八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
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第三百二十四話 総帥さんその二
「つかせて頂きたいです」
「そうですか」
「人は必ず死にます」
このことは誰でもだ、それこそ仙人なり錬金術の奥義を極めでもしない限りそんなことは
不可能だろう。
「左様ですね」
「それはどうしてもですね」
「ですからそれまで」
この世を去るまでというのだ。
「私はです」
「お餅をですか」
「つかせてもらいます」
「それで今年もですか」
「参上しました」
「そうですか」
「お餅つきは戦前からしていました」
その頃からというのだ。
「何でも私が生まれる前からです」
「行っていたんですね」
「何でも八条家がこの神戸に居を移した時から」
「それはまた昔ですね」
八条家は元々公卿の家で京都に住んでいた、けれど維新の時にその時の当主の人が日本はこれからは産業だと言って起業したのだ、そうして産業それに商いに適している港町の神戸に居を移したのだ。
その時のことを思ってだ、僕は言った。
「維新の頃からですか」
「その様です」
「それでその頃からついていて」
「流石に戦争が起こり十九年にはです」
「無理でしたか」
「そして二十年もものがなく」
もう生きるだけで大変だった時代だ。
「行われなかったそうですが」
「それでもですか」
「はい、それ以外の時はしていまして」
「今まで続いているんですね」
「左様です、そして私も」
「お餅つきをですか」
「ずっとしてきました」
その戦前からというのだ。
「二十一年にはです」
「その年にはですね」
「再開されていて」
「つけましたか」
「そうでした、その時は本当に嬉しかったです」
「またお餅がつけて」
「その時日本はまだどうなるかわかりませんでしたが」
それでもというのだ。
「私はそのお餅つきからも復興を確信出来ました」
「そうだったんですね」
「そしてあの震災の時も」
阪神大震災、その時もというのだ。
「この時も大変でしたが」
「お餅つきはしていましたね」
「グループも本社の多くが被災しましたが」
そのビルがどれだけ倒壊したか。
「お屋敷もかなり破損しましたが」
「そうでしたね」
「ですが十二月までには復興して」
「そしてですか」
「つけもしましたし」
そのお餅もだ。
「神戸も日本もです」
「復興するとですか」
「確信しました、お餅つきを通じて」
「畑中さんにとってそうした思い入れもあるんですね」
「この年末のお餅つきは」
「そうですか」
「ですからこの生を終えるまで」
まさにその時までというのだ。
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