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勇者たちの歴史

作者:草刈雅人
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西暦編
  第四話 あの日④

 
前書き
 
今日はここまでです
 

 
 
「……あれ、士郎……?」
 声をかけられてハッとする。
 視線の先に、見慣れた顔があった。不思議そうな瞳は士郎の顔から順に下がっていき、両の手の辺りで留まった。
 干将と莫耶、二振りの短剣は士郎にとっては扱いなれた武装だが、ありふれた日常からは縁遠い――――忌避すべき殺し合いの為の凶器に他ならない。
「……、藤ね、え……」
 迂闊だった。士郎は、自身の間の悪さを恨む。
 冬木にいた頃、士郎は自身が魔術を使えるということを、知られないようにしてきた。それは、彼に魔術を教導した養父・衛宮切嗣の教えであり、聖杯戦争を迎えるまでは彼が魔導に携わるものであると知っていたのは、間桐の老翁と教会の神父くらいであった。
 魔術を知れば、魔術の世界に接点を持つ。
 いや。知らなくとも、近くにいるだけで巻き込まれる理由になってしまう。
 それは、決して好ましい物じゃない。冬木という土地の住民が、大災害に巻き込まれたように。衛宮切嗣の養子となった士郎が、聖杯戦争のマスターに選ばれたように。一般人のはずの藤村大河が、魔術師のサーヴァントに人質として狙われたように。
 だからこそ、この十年間。
 士郎は、一度も冬木へ戻らなかったのだ。自分と関わらなければ、知ってしまう機会さえなくしてしまえば、自分のせいで巻き込んでしまうことはないだろうと。
あれだけ念を入れて立ち回っておきながら、自分のミスで台無しだ。
 ――――なんて、間抜け。
 自身へ向けた苛立ちが、思考を凍てつかせ、停止させる。
 表情を歪める士郎の想いとは裏腹に、大河は小走りに危なっかしく近づくと、ジトっと上目遣いで睨め付けた。
「…………何してるのよ、士郎。こんな所に突っ立っちゃって」
「は?」
 思わず、間の抜けた声が出た。
 その反応がお気に召さなかったのか、ムッとした顔の大河はしつこく絡んでくる。
「駄目じゃない、こんな遅い時間に帰ってきちゃ。最近は落ち着いてきたけど、この辺り物騒だったんだから、もっと用心しなさいよぉ……」
「いや、待ッ……、いてて、髪の毛を引っ張るな!」
「ほら、家に戻った戻った。びっくりよ、ちょっと寝てただけなのに、起きたらだーれもいないんだもの。大きな音は花火かしら、でもうちの方でそんな話聞いたかなぁ」
 ふわふわと定まらない声音に、微かに漂ってくる酒精。
 ふと、士郎の脳裏に、出かける直前の家の様子が過った。
 テキパキと片付けの段取りを確認する藤村組の組員たち、空けられた大量のビール瓶、空の大皿たち、そして空き瓶を抱いて眠る酔いどれ虎……。
「…………藤ねえ、まさか酔ってないか?」
「酔ってないわよー、酔ってないったら。トゥルリルルー、っと」
「いや、酔ってる。その鼻歌が何よりの証拠だ」
 酔ってないわよー、と往生際の悪い虎の弁明を聞き流しながら、士郎は思わず息を吐く。
 投影を見られてしまったのは致命的なミスだったが、少なくとも今この瞬間に詰問されることは避けられそうだ。士郎にはまだやるべきことが残っている、無駄にできる時間はない。
「藤ねえ。少し動くぞ、走れるか?」
「ん? 士郎、私を誰だと思っているのかね? 竹刀を握れば剣豪無双、冬木一の美人教師、藤村大河に死角はないわッ!」
 盛大に啖呵を切られたが、その足元は覚束ない。
「……はぁーー、分かった。時間もないし、今回だけの特別サービスだからな」
「ん、んん? おぉぉおおお……!? 士郎、あんたいつの間にこんな立派にッ!!」
「はいはい。ちょっと走るから、しっかり掴まっててくれよ」
 横抱きに抱えられて、妙なテンションになる虎。
 そのまま駆けだした士郎が異常な速度を出していることにも気づかず、微妙に呂律の足らない言葉を続ける。
「なんか感動ね。あんな小さかった士郎が、こんなにも大きく……」
「舌を噛むから、あんまり喋るなって。柳洞寺に着いたら絶対出るなよ、今外はだいぶ危ないんだからな」
「うーん……それは、フリ?」
「フリじゃないから!! ここは大人しく待っててくれ、藤ねえ!」
 突然、大河の動きが止まった。
 訪れた静寂に、士郎の言葉も止まる。二人が黙ってしまえば、無人の住宅街に響く音はない。
 強化された士郎の足が、舗装された道を駆け抜ける。途中で化け物に出くわすこともなく、山の麓も目前に迫った時、
「……ねえ、士郎。さっきの言葉について、お姉ちゃんから一つだけ聞きたいことがあります」
「うん、なにさ」
「士郎、ちゃんと帰ってくるのよね? 待っていたら、戻ってくるのよね?」
 
