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ユア・ブラッド・マイン―鬼と煉獄のカタストロフ―

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episode17『来年の事を言えば鬼が笑う』

「――随分と、非道(ひど)いことしちゃったわね」

「そうだねぇ、正直かなり最悪の手だったが……まぁ、それでもこれが最善手だった。何とか、分かってもらうさ」

 ふう、と吐いた魔鉄(エセ)タバコの煙が風にすくわれて、瞬く間に夜明の大阪の空に消えていく。
 御堂筋から少し逸れた家屋集合地帯の端――かつて中規模の教会兼児童養護施設が構えられていたそこは、昨晩、凄惨な業火に包まれて壊滅状態にあった。

 だが不幸中の幸いとでも言うべきか、周辺住民の死者は無し。下手人である海外から密航してきたと思わしき製鉄師は既に確保、国のお抱えの特別拘置所(ブラックボックス)にて一時隔離処分となっている。

 だが全てが上手くいった、とも言えない。確保にあたり、現地に配属されていた数組の製鉄師たちは行方不明――恐らくは、該当敵製鉄師の持ち得る戦力から推定するに、鉄脈術による超高温により“消滅”。遺骨すら見つかってはいないというのが現状だ。

「何より優先すべきは、逢魔シンの崩界(モルフォーゼ)の阻止。そのためには、逢魔シンと宮真ヒナミの契約は必須条件――大丈夫よ、貴方は出来ることをしたわ」

「……やっぱ、気にしてるのはバレちまったか」

「何年一緒に居ると思ってるのよ」

 犠牲は覚悟の上だった――と、そう軽々しく言うのは簡単だ。だがそれは配備した己ら指揮者の都合。その犠牲になった本人たちにとって、死など受け入れられるものではなかった筈だ。

 戦場に身を置く以上、常に命の危機は存在する。彼らもそれは覚悟していた筈だが、しかし受け入れるか受け入れないか、という点はまた話が違う。

「大丈夫さ。もう慣れっこだ」

「そうね」

 目的は達成した。逢魔シンは契約を果たし、崩界(モルフォーゼ)は阻止。更には後の日本を担いうる新たなる柱――その元となる木の苗が生まれたのだ。
 収穫としては申し分なし、失った命と天秤にかけても大きくお釣りがくるリターンだ。文句の付けようもない、パーフェクトゲーム。

「ただまぁ、恨まれるくらいは覚悟しとかないとねぇ」

「今更何言ってるのよ」

 正直な話、あの製鉄師を捉えることは容易だった。
 自分自身が――白崎典厩が初めから出張っていれば、一切の犠牲を出さずにあの惨事を阻止することも出来ただろう。誰も傷つかず、誰も失わず、悪のみが淘汰される。正真正銘の完全勝利だ。

 だが、それでは意味がなかった。
 逢魔シンというOI能力者は既に“終わってしまう”寸前だった。彼が抱えていた爆弾が弾けていれば、被害は今回の事件とは比較にならない。周辺住民どころか、この大阪――いや、近畿地方周辺がまるごと日の海に沈んでもおかしくはなかった。

 それが、崩界(モルフォーゼ)という現象だ。

「もう、あの人はいない。二度と、悲劇は繰り返さない」

 “――逢魔シンを極限にまで追い込み、契約を促す。最悪の事態が発生するに至りかけた場合にのみ介入し、これを防ぐ”

 “その他許容範囲内であれば、如何なる損失もこれを無視する。極限状態を緩めてはならない、最大限にまで追い込み、契約(さいごのしゅだん)に縋らせる”

 これが、白崎典厩に打てる最善の手だった。

「……智代ちゃんの容体は?」

「魔鉄義足は手配済みよ、慣れればすぐに元通りの生活に戻れるわ。足以外は、さほど大きな怪我もなかったしね」

「そうかい、そりゃよかった。流石に智代ちゃんまで死んじまったら、後であの子らになんて言われるか――」

「学園長」

「――っと」

 不意に、背後から声が掛かる。
 振り返ればそこに居たのは、片目に刻まれた深い切創と眼帯姿。聖憐学園にて白崎夫妻のサポートを行う、学園長補佐――九条悟(くじょうさとり)だ。
 彼女はいつもの朗らかな様子をしまい込んで、至って真面目そうな表情を取り繕っている。彼女がこういう露骨に気を引き締めた様子の時は、決まってその用件は一つ、決まっている。

