戦国異伝供書
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第五十一話 関東管領就任その十
「その時はです」
「その者は」
「斬ります」
返事は一言だった。
「そうします」
「左様ですね」
「ですから」
それでとだ、政虎はさらに言った。
「この度のことはいいですね」
「はい、それでは」
「全ては公のものですから」
民や街、田畑はというのだ。
「手出しせぬ様に」
「その様に」
「して殿」
今度は兼続が政虎に言ってきた。
「我等は今十万の兵が無事に食えております」
「兵糧には困っていないですね」
「買ってもいますし」
銭も使っているというのだ。
「ですから」
「そして越後から糧食を運ぶ道は」
「しかと守っていて北条方もです」
「手出ししてきていませんね」
「まるで最初から手出しをしても意味がないと」
「そうです、道は万全に守っています」
政虎は道の要所要所を固めている、そして兵糧を運ぶにも守りを万全にして敵に備えているのだ。
「それをですね」
「北条殿もわかっているので」
それでというのだ。
「どうやら」
「最初からですか」94
「手出しをせず」
「小田原までですね」
「招く様な」
「そしてあの城が、ですか」
「どれだけ堅固か見せたい様な」
こう政虎に話した。
「その様にです」
「思いますか」
「拙者は」
「小田原城は街ごと堀と石垣、壁で囲んだ巨大な城です」
「それだけに誰も攻め落とせぬ」
「そう言われていますが」
「そのことをです」
北条家はというのだ。
「見せたいのでは」
「そうかも知れないですね、ですが」
「そこをですか」
「破ってみせなければ」
これが政虎の返事だった。
「なりません」
「では」
「はい、鎌倉に入り」
そこからと言うのだった。
「すぐに小田原に向かいましょう」
「その様に」
兼続も応えた。
「我等も」
「それでは」
政虎は十万の兵を率い相模の中も進んでいった、相模は伊豆と並ぶ北条家の絶対の領国だったがこの国に入られてもだった。
小田原城をはじめとした城に籠るばかりで迎え撃とうとはしない、それで鎌倉にもだった。
楽に入ることが出来た、このことに政景は驚きを隠せなかった。
「いや、まさかな」
「ここまで楽にですな」
「うむ、鎌倉に入られるとな」
鎌倉の鶴岡八幡宮に向かいつつ宇佐美に述べた。
「思いもしなかった」
「それがしもです」
「宇佐美殿もか」
「はい、流石に相模に入れば」
「北条家も迎え撃つとだな」
「考えておりましたし。ましてや」
宇佐美は鎌倉の街を馬で進みつつ述べた、先頭には政虎がいてその後に関東の名門の主達そして上杉家の家臣達となっている。政虎の横には憲政がいる。
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