続・ユリアンのイゼルローン日記
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第一章 初体験
七九七年 四月十六日
今日から新しい日記帳に変わった。
日記というものをつけ出したのが、
昨年の十二月一日。
イゼルローン要塞への引っ越しが契機でつけ始めたんだ。
最初はいつまで続くのだろうなんて思っていたのだけど、気がつけばもう五ヶ月も続けていた。
日記帳も二冊目に入った。
一冊目の日記帳はヤン提督が買ってきてくれたものだけど、この二冊目の日記帳は自分で買ったものだ。
さすがにお忙しい提督にまた買ってきてくれ、と頼むわけにもいかないしね。
提督がお忙しいっていうのは皮肉ではなく、本当の話だ。(ここはさすがに失礼かな。でも何時もは本当に暇そうにしてらっしゃるんだけど)
現在イゼルローン駐留艦隊、通称ヤン艦隊は出撃を控えている。
出撃予定は四日後の四月二十日。
しかも相手は帝国軍じゃない。
仲間であるはずの同盟軍なんだ。
ネプティス、カッファー、パルメレンド、そしてシャンプール。
四つの惑星で起こった反乱。
更には首都星ハイネセンで起きた軍事クーデター。
その全てを相手にしなくてはいけないんだ。
ヤン提督のご苦労は僕なんかには想像もつかない。
いや、ヤン提督だけじゃない。
お父さんを相手にしなきゃいけないフレデリカさんだってそうだ。
ヤン艦隊の誰一人だって、好き好んで同じ国民である同盟軍同士で殺し合いをしたいなんて思わないだろう。
まだ僕は正式な軍人になったわけじゃない。
ヤン提督が僕を軍人になって欲しくない事も分かってる。
軍人になったら上からの命令には従わなくてはいけない。
例え同胞に対して銃を向けろという命令であったとしても。
ヤン提督がそうされているように。
ヤン艦隊の皆が従っているように。
いや、敵である(こういう呼び方は残念だけど仕方ない)クーデター側の軍人達だってそうなんじゃないか。
勿論覚悟と信念(提督の嫌いな言葉だ)を持ってクーデターに参加したんだろうけど、中には上官の命令に従っただけという人も居るんじゃないのか。
非常に不謹慎な想像だけど、もしもヤン提督が上からの命令を撥ね付け、独立するなどと言ったらヤン艦隊のみんなは大半が従うんじゃないだろうか。
シェーンコップ准将なんて、むしろそうなるように煽っていたし。
提督がそんな事をなさるはずは無いし、全くの無意味な想像だけどね。
僕は今後どうするべきだろう。
本音を言えばやっぱり軍人になりたい。
ヤン提督のお側にいたいんだ。
僕に提督の小脳が務まるかどうかなんて分からない。
でも小脳じゃなくてもなんだっていい。
僕もヤン提督の、ヤン艦隊の力になりたいんだ。
今同盟は大変な危機を迎えている。
帝国ではローエングラム候が着々とその勢力を伸ばしているのに比べ、同盟ではクーデターなんて起きるほど、政治が行き詰まっている。
こんな時に、と提督は仰るのかもしれない。
でもこんな時だからこそ僕は軍人になりたいんだ。
だって、僕の尊敬するヤン・ウェンリーという人はこんな状況にあっても同盟のために戦いつづけているんだから。
四日後の出発には僕もヤン提督の従卒として同行する。
正直戦場に立つ事は怖い。
でも逃げない。
そう決めたんだ。
僕がヤン提督の被保護者となったのは、偶然なのかもしれない。
でも僕がヤン提督のお側にいる事は僕が決めた事だ。
ハイネセンに残る事ではなく、ここイゼルローン要塞に来る事を決めたのは僕なんだ。
僕はヤン提督についていく。
そしてたくさんの事を学ぶんだ。
いつか、提督のお力になるために。
七九七年 四月十七日
要塞の中は今日も慌ただしい。
ただあまり悲壮感のようなものは漂っていない。
お祭り好きのヤン艦隊といえど、ハイネセンに家族を残している人や、同じ国民を相手にするという事で不安に思ってる人も多いかと思ったのだが。
「考えても仕方ない事は考えないさ。特に軍人なんてものはな」
食堂でポプラン少佐に出会った時、そんな疑問をぶつけてみると、あっさりとそんな答えが返ってきた。
「その、少佐は気にならないんですか?
