巣立ちの若鶴
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発動! MO作戦
「南方方面ですか」
『そうだ。貴艦らがいるトラック泊地から南方、ニューギニア方面の攻略を陸軍と共同して行う』
「でも、長門さん、私たちもそろそろ内地に戻って整備しないと……」
瑞鶴の反論はもっともである。真珠湾の深海棲艦に対する前代未聞の艦上機による大規模奇襲作戦によって太平洋の深海棲艦を一時的に麻痺させた連合艦隊は、真珠湾の功労者でもある第一航空艦隊(赤城、加賀、飛龍、蒼龍、翔鶴、瑞鶴)を臨機応変に編成替えしながら、真珠湾とほぼ同時に反攻を開始したインドネシアからインドにかけての方面で、戦線を大きく押し上げた。
そして一段落したインド洋戦線から引き揚げた翔鶴と瑞鶴が台湾でいるとき、太平洋方面で息を吹き返した深海棲艦が、果敢にも本土への空襲を敢行した。これにより翔鶴と瑞鶴は本土に帰っての整備を先延ばしにし、太平洋での敵の捜索に駆り出されたのだ。
結局敵は発見できず、立ち寄ったトラックで、またしても新たな戦場へと行けと命じられたのである。翔鶴が疑問を呈すのも当然である。
『まあ、私としても本当はそうさせてやりたかったんだがな……』
通信機の向こう、内地の呉にいる連合艦隊旗艦、長門の声が曇る。
「ごめんなさい、二人とも。私が長門さんに無理を言ってこちらの戦線に参加させてもらったんです」
突然、通信機に向かった翔鶴と瑞鶴の後ろから、声がかかった。
純白の軍服に、赤いリボン。肩には軍人であれば高い地位を示すこととなる金のエポレット。足元だけは他の艦娘の例にもれず短いスカートで海上航行で邪魔にならないデザインだが、そこ以外は戦闘というよりも後方での勤務のためのような服装である。
練習巡洋艦鹿島。長門から南方での戦いを一任されている、第四艦隊の旗艦である。
「え、鹿島さんが私たちを?」
「ええ。そうよ。長門さんにニューギニア方面の攻略を任されちゃって。うちにいる空母は祥鳳さんだけだから」
『まあ、そういうことだ。本当は加賀や二航戦の飛龍、蒼龍を貸してくれと言われたんだが、な……』
『私が貴方たちを送るように進言したのよ』
突如、長門ではない声が通信機から流れた。彼女らにとっても聞きなれた声。
「げ、一航戦⁉」
「加賀さん⁉」
インド洋での作戦中に、座礁事故を起こし、いったん内地へと回航されていた第一航空艦隊のエースの片割れ、航空母艦加賀。今は内地で練度の低い航空隊の訓練中だと聞いている。
『げ、とはどういうことよ、五航戦』
「そのままの意味よ」
「わ、私じゃないですから……ず、瑞鶴、大人しくしてて……」
彼女の戦線離脱以降、久しぶりとなる先輩の声。
『……ま、いいでしょう。本当は私が行くはずだったのだけれど、整備が間に合いそうにない。そこで、私が貴方たちを指名したのよ』
「ど、どういう風の吹き回しよ、いつも『貴方たちにはまだ単独作戦を任せるわけにはいかないわね』とか『私たちのいない作戦など、あぶなかっしいわね』と言ってるくせに」
『決まっているでしょ。貴方たちの練度はまだまだなのよ。これから息を吹き返すであろう太平洋の深海棲艦主力との戦いの前にそっちで実戦経験を積んでおきなさい。以上』
「あ、ちょっと、それじゃ理由にならないのよ……」
言いたいことだけ言って、加賀の声は送信機の前から遠ざかったようで、引き留めた瑞鶴に対する反応もない。
バタン、と戸の閉まる音、続いて聞こえたのは長門のため息。
『全く、素直じゃない。……まあ、おおむねそういうことだ。頼まれてくれないか』
「わかりました。航空母艦翔鶴、これより連合艦隊旗艦の命により、第四艦隊の指揮下に入ります」
