彼』もペルソナを呼び出して排除した。
1階ロビーで戦闘に入った時、『彼』はアイギスや順平と一緒にチドリと戦い、スカディのニブルヘイムで敵を凍り付かせた。
私たちは二人で一緒に階段を駆け上がり、幾月に対しては私と交互に問いただした。
そして『彼』がサトゥルヌスを召喚して、幾月にアギダインで先制攻撃を仕掛けた。
別の世界で私と同じ役割を担うという男性。
『彼』が私で、私が『彼』。
『彼』が私と一緒にいること、それはこの異常な状況下だけの特別な状態だとイゴールさんは言っていた。
その『彼』の姿が、今 私にもはっきりと見えている。
月光館学園の制服を着て、どちらかというとやや小柄でスマートな立ち姿。首に下げた音楽プレーヤーとヘッドホン。
『彼』は召還したアルラトで障壁を張ると、怪物の強力な魔法攻撃を反射して返した。
予想外の反撃をくらって、怪物が雄たけびを上げて倒れる。
『敵の弱点分かりました。物理攻撃が有効です。』
風花の緊迫した声が聞こえてきた。
『負けないで。頑張って。』
風花の必死な励ましの声に力を得て、私は何とか上体を起こす。そして薙刀《なぎなた》を握りしめ、それを杖にして震える足で立ち上がろうとする。
「大丈夫?」
『彼』が心配そうに声をかけてきた。
片目が隠れんばかりに前髪が長い。繊細で整った顔立ちをしている。
「わかんない・・・でもこんなところで負けられない。」
私はかすれた声で答える。
彼はうなずくと、私に肩を貸して支えてくれた。
怪物も身を起こして、再度 私達に迫って来る。
「よし、一気に決めよう。ゴッドハンドだ。」
彼のささやきに私はうなずいた。
「ペルソナ!」
私たちの声がハモる。
現れたスサノオとヴィシュヌ。荒ぶる神々から連続で放たれるゴッドハンド。
不死身のように思われた怪物だったが、実際にはこれまでの私たちの攻撃でかなりのダメージを負っていたのだろう。
巨大な拳はついに敵を粉砕した。
「おかげでなんとか痺れが取れてきたよ。」
『彼』に回復魔法をかけてもらった後、私は手足を振って確認しながら言った。
「上の階に行けそう?」
『彼』は言葉数こそ少ないが、気遣ってくれているのは充分にわかった。
「うん、大丈夫。こんなこと早く終わらせないとね。」
『彼』は口元にかすかな笑みを浮かべてうなずく。
「君って、なんだか物静かな雰囲気だよね。クールな感じ?」
「そう?」
「私はにぎやかな性格だって言われててさ~。荒垣さんにもよくあきれられてた。」
ふと、「まったくお前は・・・」と言いながら苦笑する荒垣さんの顔が頭に浮び、胸がチクンと痛んだ。
『彼』が私で、私が『彼』。なのに、なんだか私とは随分違う気がする。
「私たちって『同じキャラの性別を変えたバージョン』じゃなくて、完全に別人だよね。他のみんなはどっちの世界でも同じなのに、なんで私たちだけこんなに違うんだろう。イゴールさんは『意味のないことはない』と言ってたけど、じゃあどういう意味があるのかなって・・・。」
私はイゴールさんの話を聞いてからずっと心にひっかかっていたことを口に出した。こんなことを相談できるのは、同じ立場にある『彼』しかいない。
『彼』は少し考えてから静かに答えた。
「それは僕も考えてたんだけど・・・世界が救われる可能性を上げるためじゃないのかな。」
「それって、私のいる世界と君のいる世界。どちらか一方だけでも勝ち残れればっていうこと? 私と君が別の選択をすることで、勝てる可能性が変わるっていうことなの?」
思わず声のトーンが上がる。片方は滅びてもしかたない・・・なんて、そんなのは嫌だ。それにその場合、もし私のいる世界が滅びたら、私の責任っていうことになるんじゃないだろうか。
