ナイン・レコード
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ちいさなしまのおはなし
そして彼らは巡り会う
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ねっとりと纏わりつくような風に頬を撫でられながら、暗闇に閉ざされていた大輔の視界は開かれる。
ぱちり、と音がしそうなほどに見開かれた真ん丸の目に飛び込んできたのは、白縹の空。
ぱちぱち、と瞬きを2回して、大輔は上半身を起こす。
右手が暖かくて、ボーっとした頭のままそっちを見れば、大輔の手を握って離さないヒカリが、穏やかな表情で横たわっていた。
いつのまに眠っていたのかなぁ、と大輔は自分が今まで何をしていて、何をしようとしていたのか記憶を引っ張り出そうとする。
今日は、待ちに待ったキャンプの日だった。
1ヶ月も前から楽しみにしていて、お姉ちゃんと何度も何度もリュックの中身を確認して、1日1日が過ぎていくたびにカレンダーにバツをつけてもらった。
お姉ちゃんは一緒に行かないって聞いてショックを受けたけれど、大好きな女の子と尊敬している先輩達も一緒だからいっか、って機嫌を治して、お土産いっぱい持ってくるねってお姉ちゃんと約束したのだ。
本当はお姉ちゃんも来るはずだったんだけれど、何気なしに応募したライブのチケットが当たってしまい、それがしかもキャンプ当日だったから、大輔はすっかりしょげてしまった。
ごめんねってお姉ちゃんは謝ってくれたけれど、大輔は許した。
だってお姉ちゃんが悪いんじゃない。もちろん、ライブをするグループも悪くない。
タイミングが悪かっただけだ。こればっかりはどうしようもないのだ。
他の、キャンプには参加しないお姉ちゃんの友達も一緒だし、夜の部ではなく昼の部だから心配ないって、それまで1人でお留守番することを心配していたお母さんにも念を押していた。
お母さんのことを思い出して一瞬大輔の表情が顰められたけれど、大輔はお母さんのことを頭の隅に追いやって、再び作業に戻る。
キャンプ場について、皆で楽しく料理を作っていたら、ヒカリちゃんのお母さんに太一を探してくるように頼まれたから、2人で探し回った。
途中で治や空と合流して、皆で探そうとした時に見舞われた、突然の吹雪。
階段の上にあった小さなお堂に逃げ込んで、他にもキャンプ場から離れていた子ども達も続々と集まって、皆で吹雪が止むのを待っていた。
そして、ようやく大輔の頭は覚醒する。
そうだ、吹雪が止んだから外に出たら、オーロラが見えたのだ。
日本ではまず見られるはずのないオーロラを。
大輔もヒカリも、太一や空やミミだって、綺麗だなーで済ませていたあり得ない光景を、不吉なものとして捉えた丈と治が早く戻ろうってみんなを促して帰ろうとした時に、それは起こったのだ。
辺りを見渡す。整備されていない、でこぼこの地面と、鬱蒼と覆い茂っている樹々。
白い絵の具がついた筆を振り回したように、点々と背景に零れている。
じっとりと汗ばむような暑さは、照り付ける太陽のせいだけではないだろう。
「うぅん……」
「!ヒカリちゃん!」
何処だ、ここは。明らかにキャンプ場ではない、見たことのない自然の中に放り出されて呆然としていた大輔は、隣で呻き声が聞こえたので慌ててヒカリを揺り起こした。
ゆっくりと開かれる目に、大輔はほっと胸を撫で下ろす。
大輔と手を繋いだまま起き上がったヒカリは、しょぼしょぼする目を優しく擦り、目の前にいる大輔を見た。
「……だいすけくん?」
「Good morning」
ぐっもーにん。知っている、おはようって意味だ。朝、一緒に学校に行く時、大輔はいつもそう言って元気よく挨拶する。
だからヒカリもおはよう、じゃなくてぐっもーにん、って返す。
朝の恒例行事となっている挨拶に、ヒカリは反射的にぐっもーにんと言った。
「……あれ?私、いつの間に寝て……?」
だんだんとクリアになっていく思考で、ヒカリはふと考える。
今日は子ども会のサマーキャンプの日で、大輔くんと同じ班になったから英語と日本語を教え合いながら夕飯であるカレーを作っていたはずだ。
途中でお母さんが来て、太一探してきてってお願いされたから、大輔と2人ではーいっていい子の返事をして、行方をくらましちゃったお兄ちゃんを探しに行っていたはずだった。
途中で吹雪にあって、みんなでお堂に避難して、それで、それで……。
「……ここ、どこ?」
記憶が鮮明になってきたヒカリは、辺りを見渡してようやく気づいた。
ここは、爽やかな風と穏やかな川の流れる音、深緑に彩られた樹々の上に広がる天色の空のキャンプ場ではない。
周りに生えている樹々や風の匂いは知っているものと全然違っていて、ヒカリはパニックに陥りかけるが、ぎゅっとヒカリの左手を握ってくれる暖かいものを思い出して、我に返った。
「ヒカリちゃん?」
「……あ」
「大丈夫?」
「……うん」
向き合う形で座り込んでいた大輔が、不安の色を浮かべたヒカリの顔を覗き込む。
茶色い目がじっとヒカリを見つめてくるので、波立っていたヒカリの心は徐々に落ち着きを取り戻した。
改めて周りを見渡す。何度見つめ直しても、ここは大輔達が来たキャンプ場でないのは明確なのだが、だとすればここは一体何処なのだろうか、という疑問が湧いてくる。
立ち上がった大輔につられて、ヒカリも両足で地面を踏みしめた。
繋げれている手に、無意識に力が籠る。
大輔とヒカリの身長を合わせてもまだ高い樹を見上げ、そしてハッと気づいた。
太一が、いない。
それだけじゃない。あのお堂に一緒に避難していた面々が、周りにいないのだ。
記憶が確かなら、大輔とヒカリと一緒に突如として立ち上がった荒波に飲み込まれたはずなのに。
どうしようどうしよう、って2人してあわあわしていた時だった。
がさり
近くの茂みで、葉が擦れ合う音がした。
ひっ、と喉の奥から引き攣る悲鳴が漏れる。
繋がる2人の手は更に力が込められ、ほぼ同じタイミングと速度で、音がした方に顔を向けた。
恐る恐る、ゆっくりと背後の茂みに目を向けると、ガサガサ、ガサガサ、と葉が擦れ合う音がどんどん大きくなっていった。
こちらに近付いているのだ、と気づいた時にはもう遅かった。
がさがさ……ぴょーん!
