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ナイン・レコード

作者:
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ちいさなしまのおはなし
  ちびっこの交流

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お気に入りのリュックは青い色。
大好きなアニメのキャラクターの顔が貼りつけてあって、お出かけをするときはいつもこのリュックを使っていた。
その中にお菓子とパンをありったけ詰め込んで、しっかりとチャックを閉めてから背負う。
踵を踏み潰したランニングシューズを履き、お姉ちゃんに手を引かれながら大輔は玄関を出る。
扉を開け、背の小さな大輔が塀と天井で狭められた空を見上げると、オレンジ色に染められていた。
夕方を知らせる鐘はとっくに鳴り終えている。
鐘が鳴ったら帰りましょう、朝になるまで外に出てはいけませんよ。
なのにお姉ちゃんは、お母さんの目を盗んで大輔の手を引いて、外に出てしまった。
大輔の方を一切振り向かず、ただ大輔の小さな手をしっかりと握って、早足でマンションの廊下を歩く。
時々転びそうになりながらも、大輔は待ってとか早いとか、文句を一切言わずにただお姉ちゃんについていった。
エレベーターのボタンを押す。今日に限ってなかなか上がってこない。
1階ずつ止まるエレベーターに痺れを切らしたお姉ちゃんは、すぐ傍の階段を使って降りる。
カンカンカン、と金属でできた階段が甲高くて短い音を鳴らした。




空がオレンジと濃紺の半分ずつになる時間帯だというのに、お姉ちゃんは引き返そうとしない。
それどころかどんどん先へ進んでいく。
濃紺が迫る住宅街を真っ直ぐ突き進んでいくお姉ちゃんを不思議に思いながらも、大輔は黙ってその手に引かれて歩いていく。
もうお夕飯の時間だから帰らなくていいの、とか、何処に行くの、とか疑問は沢山浮かんできたけれど、お姉ちゃんはどんどんお家から離れていく。
大輔の位置からでは、お姉ちゃんの顔色を伺うことは出来ないから、今お姉ちゃんがどんな顔をしているのかは分からない。


すっかり暗くなってしまった辺り一帯は、次々と街灯が照らし始める。
それでも、人口的な灯りは道を照らすので精いっぱいで、空は相変わらず真っ黒に塗りつぶされていた。
わき目も振らずに、真っ直ぐ突き進んでいたお姉ちゃんの足が、ぴたりと止まる。
それにつられて大輔も立ち止まった。
じ、とお姉ちゃんの視線の先にあったのは、いつも遊んでいる公園だった。
公園にも街灯はあるが、1つだけしかなく、昼間に遊んでいる時と雰囲気が違って見えて、何となく不気味だ。
物心つく前から“そういったモノ”が見える大輔は、殆ど無意識にお姉ちゃんの手を強く握った。
直後に、お姉ちゃんは公園に向かって歩き出す。
ブランコ、ジャングルジム、滑り台、一般的な公園にある遊具は一通りある。
お姉ちゃんが向かったのは、半球体で幾つか穴が開いているドームだった。
昼間、皆で遊ぶときは、そこでよく秘密基地ごっこをして遊んでいる遊具である。
先に大輔を中に押しやり、次にお姉ちゃんが入る。
公園に1つだけ設置されている街灯の灯りが、穴から中を照らしてくれていた。
その時、大輔は漸くお姉ちゃんの顔を見ることができた。


泣いていたのだ。


大輔は、目を見開いた。
あの姉が、いつも大輔を守ってくれている姉が、涙をぼろぼろ零して、泣いていたのである。
目を真っ赤にさせて泣き腫らして、唇をぎゅっと真一文字に結んで、嗚咽を堪えながら泣いている姿は、衝撃的だったから、今でも鮮明に思い出せる。
高い所から落ちて足を骨折したときも、男の子と喧嘩をして顔を殴られた時も、何があったって泣かなかったお姉ちゃんが、大輔の目の前で泣いている。

どうして?どうして?

大輔は分からない。
大好きなお姉ちゃんが泣いている理由が、分からない。
そんなお姉ちゃんを何とかしてあげたくて、大輔はお姉ちゃんの傍に寄り、そして……











あの時、自分は何と言ったのだったか。











周りの景色が歪んで見えるほど、地面から熱気が立ち上る。
ピョコモンの村で一晩過ごした一行は、今日こそこの広大な砂漠のエリアを抜けようと、一心不乱に歩いていた。
だが何時間歩き回っても、見渡す限りの砂漠の向こうは森も海も何も見当たらず、一直線の地平線が引かれているだけだった。
太陽の熱さと、それを反射して熱を帯びている砂漠の砂の両方から攻められ、子ども達の全身から汗が噴き出て水分が急速に失われていくのが分かった。
ピョコモンの村で調達しておいた水分も、無限ではない。
また何処かで水分を調達するなり、休めるようなところを探すなりしないと、悪戯に体力を消耗するだけである。

「はあ……はあ……もうダメぇ……」

まず最初にへたり込んでしまったのは、ミミだった。
動き回るのに全く適していない服装と靴のせいで、他の子ども達よりも負担が大きいらしく、ここに来るまでにも何度も休憩を挟んでいる。
ここが森の中や草原など、普通の環境だったら、先頭を歩く太一にしっかりしろと引っ張られていただろう。
だが砂漠地帯という特殊な環境下、灼熱地獄のど真ん中を何の装備もなしに歩き回っているのは、流石の太一でも根を上げそうになっている。
休憩が多くなるのも、自然なことだった。

「うう……」
「はあ……はあ……」
「一歩も動けないよぉ……」

限りなくないに等しい水分で生き延びている、僅かに生えた草に身を投げるように座り込んだのは、最年少の小学2年生の3人である。
身体が小さな3人は、上から容赦なく降り注いでくる太陽だけでなく、太陽の熱を吸収して熱気を吐き出している砂漠の地面とも距離が近いので、尋常ではないほどの量の汗をかいていた。
そしてそんな4人の子ども達に混ざってへばっているデジモンは、ゴマモンだ。
ピョコモンの村に着く前の砂漠での移動もそうだったが、ゴマモンは寒冷地域の海洋生物である。
寒さには強いが、暑さにはめっぽう弱い。
空気も乾燥しているから、この環境はゴマモンには辛いだろう。
休憩しようか、という太一の鶴の一声で、4人はすぐ傍にある1本だけ立った木に寄りかかるように座り込んだ。
木が作り出す影のお陰でほんの少し太陽光を遮ることは出来るが、殆ど無風状態では流れ出る汗を乾かすことは出来なかった。

