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八条学園騒動記

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第五百十一話 図書館で学ぶことその二

「それで知っている、ただ読んでいない作品もある」
「あの人の作品多いしね」
「だから読んでいない作品もある」
 そうだというのだ。
「コリオレイナスとかはな」
「ああ、あの作品ね」
 タイトルを聞いてだ、ナンシーも頷いてから洪童に応えた。
「私も読んでいないわ」
「そうなんだな」
「何か渋い作品みたいね」
「シェークスピアの作品の中でもな」
「そうみたいね、深い意味があるっていう」
「そうらしいがな、俺はまだ読んでいない」
 洪童はナンシーに話した。
「面白いのか、あとな」
「あと?」
「実は俺が読んだ古典はな」
 それはと言うのだった。
「好色一代男とシェークスピアの他は」
「どうなの?」
「あまり読んでいないんだ」
「そうなの」
「ああ、まだ読みはじめたばかりだ」
 古典の作品達はというのだ。
「韓国の古典で春香伝は読んだがな」
「そうだったの」
「だが好色一代男は読んでな」
 そしてというのだ。
「本当にシェークスピアはな」
「読んでいっているのね」
「そうしている、まだ全部読んでいないがな」
 それでもというのだ。
「徐々にな」
「じゃあ丁度いいわね」
「シェークスピアを読むことはか」
「ええ、まさに人生と人間を書いたね」
「そうした作品達か」
「ええ、というかさっきシェークスピア出した時点で」
 ナンシーはそこから話を戻して洪童に話した。
「反応薄かったわね」
「ああ、そのことか」
「どうしてなのよ」
「ああ、あの作家かと思ってな」
 それでというのだ。
「話を聞くことにしてな」
「受動的だったのね」
「そうだった」
 こうナンシーに話したのだった。
「本当にな」
「それだけだったのね」
「ああ、しかし高校生でシェークスピアはおじさんか」
「インテリでいいでしょ」
「いいか」
「だってね、シェークスピアは下手な哲学書より勉強になるっていうから」
 この時代でも言われていることだ、実際に二十世紀後半の日本最大の思想家と言われた吉本隆明はもうこの時代の連合では消え去っている。
「中学生じゃ早くても」
「まだ理解出来ないか」
「高校性位ならいいでしょ」
「読んでもか」
「哲学の本って小難しい言葉出るでしょ」
「やたらとな」
「書いている人の造語とか」
 これも哲学書の常である。
「何とかの定義とかね」
「数学みたいにな」
「とにかくそこから難しいけれど」
「シェークスピアならか」
「もうね」 
 それこそというのだ。
「単純にね」
「読めばいいか」
「あの独特のシニカルさと大袈裟な言い回しも楽しんで」
 所謂シェークスピア節であろうか、こうしたものもシェークスピアの作風でそれを楽しむのもいいであろうか。 
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