「うわあああああああ!」
「きゃあああああああああっ」
茂みから勢いよくジャンプして飛び込んできた、2つの陰。
ビックリした大輔は、咄嗟にヒカリを庇うような姿勢をとり、ヒカリも大輔の後ろに隠れるようにしがみ付く。
べちょ、と大輔の顔に何か張り付いて、視界が真っ黒に染まった。
「うわ、わ、わ、わとぉっ!?」
「だっ、大輔くん!」
飛びつかれた勢いを殺せず、伸しかかってきた何かに圧される形で、大輔はひっくり返った。
ヒカリが巻き添えにならぬように咄嗟に手を離したのは、流石である。
ひっくり返ってごちーんと頭を打った大輔に、ヒカリは慌てて駆け寄ろうとしたが、それより先に何かがヒカリの視界を遮るように落ちてきた。
反射的にそれを受け止めると、そこにいたのは。
「……ね、こ?」
丸っこいフォルムの天辺には、取って付けたような三角の耳、それから縞々模様の尻尾。赤く、くりくりとした目が、ヒカリをじっと見上げる。
『……ヒカリ?ヒカリだよね?』
「え……どうして私の名前……」
「っ、ぷはぁっ!!」
仔猫のような生き物が、嬉しそうにヒカリの名を呼ぶことに唖然としていたが、ため込んでいた息を吐きだしたような大輔の声で、ハッとそちらの方に目を向けた。
ひっくり返っていた大輔は、顔に張り付いていた青い陰を取ろうと格闘していて、ようやく剥がしたところだったようだ。
両脚と腹筋を使って上半身を起き上がらせた大輔は、引き剥がした青い陰を見るなり、早口で捲し立てた。
「○△×□◎☆▽;~!?」
が、全く聞き取れない。それはそうだ、何せ大輔が使っているのは英語である。
正確には米語、つまりアメリカンイングリッシュで、ブリティッシュイングリッシュではないのだが、それは今は置いておこう。
大輔は帰国子女で、小学校に上がる前までアメリカに住んでいた。
と言うかアメリカで生まれたので、日本とアメリカの国籍を2つ持っている。
日本では二重国籍を法律として認められていないので、大人になったらどちらの国籍を取るかの選択をしなければならない。
それは置いておいて、アメリカで生まれた大輔は、小さい頃からお家でもお外でも英語漬けで、日本語なんか全く知らなかった。
こっちに帰ってきてから少々苦労することになったが、一緒にいるヒカリちゃんが懇切丁寧に教えてくれたお陰で、たった1年で日常会話には困らないほどの日本語力を取得することができた。
が、やはり小さい頃に取得した言語というのは、なかなか忘れないもので、今でも大輔はお姉ちゃんと会話をするときや興奮する時には英語が飛び出してくる。
相当ご立腹のようで、次から次へと飛び出してくる知らない言語に、青い陰は目を白黒させながら大輔を見上げていた。
「だっ、大輔くん、落ち着いて!」
流石に青いのが可哀想になってきたヒカリは、仔猫を腕に抱いて大輔の下に駆け寄る。
と言うかヒカリも、若干英語で捲し立てている大輔が怖かった。
ヒカリに話しかけられて、ハッと我に返った大輔は、肩で息をしていた。
落ち着いた?ってヒカリが困ったような表情を浮かべているのを見て、大輔はバツが悪そうに目を逸らして、青いのを見下ろした。
ぱっちりとした赤い目が、印象的なちびっこいのだった。
「ご、ごめんな……?」
流石に悪いと思ったのか、大輔はきょとりと見上げている青いのに謝罪する。
知っている言語を口にしたためか、青いのはぱあっと笑った。
『ううん!へいき!でもびっくりしたよ、ダイシュケ!いまの、なんだったの?』
「え?今のは英語っつって……ってぇ、そうじゃねぇ!誰だお前!」
良かった、そのまま話を続けようとしていたから、どうしようかと思った、とヒカリは安堵した。
大輔が落ち着いてくれたので、ヒカリはようやく腕に抱いた仔猫をゆっくりと観察することが出来る。
座り込んでいる大輔の隣に腰かけて、ヒカリは先程思い浮かんだ疑問を、仔猫にぶつけた。
「ねぇ、貴女はだぁれ?どうして私の名前を知っているの?」
『アタシ?アタシはニャロモン!ヒカリのこと、ずっと待ってたの!』
ニコニコと、答えになっていない答えを仔猫──ニャロモンは返した。
ヒカリとニャロモンの会話を隣で聞いていた大輔も、抱えていた青くてちっこいのに目を向ける。
「お前もニャロモンっていうの?」
『ちっがうよー!オレはチビモン!すがたもかたちも、ぜんぜんちがうだろー。ダイシュケはダイシュケでヒカリはヒカリなのとおんなし!』
「uh, I see」
あいし?って思わず呟いた大輔の言葉を、首を傾げながら繰り返した青くてちっこいの……チビモンが何だか愛おしく思えて、大輔の胸がキュンとなる。
これが庇護欲なのだが、大輔はそんなこと知る由もない。
ただ衝動に任せて、ぎゅーっと抱きしめた。
きゃー!ってチビモンは嬉しそうな声を上げた。
そんな2人を微笑ましく眺めていたヒカリだったが、は、と我に返る。
そうだ、こんなことしている場合ではなかった。
「ね、ねぇニャロモン。お兄ちゃん知らない?」
『オニイチャン?』
「うん、あの、他の人。私や大輔くんみたいな。見てない?」
自分達は今2人きりなのだ、お兄ちゃんや他の人が見当たらないのだ。
どうしよう、って途方に暮れていたところに、チビモンとニャロモンが飛び込んできたから、太一達のことが一時的に頭からぽーんって飛んでいってしまっていた。
ヒカリの言葉で、大輔も思い出したらしい。
チビモンに同じような質問をしたら、
『しってるよ』
という言葉が2匹から同時に返ってきた。
「ほ、ほんとか!?」
