緋弾のアリア ──落花流水の二重奏《ビキニウム》──
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神崎・H・アリア
「んー……何処だろ」
さて、キンジと少女とは何処まで吹き飛ばされていったのだろうか──と周囲を見渡す。残骸だけが朦々と黒煙を立たせていて、肝心の搭乗者が見当たらないというのが面倒臭い。
開けている場所だから、何らかのヒントはありそうに思えるけれどもね──と思ったその矢先に、体育倉庫付近の木に少女が使ったと思しきパラシュートが引っ掛かっているのを視認した。
その軌道から類推するに、どうやらグラウンド内部で引き起こされた爆風の勢いを受けて、あの木のあたりを揉まれながら体育倉庫内へと吹っ飛ばされていったらしい。
《境界》でそのあたりまで移動し、倉庫内の様子をそっと窺う。見たところ、かなり物が散乱しているようだ。雑な物の置かれ方とはまた違った風に思える。やはり、2人は爆風に飛ばされた後、最終的にはここに行き着いたのだろう。
「あらららら……」
その途中に、何やらひしゃげたトタンとバラバラになったセグウェイを確認した。トタンは爆風の影響としても、このセグウェイは……キンジか少女のどちらかが対処したのかな。
空薬莢が散乱しているのも横目にして、仄暗い倉庫内へと歩を進めていく。天窓から陽が差し込んだ倉庫内には、小さな人影が見えた。どうやら1人だけらしい。キンジの姿はもう既になく、取り残されたように例の少女がいるらしいだけだった。
弾痕だらけの体育倉庫の床を、静かに進んでいく。その足音で自分の存在に初めて気が付いたらしい少女は、勝気な印象の持つ赤紫色の瞳で、眼光炯炯と睨み付けてきた。
「アンタ、あの強猥男の知り合い?」
「……初対面でそれは無いでしょう、君。確かに遠山キンジの親友だけれども。彼に何かされたの?」
「強制猥褻された。あとで起訴してやるわよ」
その少女──名札を見る限り、神崎・H・アリアというらしい──は、何やら不機嫌そうに呟きながら、手にしていたガバメントの弾倉を再装填している。
それにしても、キンジに強制猥褻をされたと糾弾されるこの少女は、いったい何者なのだろうか。同年代にしては少し幼い風貌に見える。中学生か、インターンの小学生か……。後者の方が圧倒的にその確率が高そうだし、聞いてみようかしら……。
少女アリアと目線の合う位置まで頭を下げてから、問い掛ける。
「ところで君──アリア、ちゃん……って言うのかな。見ない顔だけれど、何処の出なの? もしかしてインターンの小学生?」
「……は?」
つい先刻から依然として険しい顔付きをしていたアリアの面持ちが、より一層、その度合いを増した。見間違いではない。即座に自分の発言を思い返してみる。アリアの逆鱗に触れたのだとしたら──これはもう、インターン発言しかないだろう。きっと、見た目より幼く見られたのが気に触ったのだ。そういう年頃の少女だと考えれば、何らおかしいことでもない。
「……あぁ、ごめんね。インターンで入ってきた小学生と誤解してた。なぁんだ、中等部の子なら、そう言ってくれれば──」
──良かったのに。そう告げる暇さえ与えてくれはしなかった。
アリアは再装填を済ませていた2丁拳銃のコルト・ガバメントを徐に構えると、一分の逡巡すら見せずにこちらの足元へ発砲する。
思わず身じろいだ。勝気な印象があるとはいえ、45口径の轟音を間近で聞かされてしまえば、それも仕方がない作用かもしれない。半歩だけ退いてしまった右足を、戻そうとしていた。
「アタシは……高2だっ!」
その叫喚が体育倉庫一帯に反響するのに、それほど時間は掛からなかった。とはいえ俄に信じ難いその言葉を理解するのには、数秒を要した。さて、どうしたものか──と諭すように告げる。
「……君。いくら大人っぽく見られたいからといっても、発砲で威嚇はないでしょう。不必要な発砲は控えておくれ」
