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fate/vacant zero

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複雑明快な連逢事情





 才人がこの世界ハルケギニアに召喚された日から、大凡で四週間。

 才人がタバサに文字を教わり始めて、かれこれ一週間を数える黄金ソエルの日。


 平等マンの月も終わりに近づき、陽光は春の陽気から夏の熱気へと衣替えを初めつつある昨今だが、トリステイン魔法学院に衣替えと言う風習はない。

 トリステインの夏は才人の国の夏とは違い、湿度が高くなりすぎないためだ。

 時たま訪れる浮遊大陸エタンセル製の雨雲が乾き気味の国土に適量の水気をもたらし、湿りすぎず乾きすぎない、過ごしやすい夏を保つのである。


 そのため、彼ら魔法学院生も夏冬変わらず長袖の衣類を着用している。

 変化といえばせいぜい、マントを着けずに片脇に抱えるくらいであった。


 よって、片隅に謎の大釜が置かれたここ、ヴェストリの広場のベンチに腰掛け、ナニカを編んでいるルイズもまた、いつも通りの服装だった。









Fate/vacant Zero

第二十三章 複雑明快な連逢れんあい事情







 時間はちょうど昼休み。

 昼食を終えたルイズは、何やら上機嫌な才人やデザートの戌桃のタルトを食堂に放置して、脇目も振らずに広場を訪れ、こうして編み物をしている。

 そして時折、休憩がてらボロボロで白紙の『祈祷書』を開いては、姫の婚姻の式に相応しい詠うたい文句に頭を悩ませる。


 それはこの一週間で、すっかり日常となった光景であった。



 日常、といえば、彼女の前方では、これまたいつものように幾人かの生徒たちが、思い思いに遊んでいたりする。


 ボールを風で奪い合い、木に吊り下げた籠に叩き込む一団。

 水の球を浮かばせ、お互いにぶつけ合う一団。

 己の生み出した『戦乙女ワルキューレ』を、金属塊に戻しては首を捻って唸っているギーシュなど。


 最後のは遊んでいない気はするが、今のルイズにはどうでもよかった。

 彼女はそれら一団の方をちらっと眺めやると、己の手元に視線を戻し、切なげな溜め息を漏らした。


 端から見れば、そんな様子は一枚の絵画の様ですらある。

 ギーシュがこちらに視線をやっていれば、『戦乙女』の造形イメージに一瞬で影響を与えただろう。

 黙って座っている時の彼女は、そのぐらい様さまになった美少女だった。



 さて、彼女の趣味は編み物である。

 幼い頃、魔法がダメならせめて器用になるようにと、彼女の母が仕込んだものであった。


 が、しかし。

 彼女は、彼女の母同様に、窮めつけの無器用でもあった。


 いや、教師が彼女の次姉であれば、また話は違ったのかもしれないが。

 とにかく、彼女の天運人運は、彼女に編み物の才を与えてはくれなかった。



 最近のルイズは、セーターを編んでいた。



 編んでいるつもりだった。



 ……編んでいた、んだと思う。



 …………編んでいたんだろうか?



 いま現在、出来上がりつつあるのは……、えーと……、あー……、うー……。





 ……まぁ、控えめに言って、ひねくれたウミウシのぬいぐるみである。

 才人の世界にいたメリベなウミウシなんかをイメージすれば、雰囲気的には近い……だろうか。


 とりあえず、腕に相当する部分が3つもあったり、そのどこにも穴が開いていなかったりする編み物は、セーターとは普通言わないはずだ。


 ルイズもそれは理解しているようで、恨めしげに自らの作り出した珍妙不可思議で胡散臭いオブジェを眺めると、また一つ溜め息をついた。





 厨房勤めの黒髪メイドの顔が脳裏を過ぎる。


 彼女が才人に食事を施していることを、自分は知っていた。

 厨房でのその行動をサイトは気付かれていないと思っていたようだが、自分の目はそこまで節穴ではない。

 一日食事を抜いた日でもケロッとしていれば普通は気付く。


 サイトを食堂の食卓に着かせたのは、それがなんとなく嫌だったからだった。

 自分の持っていないものを見せつけられるようで。



 あの娘こは、料理を作ることができる。

 キュルケには溢れる美貌があり、タバサには『士爵シュヴァリエ』になれるほどの魔法の才能がある。


 なら、自分には。


 貴族メイジであっても魔法使いメイジたれない自分には、何があるんだろう?

