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第三帝国崩壊後のランプ

作者:kuraisu
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南米にて

 フアン・ドミンゴ・ペロンは、1939年から1941年までイタリア王国で駐在武官をしていた過去があり、その頃にベニート・ムッソリーニやアドルフ・ヒットラーの政治思想に深い影響を受け、アルゼンチンに帰国後、祖国の親枢軸的空気もあって、イタリアで体験したファシズム的改革に着手し、大きな成果をあげて国政の重要な地位を占めるようになった。

 しかしアルゼンチンの最大の交易相手は枢軸国と対峙しているアメリカ合衆国であり、アメリカとしては当然南米の小国が親枢軸的外交をしていることが面白い訳がなく、さまざまな圧力を加え、当時のアルゼンチン大統領ラミレスは1944年に圧力に屈してドイツや日本と断交し、その責任をとって辞任した。

 それに代わって大統領の地位に就いたのがエデルミロ・ファーレルだったが、彼はペロンの信奉者であったので、事実上の最高権力者は陸軍大臣と副大統領を兼任しているペロンであるのはだれの目にもあきらかだった。すでに枢軸国の敗色が色濃かったにも関わらず、ペロンはあろうことか、断交したにもかかわらず露骨に枢軸国寄りの外交姿勢をとってアメリカを怒らせた。

 第二次世界大戦が終結するとアメリカはこの反骨的なアルゼンチンの独裁者を排除しようと考え、エドゥアルド・アバロス将軍を支援してクーデターを起こさせたが、これがあきらかな失策だった。アルゼンチンの民衆はなにかにつけて干渉してくるアメリカに反発する感情が強く、そのためアメリカの圧力に屈さなかったペロンを「外圧に抵抗する国家主権の擁護者」と英雄視するようになっており、その英雄を拘束したクーデターに反対する民衆のデモやストライキが多発して、クーデターはたった数日で失敗してしまったのである。

 こうしてペロンは民衆の圧倒的な支持を受け、1946年に正式なアルゼンチンの大統領に就任した。ペロンは強大な権力と社会の統制によって国家を繁栄へと導く、かつてムッソリーニやヒットラーがしたようなファシズム的な改革を断行した。そしてそれを成功させるには、偉大な先達たちの力を借りるのが一番だとペロンは考え、戦犯として追われている枢軸陣営の高官を匿い、彼らにの軍や治安機関の育成に当たらせていた。そのため、第二次世界大戦後も旧ナチスに親和的であったのである。

 1952年、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの一角、南米の木材を西欧へ輸出する商売をしているシュテムラー・ウェゲナー商事の事務労働者として、元親衛隊員アドルフ・カウフマンは働いていた。カウフマンは最後の書類を見て、顔をゆがめた。それは最近進出してきた日本のある商社に関する内容であったが、この時カウフマンは国名にしか関心を示さなかった。

「……あれから、もう7年か」

 アドルフ・ヒットラー総統にユダヤ人の血が流れていることを証明する文書を抹消させる使命を帯びたゲシュタポのエージェントとして思いがけず生まれ故郷の日本に帰国したカウフマンは、使命を達成した直後に祖国の敗北を知り、続けてアメリカの空襲で母が植物状態になったので、途方に暮れたまま8月15日の日本の降伏も迎えた。

 日本の敗北もカウフマンにとってはもはやどうでもよいことであったが、連合国の軍隊が進駐してくるとあてもなくふらついているわけにもいかなかった。憲兵隊に協力を頼むときに助力を願った駐日ドイツ大使館付警察武官兼SD代表ヨーゼフ・マイジンガー大佐も虐殺の罪で拘束されたと風の噂で聞いていたし、SDの一員として反逆者狩りやユダヤ人虐殺に携わっていた自分も危ない。連合国の影響が及ばない国外に脱出しなくてはならないと思ったのである。