「同じく瑞鶴、第四艦隊の指揮下に入ります」
『うむ、頼んだぞ。それでは、通信を切るぞ』
その時、先ほどと同じような、戸の音が聞こえる。誰かが通信室に入ってきたようだ。
『まだ切れていないようね』
『なんだ、加賀。まだいうことがあるのか』
『ええ、ちょっと言い忘れたことが……五航戦、まだ聞いているかしら』
「は、はい。聞いています」
『理由はどうであれ、貴方たちだけで行う作戦としては過去最大規模よ。気を引き締めていきなさい。私の代わりにそこにいるのだから、不甲斐ない戦果はいらないわ』
「……はい」
『それから』
加賀の声が、突然一オクターブ下がった。
『先ほどの『げ』については、帰ってきたら聞かせてもらうわ。演習場の予約を入れておくから』
そういって、ブツン、という音と共に、目の前に鎮座する仰々しい通信機は、音を発しなくなった。
声が聞こえなくなったことを確認した翔鶴は、通信機の送信装置の電源を落とすと、青い顔でため息を漏らした。
「ん、翔鶴姉、どうしたの?」
「あなたのせいよ、瑞鶴」
※
「それでは、鹿島さん、しばらくの間、お世話になります」
「いえいえ、こちらこそ。最新鋭の空母が二人も来てくれるなんて、願ってもないです」
「安心して、私が来たからには百人力なんだから。こっちの戦線もぱぱっと片付けてあげるわ!」
「これ、瑞鶴」
「ふふふ、頼もしいですね。それでは、予定の戦力が整い次第、招集をかけますから。それまでは、太平洋有数の大型泊地であるトラックを楽しんでください」
※
「……と言われてからもう五日なんだけど。ほんとに出撃するの? ねえ、翔鶴姉」
ぐでーっと机の上に伸びた瑞鶴が、目の前に置かれた羊羹を一切れつまんで、口に放り込む。その味に一瞬顔をほころばせるが、すぐに元のぐでーっとした様子に戻ってしまう。はじめは、久しぶりの甘味に舌鼓を打っていたこの店も、こうも通い続けるとその効力を失ってくる。
「そんなこと私に聞かれてもねえ……でも、鹿島さんはずっと執務室にこもって作戦計画を練ってるみたいだし」
机に伸びた瑞鶴とは対照的に、向かい側で背筋を伸ばして座っている翔鶴が、これまた妹とは対照的に、上品な振る舞いで爪楊枝に刺さった羊羹を一切れ口に運んだ。
ここトラックは、太平洋戦線における艦隊の最前線の大型基地で、内地にも負けない町が用意されている。初めのうちは、二人とも楽しんでくださいね、と、言われた通り、インド洋方面での連戦の疲れを、癒すことに努めていた。しかし、休息が五日を過ぎたあたりから、何の動きもないことに、瑞鶴が文句を言って、翔鶴がそれをなだめる、というのが日課のようになっている。
ついでに、今日は、新しい日課が追加されていた。
「むぅ~。せっかく前線の基地だっていうから絶対に私がいっちばーん戦果を挙げられると思ってたのに~」
「仕方ないよ。大きな作戦には準備が必要なものさ。はい、白露姉さん」
差し出された羊羹に、机に伸びていた白露がぱくっと食いついた。幸せそうな顔で羊羹をほおばる姉をにこにこ眺める時雨。
白露型駆逐艦一番艦白露と同じく二番艦時雨。翔鶴型の二人がインド洋方面の作戦を終えたころに出された編成替えで、二人の護衛として配属された、第二十七駆逐隊の駆逐艦である。駆逐隊には後二隻、有明と夕暮がいるが、今日は来ていない。
「相変わらずしっかりしてるわね、白露型の妹は」
隣に座る「妹」の方を見ながら、瑞鶴は体を起こした。
「曲がりなりにも、僕は駆逐隊の旗艦だからね。姉さんはこんなんだし」
「むぅ~、こんなんとは何よ、時雨~。一番艦は白露なんだからね」
「そういうことはもう少し姉の威厳を見せてから言ってほしいね。ほら、隣の翔鶴さんを見習って」
「え、私?」
突然話を振られた翔鶴は、肩に力を入れ、まっすぐにのびた背筋をさらに硬直させる。