 そう思って、久しぶりに趣味の編み物に手を付けてみたのだが。


 もう一度、自分の作品を眺めてみる。



 ――だめだこりゃ。



 そんな感想が即答できてしまう辺り、自分の才能の無さに絶望する。


 そのまま軽く鬱っていたら、肩を誰かに叩かれた。

 振り返ってみれば、ベンチの背もたれに肘をついたキュルケがそこにいる。


 ――まずい、こんなモノ見られたらまたからかわれる。


 キュルケと小競合ってきた一年で培われた思考回路はそんな予測を反射的に捻り出し、追随した腕は"さっ"と傍らに置いていた祈祷書で、セーターな『作品』を隠蔽する。

 この間1秒。

 長年揶揄され続けたことにより身についた、一つの才能であった。


 果てしなく後ろ向きな結実だったが。



「ルイズ、何してるの?」


 キュルケはいつものように挑発的な笑みを浮かべ、いつもと違い、隣に座ってきた。



「み、見ればわかるでしょ。読書よ、読書」

「見てもわかんないわよ。
 その本、真っ白じゃないの」


「これは、『始祖の祈祷書』っていう国宝なのよ」

「国宝? なら、なんであなたがそんなもの持ってるの?」


 なし崩しに、しかたなくキュルケに説明する。


 姫さまの結婚式で、自分が詔を詠みあげる巫女に選ばれたこと。

 その際、この『始祖の祈祷書』を用いなければならないこと。

 云々。



「なるほどねぇ。

 ……ねえ、ルイズ。
 その王女の結婚式と、この前のアルビオン行きって関係してるでしょ?」


 散々、あれは密命だと繰り返したはずなのだけど。

 そう大っぴらに訊ねないでほしい。


 まあ、間髪入れずにキュルケならいいか、と思ってしまう自分もお相子なんだろうけど。

 宿敵ツェルプストーとは言え、相手は恩人なのだから。

 この程度のことなら、肯いておいても支障はないだろう。



「あたしたちは、王女の結婚が無事行われるべく、危険を冒してたってわけね。
 てことは、こないだ発表された二国フランク同盟が絡んでるんでしょ?」


 毎度ながら、色恋の絡んでいることに関しては、キュルケの嗅覚は異様なほど鋭い。



「……誰にも言っちゃダメなんだからね」

「言うわけないじゃない、あたしはギーシュみたくおしゃべりじゃないもの。
 ……って言っても、ギーシュも今回は口噤んでるけど……ま、それは置いといて」


 キュルケが、ゆるりと肩に手を回してきた。



「二人の祖国が同盟を結んだことだし、あたしたちもこれからは仲良くしないとね? ラ・ヴァリエール」


 何を今さら、と言いたい。


 正直わだかまりなど……腐るほどあったが、アルビオンを脱出した日にそんなものはすっかり風に飛ばされてしまった。

 ていうか、昨日わたしと食事の譲り合いしてたのはどこの誰よ。



「聞いた? アルビオンの新政府が、不可侵条約を持ちかけてきたって話。
 あたしたちがもたらした、平和に乾杯」


 杯なんか持ってないし、そんな気にはなれない。

 その平和のために、姫殿下は恋人を捨てさせられ、好きでもなんでもない皇帝の許へ嫁がせられるのだから。


 仕方がないと言ってしまえばそれまでだが、明るい気分にはどうやってもなれそうにない。

 それを言外に悟ったらしいキュルケは、少しバツが悪そうに話を換えてきた。



「ところで、何を編んでたの?」



 って、なんでそっちに変えるの?



「べ、べべベツニ何も編んでニャんかにゃイわ?」


 声も台詞も激しく噛んで詰まって裏返った。

 挙動不審にも程がある。


 落ち着きなさい、わたし。



「編んでた。だってほら、本の下から編み棒が覗いてるわよ」


 そう言ってキュルケは、すっとその棒ごと編み物を引っこ抜いた。

 ってちょっと!



「か、返しなさいよ!」


 ばたばたと手を振ってソレを取り返そうともがいてみたけど、額を片手で抑えられて届かない。

 こんな時、一向に育たぬ我が身が恨めしい。



「………………」


 で、なんでキュルケは黙ってるんだろう。


 笑いなさいよ。

 ええ笑いなさいよ。

 むしろ嘲わらいなさいよ、いつもみたいに。


 あの物体を見て沈黙されるのって、笑われるよりずっとダメージ入っちゃうから。



「……ねえルイズ? こ、これ、何?」


 心底からの疑問の声がした。心が痛い。



「セ、セーターよ」

「セーター? 新種のヒトデのぬいぐるみじゃなくて?」

「そんなの編んで何にするのよ!?」


 その『やれやれ』って言い出しそうな仕草やめて。

 すっごい虚しくなるから。

 まあその仕草のお蔭で、半端に宙に向けられた手からセーター(?)を取り戻すことが出来たけど。


 ああ恥ずかしい。



「あなた、セーターなんか編んでどうするつもり?」

「そんなの、あんたに関係ないじゃない」

「つれないわね。

 でも、いいのよルイズ。あたしはわかってるもの」


 キュルケが肩に手を回して、顔を近づけてきた。

 なんだか包容力のある笑顔で。


 当てられるもんなら当ててみなさいよ。



「使い魔さんに何か編んでるんでしょう?」


 正解、的中、図星、満点、わたしが悪うございました。

 でも反論はする。


 恥ずかしいじゃないの。



「ああああ編んでなゃいわよ!」


 噛んだ。

 ああ、さらに恥ずかしい。

 恥の上塗り。



「あなたってほんとにわかりやすいわね。好きになっちゃったの? どうして?」


 キュルケがわたしの目を覗き込みながら、そう尋ねてきた。


 好きになる?

 誰が? わたしが?

 誰を? あの犬を?


 ありえない。



「す、好きなんかじゃないわ。
 好きなのはあんたでしょ? あんなバカの、どこがいいのかしんないけど」


 そう、本当に、あんなバカのどこがいいっていうんだろう。

 自分のプライドのために、死ぬ一歩手前まで意地を張るようなバカの。


 あんなバカの。

 勝てないと分かっているハズの相手に、自分から喧嘩売るようなバカの。


 あんな、バカの。

 ウェールズ皇太子の御前で誓いを立てるなんて、バカでもやらないバカをやってくれたバカの。


 あんな――、



「……あのね、ルイズ。あなたって誤魔化そうとするとき、耳たぶが震えるの。知ってた?」


 ぱっ、と両手で両耳たぶを挟み込んだ。

 キュルケの顔に浮かんだ苦笑に気付いて、さっと手を膝の上に戻した。


 嵌められた。今日は調子が悪すぎる。



「と、とにかく、サイトはわたしの使い魔なんだから。
 あんたなんかに、あげないんだからね」


 精一杯の虚勢を張り、成長途上の胸を反らし、指を天に向けて宣言する。

 キュルケの苦笑がよりくっきりしたものに変わった気がするのは何故だろう。



「独占欲が強いのはいいけれど、あなたが今心配するべきなのは、あたしじゃなくってよ?」



「……どういう意味よ?」

「ほら……、なんだっけ。あの、厨房のメイド」


 にゃんですと?