同盟軍同士で戦う事が」
「ならんね。いちいちそんな事気にしてたら墜とされるだけさ。
第一、俺が男の命なんぞ心配すると思うか」
そう言ってニヤリと笑った。
子供の僕にどこまで本音で語ってくれたのかは分からないけれど、ポプラン少佐もやはり軍人としての心構えみたいなものは身につけているんだな。
「もっとも同盟にはまだ女性パイロットはいないはずだからな。
もし居たとしたら、ヤバかったぜ」
腕を組んでしみじみと語る撃墜王の背後からもう一人のエースがトレイを持ってやって来た。
「ああ、ユリアン君。ソイツと話す時は気をつけなよ。話の半分は聞き流していい内容だからね。貴重な時間を無駄にするものじゃないよ」
「何を言ってんだ。俺ほどユリアンの貴重な青春づくりに貢献している人間が他にいるか」
ポプラン少佐が隣りの席に座るコーネフ少佐に反論する。
そういえばこの二人、食事を摂る時は大抵一緒にいる。
食堂以外の場所ではあまり二人一緒にいるところは見掛けないな。
「あの、ポプラン少佐にも伺ってたんですけど、コーネフ少佐は今回の戦いについて、どう思われます?」
さすがに同国人と戦って平気なんですか、とは聞けなかった。
ポプラン少佐には聞いたんだけど。
「まあ、楽しい戦いではないね。それはみんなも一緒だろ」
やっぱりそうだよな…
「でも戦えと言われれば戦うさ。あんな連中にこの国を任せるわけにもいかんしな」
あんな連中。クーデターを起こした人達か。
確かに提督も呆れていたけど。
「まあ、あんな連中にこの国を任せたら、俺なんか息が詰まって生きて行けんだろうな」
「お前さんくらい自由な軍人はいないからな。今の同盟でもヤン艦隊以外じゃ生きて行けんだろ」
話を続ける両撃墜王〈エース〉に軽く会釈をして、食堂を出る。
本当に今の同盟でヤン艦隊というのは貴重な存在だろう。
戦力としてもそうだけど、何よりこの雰囲気だ。
暗い話題の多い同盟の中で、この要塞に集まった人達の顔には希望が満ちている。
みんな、無事に帰って来てほしい。
今の僕には祈る事しか出来ないけれど、心からそう願う。
七九七年 四月十八日
今日も朝から要塞は騒々しい。
後、考えてみれば僕も初めて戦場に出る事になる。
勿論、ヤン提督の従卒としてヒューべリオンに乗り込むわけで、実際に何かをするという訳ではないのだけれど、戦場は戦場だ。
命を落としたっておかしくはない場所へ行くんだ。
万が一(というほど確率は低くないかもしれないけれど)僕が醜態をさらすようだと、それはヤン提督にもご迷惑を掛ける事になるんだ。
何と言っても僕はヤン提督の従卒でもあるけれど、被保護者の立場でもある。
僕があまりにみっともない振る舞いをしては、僕以上にヤン提督の名誉に傷が付く事になるんだ。
司令部の幕僚の人達はそんな事気にもしないかもしれないけど、艦橋にはオペレーターを始めとした多くの士官、下士官の人達も居るんだ。
その人達から艦全体に、やがてはヤン艦隊全体に広がるかもしれない。
いい加減妄想が過ぎるという気もするけれど、心配してし過ぎる事はないと思う。
ヤン提督は否定なさるけど、提督は現代の英雄なんだ。
その英雄の名誉を傷付けるような真似は慎まないと。
少しでも提督に近付けるように。
少しでも提督のお役に立てるように頑張らなければ。
出撃の日は近い。
七九七年 四月十九日
今日は出撃前日。
夕食時にヤン提督に昨日僕が考えていた事を話した。
するとヤン提督は困ったように頭を掻きながら、諭すようにこう話してくれた。
「ユリアン…そんな事は考えなくてもいいんだ。
いいかい。お前はまだ正式に軍人になったわけじゃあないんだ。
それどころか成人しているわけでもない。
そもそも子供が戦場に出る事自体が間違いなんだ。
ユリアン。お前はもう自分は子供じゃないと主張するのかもしれない。
確かにお前は軍属とはいえ、戦艦に乗る立場の人間だ。
直接戦闘行為に関わらないとはいえ、ね。
そしてそれはお前が自分で決めた事だ。
私も強く反対はしなかった。
お前の意志というものを尊重したかったからだ。
だがなあ、ユリアン」
僕はまっすぐ提督を見ながら話を聞いていた。
一言も聞き洩らさないように。
提督の話を聞く時間は僕にとって、掛け替えのない大切なものだ。
この時代、いや人類が宇宙に進出してからだってヤン提督以上の軍人なんていやしないだろう。
もしかしたら、それ以前だって。
こんな事を提督が聞いたら、さぞ呆れられる事だろう。
絶対にこの日記は提督には見せられないな。
さて、話の続きを書こう。
「戦場を恐ろしいと思うのは、人として当然の事だよ。
お前にはいつまでも、そういう、感性と言えばいいのかな。
人として正しい感性を持ち続けていてほしいと、私は願うよ。
例えおまえがこの先どういう道を歩むとしてもね」
未来、僕の未来か。
一年後の僕はどうなっているかは分からない。
希望通り軍人となっているのか、なっていたとしても無事生き残っているのか。
考えても仕方ない事は分かっているけれど、考えずにはおれなかった。
一年前の僕は何を考えていたのだろう。