「……やっぱりだめかぁ」

丁度いい大きさの石に腰かけた光子郎が残念そうに呟く。
彼が見ていたのは、キャンプにも持ってきていたノートパソコンである。
ここに飛ばされる前から調子が悪かったが、電源ボタンを入れてもうんともすんとも言わないのだ。
荷物を確認していた時も言ったが、バッテリーは十分残っていたので、そもそも電源がつかないということがあり得ないのである。
一体どうしたことか……と溜息を吐きながらパソコンを見下ろしていた光子郎の呟きを拾った、太一の行動は早かった。

「そういう時は叩けば直る!」

光子郎のパソコンを取り上げ、あろうことか乱暴に叩き始めたのである。
一瞬何が起こったのか理解できなかった光子郎だったが、次いで聞こえてきた治の怒声で我に返った。

「何やってるんだ、お前は!」

滅多に声を荒げることのない治の怒声に、太一や光子郎だけでなく空や丈、ミミ、そして2年生組とデジモン達は、びっくりしてその場で硬直してしまった。
治はそんな一同に気づかず、怒りに満ちた形相を浮かべながらずかずかと太一の下に歩み寄り、太一が持っている光子郎のパソコンを取り上げる。

「あのなぁ、パソコンは精密機器だぞ!?薄っぺらいから信じられないかもしれないけれど、この中にたっくさん小さな部品が密集していて、1つでも欠けたら正常に動かなくなるんだ!ブラウン管のテレビじゃあるまいし、叩いて直るわけないだろう!?壊れたら責任とれるのか!?こういう精密機器は子供の小遣いでどうこう出来るものじゃないんだ!!そもそも人間がいる保証が全くないこんな異世界で、直してくれるような人やモノなんか……!」
「治!ストップ、ストップ!」

青筋を額に浮かべながらマシンガントークをかましそうになる治を、最初に我に返った丈が羽交い絞めにして止めてやる。
親友の治の豹変っぷりに、目を見開いて硬直していた太一は、お、おお、としか返事が出来なかった。

「全く、治らしくないぞ?ほら見なよ、空くんやミミくんだけじゃなくて、2年生達までびっくりして固まっちゃってるじゃないか」
「……済まない。賢、びっくりさせちゃったな?ごめんな……」
「う……ううん。大丈夫だよ、びっくりしちゃったけど……ね、パタモン?」
『う、うん……』

賢も我に返り、隣にいたパタモンに同意を求めながら大丈夫だと返した。
大輔、ブイモン、ヒカリ、そしてプロットモンも、言葉にはせずとも何度も頷いている。
そんな最年少3人に、治は苦笑しながら再度謝罪し、太一から取り上げた光子郎のパソコンを返した。

「はい、光子郎」
「あ、ありがとうございます」
「壊れてはいないと思うけど、念のために確かめておきな」
「はい」
「……あと、分かっているとは思うけど、太一の前で不用意な発言はしないように」
「……そうですね」

半目になった治と光子郎の視線の先には、空と丈に説教されて正座をさせられている太一の姿があった。
学校の備品なども時折ぶっ壊して、先生に怒られている姿をよく見かけるからか、空と丈に説教されているところを見ても、あまり気の毒には感じられない。


一通り説教が終わり、空と丈からようやく解放された太一は、むすりと拗ねた表情を浮かべながら地平線が広がる砂漠に目を向ける。
単眼鏡を使わずとも見えたのは、明らかに不自然に立ち昇っている黒煙だった。
先程説教されて、機嫌が急降下していたことも忘れ、太一は走り出した。
アグモンが慌てて追いかける。
何とか起動してくれないものかと、治が取り返してくれたパソコンを弄っていた時だった。

「……え?」

キーボードを滑っていた光子郎の手が止まる。
突如として、パソコンが起動し出したのだ。
真っ黒だったディスプレイがパッと光り、起動したという旨のメッセージが映し出される。
やった、と喜んだのもつかの間、画面の端のバッテリー残量が0を示していた。
パソコンというのは常に電力を消費して稼働されているので、日頃から電源アダプタと繋げて使用するものだから、電源を入れていなかったとは言え、バッテリーが消耗していたのは理解できる。
しかし残量がないのなら、何故起動したのだろうか。
浮かんだ疑問を解決する術を、今の光子郎は持っていないので、治にでも聞いてみようかとした時、太一が子ども達を呼ぶ声がした。
先を行く上級生達を追い、同い年のミミと2年生の3人と一緒に、いつの間にか一行から離れていた太一の下へと走る。
黒煙が立ち昇っていたことに気づかなかった一行は、何か見つけたのかとその足を急かした。
地平線だと思っていた線は、切り取られたような高台だったようだ。
その高台から下ってだいぶ遠いところに、黒煙が上がっている原因が、あった。

張り巡らされた太い幾つものパイプと、それに繋がっているタンク。

「工場だ……」

明らかに人が建てたとしか思えないような構造物を目にした子ども達の行動は早かった。
太一を筆頭に、降りられる個所を探して建物に走っていく。
治の推測を聞いてから、人なんていないと絶望しきって、自分達で乗り越えるしか生き残る道はないのだと諦めていた子ども達の心に、希望の火が灯る。
立派な工場から立ち昇る黒煙を見るに、この工場は現在進行で稼働されている。
ならば工場を稼働させている“誰か”がいるはずだ。
はやる気持ちを抑えることが出来ず、疲労を見せていたはずの子ども達の足は自然と早まる。



無機質な金属の大きな壁は、見たことがない金属で、治と光子郎の好奇心を刺激する。
食い入るように壁を見つめている2人を引っ張って、子ども達は工場へと入っていった。
何かを叩きつけるような音がひっきりなしに聞こえ、金属で出来ている壁や建物に反響している。

「…う、おー!」
「すごーい!」
「おっきいねぇ、パタモン!」

2年生3人組が感嘆の声を上げる。
顔を上に向けると、聳え立つ建物に遮られて、空が凄く狭い。
つられて上を見たブイモン達も凄いなーとか言っていた。

「すみませーん!誰かいませんかー!?」

太一がありったけの声を張り上げて、稼働音に負けない音量で工場内にいるであろう人に聞こえるように叫んだが、返事が返ってくる気配が全くない。
おかしいな、と太一とアグモンは歩き出した。
子ども達も自然とついていく。
剥き出しになった歯車を横目で見ながら、太一達は更に奥へと入っていった。
内部へと通じるようなドアが、規則的に並んだ建物の彼方此方に見られる。
どうする?って子ども達は互いを見やった。
誰かが建てたとしか思えない構造物である、絶対に誰かがいるはずだと力説する丈と、重要施設っぽいのに外部から侵入してきた自分達の下に、ガードマンの1人すら駆けつけてこないのはおかしいと疑い始める治。
どちらの言い分も納得できるが故に、子ども達は迷っていた。

