銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~
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艦隊司令部着任
宇宙歴792年 帝国歴483年2月。
人事に驚きはつきものであるが、今回ばかりは驚きはなく、予定通りアレス・マクワイルドは大尉に昇進ののち、宇宙艦隊司令部作戦参謀への異動が命じられた。
異動については極秘で進んでいたらしく、1月の半ばに異動が命じられた時には、直属のウォーカーはもちろんのこと、セレブレッゼと課長代理以外は誰も知らなかった。
わずか半年ほどの早すぎる異動に、知らされた装備企画課の面々は大きく驚いた。
優秀な若手を手に入れるチャンスを失ったためか、あるいは仕事面で大幅に減っていた残業時間が戻ることになったのか、事務官の女性たちがウォーカーに詰め寄って、ウォーカーが薬をあおる姿が見られる一幕はあったものの、アレスの異動は概ね好意的に受け止められた。宇宙艦隊司令部への異動は栄転といっても良かったし、彼の仕事振りに助けられたものは多い。
一部他の部署では仕事だけを増やして、本人は逃げていったと陰口があったようであるが、それら何も知らぬ者たちの娯楽の糧であって、次の悪口が決まるまでの一過性のものであろう。むしろ、装備企画課の次にアレスの異動を残念がったのが、一番の被害者であろう予算課であったことが、わずか半年の成果を現しているかもしれない。
二月一日午前十時、人事部において人事第三課長から辞令が渡された。
自由惑星同盟軍の正式装備であるベレー帽も久しぶりにかぶることになった。
ベレー帽に苦手意識があるのは、おそらくアレス・マクワイルドが日本人だからだろう。
この時代では正式な装備品として、イメージされるのは立派な軍人なのだろうが、日本人であった時にはなじみがなく、思いつくのは漫画家とか海外の画家だ。
廊下でベレー帽を外して、手にしながら、固まった髪をとかすように頭をかいた。
見栄えだけなら帝国の方が優れているというのは、やはりまず気にするのが見栄えだったからなのだろうなと思う。
人事部の建物から外に出れば、路上で地上者が止まっており、その脇で同盟軍の制服を着た若者がたっていた。
どこかで見たことがあるなと考えれば、それが一学年上の先輩であったことを思い出す。
成績も上位であり、少なくともアッテンボローよりかは遥かに良かったはずだ
アレスの姿を発見し、敬礼をする。
「ご着任おめでとうございます、マクワイルド大尉。私はリスト・アドリアネード中尉と申します。これより艦隊司令部までご案内いたします」
「ありがとう」
手にしていたベレー帽をかぶりなおして、敬礼を返し、再び脱いだ。
そんな様子に、リストは困惑を浮かべる。
それでも言葉には出さずに、地上車の扉を開けた。
「ようこそ、艦隊司令部へ」
+ + +
この時代ではほぼ自動運転で動くため、自分が運転することはまれだ。
車内では必然的に会話が生まれる。
本来であれば先輩でもあり、部下でもあるという環境はともすれば互いに不幸だろう。
互いに遠慮が生まれる状況になる可能性が高かったが。
「いや、あの烈火のアレスと同じところで働けるというのは幸運なことですね。準々決勝で私の友人があたったことがあったのですが、完敗だったといっていましたよ。ま、それで稼がせてももらったのですけどね」
その点において、運転席の人物、リスト・アドリアネードは適任であったのかもしれない。
上官への敬語は忘れずに、しかし遠慮することもなく積極的に話かける。
どことなく嬉しそうな様子は、艦隊司令部で年の近い人間が入ってきたことよることかもしれない。あるいは、アレスが思っている以上に、階級や年の差というものは、そこまで大きな違いではないのかもしれない。
これは実際にアレス・マクワイルドが軍に配属してから気が付いたことだったが、この世界では比較的―-というか、異常なほどに階級が上がりやすい。