日記をつけていたわけではないから、はっきりとは分からないけれど、やっぱり軍人になりたいとは思っていただろうな。
まさか、イゼルローン要塞で日記を書いてるとは想像もしてなかっただろうな。
(調べてみると、一年前の四月二十七日にヤン提督はイゼルローン要塞攻略に出発している。勿論その時はまさか提督がイゼルローン要塞攻略に赴いているなんて知らなかったが)
遠い未来はともかく、近い未来は決まっている。
明日はいよいよ出撃だ。
七九七年 四月二十日
今日という日を僕は後々まで忘れる事はないだろう。
いよいよイゼルローン駐留艦隊、ヤン提督率いる自由惑星同盟軍第十三艦隊が出発を迎える日だ。
そしてこの僕ユリアン・ミンツもヤン艦隊司令官の従卒として、旗艦ヒューべリオンに乗り込むんだ。
未だ正式な軍人となったわけではないし、旗艦の中で正式な居場所を与えられた訳ではないのだけれど。
それでも初めての軍艦。初めての戦場。
そして戦うヤン提督を間近で見られるんだ。
朝から興奮を押さえ切れなかった僕はいつもより二時間も早く目を覚ましてしまった。
ヤン提督は何も仰られなかったけど気付かれてはいたんだろうな。
何しろ朝食がいつものそれよりも、明らかに手が込んだものが食卓に並んでいたんだから。
ヤン艦隊の旗艦であるヒューベリオンの艦橋に足を踏み入れた時には比喩でなく足が震えた。
ヤン提督の背中越しに見た艦橋では既に多くの同盟軍軍人のみなさんが忙しなく動き回っていた。
オペレーターの機械をチェックする声、他の艦からの連絡を伝える声、その他様々な声が飛び交う艦橋の様子に僕はただただ圧倒された。
「司令官閣下!ご苦労様であります!」
その時初めて会ったのがヒューべリオン艦長アサドーラ・シャルチアン少佐だ。
浅黒い肌に精悍な顔付きの如何にも軍人という感じの人だ。
僕はヤン提督の被保護者であり、従卒でもあるので、ヤン艦隊のいわゆる幹部と呼ばれる人達とはほぼ面識があるのだけれど少佐とは初対面だった。
ヤン艦隊旗艦の艦長という重職にありながら今まで面識が無かったのは少佐がとことん現場の人であるかららしい。
これは後でグリーンヒル大尉から聞いた話なのだけれど、少佐はとにかくヒューべリオンから離れないそうだ。
暇さえあれば艦のチェックをしているそうで、要塞内の少佐のフラットは綺麗なままなのだそうだ。
そして今日改めて思い知らされたのがヤン提督の偉大さだ。
艦橋の中はピリピリとした緊張感が漂う。
若輩者の僕でも感じ取れるほどだ。
これが初めての戦艦乗船なので、あまりハッキリとは言えないが、やはりいつもとは違う雰囲気だったのではないだろうか。
何しろこれから戦うのは同胞たる同盟軍の部隊なのだ。
帝国軍と戦いに赴く際とは違って当然なのではないだろうか。
そんな中でも提督は全くの自然体だ。
勿論そのお心の中までは分からないけれど、少なくとも司令官席に座るその後姿からは緊張とか、旬順といったものは全く感じられない。
提督を囲むように座るヤン艦隊の幕僚の一人、ムライ少将から目的地を問われ、提督は短くこう答えた。
「最終的にはハイネセンへ」
いよいよヤン艦隊が出動する。
七九七年 四月二十一日
緊張感も高揚感もそう長続きするものではない。
戦艦搭乗二日目にしてこんな事を書くとは我ながら中々に図太い神経をしている。
まあ、単純にやる事が無さすぎるというのもあるのだろうけれど。
僕はあくまで司令官の従卒、平たく言えばヤン提督の"オマケ"として艦に乗り込んでいる身だ。
仕事といえば提督のお世話をするという事になる。
ただいくらキャゼルヌ少将に良く言って給料泥僕と言われるようなヤン提督であっても四六時中僕に何かを命じる訳ではない。
いや、寧ろ提督が僕に何かをお命じになる事の方が少ない。
精々艦橋で開かれる会議の際に紅茶を淹れるくらいの事しか頼まれない。
元々提督はその地位にも関わらず尊大な態度を取られる事もないし、僕に対しても自由に好きな事をやらせてくださる方なのだけれども、何も命じられないというのも中々に辛い。
僕は従卒として常に提督のお側に控えているわけだけれども、その提督は殆んどの時間を司令官席に座って居眠りをしていらっしゃる。
デスクに足を投げ出してベレー帽を顔に乗せて。
勿論提督の頭の中では近い未来や遠い未来、様々なお考えが渦巻いているのだろうけど、少しだけ呆れてしまった僕を誰か責められるだろうか。
艦橋ではオペレーターの皆さんは当然としてグリーンヒル大尉を始め、幕僚の皆さんも忙しくたち振る舞っていらっしゃるというのに。
「上に立つ者の役目は進むべき進路を定める事と最終的な結果に責任を取るという事さ。
それ以外の事にまででしゃばるのは却って邪魔になるだけだよ」とはこの日の夕食時に聞いた提督の弁。
確かに提督に事務的な意味での勤勉さを求めても意味がないのかもしれないし、実際ヤン提督は誰にも真似の出来ない功績を挙げていらっしゃるわけだけれど、僕はこう聞き返さずにはおれなかった。
「でも提督は司令官職に就く前からあまり勤勉ではなかったと聞いたことがあるんですけど」