「いや、そうじゃなくて・・・多分 僕らが戦っている相手は、それぞれの世界に別々に存在しているのではなく、両方の世界にまたがって存在してるんじゃないかと思うんだ。」
「二つの世界にそれぞれのニュクスがいるんじゃなくて、どっちの世界にいるニュクスも同じ一つのニュクスっていうこと?」
「ニュクスっていうのは象徴的な存在で、実態は人が滅びを望む気持ち、『人間の絶望』とでもいうべきものなんだろう。それは物凄く大きいもので、片方の世界で勝ったくらいでは変えられないのかもしれない。僕らが両方の世界で勝つことが勝利条件なんじゃないかと思うんだ。」
「世界を変えるためには、両方の世界から変えなきゃいけないってことか・・・。」
私の中で何かがきれいに収まった。
「いいね、その考え方。気に入った。」
真実はわからない。でも『彼』の言うとおりなのだとすれば、『彼』とは別の世界にいたとしても、力を合わせて同じ敵と戦っているっていうことになる。それならば、私はまだまだ頑張れる。
「なんだか元気が出てきたよ。君とこうして直接話すことも必要なことだったのかもしれないね。」
私はにかっと笑って見せた。彼も笑い返してくれる。
「それじゃあ、とりあえず目の前の敵から何とかしよう。」
「よし、行こう!」
並んで階段を上りかけたところで、背後から「待て、二人とも。」と呼ばれた。
「真田さん、みんな・・・。」
「大丈夫なんですか?」
振り向いた私たちは、口々に声をかける。
美鶴さん、真田さん、順平の3人が下から階段を上ってきた。
「ゆかり のおかげで何とか動けるようになった。」
美鶴さんが微笑みを浮かべて言った
「でも逆に ゆかりっち が回復魔法のかけ過ぎで、精神力を使い切ってのびちまってさあ。」
「体力的に限界だった天田やコロマルと一緒に置いてきた。まあ、じきにアイギスも復活するから1階は大丈夫だろう。ところで、その様子だとお互いが見えているようだな。」
美鶴さんの問いかけを受けて、私と『彼』は一瞬目を合わせてからうなずいた。
「ええ、一緒に戦ってたら、どういうわけか急に見えるようになってきて・・・。」
「そうか、まあ理屈で考えてわかるものではないのかもしれないな。」
私の不思議そうな顔を見て、美鶴さんがそう言った。
「いいじゃないか。お互いが見えていた方が、コンビネーションも取れる。戦いには有効だ。戦力UPしたと思えばいい。」
真田さんは発想はいつもシンプルだ。
「真田さんたちは戦えそうなんですか。」
「ああ、もう大丈夫だ。安心しろ。俺たちもお前らと一緒に行く。」
真田さんは両拳を合わせて復活をアピールして見せた。
とりあえずみんなの無事が確認できて、私もほっとした。
「ニセ幾月の話は、山岸から聞いた。」と美鶴さん。
「ひでーよな。人の心の一番デリケートなとこにつけ込みやがって。本気で腹立ったぜ。」
「俺も今回ばかりは許せん。この黒幕は直接叩かないと気が収まらない。」
真田さんと順平の怒りのセリフに、美鶴さんも厳しい表情で「私も同じだ。」とうなずいた。
「それじゃあ、みんなでぶん殴りに行きますか。」
私は改めて気合を入れると、勢いよく薙刀《なぎなた》を振り上げる。
「決着をつけよう。」
『彼』もそう言って応えてくれた。
怒れる5人は3階へと足を踏み出した。
そこにいたのは見上げるほど巨大な大きさの異なる青黒い球の集合体だった。体からは更に次々と新たな球が膨れては消えている。その球の一つ一つに、目のようなものが一つずつ赤く光っている。
3階も1、2階と同様に黒ずんだ異空間と化している。その奥に異形のモノは待ち受けていた。
その姿を見た瞬間、私を含めた全員が「あっ」を声を上げた
(そうだったのか!)