「あら。心当たりがあるの?」

「べ、ベつに……」



「今、部屋に行ったら面白いものが見られるかもよ?」



 部屋。

 すっくと立ち上がり、ターン90度。

 心持ち前傾し、力強く一歩を――



「好きなんかじゃないんじゃなかったの?」

「編み棒部屋に忘れたから取りに行くのよ!」


 弾けさせた。



「編み棒ならここの――」


 続くキュルケの台詞は風に防がれ、聞こえない。

 そのまま部屋に向かって、全力疾走を開始した。





「――セーターに刺さってるじゃない、って行っちゃった……ヘタな言い訳ねぇ。
 ま、とりあえずはコレであのメイドのことは片付いたわね」


 さて、どっちを応援しようかしら?

 そんな興味津々の呟きも、走り去るルイズの遠い背中に届くことはなかった。









 才人は、部屋の掃除をしていた。

 最近ルイズが洗濯や身の回りの世話を自分でするようになったので、仕事がコレぐらいしかなくなったのである。


 ちなみに部屋の掃除の方法は、才人のいた世界となんら変わり映えするところは無い。

 箒で床を掃き、濡らした雑巾で床を磨く。それだけである。


 才人にとっては、小学校ぐらいから高校に至るまで延々反復して、すっかり手慣れてしまったことだった。

 今まで掃除してきたどの教室よりもこの部屋は狭かったし、机なんかを移動させる必要も無いわけで。

 要する時間は、ほんの10分もあれば事足りた。


 ルイズが変わった翌日には、空いた時間を使って塵一つ残さないほどに大掃除をしてみたが、それでも二時間と掛からなかった。

 もともとルイズの部屋にはあまりモノがない。


 クローゼット、引き出し付きの小机、水差しの乗った小さな木の円卓と椅子二脚。

 ベッドとその枕もとのランプ、そして役目を存分に謳歌している本棚。


 才人の暮らしていた部屋と大差の無い、普通といえば普通の部屋でもある。

 違いを強いて挙げるなら、本棚をぎっしりと埋め尽くす本に、漫画がないことぐらいか。


 その代わり、子供向けの分かり易い魔術書とやらがある。

 結構な量の"文章"を学んだ今の俺でもロクに読めない、難解な専門用語たっぷりの学術書もある。

 果ては文字そのものが、なんか深海魚が全身で爆笑してるみたいにしか見えない怪文書まである。


 それらに共通していたのは、(少なくとも読めるものに関しては)魔法に関係のある書物だということ。

 そしてその全てが、満遍なく草臥くたびれていたことぐらいだった。



 俺はそんな本棚の前に立ち、以前手に取った本――『6さいからはじめるやさしいきそまほうコモンマジック』――こんなタイトルだったのか――てかご丁寧にも平仮名で読めるのはどういうこった――を引っこ抜いた。



 すっかり日本語で読めるようになったそれを、ばらばらっとめくる。


 午前中、掃除をこの時間に回すことでより長く集中して取れるようになった実験タイム。

 この一週間はタバサからシェルンノスを借りて、『造水レイン』や『発火ソース』、『精製レフィネン』、『風縒りヴァンデル』といった系統付けの練習用の基礎魔法コモンマジックに手を出していた。


 ちなみにこれらは二日目のタバサの授業で一通り使わされた魔法だったりする。

 『風縒りヴァンデル』以外に綺麗さっぱりと失敗したのがなんだか悔しくて、ひたすら残り三つの基礎魔法コモンマジックの練習に費やしているってわけだ。



 最初にこれをやった日の午後は、よく精神力が尽きないものだとタバサに不思議がられた。


 実際のところ、俺は一日一度は午前中の内に立ち眩みを起こしているんだ。

 なのに、食事を取って掃除を済ませて、午後の授業を終わらせたら、すっかり体調は元に戻っている。

 俺自身、それに気付いた時は自分自身に感心するか呆れるか迷ったぞ。


 ひょっとしたらこれもガンダールヴの恩恵なのかもしれんけど、それはさておき。



 魔法を成功させるために重要なことは三つだった。


 一つ目は、魔法成功時に起こすべき"結果"を明確にイメージすること。

 コレが足りないと、杖から放出された"魔法力"は"魔法力"から変化することなく霧散する。


 俺の場合、『土』の『精製レフィネン』はここで詰まっている。

 が、仕方ないだろ。

 『何も無いところから石っころが現れる』なんてイメージ、どうやったら出来るんだ。

 ……今度シュヴルーズ先生かギーシュのヤツにでも聞いてみるか?



 まあいいや、二つ目。

 "精神力"に……抽象的な表現だが"色"をつけ、的確な属性を持った"魔法力"へと変換すること。


 『造水レイン』の場合はここで行き詰った。

 イメージの方は"水蒸気"を"空気"と選り分ける感じでなんとかなった……と、思うんだけどな。

 どう頑張っても、自力じゃ魔法力を『水』の色に染め上げられなかった。


 タバサによると、"着色"作業のしやすさ・しにくさに関しては、完全に生まれつきの才能に頼るしかないらしい。

 ここが上手く行かない限り、他がどんなに完璧でも魔法は正常な属性で発動されることがない。



 そして三つ目。

 正確な過程じゅもんを唱えることで、自分の『結果イメージ』がそこに現れることを自分自身で許可・認可・確信すること。


 言い換えてみるなら、『魔法』の鋳型を作ること、になるらしい。

 魔法に慣れてくると、イメージだけで鋳型を作ることもできるらしいね。


 要するに、結果イメージという鋳型を過程じゅもんで練り固め、色を付けた精神力まほうりょくをそこに流し込む。

 そうして姿を決めた魔法力を杖に通すことで『魔法』は形を持ち、イメージは世界に現れる。


 んだが。如何せん俺は、こういう暗記は苦手だ。


 『風縒りヴァンデル』の呪文は、前にシェルに唱えさせられたヤツを簡略化したもんだったからまだよかったんだ。

 でも『発火ソース』に関しては完全にまっさらな呪文だったもんだから、アンチョコ無しで唱えられるようになるまで、五日間も掛かった。


 その分、今朝成功したときの喜びも一入ひとしおだったんだけどな。



 ……でだ。


 昼の授業まで時間はまだまだあるし、ここまでを踏まえて、一週間前からちょっと気になってたことを考えてみよう。



 ルイズの使っていた、『失敗』魔法について。

 アレは、どういう原因で『爆発』しているんだろうか?