確かに、姿勢よく、上品に羊羹を口に運ぶ姿は同性から見ても時々ドキッとさせられる。威厳というか、気品のようなものが漂っているのは間違いない。
「え、でも私たち姉妹だって、旗艦は瑞鶴の方だし、先輩方にはまだまだだって言われるし」
「え、翔鶴さんって旗艦じゃないの?」
白露が心底驚いたように体を起こした。
「白露姉さん……戦闘がなかったとはいえ、もう結構な距離航行してると思うんだけど。それに気づいてないのはどうかと思うんだけど」
「五航戦の旗艦は瑞鶴よ。私は表立って指揮するよりも、瑞鶴みたいな大胆なことができる指揮の補佐の方が向いているから」
「なるほど、白露型と同じだねー」
自信満々に胸を張る白露の向かいで、時雨はこめかみを抑えた。
「うちは完全に逆だよ、姉さん。姉さんに指揮を任せたら直感と勢いで隊を振り回すからね」
「えー、でもそれで勝った演習もあったじゃん」
「あの時は圧勝だったけど、夕暮と有明は大破寸前だったし、僕も中破したでしょ。実戦でああいうことはできないよ」
白露を諭すように語る時雨と、それに頬を膨らませて文句をたれる白露。これではどちらが姉か分かったものではない。
「……白露型も大変ね」
「全くさ。でも」
「でも?」
「死と隣り合わせの戦場で、背中を預けて戦えるのって、やっぱり、姉妹艦だと思うんだ。有明や夕暮にはちょっと悪いけど、僕は旗艦としても一人の艦娘としても、一番信頼しているのは、白露姉さんだと思うん……うわっ」
「時雨~」
机を飛び越えるようにして、白露が時雨にダイブする。
「ちょっと、姉さん、ほら、お店に迷惑だから」
「時雨~、私も、あなたがいっちばーん、だよー」
「……全く、ゲンキンだね、姉さんは」
時雨がため息をついたとき、突如、店内に設置された、島内の連絡周知などに使われる有線の通信機から、聞きなれた軍歌が流れた。しかし、この軍歌はただのラジオ番組ではない。
「……召集のようね」
「そうね、行きましょうか、皆さん」
「「はい」」
※
島内を駆け巡った軍歌は、トラック泊地に停泊している艦娘や軍人が簡易的な暗号として使っているもので、島内に店を構える一般の人々の不安をあおらないことが目的である。
そして、甘味処で流れた曲は、「緊急ではないが、至急司令部へ戻れ」の意味。作戦を控えたこの段階で流れたということは、参加艦艇がそろったために、作戦会議が行われる、ということだろう。
司令部の中でも一際大きな部屋。その仰々しい戸を、緊張した面持ちの瑞鶴が、コンコン、と叩く。私的な場面では翔鶴が前面に立つことが多いが、こうした公的な場では「第五航空戦隊旗艦」の瑞鶴が、こうした役を行わなければならない。
「だ、第五航空戦隊旗艦、瑞鶴、入ります」
「同じく翔鶴、入ります」
こうした会議には、大型艦である空母や戦艦はすべて参加する。重巡洋艦も参加することが多い。そして、それ以下のサイズの艦種は、「隊」の旗艦が代表して参加することが多い。そうでもしないと、一隊につき三から四隻も所属している駆逐隊や水雷戦隊が全員来ては会議室が埋まってしまう。
つまり、今瑞鶴たちと一緒に会議室に入るのは時雨だけということになる。
「第二十七駆逐隊旗艦、時雨、入ります」
三人の声に、少し間をおいて、戸の向こうからも返答が返ってきた。
「はーい、どうぞ、入ってください」
第四艦隊、通称南洋艦隊の独立旗艦、鹿島の声。
「失礼します」
三人を代表して瑞鶴が戸を押すと、細長い部屋に置かれた長大な机の両側に、すでに多くの艦娘たちが着席していた。そして、鹿島は、その一番奥、長机の短辺になるところに、一際装飾の凝った椅子に座ってた。
「どうぞ、三人とも腰かけてください」
