戦国御伽草子
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壱ノ巻
由良の縁談
1
初めての落城は11歳のときだった。
あたしはまだまだ幼くて、唯何も出来ずに人が死んでいくのを見ていることしか出来なかった。
「兄様。父上。母上」
不安を抑えようと頼りなく伸ばしたあたしの手を兄上は優しく握ってくれた。
母上に似た綺麗な顔でそっと微笑む。その頬も手も、煤と血でくろく汚れていた。
「いこう」
はぐれないように、兄上はあたしの手を引いてくれた。縺れる足を気遣い、涙を拭ってくれる。自分も怖かったろうに、そんなこと噯にも出さず。
母上は勝気で、綺麗な人だった。兄上は母上の美貌を継ぎ、あたしはその性格を継いだ。
煙渦巻く中、瑠螺蔚、吉之助と呟きあたしと兄上を抱きしめてくれたことは、今でもはっきりと覚えている。
それが、父上の身代わりに城で果てるために、鎧を身に纏い顔も衣も煤けて尚輝いていた、大好きな母上の最期の記憶。
そして・・・全て燃えた。
「瑠螺蔚さま」
埋み火を見ていたあたしが我に返って振り向くと、藍の桔梗の着物を着た姉上様が微笑んで立っていた。
姉上様は兄上の正室で、兄上とお似合いの優しい人だ。2年前に嫁いでいらしたばかりの御歳は確か十九、だったような…。
姉上様は勿論政略結婚で、ここ、前田家に嫁いできた。
でももう前田家に馴染んでしまって、あたしも「義姉上様」じゃなくて「姉上様」って呼んでいる。
「何ですか、姉上様」
「瑠螺蔚さま…」
と言って、姉上様は笑っていた顔を歪ませて、あわてて顔を隠された。あたしは仰天して駆け寄った。
「姉上様!どうなさったのですか?」
「…瑠螺蔚さま、私は、あの方に愛されてはいないのです」
「はぃ!?あの方って姉上様、稔成兄上ですかっ!?」
姉上は静かに頷く。
「え、で、でもっ、兄上は姉上様を大切にしてらっしゃるわ!」
あたしは驚いて叫んだ。
姉上様と、側室さえ娶らない兄上は近所では評判の夫婦で、あたしも二人みたいな夫婦になれたら幸せだろうなー…って憧れていたのに。
「確かに私はあの方に大切にされています。でも、それだけ。あの方は優しいから、私の気持ちをわかっているから、優しくしてくださるだけ。あの方は私ではない他の人を愛しているのです。」
兄上が、姉上様ではない人を愛している!?
そんな、まさか。
寝耳に水もいいとこで、呆然とするあたしに姉上様は涙を零しながら言う。
「…ごめんなさい瑠螺蔚さま。私意地悪ね。でも、私…もう」
童が三人、川縁を楽しそうに駆け回っている。
あたしと、兄上と、高彬。
高彬は隣の佐々家の子で、あたしたちの幼馴染だ。
…これは夢?
夢よね?だってこの日は…。
目の前の小さいあたしがきゃらきゃら笑いながらいきなり駆け出す。
―――――そうだ、これは夢。
あまりにも鮮明で、忘れられない過去。
「瑠螺蔚!」
「瑠螺蔚さん!」
二人の鋭い声が飛ぶ。
小さいあたしは良く見ないで駆け出したものだから、川に落ちたのだ。
渦に飲まれて、何がなんだかわからなくて、苦しくて…。
「僕、人を呼んでくるっ!」
高彬は青ざめた顔で、矢のように走り去る。
兄上も血の気が引いた顔で、呆然と立ち尽くしていた。
あたしは波に揉まれながら、兄上に助けを求めようと、手を伸ばしていた。けれど、その手も、あっさり激流に飲み込まれる。
「瑠螺蔚ぃ――――――っ!」
兄上が叫ぶと同時に、なぜかあたしは兄上の腕の中にいた。
あたしはゲホゲホと咳き込んだ。
「に、兄様、あたしどうしてここにいるの…?」
「…瑠螺蔚、今、私は霊力で瑠螺蔚をここに呼び寄せたんだ。私には、そういう力があるんだよ」
「ぇ…?」
「今まで黙っていてごめん。だから、私に近づかないほうがいい。驚かせてしまってごめんね、瑠螺蔚」
兄上は、笑った。とてもとても悲しそうに。
だから、あたしはすんなり信じれた。霊力があるなんて突拍子もない話を。
「何でそんなこというの!霊力があるっていいことじゃない」
「いいことの訳、あるものか」
「どうして近づくななんて言うの!兄様はあたしのことが嫌いなのっ?」
「違うよ瑠螺蔚。そうじゃなくて…」
「兄様が嫌だっていうのなら、あたし誰にも言わない!だから、兄様ぁ…」
ぐしぐしと泣きじゃくるあたしをみて、兄上は、笑った。
「だから私は瑠螺蔚が好きだよ。ありがとう、瑠螺蔚」
兄上とあたしは、それから指切りをした。
兄上の霊力のことは、誰にも言わないこと。
「ゆーびきーりげんまんうーそついたら…」
高彬が戻ってくるまでに、あたしたちはふたりとも笑顔に戻っていた。
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