銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~
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食事への誘い
宇宙歴792年、帝国歴483年7月。
第五次イゼルローン要塞攻略戦が集結して、集合していた各参謀の多くは解散となった。
元々が各艦隊の艦隊司令部作戦参謀の人員に加え、他部署から応援という形で集まっていた。作戦が終了すれば、応援に来ていた人員はそれぞれが元の部署に戻ることは当然のことだ。
残務処理は、残された艦隊司令部の人間が行うことになる。
とはいえ、作戦自体は終了しているため、締め切りのない後片付けのようなものだ。
参謀長であるアップルトン中将の元で、第八艦隊の艦隊司令部に配属されているアレス・マクワイルドは、同僚であるヤンやアッテンボローとともに進めていく。それまではヤンとアッテンボローは作戦参謀であり、アレスは情報参謀であったから、同じ部署でも初めて仕事をすることになったかもしれない。
ともすれば、給料分しか働こうとしないヤンの自堕落さを初めて目撃することになったが、作戦が終了した今では微笑ましくも思える。
一番階級が下であるアッテンボローは大変であったかもしれないが。
アレスがキーボードを操作して、入力するのは戦闘時の艦隊運動だ。
実際の記録映像を見ながら、個別の艦隊運動を点として、入力していく。
それによって、今後の艦隊運動の予測資料になり、また問題点を洗い出す材料になる。
細かい作業であったが、誰かがやらなければいけない仕事だ。
本ではボタンを押せば、艦隊の運動予測が簡単に映し出されていたと思ったが、まさか細かい裏方の苦労までは気づかなかった。
記録映像を読み込めば、全てが自動で行えるほどに発展はしていないということだ。
担当であった部分の入力を終え、アレスは小さく首を回した。
七月に入ってから、ずっとこのような作業ばかり行っている。
決して事務仕事が嫌いなわけではないが、目と腰の負担は正直なものだった。
とはいえ。
「マクワイルド大尉」
「はい。何です?」
振り返れば、アッテンボローがアレスの背後に立っていた。
「第八艦隊Bの記録映像なら今入力を終了したので、すぐに読み込めますよ」
「早いな。なら、Cの記録映像も……」
「ヤン先輩みたいなことを言わないでください」
「失礼だな。私は自分の仕事を人に押し付けたりはしないよ」
「それは担当を割り振る前に聞きたい言葉でしたね」
各艦隊の入力のうち、第八艦隊の第一分艦隊はアレスに割り振られた。
最初から最後まで、最も激しく動き回っていた艦隊であり、その分入力も多い。
「適材適所だよ。身近にいたから、君が一番理解しているだろう」
「ものはいいようですね」
跳ね返るような言葉の返しに、アレスは苦笑を浮かべた。
「で。何か用ですか、アッテンボロー中尉」
「ああ。マクワイルド大尉にお客さんだよ」
「……客?」
アッテンボローが背後を指さす様子に、アレスは疑問を浮かべ、首をかしげる。
一瞬ワイドボーンかと思ったが、入り口付近で直立不動の人物にアレスは眉をあげた。
クエリオ・アロンソ中佐。
現在では元の情報部に戻っている、数か月前までの上官の姿がそこにあったからだ。
軽い疑問を浮かべながら、アレスはアロンソの元に駆け寄った。
「すみません、お待たせいたしました」
「仕事中に失礼した。お邪魔だったかな」
「いえ。ちょうど休憩をするところでしたので、ご一緒にいかがですか」
「すまないな」
丁寧に謝罪する様子に、気にしないでくださいと首を振った。
ただでも朝から画面とにらめっこをしているのだ。
少しくらい休んでも罰はあたらない。
「少し出てきます」
元の席に戻り、ヤンとアッテンボローに声をかけた。
二人も同意見だったようで、どうぞゆっくりと声を出した。
許可を得て戻ろうとして、アレスは忘れていたとばかりに、脇に置いていたベレー帽を頭にひっかけた。
+ + +
艦隊司令部に備え付けられている喫茶店。
その片隅で、注文した紅茶が来るのを待つ間にひとしきり挨拶を交わす。
アロンソが元の情報部に戻ったのはわずか数週間前。
それまでは毎日のようにあっていたわけではあるため、久しぶりという印象はない。
しかしながら、数週間前とは大きく変わったこともある。
「大佐へのご昇進おめでとうございます」
つい先日に戦闘評価会議が終了し、参謀の人間は全員が七月末日付けの昇進が決定していた。その件については、アップルトンから直接聞いていた。
