八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第二百七十話 神戸に戻ってその十一
「残念なことに卑しい人が多かったです」
「そうなんですね」
「知識人に」
「大学教授とかですね」
「新聞記者、テレビにもです」
「出る様な人達も」
「卑しい人が多く」
それでというのだ。
「今も変わっていないです」
「戦後急にそうなったんですか」
「そうです、戦争が終わって」
そしてというのだ。
「マルクス主義が広まると」
「それで、ですか」
「はい、急激にです」
「卑しい人が増えたんですか」
「マルクス主義者全てが卑しい筈がないのですが」
「それでもですか」
「そうした人が異様に多く」
それでというのだ。
「戦後の知識人は腐敗の極みに達しました」
「そうなったんですか」
「戦前とは一変しました」
「それよく聞きますね」
「人格の卑しい人物が増え」
そしてというのだ。
「能力もです」
「落ちたんですね」
「そうです、思想にしても」
こちらもというのだ。
「吉本隆明なぞが最大の思想家でしたから」
「あのオウムを絶賛した」
「行き着く先がオウムなぞでは」
テロをやっただけではない、その教理や主張、テロ以外の組織全体を見ても明らかにおかしな組織だ。
「最早です」
「それまで言っていたこともですね」
「たかが知れています」
「そう思えますよね」
「私はそう確信しています」
「吉本隆明はレベルが低いですか」
「読むに値しません」
そんなものだというのだ。
「その主張は読んでも何の為にもなりません」
「時間の無駄ですか」
「私はそう確信しています」
「行き着く先がオウムなら」
「それまでの思想もです」
「碌でもないですか」
「実際に何を言っているかわからない時は教祖でした」
吉本隆明でよく言われていることだ、人間は小難しい文章を読んでそれで理解しにくいものをわかったつもりになって自分が頭がいいと錯覚するということだろうか。これは大きな間違いだと思う。
「ですが誰でもわかる文章を書くと」
「そうなるとですか」
「普通の人になりました」
「そんなものですね」
「小説ですが」
畑中さんはここで思想からこちらに話を移してきた。
「太宰治はわかりやすいですね」
「そうですね、読んでいて」
僕も太宰の作品は読んできた、どの作品もだ。
「文章が奇麗で読みやすくて」
「それで、ですね」
「理解しやすいです」
「そうですね」
「それなら太宰の方が」
「私はいいと思います」
思想家と小説家の違いはあってもというのだ。
「太宰は嫌っていましたが志賀直哉も同じです」
「わかりやすいですね」
「それこそ高校生位の文章を読める力があれば」
それでというのだ。
「わかります」
「そうした文章ですね」
「はい、芥川や谷崎は作品によって文体を変えることもしますが」
これは森鴎外もだ、鴎外は特に明治の二十年頃と大正では時代に合わせて文章を変えている。舞姫と高瀬舟では文章が全く違う。
ページ上へ戻る