八条学園騒動記
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第五百十一話 図書館で学ぶことその六
「どうしてもな」
「それはあるわね」
「しかしその哲学者の造語ばかり出てな」
「小難しい言葉の羅列だと」
「わからないな」
「というかそうした哲学書多いわよね」
「そうだな」
「そんな本は本当に読まなくて」
「小説とか漫画か」
「そもそも今最大の思想家とか言っても」
かの吉本隆明も戦後最大の思想家と言われていた、オウム真理教の教祖なぞを偉大だと言っていた様な程度でだ。
「大したこと言ってるか」
「そんな思想家の文章を読んでもか」
「何書いてるのかってね」
「わからないな」
「そんな話ばかり読んでもね」
それでもというのだ。
「意味ないし」
「理解しようとしてもだな」
「もっと意味ないわよ」
「それより小説読んでわかりやすくか」
「そうしていけないいし時間の無駄にもならないわ」
「本当に哲学は嫌いか」
「嫌いというか合わないわね」
ナンシ―自身にというのだ。
「どうもね」
「そうなるか」
「私にとってはね」
「じゃあ俺もな」
「小説読んでよね」
「俺も哲学書はな」
洪童も言うのだった。
「読んだことがない」
「やっはりね」
「そう見えるな」
「実際にね、むしろね」
「俺が哲学書を読むとだな」
「意外に思うわ」
そうだというのだ。
「私としてはね」
「小説は好きだ」
こちらのジャンルの本はというのだ。
「だから古典もな」
「そっち系統読んでるのね」
「それと万がもだ」
「戯曲は小説に入らなくても」
「小説みたいなものとしてな」
こう認識してもというのだ。
「あと随筆やエッセイもな」
「小説みたいなものと思って」
「読んでいる」
「そうよね、けれどよね」
「ああ、俺も哲学書は読まなくてな」
「じゃあ私と一緒ね」
「結局哲学書を読まなくてもな」
例えそうしてもというのだ。
「生きていけるしな」
「それで読むのなら」
「小説だな、シェークスピアもな」
「読んでいってるのね」
「ナンシーの言う通り哲学書はな」
実際にというのだ。
「難しいな」
「簡単なものじゃないわよね」
「というかな」
洪童も首を傾げさせつつナンシーに話した。
「簡単な理屈でもな」
「難しく書いてる本が多いとか?」
「そう思う」
実際にというのだ。
「白は白と言うことすらな」
「あえて言葉遊びをして」
「それでな」
「難しく言っているのね」
「そうした本が多くないか、ナンシーの言う通り読んでわからないならな」
それぞれの分野で必要な知識を備えたうえで読む様な本でないのならというのだ、小林秀雄の本も読むにはまずそれなりの教養が必要とされる。
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