「来客かい?予想はつくけど、誰だ」

「――黒崎暗音(くろさきくろね)様が、お見えです」

「……女狐め、地獄耳にも限度がある」

 ふぅ、とため息を一つ吐いて、雑ではあるが軽く身なりを整える。見知った相手とはいえ、相手は重役……それもとびきりの曲者だ。気を引き締めて掛からねばならない。下手なことを言えば、すぐに首元に喰らいつかれる。

「応接室に通してくれ、おじさんもすぐ向かうよ」

「既にご案内済みです。ただ、黒崎様からは『今日はのんびりは無しだ、分かっているな?』、と」

「おぉ、怖い怖い」

 乾いた笑いを漏らして、ソファに脱ぎ捨てたおんぼろのコートを拾い上げる。
 まだこちらの戦いは終わっていない、今回の騒動でまた色々と面倒事が舞い込んでくるだろう。その前哨戦がこれだ、と腹をくくる。

「――そろそろ、引退してもバチは当たらないんじゃないかなぁ」

「何言ってるのよ、まだまだやる事はいっぱいあるのよ」

「はは、手厳しいや」





 ――――――――――――――





 時は、少し流れる。

 年も明け、三が日を越えて1月17日。漸くシンもヒナミもその怪我の容体が落ち着いてきて、ヒナミは自力で歩ける程度に。シンは、車椅子であれば外出を許可される程度には回復してきた頃だった。

「行きたい所があるんだ」

「行きたい、ところ?」

 ヒナミに車椅子を押されながら、中庭を散歩していた時。雑談の折、不意にシンがそう切り出したのが事の発端だった。

「……でも、まだあんまり体力も戻ってないでしょ?私もそうだけど、あんまり無理はしない方が」

「あぁ、違うんだ。その行きたい場所って言うのは、ちょうどここの病院なんだよ」

「……?」

 大阪中央病院。
 ここでの入院生活が始まってから、二週間と少しが過ぎた。足の負傷が特に深刻だったシンや智代はまっとうに歩くことも出来ず、ベッド上での生活を余儀なくされていた。智代に関しては片足を失うという大きすぎる負傷ではあったが、幸いにも魔鉄によって作られた義足はすぐに見つかり、リハビリさえ済めば、もう歩く分には問題はないという。

 ただ、足を失ったという程ではないものの、シンも十分に大きすぎる負傷だ。両足の複雑骨折、全身の無数の傷、手術は困難を極めたという。

 ずっと個室で釘付け状態になっていたのだ、気分転換に外に出たい気持ちもあるだろう、と思って、この散歩に出てきた――訳なのだが。

「病院、の中なの?」

「うん、そう。前から来るべきだとは思っていたんだ、けどどうしても勇気が出なくて、来れなかった」

 情けなさそうにシンは頬を掻いて、力なく笑う。前から来るべきだった、という事は、ここに入院するよりも前からここを訪れるつもりだったという事なのだろうか。
 前々からあった全身の傷の事だろうか、とも考えたがどうにも違う。シンは病院を怖がるタイプではないし、今から行きたい、という事であれば傷は関係ないだろう。だがそうなると、一体どんな目的で?

 疑問そうに首をかしげるヒナミに苦笑したシンは、少しためらう様に首を下げて、しかしやがて観念したようにぽつりと、その意図を零した。

「前に、僕と契約しようとして、失敗した魔女の子が、ここでまだ入院してるんだ」

「あ……」

 名は確か、“ヨシカ”と言っていたか。
 シンとの契約に失敗し、彼の世界に吞み込まれて深い傷を負ったという、魔女(アールヴァ)の少女。彼と垣間見た精神の世界で見たヴィジョンでは、確かに相当悲惨な負傷を負っていた筈だ。
 幸い、契約に成功したからなのかヒナミの負傷は彼女ほどではないが、それでもこの有様だったのだ。当の彼女がどれほど傷ついたのか、想像もつかない。

「ずっと、謝りたくて。でも僕の姿を見れば、余計にあの子を怖がらせてしまうんじゃないかって。これ以上傷つけてしまうのが……ううん、違うね。これ以上、罪を重ねてしまうのが、怖かった」

「……そっか」

「正直、まだ怖い。また誰かを傷つけてしまう怖さは、薄れてないんだ。でも……今、踏み出さなきゃ、きっと僕は永遠に胸を張って生きていけない――皆を守れるくらい、強くなれない」