1."結果"のイメージが弱い。


 ここで詰まってたら、そもそも魔法になっていない。

 そんでもって、『魔法』として組みあがっていなければ、『爆発』するはずがない。


 論外。



2.過程じゅもんを間違えている。


 これはどうだろうか。

 ここを間違えていると、呪文があらぬ方向に素っ飛んでいったり、完成しかかった魔法が杖から逆流してきたりするんだが。

 ルイズが何度か唱えていた攻撃魔法の類は、ワルドに直撃させられる程度には射出も着弾もしっかりしていた。

「……ぃ」

 っていうか、過程を間違えただけで『錬金』が爆発したりは……、まあ、フツーはねえだろ。

「……ーぃ」



 となると――



「……おーい、相棒。聞こえてるかー?」


 ……ん?



「なんだよ?」


 "巣"の中に安置したデルフに向き直り、軽く睨んでやる。

 考えごとの途中で、声を掛けるなって。



「客みてぇだぜ」

「え、客?」


 部屋の中を見渡しながら、デルフにオウム返しに問い返す。

 まあ当然ながら、扉も開いてない部屋の中には、掃除中と変わらず俺とデルフ以外の姿はない。

 ついでに言えばここはルイズの部屋であるからして、ルイズは客の範疇に入るはずもない。


 となるとタバサか、キュルケか、はたまたギーシュか。

 誰だろうね、と思っていたら、こんこんと扉を叩く音がした。



「開いてるよ」


 そう音源に声を掛けると、がちゃりと軽く開かれた扉の隙間から、フリル付きカチューシャで黒い髪を纏めた、見慣れた少女がひょっこりと現れた。



「あれ。シエスタ?」

「あ、あの……」


 なにやら不安そうにどもって中に入ってこないシエスタに近づき、扉を大きく開いてやる。

 その両手は、沢山の料理を載せた皿やティーポットを乗せた、いつもの配膳用の銀のトレイに塞がれていた。



「あの、ですね。最近、さ、サイトさん厨房に来なかったじゃないですか?」


 ああ、と頷く。

 ルイズや、隣席のマリコルヌの許可(?)を得て食卓に着けるようになったからなぁ。


 風呂を厨房と真反対のヴェストリ広場においちまったからか、実験タイムもヴェストリでやることが増えちまったし。

 最後に食事目的で厨房に足を運んだのって、確かアルビオンへ向かう日の明け方だったか?