さすがに穀潰しやら無駄飯喰らいという表現は避けた。提督に面と向かってそう言えるのはうちの艦隊ではキャゼルヌ少将くらいだろう。
「ん?参謀時代の事かい。
何しろ作戦参謀というのはかなり数がいるからね。
私がそこでもでしゃばればやっぱり他の人の仕事を奪ってしまうだろう。
軍隊にとってチームワークというのは何よりも大事だからね。
私は艦隊の和を重んじているんだよ、今も昔もね」
あっさり返された言葉に僕は言葉も無かった。
呆れたのか、感嘆したのか、再反論を考えていたのかは・・・まあ内緒としておこう。
未来の僕への宿題だ。
七九七年 四月二十二日
ヤン艦隊は当初、直接ハイネセンに向かう予定だったのだが本日開かれた作戦会議(僕も艦橋の隅からその様子を見学させてもらった)でシャンプール星域に向かう事が決定された。
ヤン提督のお考えでは僕達が真っ直ぐハイネセンに向かった場合、イゼルローン要塞と艦隊との連絡・補給ルートを攪乱される危険性があるとの事。
ヤン提督が僕に正式な軍人になって欲しくないというのは何度も聞かされているが、同時に提督の戦略・戦術に関するお考えも良く聞かしてくださる。
勿論提督はお忙しい身(のはずだ。キャゼルヌ少将始め異論のある人は多そうだけれども)だから学校の授業のような講義をしてくださるわけじゃない。
時間は大体夕食後の一時が多いのだけれど、それも特にそう決まっているわけじゃあない。
最近でこそ僕のほうから提督にそんな話題を振る事も多いのだけれど、あくまで提督のご都合に合わせてだ。
教科書だって無いし、ノートを取る事も許されない。(大事なことはメモなんてしなくても覚えられる。忘れてしまったとしたらそれは大した内容ではないから。以前提督から頂いた言葉だ。しかし、こうして日記に書く事は許されるのだろうか?まあ、そんなに事細かく書くつもりはないのだけれど)
授業とか講義といった雰囲気ではないのだけれど、それでもとても貴重な時間である事に代わりはない。
何と言っても話してくださる相手は"あの"ミラクル・ヤンなのだ。(こういう言い方は絶対に提督には聞かせられないな。しかし我ながら括弧の多い日記だ)
自由惑星同盟軍最高の智将に戦略・戦術を教われるのだ。軍人を目指す半人前には過ぎたる幸運というべきだろう。
(そう言えば、と言いつつまた括弧を使ってるなあ。戦略と戦術、さらに政略まで加えてその違いを優しく教えてくださったのも勿論ヤン提督だ。提督によればこの違いを弁えてる軍人は意外と少ないとか。確かあの時は戦闘屋と戦争屋の話から政治屋の話にまで拡がって渋い顔をされてたっけ)
今回はヤン提督のお話だけではなく、実際の戦闘指揮まで間近で見せていただく事が出来るんだ。
今の自分じゃ何も出来ない事は分かっているけど、それでも何か学んで身に着けて帰らなくては。
そうしなければ胸を張って正式に軍人になりたいんですなんて言えやしない。
況してや、ヤン提督の元で参謀を務める事なんて。
いつか来る遠い未来に向けて先ずは出来る事からやっていこう!
ヤン提督や艦隊のみんなの下で。
七九七年 四月二十三日
昨日の日記に書けなかったので今日の分に書いておこう。
ヤン提督はシャンプール星域の敵がゲリラ戦術を用いて後方攪乱してくる危険性を考慮されてシャンプールへ向かう事を決定された。
ただ僕はその心配はとりこし苦労ではないかと意見を述べたのだ。
「敵の司令官はヤン・ウェンリーではありませんよ」と。
僕の不躾とも言える意見に提督は笑みを浮かべてこう答えてくださった。
「未来のヤン・ウェンリーがいるかもしれないさ」と。
話はその後自分は別に有名に成りたかったわけでもないし、早く退役して年金生活に入りたいものだという謂わばいつもの話の流れになっていったのだが、僕は妙にその言葉が気になった。
『未来のヤン・ウェンリー』
それはつまり未来の英雄と同義語だと考えていいだろう。
今はまだ無名だが実は大変な才能を秘めている軍人。
機会さえ掴めれば一挙に世に羽ばたいていく、
まあそういう人の事を指すのだろう。
才能、軍事的才能、か。
これも以前ヤン提督から伺ったのだが、才能の中でも軍事的才能というものは中々発見されにくいものなのだそうだ。
何しろ大前提として戦争がなければその才能は発揮される事はないわけだし、仮に才能があったとしてもある程度の階級が無ければ指揮する事も叶わないのだから。
更に付け加えて言えば本人にもその才能の有無はハッキリとは意識出来ないものらしい。
勿論自分には軍事的才能が満ち溢れているなどと豪語する御仁も多くいるらしいのだが。
我が同盟に関して言えば先だってのアムリッツァ会戦が良い例と言えるだろう。
あの作戦を提示したフォーク准将は士官学校首席であり自他ともにエリート軍人であったわけだ。
にも関わらず無謀な作戦案を提示し最後まで己の失敗を認めなかったそうだ。
軍事的才能というものが学校で磨かれるものでも発見されるようなものでもないという一例だろうか。
僕はヤン提督の庇護下で士官学校に通うこともなく軍人としての道を歩もうとしている。