これまで忘れていた記憶がはっきりとよみがえってきた。おそらくみんなも同じなのだろう。
「その姿・・・間違いない。」
美鶴さんがつぶやく。
「ああ、ようやく思い出した。また今回も随分と悪さを仕掛けてくれたな。」
真田さんが怒りをこらえきれないように声を絞り出す。
【我はオイジュス。苦悩の神である。】
頭の中に重々しい声が響き渡った。
オイジュスはギリシャ神話ではニュクスの生んだ子供の一人となっている。
この「苦悩の神」は、ニュクスのもたらす「滅び」に対して抗おうとする特別課外活動部の存在を良しとしなかった。そして、ニュクスが降臨する前に私達を排除しようと暗躍していた。
テオの話では、オイジュスは「本来存在しないモノ」であり、それゆえ現実世界では私たちに直接介入することができない。そこで、たびたび私達を自分が作り出した異界に引きずり込み、そこで抹殺しようとしてきた。
私達は、その度にオイジュスを退け、何度か倒しもしたのだが、「本来存在しないモノ」ゆえに完全に滅ぼすこともまた難しいらしい。しかも私達は、現実世界ではオイジュスについての記憶を維持することができない。
結果的に対抗手段を取る事もできず、毎回 その罠にはまってしまうことになる。非常にやっかいな相手だった。
【ニュクスの降臨はもはや目前に迫っている。これ以上、お前達の存在を看過することはできない。 】
オイジュスの声が響く。
「毎回、そんなこと言ってるけど、全然私たちを止められないじゃない。」
私は無性に腹が立ってそう言い返した。
「俺たちの心の傷をえぐるという、その汚いやり口が許せない。今回も随分と神経を逆なでしてくれたな。」
真田さんの声に怒りが混じる。
【残念ながらここまで止めらることが叶わず、お前たちは力を増してしまった。今のお前達を排除するのは我にも困難であろう。そこでお前たちの心の中にある不安・後悔・心残りといった感情を形にして、お前たち自身にぶつけたのだ。】
「要するに、俺たちは自分の心の負の面と戦かわされたわけか。」と真田さん。
「手強いわけだぜ。」
順平もうなずいて言った。
【苦肉の策ではあったが、やはり力が及ばなかったようだ。だがいずれにしろお前たちの力ではニュクスを退けることはできないだろう。】
「そんなことはない。我々は最後まであきらめない。必ず未来を切り開いて見せる。」
美鶴さんが怒鳴りつける。
【無駄なことだ。お前たちにはもう未来などない。その前に我が自らの存在をかけてお前らを消し去ってくれる。】
その言葉と共に、オイジュスの左右に黒い煙が上がり、その中から3体のシャドウが現れた。
ねじ曲がったパイプの集合体のような姿。手足が蛇の塊のようにうねっている。身体の中央に巨大な仮面。
かつてオイジュスと共に現れた強敵シャドウだった。以前にも戦ったことがある。これまでは、この敵にも散々苦しめられてきた。
しかし・・・
「メギドラオン!」
そのとき、私と『彼』の声がハモった。
ここまで温存してきた最強スキルの2重掛けだ。同位存在である私と彼がスキルをシンクロさせると、その威力が跳ね上がる。強力だがこちらの消耗も激しい。使うならこのタイミングしかないだろう。
激しい閃光と共に3体のシャドウは一瞬で消滅し、オイジュスも体の球体があらかた吹き飛んで大きく体勢を崩した。
【おおお・・・ここまで力を増しているか・・・・。】
オイジュスがうめき声をあげる。
「いつまでも以前と同じと思わないでね。私達はこれまで過酷な戦いを切り抜けてきたんだから。ニュクスと戦おうっていうのに、今更あんたなんかに負けるわけにはいかないのよ。」
私はオイジュスをにらみつけて宣言した。
「僕達の心の負の面を利用してくるということは、もう自分の力では僕らを倒せないということなんだろう。」
いつも静かに話す『彼』も、この時ばかりは力強い口調で言った。
「前にも言ったとおりだ。決着はニュクスと付ける。お前の出番はない。」