「何だよ、だったら探しに行きゃいいじゃん?ここでじっとしてたって、誰かが来てくれる保障もないんだろう?」

意見が分かれた時や迷った時、決断力や判断力がある者の意見が採用されることが多い。
例に漏れず、太一が迷っている子ども達に対してあっさりと提案し、他に案もないことから太一の意見を採用することにした子ども達は、何人かで別れて建物を散策することにした。

その班決めで、ちょっとした一悶着が起こる。
太一と治と空が中心になって、どの組み合わせでどう動くかと話し合っているのを聞いた大輔は、はい!と元気よく手を挙げた。

「俺、ヒカリちゃんと賢と、あとブイモン達で行きます!」
「ええっ!?」

何言ってるの、と慌てたのは最年長の丈だった。

「2年生だけでなんて、危ないよ!君達はまだ小さいんだから!」
「小さいからって、何もさせてもらえないなんて、やです!」
「そうだよ!誰かいないか、探せばいいんでしょう?それなら僕達だって出来るもん!」
「プロットモン達もいてくれるし、危ないことはしません。約束します。ねえ、お兄ちゃん、いいでしょう?」

これまでずーっと上級生の後をついてくるだけだった2年生達の不満が、ここぞとばかりに爆発した。
小さいから危ないことはさせてもらえない。それは仕方のないことだ。
大輔達だってよく分かっている。治の推測が現実を帯びてきている今、2年生の大輔達にとって上級生達だけが頼りなのだ。
3人とも上に兄弟姉妹がいるから、もしも上級生達が目を離した隙に勝手なことをしたり、怪我なんかしようものなら、怒られるのは上級生達なのだということも、よく分かっていた。
下級生を怪我させるなんて、何してたの、ちゃんと見ててって言ったでしょう、って理不尽な説教を受けるところを、大輔達は兄や姉を通して何回も見てきた。
そりゃ、たまーにそれを利用して上手く叱られるのを回避したことはあったけれど、それは今は置いておくとして。



元々大輔は自立心の強い子である。
アメリカで生まれ育ったこともあり、自分で出来ることは自分でしなければ気が済まなかった大輔は、その自立心をサッカー部でも遺憾なく発揮していた。
こちらに来てから妙に大人しかったのは、流石の大輔も見知らぬところをうろつくのは賢明ではないことが分かっていたからである。
太一と治と空はサッカー部に入っていて、大輔はサッカー部の後輩だ。
小さな身体でちょこまか動き回る大輔を知っているからこそ、3人は敢えて大輔をヒカリと賢と一緒に行動させていた。
もしもヒカリや賢がいなかったら、先輩達がやるなら自分もやると言い出して、上級生に混じって先頭に立とうとしていただろう。
上級生達が下がってなさいって言ったところで聞かん坊の大輔は、きっと何でですかって地団駄踏んで癇癪を起していただろうと言うことは、安易に想像ついた。
だからこそ、ヒカリや賢という、大輔と同い年の子が他にもいてよかったと、太一達は思ったのである。
1番仲のいい女の子のヒカリちゃんは、お兄ちゃんと違ってあまり運動が得意ではない。
それどころか季節の変わり目になるとしょっちゅう風邪をひくような、身体の弱い子だ。
もっと小さい頃は、今よりもっと大変だったらしい。
そんなヒカリのお兄ちゃんである太一は、自他ともに認めるシスコンで、いつもヒカリのことを心配していた。
クラスどころか学年が違うせいで、ヒカリの面倒を見ることが出来ないけれど、大輔が転校してきてくれたお陰で、それが好転しているらしい。
どういう訳か、大輔が転校してきたその日から積極的に大輔に話しかけて、日本語が話せない大輔の面倒を見ているし、そのお陰でヒカリに懐いた大輔は暇さえあればずーっとヒカリと一緒にいる。
勿論、ちゃんと他の友達もいるけれど、それでも一緒にいる頻度が高いのは、お互いだった。
2人で一緒に太一が蹴るボールを追いかけて遊んだり、英語と日本語を教え合ったりするだけでなく、大輔はヒカリの調子が悪いと目敏く気づいて保健室に連れていくなり、太一に知らせるなりしてくれるのである。
頻繁に風邪をひいていたヒカリは、両親や兄に心配かけさせまいと具合が悪いのを上手に隠してしまう子で、気が付いたら悪化していた、というのはしょっちゅうだった。
それが大輔のお陰で、悪化する前に気付けて対処が出来るようになったのである。
大輔くん様様ね、とは太一の母の台詞だった。
つまり、お互いがいい具合にストッパーになったり、よき相棒になったりしているお陰で、何でも自分でやりたがる大輔が、上級生に混ざりたがって前に来るのを防いでいるのだ。
加えて、新しい友達の賢。賢は、大輔と違ってあまり前に出たがらない。
自分のことは自分で出来るものの、目立つことが嫌いなんだと治が言っていた。
天才少年・治によれば、賢も小学2年生にしてはなかなか賢い子らしい。
勉強も出来るし、スポーツも得意。でも治と一緒で、人が沢山いると奥に引っ込んでしまう子。
だからこそ、大輔は前に行かずにヒカリと賢と一緒に、敢えて上級生の後をついていく。
太一も大輔も、遅れている子がいると目敏く気づいてくれるのだが、太一は前で待っているタイプで、大輔は遅れている子の下へ行くタイプと、全く違う行動を取る。
何やってんだよ、早く来いよーって太一は待っていてくれるけれど、迎えには来てくれない。
前に出たがらない子の腕を引っ張って、押し出すのである。
反対に大輔は、どうしたーって遅れている子の下まで来てくれるけれど、待っていてくれない。
一緒に行こう、って隣を歩いてくれる。
それが如実に表れていた2日間だったが、慣れてくれば大輔も自分の本領を発揮し始めるだろう。
そして大輔が前に出ようとすれば、1番の仲良しのヒカリや友達になったばかりの賢も、それにつられて前に出てくる。
そろそろ我慢できなくなる頃だろうなぁ、って治は予想していたけれど、思っていた以上に早かったから、どうする?って太一に尋ねる。

「ここでダメって言ったって、聞くような大輔じゃないぞ……」
「だよなぁ……だからって3人で行かせるか?」
「でも見てよ、あの目……3人で行きますって言いたげなのが丸わかりよ……?」

5年生3人は額を寄せ合って話し合う。
目をキラキラさせながら太一達を見上げてくる下級生は、今までずっとお荷物だった分、役に立ちたいと言いたげなのが、嫌でも伝わってきた。

「いや、だから、ダメに決まってるだろう?何でそんな満更でもない表情しているのさ」

最年長の丈が断固として反対する中、5年生3人は乾いた笑みを浮かべて丈を見つめた。

「……丈、お前確か大輔の姉ちゃんと同じクラスだったよな?」
「何だい、藪から棒に」
「だったら知っているだろう……?お姉さんがどういう性格をしているのか……」
「………………」
「そして大輔は、そんなお姉さんにそっくり……そこまで言えば、後は分かりますよね……?」