自分に才能なんてものがあるのかどうかは解らないけれど(これはさすがのヤン提督にもわからないだろう)少なくとも常識を持った軍人にはなれるよう励もう。
無謀な出征で兵士の命を喪わせることのないようなマトモな軍人に。
七九七年 四月二十四日
う~む、さすがに今日は書く事がない。
まあ、誰に見せるわけでもない私的な日記だから別に構わないと言えば構わないのだけど。
日記と言えば今書いているのは二冊目の日記帳なわけだけれども、何故か一冊目の日記帳も僕はヒューべリオンに持ってきてしまっている。
書きおわった日記帳など家に置いてくればよさそうなものだが何の気なしに荷物に入れてしまっていた。
まあ、たいして邪魔になるものではないし暇な時には読み返してみたりもしている。
こんなに早く振り返っても仕方ないだろうと思っていたのだが、これが意外と面白かった。
イゼルローンに引っ越してからはこんなに事件があったのかと我が事ながら驚いた。
ハイネセンにいた頃もそれなりに充実していたとは思っていたのだが・・・
何気無く捲ったページでは二ヶ月前に行われた帝国都の捕虜交換式の事が書かれていた。
ジークフリード・キルヒアイス上級大将と出会った日だ。
あの優しい瞳をしたとても軍人には見えなかったあの人も今頃戦っているのだろうか。
当たり前か、キルヒアイス上級大将はローエングラム候の腹心。
候の為に一身を投げ打って戦っているに違いない。
自分の信じるものの為に自分の持っている力を全て降り注ぐ、か。
羨ましい限りだ、僕にもいつかそんな機会は訪れるのだろうか。
ヤン提督の下で帝国軍相手に戦う、そんな未来が。
七九七年 四月二十五日
いよいよ明日はシャンプール星域に到達する。
いつもの艦橋会議によれば敵兵力の規模からまず艦隊戦闘は行われないであろうとの事。
衛生軌道上の制宙権を確保した上での陸戦が主な戦いになる、そういう結論で締め括られた。
陸戦ということは当然シェーンコップ准将とローゼンリッター連隊の出番だ。
会議に出席していた僕の白兵戦技の師匠でもある准将にお気を付けて、と声を掛けたら軽く口を歪ませながらこう返答された。
今の同盟軍じゃあ気を付けなきゃいかん程の部隊は残っちゃいないさ、多少ましなのはビュコックの爺さんのところくらいだろうと。
艦橋に設えられた会議卓の向こう側からはムライ少将の咎めるような視線が飛んでくる。
准将は(間違いなく気付いているのだろうけど)何食わぬ顔で僕の肩を軽く叩き、少年の心配はありがたく受け止めるさなどと嘯き艦橋を去っていった。
ムライ少将に目を遣れば、首を振りながら書類を脇に抱えて溜め息を吐かれていた。
我が艦隊の良心は気苦労が絶えないようだ。
准将からすれば戦場に赴く際に悲壮感(何とうちの艦隊に似合わない言葉だろう!)を漂わせるなど己の沽券に関わるという事だろうか。
だからといってあんな事を言わなくてもいいと思うのだが。
ああいうのを露悪趣味というのだろうか、准将は何故か常に他人を試すような物言いをされているような気がする。
自分はこんな困った奴だぞ、さあお前らは俺をどう扱うんだ。
言葉にすればこんな感じだろうか。
他の艦隊ならともかくヤン艦隊にあっては准将もローゼンリッター連隊も欠かせない仲間だと思うのだが。
ただ准将も言われたように現在の同盟軍が弱体化しているのは確かなんだ、あのアムリッツァ会戦の後遺症で。
帝国での内乱がローエングラム候の勝利に終われば敵は更に手強くなる。
こんな同国人同士で争っている場合ではないはずなんだけど、現実には戦いは止まらない。
明日にはシャンプールでの戦闘が始まる。
それが終わったってまだ三ヶ所も制圧しなくちゃいけない。
そして最後は首都星ハイネセン、か。
グリーンヒル大尉のお父さん、ビュコック提督、ジュニアハイ時代の友達・・・
僕や僕の大事な人達にとっての大事な人達が多く住む星。
そこへ向かう事になるんだ、艦隊で攻めこむという形で。
みんなが僕に言ってくれる。
焦るな、自分の手の届く範囲の事からやれと。
だけどやっぱり焦ってしまう、自分に何か出来ることはないものかと。
こんな子供の我が儘なんて決して口に出す事は出来ないけれど、つい考えてしまう。
もう少し早く生まれていたら、ヤン提督やアッテンボロー提督と同じ時代に士官学校に通えていたらと。
馬鹿な空想は暗黒の宇宙に飲み込まれていく。
明日はさすがに日記を書けないかもしれないな。
七九七年 四月二十六日
昨日の僕はきっと明日は日記なんて書けないだろうと思っていた。
だけど今こうして僕はいつものように机に向かってペンを走らせている。
既に戦闘状態に入っているのにも関わらず、だ。
初めての戦闘と言う事で朝から矢鱈と緊張していたのだけれど、今日行われたそれは僕の想像とは全く違ったものだった。
僕にとって理想とする軍人は勿論ヤン提督であり、そして提督は一万隻からの軍艦から構成される艦隊の司令官を務められている。
正直に言ってしまえばハイネセンの官舎にある自室のベッドで何度も想像(と言うより妄想と呼ぶべきか)したものだ。
