這いずる女
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這いずる女 前編
前書き
這いずる女の前編です。
練習の為1時間で書き終える予定です。
かさかさと音がした。
虫でもいるのかと思って首を曲げようとしたが、体が動かない。ぼくは視線だけを天井からベッドの外へずらした。かさかさ。何か白いものが動いている。……髪の毛? 寝ぼけ眼のぼやけた視界が回復し、それが何なのかやっと認識できた。それは、僕のおばあちゃんだった。白い病院服を着たおばあちゃんが四つん這いになり、床を這っている。何かを探すみたいに。ぼくはハッと息を飲んだが、慌てて口をとじた。物音を立ててぼくが起きていることを気取られてはいけないと思ったのだ。
おばあちゃんはベッドの周りを三周もして、ベッドの下に手を突っ込んだかと思うと、床とベッドのすのこを苛立たし気に何度も殴り、急に立ち上がった。
窓から差す街灯のせいで、どんな顔をしているのか分からなかった。ひっつめにした頭髪が、お団子から束になってふり乱れている。激しく肩で息をしていた。息が微かに僕にかかる。たくさん薬を飲んでいる人ならではの、すえたにおいがした。
ふーふー。
昔は片手で持てそうなくらい小さく感じた祖母が、今は巨人の様に大きな影を、ぼくの上に落としていた。この人はおばあちゃんではあるけれど、おばあちゃんではないんだ。ぼくは自然にナムアミダブツと呟いていた。それしか知らなかったのだ。息が白くなるほど寒いせいで、ぼくの念仏はニャムアミダブツニャニアムダブツと、震える唇のままに吐き出された。
朝が来た。ぼくはいつの間にか眠っていたらしい。あれは夢だったのか? と確認するよりも早く、椿の模様の描かれた古めかしい羽毛布団をはねのけた。丁度洗濯物を干しに来た母が――僕の部屋を通らないとベランダに行けない欠陥住宅なのだ我が家は――汚れるでしょと布団を拾い上げた。
「お母さんその布団捨てて」
「なーに? ダニでもいた?」
「呪われてる!」
呪われてるって、と吐き捨てるように笑うと、母は布団を抱きかかえたままベランダに出て、竿にピンと張って干した。腕が絡まったワイシャツの皺を伸ばしながら、「しょうがないでしょ、あんたの羽毛布団クリーニングに出しちゃったんだから」。
「なんでこんな寒い時期に出しちゃうのさ」
「なんでも何も、急に帰ってきたアンタが悪いでしょ」
そういわれると文句の言えないぼくだった。しかし、風邪をひくか、呪いの老婆に床を這いまわらせるか、どちらが良いかと聞かれて迷う人はいないだろう。と言うか、呪いの老婆というけどまだうちのおばあちゃん生きてるぞ? なんでぼくのところに出てこなきゃいけないんだ?
こんなことを悩んでいる間も、着々と母は洗濯物を終わらせていく。空っぽになったかごを抱え上げると、朝ごはん食べてから面接行くの? と、またぼくの悩みを増やした。
「いや、面接は明後日」
「そう、じゃあお墓参りでもしてきたら?」
でもぼくはどうやら死者に呪われているわけではないのだ。
祖母は誰からも好かれるおばあちゃんという訳ではなかった。年齢のせいか、それとも元々の気質か、たいへん疑り深い性格で、よく母と衝突していた。母が自分のお金を盗むと言うのだ。盗まれるようなお金はないと思うのだけど……。しかし、自分の肉親二人が金で口論するのを見ることは、あまり美味いおかずとは言えず、ぼくは家族で食事をするのが苦痛だった。
祖母はぼくを味方につけようと、自分の娘がどんなに卑しい母親かを僕に説いた。それを聞いた母親は猶更激怒して、祖母もそれにならった。こうして二人は家でほとんど口を聞かなくなり、ぼくは二人の人物と重ね合わせのようにルームシェアをしている気分を味わった。二人はぼくを介した必要事項のみのコミュニケーションをし、祖母はほとんど自分の部屋から出てこなかった。大学生になり、逃げるように都内の寮へ入った。その後の事は、母からの短い電報で知るだけだ。祖母の痴ほう症は進行し、老人ホームに入った。ハッキリ言って清々した。以上。ぼくが呪われるというのは、お門違いじゃないか?
後書き
次後編1時間で書いて完結です。
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