そういわれて、三人は各々、自分の席を目指す。特に決められているわけではないが、慣例的に大型艦は上座、小型艦は下座という形になる。時雨はすでに駆逐艦が何人か座っている入り口の近く、瑞鶴と翔鶴は、鹿島に最も近いところに用意されている空席である。
もうすでにほとんどの席が埋まっており、空いている席はほとんどない。
そんな中を歩いて、二人は一番奥、上座に用意された席に座った。
「……なんか、ずっと座ってみたとは思ってたけど、いざ座ってみると何とも言えない緊張感があるわね、この席」
「これまでは赤城さんや戦艦の方が座ってたものね。私たちの席は、よくて、三つ下だったわね」
しかし、今、この場に頼れる歴戦の先輩はいない。今この地においては、五航戦こそが、まごうことなき「主力」である。この場に二人以外の大型艦はいない。
その時、扉の外から、パタパタとあわただしい音が聞こえた。音は会議室に近づいて、扉の前でぴたっと止まると、一拍開けて、コンコンと扉がノックされた。
「第六戦隊、せ……軽空母祥鳳入ります」
「はーい、どうぞ。待ってたわ。入って頂戴」
鹿島の答えに、会議室の扉が開いた。
真っ黒の髪を毛先で二つにまとめた、和装の艦娘。空母の象徴ともいえる飛行甲板に当たる艤装は、今は取り外しているようだが、服の合わせ目から見えるサラシで抑えた胸が、彼女の武器が空母以外は持つことのない弓であることを物語っている。
軽空母祥鳳。いわゆる改装空母で、建造中の正規空母が完成するまでのつなぎとして作られた、簡易的な空母である。しかしそれでも、航空戦力の足りないこの作戦においては、重要な戦力である。祥鳳は居並ぶ艦娘たちの後ろを抜けて、瑞鶴の正面の空席に座った。軽空母とはいえ、彼女も一線級の戦力として投入されるということだ。
「お久しぶりですね、翔鶴さん、瑞鶴さん。こっちの姿では初めてかしら」
にこり、と笑いかけられて、二人は軽く頭を下げた。
「あ、お久しぶりです、剣崎……じゃなくって、ええっと、今のお名前はなんでしたっけ」
「はい、潜水母艦剣崎改め、航空母艦祥鳳です」
二人の向かい側に座る、長い黒髪を毛先で二つに束ねた和装の女性。艦娘としては二人よりも先輩にあたるが、空母になったのはごく最近。第一航空艦隊が真珠湾への奇襲攻撃を敢行し、深海棲艦への反攻作戦が開始した直後である。
「内地に兵装転換のために戻っていると聞いてたけど、戻ってきたのね」
「はい。昨晩に。つい先ほど上陸と装備の点検が終わったので司令部の方に」
ということは、この作戦会議自体がこの軽空母の到着を待って行われているということなのだろう。参加艦艇はこれで全部。この場にいるのはほとんどが重巡洋艦や駆逐艦で大型の艦艇は見当たらない。空母に至っても翔鶴、瑞鶴、そして軽空母の祥鳳だけである。これまでは少なくとも正規空母四隻以上で大型の作戦に当たってきた五航戦の二人にとっては不安を覚えざるを得ない戦力だ。
「さて、祥鳳さんも来たことだし、会議を始めましょうか」
そういうと、長い机に海図を広げた。もちろんトラック泊地のものなどではない。これから艦隊が展開する先、ニューギニア島やソロモン海の海図である。ニューギニア島の北半分はすでにこちら側のものになっている。
「今回の攻略目標は、ここ、ポートモレスビーです。以後、この地点の呼称をMOとし、作戦名もこれに準ずるものとします」
鹿島の指した地点は南側の沿岸部。深海棲艦が陸上に及ぶまで根拠地化している港。
「ここの港、MOへの海兵隊妖精さんと陸軍の皆さんを乗せた輸送船を送り届けること、これが第一の任務です」
現状、オーストラリア大陸の沿岸部は深海棲艦に取られている状態である。ここへと侵攻するためにもニューギニア島を完全に制圧することは絶対条件ともいえるのだが、ニューギニア島の中央には標高の高い山々がそびえており、陸路からの北側攻略は難しい。そこで陸軍との共同作戦として打ち出されたのが、海路からの攻略である。
