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SoA 大戦編 月影に吼える

作者:流沢藍蓮
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プロローグ 獣の子

 
前書き
 時間にそこまで余裕があるわけではないのに書きたくなってファンタジー始動。このシリーズは初期アイデアができてからすでに四年近く経っています。
 そんなわけで、「月影に吼える」始動。
 獣の王の物語、是非お楽しみ下さい。 

 
〈プロローグ 獣の子〉


――今日も、暴れ出す。
 グオルルル、ガオルルル。檻の中から響くは獣の声。
「ちょっと、あなた、何とかして!」
「知るかよ! 俺に振るな!」
「でももう、私には無理よ。耐えられないわ……」
 唸る獣は家の地下。上の階ではある夫婦が言い争っている。何十、何百と続いた口論。それは今日もまた、繰り返される。
 グオルルル、ガオルルル。地下では獣の唸り声。そのうち、何かを破壊しようとするような激しい衝撃音が家中を揺らし始めた。妻は悲鳴を上げてうずくまる。
「もう嫌、もう嫌ッ! ねぇね、あなた。こんな子、捨ててしまいましょう……」
 彼女はそう言うと、何かに憑かれたような顔をして一気にまくし立て始めた。
「そうよそうよ、そうしましょう。あの子の餌に睡眠薬を混ぜて、麻痺毒も混ぜて動けないようにして、ここから遠く離れた村に捨てましょう。村に逆らう権利なんてないわ。私たちはふつうの身分じゃないんですもの。そうよそうよ、それがいいわ。最初からこうしていればよかったのよ。そうすれば私たちはもっともっと幸せな時間を過ごせたわ。最初の子も出来損ない、次の子は獸! ああ、私たちはいったい何がいけなかったの? みんなみんな、社会不適合者じゃないの!」
「落ち着きなさい、リルーサ」
 夫が妻の名を呼んで、優しく彼女の肩を抱く。
「君の気持ちもわからなくはないが、そんなことをしたら罪に問われるぞ。俺たちは普通の身分じゃないんだ。この子を捨てたとして、その先俺たちに穏やかな日々が訪れるとは限らない。君が犯そうとしているのは国外追放されてもおかしくはない大罪だ」
「……覚悟の上よ」
 リルーサの顔には深い深い苦悩の色があった。
「それでもそうするしかないの。ねぇね、ヴェリン。私たちは一生このままでいなければならないの? そんなの嫌よ。だから……あの子のことは忘れましょう。私たちは二人でまた、新しい子をつくればいいの。今度こそ、出来損ないでも獣でもない、普通の子を。それで私が普通の男の子を産めばきっと、罪は赦されるわ。――信じましょうよ」
 いつしか唸り声も衝撃音、破壊音も止んでいた。暴れ疲れたのだろうか。また覚醒されたら面倒なことになる。その獣は、目覚めている内には止められない。
 ああ、とリルーサは嘆息した。
「私たちは普通の人間なのに、どうして」
 その綺麗なエメラルドグリーンの瞳からは、涙の雫がひとつ、ふたつ。
「どうして――どうして、あんな子が産まれたのでしょう」
 神様教えて、と彼女は嘆いた。その背をヴェリンが無言で抱きしめた。

 獣の子は二人の子。そしてヴェリンはこの国、共和政シエンルの次期国王だ。この国では生まれつき獣の耳や獣の尻尾を持つ者が多く生まれ、その人数はこの国の総人口の約40%もいるという。彼らは総合的に「獣人」と呼ばれ、その中でも「猫人」や「狼人」、「鳥人」や「蛇人」、「水人」など様々な種族に分かれる。彼らは両親が普通の人間でも生まれることがあり、この国の中ではありふれた存在である。
 しかし「その子」は違った。最初から獣の姿で生まれたその子はひたすらに暴れて人を傷付け、暴れ疲れると人間の姿に戻って眠る。その子は己の力を制御できずに人を傷付けるため、否応なく檻に囚われなければならなくなった。その子は他人だけでなく自分すらも傷付け、手負いの獣のようにただひたすらに暴れ続けた。その凶暴性は他の獣人たちに見られるものでではなかった。
 その子はとにかく異常だった。ある日その子は力任せに檻を破壊して脱出し、檻の看守を殺してしまったことすらあるのだ。そしてその日から、皇太子と皇太子妃であるヴェリンとリルーサは、暗い確信を抱き始める。
――いずれこの子を何とかしなければ、自分たちが殺される!
 暗い気持ちは溜まりに溜まり、小さなことで爆発するような状況にあった。
 一触即発。
 その爆発が単に、今日だったというだけの話だ。