「Wanna get killed?」
「……流暢な英語だね。本当に申し訳なかった。ごめんね」
その風貌といい、この英語といい、アリアは恐らく純日本人ではないだろう。ハーフかクォーターか、そんな気がする。
ここで銃を抜き返すのが武偵校ではあるけれども、何より無駄な騒動は起こしたくはないね。ただでさえ、さっきのチャリジャックで教務科には連絡がいっているはずなんだ。これ以上は人間関係の面で面倒事を増やしたくない。
「だから、ね? その物騒な銃を仕舞っておくれ」
「……やだ。絶対に許さないから」
俺のことを許す気は毛頭無いらしいアリアは、手にしていた白銀と漆黒のガバメントの照準を──迷いなく、頭部に向けた。そうしてトリガーガードに掛けていた指を、引き金へとずらしていく。どうやらこの子は、本気で撃つつもりらしい。
「……自分の感情に身を流すというのは、あまり勧めないよ」
その言葉がアリアに聞こえていたかは定かではない。ただ、可愛らしく口の端を歪ませてから──引き金を引く刹那に、銃弾が頭部側面を通過するよう、その軌道を僅かに逸らしたのは見えた。
──倉庫内に、重厚な銃撃音が響く。
それでもなお、自分は防御の構えをとらなかった。……いや、とる必要がなかった、という方が正しいか。アリアの狙いは、銃弾の回避運動をする隙を目掛けて追撃することだろう。だから敢えて、その刹那に銃弾の軌道を逸らしたのだ。撃たれるだろうから避けねばならないという心理を逆手にとるために──。
突然の銃撃に自分が動じなかった場合の追撃も、アリアは準備していたのだろう。好都合とでも言うように、銃をレッグホルスターに収め、代わりに背中から小太刀の日本刀を抜いた。
逆手に握られ、振りかぶられた刀の刀身は、数秒もすれば防刃制服に達するだろう。流石にこれは防がざるを得ない。隠匿していた鞘から抜かれた《緋想》と日本刀とが、鍔迫り合いになった。しかしアリアは持久戦を嫌ったのか──即座にバックステップをして勢いを付けてから、大きく1歩踏み出して、刀身を突き出すようにしつつ──今度は腹部を狙ってきた。
「──やぁっ!!」
制服の繊維を削がれようと、貫通されなければどうということはない。右足を引いて直撃を防ぐと、突き出されたアリアの手を踏み場に脚力を溜めてから、月面宙返りを放つ。
振りかぶった足先に感触が無いということは、上体を反らして避けられたのだろう。少しの距離を置いて着地したところに、彼女もちょうど後方宙返りで間合いをはかっていた。
髪と制服とが隙間風を孕んで大きく靡いている。その華奢な足を床に付け──ようとして、アリアは大きく体勢を崩した。
「──うみゃっ!?」
何事かと思い、足元の床に視線を遣る。薄暗くてよく分かりにくかったものの、天窓の陽光がその存在を告げていた。入口付近で散乱していた空薬莢だ。それがこのあたりにも飛び散ってきていたのだろう。……気が付かなかった。下手をしたら、自分がその罠を喰っていたかもしれない。
しかしこれは、早々にこの場を抜ける絶好の機会だ。これ以上に面倒事を起こさないためにも、その根幹は教務科に目を付けられないためにも──まさか始業式からこんなことになるとは予想していなかったものだから、少々驚いたね。
「へぇ、空薬莢があったんだね。見えてなかった。ご愁傷様。……それじゃあね、アリア。今度はいつ会うか分からないけど」
「ちょっ、待ちなさいっ──わぉきゃっ!?」
何度も立ち上がろうと難儀しているのに、アリアの足元を掬うのはいつもこの空薬莢だった。それほどまでに冷静さを欠いているのだろう。漫画みたいな光景だね、とふと思った。
アリアに向けて手を振ると、すぐに踵を返して倉庫を後にする。背後に降る少女の声と正面に降る春陽とに挟まれながら、武偵校の校舎へ向かって歩を進めていった。
──空には春霞が掛かっていた。
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