勇者クリストファーの伝記
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第1章 たった一人の勇者
夜襲
目が覚める。外は完全に暗くなっていた。
脳裏に情報が押し込まれる。数十キロメートル離れた先にある、別の山村に複数の魔族たちが向かっていることがわかった。
「何も、夜に来なくたって」
一人で文句を呟くが、それに返ってくる声なんてない。
ベッドのすぐ傍に立てかけておいた剣を手に取る。窓を開き、窓枠に足をかける。“このぐらいの距離”なら、ほとんど時間はかからない。
空中に身を投げ出す。不可視の力が全身に行き渡り、重力など存在しないかのように、肉体が宙を舞う。急加速。山村や山々の風景を置き去りにして、僕は夜空へと飛び立った。
凄まじい速度で移動していても、身体に負荷はほとんどかからない。風景が一瞬で切り替わろうとも、周囲に何があるのかは手に取るように分かる。どれもこれも精霊の加護による力だった。
目的地にたどり着き、地上に降り立つ。山肌の荒地に、小さな光点。暗闇の中で光る魔族たちの瞳が、驚愕を宿しながら僕を見ていた。前方に二本角の悪魔。蝙蝠状の翼に、尻尾。全身が濃紫の肌。その後ろに牛と似た頭部の巨大な魔族が二体。漆黒の斧をそれぞれ二本ずつ持つ。さらに後ろには人間と似た容姿の魔族。頭部にはやはり、ねじれた角が二本。黄土色の肌に筋肉質の肉体。魔族は合計で五体。村一つを滅ぼすには十分過ぎる。
剣を引き抜く。それを見ていた先頭の二本角の悪魔が、雄叫びをあげながら突進。それを合図として、他の四体も動き始めた。
二本角の悪魔が腕を振り上げる。その勢いのままに、腕が吹き飛ぶ。血の軌跡を作りながら、地面に落下。振り下ろすよりも先に僕が剣で斬り飛ばしたのだが、速すぎて当の悪魔には何が起こったのかが分からない。驚愕と恐怖が悪魔の表情に浮かぶが、すぐさま闘志を引き戻す。再び雄叫びをあげようとしたその口腔に剣を突き立て、貫通。叫び声はただの空気音となって消えた。
続く牛に似た頭部の魔族は、同時に斧の振り下ろしと振り払いの構え。上下と左右を塞ぐ攻撃は、僕が急加速して接近したためにタイミングがずれる。無防備な胴体を軽く剣で斬りつける。二体同時に胴体が斜めに切断され、巨大な肉体が地面に崩れ落ちる轟音が響く。
残った人間似の魔族はこちらに向かっていたが急停止。魔法を発動させる構えを取るが、遅かった。発動前にこちらが接近、一回転。剣が円形の軌跡を辿り、円内にいた二体の魔族の腹部を両断。上半身と下半身に分かれて絶命。
血を払って剣を鞘に収める。戦いは、この場に移動する時間よりも短い間に終わった。
脳裏にまたしても情報が流れ込む。同じように別の村に魔族が接近していた。
跳躍して空中に浮かび上がり、夜空を直進する。到着まで、やはり時間はかからないだろう。
結局、あの後は似たようなことを四箇所で行なった。
魔族が現れるのには昼も夜もない。どこでいつ現れようとも、必ず迎撃に向かう必要がある。そうでなければ、取り返した領土をまた魔族に奪われてしまう。人間たちが魔族に全く歯が立たない以上、全ての街の防衛を僕一人で行わなくてはならなかった。
普通なら不可能だ。けど、『勇者クリストファー』には可能だった。あらゆる場所の魔族が分かり、そこにすぐさま向かう能力があった。
睡眠が中断されるが、それも問題なかった。睡眠を取らずとも、身体能力に支障は出ないからだ。
そう、身体能力には。
最初にいた山村に戻った僕は、村民に見つからないように静かに部屋に戻った。すぐにベッドに横になる。肉体に疲労はなくとも、精神にはあった。
目を閉じると、直前に戦った魔族たちの顔が思い浮かぶ。そこにはいくつもの表情があった。仲間を失ったことへの義憤、死への恐怖と絶望、残虐者への憎悪。そして、断末魔の絶叫が耳に残っていた。
──彼らは人間と変わりなかった。長命であり、魔法の扱いに長ける。圧倒的に強大な種族だったが、倫理観があり、同族への仲間意識があり、何より感情があった。人間である僕にも理解できる価値観を、彼らも持ち合わせていた。
そんな彼らを敵対しているとはいえ、毎日毎時間殺して周るのは、はっきり言って苦痛だった。罪悪感があった。できることなら、殺したくはなかった。
それでも、彼らを殺さなければならない理由がいくつもある。いくつも、いくつも、いくつも、いくつも。
「……やめよう」
思考を放棄して、深く息を吐く。意識を重たい闇の中に沈める。
できることなら、次は目覚めたくない。そうとさえ思った。
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