自分が同盟の軍人としてヤン提督の横に立ち、帝国軍の大艦隊と向き合っている………
まあ、そんな類いの想像を。
ここからは全くの余談ーはて、こんな個人的な日記でも余談と書くべきなのだろうかーなんだけど、ジュニアハイの同級生達に聞いた限りではスパルタニアンのパイロットに憧れているという意見が多かった。
一対一で敵と闘うという点が格好良い、撃墜王〈エース〉の称号が欲しい、昔見た立体TV〈ソリビジョン〉で放映されていたアニメの主人公のようなヒーローになりたい等々。
艦隊司令官という職には意外に人気がなかった。
基本的には青年と言うより中年或いは壮年の軍人が務めるものであるから、少年が憧れるにはちょっと縁が遠過ぎるのかもしれない。
かくいう僕も勿論提督の事は尊敬しているし、憧れてもいるのだけど想像の中の自分は参謀をやっているわけだし。
まあ、中にはリン・パオ元帥やブルース・アッシュビー提督のように艦隊を率いて帝国軍を散々に打ちのめしてやると宣う勇ましい男の子も居たものだけど(結局彼は希望通り士官学校へ行けたのだろうか?お母さんに随分反対されていたらしいけど)
残念ながらヤン提督に憧れているという同級生にはー少なくとも直接にはー会えなかった。
周りに居た友人達はいい奴ばかりで僕が有名人の被保護者であるという事で特別扱いを変えるなんて事はしなかったけれど、多少は気を使ってくれても良かったんじゃないかなあ。(それとも気を使った結果 そうなったのだろうか)
気が付けば最初の話題から随分逸脱してしまった。
今日行われた(正確には今も継続中なのだが)戦闘が自分の想像していたものとは全く違っていたという事を書きたかったはずなのだが。
いや、更に言うならそもそも今日は日記なんて書けないと思っていたんだ、昨日の僕は。
それなのに、まさかジュニアハイ時代の友人達の事を思いだす事になろうとは。
(昨日思い出したせいだろうか、ハイネセン時代の事を。
ただ昨日の僕は何だか矢鱈と感傷的になってるなあ。恥ずかしい)
このまま過去に思いを馳せるのも良いが、まあ今日はこの辺にしておこう。
仮にも今は戦闘中であり、僕は司令官閣下から直々に身体を休めるようにと指示を受けた身なのだ。
眠れなくともせめて目を閉じて身体を横にしておくべきだろう。
そうとなれば早速実行しなくては。
続きはまた明日にするとしよう。
(結局日記を書く事は止めないんだな、僕は)
七九七年 四月二十七日
唐突だが軍艦とは戦う為に存在している船である。
巡航艦、駆逐艦、揚陸艦、空母、工作艦、更に今僕が乗っている戦艦といったように様々な種類の船が存在する訳だけど、その全てに共通しているのは戦闘行為を目的として建造されているという事だ。
何が言いたいのかというと(しかし僕は個人的な日記だというのに何故こんな言い回しを用いているのだろう?確かに所謂歴史上の偉人と呼ばれる人達が遺した日記を読んでみると後世 誰かに読まれる事を想定していたとしか思えないものがあるのだけど)基本的に長期間寝起きするには全く向いていないという点だ。
それもまあ当然で、まさか住環境を改善する為に装甲を薄くするわけにもいかない。
このヒューべリオンなどまがりなりにも艦隊旗艦として使用される船だけにまだ"マシ"な方だそうだ。
ヤン提督を筆頭に艦隊司令部の皆さんーつまり階級の高い方達ーが乗り込むだけに他の戦艦などに比べて幾分余裕を持って造られているらしい。
らしいと言うのは当たり前だが僕は他の軍艦なんて乗った事もないからだ。
いや、考えてみればそもそも軍艦以外の船で宇宙に出た事はないのだ、僕は。
僕の希望通り正式に軍人になれば更に民間の商船や旅客船に乗る機会は失われていくだろう。それこそ帝国との戦いに決着をつけて平和な時代が訪れない限り・・・
最近は話が脱線する事にも馴れてきた。
本当に一体何を書いているのだろう、僕は。
昨日書こうと思った事にもまだ触れてもいないというのに。
取り敢えず忘れない内にさっさと済ませてしまおう。
戦闘が自分の想像とは違っていたという点について。
簡潔に纏めれば僕は宇宙空間で行われる戦闘というのは華々しい大艦隊戦だと思い込んで
いたんだ。それこそアムリッツァ会戦のような。
昨日から今日に掛けてーそして未だ続いているー行われている戦闘は当然ながらそんな派手なものではない。
恥ずかしい話だが二日前の艦橋会議でも既に説明はされていたのだ。
今回の戦闘は惑星への"降陸"作戦だと。
艦橋でいつも以上に背筋を伸ばし全身に力を入れていた僕の目に入ってきたのはヤン艦隊から放たれるビームやミサイルの束。
"敵軍"の姿は一隻たりとも目にする事はなかった。
惑星シャンプールには提督の予想通り航宙戦力は存在していなかったようで、大気圏内に対空レーダーや防空火器群が配備されていただけだったらしい。
僕も比較的視力は良い方なのだが、流石にそこまで見通す事は出来なかった。
だから正直オペレーターの方の報告が提督に届けられるまで何をしているのか全く分からなかった。
何しろ遠距離過ぎて爆発光さえ見えなかったのだから。
