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越奥街道一軒茶屋

作者:綾瀬紫陽
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手長の目

 今日の昼ごろでしたかねぇ。えらい綺麗な女のお客さんが寄ったんですよ。着ているのも中々質のいいもので、どうもこの街道には似つかわしくない。歳は……大体二十七、八くらいでしたかねぇ。
 まぁ来たお客さんは快く持て成すのがあっしの信条ですから、いつも通り茶と特製の菓子を出して、ちょっとお喋りをしやした。

 最初はちょっととっつきにくい印象を持ってやしたが、話してみると意外とそうでもない。物静かだけれども人懐こい感じの人で、話が弾んだんでさぁ。
 しまいにゃ、

「どこかの銘菓みたい」

 なんてあっしの出した饅頭を褒めるもんだから、すっかりこっちがもてなされてるみてぇで……。
 そんな具合に色々と話を聞いたんですがね。このお客さん、昔はどこかの偉い家で給仕の仕事をしてたとか。

 道理でって感じで合点がいきやしたよ。仕草とかに礼節がしっかりしてた。並みの家じゃああそこまでやらねえなって程度に。
 あと、そういう仕事は二十歳までってなるところも多いって聞きやす。この人は給仕の仕事を引退して、その後色々あって、旅をしてるんだろうなってのも、何となくわかったんですよ。

 そんな感じで話してたんですが、ふと彼女の手に目がいったんですよ。別に深い意味はねぇんですけどねぇ。
 すると、両の手に包帯を巻いてるのに気づいたんですよ。

「それ、怪我ですかい?」

 ってあっしが聞くと、

「まあ……」

 とかなんとか、微妙な返事が返ってきた。
 なんか引っ掛かるなあと思ったんですがね、丁度その時新しいお客さんが来ちまったもんで、それ以上何もできなかったんですよ。

「ちょっといいかい?」

 新しく来たお客さんは、あっしにそう声をかけたんです。振り向くまでもなく分かりやしたよ。

 菓子売りをしている宍甘《しじかい》の旦那だったんです。
 旦那は三十路を少し過ぎた、まぁあっしより十くらい年上の人なんですがね。あっしがもっと餓鬼の頃からの付き合いのある人なんでさぁ。
 丁度いいってんで、女のお客さんにはちょっとの間一人でお茶してもらって、旦那から商品を買ったんですよ。
 菓子じゃなく、材料のほう。あっしは店で出す菓子を全部手作りしてるんで、その材料を旦那から買い入れてるんでさぁ。

 小豆やらモチ米やら、まあ一通り在庫が寂しくなっていたのを買い足して、勘定を済ませた。
 んで、旦那が来たときゃ、いつも礼代わりに茶と菓子を出してるんですよ。だから今度もおんなじようにしようとしたら、

「おお、別嬪さんがいるじゃないの」

 って、お客さんに話かけ始めてねぇ。
 生来女好きな人だから、またか……って感じでさぁ。
 お客さんも嫌な顔はしてなかったもんで、折角だからてんで、あっしも茶を入れて休憩することにしたんですよ。

「ったく、あん頃の小僧が、今じゃすっかり茶屋の主人が板についてるもんなあ」

 妙に上機嫌で、旦那はあっしの昔話を語り始めた。
 正直こっぱずかしいのはあるんですがね……。

「姉さん姉さん。こいつね、十五ン時から店を切り盛りしてんですよ。一人親に死なれてね? 俺ァこいつのおふくろが店をやってた時代から付き合いがあったんだけどよ、こいつが店を継ぐって決心したときゃほんとたまげたよ。最初は随分頼りなかったんだけどなあ……」

 こんな風にペラペラと話しまくっちまうもんで、止めようかどうか迷ったほどでしたよ。
 でも、何が興味を引くのかわかんないんですがね、お客さんのほうも妙に話に食いついてる。お陰でこっちは止められず、今までのこと洗いざらい全部話されちまった。
 妙に上機嫌だったんで、ちょっと問い詰めたんですよ。したら、

「いやあ、さっき私用の財布を掏られてるのに気づいちまったんだよ。まあ大した金じゃねえから構いやしないんだが、その所為」

 思いもよらない答えが返ってきた。財布掏られて上機嫌になる奴なんざ聞いたことねえんですがね、本人がそれでいって言うんだったら、構うことないと思ってそのまま話を流しやした。

 その代わり、さっきのお返しに、あっしも旦那の昔話をぶちまけたんでさぁ。
 先代は立派な店を持つ老舗の菓子屋だったこととか、そこが色々あって潰れて、餓死寸前までいった時期があったこととか、おふくろから聞いたことも含めて話してやったんですよ。
 したらお客さん、こっちには度肝抜かれたみてえでしたね。