「だから、おなかすいてないかな、って。ちょっと、心配になって、それで……」


 お盆を持ったままそうもじもじするシエスタを見ていると、いらない心配させちまってたんだなぁ、となんだか申し訳ない気持ちになってくる。

 マルトーの親父おやっさんとかもこの調子だと心配してくれてそうだし、また顔見せに行こう、と決意した。


 お釜を貰いに行ったっきり、コックたちとは顔を合わせた記憶もない、ってのは流石に悪いだろ、俺。

 ……とりあえず、目の前のシエスタからだな。



「えっと、ありがとう。
 でも、最近は食糧事情が改善されて、それほど腹がすかなくなったんだよ。
 ルイズが、席で食べていいって言ったから」


「そう、だったんですか?
 わたし、先週から先生方の食卓の給仕に回ってましたから、気付きませんでした……。

 じゃあ、余計なお世話だったのかしら……」


 しゅん、とシエスタが項垂れてしまった。

 いかん、これは良心にクるものがある。



「……そ、そんなことないって! 持ってきてくれたの、凄く嬉しいよ!」

「ほんとですか?」


 数十分前に食堂で腹いっぱいに詰め込んだばかりだったりするけど、親切を無駄にするのは、なんかこう俺の魂的なモノに反する。

 というか、こう微妙に潤んだ瞳で見つめられて拒否できるヤツがいたらきっとそいつは人間じゃない。



「勿論!
 ……えと、その、ちょうど小腹もすいてきてたし!」


 いや小腹じゃダメじゃんバカ俺。

 そう焦っていると、クスリとシエスタは笑いを溢した。


 なんか苦笑の類な気がしなくもないけど、それはいいや。

 とにかくシエスタはそう、微笑ほほえんで。



「それじゃあ、お腹いっぱい食べてくださいな」


 戦いの鉦ゴングを打ち鳴らした。







 小さな円卓まるてーぶるの上、所狭しと料理の類が並べられていく。

 シエスタがニコニコとそれらを並べていくのを見ながら、肋骨のちょっと下辺りを撫でる。


 ……胃はまだ重い。

 満腹中枢はサボるつもりは無いらしく、視覚情報から取り入れた食物の群れに対して盛んにアラート信号を発散している。


 そう、このままこれ等に手をつけては、文字通りの必死に至ると。


 そう言われても、この満面の笑みに逆らう術など、俺の持ち合わせの作戦には存在しないわけで。

 先ほどしこたま腹に詰め込んだ自分が、いまは心底恨めしかった。



「あ、そうだ。先週、ちょっと珍しい品が手に入ったんですよ。おご馳走、です」

「ご馳走?」


 しかも珍しい。


 ああ、その二言だけでなんか空腹中枢が自発的に超過労働しはじめた気がする。

 好奇心は偉大だ。



「そうです。東方ロバ・アル・カリイエから運ばれた珍しい品だそうで。
 『Чайツャイ』って言うんですよ」

「『チャイ』?」


 なんかどっかで聞いたことがあったようななかったような。



「ええ、『Чайツャイ』です。
 ちょっと苦いですけど、慣れれば美味しいですよ」

「そっか。そりゃ楽しみだよ」


 あのサラダを食い始めてから、そっち系の味がかなり好きになってきたから。



「うふふ、いまお注つぎしますね」


 お皿を全て並べ終えたシエスタは、そう笑ってティーポットを手に取った。



「あ、飲み物なんだ?」


 こぽこぽと、よく透き通った若葉色の液体がカップへと注がれていく。



「ええ。大陸ハルケギニアの飲み物より、後味がスッキリしてるんです」


 シエスタはそう説明しながら、なみなみと明るい色のドリンクが湛えられたカップを差し出してきた。



「ありがとう」


 簡単に礼をして、カップを口元に運んでみる。

 緑の香りが、緩く届く。


 どういう飲み物なんだろう?

 期待を胸に、くいっと口に流し込んだ。



「――え?」



 軽い渋みと苦みを含んだ、覚えのある甘い味。


 それが舌を擦り抜けていった。

 身動きを忘れ、辿るまでもなかったほど慣れ親しんだ味の記憶を辿る。



「ど、どうなさいました?」


 固まった俺に、心配そうな声でシエスタが訊ねてきた。



「シエスタ」

「は、はい」


「もう一杯」





 少し怪訝な面持ちになったシエスタが淹れてくれたソレ・・を今度はじっくり味わう。


 少量を口に含み、舌の上で転がし、鼻に香りを通して――、確信できた。

 やっぱりこの味には、間違えようもないほど覚えがあった。

 どこで、なんてもう考えるまでもない。


 これは、日本おれのせかいで。

 昔からずっと、毎日一杯は飲んでいた。


 『緑茶』だ。


 味に引き出されたのか、脳裏には通称"思い出"と呼ばれるものが出現していた。



 ――それはよくある、食後の一コマ。


 ――よく笑い、よく笑わせてくれた、なんというか漢らしさに溢れた父さんが。


 ――口やかましく小言を言う、でもよく微笑んでいた気がする淑女な母さんが。


 ――繋がりは浅くても、何の違和感もなくそんな日常を謳歌していた頃の俺が。


 ――食後の食卓でテレビを見ながら、母さんの淹れた暖かな緑茶を飲み干している光景。



 もう味わえなくなったはずの渋みのある甘さは、塞き止めようのないほどの懐かしさを生み出して。



「サイトさん! だいじょうぶですか!」

「え……」


 気付いた時には頬を涙が伝い、身を乗り出して真剣な顔になったシエスタに、顔を覗きこまれていた。



「え、あ、いや。その、ちょっと懐かしかっただけだから。平気だよ、うん」


 ごしごしと腕で顔を拭い、誤魔化すように料理に手をつけた。


 うん、美味い。

 腹が減ってないのが、残念になるくらい美味いなあ。



「懐かしい……?
 サイトさん、東方ロバ・アル・カリイエのご出身なんですか?」


 どこそれ。



「さっきも言ってたけど、その……えーと。驢馬ロバいる刈かりいれだっけ?」

「東方ロバ・アル・カリイエですわ」

「そうそう、それなんだけど。それってどこにあるの?」


 はてと首を傾げたシエスタはややあって、ぽんと手を打ち鳴らした。



「そっか、サイトさん召喚されたんですよね。

 えっと、ここからずっと南東、とっても強くて怖い森人エルフの棲まう砂漠の、さらに東にあるって言われてる国のことです。
 時々、ゲルマニアやガリアの方から僅かな行商人が、こうやって珍しい食べ物や道具なんかを仕入れてくるんですよ」


 南東、ね。


 ……日本おれのせかいに帰る手掛かり、なのか?

 いや、ただよく似てるだけの飲み物って可能性も……。



「あの、おいしくなかったですか……?」


 おう、わーにん。

 シエスタが涙目だ、考えごと中断。


 どうも考えごとで手が止まってたのを勘違いされた模様、即急に任務を続行せよ、いぇっさー。



「そ、そんなことないって!
 美味しいよ! うん、すごく美味い!」


 がががががっと食べ掛けだったピラフもどきを平らげてみせる。


 任務成功みっしょんこんぷりーと、次の任務に当たれ。

 いぇっさー、ナニカのムニエルに吶喊とっかんします。


 ちらっと視線をシエスタに向けてみれば、なにやらじーっと俺の食べる様を見ていた。

 き、気恥ずかしい。



「えと、食い方汚いかな?」


 そう訊ねると、シエスタはぼふっと湯気を上げて、わたわたと手を振り出した。



「そ、そんなことないです!
 逆です、そんな風に一生懸命に食べてもらったら、お料理も、作った人も幸せだなぁ、って!」

「そ、そっか」


 既にシエスタの顔は心配になるくらい真っ赤になっている。

 ……マジに大丈夫か。



「その、それ、わたしが作ったんです……」


 そうぽそっと聞こえた。

 え、これシエスタの手料理?