ふふふ、と5年生が遠い目をしているのは、気のせいではない。
3人は大輔だけではなく、サッカーをしている大輔をたまに応援しに来てくれる大輔のお姉ちゃんのこともよく知っている。
小学6年生にしてパンクやロックなファッションを好み、学校でもそう言ったタイプの服装を着て通学し、教師を仰天させたという逸話と、学校中の男子がひれ伏す切っ掛けになった“アレ”をしでかした伝説を持ち合わせている、トンデモガールである。
大輔は、そんなお姉ちゃんの弟だ。
大輔のお姉ちゃんと同じクラスである丈は、5年生3人の言いたいことが、痛いほどに分かった。

「……君達、絶対、絶対、ぜーったい!危ないことはしないって約束してくれるかい?」
「「「はい!」」」

返事だけはいいのだ、返事だけは。
物凄く不安だが、ダメだと言い含めて無理やり他の上級生達と一緒にしたところで、目を盗んでこっそりと抜け出すのは目に見えている。
だったら最初から別行動をしていることが分かっていた方が、心臓に優しいか。

『ブイモン達も、しっかりしろよ?ダイスケ達を護ってやれるのは、お前らだけなんだから』
『分かってるよ!』
『どーんとお任せ!』
『何たって、パートナーだもの!』
『……どうしよう、ソラ。ワタシ、物凄く不安』
「奇遇ね、ピヨモン。私もそう思ってたの……」

丈につられるようにゴマモンがブイモン達に言い含めるものの、どういう訳か頼りなく見える。
傍らでやり取りを見ていたピヨモンと空が半目になっていたことを、誰も咎められないだろう。





このまま悩んでいても埒が明かないということで、一向はさっさと3組に分かれて探索を開始する。
太一と空と丈で1組、治と光子郎とミミで1組、そして大輔とヒカリと賢で1組。
不安要素の塊が1組いるが、今は無理やりにでも置いておくしかない。
工場内に侵入した最年少とそのパートナー達は、工場を稼働させている“誰か”を見つけるという任務を遂行させながらも、見たことがない機械がひしめき合っている内部は、子ども達にとっては魅力的な場所でもあった。
すげーすげーって目を輝かせ、彼方此方視線を向けながら歩いているから、自然と足取りも遅くなる。
ゴマモンやピヨモンに、しっかりしろよと釘を刺されていたブイモン達も、大輔達につられて天井を見上げたり、両脇を占領している見たことのない機械や装置にすっかり心を奪われてしまっていた。

最初に脱線してしまったのは、意外なことにヒカリである。
大輔と賢、パートナーデジモン達が辺りをキョロキョロと伺っている間に、悪戯っ子の表情を浮かべたヒカリちゃんは、2人と3体の目を盗んで、機械や装置の陰に隠れてしまった。
すぐに気づいたのはプロットモンで、パートナーのヒカリがいなくなったことで悲鳴を上げ、それによって大輔達もヒカリがいないことに気づいた。
何処だ何処だって慌てふためく大輔達の声が聞こえて、ヒカリはくふくふと口元を両手で隠しながら笑いを堪える。
暫くしてブイモンが見つけたーって隠れていたヒカリを見つけ、引っ張り出した。
見つかっちゃった、ってヒカリはペロッと舌を出して、全然悪びれていない。
そして上級生達が危惧していた通り、最年少達は少しずつ脱線し始める。

「……ねえ、そう言えばさっきお兄ちゃん達が言ってたけど、大輔くんてお姉さんいるの?」

道中に落ちていたスパナを拾った賢が、それを軽く振り回しながら大輔に尋ねた。
先程、自分達だけで行動したいと上級生にお願いした時に、彼らが目の前で話をしていたから、気になっていたのだろう。
そう言えば言ってなかったっけ、って大輔はしれっと言った。

「おう、いるよ。丈さんと同い年の、小学6年生のお姉ちゃん。ジュンって言うんだ」
『ダイスケもオネエチャンいるんだ?どんな人?』
「んー……何て言うのかなぁ?ブレないって言うか、真っ直ぐって言うか……」
「自分の好きなものは好き!って譲らないよね」

身内の評価というのはなかなかに難しいものだ。
外から見た姉と、自分から見た姉というのはだいぶズレがあるから、大輔がこうだと思っていても周りもそう見えているとは限らない。

『じゃあジュンは何が好きなの?』
「そうだなー、何か男の人がお化粧してるバンドの音楽とか?音もでっかくて、時々お姉ちゃんの部屋から音漏れてるんだぜ?煩いからやめてくれって何度も言ってんのにさー」
『ばんど……?』

聞き慣れない言葉に、ブイモン達は首を傾げる。
バンドが何なのかは知っているけれど、何と説明したものか分からなかったので、曖昧に笑って誤魔化した。

「ヒカリちゃんは、大輔くんのお姉ちゃんのこと、知ってる?」
「うん、勿論知ってるよ。時々大輔君のお姉さんと一緒に、お兄ちゃんや大輔くんがサッカーしてるの、見てるんだ」
「大輔くん、サッカーやってるんだ?あ、お兄ちゃんサッカーやってるけど……」
「おう、治さんにもよく世話になってるよ。俺が日本に帰ってきたばっかの時は日本語全然分かんなかったんだけど、治さんが通訳してくれて助かったなぁ」
「お兄ちゃん、僕達がまだ一緒に住んでた頃から、海外でお仕事したいって言って英語のお勉強してたんだよ。すごいよねぇ。僕も勉強してるんだけど、全然分かんないんだよー」
「……簡単なのでよかったら、俺が教えようか?」
「え、いいの?」
「つっても本当に簡単なのしか教えられねぇけど」
「私も教えてもらってるんだー。結構楽しいよ、賢くんも一緒にやろうよ!」
『えー、いいなぁ!ダイスケ、俺にも“えいご”って奴、教えてくれよ!』
『あ、ボクも~!』
『ヒカリがやってるなら、アタシも!』
「あはは、楽しそう!みんなでやろうね!」

同い年で最年少、訳の分からない場所に突如として飛ばされ、右も左も分からないまま行く宛てもなく上級生達が彷徨い歩くのをただついていくことしかできない3人の会話は、どんどん脱線していく。