『うん。コロモンたちがたいちがきた!ってどっかいっちゃったから、ここらへんさがせばいるはずだよ!』
「そっか!」
それなら話は早い。大輔とヒカリは手と手を取り合って、空いている片方の手でチビモンとニャロモンをそれぞれ抱っこして、2匹がくんくん匂いを嗅いであっちーって指差す方向に向かって進み始めた。
『………………』
歩き始めて数分。大輔の腕に抱っこされて楽ちんな移動をしているチビモンは、ふと目に映ったものに興味を引かれた。
大輔が首から下げている、銀色に光っているもの。
お喋りをして退屈をしのいでいたのに、突然黙り込んでしまったから、大輔は腕に抱いているチビモンを見下ろした。
チビモンは、ホイッスルを持ってまじまじと眺めていた。
何だろう、何だろうこれ?と言いたげに傾けたりひっくり返したりして、ホイッスルを見つめている。
可愛らしい仕草にまたも大輔の庇護欲が刺激され、ん゛っ、と変な咳が出た。
『ダイシュケー、これなぁに?』
カラコロ、カラコロ、と振ってみれば中から音がする。見たことのないものに、こうやって振って遊ぶものなのか、とチビモンは大輔を見上げた。
「ホイッスルだよ」
『ほいっする?』
「そう、ホイッスル。そこの、細いところ口に咥えてふーって息吹いてみ。あ、あんまり強く吹くなよ?優しくな、優しく」
『こう?』
口を尖らせながら見本を見せてくれた大輔の真似をして、チビモンは優しく息吹く。
ぴぃ、と弱弱しい音が鳴って、チビモンとニャロモンはビックリした。
『しゅごい!おとなった!』
『あー!アタシもやるー!』
きゃっきゃとはしゃぐチビモンを見て、自分もやりたいとニャロモンがせがむ。
いーよ、って大輔が許可を出してくれたから、一旦立ち止まってやればチビモンがホイッスルをニャロモンに向けて差し出した。
チビモンと違ってニャロモンは身体がない(顔だけ)なので、しょうがない。
口に咥えて、チビモンがやったように優しく息を吹きかけると、ぴぃ、と弱弱しい音を奏でた。
きゃあきゃあとチビ2匹ははしゃぐ。そんな2匹が微笑ましくって、大輔とヒカリもニコニコしながら見守る。
再びチビモン達に導かれて歩き出す大輔達。
チビモンはホイッスルが気に入ったのか、ずーっと口に咥えて小さな音を鳴らし続けていた。
ぴっ、ぴっ、ぴっ、と言う音がBGMになって聞き慣れた頃に、ニャロモンがくんくんと匂いを嗅ぐ。
『ヒカリ、あっちからヒカリとにたにおいがするよ』
「私と似た匂い…?」
『コロモンとモチモンのにおいもする!』
新たな名前に、大輔とヒカリは首を傾げるも、とりあえず先を進む。
こっちだよ、と促すニャロモンとチビモンに急かされ、急ぎ足になった大輔とヒカリの視界に映ったのは。
「あ、空さん!」
「!あら、大輔にヒカリちゃん!」
空だった。何やら物陰から様子を伺っている彼女に疑問を抱きながらも、大輔とヒカリは声をかける。
一瞬びくっとなったが、正体が大輔とヒカリなのだと知って胸を撫で下ろしていた。
すみません、驚かせましたかと慌てて謝れば、いいのよと空は笑った。
何してたんですか、と問おうとして隣で頭の触角をぴょこぴょこさせてるのが目に入って、大輔とヒカリはそちらに目を向ける。
「ああ、紹介するわね。ピョコモンよ。」
『よろしくねー!』
また知らない生き物が出てきた、と大輔とヒカリはピョコモンと名乗った生き物を見下ろす。
腕に抱かれていたチビモンとニャロモンがぴょんと降りて、ピョコモンの下へ。
『チビモンたち、だいすけたちにあえてよかったねー!』
『おー!』
『ピョコモンとそらは、こんなところでなにしてるの?』
「え?ああ、そうだった!」
ニャロモンが至極最もな質問をすると、思い出した、と空は物陰から飛び出す。
ピョコモンと、大輔達は慌てて空を追った。
チビモンがなにかあったの、とピョコモンに聞くと、そらのなかまがたいへんだったの、とだけ言った。
何が大変だったのかは後で聞くとして、大輔とヒカリは空が向かって行った大きな大きな樹へと駆け寄った。
おー、って感嘆の声を漏らしながら、大輔とヒカリは樹齢云千年の樹を見上げていると、空がその樹に向かってもう大丈夫みたいよ、と話しかけた。
え?って2人は怪訝な眼差しを空に向ける。それはそうだろう、茂みから飛び出して行ったかと思ったら、大きな樹に向かって話しかけたのだから。
2人の頭の上に沢山の「?」が浮かび上がっていたが、樹の幹の中から太一と光子郎が出てきたのを見て目を見開いた。
「お兄ちゃん!」
「光子郎さん!」
「空!大輔にヒカリ!無事だったんだな!」
「危なかったね」
「なぁに、大したことなかったさ」
「お兄ちゃん、何かあったの?」
樹の幹から出てきた太一に駆け寄り、抱き着きながらヒカリが問うが、太一はあーうーと呻いて苦笑いするだけで何も言ってくれなかった。
不思議に思ったけれど、空が見ていたらしいので後で空にでも聞くとしよう。
『クワガーモンのおと、とぉーくにいったよ、ソラ』
ピョコモンが頭に咲いている植物の蔓をぴょこぴょこと動かしながら言う。
ありがとう、と笑顔で礼を言う空に対し、太一と光子郎はピョコモン達と、太一達の後から出てきた生き物達をマジマジと見つめた。
どちらも深みが違うピンク色で、ニャロモンのように丸っこくて頭にひらひらとした触覚が生えている赤い目の薄いピンク色がコロモン、そのコロモンと違って両手がある少し濃いピンク色がモチモンというらしい。
太一も光子郎も、目が覚めてからコロモンとモチモンが傍にいて、ずっとついてきているのだと言う。