「そ、そうなの?」

「ええ、ちょっと料理長に無理言って、厨房に立たせてもらったんです。
 こうやってサイトさんが食べてくれてるのを見てると、お願いした甲斐がありました」


 そう言ってはにかむシエスタに、胸が詰まったような錯覚を覚えた。

 健気だなぁ可愛いなぁ、なんて暢気のんきにのたまう煩悩が憎たらしい。


 そっかと軽く相槌を打つと、気恥ずかしさから逃げるように料理に視線を戻し、まくまくと食を再開する。







 食を進める。





 食を進める。





 進める。

 やっぱり多いな。



 でも進める。





 進める。





 進め……、なんだ、この微妙な空気。



 つい、とまた顔を上げてみると、じーっと、なんだか困ったような視線で俺の顔を見つめているシエスタと、目が合った。



「シエスタ?」

「は、はいっ!?」


 びくぅッと背筋まで伸ばして体を跳ねさせた。

 なにごとぞ。



「えと、そんなに見つめられるとちょっと恥ずかしいんだけど……」

「そ、そうですか?
 ……そ、そうですね、ごめんなさい!」


 ば、っと体ごと視線を外して、机にまっすぐ向き直るシエスタ。



「いや、謝ってくれなくていいんだけどさ。その……、な、何か話したいことでもあるのかなって」



 ……。



 ……。



 無言。



 あ、いや、シエスタがなんでか深呼吸しはじめてる。


 すーはー。

 すーはー。



 何度か繰り返した後、シエスタは視線を前に向けたまま、話しかけてきた。



「サイト、さん」

「は、はい?」


 なんだか、すっごい真剣な声色なんですが。

 俺、何かしましたか。



「その、ですね。ツャイの葉っぱ、なんですが」


 葉?

 話が見えない。



「時々この学園にいらっしゃる行商人の方から、先週の黄金ソエルの日に仕入れまして」


 そういえば、さっきも先週って言ってたなぁ……えーと。

 ちょうど、一週間前?



「それで、ですね?
 あの、その日の夕食でお出ししようと、本当は思ってたんですが、いらっしゃらなかったので……」


 ……なんだろうか。

 もの凄く身に覚えがあるイヤ~な予感が。



「夜に、お部屋にお持ちしようとして、食堂に向かってたら、ですね。
 その……、あの……、み、ミス・タバサと擦れ違いまして!」


 ……一週間前。

 そんでもって何故かタバサの話題。


 =つまり、導き出される答えは?



「それでその、こんな時間にどこへ行くのかな、って、あの、純粋に興味だったんです!
 それでその、後ろをこっそりついていったら……、……その……」


 話を進めれば進めるほど、シエスタの顔は暗くなっていく。


 ついでに、俺の顔色も多分ガンガンと蒼くなっている。気がする。



 もしかして。

 いや、この話の繋ぎからするともしかしなくても。



「……さ、さ、サイトさんが……、ミス・タバサと、一緒に、お、おふ、おふおふ――」


 ………………おふ?



「お風呂に、入って、抱き合ってるの、見ちゃって。それで――」







 ――ぃやっぱりかぁああああああああああッ!



 って言うか待って待って待って!

 抱き合ってはない、抱き合ってはないから!



「それから、ずっと、サイトさん、厨房に来ないし……、その、正直に答えて、ください。
 ……ミス・タバサとは、どういったご関係、なんですか?」


 シエスタは、今にも泣き出しそうな顔でそう訊ねてきた。



 俺も泣いちゃいたい。

 恥ずかしすぎる。


 ていうか、タバサとの関係って言われましても。



「せ、先生と生徒、です。はい」

「せ、せせ先生と生徒が、一緒にお風呂に、入るんですか?」


 うん、理由になってないのは分かってるから言わないで。


 俺はタバサの名誉のためにも、必死に誤解を解こうと試みた。


 文字を教わっていたら、夕食どころか風呂の時間まで過ぎ去っていたこと。

 抱きつかれはしたものの、抱き合ってはいないこと。

 タバサが抱きついてきたのは恐怖心からによるものであること。


 など。



 なんか微妙に名誉を守れてないような気がしなくもないけど、やましい気持ちがあったわけではないことは伝えられたからよしとする。



 よしとしたい。



 させてくださいお願いします。



「はぁ……、わかりました」


 なんだかタバサが氷点下な視線で俺を睨みながら杖を向けてくる映像が見えた気がしたが、なんとか助かった、と思い込む。


 しかしなして俺は土下座までしてるんだ。

 自分で言い訳してて悲しくなってきたんだけど。

 なんでだろうね。



「でも……」


 シエスタが、俯きながら呟いた。

 あの、まだ信用してくれていらっしゃらないんでせうか。



「わたしって、魅力ないんでしょうか」


 ……はい?



「こうして二人きりでいても、そんな風に親密にお話したこと、ってありませんし」


 そんなことはないと思います、ただ機会がなかっただけです。


「肌を見られたことも、ありませんし」


 普通はある方が異常だと思います。


「何度もお会いしているのに、手に触れられたことさえ、一度もありませんし」


 わざと触ってもいいものなんでしょうか。



「……わたし、魅力ないんだわ。
 そうよね、サイトさんの側にはミス・ヴァリエールとか、ミス・ツェルプストーとか、ミス・タバサとか……、貴族の女の子が沢山いるんだもの。
 わたしなんて、ただの村娘だもの」


 なしてそういう結論になるんですか。



「そんなことないって!
 シエスタは充分魅力的です、それは保障していい。
 俺みたいな犬にだって優しくしてくれてるし」

「そう、ですか?」


 ぶんぶんと思いっきり首を縦に振って肯定する。

 シエスタは目を閉じて何事かを考えると、やがてこんなことを言い出した。



「サイトさん、わたしの村に来ませんか?」



 ……この短い時間の間にシエスタの頭の中で、いったい何があったんだろうか。



「え?」


「えっと、今度お姫さまが結婚なさるでしょう?
 それに合わせて、私たちにも特別にお休みが出ることになったんです。
 それで久しぶりに帰郷するんですけど……、その、サイトさんにも見せてあげたいんです。
 ずっと遠くまで、地平線の彼方まで続く、お花の海」