 かといって筋金入りのナチスだった自分が公的な方法で出国できるわけがなく、立ち寄った下関港から出る南米行きの大型船に密航して日本から脱出した。いったいどういう目的で出る船なのかカウフマンは知らなかったが、それは満州や朝鮮といった外地に住んでいた日本人が本国に引き上げてきたために、国内の人口が増えすぎて管理しきれなくなったので、国民を外に出そうとする日本政府の移民政策のための船であった。移民への支援はあまり良くないことが多く、棄民政策ではないかという批判もされている。

 かくして南米にたどりついたカウフマンは、元上官のアイヒマン中佐と再会を果たし、彼の紹介で戦争犯罪人扱いされた戦友たちの逃亡生活を支援する活動をしていた元ドイツ空軍の英雄ルーデル大佐を中心とするグループから当面の生活費を与えられてブエノスアイレスに落ち着き、シュテムラー・ウェゲナー商事で働くようになった。

 社長のウェゲナーは南チロル生まれのイタリア生まれの移民ということになっているが、これは偽装である。自分だって偽名を名乗るようになったし、コリエンテス州生まれのドイツ系アルゼンチン人という偽装身分を得ている。そうしなければユダヤ人の追手に追われることになるからだ。ただし、アルゼンチン政府から公認されたも正式なものではあるが。社長であるフリッツ・ベルント・ウェゲナーも元親衛隊員で、大戦中はSDの一員として東欧のある強制収容所の所長を務め、ユダヤ人の大量殺戮に深く関与しているとアイヒマンから説明されており、だからこそここで働くことを承諾したのだ。

 しかしこのことにカウフマンは皮肉な思いを抱かざるを得ない。かつてカウフマンはナチズムの理想に燃えたSSの騎士であった。日本人とドイツ人のハーフであるという劣等感から、まわりからドイツ人として認めてもらおうと必死で、国家に忠節を尽くし、国家を蝕むユダヤ人や反体制分子の摘発と処分に熱烈に取り組んだ。その結果、ドイツ第三帝国は滅び、大日本帝国も滅んで、今や公式上はアルゼンチンの人間になってしまったのである。そしてアルゼンチンに限ったことではないが、歴史的経緯から南米の住民は人種的に混沌としていて、いったいどうして自分は人種なんてものにこだわっていたのだろうかとすら思えてくる。

 元上官のアイヒマンや社長のウェゲナーも同じようなことを考えているのだろうか。そんな疑問を持つことがあるが、カウフマンは問うてみる気になれない。第三帝国のことはもう既に終わったことで、そんなことを語り合おうという気にはなれないのだった。だから、ウェゲナーの本名も、どこの収容所の所長だったのかも気にしていない。彼が仕事と日々の糧を与えてくれるのならば、それ以上考える必要もないのだと割り切っている。

 だが、そのような感情は無意味であり、過去はカウフマンを運命から逃がそうとしなかった。社長から申し訳なさそうな顔で話を切り出したのだ。申し訳ないが、ナチス時代の高官が君に会いたいといっていると。南米に逃亡してもナチス残党の社会は一種のヒエラルキーが成立しており、上からの命令とあれば断れないのは第三帝国時代と同じだった。

 カウフマンも嫌だったが、ナチス残党の社会で孤立して、イスラエルやユダヤの追手からの逃亡生活を続けることができるとも思えず、しかたなく承諾してウェゲナーから渡された南米のとある住所にある豪邸へと向かった。玄関の扉を叩くと、自分を呼んだ人物が扉を開けて出てきた。その人物にカウフマンは見覚えがあった。

「ランプ部長」
「久しぶりだな、カウフマン中尉」

 そこにいたのは第三帝国時代、ゲシュタポ極東部長だったアセチレン・ランプだった。昔と比べていくらか老けたような印象を受けるが、それ以外はあの頃となにひとつ変わらない頑強さを感じさせる肉体をたもっていた。ただそれでも昔の鋭かった眼光の鋭さはなくなっていた。