チビモン達と一緒だなぁ、とぼんやり眺めていたら、もう一匹がトコトコやってきて、コロモン達と太一達の間で止まった。
コロモンよりももっと薄い、白に近いピンク色で頭の先にコロモンと同じようなひらひらがついているけれど、その生き物は短い四足を持っていた。
申し訳程度の四足は、捏ねた粘土を指先でちょっとだけ摘まんでみた、ぐらいの短さだった。
次から次へと現れるちっこいのに、太一達も唖然と見詰めるしかない。
当の本人(厳密には人ではないのだが、便宜上)は太一達の好奇と驚愕の眼差しなど全く気にせず、来た方角に顔、というか身体を向けてこっちだよーと誰かに呼びかけた。
ひょこ、と樹の陰から顔を出したのは、黒髪の、大輔とヒカリと同じぐらいの見かけない、薄い紫のTシャツと首からペンダントを下げた男の子。
「トコモーン!」
「賢、待ちなさい!」
ニコニコと笑顔を浮かべながら走ってきた男の子の後から現れたのは、太一の親友でサッカークラブの先輩、治であった。
その腕に抱えているのは、これまた見たことのない角が生えた不思議な生き物。
「太一!みんなも、無事だったんだな。よかった……」
「あ、ああ、まあ……って、それより、お前のその腕の奴……」
「え?ああ、こいつ?」
目が覚めたらいたんだ、と何処か嬉し気に太一達に紹介する。
恥ずかしそうにもじもじしながら、生き物はか細い声でツノモンだと名乗った。
角が生えているから、ツノモン。安直なネーミングセンスである。
「ぎゃああああああああああああああ!!」
悲鳴が響いて、子ども達はギョッとなってそちらに目を向けた。
茂みから一直線に飛び出してきたのは、最年長の丈である。
太一達の姿を見て、助けてくれぇと情けない声で叫んだ。
「へ、へんな奴に追われて……!」
『しつれいだな!へんなやつじゃないよ、おいらプカモンだい!』
肩で息をしながら太一達の前で膝に手をつく丈の背中に、ぺっとりと抱き着いたのはアザラシの子どものような生き物。
また悲鳴を上げた丈だったが、年下達からの怪訝な眼差しを感じて、悲鳴を総て吐き出した。
じっと見つめてくる太一達のすぐ隣には、自分をずっと追いかけてきた生き物と同じような、見たことのない生き物達。
既に色んなことが起こって、もう次に何が来ても全く驚かなくなっていた太一達は、少し感覚が麻痺していた。
と言うより、ぎゃあぎゃあと騒いでいる丈を見て、逆に冷静になれたとも言える。
ホラー映画などで、自分よりも派手に怖がっている者を見ると平静さを取り戻す原理と一緒である。
姿かたちも様々な生き物を目にし、驚愕している丈と冷静さを取り戻しつつあった子ども達に向かって、彼らはこう言った。
《ぼくたち、デジタルモンスター!》
とりあえず自己紹介をそれぞれしないか、と唖然としている子ども達を我に返らせてくれた空の提案に乗ることにして、まずはデジタルモンスターと名乗った生き物達がそれぞれ名前を告げてくれる。
丸くて頭にひらひらした触覚がある、赤い目をしたコロモン。
頭に角が生えた、ふわふわした毛に覆われている恥ずかしがり屋のツノモン。
花が咲いたタコのような姿をしたピョコモン。
関西人が聞いたら間違いなく卒倒するような、変な関西弁を喋るモチモン。
アザラシの子どものようなプカモン。
豚の貯金箱と見紛うトコモン。
仔猫をぎゅっと凝縮したようなニャロモン。
そして青くてへにょりとした角が2本あるチビモン。
みんな姿かたちが様々で、何の共通点もないけれど、総称してデジタルモンスターと言うらしい。
「僕は、よくできたテーマパークか何かかと……」
「だとしたらキャンプ場にいた僕らをどうやって運んだんだよ、って話になるぞ」
「それもそうですね」
自己紹介の続きをする。
お台場小学校の5年生、太一と空と治、6年生の丈、4年生の光子郎は、大輔も知っている。
5年生の3人と4年生はサッカークラブの先輩だし、6年生の丈はお姉ちゃんと同じ学年、同じクラスだ。
ヒカリもまた然り、なので特出して言うことは特にないだろう。
でも1人だけ知らない子がいる。
あんな子、学校にいたっけ?って大輔とヒカリは首を傾げた。
クラスメートの名前を覚えるのが精いっぱいで、他のクラスの子は顔だけ知っている、という状況ではあるが、それでも黒髪の小さな男の子を見かけた覚えはない。
1年生の子か、それともああ見えて3年生なのかな?って思いながら、太一が紹介してくれるのを待った。
「えーっと、確か、ケン、だっけ?治の弟の」
「うん!僕、賢!御手洗賢!小学校2年生だよ!」
「あー、この子が?初めまして、賢くん。私は空よ」
「初めまして、光子郎です」
太一と空、光子郎は知っていたようで、賢と名乗った男の子に挨拶をする。
でも大輔もヒカリもやっぱり見かけたことがないから、思い切って聞いてみることにした。
「ねえ、お兄ちゃん。あの子、治さんの弟なんだよね?」
「でも学校で見かけなかったっすよ?」
「ん?あれ、言ってなかったっけ?僕の家、両親が離婚して別々の家で暮らしてるんだ」
大輔達の疑問に答えたのは、治であった。
あまりにもあっさりと答えるものだから、同じく知らなかった丈が、何故かゴメンと謝罪した。
「ちょ、ちょっと失礼だったね……」
「何でですか?僕は気にしませんよ」
変な丈先輩だなぁ、ってあっけらかんと笑うから、丈も脱力した。
まだ自己紹介は残っている。
「ほら、大輔とヒカリ。お前らも自己紹介しろよ。」
太一に促されて我に返った大輔達は、はーいっていい子の返事をした。