「お兄ちゃん、学校ではどう?」

久しぶりに会っても僕ばっかり喋ってるんだよーって、賢は頬を膨らませながら不満を漏らすと、大輔とヒカリはクスクス笑いながら教えてあげる。

「サッカー部の時の治さんしか知らないけど、サッカーしてる時の治さんってすっごくカッコイイよなー」
「うん、1番上手だよね!お兄ちゃんとツートップっていうの、やってるんだって」
「そっかー、じゃあ僕もサッカーしてみようかなぁ。僕も運動は好きだけど、クラブとか入ってないし……」
「いいじゃん、やろうぜ!そんで、いつか俺達んとこの学校のサッカー部と試合すんだ!」
「あ、それいい!試合の日は呼んでね。私とジュンちゃんで絶対見に行くから」
「え?ジュンちゃん?」

ヒカリが大輔のお姉ちゃんをちゃん付けで呼んだことに、賢はびっくりしてヒカリを見やる。
まだヒカリと知り合って日は浅いが、基本的に年上の人相手には「さん」付けで呼んでいるヒカリが、大輔のお姉さんに対して『ジュンちゃん』と呼んだのである。
理由は、簡単だった。

「私もね、最初はジュンさんって呼んでたの。でも慣れないからやめてって、呼び捨てでいいって。そんなの無理だって言ったら、じゃあせめてちゃんで呼んでって言われちゃった」
「そうなの?」
「俺も日本に帰ってきたばっかの時に、太一さんと治さんのこと呼び捨てにしちゃって、すっげー怒られたんだよなぁ」

あはは、って大輔は苦笑する。
アメリカでは会社や初対面、特殊な役職などについていないなど特別な理由でないに限り、相手が年上年下に関わらず呼び捨てである。
両親の方針で家でも英語漬けだった大輔は、お姉ちゃんのことだけは日本語で『お姉ちゃん』と呼んでいたが、それ以外はほぼ呼び捨てだった。
お姉ちゃんのアメリカ人の友達だって、呼び捨てで呼んでいたから、ついついその延長で太一や治のことも呼び捨てで呼んでしまったのである。
そんなアメリカ事情を知らない太一にしこたま怒られたことは、今でも鮮明に思い出せた。
あの時の太一さん、めっちゃ怖かった、って大人になっても言うほどには。
治とジュンが間に入ってくれて、何とか誤解は解けたけれども、ここは日本なんだから日本の方式に従うように、と太一に言われた大輔は、最初こそ戸惑ったものの、最近は何とか違和感なく太一達を呼べるようになってきた。
最初は、サッカー部に入るんだから太一先輩って呼べ、って言われたのだけれど、先輩という言葉が難しく、また理解できなかった大輔は口をもごもごさせてばかりだった。
英語漬けの日々を過ごして、すっかり英語を使うための筋肉と化していた口では、『先輩』という言葉は言いにくかったらしい。
ずっと英語が飛び交っている中で育ってきたのだから仕方がない、と小学生にしては海外事情に詳しい治の提案により、暫くは『さん』付けでいい、と言ってもらい、今に至るらしい。

「……でもお兄ちゃん達はジュンさんのことは『さん』付けで呼んでるんでしょ?」
「……えーっと」
「……何か、色々あったみたいで……」

様々な伝説を作って上級生の男子はみんなジュンを怖がって『さん』付けで呼んでいるのだが、口に出すのは憚られた。
ただジュンと大輔が転校してきた約2か月後、ジュンが学校中を巻き込むようなことをしでかしてしまった、ということだけ記載しておこう。
その日から学校中の男子は、ジュンを見かける度に顔を真っ青にさせていたし、女子は尊敬の眼差しをジュンに向けるようになった。
それは太一や治も例外ではない。
2人は大輔を通じてジュンと知り合ったのでまだマシだが、それでもジュンがこの1年で作り出してしまった伝説を目の当たりにしてしまっているので、時々白目を剥きながらジュンを見つめていることがあるのは、公然の秘密である。
大輔とヒカリの顔も蒼褪めて何故か賢から目を逸らしているし、ここは空気を読んだ方がよさそうだ。

『……え、えーっと、じゃあ今度はヒカリ達のこと教えてよ!』

ヒカリの隣を歩いていたプロットモンが、慌てて話題を変える。
ジュンが作り出した伝説を思い出して顔を青くさせていた大輔とヒカリだったが、プロットモンの言葉を聞いて顔色を戻す。

「私達の」
「こと?」
『うん!アタシ達はヒカリ達の名前も、ここに来てくれることも知ってたけど』
『ダイスケ達が今まで何をしていたのかとか、どう過ごしていたのかとか、そういうの知らないんだよな~』
『そう!だから教えて?ケン達のこと、もっと知りたい!』

教えて教えてって目を輝かせているパートナーが何だかおかしくて、3人は顔を見合わせた後、くすりと笑い合った。













それは、巨大な乾電池だった。
工場を散策するチームが、5年生によっていつの間にか決まっていたが、元来人に意見を述べることに積極的ではない光子郎は、そのことに対して文句を言うことが出来ず、ただ大人しく治の後をついていくだけだった。
最初に立ち寄ったのは、何かを作っている工場ラインだった。
土台だろうか、同じパーツが幾つもベルトコンベアに乗せられており、上から様々な形をした色々なパーツが次々と取りつけられている。
一体何が出来上がるのだろうか、と好奇心を抑えられずに、治とミミと光子郎はそれぞれの憶測を口にしながら流れていくベルトコンベアを眺めている。
その道すがら、治達は動力室を見つけた。
誰かいるかもしれない、という期待を込めて引き戸になっている扉を、治が代表して開けた。
ガラリ、と重たい扉を全開にさせて中に入り、目に入ったのが上記のものだった。
乾電池の横にはこれまた大きなモーターがあり、乾電池と繋がっていた。
光子郎の好奇心が更に刺激され、乾電池に近寄り、ペタペタと触れる。
見た目は光子郎達の世界の乾電池を大きくさせたものだった。
大きな大きな乾電池とは言え、巨大な工場をこれだけで賄えるほどの電力を持っているのだ、何か秘密があるに違いない。

「……あー、光子郎。まだ調べるつもりなら、僕達先にいくけど、いいか?」
「あ、すみません。構いませんよ、どうぞ先に行っていてください」

目をギラギラさせながら乾電池を見上げている光子郎を見て、色々と察した治は、ちょっとだけ腰が引けながらも光子郎にそう言った。
おざなりで返事を返されたことに治は苦笑したが、ここにいると言うことが分かっていればいいだろう、とキョトンとしているガブモンやミミやパルモンを促して動力室を出て行った。

「……あれ、こんなところにドアが……」

治達が出て行った数分後に、光子郎はお化け電池に扉がついているのを発見した。
恐る恐る手にかけて、引っ張ってみると、すんなりと開いたので中を覗き込んでみる。

「……う、わあ……」

中は、明るかった。
円形の空間の壁には、見たことがある文字とない文字がびっしりと書き詰められており、まるで古代の壁画のようだと光子郎は思った。
吸い寄せられるように正面の壁に赴いた光子郎の後を、テントモンがくっついていく。