 それは、交わさなければならない約束だった。
 小さく静かな、けれども誤魔化しの利かない問いかけに、
「ああ……帰ってくるよ、必ず」
 衛宮士郎は、欠片も迷うことなく頷いた。
 
 数瞬後、未遠川の上を一つの影が通り過ぎた。
 新都で行われる一方的な蹂躙は、間もなく、その攻守を入れ替えられることになる。
 


 
 円蔵山の攻防も、今まさに佳境を迎えていた。
 桜の額に汗が滲む。
 結界の維持は、想像以上に彼女の魔力を奪い去った。彼女の行使できる魔術の程度は、どれほど無理や無茶を重ねた所で、姉である凛に匹敵するのが限界である。これは桜の魔術回路の問題で、結界をフル稼働させればそれだけで手一杯になってしまう。
 だから、彼女は小さな工夫を施した。
 ほんのささやかな、思いつけば誰でもできるような工夫だ。それを実行できる度胸があれば、という前提付きではあるけれども。
「――――来た」
 山中の宝石に手をかざしながら、桜は張り巡らせた監視の網に敵がかかったのを感じた。
 士郎が殲滅したせいだろう、街の方角から来る化け物はほとんどいなくなったが、代わりに裏山から、気の遠くなるほどの攻勢が絶えることなく続いている。
 今回は、二十弱の集団だ。姿こそ見ることはできないが、その位置は詳細に捉えている。
 先頭の一体が魔術の防壁に喰らいつく寸前、
「声は遥かに――――私の檻は、世界を縮る……!」
 立ち上がった影の腕は、十の化け物を飲み込んだ。
 先頭の同族を喪失した化け物は、突如姿を見せた影の人型を警戒するように滞空する。影の人型はしばらくその場に在ったが、唐突に姿が掻き消える。
 隙を突いて突撃を敢行した数個体は、魔術の防壁を砕けず弾き返され、再び伸びた影に捕らわれ、消失する。残った個体は形勢の不利を悟ったのか、無謀に挑むことなく撤退する。
 ホッと息を吐く間もなく、次の集団が攻め立ててくる。
 今度は三十余り。先の残存個体も合流し、その数は四十にも届くか。
「声は願いに――――私の影は、大地を覆う……!」
 桜は再び、魔術の展開を変化させる。
 結界は維持のみに努め、自身の魔術に魔力を集中させる。山の境界から広がる影は、全てが彼女の支配下に置かれ、使い魔へと変化した。
 彼女の本来の魔術・虚数属性の特性魔術は、虚数空間に対象を取り込む魔術だ。そこに、間桐の吸収の特性が合わさることで、あらゆる存在を飲み込み、溶解し、魔力の糧として吸収する魔術へと変貌する。
 生み出された魔力を充てることで、桜は辛うじて結界を維持し、防衛することに成功していた。彼女は、彼女にしかできない方法で、任された役割を全うしていた。
 
 だが、均衡はいとも簡単に崩壊する。
 桜の影は大地を覆い、近づくもの全てを把握し、飲み込んでいた。反面、結界に回される魔力は減少し、その機能は最低限維持されているに過ぎない。
 桜の魔術の間隙に気付いたのか、はたまた不幸な偶然が起きたのか。
 進化型の個体が一体、地中を潜行することで桜の影から逃れ、一切の妨害を受けないまま内部への侵入を成功させた。
 森の中で浮上した進化型は、人々が密集した山頂部を目指して移動する。その道中、それは何かを感知して動きを止めた。
 地中から響く、人間の域を遥かに超えた膨大な力の鼓動。
 最古の英雄さえも賞賛し、人体という小宇宙を実際に宇宙とした特例、超抜級の魔術炉心。
 進化型は、その魚のような体をよじらせると、再び地面へと潜り込む。
 目的はただ一つ。
 膨大な魔力を蓄えた冬木の大聖杯へ向け、侵入者は一直線に突き進む。