真田さん、美鶴さん、順平の三人も私達と並んで身構える。
その前にたたずむオイジュスに、以前の圧倒的な迫力は無かった。
【もはや我が力も及ばぬか・・・。やむを得ない。我はここで退場することにする。だが・・・。】
その時、何かを感じ取った風花が絶叫した。
『いけない!逃げて!』
【お前たちも一緒に退場するのだ。】
次の瞬間、オイジュスが閃光と共に消滅。
同時に体がバラバラになりそうなすさまじい衝撃が襲い掛かってきた。
目の前が真っ白になり、そして沈黙が訪れた。
全員が床に倒れていた。
「あんにゃろ、神様の癖に自爆しやがった。」
床に転げた順平があきれたような声を上げる。その様子からして、とりあえず怪我はないようだ。
風花の警告と共に、とっさに私と『彼』が張った障壁の二重掛けでなんとか防ぎきることができたらしい。
幾月との戦いで、『彼』が障壁を張って攻撃を防いだのが頭にあったのだが、先ほどのメギドラオンといい、こういうところで息が合うのは同じ役割を担う者同士だからだろうか。私は『彼』と顔を見合わせると、ほっと溜息を吐いた。
「間一髪だったな。さすがに冷や汗をかいた。」
さすがの真田さんも尻もちをついたまま力なく声を漏らした。
「敵も苦し紛れで捨て身だったということか・・・。」
美鶴さんは考え深げにつぶやいた
気づけば周りのゆがんだ空間はいつの間にか消え去り、そこは見慣れた学生寮の3階スペースに戻っていた。
私たちはそのまましばらく、呆然と床に座り込んでいた。
「みんな大丈夫?」
ゆかり の声がする。
1階に残っていたメンバーが階段を上ってきた。
「なんとか・・・。」
『彼』が答える。
上ってきたメンバーは、私たちを見てほっとした表情浮かべる。
「ものすごい衝撃だったから心配したよ~。」
そう言った ゆかり が、『彼』に熱い視線を注いでいるのを見て、私は「おや?」と思った。
その私のところには天田君が駆けてきて、「良かった。無事で・・・。」と手を差し伸べてくれる。
「ありがとう、大丈夫。」
私はその手を取って立ち上がった。
涙目になっていた彼は、袖でごしごしと顔をぬぐった。
「心配かけてごめんね。」
私は天田君に優しく声をかけた。
「なんにせよ、とりあえずこれで終わりのようだな。」
そう言って美鶴さんも立ち上がる。
みんながうなずき、笑顔を見せた。
そこに澄んだ声が聞こえてきた。
「皆様、お疲れ様でした。」
ゆかり たちの後に続いて、エリザベスさんが階段を上がってきていた。
「実に見事な活躍でございました。」
エリザベスさんはそう言って深々と頭を下げた。
「今回の事態は、ニュクスの眷属であるモノが、本来のコトワリから逸脱した方法で皆様方を排除しようとしたことでした。しかしいかに神を名乗るモノとしても、コトワリに反する行為を行えば、それに伴う反作用というものが生じます。今回、皆様に起きた異変はこの反作用による影響かと思われます。
皆様は無事に障害を乗り越え、己の心に打ち勝ち、その力を示しました。わたくし、大変感銘を受けました。」
そこで一度言葉を切り、ゆっくりと全員の顔を見回す。
「これでもう、ニュクスとの決戦に水を差す輩が現れることはないでしょう。
たとえ記憶に残すことができなくても、今回の経験は皆様にとっては大きな力となるはずです。是非、憂うことなく決戦に挑んでください。」
いつになく力のこもったエリザベスさんの声に、みんな言葉もなく聞き入っていた。
「さて、それでは皆様、現実の世界にお戻りになる時間です。」
ひと呼吸おいてから、エリザベスが高らかに宣言する。
「元の現実に戻れるのか。どうすればいい。」
真田さんが訊き返した。
「特に何もする必要はございません。この後、各自、ご自分の部屋に戻ってお休みください。」
「それでいいのか。」
美鶴さんが拍子抜けしたように言う。
