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八条学園騒動記

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第五百六十四話 脚本その六

「そうしているんだ」
「そうなんだ」
「経済とか歴史とか音楽で知識が必要でも」
「その知識を頭に入れればわかる作品はいいんだ」
「うん、けれどそうしたことへの知識があってもわからない」
「そうした作品はなんだ」
「僕は読まないよ、小説でも登場人物が小難しい言葉を延々と羅列して喋る作品あるね」
 今度はそうした小説の話をした。
「主人公がこれでもかって」
「あるね」
 マルティもその通りだと答える。
「実際に」
「あれは錯覚するんだ」
「錯覚?」
「そう、その小難しい言葉を最後まで読んで」 
 そしてというのだ。
「理解した、そんな自分は頭がいいってね」
「そう思うんだ」
「そしてそれはね」
「錯覚なんだ」
「何度も言うけれど小難しい言葉や文章の羅列はね」
「実は何でもないんだ」
「そう、何でもないものでね」
 それでというのだ。
「読んでもね」
「意味がないんだ」
「ないよ、だからこうした小説もね」
「君は読まないんだ」
「本当にシェークスピアはわかりやすいよ」
 そうした作品と違ってというのだ。
「読めばね」
「それでわかるね」
「作品のテーマも登場人物が何が言いたいのか何を表しているのか」
「そういうのがだね」
「わかりやすいから」
 だからだというのだ。
「僕も好きだし今脚本書いていても」
「どうかな」
「楽しいよ、というかわかりやすい言葉こそがね」 
 まさにそうしたものこそがというのだ。
「真理だと思うよ」
「正しいんだね」
「真理ってのは単純なものなんだよ」
 難しいものではないというのだ。
「それで難しく見せているものはね」
「実は中身がなくて」
「まやかしなんだ」
 それに過ぎないというのだ。
「つまり偽物だよ」
「じゃあ今さっき君は言った二十世紀の日本の哲学は」
「全部が全部そうじゃないと思うけれど」
「偽物が多いんだ」
「そうだと思うよ、もう何を言ってるのかわからない文章なんて」
 それこそというのだ。
「読んでもね」
「意味ないんだね」
「そう思うよ、下手な哲学書読むより」
「シェークスピアかな」
「そう思うよ、読んでも面白いしね」
「観てもね」
「うん、シェークスピアは面白いよ」
 文学として名作である以上にというのだ、シェークスピアの作品はそもそもが面白いものだというのだ。
「はっきり言って」
「そうだよね」
「悲劇にしてもね」
「とても悲しいけれどね」
「作品としてね」
「面白いね」
 マルティもこう言った。
「ウィンザーの陽気な女房達も」
「僕達が演じるね」
「そして悲劇も」
 こちらの作品もというのだ。 
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