 拒絶される恐怖、罪を重ねる恐怖、重なり積もるたくさんの怖さが、シンの脚を竦ませる。けれど、いつまでも怯えていることはできない。

 ヒナミに背を押されて、罪と向き合うと決めた。逃げないのだと、そう決めた。これは、その第一歩だ。

「――わかった。私も、一緒に行くよ」

「……ありがとう、ヒナミ」








 入院患者用病室棟、個室フロアの最奥。
 智代はシンから事情を聞くと、すぐにあちら側の保護者、関係者へとコンタクトを取ってくれた。あちらからも許可を貰って、智代が二人へと伝えたのがその病室。D—309号室――表には、『宮古芳華(みやこよしか)様』という看板が出されている。

 間違いない、シンの話していた魔女の少女が入院しているという病室は、ここだ。

「……」

「――シン、いい?」

「……うん、お願い」

 車椅子に座って戸を開けられないシンに代わって、その重厚な戸をノックする。その音に続いて意を決したように、シンが少し大きめの声で呼びかけた。

「有馬智代から連絡させて頂きました、逢魔です。入っても、大丈夫ですか?」

『どうぞ』

 内側から扉越しに届いた許可の声を受けて、思い切って戸を開く。どうにもかなり広い個室のようで、声の主は部屋の最奥に設置された大型のベッドに眠っているらしい。設置されたカーテンで姿は見えないが、奥にあるらしい窓から差し込む日光でシルエットだけがカーテンに映っていた。

 シンの座る車椅子をカラカラと押して、部屋の中へと進んでいく。僅かな廊下を抜けてベッドの置かれた大部屋に辿り着いたところで、シャッと、カーテンが勢いよく向こう側から開かれた。

 かつてヴィジョンで見た少女と、今、再び対面する。

 記憶通りの、赤みがかった黒髪の少女だ。瞳の色は薄暗い紅色をしていて、病衣の下に覗く肌はそこかしこに傷跡が刻まれている。シンとそっくりの、そしてヒナミにも浅くはあるが一度は刻まれたそれは、シンの世界に触れた証。

 少々痩せ気味のその女の子は、ぱちくりと、二人の姿を見つめていた。

 ……?

 ヒナミは当然、面識はない。だがどこか不思議にも、見覚えがあるような、そんな気が――。

「シン、くん?」

「うん――久しぶり、ヨシカ」

 呆然とシンの名を呼んだ彼女は、ゆっくりとシンの顔を、そしてヒナミの顔を見比べる。暫く混乱した様に目を見開いて、しかしやがて――

「……ぁ、あ」

 その目の端に、涙を滲ませた。

 シンが苦し気に目を伏せて、唇を噛む。仕方のない事だ、彼の世界のせいで、彼女はその身に凄惨な傷を負ってしまった。それが彼の意図した事で無かったにしろ、彼女にとってその傷の原因は紛れもなく逢魔シンだ。

 恐怖、恨み、怒り、どれを抱かれていても、不思議な事ではない。むしろ、そちらの方が自然な事なのだ。

 ――そう、自然な事の、筈なのだ。

「……よか、った」

「……え?」

 ぽつりと、ヨシカが漏らしたそんな言葉に虚を突かれたように、シンが裏返った声を零す。だがそんなシンの様子も見えていないのか、彼女は鈍い四肢を懸命に動かしてベッドから降りると、拙い足取りのままによろよろとこちらに近付いて、車椅子のシンに抱き着くように倒れ込んできた。

「よかった、よかったっ……ちゃんと、生きて……!私、あなたに、謝らなきゃいけないって、ずっと……!」

「え、なん、待って、待ってくれ。違うんだ、謝らなきゃいけないのは、僕の方で」

 シンがついさっき語っていたような事をそのままそっくりに話す彼女は、本当に安心しきったような様子でぽろぽろと涙をこぼして、車椅子に座ったシンの膝から、ずり落ちるように病室の床へと座り込む。

 ヒナミは勿論、シンだって状況を掴めていない。何を言われても仕方ない、罵倒だって甘んじて受ける――そんなつもりで来たというのに、彼女には欠片もそんな様子もなく、むしろシンと同じくらいに切羽詰まった様子で謝罪を繰り返すのだ。どうにも話がかみ合わない。

「契約の日に、貴方の世界を見たの」

「僕の、世界」

 逢魔シンの抱える世界――当初は、『自分が鬼に見える世界』だと思われていたソレの実態は、『(あく)となった自分を罰し続ける煉獄の世界』だ。彼の世界を垣間見るという事は、彼の居たあの苦痛と絶望に足を踏み入れるという事だ。

 ヒナミが、そこに踏み込んだように。

「怖かった、痛かった。それはほんと。もう逃げ出したい、投げ出したい、早くこんなひどい世界から抜け出したいって、もう開放してほしいって、何回も祈ってた」

「――それ、は」

 逢魔シンという少年の中で形成された、紛れもない地獄。そこに触れたとき、ヒナミもまた折れそうになったのは確かだ。意志を容易く挫くような苦痛、決意を簡単に折るような悲痛。きっと、何かが少しでも違えばヒナミもヨシカと同じ顛末を辿っていただろう。