「……これ、何だろう?」
『これは、デジ文字でんなぁ』
「デジ文字?」
『はいな。ワテらが使とる文字ですわ』
「へえ。何て書いてあるんだい?」
『それが、1つ1つの文字は読めるんやけど、読めへんのですわ』
「へ?」
『えーっと、文章になってへん、って言った方がええですな』
「何だ、それならそうと言ってくれよ」

それにしても、と光子郎は再び壁に書かれている文字を見やる。
テントモン曰く、特に意味のない文字の配列らしいのだが、光子郎は何だかコンピュータのプログラムのようだなあ、という印象を受けた。
恐る恐る手を伸ばし、壁に書かれている文字の1つの一部分を指で消した。


刹那



ぷつぅん……



突如として、空間を照らしていた電気が、切れた。
ギョッとなる光子郎に、テントモンはドアからお化け電池の外を見ると、外も真っ暗になっていると告げた。
この時、光子郎とテントモンは知らなかったのだが、光子郎が壁に書かれていた文字の一部を消したことにより、工場内総ての電力の供給が途絶え、停電してしまっていた。
ベルトコンベアを追って何の機械が出来上がるのかを観察していた治達のところも、最年少だけで行動していた大輔達のところも、そして今まさに大ピンチを迎えている太一達のところも、総て。
都合よく持っていたマジックペンを取り出し、消したところを書き込めば再び電気が点いたので、光子郎は安心して座り込み、背負っていたパソコンを取り出して膝に乗せ、立ち上げた。
何をしているのか、とテントモンが問えば、壁に書かれているプログラムを分析するのだと、楽しそうに答えた。
通常、電池は金属と溶液の化学反応によって電気を起こす。
だが今光子郎とテントモンがいる乾電池の内部は、光子郎が知っている電池の構造と全く異なり、壁に書かれた文字がエネルギーとなって電気を作り出しているのである。
電池がどういう仕組みで電気を起こしているのか興味が湧いて、一度分解したことがあった光子郎は、中身が空っぽにも関わらず動力源となっているお化け電池の構造が、気になって仕方がなかった。
壁に書かれた文字が電気を起こしている、という言葉にすれば単純な文章だが、それが如何に難しいことなのか、普段からパソコンのような電子機器に触れている光子郎にはよく分かっていた。
パソコンだって、ぱっと見た限りではそんなに複雑な形をしているとはいいがたい。
でも電源ボタンを押せばディスプレイが点くとか、キーボードを叩けば文字が打ち込めるとか、マウスを動かすとディスプレイの中の矢印の形をしたポインタが動くとか、一見簡単そうな操作だってパソコン内部の複雑な回路にプログラムされているから、可能になっているのだ。
太一が光子郎のパソコンを叩いた時に治が怒っていたのは、その回路が繋がっている個所がほんのちょっとズレただけで全く動かなくなる危険性があったからである。
治も光子郎ほどではないにしろパソコンにはそこそこ詳しいので、あの時珍しくあんなに怒っていたのだ。
そうだ、と光子郎は目を輝かせると、キーボードに指を滑らせた。
カチカチカチ、とキーボードが小気味いい音をたてて、空洞の乾電池の中で響き渡る。

『今度は何しはるんです?』
「このプログラムを分析してみるのさ。やっと僕のパソコンの出番ってわけだ!」












「……う、おおおお?」

道なりに真っ直ぐ突き進んで、目的をすっかり忘れてパートナーや友達とのお喋りに興じていた大輔達だったが、その先は行き止まりとなっていた。
なぁんだ、って大輔達は引き返そうとしたけれど、ブイモンが壁に引っかけられていた文字に気づいて、大輔達を呼び止めた。
白いプレートに、黒い文字。その下には何の変哲もない扉。
何か文字のようなものが書かれているが、大輔達には読めない。
何て書いてあるのかなぁと3人で首を傾げていると、パタモンが代表して読んでくれた。
管理室、と書いてあるらしい。
ここに来てようやく当初の目的を思い出した3人と3匹は、ここなら誰かいるかもと期待を込めて、扉を開ける。
ぎぃ、と蝶番が軋む音がする。
まずは大輔とブイモンが管理室を覗き込んだ。
広い広い空間には、誰もいない。
大輔は目をぱちぱちさせながら、扉を開ききってブイモンと一緒に中に入る。
がらんどうな管理室は誰もいないし、何も置いていない。
ちょっと拍子抜けした大輔とブイモンは、外で待機しているヒカリ達を呼んでやる。
恐る恐ると言った様子でヒカリ達も管理室に入ってきた。
誰も、そして何もなかったことにヒカリ達もがっかりしていたが、それよりも目を引くものがあった。
最年少の3人の目の前にあるのは、巨大なスクリーンだった。
部屋の壁一面に大きなスクリーンが設置されており、そのすぐ下に大きなスクリーンに相応しい大きなキーボードが並んでいる。

「でっけー!」
『何かコウシロウが持ってるパソコンって奴みたいだな!』

大きなスクリーンに興奮して、大輔とブイモンは走り寄っていった。
ヒカリ達も慌てて大輔達の後を追う。
しかし触ってみようと試みた大輔だったが、身体の小さな彼ではキーボードに手が届かない。
それどころか顔を覗き込ませることすら出来なかった。

「ちぇー、弄ってみたかったのになぁ」
「えー?でも勝手に弄って、変なことになったら怖いよ?」
「そうだよ、お兄ちゃん達に怒られちゃうよ?」
「う……太一さんのゲンコツは勘弁……」
『ジュンにも言いつけられたりして』
「ひっ!!それはもっと勘弁!!」

ブイモンの言葉で容易にそれが想像できた大輔は、ゲンコツを作った拳を振り上げている姉が頭の中に浮かんで、顔を真っ青にさせる。
そんな大輔がおかしくて面白くて、ヒカリや賢、そのパートナー達はどっと笑った。

「……それで、どうしようか?」

ひとしきり笑った後、ヒカリが大輔と賢を見ながら口を開いた。
どうする、というのは、引き返して太一達と合流するか、別の道を探すかどうするか、ということらしい。
大輔の判断は、早かった。

「まずは光子郎さん、探そうぜ!このでっけーパソコン、見てもらうんだ!」

目をキラキラさせながら、大輔はそう言った。
恐らく光子郎なら目の前のパソコンについて何か分かるかもしれないと思ったのだろう。
電子機器が好きだから、大きなパソコンがあると聞けば嬉々として駆けつけてくれるかもしれない。
大輔の提案に賛成したヒカリ達は、早速来た道を戻っていった。








