レンズ越しのセイレーン
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Mission
Mission1 カッサンドラ
(1) トリグラフ中央駅~特別列車スカリボルグ号
前書き
これがとーさまの守りたかったひと
ざわ、ざわ、ざわ。
ユティは気づけば人が行き交うストリートに立っていた。
ユティはストリートの端に避けると、旧型GHSと懐中時計を出して日付と時刻を確認した。午前10時まであと40分。前準備はさせてくれないらしい。せめて数日前に着けていたら根回しもできたのに。本当に融通の利かない力だ。
ユティはカメラを首から下げ、三脚をケースに収納して肩から担ぎ、トリグラフ中央駅に歩き出した。
もちろん、街並みや通行人、見たことのない建造物、何より人工的とはいえ植物があれば、しっかり撮影しながら。
おかげでトリグラフ中央駅に到着したのは発車10分前だったのだが、ユティはこれっぽっちも後悔していない。
ルドガー・ウィル・クルスニクは駅の食堂勤務のしがない20歳青年である。しかもその駅の食堂に勤め始めるのが今日からと来ている。
途上で会った白衣の少年を駅に案内したり、たまたまクランスピア社社長のビズリー・カルシ・バクーの登場を野次馬してしまったりで多少のロスはあったが、遅刻はせず、駅員に挨拶していざ職務に就こうという時だった。
謎の少女がルドガーに痴漢の濡れ衣を着せたのは。
今日から同僚の駅員たちに凄まれるわ、利用客から白眼視されるわ。社会デビュー初日で落伍者の烙印を押してくれかねない偽証をしでかした少女を捕まえてやりたくとも、少女はさっさと列車に乗り込んでしまった。待て、世の人はそれを無賃乗車と言う。
押し問答を中断したのは、爆音だった。
「アルクノアだー!」
悲鳴が銃撃と混じり合う。ルドガーはとっさに床に伏せた。硝煙のにおい。戦場のにおいだ。
はっと顔を上げる。あの少女は列車に乗っていった。案内した白衣の少年も列車に乗っている。
テロリストたちは列車に次々と乗り込んでいく。いや、乗り込む兵士とは別に、内部に伏兵がいるかもしれない。そうだとすると――あの二人が危ない。
ルドガーは立ち上がると、改札を飛び越え、列車のドアに滑り込んだ。
広がっていた凄惨たる光景に、さすがのルドガーも竦んだ。
乗客は皆殺し。車両には血と硝煙のにおいが充満している。あんな短時間で大勢の客を仕留められるはずがない。やはり車内に伏兵がいたのだ。
考えながら進んでいると、不意打ちに、足元から猫の鳴き声が上がった。
「ルル? お前、こんなとこで何してんだ」
ルドガーは飼い猫を認めてしゃがみ込んだ。
気まぐれであちこち練り歩く猫だが、こんな危険な場所に乗り込むような気質ではない。
ルルが示したのは、先ほどの少女だった。正直、痴漢疑惑で腸は煮えくり返っているが、こんな状態で怒るわけにもいかない。
そっと抱き起こす。ころん。弾丸が真鍮の懐中時計の上から落ちた。これが盾になって彼女を守ったのだろう。
そっと時計に触れる――次の瞬間、時計は淡く光って消失した。
「え、はぁ!?」
あたふたする。これはルドガーの責任になるのか。すると、ルドガーの声に反応した少女が目を開けた。
「パ、パ…」
少女が翠の目をこすりながら起き上がる。外傷はないようだ。ほっと胸を撫で下ろす。
「あっ…」
「!」
少女の視線の先にはアルクノア。ルドガーはとっさに少女を押し倒して床に伏せた。
炸裂する銃声。
見逃してくれるか、否、相手は乗客を皆殺しにするテロリストだ。自ら道を切り開かねば死ぬのはこちら。
覚悟を決めたルドガーは徒手空拳で座席の陰から飛び出そうとした。
「動かないでね」
―― 一羽の蝶がいくさ場に舞い込んだ。
蝶はショートスピアを構えてアルクノア兵をいなす。座席を軽業のように翔ぶ蝶はマシンガンでさえ捉えきれない。