 大空洞の天井から化け物が降ってきた瞬間、大聖杯の起動は寸前まで迫っていた。
 小康状態にあった炉心に、火を投げ込んで稼働させる。
 言葉にすればただそれだけのことなのだが、大聖杯ほどの炉心を動かすには、種火といえど生半な魔力では足りもしない。凛は宝石魔術を用いて長年溜め込んだ魔力を大幅に増幅させ、莫大な魔力を注ぎ込むことでようやく稼働にこぎ着けた。
 だが、事態は切迫している。
 大聖杯が動き出した、では遅すぎる。今すぐにでも本格稼働させないことには、冬木の滅亡は避けられない。
「――――だってのに、なんだってこのタイミングで……!」
 悪態を吐こうが、状況は変わらない。
 乱入してきた化け物も何かを察知したのだろう。これまでとは比較にならない勢いで、一人の魔術師へと襲い掛かる。
「――――Vier (四番 )……!」
 躊躇なく、唯一残っていた金剛石を投げ放つ。
 最後に残った切り札の一、静止の魔術は巨大な化け物の突進を空中に押し留めた。込めた魔力の量からしても、あと数分は対象の動きを封じ込めるだろう。それだけあれば、宝石を用いずとも進化型を打ち倒せるかもしれない。
 だが、それが何になるというのか。
「ああ、やっちゃった……」
 呆然と、立ち尽くす凛の両手に宝石はない。今の攻防で、本当に使い果たしてしまった。
 例え、この場を凌いでも、大聖杯が本格的に起動するのに半日はかかる。それまで、果たして桜は結界をもたせることができるだろうか? 士郎は、無限に増え続ける化け物たちを相手に、戦い続けることができるだろうか?
 答えは、否。
 魔術師は、無限に戦うことのできる存在じゃない。どんな反則技を持っていても、人間を超えた力をふるうことができたとしても、それは永久ではない。もし、その原則すらも破れるのなら、もうそいつは人間を止めてしまっているだろう。
 かつての相棒がいれば、らしくないと笑うかもしれない。それこそ、あのニヒルな笑みを浮かべながら、発破をかけるように小言を言ってくることだろう。
 だが、現実は非情だ。
 凛の手持ちに石はなく、魔力も足りない。大聖杯は寝ぼけていて、使えるようになる頃にはタイムリミットを大幅に超過している。
 こんな状態で、どうしろというのか。
「――――――――あ」
 ……ある。手は、ある!
 相棒――――脳裏を過った、赤衣の騎士の姿が逃避していた意識を引き戻した。
 慌てて、首元を探る。指先に触れた硬い感触、それが鎖だと思い出すのと同時にそれは目の前に転がり出た。
 赤い、紅い、大粒の宝石を用いたペンダントがそこにはあった。
 遠坂の家に伝わる、百年物の宝石。これは、かつてそれを拾ったお人好しが、律儀にも元の持ち主に返してきたものだ。聖杯戦争が終わってから、絶えず身に付け魔力を込め続け、ある意味、意識の外にあった切り札の中の切り札。
「……ありがとう。助かったわ、アーチャー」
 もう忘れるな、とかつて言われた言葉を思い出す。
 握りしめた宝石からは、信頼に足る重さが返ってくる。込めた魔力は十分以上、宝石の質も申し分ない。
「さあ、これで正真正銘、今のわたしの持つ全て。出し惜しみはしない。その代わりに、きっちり仕事はしてもらうから」
 火が灯る。宝石の中で流転していた魔力が活性化し、与えられる命令を今か今かと待ち構えている。
 魔術刻印も派手に魔力を吐き出させている。この一手、起爆剤ともいうべき干渉がうまくいかなければ――――いや、もう失敗した時のことなど考えるな。
「う、ご、けぇぇぇぇえええ………………ッ!!」
 もはや疑うべくもない。
 十分な火種を投げ込まれ、煽られた魔術炉心は、今や完全に稼働を果たした。
 準備はこれにて終わり、過程を省略する願望器を扱う上で後は具体的な結果の形を提示してやればいい。