 ランプはカウフマンの父親とは親しい仲であったらしく、第三帝国時代にはカウフマンに対してなにかと目をかけていた。ランプがSDからカウフマンを引き抜き、日本での任務を与えてくれなかったら東部戦線に送られて死んでいたであろうことを考えると、カウフマンにとっては生命の恩人ということになるのかもしれない。

「まあ、はいれ。ちょうど飯時だ。なにか馳走しよう」

 そう言って、ランプはカウフマンを屋敷に迎え入れた。屋敷の中身もしっかりしていて、一目見て高級品とわかるインテリアが、下品ではない程度に整えられていて、カウフマンを驚かせた。彼がナチス残党仲間から与えられたボロいアパートの一室とは比べ物にならない。

「ランプ部長はずいぶんと儲かっているのですね。南米に来てからなにか事業に成功したのでしょうか」
「……いや、総統が名誉の自決をなされるまで、ベルリンにとどまり御側で忠勤に励んでいたことが上から評価されてな。なにかと援助をしてくださるのだ」
「最後の時までベルリンに?」
「ああ。総統の遺体もこの目で確認した。だから、巷で噂される総統生存説なぞ嘘っぱちだ」

 正確にはヒットラーの遺書により党大臣に指名され、連合国のニュルンベルク裁判の被告でありながら唯一死んでもないのに捕まれなかったという経歴のため、ナチス残党の社会において大きな権威を得ているマルチン・ボルマンから『地下壕にいるユダヤ人を一人粛清する』という任務を遂行したことで信任を得たというほうが正しいのだが、そこまでランプは説明する気がなかった。

 AHSで優秀な成績をだし、ユーゲントでありながらスパイを検挙するという功績をあげて総統の目にとまり、総統秘書官から将来有望なSD幹部候補として活躍していたカウフマンがどれほど総統を慕っていたかランプは知っている。そんな彼にヒットラーを射殺したなどという言っていらぬ軋轢を生む必要もない。

「なにを飲む?」
「いえ、私は酒をやりません」
「ああ、そういえば、君はそうだったな」

 ランプはかるく笑って、ワインセラーから自分用の酒瓶だけを取り出した。

「それでいったいなんの仕事でしょうか」
「なんだ、藪から棒に」
「とぼけないでください。わざわざ自分に接触してきたということは、なにか私に仕事をさせたいのでしょう?」

 真剣にそう言うカウフマンだったが、ランプはそのことが心底おかしくてたまらないと爆笑した。

「いや、すまん。なにやら誤解させたようだな。わしはいまさら祖国のためになにかやってやろうという気はさらさらないのだ。党のカメラートを守るためであれば多少は骨を折ってやろうか、とは思うがね」
「そうなのですか」
「祖国のために働きたいという思い事態はあるがね。考えてもみろ。第一次世界大戦が終わり、わしや君の父親がフランスの捕虜収容所から戻ってきたころのドイツとはワケが違う。西にせよ東にせよ、ドイツは先の第二次世界大戦の戦争責任をすべて総統とナチスに押し付け、自分たちは知らぬ存ぜぬですませる情けなさだ。かつてのドイツであれば、もう一度やり直し、今度こそ偉大なドイツを世界に示そうというのが我が党に限らず、国民すべての声であったというのに」

 忌々しそうにそう語ってランプは酒を呷った。

「上の連中はなにやら中東の反ユダヤ系イスラム勢力やアメリカや西側の反共勢力に協力して党を再建し、祖国へ帰ろうと色々考えているようだが、ナンセンスだ。それが上手くいって、この地上からユダヤ人とコミュニストどもを一掃できたとしても、ナチスを邪悪と語る欧米型民主主義が残る以上、どうにもなるまいよ」
「では、いったいなぜぼくをここに?」
「ああ、一応君に日本行きを命じた上官として、君が使命を果たしたかどうか確認したくてな。例の機密文書はどうなった?」
「機密文書なら見つけ出しました。そして――」