やがて蝶はアルクノア兵の肩に降り立ち、2回3回とステップして飛び降り、背後から体勢を崩したアルクノア兵を一突きにした。
(何てトリッキーな戦い方だ。俺の知ってる剣術と全然違う)
ルドガーがユリウスから受けたのはあくまで双剣を使った模範的な剣術だ。だが彼女の技は異なる。武器さえも体の一部のように使って敵を倒した。
こつこつ。ブーツが鳴る音が近づいてくる。自分たちに用があるのか。それとも過ぎ去るのか。
答えは前者だった。しかもかなり剣呑な用だった。
「今すぐ列車から、その子と一緒に降りてください。でないとあなたは近い将来死ぬしかなくなります」
ルドガーは少女を抱えたまま、慎重に彼女をふり仰いだ。
枯葉色のワイシャツに、赤いネクタイ、長めの水色カーディガン、短パン。恰好自体はテロリストには全く見えない。私服の女子学生といっても通じる。……手に持ったショートスピアを、ルドガーに向けていなければ。
命の危機だというのに、ルドガーは別のことに呆気に取られていた。
(兄さん、に、そっくりだ)
メガネ着用、髪の色はもちろん。少女は、かつてユリウスが剣の手ほどきをしてくれた時と同じ空気をまとっていた。
「もう一度言いますよ。今すぐ列車から降りて。その子と一緒に。でないとアナタ、死ぬわよ」
やけに確信的な言い方に、さすがのルドガーも先のデジャビュは忘れて言い返す。
「それはあんたもじゃないか。あんた、アルクノアじゃないんだろう。武器は持ってるみたいだけど、一人でテロリスト全員相手にするなんて無理がある。俺の身を心配してくれるのはありがたいが、あんたも自分の安全を考えたらどうだ」
少女は目を白黒させた。
「乗ってたら死ぬって言ったんですよ? 怖くないんですか?」
「無駄に度胸だけはあるほうなんで」
でなければ、栄誉もエレンピオス一だが就業死亡率もエレンピオス一のクランスピア社のエージェント選抜試験など受けられない。
「じゃああなたは望んでこの死地に乗り込んだの? 自殺願望? 新手のドM?」
「どっちもないから。ただ、そこの女の子とか、駅まで案内した奴とか、この中で大変な目に遭ってるかもしれないと思うと、居ても立ってもいらんなくて。それだけだ」
すると少女は頭痛を堪えるような表情をした。
「……想定外……巻き込まれたなんてものじゃなくて、首を突っ込むタイプだなんて……とーさま、目算甘すぎ」
言い返すべきか、少女のアクションを待つべきか。ルドガーが悩んでいるとふいに列車が大きく揺れた。発車したのだ。
これでいよいよルドガーも少女も逃げられない。
「……状況失敗」
少女はあっさりショートスピアを降ろした。ルドガーが襲いかかるとは露ほども考えていない様子だ。実際襲う気もないが。
「アナタの言うとおり、ワタシはアルクノアじゃない。ちょっと腕の立つ民間人。見たとこアナタもそうみたいだから、このデッドダイヤから脱け出すまでは協力しない?」
「……分かった。よろしく頼む」
「即答? ワタシ、アナタに槍向けたのよ」
「でも殺す気はなかったし、助けられた。俺はルドガー。よろしく」
「その優しさが命取り、なんて今時いるのね……ユティです。よろしくお願いします」
ルドガーはユティと握手した。小さな手だ。だからこそ武器もショートスピアという軽量型なのだろう。
ユティはルドガーと手を外すと、ふいに首から提げたカメラを構え、ルドガーに向けてシャッターを切った。フラッシュにたたらを踏む。
「いきなり何するんだ」
「『お人好し社会人一年生が列車テロに巻き込まれた人生最悪の日』なんてどうでしょう」
「お前な……っ」
この状況で写真を平然と撮るな。そして人をイラッとさせるタイトルをつけるな。
だが、反論には至らなかった。通路に再びアルクノア兵。ユティがショートスピアを構える。
「これ使って!」
座席に隠れていた少女が投げてよこしたのは、双剣。受け取ったそれはしっくりと手に吸いついた。練習用に使っていた模造刀でさえ、これほどなじむまい。
