少女1人>リリカルマジカル
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第十七話 幼児期⑰
ヒュードラの事故から3日後。
1人の女性がベッドの上で上半身を起こし、茫然と窓の景色を眺めていた。開け放たれた窓から入り込んだ風が、女性の傷んだ長い髪を静かに揺らす。その目には光がなく、虚ろな表情だった。あの日もこんな風に晴れ渡った空だったと、当時の記憶が思い起こされていた。
ここはクラナガンに建てられた病院の一室。白にまとめられた病室にいるのは彼女1人だけだった。未だに感情が安定せず、情緒不安定だと医師に診断されたためだ。駆動炉の事故から3日たった今も、彼女は苦しんでいた。
事故当時、彼女は駆動炉の開発者として立ち会い、そして目の前で起こった全てをその目で見ていた。あの日は、完成間近となったヒュードラの開発に上層部が訪れ、試運転を決行させた。彼女達開発チームも当然反対したが、結局押し切られてしまった。
何故あの時、もっと強く反対意見を出さなかったのか。どうして上層部の操作を断固として止められなかったのか。いくつもの疑問が浮かんでは、思考を巡らせ、沈んでいく。しかし、今更後悔してももはやどうしようもなかった。事故はもう起きてしまった。止められなかった時点で、開発チームにも非はあったのだから。
「どうして……もっと早く」
ゆえに、彼女は己を責めてしまうしかなかった。彼女は顔を両手で覆う。事故を起こしてしまったことに後悔はある。だが、それ以上に彼女の心を蝕むのは、事故によって失われた……彼女の宝物。
全てを飲み込むような魔力の本流。地響きとともに流れ出た黄金の魔力は、駆動炉とその一体の全てを包み込んだ。開発チームと上層部が無事だったのは、ひとえに完全遮断結界のおかげだった。ヒュードラからの警告音に、開発チームが総出で結界魔法を発動したからだ。
しかし、結界は駆動炉のみで精一杯であった。結界外にあったものを、光は遠慮なく飲み込んでいった。それは森を抜け、彼女たちが寝泊まりする寮にまで届いた。その光景を思い出し、彼女の瞳から一筋の涙が流れる。
ずっと大切にしていた。毎日抱きしめて、名前を呼んでいた。この仕事が終わったら、喜びをわかち合おうと思っていた。だが、それが叶うことはなくなってしまった。
もっと早く気づいていればよかった。そうすれば、こんな喪失感を味わうこともなかったのに。そんな後悔ばかりが彼女の頬を濡らす。急いで部屋の様子を見た時の光景。床の上に無残にも倒れた彼らの姿に、彼女は悲鳴をあげた。あの時の記憶が、彼女の脳裏によみがえる。
「あ、あぁ…」
女性は嗚咽を漏らす。失ってしまったものの名前が溢れてくる。もう抱きしめてあげることはできない。名前を呼び掛けてあげることもできない。そんな心からの思いが、言葉として表へと現れる。
声をあげて鳴き叫ぶ彼女の様子に、病室の外でもなんと声をかけていいのかわからなかった。ただ、彼女の気の済むままにそっとしておくことしか出来なかった。
「―――ったしの!」
悲痛な心の丈が、叫び声となって病院にこだました。
「私のヴィンテェェーージのワインたちィィイイィィーーーーー!!!」
「同僚さーん。病院中に響き渡ってるよぉー」
「同僚さん。元気そうでよかったね、お兄ちゃん」
『まぁ、ある意味元気なのでしょうね』
「にゃー」
そのなんと声をかけていいのか迷っていた面会者達は、とりあえず入室することにしたらしい。3日前からこんな状態の彼女に、病院側もそっとしておくことしか出来なかったのでもう放置している。開発チームの主任と胃の辺りを抑えた男性職員が、病院側に頻りに謝っていた背景があったりした。
「ほらほら、同僚さん。年齢的にお酒を持ってくることは出来なかったけど、柿○ー持ってきたから。これで抑えて抑えて」
「うわぁああぁぁん!! アルくん、だって! だってすごく楽しみにしてたんだよ!? ものすっごく高かったんだよ!! なのに、なのに…!」