更に今日シェーンコップ准将が陸戦隊を率いて降陸されてからは宇宙空間にいる艦隊は警戒と通信が主となる。
ヤン提督もいつものようにデスクの上ではなく(そう提督は何故か戦闘指揮をされる際はデスクの上に座り込むのだそうだ。その理由は未だ聞いた事はないのだけれど)司令官席に座ったままで報告を聞いておられた。
いくら直接宇宙空間での戦闘が行われている訳ではないとはいえ、戦闘中は戦闘中だ。
提督並びに司令部の皆さんにも緊張の色が窺えていた。
ここで漸く話は本日の本題である(僕の日記にそんなものがあるとすればだが)戦闘的艦船に於ける居住性の問題に到達する。
当たり前と言えば当たり前なのだが、軍艦というものは二十四時間休まず運営されている。中で務めている軍人の皆が交替で休みながら常に誰かは起きて艦の操縦なり、情報のチェックをしているわけだ。
そして昨日からのような戦闘状態に入れば(例え敵の姿がすぐ近くに居ないと予想される今回のような状態でも)自室でゆっくり休む事など出来はしない。タンクベッドで短時間の休息を取るしか無くなるのだ。
が、にも関わらず僕がこんな風に昨日、今日と日記なんて呑気に書いていられるのは当然ながらヤン提督並びに司令部の皆さんのご厚意によるものだ。
それはシャンプールへの砲撃が一段落し、シェーンコップ准将らが惑星表面へと降り立とうとしていた頃だった。
司令官席に座ったままのヤン提督にグリーンヒル大尉が何か耳打ちをされた。
そしてそのすぐ後に僕は提督に呼ばれ、部屋に戻って休むように言われたのだ。
要するに子供はゆっくり寝ていろ、夜更かしは許さんと、まあそういう事だ。
こんな時にも関わらず気を遣ってくれたグリーンヒル大尉にもお礼を言った後、僕は艦橋を後にした。
基本的に僕は艦内にいる限り、提督と行動を共にしている。
夜(?)休む際にも、提督が艦橋を離れる時に同行し、司令官室内に用意されている従卒用の部屋で眠っている。
住環境云々と言ったのはそういう点でも僕が恵まれているという事。
例えば僕が徴兵されたばかりの一兵士であったなら。
ヒューべリオンのような最新の戦艦ではなく、老朽化した駆逐艦であったなら。
ヤン艦隊のような優しい人達ばかりに囲まれていなかったら。
そういう事も考えてしまうんだ。
この広い艦内でたった一人、日記に向き合う事しか出来ないちっぽけな僕は。
七九七年 四月二十八日
シェーンコップ准将が無事戻って来られた。かなりの"戦果"と共に。
艦橋で出迎えたヤン提督もかなり呆れていた様子だったけど、ムライ少将の表情は(こういう言い方も甚だ失礼だが)中々に見物ではあった。
無事作戦を終え、現地住民からも"熱烈"な感謝を送られた指揮官に対し労ってやりたい気持ちはある。
ただ軍人としての風紀を考慮するなら一言あって然るべきだろうか。
しかし未だ作戦行動の全てが終わった訳ではなし・・・
我ながら妄想が過ぎると思うが、参謀長の表情が普段見慣れないものである事だけは確かだった。
パトリチェフ准将などは素直に准将の"戦果"を羨ましいと誉め称えててはいたが。
ちなみにグリーンヒル大尉はこの時艦橋にはいらっしゃらなかった。
朝から頭痛がするとの事で今日は一日医務室で休まれていたんだ。
大尉がこの場に居たらどんな顔をされていたんだろう?
何事もなさそうに平然と准将を出迎えたのではないだろうか。
以前にも聞いたのだけれど、これくらいの事で反応しているようでは男社会である軍隊生活はやっていけないのかもしれない。
ただまあ、シェーンコップ准将のような"戦果"を持ち帰る軍人もそうはいないと思うけれど。
グリーンヒル大尉のお立場を考えると何とも遣りきれない気持ちになる。
自分の実のお父さんを相手どって戦わなくてはいけないなんて・・・
提督は大尉を副官の任から外さなかった。
それを聞いた時は提督はやっぱり大尉を信頼しているんだなと、嬉しくも思ったものだけれど、考えてみればそれは残酷な事ではないのだろうか。
いや、勿論ヤン提督が僕が思い付くような事を考えていらっしゃらないはずはないし、そんな事情も考慮の上での決断ではあるのだろうけど。
確かに任を解かれ、何もする事もなく、ただ悶々と日々を過ごすよりは信頼する上官の元で働いていた方がマシなのかもしれない。
僕なんかと比べても仕方ないのだけれど、何もしない、何も出来ないという状況は辛いものだ。
大尉のように有能な方なら余計にそうなのかもしれない。
ただそれでも、やはり何処かで負担は掛かっていたのだろう。
大尉が明日には元気になってくれているといいのだけれど。
今日はこれで日記を終えようかと思ったのだけれど、もう一つトピックがあったのを忘れていた。
シャンプールを攻略後、ハイネセンからバグダッシュ中佐と名乗るクーデター派の軍人がシャトルに乗ってやって来たんだ。
中佐への尋問は会議室で行われ、残念ながら僕は中へ入る事は出来なかった。
後から聞いた話では、現在のところ首都で粛清された人はいないとの事。
それは一安心なのだが、その後中佐の事を訊ねた僕にヤン提督が見せた笑いは何だったのだろう?