昇進の言葉にも、アロンソはさほど嬉しそうな表情は見せない。
いや、むしろ相変わらず表情が変わらないのだ。
そんな様子に、アレスは一瞬、士官学校の後輩を思い出した。
アロンソが女装すれば似るのだろうかと思ったが、生真面目なアロンソの女装姿を思い出しかけて、アレスは表情を硬くする。
危うく目の前で噴き出すところであった。
「ありがとう。だが、君も少佐に昇進――それに統合作戦本部長から直々に表彰もあるそうじゃないか。表彰式は来月だったか」
「ええ。そう伺っています」
頷いたアレスの前に、紅茶が置かれた。
注文を持ってきた店員が伝票を置いて、立ち去る様子を見送った。
一口。
「私は二階級でもおかしくはないと思っていたが」
「それは過分ですね。惑星一つを守れば、それも可能だったかもしれませんが」
「エルファシルか。同じくらい難しいことをやってのけたと思ったがね」
「かもしれませんが。今回の場合は助けてくださった方が多かったですからね。私一人では無理だったでしょう」
総司令部で奮闘したヤンやワイドボーン。
何よりも自らの策を信じて実行したスレイヤー。
わずかでも欠ければ、今頃はトールハンマーの餌食だったであろう。
我がことながら無茶をしたものだと思い、しかし、歴史を変えて助けられた事は誇らしくも思う。
そのことを理解しているのは、アレスしかいないのであろうが。
互いが紅茶をすする。
良くもなく悪くもない普通の味で、口を湿らせれば、アロンソが紅茶を置いた。
「だが、表彰も考えれば悪くはない。君にとっては面倒かもしれないがね」
静かな言葉に、アレスは否定の言葉を言わず、苦笑で返した。
「上層部と知り合えるという機会もあるが――君ならば上層部の見ることができるだろう」
「見る、ですか」
「ああ。誰がどんな意見を持っているのか――どんな意見が大半を占めているのか。それを見るということは決して悪い事ではない――特に君の生き方ならば」
どのような生き方かは今更にアロンソは語ろうとも思わない。
自らが心を動かされた。
だが、それによって確実に敵も増えたはずだ。
特に、今回ではビロライネンはアロンソとアレスを恨んでいるだろう。
それが声として聞こえないのは、責任を取らされることなく昇進が決定したからだろう。
わずかな沈黙は――しかし、目の前の優秀な青年には理解できたようだ。
「戦いが終わっても、戦いですね」
「仕方あるまい」
大変だろうがと付け加えれば、アロンソは紅茶を口に含んだ。
「と。そんなことを言いに来たわけではなかったな」
「ええ。何かありましたか?」
アレスが疑問を浮かべている。
情報参謀時代のことであったならば、電話で済む話である。
わざわざ艦隊司令部から離れた情報部から訪ねてくることはないだろう。
首をかしげるアレスに、アロンソはしばらく紅茶をすすった。
何かあったかと疑念を深めるアレスの視線に、紅茶を八割ほど飲み干してから、アロンソは口を開いた。
「マクワイルド大尉。来週は暇かね」
「え」
間が抜けたような短音が漏れた。
だが、しばらく考えて、頷いた。
「ええ。土日は休みですが」
「そうか、それは良かった……実は、だ」
そこから残った紅茶をアロンソは一息に飲み込んだ。
珍しくも緊張する様子に、アレスも逆に緊張する。
「君のことを妻に話したところ――来週に食事に招待してはどうかと」
「……食事ですか」
「ああ。予定があるならば、無理にとは言わないが」
思わぬ言葉に、アレスは小さく笑った。
緊張する理由はわからないが、実は恐妻家なのかもしれない。
いつもと違うアロンソの姿に、笑みを浮かべたまま、頷いた。
「予定は入っていませんので、ぜひお邪魔させていただきます」
「そ、そうか。それは楽しみだな」
さしても楽しそうではない表情で、アロンソが真面目に頷いて見せた。
+ + +
「ライナ、入りますよ」
「はい。どうかいたしましたか?」
扉に区切られた私室。
淡いブルーのシーツと几帳面に並べられた本棚には一切の飾りはない。
窓から入った光が、レースカーテン越しに室内を照らしていた。
立ち上がって母親を迎えるのは、これもシンプルなモノトーンのワンピース。
銀色の髪は背後で束ねられており、士官学校では見ることもない格好であろう。
室内のためか化粧など一切していないが、整った顔立ちが今は疑問を浮かべていた。
手元の分厚い本を畳み、細められる目が見るのは、リアナの手にあるドレスだ。