「ただし、この輸送部隊は低速にならざるを得ない。敵の攻撃を受ければひとたまりもありません。そこで、別動隊を編成します」
「そのための私たちよね」
瑞鶴が待ってました、と拳を握る。
「その通りです。瑞鶴さん、翔鶴さんからなる第五航空戦隊を軸とした空母機動部隊を別動隊として編成し、別動隊として敵の撃滅に当たってもらいます」
鹿島が指したのはニューギニア島のはるか東、ソロモン海を迂回する航路。最終的には島嶼部の南あたりに抜けてそこの制海権と制空権を確保するという航路だ。これに基地航空隊を加えて作戦の遂行を図る。
「それで、鹿島さん。編成はどうされるんですか」
空母三人の一つ下座、重巡洋艦の席から声が上がった。今回は重巡洋艦は六人の参加が決定しており、駆逐艦の次に数が多い。おそらくは戦隊ごとの配備にはなるが、その配分はやはり気になるところなのだろう。
「大丈夫です、妙高さん。今から発表します」
そういうと、鹿島はクリップボードを取り上げた。そこに編成が記されているのだろう。普段の優し気な声音が引き締まり、上官としての威厳が満ちる。
鹿島は一つ咳ばらいをすると、間違いがないように読み上げていく。
「まず、MO攻略部隊。輸送船は別途手配し、すでに前線のラバウルにて終結しています。これに加え、第四艦隊からは夕張を旗艦とする第六水雷戦隊、追風、朝凪、睦月、弥生、望月、卯月」
「了解です」
「支援部隊として軽巡、天龍、龍田」
「よっしゃ、任せろ!」
「そして主力部隊として、第六戦隊の重巡青葉、加古、衣笠、古鷹、さらにここに先ほど内地から戻った軽空母祥鳳とその護衛、駆逐艦漣を追加します」
「「はい!」」
紙が一枚めくられる。
「これとは別に編成するMO機動部隊。主力艦隊として第五戦隊の重巡、妙高、羽黒」
「了解しました」
「が、頑張ります」
「さらに第七駆逐隊、駆逐艦曙、潮」
「は、はい」
「次、航空部隊。第五航空戦隊、航空母艦、瑞鶴、翔鶴」
「はい」
「了解!」
「その護衛として第二十七駆逐隊、時雨、白露、夕暮、有明」
「了解。頑張るよ」
ふう、と鹿島は一息。長門が指揮する第一艦隊よりは少ないとはいえ、第四艦隊にとってかつてない大規模作戦。これだけの艦艇を読み上げるのも初めてなのだろう。
「以上です。これをひとまず暫定の編成とします。何か意見がある方は」
鹿島がボードから顔を上げて、一同を見渡す。長くこの海域で戦っている艦娘たちからの意見はない。水上戦においては彼女らの方がこの付近の海をよく知っている。そこに任せるのが妥当なのだろう。ならば残る課題は一つ。
「はい、私から一ついい?」
手を上げたのはもっとも上席であるところに座る空母。新参の五航戦、瑞鶴だった。水上戦はこちらの海域を知っているものの方がよく分かっている。しかし、彼女の領分、空中戦においてはまた別の話である。
「どうぞ」
「私たち五航戦と祥鳳、どっちかの部隊に固められない? そっちの方が防空戦闘機の指揮とか、攻撃隊の集中とか、いろいろ都合がいいんだけど」
空母の艦載機はその空母ごとに割り当てが決められている。つまり今の祥鳳にも一定数の爆撃機は積まれている。むしろそちらの方が多いくらいだ。それを有効に攻撃に生かすには、空母三隻を一か所に固め、そこから攻撃機を出すのが確実である。そもそも瑞鶴がこれまで味わってきた勝利は、赤城が唱えたこのやり方に基づいたものなのだ。
「空母の集中運用ですか。確かに第一航空艦隊の戦果はそれによるものだと聞いていますが……」
鹿島が頭を抱えた。航空戦に関してはまだまだデータの足りない部分が多い。鹿島でなくとも、頭を抱える指揮艦は多いだろう。