「本宮大輔!小学校2年生です!サッカー部です!」
「八神ヒカリです、小学校2年生。よろしくお願いします」
ぺこり、と2人が揃って頭を下げたのを見守って、太一はぐるりと全員を見渡した。
オーロラを一緒に目撃し、突然立ち上がった荒波に呑まれてこの不思議な世界に飛ばされた子ども達の人数を数え、1人足りないことに気づいたのは光子郎だった。
「ミミさんが、太刀川ミミさんがいません!」
4年生のミミは光子郎と同じクラスの子で、学年1の美女として有名だった。
彼も挨拶ぐらいは何度か交わしたことはあるものの、まともな会話をしたことは殆どない。
丈も何か彼女に用があったらしいのだが、その用件が何なのかを聞くことは叶わなかった。
「きゃあああああああああああああああああっ!!」
絹を裂くような悲鳴が響く。
「あっちだ!」
太一が最初に走り出した。続いて空、光子郎が太一の後を追う。
治と賢、大輔とヒカリ、そして丈がしんがりを務め、悲鳴のした方へ、子供達は走る。
開けた場所に出て、向こうの方からテンガロンハットを被った、ウエスタンスタイルの女の子が走ってきた。
足元にはコロモン達と似たような、植物の種から芽がでたような生き物が同じく走っている。
あれもデジモンなのだろうか。
今にも泣き出しそうな声を出しながら走ってくるミミ達の無事に、一同がホッと胸を撫で下ろしたのもつかの間、ミミの背後から高速で羽を羽ばたかせる音と、何かをなぎ倒すような音が同時に聞こえた。
ギョッとなって立ち止まった子ども達の視界に飛び込んできた、毒々しい程の赤色に染められた巨体のクワガタ。
「What!?What is happening!?What IS that thing!?What is going on here!?Somebody help us!!」
『ダッ、ダイシュケ!?なに!?なにいってるの!?』
「大輔くん、落ち着いて!何言ってるか分かんないよ!」
見たことのない大きな大きなクワガタに興奮と混乱により、英語で捲し立て始めた大輔にチビモンとヒカリは慌てて大輔を宥める。
が、そんなことをしている場合でもない。
大きなクワガタ……太一達曰くクワガーモンが、上空から滑空して太一達に襲い掛かってくる。
頭上すれすれまで降りてきたクワガーモンは、太一達の真上を通り過ぎると再び上昇して、大きなハサミで樹々をなぎ倒して行った。
『ミミ、だいじょうぶ?』
「うう、タネモン……」
恐怖と疲労で座り込んだミミに、タネモンと呼ばれたデジモンが気づかわし気に声をかける。
空はそんなミミに駆け寄って、背中を優しく擦ってやった。
しかし息つく間もなく、クワガーモンは子ども達に執拗に襲い掛かってくる。
大きく旋回して再び襲い掛かってきたクワガーモンから逃げるべく、子ども達は走り出す。
デジモン達も、その小さな身体をぴょこんぴょこんと跳ねさせながら子ども達の後を追った。
背後から迫ってくる、樹々をなぎ倒す音に、治が伏せろと叫んだ。
上級生が下級生を庇う形で倒れ込むように伏せた上空を、クワガーモンが通り過ぎていく。
『きゃう!』
「チビモン!」
転んだ勢いとクワガーモンが通過した際に巻き起こった風に呷られ、チビモンがころころと転がっていくのが見えたヒカリは、クワガーモンが通り過ぎたのを見計らって、思いっきりずっこけた大輔の代わりにチビモンに駆け寄っていく。
「大丈夫?」
べちょ、と地面に思いっきり顔を打ち付けたらしいチビモンは、ううって涙目になって短い手で顔を擦っているのを、ヒカリはひょいと持ち上げた。
顔の真ん中がちょっとだけ赤くなっている。
砂まみれになっている顔をふるふるさせて埃を払ったチビモンが、ヒカリを見て、ヒカリに抱きあげられていると理解して、ひっと小さく呻いた。
怯えた、表情。
見開かれた赤い目は小刻みに揺れながらヒカリを見つめている。
そんなチビモンの反応に驚いたヒカリは思わず黙ってチビモンを見下ろしたが、何かに気づいたチビモンの怯えた表情はすぐに引っ込み、数度瞬きをした。
自分の身体を抱きあげているヒカリの手をキョトキョトと見やって、しきりに首を傾げている。
「どうしたの、チビモン?」
『……う~ん?』
「悪い、ヒカリちゃん。チビモンありがとな。」
「あ、ううん。大丈夫よ。ニャロモンは?」
『わたしもへいき!』
「な、何なんだよ、これは!」
泣き言を言っている丈のすぐ近くに、クワガーモンが切り落とした枝が落ちてきて、ひっと短い悲鳴を上げた。
もう訳が分からない。ここは一体何なのだ。一体何故自分達はこんなところにいるのだ。答えてくれる者は、勿論いない。
いきなり飛ばされて、デジモンだと、パートナーだと名乗る不思議な生き物が自分達の後をついてきて、その上大きな昆虫に追い回されて、丈の精神はもう限界である。
だけどクワガーモンの猛攻は止まらない。
子ども達の真上を通り過ぎていったクワガーモンは、ピョコモンのまた来る!と言う言葉と共に、再び樹々をなぎ倒しながら子ども達の下へと飛んできた。
「くそ……!あんな奴にやられてたまるか!」
「太一、無理よ!無茶言わないで!」
太一が勇ましいことを言いながら立ち上がるも、空がそれを止める。
幾ら何でも、相手が悪すぎた。コロモン達によれば、クワガーモンはとても凶暴で、目についたものには何でも襲い掛かるデジモンらしい。
身体の小さなコロモン達は、クワガーモンを見かけたらまず隠れるか逃げるしか、選択肢はなかった。