 それほどにあの世界には痛みが、苦しみが溢れていた。それはヒナミが、そしてシン自身がよく知っている。

「そうやって現実に返ってきても、まだどこもかしこも痛くって、もう助けてって、周りに手を伸ばしてた――未だに、覚えてる」

「……うん、そうだったね」

 悲鳴を上げてのたうち、血を吐いて喘ぐ彼女の姿を、シンもまた覚えている。
 異常を察知して駆けつけてきた大人たちの隙間から覗く、血と涙で濡れた床板。どよめきの中でもはっきりと響く絶叫。深すぎる損傷によって痙攣しながらも、救いを求めて伸ばされた手。

 シンにとっての、云わばトラウマの一つ。かつて犯した罪の象徴ともいえる、苦い記憶だ。

「でもね。その時、貴方の顔が見えたの」

「……僕の顔?」

「そう」

 この世の地獄と例えても差し支えないほどの苦痛の中、そこから逃げ出すために救いを求めて辺りを見渡した時に目に入った、逢魔シンの表情。
 自分では見えないのだから当たり前といえば当たり前なのだが、その時の自分がどんな顔をしていたのかは、流石に覚えていない。記憶は曖昧だが、あまり良い顔はしていなかったんじゃなかっただろうか。

「その時の私より、きっと酷い顔だったよ。その時の逢魔君は、もうすぐにでも死んじゃうんじゃないかってくらいに……何ていうのかな。“光”が、残ってなかった」

「ひかり、が」

「うん。その時はやっぱりそれどころじゃなかったけど、後になってようやく思い出したの。やっぱり、あの時の私の勘は間違ってなかったんだなって」

「……勘?」

 そう問い返したシンに、彼女はこくりと頷く。

「あなたが、どうしようもないくらい、“助けて”っていう顔を、してるように見えたの」

「――、ぁ」

 思い返してみれば、あの鮮烈な光景ばっかりが脳裏に焼き付いていて、それ以外の記憶がさほど残ってはいない。或いは当時の自分にそれほど余裕がなかった、とも言い換えられるかもしれない。とにかく早く契約して、己の世界から逃げ出してしまいたかった。

 あぁ、そうだ、確かに、彼女は。
 ヨシカは、契約の直前に、シンへ言っていた。

 “――私、頑張る”

 “――頑張って、助けるからね”

 そうだ、彼女は、あの時からずっと。
 シンを救おうとしていたのだ。

「ごめんなさい、あなたを、助けてあげられなくって。」

「ぁ、あ……っ」

「――あなたを、助けられる人と出会えて、良かった」

 まだ、彼女はヒナミの事を知らない筈だ。シンとヒナミの契約の事はどこにも公表されておらず、その事実を知るのは二人の他には智代と白崎夫妻程度のものだ。

 しかし彼女は、確かにヒナミを見つめていた。シンの世界が既にヒナミの中へと納まったことを、確信しているような視線だった。
 そこまで考えて気付く、彼女に感じていた不思議な既視感の要因が、はっきりと解消する。

 あの時、シンとヒナミが言の葉を交わした精神の世界。“もう終わらせてほしい”と願うシンの下に募った兄弟たちの思念。彼の生きる未来を願うそれらの奥で一つ微かに見えた、か細い影。

「あの、時の」

「――。」

 きっと彼女も、シンの世界の臨界地点に立ち会っていたのだ。
 遠くに離れてしまっていても、あれほどに傷ついた後でも、この広くて、しかしあんまりにも狭い病室(せかい)の中から。

 折れかけた逢魔シンの背を押していたのだ。

「……ぼくは、本当に、恵まれてるなぁ」

「恵まれてたら、こんな事になってないんじゃない?」

「あはは、確かに」

 シンがぽつりと漏らした言葉にヒナミが茶々を入れると、ヨシカが面白そうに笑う。その笑みに釣られてヒナミが笑って、連鎖するみたいに笑い声が重なった。
 二人に置いてけぼりにされてポカンとしているシンだけが、ただ不思議そうに、二人の事を眺め続けていた。

 でも、やがて二人が。
 苦痛と、涙の思い出と共にあった彼女たちが、そうして笑っているのが、なんだか嬉しくなって。こんな未来が、これからも続いていくのだという事が、嬉しくって。

 ――そうして彼もまた、嬉しそうに、笑った。




 
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