「あー、どうどう。ご心中お察しします。大切にしてましたものね、名前まで付けて」
「そぉだよー、ひっく。エアトレックゥー。ブルーバードォー。ラファーガァー!」
この世界のネーミングセンスって…、とぼそっとアルヴィンは呟く。嫌というわけではないが、何と表現したらいいか微妙そうな表情だ。ちなみにアルヴィンの密かな夢は、もし地球に行く機会があったら、とあるフェラーリと記念写真を取ってみたいだったりする。
アルヴィンはお菓子の袋を開けて、女性の口元へと運ぶ。少し落ち着いたのか、えぐえぐ泣きながらポリポリ食べる女性。時々物欲しそうな妹の姿に、ピーナッツを渡してあげるとおいしそうにこちらもポリポリ。
餌付けってこういうことかと、家猫でできなかった気分を味わえてお兄ちゃんは満足したらしい。
「これおいしいね。お酒に合いそう…」
「でしょ。これクラナガンのとあるお店に売っていたんだ。今度紹介してあげるよ」
「あ、お願い」
事故から3日後、彼らは普通に和んでいた。
******
結果的に言えば、俺の手はアリシアに届く事が出来た。安全な場所へと願い転移した先は、薄暗い森の中。未だに落ち着かない心臓を沈めるように、俺は息を吐いた。
混乱していた頭も少しずつ冷静さを取り戻していく。今の状況を1つずつ確認していき、俺達は助かったのだとようやく実感が伴って来る。あの光から、俺達は生き延びられたのだと。ちゃんと俺の手は、妹の手を掴むことができたんだって。
『もしも届いたなら……ちゃんと両手で抱きしめて』
そして、思い出していた。あぁ、そうだ。この言葉は、この思いは彼女のものだったって。前世で手に取った漫画に載っていた、彼女の願い。願いごとにいつも手が届かなかった彼女が、それでも諦めずに手を伸ばし続けた時のもの。
俺が彼女を強い人だと思うようになったセリフ。だって、普通なら怖い。拒絶されたら、助けられなかったらと、俺ならまず考えてしまう。一度でも失敗したことがあるのなら特に。それを彼女は何度も経験した。
大好きな母親からの拒絶と虐待。愛情と強さを教えてくれた優しい家庭教師との永遠の別れ。それでも、彼女は手を伸ばし続けた。それが大切だから。それが失いたくないものだったから。諦めるな、とただ真っ直ぐに。
そんな彼女の言葉を、あの場面で思い出すなんて。なんとも皮肉なものだ。彼女の存在を消すことになった俺に、彼女の言葉が後押しになってくれたのだから。まるで、そっと背中を押してくれたかのように。
「お兄ちゃん…」
「大丈夫だ」
俺は両手で抱きしめていた妹に笑顔を向ける。俺のことを呼んでくれる大切な存在。もう大丈夫だと、震えるアリシアの背中をあやす様に撫でた。それに緊張の糸が切れたのか、アリシアは声をあげて涙を流し、俺に強く抱きついた。
アリシアの腕から抜けだしたリニスは、逆立っていた毛を落ち着かせていた。その後、嗚咽を漏らす妹の傍に近づき、慰めるように身体を擦りよせていた。
『ますたー。どうやらこの近辺に生物の反応はないみたいです。場所はまだ特定できませんが、ミッドチルダの郊外だと思われます』
「そうか、……痛ッ」
『え、あっ。唇が切れているみたいですね。大丈夫ですか』
無我夢中で転移してしまったが、どうやらちゃんと安全な場所に移動することは出来たらしい。転移してからコーラルは、どうやら周囲を調べて情報収集をしてくれていたみたいだ。今も俺たちを心配しながら、周りを警戒してくれている。
しかしコーラルにも言われたが、唇が切れて血が流れている。自覚すると痛みが襲ってきた。まじで痛くてピリピリする。アリシアの背に回していた片手を口元へ持って行き、流れていた血をごしごしと拭う。服に血が付いたら嫌だし、妹に血がつくのもまずいからな。
たぶんあの時、歯を噛みしめながら走っていたから、その時に切ってしまったのだろう。身体の重さも、頭痛もなくなったからか余計に口の痛みが顕著に響くな。
「……なぁ、コーラル」
『はい?』