不思議な生き物であるデジモン達にはそれぞれ技があるらしいが、まだ幼年期(と彼らは言っていた)であるコロモン達が使えるのは、泡を吹くぐらいである。
だがそれも威力はほぼないに等しく、大きな身体のクワガーモンにダメージを与えることは出来ない。
第一、
「そうだ!僕達には何の武器もないんだぞ!?空を飛んでる相手に、どうしろって言うんだ!それに……」
治が正論を叩きつけながら、傍らにいる弟を見やる。
兄にしがみ付いた賢は、とっても怯えた表情を浮かべていた。
そんな兄弟を見て、太一も思い出す。ちょっと離れたところで、転がって行ったチビモンを助けに行った妹と、1番の仲良しの男の子。
武器がない以上に、ハンデがありすぎる。
「そうです、ここは逃げた方が……!」
戦う術がない弱者は逃げるしか許されない。
悔しそうな表情を浮かべる太一だったが、妹がいる以上彼女を危険に巻き込むわけにはいかなかった。
それに……。
「……くそ!みんな走れ!」
太一が叫ぶ。妹と後輩の腕を掴んで、先頭を走った。
クワガーモンは樹々をなぎ倒しながら、尚も追ってくる。
一体、どうしてこんなことになったんだ。
きっと誰もがそう思っている。みんな、キャンプをしに来ただけだ。
親睦を深めるために、毎年何かしらのイベントを行っており、今回はたまたまサマーキャンプになった。
お友達や、遠くに住んでいるお祖父ちゃんお祖母ちゃんのお家にお泊りしたことはあっても、外でテントを張って知らない人達と眠るなんて、みんな初めての経験だ。
大輔は1ヶ月も前から楽しみにしていて、毎日毎日その日を指折り数えながら待っていた。
皆でカレーを作って、お喋りしながらカレーを食べて、夜になったらレクリエーションをやって、寝る時間になったら大人達の目を盗んで知らない人達とこっそりお喋りして夜更かししたり……。
そんな計画を立てていたのに、全部台無しだ。
ここは、一体何処なのだ。
見知らぬ大地、見知らぬ空、見知らぬ風景、見知らぬ匂い。
総てを、子ども達は知らなかった。
理由もなく襲い掛かってくるクワガーモン。
あまりにも総てが理不尽だった。
どうして、どうして、どうして。
そんなことばかりが頭の中を駆け巡り、太一達の眼前に広がる行き止まりが、更なる絶望へと追いやる。
森を抜ける。背後から迫ってくる、樹々がなぎ倒される音から早く逃れたかった子ども達は、開けた眼前の先に続く道がないと知って、愕然となった。
鬱蒼と覆い茂っていた森から抜けて広がる青空が、今は憎たらしい。
太一が代表して崖の先に行き、下を覗き込んだ。
眼前に流れる川、飛び込めば助かるかもしれないが、まだ小学生の子ども達が飛び込むには高すぎた。
太一と治、空だけならきっと恐怖を押し殺して飛び降りただろう。
でもそこにいるのは太一達だけじゃないのだ。
最年長なのに頼りない丈、女の子を体現しているミミ、精密機器を抱えている光子郎、そして何よりも護らなければならない最年少の2年生が3人。
全員に飛び込めなんて無茶振りを言うほど、太一も愚かではない。
「こっちはダメだ!別の道を探そう!」
「べ、別の道って……!」
しかし絶望は待ってくれない。どぉん、と背後の樹々が吹き飛んで、子ども達は慌てて崖の先へと逃げた。
飛び出してくる、毒々しい赤のクワガタ虫。
咄嗟に伏せた太一の上を通り過ぎていくのを見た空は、今のうちに逃げようとみんなに声をかけた。
しかし
「っ、いって……!」
『ダイシュケ!?』
「大輔くん!?」
立ち上がろうとした大輔だったが、膝に激痛を感じてしゃがみこんでしまった。
膝から血が出ている。先程転んだ時に擦りむいたのだろうか。
すぐ傍にいた丈が、大丈夫かと声をかけてくれた。
「太一!!後ろ!!」
大輔に気を取られていた子ども達は、気づかなかった。
上空を旋回して再度襲い掛かってきたクワガーモンが、太一に迫っていることに。
治が真っ先に気づいて声を張り上げたから、太一は慌てて立ち上がって走り出した。
しかし、クワガーモンは、すぐそこにまで迫っている。
治の視界の端を、薄いピンクの丸い陰が横切った。
『タイチィ!』
コロモンだった。弾力のある身体を利用し、コロモンは大きく跳ぶ。
足を縺れさせながら子ども達の下へ駆け寄ってくる太一の横を通りすぎ、コロモンは頬を膨らませてピンク色の泡をクワガーモンに向かって放った。
ぺちょ、という情けない音を出しただけで、クワガーモンにダメージは入っていない。
それどころかコロモンの小さな身体は、巨大なクワガーモンの頭部で呆気なく吹っ飛ばされていく。
ああ、と太一は悲痛の声を上げながら、自分を護ろうとしてくれた小さな生き物の下へと駆け寄って行った。
そして、コロモンの後に続けと言わんばかりに、他のデジモン達も飛び出して行く。
一斉に吐いた泡は、ダメージにこそ至っていないものの、バランスを崩すには十分だったようで、クワガーモンは森の樹々へと突っ込んで姿が見えなくなった。
助かった、なんて誰も思わなかった。
誰も、喜ばなかった。
だって自分を護ろうと突っ込んでいった小さな生き物達が、そのせいで倒れてしまったのだから。
膝小僧を擦りむいた大輔は、痛いのを我慢して足を引き摺りながらチビモンの下へ歩を進める。
ヒカリも、賢も、そして他の子ども達も。
ここに来てからずっとずっと、自分の後をひよこみたいにくっついてきていたデジモン達の下へ行って、ぐったりしている身体をそっと抱き起す。
「馬鹿野郎!何で無茶したんだ!!」
『だって……ぼくはタイチをまもらなくちゃ……』