轟音が鳴り響く。

工場内の電力を賄っているお化け電池の内部に書かれていた文字の解読を行っていた光子郎だったが、打ち込んだプログラムの羅列が突如としておかしな動きを始めた。
パソコンを背負っていた鞄の持ち手に引っかけていた白い機械がそれに呼応するように反応し、更にディスプレイに工場の地形が映し出される。
簡単な3Dで描かれた工場から飛び立ち、そして地形のようなものが浮かび上がった。
大きな円形から飛び出しているような、尖ったでっぱりが2つ。
それが、テントモン達が生まれ育ったファイル島の地図であるということに気づいたのは、すぐ後だった。
だが、それをテントモンに尋ねることは出来なかった。
何故ならその直後に、テントモンが身体が熱いと言いながら、騒ぎ出したからだ。
テントモンは名前の通りテントウムシのようなデジモンで、腕と身体の接合部あたりから何故か煙が吹き出していた。
薄らと青白く発光もしている。
それは、まるで機械がオーバーヒートを起こした時の現象によく似ていた。
何があったのか、テントモンに尋ねても分からないとしか返ってこない。
持ち手に引っかけておいた白い機械が、規則正しく鳴り響くのも気になった。
手に取ってみると、小さなディスプレイに白い線が8本、縦に並んで点滅している。
これは、一体何だろう。
光子郎の好奇心が疼くが、テントモンの方が先に限界を迎えそうだったので、慌ててパソコンの電源を切った。
同時に、テントモンに起こっていた異変も収まった。
白い機械も、音が鳴りやんで画面に浮かんでいた白い線が消えていた。
暫く白い機械を呆然と見下ろしていた光子郎だったが、やがて弾けるように顔を上げ、パソコンをバッグに背負い直して乾電池の空間を出て行く。
慌てて追いかけるテントモンに見向きもせず、光子郎はベルトコンベアが流れていく先に向かって走った。
ベルトコンベアに乗って組み立てられていたはずの機械が、いつの間にか分解の工程に移っているのを見た光子郎は、この先に恐らく治はいないと判断し、別の道に逸れる。
カンカンカン、と金属でできた階段を駆け上がった先、解放された空が見渡せる屋上に、治達はいた。
興奮冷めやらぬ、と言った様子で光子郎は主に治に向かって捲し立てる。
この工場は、プログラムそのものがエネルギーを作っているのだ、と。
ミミとパルモン、ガブモンはキョトンとしていたが、流石天才少年の治はそれだけで光子郎が言いたいことを理解してしまった。
ここでは、データやプログラムなど、本来ならただの情報でしかないものが実体化する。
どういうこと?ってミミが治に聞けば、治は分かりやすく教えてくれた。

「ミミちゃん、何か好きなものはあるかい?」
「え?そうねぇ、オシャレなお洋服とか、アクセサリーとか!」
「そっか。じゃあ、ミミちゃん。そういうミミちゃんの好きなものはどうやって手にいれる?」
「んーと、パパやママが買ってくれたり、お友達がプレゼントしてくれたり……」
「うん、そうだね。本来は、そうやって手にいれるよね。ミミちゃんのパパやママが稼いだお金、お友達がお友達のパパやママから貰ったお小遣い、僕らの世界ではお金で物を手にいれるね?」
「うん」
「ああ、ガブモン。お金のことについて聞きたいなら後でちゃんと教えるから、もうちょっと待ってくれ。えーっと、つまりね。僕らの世界ではそうやって成り立っているけれど、この世界では“お洋服”って文字にすれば、それが実体化……文字がお洋服になるんだ」
「ええっ!?そうなの!?」
「うん。まあ勿論ただ文字にすればいいってものじゃないと思う。色々と制限とか、制約とか、文字を実体化させるために必要な条件とか、そういうのはあるんじゃないかな」
「なぁんだ、魔法みたいに何でもできるってわけじゃないのね」
「あはは、魔法だって万能じゃあないよ。でも概ねこの解釈で合っていると思う。そうだろ、光子郎?」
「はい、それで合っていると思います。先程、治先輩達と別れた後に、僕あの巨大電池に扉があるのを見つけたんです。」
「え、扉?」
「はい。見てみると、中は本来の電池の構造ではなく、空洞でした。その代わり壁一面に文字がびっしりと書かれていたんです。その一部を消した際、電気が切れてしまって……」
「あ、そう言えばさっき一瞬だけ暗くなって、ベルトコンベアが動かなくなったわよね?あの時かな?」
「ああ、やっぱりそうだったんだ。で、マジックで書き直したらまた電気が点いて……」
「文字の一部を消したら電気が消えて、書き直したら電気が点いた……本当にパソコンみたいだな」
『どういうこと?』
「パソコンもね、プログラムっていう文字の羅列で動いているんだ。1文字でも間違えると、パソコンは正常に稼働しなくなっちゃうんだよ」
『へ~、オサムは物知りなんだね!』
「いやぁ、パソコンの中身が気になって一回分解しちゃったことがあって……」
「それはそれで治先輩らしいですね……」
「あの時は父さんに怒られた、怒られた。でも好奇心があるのはいいことだぞって、頭撫でられたよ」
「あはは、治さんでも怒られちゃうことってあるんですね!」

別れていた太一達が、息を切らしながら駆けつけてきたのは、その時だった。
そして開口一番に、逃げろと言い出した。
一体何のことだ、と治達がぽかんとしている目の前で、それは起こった。
突如として巻き上がった瓦礫と粉塵。
機械仕掛けの身体が、粉塵の中から現れ、太一達と治達の間を塞ぐように立ちはだかった。
じ、と治達を見ていたかと思うと、胸部のハッチを開いて、ミサイルを発射させた。
危ない、とガブモンが飛び出して身体が光に包まれ、ガルルモンへと進化し、向かってきたミサイルを逞しい前足で薙ぎ払った。
すぐ傍にいた光子郎は、治の腰に引っかけられていた白い機械が光り輝いていたのを見逃さない。
ガルルモンが薙ぎ払った2つのミサイルは、1つは空中で爆発したが、もう1つはあろうことか太一達の方に向かってきた。
魚を改造したような形のミサイルは口を開くと中にガトリング砲が内蔵されていたようで、太一達に向かって乱射してくる。
あわわわ、って後ずさりながら何とか砲弾の雨を避ける太一達を護るべく、飛び出して行ったのはアグモンだった。
太一の腰につっかけられている白い機械が、同じように光ってアグモンがグレイモンに進化する。
太い尻尾をぶん回して、ミサイルをぶっ壊した。
何だあれは、と驚愕する治に、傍にいたテントモンがアンドロモンというデジモンだと教えてくれた。
グレイモンやガルルモンよりもずっと強くて、進化したデジモンらしい。
2体が同時にアンドロモンに飛びかかっていったが、アンドロモンはまるで虫でも追い払うかのように、いとも簡単に巨体のグレイモン達を投げ飛ばしてしまった。