「答えづらかったら、別にいいから。その……あの時の俺って、どんな感じだった」
『…………』
そう、あの時の気持ち悪さや吐き気が今はないのだ。アリシアに手が届いた瞬間、すっと俺の意識を塗りつぶそうとしていた何かが消えた。だけど、おそらく消えたわけではない。あの違和感は今までのように、俺の奥底に潜んだのだと思う。
腕の中のぬくもりを、俺はもう一度ぎゅっと抱きしめる。この温かさを失っていたかもしれない。そう思うだけで手が震えてくる。正直に言えば、俺は本当に怖かった。死も、失うことも。
今だって気を抜いたら泣き出しそうだった。それでも俺が今それに耐えているのは、兄として妹を安心させてあげることが先だと思ったからだ。
『上手くは言えないです。それでも言葉にするのなら、ますたーの目は……何も映っていないように思いました。その、なんだか怖い感じがしました』
「そうか」
それだけ言うと、コーラルは押し黙る。あれの原因は、俺自身確信はない。もしかしたら、という考えはあるが、それが正解なのかもわからない。それについて相談もできない。
俺は転生したことを誰にも言うつもりなんてないのだから。原作知識なんてもってのほかだ。話したって頭がおかしいと思われるだけかもしれない。まぁ、それはある意味慣れているから置いておくけど。
一番言いたくない理由はわかっている。原作は好きだけど、だからって家族が死んでしまうことを、俺は口に出したくないだけだ。アリシアが死んでしまうことも、母さんが狂ってしまうことも、誰も知る必要なんてないと考えているからだ。
それでも、このまま「あれ」をほっといてもいい問題にはならない。
「もし、また俺がそんな風になったらさ。頭突きでもなんでもしてくれていいから、止めてくれるか」
『僕がですか』
「うん。コーラルならいつも俺の近くにいてくれるだろ」
俺が1人の時はいい。そのまま逃げればいいのだから。だけど俺の他にも人がいたり、守りたいものがあったら?
今回みたいに、次も意識を取り戻せるかわからない。それだけ、あの情動は重かった。後少しでも遅れていたら、きっと間に合わなかった。あそこで俺の意識が覚醒できたのも、運が良かったとしか思えなかった。
『……わかりました』
「ありがとう」
たくっ、本当に問題ばっかりだ。なのはさんたちのことも、事故のことも、母さん達のことも、俺のことも。なんでこんなにいっぱいあるんだろ。両手があいていたら、髪を掻き毟っていたかもしれない。1つ1つ地道に解決していくしかないんだろうけどさ…。
『いえいえ。どんなことをしてもOKの許可はもらいましたから、遠慮なくやらせていただきます』
「にゃう!」
「え、いや……やっぱちょっとは遠慮してよ? あと、なんでリニスさんもやる気満々なの。そこで猫パンチの練習しないでよ。風を切るようなパンチを猫が出さないでよ」
やべぇ、色々早まったかもしれない。
「まぁ、でも…」
本当に問題はいっぱいある。これからに不安なんてたくさんある。それでも、生きている。俺もアリシアもリニスもみんなこうして生きているんだ。
涙を流すアリシアが落ち着くまで、俺は何度も背中をさする。今はいっぱい泣かせてあげるべきだと思ったからだ。あんなもの、5歳の子どもの心にずっと燻ぶり続けるなんてまずい。
すべてとは言わないが、それでも涙が洗い流してくれることを俺は祈った。
******
『うん、俺達は大丈夫だよ。母さんは怪我とかない? ……そう、よかった』
コーラルにデバイスの通信機能を繋げてもらい、母さんと連絡をとった。母さんの声は震え、何度も俺達が無事であったことを喜び、心配してくれていた。俺も母さんが無事であったことに安堵した。原作で大丈夫だったのだとしても、やはり声が聞けてよかった。
『ご無事みたいですね』
「うん。今管理局の局員さんが対応しているところだって。母さん達は一旦病院に行って、検査してもらうみたい」
『やはり今すぐには会えないですか』