アルクノア兵がマシンガンを連射する。ルドガーもユティも避ける。
ルドガーはアルクノア兵に肉薄し、懐に入ってマシンガンを叩き落とした。それでも体術で挑んでくるアルクノア兵を、天井から狙う者がいる。
蹴る音がして、降ってきたユティがショートスピアをアルクノア兵の肩に突き刺した。落下の勢いも借りた一突きは、兵士の腹部まで沈んでいた。
とん。ユティが着地し、ショートスピアを抜く。肉がよじれる音がして、血まみれの槍身が現れた。
「どうやってあんな場所に立ったんだか」
「ワタシ、ただでさえちっこいし非力だから、勝とうと思ったら奇襲しかないのよね。コレはソレを極めた結果」
「なるほど」
しかし歓談の間にも次のアルクノア兵が現れる。いざ、と交戦に入ろうとした時――アルクノア兵が倒れた。
「あれ?」
アルクノア兵を倒したのは、ルドガーが駅に案内した白衣の少年だった。
「お見事、Dr.マティス。今のがリーゼ・マクシアの武術ですか。警備の者にも習わせたいものだ」
拍手しながら歩いてくるのは、何と「あの」ビズリー・カルシ・バクーと、秘書のヴェル・ルゥ・レイシィだった。
「同じ車両に乗り合わせててよかったです」
次いでビズリーの目はルドガーに留まった。
「そちらもなかなかの腕をお持ちのようだ。私はクランスピア社代表、ビズリー・カルシ・バクー」
ビズリーが大きな掌を差し出す。握手を求められている。あの巨大企業クランスピア社の社長に、兄が勤める会社のトップに!
内心の歓声を抑えて、ルドガーは名乗りながら握手に応じた。
「ユリウスの身内か」
「本社のデータにありました。ルドガー様はユリウス室長の弟です。――母親は違うようですが」
そこでフラッシュ音。ルドガーは内心の恨みを今度は包み隠さず後ろをふり返る。
「おーまーえーなー」
「そんな大物と握手できるチャンスなんてそうそうないですよ、無職のルドガー君。一生の宝物になる確率大デスヨ。生活困ったらお金にもなるしね」
「ぐっ」
こいつ面白がってやがる!
「はははっ。面白いお嬢さんだ。友人かね」
「いいえ! たまたま乗り合わせただけの赤の他人です」
ビズリーはユティにも握手を求めた。
「ユースティアです。ユースティア・レイシィ」
ユティはビズリーと握手を交わした。あの小さな掌は、ビズリーの大きな手にすっぽり収まっている。ルドガーはここで初めてユティのフルネームを知った。
「奇遇だな。私の秘書もレイシィ姓だ。ルドガー君といい君といい、不思議と縁があるな」
(双子なのにミドルネーム違うんだなってノヴァに言って、俺と兄さんみたいに兄弟でミドルネームまで同じほうが珍しいって言われたっけ。ユティはノヴァやヴェルの親戚なのか?)
当のユティは何故かじっとヴェルを見つめ、ふいと逸らした。どこか痛そうな顔だった。
「ルドガー、とりあえず、列車止めよう。このままだとみんな死ぬ。乗ってる人も、アスコルドの人も」
「そんなの困る!」
「そう。困るの」
「僕も行きます。――責任があるんです」
名乗り出たのは白衣の少年。琥珀色の目は歳に似合わず鋭い。
「僕はジュード・マティス。よろしく、ルドガー、ユティ」
後書き
一番苦労したのはオリ主の名前でした。父に当たるキャラに似せてかつ女の子らしく、略称があって本名に意識が行きにくい。そして考え付いたのが「ユースティア」でした。
しかしタイトル決め中にギリシャ神話で「ユースティティア」という正義の女神がいると知って改名すべきか大苦悩しました。
ルドガーの口調は作者のイメージというか、話の流れに合わせて作っています。
2013/4/26 設定資料集にヴェルの本名が掲載されていましたので修正します。それに伴いオリ主の姓も変わるのですが、どうかオリ主の素性はラストまで黙秘していただきたく存じます。何とぞよろしくお願いします。
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