「もとよりここは皆様にとって夢の世界のようなもの。体は元の世界でベットに入って眠りについているのです。部屋でお目覚めになれば、今回の出来事はほとんど記憶にも残っていないでしょう。」
全員が顔を見合わせた。複雑な思いが交差する。
「さあ、お帰りの時間です。お部屋にお戻りください。」
エリザベスさんは追い立てるようにパンパンと手を叩いた。
なんだか煽られたような感じだが、彼女には彼女の事情があるらしい。彼女はコトワリに反する行為と言った。おそらくこの不自然な状況をいつまでも続けるわけにはいかのだろう。
みんなは疲れた体を引きずるようにして階段を下りて行った。
女性の部屋は3階。男性の部屋は2階。
『彼』の部屋は、当然2階になる。だから私と『彼』はここでお別れだ。
ふと気づくと、また『彼』の姿がおぼろげに霞んでいた。目の前にいるはずなのに、なんだかはっきりしない。
それどころか、たった今まで一緒にいたのに、その顔もよく思い出せなくなっていた。
「私達って、前にも会っていたんだね。」
私は慌ててそのおぼろげな姿に話しかけた。
「でもこれで本当にお別れらしい。」
目の前にいるはずの彼の声が、どこか遠くから虚ろに聞こえてくる。
「たとえ別の世界にいても、私たちは一緒に戦っているんだよ。」
「そうだね。そう思うと心強いよ・・・。」
彼の声はもう聞き取りにくいほど微かだった。
記憶にとどめておけなくても、心には何かが残るはず。それを信じることしかないのが切なかった。
「じゃあ。」
『彼』が片手を上げて挨拶してきた。
「頑張ってね。」
私も片手を上げてそう返す。
「お互いにね。」
そう言って背を向けた『彼』の姿は、たちまち薄くなっていき、目に捉えることができなくなってしまった。
目が覚めた。
窓の外はまだ暗い。時計を見るとかなり早い時間だ。なんだか長い夢を見ていたような気がする。
悪夢だったような気もするし、でもなんだか良い夢だったような気もする。
もうひと眠りしても良いくらいの時間だが、妙に落ち着かず、ついに体を起こして着替えた。
寝起きなのに疲れが取れていないようで、なんだか体が重かった。
階段を降りていくと、ちょうど2階で真田さんと出くわした。これからランニングに行くらしい。
「随分早いな」
真田さんが少し驚いたように声をかけてくる。
「おはようございます。なんか目が覚めちゃって。」
「俺もだ。どうも気分が落ち着かなくてな。せっかくだから少し走って汗を流してくる。なんなら一緒にどうだ。」
いつもの真田さんペースだ。思わず笑いがこみ上げてくる。
「いや私は・・・遠慮しておきます。」
「そうか。じゃあな。」
真田さんは片手をあげると、そのまま階段を駆け下りていった。その姿に何かを思い出しかけたが、結局何も浮かんではこなかった。
1階まで降りてドアを開けて外に出てみる。身を切るような寒さだ。
1月の下旬。決戦はもう目前に迫っている。
軽快に走り去っていく真田さんの後ろ姿が見える。私は寒さに震えながらも、その姿が見えなくなるまで見送った。
後書き
推理小説に「叙述トリック」と呼ばれるものがあって、小説の地の文の描写をわざと省いたり、歪めたりすることで読者に錯覚させる手法です。ネタが明かされたところで、もう一度最初から確認したくなるような楽しさもあるのですが、推理小説としてフェアではないという批判もあるようです。
それなら推理ものでなければ、アンフェアにならないようにサプライズだけを出せるんじゃないかと思って試作してみました。あまり伏線を入れすぎるとネタバレしてしまうので加減が難しかったのですが、いかがでしたでしょうか。
拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
それではまたいつか。
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