コーラルの言葉に俺はうなずく。俺達が今いる場所は、時空管理局の一室だ。あれからアリシアが落ち着いた後、俺は転移を発動させて管理局へと赴いた。今すぐにでも母さん達のもとへ帰りたいとも思ったが、事故による影響で駆動炉もその周辺も安全かどうかわからなかった。二次被害が起きる可能性だってある。
それならば、安全な場所へ向かうべきだと結論を出した。母さんには通信で無事を知らせることもできる。管理局へ転移したのは、俺達の保護を求めるためだ。それに管理局に事故のことを話さないと駄目だし、母さん達の保護をお願いする必要もあった。
「しかし信じてもらうために事故の映像を見せたけど、コーラルを証拠映像として持ってかれそうになった時は焦ったな」
『5歳の子どもが、いきなりミッドの辺境で事故が起きたと言っても信じ難かったでしょうしね。でも、すぐに出動してくれてよかったです』
「泣き落としたら持っていくのやめてくれたしね。いい人達だった」
『……5歳の子どもに無理強いはできないでしょうよ』
まぁ、狙ってやったことは否定しないが。コーラルを持っていかれると困るため、とりあえずやってみたがさすがは5歳児。事故の映像は別個でちゃんと提出したし、問題はないだろう。
「なーう」
「あ、ごめんごめん。もうちょっと声のトーン落とすよ」
『すいません。……アリシア様も、よく眠っておられますね』
リニスの注意に俺とコーラルで謝る。ちらりと横を見ると、俺が座るソファの隣でアリシアの肩が静かに上下していた。俺は妹を起こさないように気をつけながら、金色の髪を手で梳くようにかき撫でた。
アリシアは目まぐるしく変わる状況についていけなかったのだろう。管理局に着いてからは大人しかったし、ずっと俺の服にしがみ付いていた。たくさん泣いたし、緊張も不安もあったからか、今は俺の隣ですやすや眠っている。
「もうすぐ、母さんに会えるからな」
俺は囁くように告げる。大きな事件だし、重要参考人である母さん達と会うには、まだもう少し時間がかかるだろう。それでも、早く会いたい。会って、話をしたい。いつもみたいに楽しくご飯を食べたり、くだらないことで笑い合いたい。
そのためなら、俺は頑張れる。俺に出来ることを精一杯にやってみせる。
「コーラル。通信をお願い」
『……やるんですね』
「あぁ。母さんに会えたら、俺達も自由に動くことは出来なくなるだろうしな。なら、今しかない」
母さんと再会すれば、おそらく親子共々管理局の監視下に置かれるだろう。ヒュードラの開発主任である母さんを野放しにはしないだろうし。なら、特に監視も何もされていない今なら動ける。
俺達のつかんだ証拠。俺はぐっと拳を握りしめる。母さんを追放なんてさせてたまるか。俺達家族のこれからを、誰にも奪わせはしない。
コーラルを介し、連絡をとりつけた俺は転移を発動させる。留守をリニスに任せると、いってらっしゃい、というように猫パンチを背中に軽くもらった。それに俺は、小さく笑ってしまった。うん、頑張って来るよ。
俺の知っていた物語は終わってしまった。未来は不確定なものとなってしまった。だけど、焦りはしない。だって、これから始めていけばいい。俺達の新しい物語を、未来を紡いでいけばいいのだから。
俺達が母さんに会えたのは、事故から1日過ぎた病院の中だった。局員さんに連れて来てもらった病室で、家族は再会を果たした。俺達を見つけた母さんは、大粒の涙を流しながら抱きしめてくれた。
連絡をもらってからも、ずっと心配していたこと。俺達の無事な顔を見られたことへの嬉しさ。母さんの言葉1つ1つに感じる安堵と俺達への情愛。アリシアが母さんの名前を何度も呼びながら、涙をこぼす。俺も母さんの服を握りしめながら、涙が溢れていた。
1人の少女を救いたいと願った少年によって、1つの物語は終わりを迎えた。
そしてこれから始まるのは、それでも幸せな未来に向かって歩き続けることを選んだ、1人の少年による物語である。
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