 ……それはすごそうだけど。



「その、どうして俺に見せたいの?」


「……サイトさん、わたしに希望を見せてくれたから。そのことへの感謝も込めて、です」


 "も"、ってのも気になるんだけど、それよりも。



「希望?」

「そうです。平民でも、貴族に抗あらがうことが出来るんだっていう、そんな希望。
 わたしたち、なんのかんの言っても、貴族の人たちに脅えながら暮らしてるんです。
 でも、それを覆せる人がいる。それが、なんだか自分のことみたいに嬉しくって。
 わたしだけじゃなくて、厨房の皆もそう言ってて」


 そんな人を、わたしの故郷の皆にも紹介したいんです。

 シエスタはそう締めくくった。


 ……そんな大層なことした覚えはねえんだけどなぁ、っていうのが今の本音、だと思う。



「もちろん、あの、それだけじゃなくて。
 ただ、サイトさんに見せたくって……、あ、でも、いきなり男の人なんか連れて行ったら、家族のみんなが驚いてしまうわ。どうしよう……」


 まあ、そりゃあ娘が男を前触れもなく連れて帰ったら、普通は驚くよなぁ。

 シエスタ、可愛いし」


 かぁ、っと勢いよくシエスタが赤くなった。


 ……あれ、ひょっとして今、声に出してた?

 ユデダコよりも赤くなったシエスタは、ぽんと膝を強く叩いた。



「そうだ。だ、旦那さまよ、って言えばいいんだわ」


 ――――は?



「け、結婚するからって言えば、喜ぶわ。みんな。
 母さまも、父さまも、妹や弟たちも、みんな、きっと、喜ぶわ」


 ……や、なんでそんな結論になんの!?



「……し、シエスタ?」


 呆然と暴走するシエスタを見つめていると、いきなりびくっとその身を跳ねさせて、首を千切れんばかりに振りだした。



「ご、ごめんなさい! そ、そんなの迷惑ですよね!
 あ、そもそもサイトさんが来るって決まったわけじゃないのに! あは!」

 は、ははは。

 ちょと、渇いた笑いが頭ん中で響いてる気が。



「し、シエスタって意外と、大胆なんだね。
 ちょっとびっくりしたよ」


 いや、ホントに。

 ちょっとってレベルじゃねえ気もするが。



「だ、誰の前でも大胆になるわけじゃありません」



 ほい?



「こんなこと、サイトさんにしか言ったことないですし……、そ、その、家を出るとき、母さまに言われたんです。
 これと決めた男の人には強気で一気に攻めなさい、って。だから、その……」


 いや、どんだけエキセントリックなお母さんなんだそれ。


 まだ見ぬシエスタのお母さんへのツッコミ衝動を気合で抑え込みつつ。

 俺は、茹だって口ごもるシエスタの次の言葉を待った。



「あの、その、よろしければ……、だ、抱いてくださいッ!」


 待つんじゃなかったと刹那的に後悔した。

 茹でシエスタは何か人として捨ててはならないモノを吹っ切ったように言い放つと、瞬く間に背中のリボン結びを解ほどき、エプロンを肩から床へ落とした。



「ちょ、シエスタ! まずい! まずいって!」


 ごきごき音がしそうなほど激しく首を横に振る。

 突然すぎて俺も相当テンパってるんだろうか、まともな制止の言葉も行動も出てこない。



「あ、安心してください。責任取れなんて言いませんから」


 安心できねえッ!?

 そうこうする内にブラウスのボタンはぷちぷちと外され、シエスタの胸元にできた谷間がくっきりと――!



