銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~
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戦い前に~それぞれの理由~
敵の索敵艦に発見されてからも、同盟軍艦隊は整然と進軍を進めていた。
中央に第八艦隊、左右に第四艦隊と第五艦隊を配置していたが、イゼルローン回廊に入るころには広さの問題から第八艦隊が後方に下がり、第四艦隊と第五艦隊が先陣となった。
予定された行軍ではあるが、イゼルローン回廊の狭さがそれを邪魔する。
非常に狭い場所や歪な地形。
それはまるで暗闇の中の洞窟の様に、まっすぐな進軍を許さない。
遠い昔、アーレ・ハイネセンがこの道を通った時にも同様の感想を得たのだろうか。
それから年月が経って、正確な航宙図やセンサーがあってもなお、イゼルローンは人々の前に立ちはだかっているのだった。おそらくはという予想の元、途中で帝国艦隊による攻撃はないと考えていたとしても、それを同盟軍が全面的に信頼するというのはできなかった。
索敵艦を前に出し、あるいは通信が遮断される場所に対しては、戦闘艇を使いながらも慎重に進む。ようやくイゼルローンで最も難所である『巨狼の顎』を通過すれば、進む、艦艇の中でほっとした息が漏れた。
第八艦隊旗艦、ヘクトル。
百戦錬磨の名将も、わずかばかりに呼吸が緩むのを止めなかった。
数で劣るイゼルローン要塞駐留艦隊が、迎撃姿勢をとるとは考えられなかったが、それでもイゼルローンの狭隘な地形を利用して反撃に出ないとは言い切れない。例え、過去に一度もそのような戦いがなかったというところで、油断をするほどにシトレも耄碌はしてないつもりだ。
むろん、これ以降も狭い道は続くが、大人数の伏兵を置くには向いてはいない。
「全艦隊に指令を。交代で休むように」
シトレの言葉を反復して、全艦隊に指令が伝わっていく。
緊張が緩むのも問題ではあるが、緊張を張り詰めさせていても良くないことをシトレは知っている。
「私も少し休む、何かあった場合にはすぐに連絡を。諸君らも交代で休むように」
そう伝えれば艦隊司令室から、シトレは踵を返した。
艦隊司令官が休まなければ、誰も休もうとはしないだろう。
このままずっと艦橋にいても構わないのだが、上が仕事を見ているのも迷惑な話だ。
ついてくる警備の者に対しても、休むように断りを入れて、シトレは自室に向かう。
さすがにこの場において、艦内を散策する度胸はシトレにもなかった。
自室前までついてきた警備兵に対して、敬礼を送れば、自室の扉を開けた。
無骨な鉄製の扉が閉まる。
これが帝国であるならば、重厚な木製の扉があったかもしれない。
彼らは見栄えを気にする。
それこそが戦力で劣る同盟軍が互角の戦いを挑めている理由であるかもしれないなと思いながら、シトレは苦笑する。
これから戦いに挑むのに戦力で劣るとは、なんと弱気なことだろう。
スレイヤー辺りに聞かれれば、階級すらも無視して説教が始まるに違いない。
だが、多くの者は理解できないであろうが、それこそが必要なことだとも感じている。
自らの弱みを知り、そして、敵の強さを知る。言葉にすれば単純なことではあるが、それが考えられないものは多いし、考えたとしても発言できるものは少ない。
「難しい事なのだろうな」
嘆かわしいと嘆くことはできない。
おそらくは自分もこの立場に来るまでは、考えたとしても発言ができたかどうか。
ただ生きて、生き延びて、階級をあげて、年を取って初めて感じたことだった。
このことを理解できるのは、アレクサンドル・ビュコック中将くらいであろうか。
執務机の椅子に腰を下ろして、シトレはベレー帽を外して、机に置いた。
息を吐いて、考えるのは作戦のことではない。
作戦のことは既に決まっている。
いまから思いついて、やっぱり変えるなどと言えるのはよほどの馬鹿だろう。
状況が変われば違うが、今更悩んだところで仕方のないことであるし、シトレの仕事ではない。
考えるのは、この後の状況だ。
この作戦が成功すれば――いや、よほどのミスを犯さなければ、シトレは元帥に上がり、統合作戦本部長となるだろう。現在の統合作戦本部長は、既に退職が決まっている。と、言うよりも後任が死にすぎて、残らざるを得ない状況になっていた。これ以上残すことは本人にとっても、組織にとっても不可能だろう。と、なれば必然的に次の地位にいるシトレが繰り上がることになり、人事も一新されるだろう。
次の宇宙艦隊司令長官は、ロボス大将だろう。
ロボスか。
決して無能な人間ではない。
長い軍の人生で、シトレが歩むと同時にライバルという関係をもって、ともに歩いてきた。
しかし、年齢か、運か、あるいは政治の都合か。
一般に出世争いというものに、シトレが勝ち、彼の前を歩くことになった。