 変化は、唐突に起きた。
「……え? そんな、逃げられた!?」
 桜は、捕らえていた化け物たちが突然消失したのを感じた。
 虚数空間で融解されていた個体も含め、全ての化け物が前触れもなく消えたのだ。即座に結界へ魔力の比重を傾けるが、
「これは、一体どういう、」
「――――桜、お疲れさま」
 木に寄り掛かり、疲労困憊な凛の様子で、桜は辛うじて彼女の作戦が成功したことを悟った。
「上手くいったみたいでよかったですけど。何がどうなったんですか? 今の」
「あぁ、転移魔術で街にいた白いの全部追い出させたのよ。もちろん、それだけじゃまた侵入してくるだろうから、もう一つ手を打ったけど……、ってうわ!?」
 意味ありげに笑う表情が、親の仇でも見るように豹変した。
 ポケットから取り出した携帯電話――――旧式のいわゆるガラケーと呼ばれる機器を、取り出したまま停止する。振動していることから着信しているのだろうが、
「…………、…………ッ」
「あの、姉さん? 出なくていいんですか、電話」
 桜が促しても、凛の手は携帯を握りしめたまま。
 無言のまま、静かに葛藤していた彼女だったが、結局ため息と開くと通話ボタンを押した。
「…………もしもし、士郎?」
『よかった。電話に出られるってことは、無事に終わったんだな』
 ……通話は、何故かスピーカーで行われていた。
 桜としても、士郎の無事が確認できたのは嬉しいのだが、ガラケーでスピーカー機能を使う姉の姿に一抹の不安を覚える。士郎の安否を気にしているだろう彼女に気遣って、ということだろうか。
 ……どうも、そうでない気がして仕方がない。
『それで、何なんだ、アレ』
「なにって――――結界よ。せっかく願望器を使うんだもの、思いつく限り一番強力なのを用意したから」

  ☆    ☆    ☆    ☆

『せっかく願望器を使うんだもの、思いつく限り一番強力なのを用意したから』
 なるほど、そういうことか。
 新都の外れ、教会の裏手にそびえたつ鉱石の塊を見上げながら、士郎は納得していた。
 なるほど。確かに、遠坂らしい魔術だな、と。
「……すごいな。これ、時価に換算するとどのくらいになるんだ?」
『さぁ。わたしはただ、あの白いのが入ってこれないだろう魔術をイメージしただけ。用意するのは大聖杯なんだから、世界中の宝石がかき集められていても不思議じゃないわね』
 それは、六本の巨大な円柱だった。
 透き通るような水晶の中に、蠢く赤や青、色鮮やかな無数の軌跡。
 高さ五百メートル、直径は百メートル弱といった寸法だろうか。その全てが宝石で構成されていることを思うと、脳裏に浮かぶ天文学的な数字だけで眩暈がする。
 結界を維持する魔力も、大聖杯の方から引っ張ってこれるという。さすがに抜け目がない。
『――――それで、これからについて話し合いたいんだけど。士郎、戻ってこれる? 無理そうなら、こっちから新都の方に向かうけど』
「いや、大丈夫だ。少し休んだら、こっちで助けた人たちと柳洞寺に向かうから」
 二言、三言と交わして、通話を切る。
 ほう、と張り詰めていた緊張を緩めると、士郎の身体はあっけなく地面に転がった。
 あまりのんびりはしていられない。
 教会には、彼が保護した人々が息を潜めて待っている。数はそう多くないが、彼らを説得し、深山町まで移動してもらうのには相応の時間がかかるだろう。
 その後、凛と、おそらく桜も含めて、今後に向けた話し合いもしなければならない。
 やることは山積みだ。
 それでも、何とか乗り切ることはできた。
「見てろ。今度は、取りこぼしたりしないからな」
 誰に言うでもない決意は、正真正銘彼だけものだ。
 遠い過去、かつての大災害で救われるしかない存在だった。
 十一年前、未来の自分から、自分の信じるものの真贋を突き付けられた。
 そして今、自分の力では助けることのできない命があった。
 今度こそ、誰も失いはしない。大河も、桜も、凛も、生き残った人々を一人だって、あんな化け物たちに奪われてたまるものか。
 
 その決意を胸に、士郎は弓を引き続けた。
 二年の歳月を経た今も、冬木の守護者は新たな犠牲を拒み続けている。
 
 
 
 
 遠坂家の地下。
 二年前の襲来の際、手酷く壊されてしまった上の屋敷とは違って、魔術工房は無傷のままだった。
「………む、……むむむ? いまいち上手くいかないわね……」
 通信用の魔術礼装を弄りながら、凛はぶつぶつと文句を呟く。
 ああでもない、こうでもないと試行錯誤を繰り返していたが、ようやく落ち着いたのか居住まいを整えると礼装を起動させた。
「もしもし――――ええ、聞こえています。すみません、少しばかり通信の準備に手間取ってしまって。元気そうで何よりです――――乃木さん」
 
 
 

 
後書き
 
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