帝国でのラインハルトの例だけではなく、ミッターマイヤーやミュラーといった有名な人間も二十代で将官まで上がっている。
それは皇帝の発言が左右される帝国だけではなく、同盟でも同様だ。
ヤンやアッテンボローなどは同盟の崩壊間際のヤケクソ昇進があったとはいえ、二十代で将官にあがっているし、あのドーソンですら四十代で中将の階級になっている。他にも有名なホーランドは三十代で中将だ。
通常であれば、軍のトップを担う将官職をそこまで簡単に増やさない。
将官が増えたところで、役職の数は決まっているからだ。
無駄に役職を増やしたところで、仕事がなければ意味がない。
中将の数が増えたところで、艦隊の数が増えてくれるわけでもない。
だが、この時代ではそれを可能としている。
いや、そうならざるべきだったのかとアレスは思う。
戦死者だ。
役職の数が同じであったら、その役職にいた人間が死んだ場合には当然代わりを送らなければならない。現代であれば、将軍階級の人間が死ぬことはまずありえないのだが、この時代は実に、ぽこぽこともぐら叩きのように死んでいく。将官クラスですらそうなのだから、現場の数はさらに多い。
結果として、本来であれば時間をかけて学び、力をつけたはずの人間が何も知らぬままに役割を押し付けられて階級だけがあげていく。ヤン・ウェンリーの様に優秀であれば問題ないのだが、現実的にはドーソンとまではいかなくても、経験不足な人間が多い。
まだ帝国であったならば、無能な貴族から優秀な平民が台頭できるという利点もあったのだろうが、同盟ではそれも期待ができない。そう考えると単に帝国と同盟の違いは、ラインハルトの台頭や戦力差以上に、絶望的な壁となって立ちはだかっているといえる。
時間をかければ、かけるほどに戦力差は広がっていくのだ。
「どうかしましたか?」
「次の作戦のことを少し」
「さすがのマクワイルド大尉も初めてでは緊張しますか。大丈夫ですよ、私も初めてでしたが、何とかなるものです」
「そうだといいのですが」
微笑で言葉を返しながら、窓の外から近づく、艦隊司令部をアレスは眺めた。
時間をかければ、かけるほどに戦力差は開いていく。
だが、そのために歴史を変えたとしても問題がある。
というよりも、それはたった一度しか使えない切り札のようなものだ。
歴史を変えた瞬間、それはアレスの――というよりも原作の手から離れて、無重力を漂うボールの様に新たな歴史を作り出すことだろう。
それがどこに終着するか、実行した段階でアレスはもはやわからない。
かといって、このまま歴史を変えなければ、作戦参謀であるアレスは死なないとしても、現場では多くの人間が死ぬことになる。
艦隊司令部を間近に見上げても、アレスは答えを出すことはできなかった。
+ + +
一口に作戦参謀と言っても、全員が頭を寄せ合って作戦について討議するといったことはあり得ない。全員で作戦行動を考え、補給を考え、計画を立てるなど無駄もいいところだ。
作戦参謀内でも、それぞれの部署に分けられ、配属されたものは一つの事柄のみを検討することになる。例えば、ヤンやアッテンボローは交戦時の作戦を立案、計画する部署であるし、ワイドボーンはイゼルローン要塞接近後の、要塞の攻略作戦について陸上戦隊から送られた人員と協力して作戦を立てる部署だ。
アレスが配属されたのは、その一つである情報参謀と呼ばれる部署だ。
イゼルローン要塞や敵軍の情報、さらには秘密を要する訓練計画の情報統制といった事柄が担当であり、主任情報参謀のリバモア少将及び主任情報参謀代理のビロライネン大佐の元、それぞれ部署で中佐が責任者となって、仕事をこなしていた。
情報参謀の任務は作戦の成否を決めるともいえる重要な役割であるが、その中でも訓練計画や情報統制の部署にアレスが送られたのは、まだ一年目の新人であるということもあるのだろう。
攻略戦が始まったら、やるべきことはほとんどない。
むろんその前にもやるべきことは多いのだろうが、他の部署に比べれば比較的責任は少ないということだ。