それをロボスがどう思っているかは思わないが、面白くはないらしい。
統合作戦本部次長として、現在は惑星ハイネセンに残ってはいるが、仕事よりも、むしろ熱心に派閥を作っているとの噂も漏れ聞こえていた。あるいはシトレが宇宙艦隊司令長官になったことで実力よりも、政治力が重要であると誤った考えを持ったのかもしれない。
そんな人物が、艦隊司令のトップとなるのは非常に危うい。だが、ここでシトレが統合作戦本部長になれば、彼がシトレを抜くことは不可能になるだろう。出世工作が無駄となれば、つまらぬ裏工作などよりも、同盟軍のことを考えるようになるだろう。そうすれば、彼の実績、実力からも間違いなく優れた宇宙艦隊司令長官になれる。
「だからこそ、ここは負けるわけにはいかないな。……自分が嫌になる」
苦い口調で呟けば、シトレは引き出しを開けた。
二段になった底蓋をあければ、そこにはウィスキーの瓶がある。
手を伸ばし、ふたを開けて、一口。
「本当に嫌になる。将兵の死よりも、今後のことに頭を悩ませる立場というものは」
つまらなそうに呟けば、名残惜しそうに蓋をすると、ウィスキーを引き出しに戻した。
+ + +
「敵艦隊を発見しました。距離、十二時――数――五万!」
叫んだレーダー士官の言葉に、ラインハルトは鼻で笑った。
当たり前のことだ。
敵は三艦隊、数にして五万を超えると伝達があったばかりであり、それはラインハルト自身が部下に伝えた言葉であったからだ。
これが背後からであったり、あるいは一万であったりすれば、焦る気持ちもわかる。
当然のことを、必死に伝える様子に何と返答していいか迷う。
「慌てるな。反乱軍など、たかが有象無象。数が集まったところで、何ら問題はない」
金切り声が背後から聞こえる。
慌てるなといった当の本人の口調は、間違いなくひきつっており、まるで新兵のようだ。
いや、あるいは新兵であるのかもしれない。
有力な貴族が最前線に立つことなど、ほとんどない。
ところがラインハルトを陥れるために、無理やりラインハルトと同じ艦に乗せられた。
あるいは彼も被害者なのかもしれない。無能な被害者にはなんら、同情は感じないが。
だが、そんな声に周囲の慌ただしさは大きくなった。
命令を出す人間が慌てていれば、その命令に従う部下が不安になるのは当然だ。
なぜなら、命を預けているのだから。
「問題はない」
透き通るような声が、艦橋に響き渡った。
「敵が前からきて、攻撃してくる。私が最初に伝達した言葉に何か間違いはあったか」
問うた言葉に返答の言葉はない。
ただ周囲の視線が、艦長席に立つ金髪の若者を見ている。
いまだ十六の若き艦長は、しかし、全面のモニターに映る艦隊に対して臆することなく見ている。
「全て予定通りだ。問題はない――君らは任務を果たし、そして帰る。何か質問は」
言葉に出した声に、一呼吸を置いて『No』を伝える言葉となる。
「では、予定通り行動してください。我が艦隊は前面に立つことになります。作戦通り後退をしますが、それは敵も知っているでしょう。最初は敵も様子見のはず。なら」
ラインハルトの隣に立つ、同じく十六の赤毛の少年が同じように微笑。
「最初が肝心です。様子見の攻撃など何も問題はありません、前進して敵に痛撃を加え、下がる。それだけです」
どうでしょうというように、キルヒアイスがラインハルトに視線を送る。
ラインハルトはゆっくりと頷いた。
「作戦通りだ、キルヒアイス中尉。クルムバッハ少佐は何かご意見は?」
「なに」
金髪をなびかせて振り返った、視線の先にはクルムバッハの姿がある。
突然に意見を向けられて、クルムバッハは眉をしかめた。
「何をいう。ここの責任者は卿であろう」
「その通りです。では、これよりここは戦場となります。余計な言葉は慎んでいただけますよう」
それが先ほどの言葉をさしていることは、クルムバッハにも理解できた。
だが、艦長よりも先に発言した問題は、仮にも憲兵隊であるクルムバッハも理解している。
ただ恨みを込めた視線と、噛んだ奥歯の音を響かせて返答するのが精いっぱいであった。
そんな様子にラインハルトはまるで少女のような笑みを返し、振り返った。
「何をしている。最初が大事だとキルヒアイス中尉が言ったとおりだ。こちらを見ている暇はないはずだ。戦闘が開始と同時に敵に向けて猛攻をかけろ」
言葉に聞こえるのは、肯定の言葉。
急ぎモニターとコンソールに向き合い始めた将兵を見て、ラインハルトは頷いた。
「挑発が激しいのではないですか、ラインハルト様」
そっと呟いたのはキルヒアイスだ。
耳に寄せるように、ゆっくりとささやいた言葉に、ラインハルトは頷いた。
「そちらも問題はない。私たちの道は結局のところ敵か味方か、だ。これに反論する優秀な人間であれば、味方にすることも考えたが、直情的に行動する奴など、さっさと始末しておいた方がいいだろう」