「……コロモン」
こんな小さな身体で、何が護るだ。クワガーモンに吹っ飛ばされたのに。
そう言えたら、どれだけよかっただろうか。
言えなかった。言えるわけが、なかった。
太一を待っていたと、目が覚めてからずっとずっと自分の後をついてきてくれた、この小さな生き物に、最初にクワガーモンに襲われた時にも、自分を護ろうと小さな身体で果敢に攻めていった小さな戦士に、そんな酷いことを言えなかった。
他の子ども達も、同様だった。
会ったばかりなのに、お互いのことなんか何も知らないはずなのに、デジモン達は子ども達の名前を間違うことなく呼んで、慕ってきた。
訝しんだり、邪険に扱う者もいたのに、デジモン達はそれを気にするそぶりなんか全然見せない
何故、こうもデジモン達は子供達のためにあんなに必死になれるのだろうか。
「チビモン……!」
「ニャロモン、どうして……?」
ぐったりとしているチビモンとニャロモンをそれぞれ抱き上げる大輔とヒカリ。
うう、と呻きながらゆっくりと目を開いたチビモンとニャロモンは……笑っていた。
不意に、大輔の脳内に初めて会った時の記憶が蘇る。
ちっこくって、大輔が片腕で抱き上げても全然余裕で、大輔が首から下げているホイッスルを気に入って、ずっとぴ、ぴ、ぴ、って吹いて遊んでいた姿がとっても可愛くて、むしろ自分が護ってやらなければと思っていたのに。
クワガーモンに追いかけられて逃げることしか出来なかった大輔を助けてくれたのは、護らなければと思っていたチビモンだった。
あの太一だって背を向けることしかなかったのに。
「……ああ!」
悲痛の声を上げたのは、誰だっただろうか。
低く空気を擦るような唸り声と共に、クワガーモンが突っ込んでいった辺りの樹々がガサガサと揺れる。
爆発でも起こったかのように、樹々が根元から折れて上空へと舞い上がる。
シャキン、シャキン、と頭の先についているハサミをこれ見よがしに見せつけて鳴らして、子ども達に威嚇してくる。
クワガーモンが退路を塞いでしまっているため、もう逃げ道がない。
残っているのは崖の先だけ。子ども達はパートナーを連れて、太一の下へと走る。
もう、逃げ場がない。
ゆっくりと立ち上がったクワガーモンは、その重い巨体を支える両肢で大地を踏みしめながら立ちはだかった。
ゆっくり、ゆっくりと。
クワガーモンは恐怖に怯える子ども達の下へと近づいてくる。
獲物を追いつめ、甚振る捕食者のように。
パートナーを抱きしめる子ども達の腕に力が入った時だった。
『……いかなきゃ』
ぽつりと、落とすように呟いたのは、コロモンだった。
え、と太一は腕に抱いたコロモンを見下ろす。
聞き違いか、と思ったがコロモンは衝撃的な言葉を続けた。
『ぼくたちが……たたかわなきゃ、いけないんだ……!』
「な、何言ってるんだよ!?」
こんな小さな身体で、あんな巨体に挑もうというのか。
先程吹っ飛ばされたばかりだと言うのに。
『そうや……わいらは、そのためにまっとったんや……!』
「そんな……!」
光子郎の庇護から逃れようと、モチモンがもがいている。
『いくわ!』
「そんな、無茶よ!あなた達が束になっても、あいつに敵うはずないわ!」
可愛らしい姿とは裏腹に、ピョコモンも空を護ろうとクワガーモンを睨み付けた。
空はそんなピョコモンを咎めることしか出来ない。
『でもいかなきゃ!』
『ボクもぉ!!』
『おいらもぉ!』
ツノモン、トコモン、プカモンが飛び出そうとするのを、治と賢と丈が止めている。
そんな彼らを見て、ミミは不安そうに腕に抱いたタネモンを見下ろした。
「タネモン……貴女も?」
タネモンが頷くと、ミミは傷ついたような表情を見せる。
「……ニャロモン……」
『ヒカリ、おねがい、はなして。アタシはあなたをまもらなきゃいけないの!』
真剣な顔でお願いをしてくるニャロモンに、それでもヒカリは決心がつかずにその手を離すことができない。
みんなそれぞれのパートナーにやめろと進言して、それでもデジモン達は行くと言い張っている。
「……チビモンも?」
『うん……!』
何処か打ちつけたのか、痛みを堪えているような表情を浮かべながらも、チビモンの視線はクワガーモンに向けられている。
どうしよう、どうしたらいいのだろう。
今の自分達に戦う力はない。でもだからって、こんな小さな生き物達を戦わせるなんてことも出来ない。
どうすれば、どうすれば……。
子ども達は必死で小さな生き物達を抑え込むが、デジモン達はそんな子ども達の願いも虚しく、その腕を飛び出して行ってしまった。
小さな身体を一生懸命跳ねさせながら、大きな大きなクワガーモンに向かって行くデジモン達。
待って、という言葉ももう届かない。
それぞれのパートナーの名前を呼んでも、デジモン達は振りむいてくれなかった。
「コロモォオオオオオオオオオオオオン!!」
動いたのは、太一だけだった。
自分を護ろうと亥の一番に飛び出して行ったコロモンの後を追って、太一は腹の底から叫んだ。
空から9つの光が降り注ぎ、デジモン達を包み込んだのは、その時だった。
想いを受け止めて空から降ってきた9つの光は、まるで虹の柱のようで、何処か幻想的であった。
突如として暗くなった空から降り注ぐ9つの虹の柱に包み込まれたデジモン達が白い光に包まれる。
くるくるとその場で回転したかと思うと、それまで小さく頼りなかった姿かたちが変わってしまったのだ。
コロモンは黄色く小さな恐竜に、
ピョコモンはピンク色の小鳥に、
モチモンは大きなテントウムシに、