何度かパーティーに出席した際に見かけたものに似ているが、濃紺のそれは初めて見るもの。もう一方の手に持たれたネックレスに目をやってから、ライナは眉間にしわをよせた。
「お母さま。いい加減諦めてほしいと思慮いたします」
「話も聞かずに無粋ですよ」
「聞かずともわかります。私にはまだ早いと考えております」
「何を言っているの、ライナ。私がクエリオと出会ったのは」
「十六の夏なのは知っています。その話は何十回と聞きましたから」
「そう、ならわかるでしょう。決して早くはないわ。愛に年齢は関係ないもの」
力強く言った言葉に、ライナは小さく息を吐いた。
「端的に、お母さまの恋愛観は私に関係ないと申します。申し訳ございませんが、体調が悪くなりましたので、お断りしておいてください」
明確な拒絶の言葉に、リアナは諦めない。
「だめよ。今日来られる方は、クエリオの部下の方なのよ。つまり、あなたの未来の上司でもあるかもしれないのですからね」
リアナの言葉に、ライナは嫌そうな顔を強めた。
仮に今までのように母親の紹介であったならば、体調不良――あるいは、窓から逃亡といったこともできた。
だが、父親の部下であるならば、そうはいかない。
リアナの言ったように上官になる人間である可能性もあったが、何よりもリアナに強制させられた父親の顔まで潰すことになるからだ。
「相変わらず、いろいろ考えるのですね」
「ふふ。大人の知恵ね」
「端的に性格の問題と思慮いたしますが」
眉をひそめた姿に、音が鳴った。
来客を告げるベルの音だ。
階下ではメイドの声が微かに聞こえる。
「あら。早いわね――さ、早く着替えて」
「結構です。応対はしますが、それ以上をする必要性を感じませんので」
父親の顔を潰すのは避けたい。
だが、それで自分の意思を変えられるのはまっぴらであった。
第一と。
胸に抱いた分厚い本を微かに開く。
しおり代わりのそれに、視線を向けて、再び畳んだ。
静かに読書机の上に置けば、リアナの脇を通って階下へと降りていく。
父親に似て、相変わらず感情に乏しい可愛い子だった。
ワンピースの裾を揺らして歩いていく姿を見ながら、それでもリアナは思い出す。
士官学校に入校するといった娘の言葉を。
当初は――士官学校に入っても、いずれは娘の才能を持て余して――あるいは、彼女自身がその愚さに気づいて、すぐに卒業前に辞めることになると楽観していた。
だが、リアナの予想に反して、どうやらライナは卒業後も務める気でいるようだ。
士官学校でどんな経験をしたかは知らない。
でも、リアナも知っていることがある。
おそらくは――今後戦争は厳しいものになる。
それを軍人や政治家よりも、リアナはよく理解していた。
多くの人が死に、リアナの会社でも人材不足という形でそれが発現している。
このままではじり貧―-商売でいうなれば、自転車操業と呼ぶのだろう。
いずれは破綻する。
そんな危険な場所に娘を置いておくわけにはいかない。
そのためなら、娘の意思を無視して見合いをさせるし、それに。
――気づいたら、嫌われるかしらね。
わずかな本音がリアナの顔によぎった。
リアナがアロンソに軍人の相手を紹介させるように言ったのは、何もリアナの商売に影響があるだけが原因の話ではなかった。
先ほどリアナがライナに話をした理由が半分。
即ち父親の顔を立てるとともに、未来の上官に対しては、いくらライナでも厳しい態度はとれないであろうということ。
そしてもう一つ。
ライナほどの顔立ちであれば、誰もが喜んで彼女を誘うであろう。
何よりも父親は大佐になることが決まっている優良株であり、母親は大企業のトップだ。
いくらライナが嫌がったとしても、誘いは止まらぬであろうし、そうなれば、ライナは軍に嫌気がさすのではないか。
ある意味、ライナもアロンソも両者を利用するような計画ではあったが、例え何と言われようとも辞めようとは思わなかった。
大切な娘を守るためであるならば、悪い評価など今更のことだから。
でも。
「例え嫌ったとしても――一緒にはいてほしいな」
小さく漏れた本音は、か細く小さく。
嫌われたっていい。
でも、一人になるのは怖い。
そう呟きかけた言葉に、小さく頭を振って、前を見た。
考えている暇はない。
既に客人をアロンソが連れてきているのだ。
ならば、妻としてもてなさなければならないだろう。
それに――万が一の可能性だが、娘が気に入るということもあるのだから。
そう希望を思いかけて、ないなとリアナは即座に思った。
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