クエリオ・アロンソ中佐と名乗った銀色の髪をした四十代半ばの男性だった。
生真面目そうな表情は、軍人というよりも官僚といった印象がある。
アレスを見る視線も歓迎というよりも、ただ淡々とした表情であった。
その顔立ちをどこかで見たような気がしたが、アレスはさしたる印象を持たなかった。
その後の印象が強すぎたからというのが正確なところであったが。
「ようこそ、情報参謀第五室へ」
それが訓練計画を立てる部署の名称であるのだろう。
大きな声と演技のような大げさな動作は、まるで役者のようだ。
フョードル・パトリチェフ。
人数が多すぎて、いまだに誰が登場して誰が登場しなかったか迷うことのあるアレスでも知っている有名人物である。
巨漢で、穏やかな人柄そのままに、アレスを笑顔で迎え入れた。
大きくやわらかな手が、アレスの肩を叩いた。
若干痛い。
この行動はよくあることのようで、周囲の視線もまたかといったような様子だった。
最も声が大きいのに間違いない。
いつの間にか眉間にしわを寄せたアロンソが、パトリチェフの背後に立っていた。
「パトリチェフ少佐。そんなに騒ぎたいなら、ここじゃなく個室を用意しようか」
「ま、マクワイルド大尉。そんなわけでさっそく仕事だ、このコピーを三十部。大至急でだ」
そうして、アレスの初日は始まった。
+ + +
訓練を三月に予定し、二月の頭のこの時期は一番忙しい時期であったのだろう。
訓練場所の選定、他の艦隊との日程調整、補給物資の依頼等、細々としたものが多い。
その中でもアレスが一任されることになったのが、要は雑用だ。
簡単なものではコピー、他にも細々とした申請書類や定例的な報告書の作成。
まさしく、カプチェランカの異動前にアレスがワイドボーンに対して言ったそのままのことが仕事として目の前にきている。
最初の一週間は、アレスはそれらをこなした。
新人の仕事など、数十年以上前に経験したことであったが、さすがに情報参謀での仕事は初めてのことだ。知らぬことを覚え、しかしながら、基本的なことはやはりどこの世界でも変わりがない。
与えられた仕事を淡々とこなしながら、アレスは周囲を見ていた。
今は二分ほどでできるようになった、定例の報告書をまとめ上げたアレスは、端末の前で手を止めた。
周囲ではみんな忙しそうに自分の仕事をこなしている。
そうして、上がってくる報告に対してパトリチェフが適切に指示を出す。
さすがはエリートが集まるといわれる作戦参謀ということなのだろうか。
だが、そうしていて問題となる部分がないわけではない。
それは作戦参謀だけであるのか、あるいは前線においては全てであるのか。
絶望的な情報伝達の少なさだ。
これが後方勤務本部であったのなら、他の部署の仕事は自分の仕事にも関わってくるため、細かなことでも電話や書類で情報のやり取りを行う。ところが、作戦参謀では定例的な報告はあるものの、リアルタイムで動くことが後方勤務本部と比べて圧倒的に少ない。
同じ情報参謀同士でも、朝にその日の状況報告と任務の伝達が行われるだけ。作戦参謀同士になると、週に一度の定例会議で、互いがどのようなことをしているのか理解できるくらいである。ましてや、他の艦隊の状況などアレスが一週間艦隊司令部にいても、報告書が上がってくるほかに一度も入ってくることがなかった。
あるいは主任参謀や艦隊司令官などの、上層部では情報の共有があるのかもしれない。
むしろ、そうであってほしいと思うのが、アレスの正直なところだ。
だが、周囲を見ればみんなが自分の仕事に一生懸命であり、他の部署どころか隣の人間の仕事ですら理解していなさそうだ。
端末のカレンダーを見れば、既に二月も半ば。
訓練開始まで一か月を切り、イゼルローン攻略までは三か月を切っている。
時間はない。
報告書の送信キーを押せば、静かにアレスは立ち上がった。
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