「そうよ。そっちの方が防御も攻撃も安定するわ」
「でも、それだと、どちらかの隊の空母がいなくなります。そちらが敵の航空攻撃を受けた時の対処ができません」
「機動部隊の方だって、攻略部隊からそんなに離れるわけじゃない。祥鳳をこちらに入れてくれれば基地航空隊と連携してエアカバーは可能よ。どっちにしても輸送部隊についている空母なんて、敵艦隊の攻撃には使えないんだし、攻撃機が無駄よ」
「ま、待ってよ、瑞鶴」
声を上げたのは鹿島ではなく、机の中盤あたりに座る軽巡だった。
「何よ。何か問題でもあるの?」
「ないわけないでしょ。それだと攻略部隊の直掩の空母はいなくなるのよ。こっちに敵の飛行機が来たらどうするのよ。最悪、輸送部隊ごと壊滅するわ」
第六水雷戦隊旗艦、軽巡夕張。彼女の率いる第六水雷戦隊は本人含めて旧式艦ばかりだが第四艦隊の主力の小型艦隊である。今回のMO攻略部隊の中核を担う部隊の一つでもある。
「だから、無防備にするなんて言ってないわよ。基地航空隊だっているし、そもそもそっちに攻撃させないための私たち機動部隊なんだし」
「それでも、直掩の空母がいるのといないのとでは即応性が違うわ。護衛の戦闘機だって常に上空にいられるわけじゃないんだから、近くに母艦があった方が」
「どっちにしても祥鳳さんの戦闘機は艦隊を守れるほどの数はない。それなら私たちと一緒に行動して敵を確実に排除した方がむしろ安全だわ」
「わかった。仮に敵の空母はそれで排除できるとするわ。それでもオーストラリア大陸や、まだ敵のものになっている島の基地からの陸上機の爆撃はどうするのよ。大型機なら届いてもおかしくない」
「これだけの距離を飛べるのは間違いなく水平爆撃しかできない鈍重な大型爆撃機よ。地上爆撃ならともかく、海上の移動目標相手じゃ大した命中率が出ないわ」
航空戦に関しての見識は、いくらベテランの艦娘と言えどもその道のエキスパートである航空母艦には敵わない。なんせ砲撃や雷撃をすべて捨ててそこに特化している艦種なのだから仕方がない。
「そういうことだから、鹿島さん。祥鳳さんをこちらの艦隊に回してもらえるかしら」
当然鹿島も、航空戦に関する知識は薄い。それどころか、今回は深海棲艦側も空母を投入してくることがほぼ確実となっている。仮に出てくれば、これまでどの船も体験したことのない、空母対空母の超遠距離戦が展開される可能性もある。そうなった時の予測など、誰にもつかない。
「ええっと……そう、祥鳳さんはどうですか」
「へ、え。私ですか……ええと」
急に話を振られ、対岸の瑞鶴はじめ、会議室全体から受ける視線に戸惑う祥鳳。着物の襟元をキュッと握りしめる。
「え、ええっと、私としては……やっぱり、輸送艦艦隊についていたいです」
瑞鶴の眉がぴくっと締まる。本人は無意識だが、よく見ていたせいかこうしてポーカーフェイスに徹しているときの仕草は、加賀とよく似ている。
「戦闘機は少ないですが、索敵範囲は相当広くできますし、MIへの偵察や爆撃もできます。瑞鶴さんの言うように、敵艦隊への攻撃に向けた艦載機の運用は難しいかもしれませんが、『輸送部隊付』に徹すれば仕事は十分にこなせます」
「なるほど、つまりMI攻略の補助に徹すれば、瑞鶴さんの言う無駄は消えるということですね」
瑞鶴は黙ったままだ。というのも空母からの地上基地攻撃の有効性を存分に証明しているのは、瑞鶴がつい最近まで所属していた第一航空艦隊である。真珠湾はじめスリランカ空襲やラバウル攻略戦の際に陸用爆弾を用いた空襲は一定の戦果を挙げているのだ。
「敵艦隊の撃滅を優先するなら機動部隊に、MI攻略を優先するなら攻略部隊に、という感じね」
「……で、どうするんですか」