ツノモンは蒼い毛皮を被った恐竜に、
トコモンは羽の生えたハムスターに、
プカモンは白い毛皮のアザラシに、
タネモンは濃いピンク色の花が咲いた姿に、
ニャロモンは薄いピンク色の子犬に、
そしてチビモンは青い小さな龍の子どもに。
突然姿かたちが変わってしまったコロモン達を唖然と見つめる太一達を尻目に、コロモン……いや、アグモンは勇ましい掛け声をデジモン達にかけた。
『行くぞ、みんなぁ!』
アグモンを筆頭に、デジモン達は次々とクワガーモンに飛びかかっていく。
少しだけクワガーモンを怯ませることに成功したが、それでもクワガーモンと比べればまだまだ小さい。
右の2本の腕を思いっきり振るって、アグモン達をあしらう。
溜まらず吹っ飛ばされたアグモン達だったが、コロモンだったときと違ってすぐに起き上がった。
「大丈夫か!?」
『これぐらい平気さっ!』
決して強がりなどではなかった。身体が大きくなったことにより、受けるダメージも少ないのだ。
分が悪いと判断したのか、クワガーモンは背中の羽を羽ばたかせ、空に逃げようとした。
『させなわよ!ポイズンアイビー!』
逃がすまいと最初に動いたのはタネモンから変化した、パルモンだった。
爪だと思っていたのは蔓だったようで、思いっきり振るとどんどん伸びて行った。
クワガーモンの片足に蔓を捲きつけ、浮かび上がろうとする巨体を踏ん張って止める。
それでもなお逃げようとするから、プロットモンは大きく息を吸いこんだ。
『逃がさない!パピーハウリング!!』
きぃいいん、と脳に響くような音に、子ども達は咄嗟に耳を塞いだ。
それはクワガーモンも一緒だったようで、全身に響くような超音波はクワガーモンの巨体を鈍らせる。
次に動いたのは、ブイモンとパタモンだった。
アグモンよりも小さな身体のブイモンだったが、思いっきり助走をつけて走ると、パルモンの後ろでジャンプし、何と蔓の上に立った。
だだだだっと駆けあがったかと思うと、クワガーモンの身体を飛び回って上空に大きく跳ぶ。
『だりゃあああああああっ!!』
勇ましい掛け声と共に、身体を回転させて勢いをつけるとクワガーモンの頭部に踵落としを決めてやった。
『パタモン!』
『オッケー!エアーショット!!』
バランスを崩したクワガーモンに、パタモンが空気の砲弾を食らわせる。
『まだまだ行きまっせ!プチサンダー!!』
畳みかけるようにテントモンが動く。
羽を高速で羽ばたかせ、摩擦で起こした小さな雷がクワガーモンに命中した。
引き摺り下ろしてやったクワガーモンの足が地面に着く前に、ゴマモンが転がって行って足払いをしてやる。
『みんな退いて!ベビーフレイム!!』
とうとう片膝をついたクワガーモンに、アグモンがオレンジ色の炎の弾を吐いた。
先程のお返しとばかりに、猛攻は止まらない。
『食らえっ!プチファイヤー!!』
青い炎の線を吐き出したのはガブモンだった。
『行くわよ!マジカルファイヤー!!』
ピヨモンが繰り出したのは、緑色の渦巻く炎である。
大きなクワガーモンも、連続で炎の攻撃をされるの流石に堪らない。
頭部が燃えているのを振り払うように、大きな咆哮をあげたクワガーモンに、遠距離の攻撃を持っているデジモン達が留めを指す。
一瞬大きな爆発を起こし、再びクワガーモンの身体が燃えた。
大きな咆哮を挙げながら、クワガーモンはゆっくりと背後の森の中へ倒れ込む。
何が起こったのか、咄嗟に理解できなかった子ども達だったが、笑顔で走り寄ってきたパートナー達を見て、ようやく我に返る。
倒した、倒したのだ。
あの大きなクワガタを、クワガーモンを。
小さく頼りなかったコロモン達がその姿を変えて、逞しい姿になってクワガーモンを倒したのである。
立ち去った危機に子ども達も笑顔になり、腕を広げてパートナーを迎え入れた。
よくやったな、って褒める者もいれば、姿かたちが変わって目を白黒させている者もいる。
三者三様の反応を見せている子ども達、大輔とヒカリは前者だった。
「すごい、すごいねニャロモン!おっきなクワガーモン、やっつけちゃった!」
『ふふふ、今はプロットモンよ。ヒカリが無事でよかったわ』
仔猫から子犬になったニャロモン、ではなくプロットモンを抱き上げたヒカリは、嬉しさのあまりほおずりしている。
「Great!!You’re awesome, aren’t you!?How did you do that!?」
『……ごめん、ダイスケ。オレ、ダイスケが何言ってるのか全然分かんない……』
「あ、わりぃ」
微笑ましい光景の一方で、こちら。
大輔に褒めてもらおうと両手を広げて駆け寄ったチビモン、基ブイモンだったが、興奮しすぎて英語が飛び出している大輔に引いていた。
しかし物事というのは、そう上手くいくものではない。
クワガーモンを退けて喜んでいる子ども達の水を差すように、空が悲鳴を上げた。
アグモンと抱き合って喜んでいた太一だったが、空の悲鳴と視線の先を辿り後ろを振り返る。
ズシン、ズシンと地響きを立てながら、ソレは頭部の2本の角を地面に突き刺した。
びきびきびき、と走る罅。
そしてソレは、走った罅から地面を持ち上げるように頭を上げた。
ソレ……倒れたはずのクワガーモンが突き刺した角は、地面の底まで罅を産み出し、呆気なく崖の先を崩してしまう。
そして子ども達は、遥か下の川へと呆気なく落ちていくのであった。
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