「そんなに意外かい? 苦労話とはいえこんな奴のだぜ?」

 って旦那が聞くと、

「どうして……」

 そう呟きながら、ちょっと顔を伏せたんですよ。

「御二人とも、どうしてそんなに笑っていられるのですか? もし私だったら、絶望してしまいます」

 やっぱり何か心の奥底に持ってる人だったんですねぇ。客の過去を詮索することなんてしやせんが、そん時の声には、なんだか後悔みたいのが感じられましたよ。

「過去なんて、笑い話にする以外どうしろっていうんですかい? そりゃ温故知新、とも言いますがね、今の自分にはそれ以上のものはないじゃありやせんか。あっしはそう思ってますよ」

 全てを知らないままに人を励ますってのは、無責任なのかもしれませんがね、時にこういう言葉で心の穴が塞がる人は良くいるもんですよ。
 お客さん、ものすごく驚いた顔をしてやしたね。
 丁度その時、日の加減を確認した宍甘の旦那が暇を告げてきたんでさぁ。
 それを切っ掛けに、この話は終わりになったんですよ。

 でも本当に肝心だったのは、この後。
 お客さんのほうも、そろそろ出ると言って勘定を済ませたんですがね、そん時あっし、気づいちまったんですよ。
 普段からバケモノとかに気を配ってる所為か、こういうのには妙に鼻が聞いちまうんでさぁ。

「その金はあんたにやりやすよ」

 歩いていこうとしたお客さんに、あっし、そう声をかけたんです。
 するとお客さんは、立ち止まった。背中を向けてたんで顔は見えなかったんですが、包帯を巻いた手が、少し震えてるのは見えましたね。

 この女の人、掏摸師だったんですよ。

 宍甘の旦那に金を払った時、あっしが財布をどこに持ってるか見てたんでしょうねえ。それで、話してる間のどこかで掏ったんでしょう。
 いつ掏られたかってのは全然気が付かなかったんですがね、勘というか、気配というか、それに賭けて声をかけたんでさぁ。

 それに、やっぱりこの女の人にはなんかが引っかかる。

「気づかれてしまいましたね……。矢張り出立するのはもう少し後にしましょう」

 そういって、彼女は縁台に座ったんですよ。
 一緒に、あっしから掏ったお金を差し出してきた。
 やるとは言いやしたが、本人にその気がないならば、素直に返してもらいやした。

「これを、見てください」

 彼女、言いながら手の包帯を外したんですよ。
 その下に隠されてたのは、何と目玉だった。さらに着物の袖をまくり上げて腕を露わにしたんですが、そこにも無数の目がくっついてた。

「あんた、銭に祟られたのかい」

 どう見ても鳥目の念が憑いた奴でしたね。
 女は良くわからねえみたいで、目を伏せるだけ。

「盗みをする輩、つまり手長の腕には、銭……鳥目が祟って目をつけるんだ。祟り目ってやつでさぁ」

 説明すると女は罪悪感を浮かべやした。

「私の過去も、聞いて頂けないでしょうか」

――

 女がどこかで給仕をしてたってのは、店に来てすぐに聞いていやしたが、給仕を辞めてから今まで、彼女はとんでもない苦労をしてきたらしいんでさぁ。
 それで掏摸に手を染めたんだとか。
 でも今は上質な着物を着てる。そこを尋ねると、どうやら今ではそのくらいには持ち直してて、でも掏摸がやめられなくなってる、って感じのようで。

「私は、かつての自分に重くのしかかられているのです。今の自分は、過去の自分のようになることはできない。だから、かつての自分のような人を見ると、仕返しをするように、懐を探ってしまうのです」

 女はそう締めくくりやした。
 一人のお客さんに深入りするってのは、あまり好きじゃないんですよ。でもこの場合は、話が別。

「そうなった人を、ドドメキっていいやしてね……。キは鬼のキ、つまり、バケモノの仲間なんでさぁ」

 自分でも、中々冷徹な言葉だと思いやす。でもバケモノを人に戻すには、まずこっから始めなきゃいけないんですよ。
 案の定、といったら可哀想かもしれねえが、彼女は悲痛な顔を手で覆いやした。

「心の隅で、そう思っていました。他の人に手すら見せられないなんて、化生と何が違うのかと……」

 彼女だけが何も特別じゃあねえんでさぁ。人なのかバケモノなのかわからなくなってるようなのは、意外とどこにでもいるんですよ。

「それを認めなきゃ、人に戻ることもできねぇんですよ。だから裏を返せば、今のあんたは一寸だけ人に近づいたってことなんでさぁ。あっしにできるのはここまで。あとは自分の力でなんとかするってことになりやす」

 どうやら泣いてるみてえで、覆った手の中から嗚咽が聞こえてやしたね。

「後悔できるんだったら、絶対に成し遂げられる筈でさぁ。御足を洗うってのは、案外簡単なんでねぇ」

 そう言ってる間にも、女はすすり泣きをしっぱなしでしたよ。
 これ以上は野暮なんで、そのまま店の奥に入りやした。

 女は、いつの間にか出立していやした。 
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