「ぜひ、輸送部隊の方に回してくださいよ」
瑞鶴、夕張が鹿島に迫る。
「そうですね」
考え込んだ鹿島が出した答えは
「……作戦の第一目標はMO攻略です。こちらを優先するために、祥鳳さんは攻略部隊の方に入ってもらいます。作戦開始まではわずかですが、陸用爆弾の積み込みを手配します。それと、祥鳳さんの方でも戦闘機優先で整備を行って下さい」
「わかりました」
「瑞鶴さん、これでいいですか?」
瑞鶴は何とも言えない表情をしている。自身の意見が通らなかったこともあるだろうが、祥鳳の意見にも一理はあった。
「……もちろんよ。指揮官の決定には従うわ」
「よろしい。それでは今日のところはこれでお開きとしましょう。詳しい行動命令は追って連絡します。作戦決行まで時間がありません。皆さん、出航の準備を怠りなく」
※
「はあぁぁぁ……」
「瑞鶴、元気出して。そんな加賀さんみたいにはうまくいかないわ」
「だって……いつもは赤城さんが立案して、加賀さんがそれに意見してまとまっていくから出る幕がなかったじゃない」
「なるほどね、それで今回張り切ってたというわけね」
皆がめいめいに会議室を出て行く中、会議室を出た瑞鶴と翔鶴に声をかける艦娘がいた。
「あら、妙高さん。お久しぶりです」
「久しぶりね……と言ってもあまり話したことはなかったわね」
他には見ない、藤色に白の襟の制服。首元には赤い飾り紐。足元は艦娘の例に漏れず膝上を大きくとった、海上航行を重視したデザインのタイトスカートだが、そこから覗く白タイツの足は、大人の女性といった感じだ。実際に容姿は瑞鶴たちよりもいくらか年上のように見える。
「あの、よろしくお願いします」
そして、堂々とした頼るれる姉の後ろに、身を縮めて隠れているもう一人。妙高型の四番艦、羽黒。妙高を含め、社交的で明るい姉三人とは正反対におどおどとした性格だが、いざ戦闘となれば実力は姉三人にも劣らない。
「それで? 何か用なの?」
「特に用、ってわけじゃないんだけどね。同じ機動部隊になったわけだし、ご挨拶でも、と思って」
会議での醜態を見られた挙句、その裏事情について聞かれたことで、照れ隠しにつっけんどんな態度をとる瑞鶴とは対照的に、大人の余裕を見せる妙高。精神的な年齢もそうだが、艦暦も瑞鶴よりも圧倒的に長い。
「まあ、それはまた御丁寧に。本来であれば私たちが伺うところなんですが」
瑞鶴に代わって翔鶴が妙高の前に立つ。瑞鶴たちは第五航空戦隊、妙高ら二人は第五戦隊。このくくりを持ったままでこうして機動部隊を組むわけだが、同じ「戦隊」の旗艦が二隻いる場合、機動「部隊」の指揮権は先任の旗艦にあるのが基本である。つまりもともと第四艦隊にいる第五戦隊に指揮権があるわけで、本来挨拶をしなければならないのは五航戦の方なのだ。
「いいのよ、そんなにかしこまらなくても。それに、私たちも挨拶のためだけに来たんじゃないのよ。さっきの会議を聞いてて、言っておきたいことがあるのよ」
「え、それはどういう意味でしょうか……」
まさか、先ほどの会議での瑞鶴の態度について問いただされるのではないか。そう感じた翔鶴がわずかに警戒を強めた。
「瑞鶴さん」
「……なによ」
瑞鶴はというと警戒心全開である。しかし、妙高の口から出てきたのは、意外な言葉だった。
「MO機動部隊の、航空戦の指揮、貴方に一任したいんだけど、いいかしら」
「……えっ」
「さっきの会議での意見具申、見事だったわ。本当は全部の指揮を私が取るつもりだったんだけど、やっぱり餅は餅屋っていうか、貴方に任せた方がうまくいきそう」
瑞鶴の警戒心が息をひそめたように消える。その隙間に、安堵と誇らしさと嬉しさが潜り込んでくるが、それが顔に出るのを、寸でのところで堪えた。
