一人旅の女
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第一章
一人旅の女
千葉県の話である、戦後の高度成長期で人々は忙しく働いていた。それは千葉県でも同じで田舎だたこの県もだ。
賑やかになってきていた、それでここに昔から住んでいる松村吉兵衛は言った。
「いや、昔はな」
「こんなにか」
「全然な」
同じ職場にいる磯部幾太郎に話した。二人で昼休みに共に弁当を食いながら話をしている。どちらもそれぞれの奥さんが作ってくれたものだ。職場の庭でそうしている。外は晴れで他の職場の者達も歩いていたり食べていたりしている。
「賑やかじゃなかったんだよ」
「千葉はか」
「ああ、お前さんは東北からこっちに来たな」
「岩手からな」
「集団就職でな」
「こっちに来てな」
それでとだ、磯部は松村に話した。磯部の背は一六五位で痩せた身体で吊り目で細長い顔をしている。二十代だがもう額は広くなり出している。そして松村は五十代で背は一六二程で顔は長方形だ。髪の毛はすっかり白くくぼんだ目に太い眉を持っている。腹が少し出ている。
「そしてな」
「ここで働いてるな」
「そうだよ、俺がこっちに来た時は今より賑やかじゃなかったが」
それでもというのだ。
「俺がいた村よりはな」
「ずっとか」
「賑やかだったよ」
「そう思うんだな」
「ああ、本当にな」
こう言うのだった。
「俺はからしてみればな」
「そうか、しかしな」
「昔はか」
「ここはもっと寂しいところだったんだよ」
「千葉はか」
「こんなのじゃなかったんだよ」
「この千葉市もか」
磯部は松村に問うた。
「そうだったか」
「ああ、それにな」
「それに?」
「妖怪の話もあったな」
「妖怪?雪女か」
「それは岩手だろ」
雪女と聞いてだ、松村は磯部に笑って返した。
「だからな」
「それは違うか」
「ああ、またな」
「こっちの妖怪か」
「こっちは栄螺の妖怪が出るんだよ」
「栄螺?漫画のか」
「最近新聞でやってるな、あれでもないさ」
栄螺といってもというのだ。
「ついでに言うが鰹でも若芽でも鱒でも鱈でもないぞ」
「波も船もないか」
「あと海苔も穴子もな」
そういったものもというのだ。
「全部な」
「そうなんだな」
「そうだ、栄螺は栄螺でもな」
「妖怪の栄螺か」
「それが出たんだよ」
「それなら食えばいいだろ」
磯部は栄螺の妖怪と聞いてまた言った。
「それなら」
「それがな」
「そうもいかないのか」
「ああ、栄螺が三十年生きてな」
そうしてというのだ。
「それで妖怪になるんだよ」
「長く生きてか」
「長く生きたら狐も狸もそうなるな」
「あと猫もな」
「それで栄螺もでな」
それでというのだ。
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