詳しくはシェーンコップ准将に聞けとの事だったのだけれど。
七九七年 四月二十九日
「全く面白くない!
なんだってあの不良中年ばかりがいい目を見るんだ!」
「まあ仕方ないだろ。
今回はあくまで地上戦がメインだからな。
空戦隊に出番はないさ」
昼食を摂るために訪れた食堂では我が艦隊の誇る二大撃墜王〈エース〉の姿があった。
ポプラン少佐はどうやらシェーンコップ准将の持ち帰った"戦果"が相当お気に召さなかったようだ。
フォークを握ったまま、拳をテーブルに叩き付けながら熱弁をふるい続ける少佐。
時折相槌を打ちながら淡々と食事を続けているコーネフ少佐との対比はあまりにも鮮やかすぎた。
性格、と言うより性質が違うとしか見えないこの二人は本当にどうして仲良くなったのだろう?
以前訊ねた時には何とも言えないジョークでかわされてしまったけど。
「おお!ユリアン!
良いところへ来たな!
お前も此方に来て座れよ。
一緒に不良中年がのさばるこの現状への改善策を考えようぜ。
大人への反抗は若者の特権だからな」
「ユリアン君はお前と違って反抗と八つ当たりの区別くらい着けれるさ。
ああ、まず先に食事を取ってきなよ。
とっくに一生分の権利を使い果たした人間の台詞なんて無視していいから」
僕は憮然と黙り込んでしまったポプラン少佐の顔をなるべく見ないようにして食事を取りにカウンターへ向かった。
笑いを堪(こら)えた顔を少佐に見せないのが大人の礼儀だと思ったから。
七九七年 四月三十日
今日はシェーンコップ准将にお会いする機会があったのだけれど、その際に聞かされた話の事をずっと考えていた。
一日中ずっと。
つい二日ほど前、つまりシャンプール陥落の当日、ハイネセンから脱出者が到着したそうだ。
シャトルでやってきたバグダッシュ中佐というその軍人は今は眠っているそうだ。
准将によると二週間ばかりグッスリと。
以前の日記でも書いたような気がするが、例え個人の私的な日記(私的でない日記というのも珍しい。ただA.D.〈西暦〉を使用していた時代にはネットワークを通じて個人の日記を世界に向けて公開するという事が流行した事もあったそうだ。
特に有名人でもない一般の人達も自分の文章をさらけ出していたとか。
その時代の人達は皆そんなに自分に自信があったのだろうか?
僕にはとても真似出来そうにない)であったとしても書いてはいけない場合もある。
今日の場合は個人のプライバシー、と言うより名誉か、に関わってくる。
故にここでは何故中佐が二週間も眠っているのかという事に関して詳しくは書かない。
いずれこのクーデターが終結した際には書けるのかも知れないが。
ただ今日は一日ヤン提督のお背中を見つめていた。
僕が側にいられる間はずっと。
七九七年 五月一日
ヤン艦隊は当初の目的を変更しドーリア星域へと向かう事になった。
例のバグダッシュ中佐より新しい情報がもたらされた為だ。
ルグランジュ中将が率いる同盟軍第十一艦隊がクーデター側に加担し、此方に向かっているとの事。
この情報自体は二日前に入手していたそうなんだけど。
本日行われていた艦橋会議でその情報の正しさが確認された。
遠く三千光年の彼方から"敵艦隊"がやってくる事になったわけだ。
艦隊戦。
一万隻を越える軍艦の集団がぶつかり合う本物の戦い。
不思議と緊張も興奮の感慨も湧いてこない。
全くないわけではないけれど。
ヒューべリオンに乗り込む前やシャンプール戦に臨む前を荒波とすれば、さざ波と言える程度のものだ。
緊張なんて然程持続しないものだから、なんて冷めた事は言うまい。
僕はハッキリと分かってしまったんだ。
自分がただの無力な子供でこの艦に於てはお荷物にすらなれないという事を。
現実って一体なんなんだろう。
戦争って一体なんなんだろう。
人を殺すってどんな気分なんだろう。
僕達が生きているこの世界はもう百五十年以上も戦争を続けている。
だから今この宇宙に暮らす人達はどんな年配の方でも戦争のない世界を知らないという事になる。
だから戦争と共に生きてゆくのが僕らの現実というわけだ。
誰かに殺される前に誰かを殺す。
相手が同国人であっても殺す。
自分の大切な誰かを守る為に自分の手で他者の命を奪う。
人類が宇宙に飛び出す前から幾度も繰り返されてきた人の営み。
もうすぐ、いや、もしかしたら僕の予想よりも早く"その時"は訪れるのかもしれない。
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