  ◆

――痛い。
 人間に戻った少年は、涙を流していた。その身体には何一つ纏っておらず、彼の両の拳からは血が流れ出して辺りを赤く染めている。獣であった時にあちこち所構わず殴りつけた拳の皮は裂けて骨が露出し、しかもその骨すらバキバキに折れていて、それはもう手の形をしていなかった。
 少年の身体を限りない疲労感が襲うが、痛みに意識は覚醒し、彼は眠ることすら許されない。
 苦しみに悶える少年の口から声が溢れた。それは苦痛の咆哮(ほうこう)。
 オオオォォォォ……オオォ……ォ……
 弱々しく、痛々しく。大小便も垂れ流しの床の上、己の血と汚物にまみれながら。
 そんな惨めで哀れな姿が王子であるとは、誰も信じられないだろう。しかし現実はこれなのだ。
 ぐったりとした彼の前、無表情の看守がやってきて檻の中に何かを投げ、逃げるようにして去った。彼に「エサ」として与えられたのは血の滴る生肉。それはまさに、動物にするような仕打ち。彼はそれを犬みたいに口だけで食べる。地に這いずりながらも食べる。彼の、肉を持つべき手は既に手の形をしていないし、彼はこの方法以外の食べ方を知らなかった。だから彼は犬食いで食べる。ガツガツと、咀嚼する音だけが檻の中響いた。
 人間として扱われず、獣のようにして生きる。それが、「獣」として生まれた彼の宿命であった。
 彼は「エサ」に毒が含まれているのを食べ始めてから知ったが、構わず全て食べ切った。
――もう、しんでもいいや。
 少年は全てを諦めていた。
 かくして彼は眠りに落ちる。毒によって、強制的に。
 このままめざめなければいいのにと、ぼんやりとした意識の中、彼は思った。

  ◆

「眠ったね」
「眠ったみたいね」
 血と汚物にまみれる床の上、横たわる我が子を見て二人は安堵の息をつく。
「護送車は手配した。後はこの子を送るだけだ」
「私、ようやくこの生活からおさらばできるのね」
 夫婦には子に対する愛がない。当然だ。二人はこれまでずっと、「獣の子を産んだ」として世間から白い目で見られ、我が子のせいで様々な苦汁を舐めさせられたのだから。二人は我が子との別れを悲しまない。いっそのこと、別れられて清々しているのだろう。
「時間です」
 声がする。
手袋をした看守が出てきて檻を開け、傷だらけの少年の身体を運び出した。看守は檻のそばにたたずむ夫婦を見ると首を傾げた。
「お別れは、しなくてもよろしいのですか」
「したくないわ。それよりもさっさと私の目の前からその子を消して頂戴。穢らわしいわ、見ていたくないの」
「……畏まりました」
 看守は少年を抱いて地下を出る。そのしばらく後に、夫婦も続いて外に出た。外には頑丈な檻の乗っかった物々しい護送車がある。
 これから少年は捨てられる。ついに両親からも見捨てられる。
「何も生まれたくて獣に生まれたわけじゃあないでしょうに」
 看守はその目に憐れみを浮かべ、
「ならばせめて、神の加護のあらんことを」
 少年を護送車に横たえると、その首に何かを掛けた。それは金色のメダル。幸運の神フォルトゥーンの証したる福寿草の描かれた、純金のメダル。昔、看守の先祖がフォルトゥーンから直接もらったという秘宝のメダル。それは看守にとってとても大切なものだったけれど、彼が哀れな少年に与えられるのはこれくらいしかなかったから。
「さらばです……ジオ様、ジオファーダ様」
 ついぞ親からは呼ばれたことのなかったその名を呼び、看守は護送車の扉を閉めた。
「出発進行!」
 小さな獣の少年を乗せて、護送車はいなくなる。
 看守はその光景を、ずっと見つめていた。


「終わったか」
「終わったわね」
「これで平穏な毎日が訪れるんだな」
「これで平穏な毎日が訪れるのよ」
「俺たちは解放されたのか?」
「私たちは解放されたのよ!」
 ヴェリンとリルーサ。夫婦たる二人は互いに顔を見合わせて、嬉しそうに笑った。
 ジオファーダが、忌々しい獣が、厄介な、王家の面汚しが、ついに。
「「いなくなった!」」


 しかしこのことはすぐに、国王リュブドにばれることになる。事態を重く見たリュブドは二人から位を剥奪して都から追放し、皇太子をジオファーダとした。リュブドはジオファーダを捜そうとしたが、夫婦は頑として口を割らず、また、普通に捜しても簡単には見つからなかった。
 結局、少年が見つかったのはそれから五年後、ジオファーダ十歳の時だった。
 それまで彼はずっと、「獣」であることを強いられたのだ――。
 
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