八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第二百九十二話 行く場所その三
「クリスマスが街にも入って」
「そうしてですね」
「心が癒されました」
「クリスマスにですか」
「はい」
まさにというのだ。
「終戦直後の思い出の一つです」
「あの頃は街もトタン家やバラックばかりでしたね」
「お店もでした」
「それで人もボロボロでしたね」
「これからどうなるか」
「一切わからなくて」
「混沌と絶望、不安がです」
そういったものがというのだ。
「ありました、ですが」
「その中でクリスマスを見てですか」
「心が癒されました」
「バラックの街の中で、ですか」
「そうです、アメリカ兵達が祝っていて」
「それを見てですか」
「癒されました」
こう僕に話してくれた。
「そして日本人もです」
「次第にですね」
「クリスマスを祝う様になって」
そしてというのだ。
「太宰治さんの小説の様に」
「言う人もいたんですね」
「そうなっていました」
「そうですか」
「そして次第に日本も」
「復興してきたんですね」
「最初は僅かにで」
畑中さんの言葉には実感があった、まだ復興しはじめの時は希望が持てずにいたということだろうか。
「そして一気にです」
「復興してですね」
「昭和三十年代にはです」
「高度成長ですね」
「三十年代は今と比べると非常に貧しく社会の何もかもがいい加減でしたが」
衛生管理にしてもだ、当時はそうだったらしい。
「それでもです」
「いい時代でしたか」
「面白い時代でした」
「そうだったんですね」
「バラックがアパートになり」
昭和の古いそれになってというのだ。
「そしてテレビや冷蔵庫、洗濯機もです」
「普及してきたんですね」
「そうなってきた時代です」
「白黒テレビですね」
「そうです、今では懐かしいです」
その白黒テレビもというのだ。
「画面は小さく真空管で中々テレビは映りませんでしたが」
「僕の知らないテレビですね」
「ですね、義和様はカラーテレビですね」
「しかも液晶です」
そちらのテレビだ。
「もう白黒の真空管はです」
「御覧になられたことはないですね」
「八条グループでも造っていたそうですが」
その白黒テレビをだ。
「それでもです」
「左様ですね、ですが」
「その頃はですか」
「はい、昭和三十年代は」
この時はというのだ。
「もうです」
「憧れのものだったんですね」
「そしてその憧れが普及していく」
「そうした時代だったんですね」
「八条家では多くありましたが」
「やっぱりお金があるからですね」
「どの方も持っておられましたが」
憧れのそのテレビをだ。
ページ上へ戻る