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八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる

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第二百四話 タキタロウの味その十

「だからね」
「コーランはアラビア語でないとって言われたら」
「日本でもかなり困るね」
「そうよね」
「聖書ではそう言われてないけれど」
 ラテン語だけでとかだ、長い間ラテン語しかなかったけれどマルティン=ルターがドイツ語訳を完成させてそうしてから各国語が出だした。
「コーランではそうした意見もあるんだ」
「ちなみに字が読めないとね」
「法学者の人が教えるんだよね」
「語ってね、けれどね」
「そうした人は」
「インドネシアでも少ないわよ」
 そうだというのだ。
「もうね」
「どの国も識字率上がってるからね」
「アジアでもね」
 この場合のアジアは東アジアと東南アジアだ、アジアといってもその広さはかなりのものだ。人口でも全世界の五分の三を占める。
「そうなっているから」
「皆コーラン読んでるわよ」
「インドネシアだとインドネシア語で」
「読んでるから」
 実際にというのだ。
「そうしているからね」
「そうしたものだね」
「というかね」
「というか?」
「コーランも世界各国の言葉で翻訳されてるのね」
 日本語訳もあると聞いての言葉なのはすぐにわかった。
「そうなのね」
「うん、そうだと思うよ」
「イスラム教も世界に広まっていて」
「それでコーランもね」
「世界の各国語で翻訳されているのね」
「そうして読まれてるよ」
「それは私としてはいいことよ」
 こう言うのだった。
「そう思うわ」
「それだけコーランが広まっているからだね」
「本当にね」
 それならというのだ。
「こんないいことはないわ」
「そう思うんだね」
「ええ、それでコーランに書いていることはね」
「絶対なんだね」
「コーランには間違ったことは書かれていないの」
 まさに正しいことしか書かれていないというのだ。
「だからコーランのままに生きれば」
「間違えないんだね」
「厳しいこと書いていないし」
 一見するとイスラムは厳格だけれど実はキリスト教よりももっと言えばユダヤ教よりも寛容なのだ。お酒等へのタブーも実は目標だったりする。
「だからね」
「その通りに生きていたらだね」
「いいのよ、アッラーは絶対で正義だけれど」
 それでもというのだ。
「とても寛容なのよ」
「そういえばコーランの登場人物って間違えることもね」
「あるでしょ、けれどね」
「心から反省すればね」
「許されたりしているでしょ」
「そうだね」
「聖書と違ってね」
 聖書はちょっとした過ちでとんでもない神罰を受けたりもする、ここまでされることをしたのかと思えるまでに。 
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