 カウフマンは素直に答えるべきか一瞬だけ迷った。あれはヒットラー死亡の報を聞いて何もかも馬鹿らしくなり、どうやったか覚えていない。少なくとも記憶がないので焼却処分していないことだけはたしかだ。だが、いまだに総統にユダヤ人の血が流れているということが学説的に証明されていないということは、たぶん、どこかでゴミ箱にでも捨てたのだろう。

「処分いたしました。それから総統の死の報道を聞き、私は逃亡生活に入りました」
「よし。それで文書のことを知っている人間もすべて消したのか」
「いえ、文書を処分してすぐ総統の死を知って任務を遂行する必要性がなくなりましたので――」

 この答えに、ランプは目の色を変えて身を乗り出した。

「では、ソーヘー・トーゲも始末しておらんのか」
「え、ええ」
「…………そうか。まあ、そのことを責めはすまい。いや、むしろ感謝しよう。そうか、あの男がまだ生きておるのか。そうかそうか」

 ランプの尋常ならぬ反応に、カウフマンは困惑せざるをえなかった。いったいなにが彼の琴線に触れたというのだろう。しかしすぐその原因に思い当たった。機密文書を守る密命を受けた時、峠草平との個人的因縁について聞かされていた。

「そういえばトーゲはあなたの娘を……」
「そうだ。わしの娘を殺しおった男だ!」

 ランプの双眼に毒炎が燃えあがった。かつて「氷の心臓を持つ男」と呼ばれていた頃の覇気と活力が戻ってきたような錯覚さえ、彼は感じていた。

 ドイツ第三帝国崩壊以来、ランプは生きる目的を見失っていた。かつての党のカメラートへの義理からナチス残党の一員として彼らを守るための活動をしていたが、正直なところ、敗残者同士の庇いあいにすぎず、将来がないだろうという感情が拭えず、やりがいをまったく感じていなかった。すべては惰性によるものだった。

 だが、自分の娘を殺した男が生きて日本で暮らしているのかと思うと、どす黒い憎悪の感情がランプを突き動かさんとした。第一次大戦後に出会った女性との間に生まれた愛娘ローザは、ランプにとってかけがえの存在だった。それを辱め殺した日本人がのうのうと生きているなど赦せることではなかった。

「トーゲ、おまえに必ず報いを受けさせてやるぞ……」

 殺意しかない声音に、カウフマンは思わず止めるべきだと思った。

「こんな屋敷を与えられていることから考えますに、あなたはナチス社会の中でもかなり高い地位にいるはずです。それなのに、あなたが自ら日本に赴いて殺人を犯すなんて上にいる人たちが認めるとは思えません。あなたは多くのことを知っているから、ナチス残党からも狙われることになります!」
「だからなんだ? わしの復讐を邪魔しようとするなら党のカメラートが相手であろうと容赦はせんよ」

 迷いなくそう言い切って酷薄に微笑むランプに、カウフマンは戦慄した。

「どうして、そこまで……」
「わからんか。だがな、君とて結婚して子どもができたら、多少はわしの気持ちがわかるようになるだろう。ましてや子が残酷に殺されればわしと同じ復讐鬼になるに違いない」

 断定的にランプはそう言い切った。このときカウフマンはまったく理解できなかったが、21年後、たしかに同じような状態になってしまうのである。 
 

 
後書き
>フリッツ・ベルント・ウェゲナー
F・フォーサイスの「オデッサ・ファイル」に登場したロシュマン大尉です。
あまり南米の逃亡ナチス事情に詳しくないので、あの作品の記録をほとんど引用しました。

>アドルフ・カウフマン
おまえ、原作的に中東方面へ逃げてたんじゃないのかというツッコミがあるかと思いますが、その前に一度南米に来ているということにしました。そしてロシュマンと同時期にエジプトに行って、なんやかんやあって一人になり、63年にレバノンで死にかけてたと。

>アセチレン・ランプ
逃亡ナチスのことはよくわからないので、「オデッサ・ファイル」を参考に物語のプロットを組んだ結果、ボルマンさんと一緒に南米に逃亡してることになりました。原作末期のカウフマンとほぼ同じ精神状態。 
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