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越奥街道一軒茶屋

作者:綾瀬紫陽
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灯愛

 恋だの愛だのってのの経験があっしには殆どねぇんですよ。他人に深入りし過ぎない性分のせいなのか、ただ単にあっしに魅力がないからなのかはわかんねえんですがね。
 自分に経験のないものを理解するってのは多分無理なんでしょうが、他人を好いてたりする人ならば何人も見たことがあるんで、全くわからないってことはないんじゃないかって思うんですよ。
 そういう人は大抵幸せそうですねえ。自分が大切に想ってる人と一緒に居られるってのは、幸せ以外の何物でもないんでしょうなあ。

 当然の如く、例外ってのはいるんですがね……。

 その旦那の持つ雰囲気は、最初見た時から異常だって感じがしやした。
 あっしと同じか、下手したらちょいとしたくらいの人でね、中々器量はいい。どこに居ても絵になるって感じっていえばいいんでしょうかねえ。そんな人なんですよ。
 でも不自然に足取りとか態度が軽い。そういう人だっていないわけじゃないんでしょうが、あまりにも違和感があるんでさぁ。
 始終ずーっと顔に笑みを浮かべてて、全体的にちょっとふらついてる。酔ってるように見えるんですが、酒の匂いとかは全くしない。

 注文とかは普通にしてくれたんで、あまり見え透いた警戒はしないように、

「なんかいいことでもあったんですかぃ?」

 って風に探ってみたんですよ。
 したら

「いやぁねぇ。もういいことしかないっつーか、そんな感じなんですよぉ」

 そう答えてくる。
 会話が通じる余地はありそうだったんで、縁台の隣に座ったんです。
 声も態度と一緒でふわふわとしていて覚束ない。まるで魂だけの幽霊みたいな感じでしたねぇ。

「実はねぇ、僕には想い人がいるんですよぉ。同じ村にいる娘でね、性格も見た目も文句なし! でもどうしてか、村の皆は僕らがくっつくことには大反対。仕方なく夜にこっそり合ってたら、それも見つかって僕は部屋に閉じ込められちゃったんですよぉ」

「はあ……。余程お二人が結ばれるのが嫌だったんで――」

「そう! 絶対にさせまい! って感じです。でも僕はどうしても彼女が好きだから、思い切って逃げ出したんですよぉ。駆け落ちです。駆け落ち。それが大成功! あとは、二人でのんびり暮らせる場所を探すだけ!」

 話の熱量に、少々圧倒されちまいやした。
 それにしても、駆け落ちしたまま旅をしてるってことは、相手の女がいるってことになりやす。でもそんな人はどこにも見当たらない。
 旦那にそのことを聞いてみやした。

 曰く、彼女は自分と顔を合わせるのが恥ずかしいほどに、自分を好いている、と。だから昼間は互いに離れて距離を置いていて、夜野営をしてる時に顔を合わせる、という奇天烈なことをしているらしいんでさぁ。

 そのあとも色々と話をしたんですがね、全身で感じるおかしな雰囲気は晴れないままだったんです。
 結局その正体が掴めないまま、旦那は店を後にしやした。

 どんなお客さんでも、店を去っちまえばそれ以上の事はわからなくなる。旦那の抱える事情は結局わからず仕舞いになるのかと思ったんですよ。
 でも意外なことに、事情はすぐに分かったんでさぁ。

「あの、今さっきこの宿に若い男の人が来ませんでしたか?」

 旦那が去って少ししたとき、娘がやってきましてね、あっしにそう聞いたんですよ。
 妙な雰囲気の旦那の事かと、旦那の特徴を伝えて確認したら、娘は確かにそうだと認めたんです。

「その旦那、自分の恋人と旅をしてるって言ってやしたが、あんたさんが?」

 聞いてみたが、どうも違うらしい。
 それどころか何かに怯えるみたいに、顔を青ざめさせたんでさぁ。

「彼の言う恋人は、半年以上前に死んでいます」

 この言葉には流石に驚きやしたね。
 まあ旦那の様子をみればそんぐらいのことあっても不思議じゃないって感じではあるんですがねぇ……。
 とりあえず事情を聴くために、娘に茶を出して落ち着いて貰ったんですよ。
 したら娘は、旦那の過去をまるで怪談でも話すみてぇに、戦々恐々とした風にしゃべった。

 元々旦那が恋人と結ばれるのを許されなかったのは、身分に差があったかららしいんでさぁ。旦那は村一番の金持ちの子、対する女は貧困にあえぐ家の子、わかりやすい話ですよ。
 でも女が旦那を想う気持ちは相当に強くて、とうとう恋に焦がれて死んじまったんだと。
 旦那がおかしくなったのは、そこかららしい。

 もう女は骨になって埋まってる筈なのに、毎晩女が尋ねてくるとかいって、上機嫌になるようになった。
 当然そんなことあるわけないってんで、村の連中が夜に旦那の様子をこっそり監視すると、旦那が動く骨と親しげにしてた、と。

「私たちが困惑してる間に、とうとう彼はその女と結婚すると言い出したんです。誰が何を言おうと、彼は彼女が生きていると言い続けたし、結婚も、絶対に引きませんでした」

「なるほどねえ。恋の執念というか、そういうのに憑かれたってわけですかい。旦那は監禁までされたと言ってやしたが、ちゃんと事情があったと」

 あっしの言葉に、娘は頷きやした。
 どんな形であっても、霊に憑かれた人ってのは弱ってくんですよ。死んだ人とずっと関わってるからってのもありやすが、何より本来この世にいちゃいけないものと一緒にいると、生気っていうのか、そういう活力みたいのがはぎ取られていくんでさぁ。
 娘曰く、旦那もそうやって衰弱してったそうだが、あっしの前に現れた旦那は、全然普通の人だった。

 長い間憑かれてるのに普通に見えるのは、大体取り返しのつかないとこまできちまってる場合なんでさぁ。

「それで何とか抑え込んでいたのですが、彼は、ある日突然狂暴になって……。それからは、本当に地獄でした」

 旦那を止めようとした村の人が、旦那の素手でむごい目にあった、と娘は話しやした。死人が何人も出て、結局旦那の逃亡を許しちまったと。

「私は、彼の動向を離れて追うことにしました。それをしたから何ってわけでもないのですが、そうしなければいけない気がして……」

 根拠のない使命感ってやつらしい。それに突き動かされる人ってのは、意外と多い気がしやす。

「人の一生が最初っから決まってるなんてのはあり得ないと思いやすが、あんたさんのそれは運命とか、そういった類らしい。自分の使命だと思うんなら、あの、もうどうにもならない男の行く末を見届けるのは、きっと間違っちゃいねえんでしょう。あっしにできることはなにもありやせんねえ」

 話は、こんな感じに締めくくるのが一番でしょうなあ。
 男を見失うといけないってんで、そのあと娘は店を後にしやした。

 二人とも数奇な流れにいるみたいで、他の人とはちょっと違った雰囲気をもってやしたねぇ。
 これ以上のことは、あっしには知る由もありやせん。ただ一つわかるのは――

 執念に関わったものが、幸せな道をたどることはない

 ってことだけです。 
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