「そ、そうなの? 信用してもらえるっていうんなら、別に何の問題もないわ……任せといて」
「本当? 受けてくれるのね。それじゃあ、明日以降は、航空隊は一任するわ」
そういって妙高は、瑞鶴の手を握った。突然のことにまだいろいろとついてきていない瑞鶴だが、かろうじてその手を握り返した。
「任せて。五航戦の力、見せたげるわ」
「ふふ、頼もしいわ。それじゃ、私たちはこれで。明日の集合、遅れちゃだめよ」
そういうと、妙高は瑞鶴らに背を向けた。その後ろにいた羽黒も、心なしか、初めよりも晴れやかな顔で、ぺこりと頭を下げた。そして踵を返すと、先に行った姉の後を追いかけていった。
「……よかったわね、瑞鶴」
「……何がよ、翔鶴姉」
「またそんなこと言って。うれしいんでしょ」
「……まあね」
意見具申は通らなかったし、会議の中で、何の役にも立ってはいない。しかしそれでも、第五航空戦隊は間違いなく、一歩前に進んだようだ。
※
「第五航空戦隊、旗艦瑞鶴、出撃します」
「同じく翔鶴、出ます」
翌日、五月一日。MO機動部隊は、トラック泊地を出航した。編成は予定通り、重巡を中心とした主力部隊と航空母艦とそれを護衛する駆逐隊からなる航空部隊、そして瑞鶴と翔鶴の背中の矢筒に、矢の形で収容された、二隻合計で百を超える艦載機である。
トラックの港を出て、外海に出ると、先に出港して待機していた二十七駆が、並走する二隻の周りを囲むように集まってくる。
「瑞鶴さん、よろしくね」
瑞鶴たちの前を走るのは、二十七駆旗艦の時雨。左右には初春型の夕暮、有明。そして後方には元気印の白露である。
「こちらこそ。頼りにしてるわよ」
瑞鶴は姿勢を正して右手を額に挙げる。脇を軽く締めて手のひらを内側に向ける海軍式の敬礼である。隣の翔鶴もそれに倣う。
「ふふ、それは頑張らないとね」
時雨の声を合図に、四人の駆逐艦が一斉に敬礼の形をとった。凛とした瑞鶴たちの敬礼に比べればずいぶんと可愛らしい光景であるが、彼女らも開戦以来船団護衛を受け持ってきた精鋭で、こと対潜戦闘においては一定の経験値がある。
「さて、私たちの第一目標地点はと……」
懐から海図を取り出す瑞鶴。急に呼ばれてきたと思ったら、即作戦に投入されたということもあり、トラックより南方の海域についてはまだ十分には把握できていない。
「ここか。南方の一大前線基地、ラバウル」
「まずは鹿島さんに頼まれたお遣いね」
出航の直前、五航戦には鹿島から、作戦とは別の任務が与えられていた。そのためにMO機動部隊は南方に向かう途中、五航戦を切り離してラバウルへと向かわせることになっている。
「よし、行くわよ。艦隊、輪形陣。対潜警戒に重きを置いて、進路を南方に取れ」
「了解!」
トラックがずいぶんと後方に流れてしまっている。六隻はその陣形を保ったままで南へと舵を切った。
「こちら第五航空戦隊、旗艦瑞鶴。戦隊旗艦、聞こえますか」
『こちらMO機動部隊旗艦妙高。感度良好です』
「進路は南に取りました。前方にそちらの部隊も目視できています」
『了解。そのまま南進します』
「了解しました」
機動部隊の片割れ、妙高らの主力部隊は、瑞鶴らとは少し離れた前方に位置しており、同じような速度で南進している。ここまでは順調である。
「ふう、これで当面は大丈夫ね」
「お疲れ様、瑞鶴」
機動部隊とは別に、攻略部隊の方も、中継地点のラバウルへ向けて進路を切っているはずである。またこの作戦に先行して行われたツラギ島の攻略も、水雷戦隊のみで成功している。これで前線に陸上機や飛行艇による警戒網が形成される。
作戦の事前段階は滞りなく進んだ。
後はすべて、南方に展開する艦娘たちにゆだねられたのである。
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