「ま、待った! ちょっと待った!
 そーいうのはもっとちゃんと順序を踏んでからだな!」


 俺の両腕は、なおもボタンを外し続けるシエスタの腕を封じるべく、勢いよく目の前の二の腕へ伸びた。



 と。

 ここで実力行使を選んだのが、多分そもそもの間違いだったんだろう。


 シエスタの細い体は、俺の腕力を堪えきることが出来ずにバランスを崩してしまった。

 で、俺からシエスタへの進路の延長線上にはベッドがあったわけで。



「あ゙。ご、ごめん」


 シエスタを俺が押し倒すような格好で、綺麗にベッドに倒れこんだ。

 おまけに、この姿勢はテンパりシエスタにしてみれば望むところだったらしく。

 シエスタははだけた胸の前で祈るように両手を組むと、ゆっくりと目を閉じた。


 そんな『これなんて本番5秒前シーン?』がちょうど完成した瞬間。



 絶妙のタイミングでドアが蹴破られ、桃色でふわふわの髪が空気をしばきあげた。



00'00"00

 乱入者ルイズ、自室に侵入。


00'00"67

 ドアに振り向いた才人、ルイズと目がかっちり合う。


00'00"93

 ルイズ、才人の下になったシエスタを確認。


00'01"43

 ルイズ、はだけられたシエスタの胸を確認。"でっかい"と硬直。


00'01"87

 才人とシエスタ、ルイズの姿を脳が認識。


00'01"94

 才人ら両名、自分たちの現在の姿を把握。


00'02"03

 才人ら両名の反射神経が作動。


00'02"61

 才人ら両名、慌ててベッド脇に立つ。


00'04"21

 (この二人は、何をしてたの?)と、ルイズ硬直中。

 (るるるるるるるる)と才人、思考が半無限ループ。

 シエスタ、ブラウスのボタンを半分掛け終える。


00'05"55

 シエスタ、ボタンを全て掛け終える。


00'06"12

 シエスタ、凄い勢いでルイズに向き直って深々と、でも素早く最敬礼。


00'06"41

 シエスタ、身を起こしてドアへ方向転換。


00'06"72

 ルイズ、(なんであのメイドは私に謝るの?)と疑問提議。


00'07"38

 シエスタ、「失礼しました」と声を残して廊下へ飛び出す。


00'07"76

 才人、硬直ループから復旧。

 既に見えなくなりつつあるシエスタに「ちょっと待って」と怒鳴ろうとする。


00'07"80

 ルイズ、(なんでこのバカ犬はわたしを無視してメイドに声を掛けるの?)と疑問提議。


00'08"09

 才人、思わず見えなくなったシエスタに手が伸びる。


00'08"41

 ルイズ、(なんで)と頭に血を上らす。


00'08"91

 才人、ルイズの握り込まれた拳に気が付く。


00'09"21

 ルイズの体が硬直から解け、無意識に体が沈む。


00'09"52

 才人、ルイズから漂う危険なオーラに、制止の声を上げるべく口を開く。



 そして、00'10"00ジャスト10びょう。



「こんの馬鹿犬ぅううううううううううううううううううううッ!!」

「誤がばぁあッ!!」


 綺麗な回転運動とともに繰り出された遠心力つきのルイズの爪先が、怒号と共に才人のコメカミに突き刺さった。


 そのままルイズは、斃れ伏した才人の横顔をぐしゃりと踏みつける。



「なにしてんの。あんた」


 体も、声も震えている。



「待て、その、違う。
 ルイズ、違うんだ。あれは「人のベッドの上で、なにしてたの」」


 語尾を問答無用で喰うルイズ。



「話せば長くなるんだけど、料理を持ってきてくれたシエスタが「言い訳はいいのよ」」


 どうやらルイズは、"犬"の言い分を聞く耳は持ち合わせていないらしい。



「とにかく、使い魔のクセに、ご主人様のベッドの上で、あんなことをしてたってのが、わたしはどうにも赦せないわ」


 踏みつけられた才人の顔に、何かがぽたりと落ちてきた。



「だから、違うんだってば。あれは「今度という今度は、アタマにきたわ」」


 やはり途中で喰われる言い分。

 そして、震えに震えた声。


 才人が視線だけで湿り気の落ちてきた方を見やると、その水源はルイズの双眸だった。

 何で泣いてるんだ、と才人は慌てた。



「いや、俺の話を聞けって。誤解なんだっつの「もういい」いや、よくねえって!」


 誤解で泣かれるとかなり寝覚めが悪い。

 すっと足が顔から外される。


 ば、と立ち上がった才人の目に映ったのは、涙をこぼしながらも強く睨みつけてくるルイズの目だった。



「出てって」


 いや、ちょっと待て。それは困る。


 というかそもそも、なんでこいつはこんなに怒ってるんだ?

 俺が誰とどう付き合っても、俺の勝手って言われた記憶があるぞ?


 いや、シエスタとそういう関係だってワケでもないんだが。

 とりあえずは誤解を解くか。



「あのな。さっきのは脱ぐのを止めた不可抗「いいから、出てって! あんたなんかクビよ!」」


 ダメだ、聞く耳もってねえ。





 って、今なんつった?



「クビ?」

「そうよ! クビよクビ!
 あんたなんか、あんたなんかその辺で野垂れて死んじゃえばいいのよ!」



 ……おいこら。

 人を異世界に連れ込んでおいて、かつただの誤解でその言い草は酷くねえ?



「だから誤解だっつ「貴族の部屋を、なんだと思ってるのよ!」――っ」


 弁解する気とか、その他諸々ひっくるめて。



 一気に冷めた。



 そうか、そりゃ確かに誤解でもなんでもねえな。

 そうかそうか、こいつが怒ってんのは『俺が』シエスタともつれてるのを見たからじゃなくて、『平民が』自分のベッドの上に居たからか。



 ――そうかよ。



「わかった。じゃあな」


 込み上げる寂寥感を無視し、そう憮然と言い捨てて、"藁束"に置いてたデルフだけを引っ掴んで、さっきシエスタが開け放ったままの扉に向かう。



「わかったら早く出てって。
 あんたの顔なんか、もう見たくも無いわ」


 そう背中から掛けられる声に、



「奇遇だな。俺もだよ」


 込み上げた虚しさをありったけ乗せて、腹の底から返事を絞り出した。

 シエスタが来るまでに考えていたことも、ひっくるめて。



 どうでもよくなった。













 一人部屋に残されたルイズは、ベッドの上に倒れこんだ。


 まだ微かに暖かさが残る毛布の表面に苛立ちを募らせ、端っこをひっつかんで内に篭もる。



 ひどい、と。



 煮えたぎった頭で、ルイズは思考を回す。

 テーブルの上、広げられた料理の数々が視界に入り、さらにルイズの頭は煮える。


 疑心暗鬼はその仕事をサボらない。


 メイドを押し倒したのは、今日だけではなかったのではないか、と。

 もしかして今まで食事を与えられた日には、いつもあんなことをしていたのではないかと。


 "まさか"は止める者もいないままに"きっと"に変わり、やがて真逆まさかの"間違いない"へと昇華した。



 ひどい、と思った。

 赦せない、とも思った。


 なに一つの裏付けも無いまま、ルイズの中うちで才人は嘘吐きへと評価を貶おとされていった。

 ルイズの心中では、一つの思いが堂々廻りに廻まわっていた。



「……慰めたくせに。
 守りたいって、言ったくせに。

 なによ、バカ。だいっきらい」


 思いは、ルイズの意思とは関係なく口を割り続けた。



「――だいっきらい」



 目からこぼれ続ける、雫と同じように。





 才人はルイズの偽ウソを知らない。



 ルイズは才人の真ホントを知らない。





 ただそれだけの、擦れ違いエラーだった。






 
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