戦国異伝供書
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第二十話 東の戦その十一
「是非です」
「左様ですか、かたじけない」
「では戦が終われば」
「はい、薬を差し上げますので」
「お願い致します」
「それでは、それとですが」
家康は羽柴にさらに話した。
「これはある方を見まして」
「今川殿ですな」
「実はそれがしあの御仁には昔からよくしてもらっていまして」
駿府に人質としていた時からだ、実は家康は今川家の嫡男であった氏家とは懇意な間柄なのである。
「それであの方は馬の薬を教えてもらったのですが」
「秘伝と言われていてですな」
「しかしそれを民達に快く教え」
「馬の病を治させたのですか」
「それを見てです」
「薬のことはですな」
「人、特に民によく教え」
そのうえでというのだ。
「治していく」
「それがよいですな」
「ここで秘伝にしては」
それこそというのだ。
「助かる者が少なく」
「意味が少ないですな」
「多くの者が助かれば」
それでというのだ。
「これだけいいことはないので」
「だからですな」
「羽柴殿には作り方もです」
薬のそれもというのだ。
「お教えします」
「そしてそれをですな」
「羽柴殿が伝えられることも」
それもというのだ。
「どうか」
「わかりました、さすれば」
羽柴も納得して頷いて答えた。
「そうさせて頂きます」
「その様に」
「それでなのですが」
羽柴は家康にさらに話した。
「その今川殿は今都におられ」
「穏やかにですな」
「暮らしておられます」
「それは何より。あの方にはです」
「徳川殿もですな」
「長く穏やかにです」
まさにと言うのだった。
「過ごしてもらいたいです、そして都に上がった時は」
「お会いしてですな」
「楽しくしたいです。和歌の話もして」
「あの御仁は和歌も凄いですからな」
「蹴鞠に剣術もですが」
「ですな、世にはなまくらだの暗愚だの言う者がいますが」
「それは違いまする」
決してとだ、家康は羽柴に氏真のことをはっきりと述べた。
「出来た御仁です」
「そうですな、文武両道で政もわかっておられ」
「お父上と共にです」
「よく治めておられましたな」
「家臣を見る目もあり」
それでというのだ。
「今川家は大名ではなくなりましたが」
「今も領地があれば」
「確かに治められますな」
「そうされます、しかしそれがしが人質になった時に」
家康は今川家のそれであった時のことも話した。
「随分いじめられていたと」
「今川家にですな」
「そうした噂が出ていますが」
「それはですな」
「大きな間違いですぞ」
文字通り根も葉もない噂だというのだ。
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