大輔達は、何も知らなかった。
大きなパソコンのようなスクリーンを見かけたから、光子郎に早く知らせたくて、元来た道を戻っていたのだが、途中で遊びに興じてしまったために、何処から来たのか分からなくなってしまった。
あっちだっけ、こっちだっけ、どっちだっけ、ってうろうろしている間に出口らしき扉を見つけ、開いてしまった。
外に出れたことは出れたのだが、中に入ってきた時とは周りの様子が違っていた。
街の入り口にほど近いところだったと記憶している、少なくとも左右を壁に囲まれてはいなかった。
でも外に出れたのなら、外から最初のところに戻った方がいいんじゃない?という賢の提案を採用し、大輔達はそのまま行くことにした。
それがいけなかったのか、それとも乱暴な幸運だったのか。
轟音と共にオレンジと蒼い何かが空から降ってきて、大輔達はビックリしてその場で硬直してしまった。
一瞬の砂煙が晴れて、そこから現れたのは尊敬している先輩達のパートナー。
地面に伏して身体を小刻みに震わせながら呻いている。
え、え、って大輔達は何が起こったのか分からなくて、ただその場に立ちつくしていた。
ドシーン、と重たい何かが降ってくる。
今度は何だ、って狼狽えていると、上から聞き慣れた声が、大輔達を呼んだので反射的に上を向く。
太一達がいた。尊敬している先輩達の姿を見て、ほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間、太一が顔を真っ青にさせて逃げろと声を張り上げた。
え、って思っていると、ヒカリが悲鳴を上げながら大輔にしがみ付いてきた。
先程降ってきた重たい何か。見たことがなかったが、恐らくデジモンだろう。
そのデジモンが右手を高速で回転させ、振り上げた。

『スパイラルソード!!』

合成したような声で叫びながら、デジモンは振り上げた右手を振り下ろした。
高速回転させた右手はまるで槍のように鋭くなり、その鋩にエネルギーが集められ、三日月の刃のような衝撃波を作り出して大輔達に向かってきた。
危ない、ってブイモン達が大輔達を押し倒すように飛びかかって、間一髪避ける。
どぉおおおおん、という轟音を響かせながら衝撃波が道を抉る。
あんなもの当たったら、一たまりもない。
ゴクリ、と大輔達は抉れた地面を見ながら息を飲んだ。

「ガルルモン!!賢達を護ってくれ!!」
『分かった!!』

本当なら賢達の下に駆け付けて、引っ張って何処か安全なところに連れて行ってやりたい。
だがここから飛び降りるのは幾らなんでも危険すぎるし、何より戦闘の最中に飛び込むほど莫迦でもない治は、下にいるパートナーに小さな弟達を護ってくれるよう、声を張り上げることしか出来なかった。
ガルルモンは大輔達の前に、護るように立つ。
グレイモンが火球を口から放ったが、アンドロモンは片手で掻き消すように薙ぎ払ってしまった。
霧散する火球に怯まず、ガルルモンが蒼い炎を吐き出す。
今度は回し蹴りの要領で、炎を振り払った。
ならばとグレイモンがその大きな口を開けて、アンドロモンを噛み砕いてやろうとしたが、グレイモンの口をがっしりと掴み、背後から飛びかかってきたガルルモンに叩きつける。
このままでは、グレイモンもガルルモンもただ体力を消耗するだけだ。
そうなれば残る道は……。
テントモンが光子郎に話しかけたのは、そんな時だった。
先程巨大乾電池の中で行っていた、プログラムの解析。
“アレ”をやってくれと言い出した。
今なら分かる。“アレ”は、進化の前兆だったのだ。
身体中が熱くなったのは、膨大なエネルギーが急激に身体に流れ込んできて、キャパシティーオーバーしてしまったのだ。
進化に必要なエネルギーは十分だったが、進化に必要な条件が不十分だったためにテントモンは進化しなかった、できなかったのである。
だが、今なら……。
光子郎はパソコンを立ち上げ、先程のプログラムを打ち込んだ。
白い機械が光りを放つ。

『テントモン、進化!!──カブテリモン!!』

青い身体に、兜のような被り物、そして4枚の翅。
蟲を彷彿させるその四肢は、大きく空に飛翔した。
すぐ傍に最年少の3人と、まだ進化できない3体のデジモンがいるせいで上手く戦えず、一方的に蹂躙されているグレイモンとガルルモンの下へと飛んだカブテリモンは、アンドロモンを叩きつけようと体当たりをした。
避けられたが、硬い兜の頭部のお陰でダメージを負わずに済み、素早く飛び上がる。
再び体当たりをした。今度は避けずに、受け止めたアンドロモンだったが、ビギナーズラックのようなものが働いているのか、カブテリモンは押し負けなかった。
押し潰さんと上から圧力をかけ、アンドロモンの足が地面を抉る。
溜まらず受け流したアンドロモンは、背を向けて上空へ飛び立つカブテリモンにミサイルを放った。
押してはいるが、決定打がなかなか掴めない。
何か、何か弱点はないだろうか。
突破口になるようなものは……。
剥き出しになっている右足に、青白い火花が散っているのを見逃さなかった光子郎は、カブテリモンに右足を狙うように指示する。
追ってきたミサイルを薙ぎ払い、カブテリモンは大きな電撃の塊となった弾を、アンドロモンの右足に向けて放った。


バチバチバチ!!


機械仕掛けのアンドロモンの右足を、電撃の塊が包み込む。
ぬるり、とアンドロモンの右足から黒い歯車が飛び出してきて、子ども達の頭上で塵のように霧散した。
どうやらあれが、アンドロモンをおかしくしていたらしい。
取り囲んでいたグレイモンやガルルモンを見ても、攻撃して来なかった。
顔を見合わせた子ども達は、とりあえず最年少の3人の下へ行こうと下に降りる。

「ヒカリィ、大輔ぇ!」
「賢!無事か!?」
「お兄ちゃーん!」

降りて来た兄達に駆け寄り、抱きつくヒカリと賢。
泣きこそはしなかったものの、賢の表情は情けないものとなっていた。
怖かったな、ごめんな、もう大丈夫だからって治が苦笑しながら宥めていると、退化して戻ったアグモンとガブモンが、アンドロモンを伴ってやってきた。

「ガブモン、ありがとうな」
『どうってことないよ』
「サンキュー、アグモン!」
『えへへ。あのね、タイチ。アンドロモンが話があるんだって』

何だろう、と子ども達はすっかり大人しくなったアンドロモンに対する警戒心を解いて、話を聞く体勢に入る。
そして、アンドロモンの言葉に、子ども達は驚愕するのだった。



『君達は、“選ばれし子ども達”だね?』







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