街は遠くでも
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第一章
街は遠くでも
老資産家久山育三は街から遠く離れた洋館にメイドや使用人達と共に暮らしている、使用人達は街から遠く離れた洋館にいて時折だった。
山の方に向かって叫ぶ、するとエコーがいつも見事に返ってくる。そのエコーを聞きつつ言うのだった。
「お給料はいいしな」
「待遇だっていいんだよな」
「仕事も少ないし」
「楽な仕事だけれどな」
「旦那様もとても優しいし」
仕事環境自体はホワイトだというのだ。
「だからいい仕事だけれどな」
「街から遠いんだよな」
「街に出るにも一苦労だよ」
「遊びには行きにくいな」
「外出も夜自由だっていうけれどな」
久山は彼等にこうも言っているのだ。
「それでもな」
「出るにしても街が遠いとな」
「どうしようもないな」
「自由時間は買い置きのつまみで酒飲むかな」
「トレーニングルームで汗かくかサウナ付きの風呂に入るか」
「あとはゲームか」
「そんなのばかりだからな」
とかく街から遠く離れていることが彼等の困ったことだった、しかしその中でメイドの井上明子だけはいつも陽気だった。小柄で黒髪を長く伸ばしドングリの様な目をした二十代の女性だ。元は秋葉原のメイド喫茶に務めていたが好待遇を見て久山に付いているメイドになった。その彼女だけはいつもぼやくことなく働いていた。他の使用人達はその彼女にどうして街から遠く離れていることが気にならないのかを尋ねた。
「何で君は平気なんだよ」
「人里離れた場所だっていうのに」
「そのことだけが問題だっていうのに」
「どうしてなんだ?」
「君だけ平気なんだ」
「だって私いつも漫画読んでますから」
満面の笑顔でだ、明子は同僚達に答えた。
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