そっと呟いて、ほほ笑んだ言葉に、キルヒアイスは肩をすくめた。
「恐ろしくなりましたね」
「……甘いと教えてもらったからな」
呟いた言葉に、キルヒアイスはそれ以上の言葉ない。
ただ、静かに頷いた。
「ええ、まことに。私も準備をしておきます」
「頼んだ。キルヒアイス……まだ戦いは始まったばかりだ。死ぬわけにはいかないだろう」
「ええ」
+ + +
第五艦隊分艦隊、ゴールドラッシュ。
艦橋の片隅で、アレス・マクワイルドは静かにモニターに映る光点を見つめていた。
敵艦隊との距離はゆっくりと近づき、艦隊は予備動力でゆっくりと近づいている。
互いの速度を計算すれば、攻撃する時間もほぼ理解できるはずだ。
「艦隊接近。敵攻撃射程範囲まで、二分」
それでも言葉が必死をもって告げられるのは、自らの死が近づいている証であるかもしれない。こればっかりは初めての体験だ。緊張した士官の声と、ささやかながらも大きくなる騒めき。それでいて張り詰めた空間には、誰もが心を動かすだろう。
目の前のモニターを凝視するもの、そして、命令を待って司令官に視線を向けるもの。
その多くの視線と命を預かって、分艦隊司令官であるスレイヤー少将はただ静かにモニターを見つめていた。
今までも何度と繰り返してきたであろう光景。
それは慣れか、本来の性格によるものか。
あの時に見た教頭は、そして、教頭のままであった。
微動にせず、ただモニターを見続けている。
そこに安心を与える感情や言葉はない。
ただ、いつものように見ている。
それを見て、幾人かが視線を前へと戻した。
スレイヤー少将か。
士官学校の教頭であり、ビュコックと同様に兵卒からこの地位までたどり着いた名将。
白髪交じりの髪を撫でつけて、姿勢正しく前を見つめる。
まごうことなき名将であろう。実際にわずか一年ばかりの同盟軍生活でもスレイヤー少将の話を聞く機会は多い。カプチェランカでもクラナフ大佐を始めとして、褒める言葉以外は聞かなかった。数多い現場の人間の中で、少将まで階級を上げた人間は、ビュコック同様に英雄扱いをされたのだろう。実際にスレイヤーはその実力があるのだと、アレスは思う。通常であれば将官まで兵卒の人間があがることはない。
単純にその分野で優秀な人間は多いだろう。
だが、将官となればその分野というわけではいかなくなる。
むろん、アレスと同じように士官学校であれば話は別だろう。
仲の良い上を捕まえれば、それがかない、そして、それが可能である環境がそろっている。
だが、兵卒あがりであれば、仲が良いものもいない。
そんな場所に配属され、常にトップレベルの評価を受ける。
決して楽なものではない。と、言うよりも途中で楽な場所ができれば、その分野で行きたいと思うであろうし、階級をあげれば、それを望めば可能となるのだ。あえて、自分のわからぬところに異動し、そこで力を認められる。
原作まで生きていれば、間違いなく艦隊司令官に立つ人物。
いまだに動かぬスレイヤーから視線を移せば、そこには砲術士官がいる。
ケイン・ローバイク大尉。
大会で四学年だった先輩は、今は同階級となって最前線の砲手を任されている。
アレスがこの艦隊に来た時には、無表情に挨拶をしただけにもかかわらず、細かに艦隊のことを教えてくれた先輩。堅実さと実力を兼ね備え、確実である戦闘には間違いなく百パーセントの力を発揮する優秀な兵士だ。
視線を彷徨わせると、手を振る若い女性がいた。
ミシェル・コーネリア大尉。
航宙士官という立場ながら、この艦隊の動きを統率する女性だ。
二十三歳と若くもありながら、艦隊運用にかけてはいまだにアレスは彼女よりも上の存在を知らない。戦闘前で一瞬しか見ていないが、彼女はアレスのことを覚えていてくれたようだ。視線が会うたびに、手を振っている。そういえば、テイスティアが卒業する前にシミュレート大会の時の全員で集まろうという話になったときに、最後まであきらめなかったのが彼女だった。
いや、全員極秘任務についているのに無理だろうとはアレスは言えなかったのであるが。
そして。
スレイヤーの近くに立つのは、四月に卒業して即座に『艦隊参謀見習い』として働き始めたセラン・サミュール。
卒業後に配属される先としては最も期待される部署であり、そして、アレスが思うに最悪な部署であった。
おそらくと。
アレスは思う。
アスターテまで、彼らの名前は一切聞こえることがなかった。
だから。
このイゼルローン攻略作戦で、彼らはトールハンマーによって塵と消えるのだろう。
だからこそ、思う。
「まだ、死なせるわけにはいかないだろう」
ゆっくりと表情が笑みを作る。
かくして、それぞれの思いが交錯する中で、第五次イゼルローン要塞攻略戦が始まった。
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