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ソードアート・オンライン オルタナティブ アナザーハンドレッド

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02


第76層、アークソフィアに来てから、かれこれ半日ほど経っただろうか。

あの後、キリトたちから逃げてきて、いつの間にか宿をとり、【処理】をしたあと僕はどうやらそのまま寝てしまったらしい。

【処理】を重ねた左腕が、ゲームの中では感じないはずの痛みを訴える。

なぜ、未だに続けてるのか自分にも解らなかったがやりきれない辛さが僕をそこへ追いやった時に、気付けば【処理】を終えた左腕がそこにある。

そんな感じだった。

半日経った今でも宿屋の周りは騒がしく、僕の暗転した思考をイライラさせる。

ここで半ば無理矢理思考をポジティブにして、敢えて外に出ようと考え、簡素な下着だけで寝ていたので、その上にこれまた洒落っ気もない私服で宿屋にコルを支払ってから退室する。

今は現実世界同様、冬なので周りも当たり前のように長袖なので左腕が違和感なく隠れるのはありがたい。

宿屋から一歩出たところで見知った背中を見つけた。

引き返そうか悩んでいると、僕の気配に気付いた(あるいは索敵スキルが働いた)のか彼が「ん。」と喉から声を上げて僕を見たあと、続けて言う。

「やぁ、ユーリ。ちょっといいかな。」



そう言われて広場のベンチに腰掛けさせられ、「ちょっとここで待っててくれ。」と言って僕の返事を聞くことなく彼は雑踏の中へ走り去ってから10分近くが経過していた。

帰ろうかな。第一、一番会いたくなかったのに。と考えたところで声がかかる。

「お待たせ。ん。」

と言葉少なく、彼は新層解放のお祭りでプレイヤーが出している露店で僕の好物をいつ調べたのか、たこ焼きを僕に向けて差し出した。

多分たまたま差し出したのがたこ焼きだったのだろう。
何故ならその後、ホントにそれ片腕で持ってきたのかと疑いたくなるほどの露店販売B級グルメ(それは食べられるのか?と思うような珍怪なものを含む)をどばどばとベンチの上に広げた。

「まずは腹ごしらえからだな。」

と言うと、ものの数秒で焼きそばを完食した彼が次の瞬間にはホットドッグのようなものに手を伸ばしていた。

「ん?食わないのか?」

とキリトが僕とたこ焼きを交互に見ながら問いかけたので僕は答えた。

「ごめん。今、食欲ないんだ。ほんとにごめん。」

「そっか。わかった。」

ん?なにが?という疑問が起こるのとほぼ同時にキリトは瞬間移動もさながら、僕の目の前に顔を近付けていて、一瞬で僕から箸を奪い、

「食え。」

といって、閃光のアスナも顔負けのスピードで僕の口の中へ何かを押し込んだ。

「ふぁっつ、ふぁっ、ふあっついよキぃト!」

物凄い熱さに驚いてむせそうになるものの、我慢してはふはふと口の中で冷ますとソースの甘い香りが口の中で広がり、香ばしくてカリッとした食感の外側とフワフワともモチモチともつかぬ形容し難い好食感の中身の更にその中で、ぷりぷりと口の中で踊りだす新鮮なタコの切り身を咀嚼して、満足感たっぷりの表情でそれを飲み込む。



はふぅ。と満ち足りた吐息を漏らすと満足したのかキリトが満面の笑みを僕に向ける。

「な?うまかったろ?」

「そういう問題じゃなくて、食べる気分じゃないってどうしてわっかんないかなぁ。」

困り顔をしつつも、かつて共に行動したパートナーの変わらない態度に安堵する。

あの46層での出来事がまるでなかったかのように、彼がたまに出逢ったとき見せる態度は微塵もなく、それ以前に遡ったような錯覚に陥る。

だが、事実としてアレはあったのだ。多分キリトが僕を苦手に思うのは、僕自身が彼を避けているからなのだろう。

改まって話す機会が儲けられたので、ここであの時のことを謝らねば、この疎ましい感情を拭い去ることは出来ない。

呼吸を整え、覚悟を決めてから口を開いた。

「キリト。その、君の話の前に少しいいかな。」

「ん?…ああ。」

疑問符のあとに何か思い至ったのか、真剣な眼差しでこちらの視線を包み込む。

彼の態度が僕を落ち着かせ、より話に入りやすくさせてくれる。

彼のこういうところも、他人を避ける癖がある僕が、この男を気に入った理由の一つであるのかもしれない。

「あのとき、第46層でのこと、覚えてる?」

僕が何を言い出すのか、大体分かっていたのだろう。
考える素振りもなく。

「忘れるわけないだろ。」

と、変わらず真剣な表情で答える彼の眼差しは寂寥に満ちていて、あの日のことを思い浮かべているようだった。

「忘れるわけ、ないじゃないか。」

もう一度漏らしたあと彼は一度僕から目線を外して俯(うつむ)いた。

僕は図々しくも、やっぱり。と思っていた。

やっぱりキリトはずっと抱えてたんだ。あの時のことを。
彼の声色はそれほど弱く、ひび割れていた。

それに促されたかのように続きを発する。

「ずっと、背負ってくれてたんだね。ありがとう、キリト。ごめんね。ごめんね。」

僕の目からは光る熱い滴が顔に線を引いていた。

彼はポケットからアイテム、ではなく、ハンカチを取り出すと僕の目尻を拭ってから僕をまっすぐ見た。

「俺はあの日のことを忘れた日は一度たりともなかった。お前に会う度に、まともに話す機会がないからと言い訳をしてお前を避けていた。もう半年以上になる。」

と言いながら、キリトは立ち上がってまた僕の瞳を自分の漆黒の双ぼうに捉えてから続けた。

「冷静に考えれば間違っていたのは俺の方なのに、自分を正当化して、お前を責めた。すまない。本当にすまなかった。俺の意固地がお前を苦しめた。」

次のキリトの言葉に僕は隕石が落ちてきたかのような衝撃に撃たれた。

「俺があの時、奴ら、ラフコフと戦ってなければアイツを助けることが出来たはずだったんだ。」

「え…?」

「ん?」

急速に冷える思考が何かを訴える。
あの時、何かを見落としていた。
キリトの言葉にそれはあった。

「殺人ギルド、ラフィンコフィン…とだって?」

キリトが眉の根を寄せてそれがどうしたとでも言いたげな表情で続く僕の言葉を待っている。

「あり得ない。奴らがあの瞬間に襲って来ることなんてあり得るはずないんだ。」

疑問をもったのかキリトがしゃがみこんで僕の肩に両の手を置いた。

「教えてくれ。何故、そう言い切れる。」

あの日奴等は…

「キリトには手を出さないってアイツは言ってたんだ。」

キリトの表情がいっそう険しくなり発せられた言葉もまた緊迫感を帯びていた。

「アイツ…ってまさか…」

僕はその人の名前を口にしただけで震え上がりそうなのに、よくもまぁあの時、あんな大胆なことが出来たものだと、自分自身に畏怖を覚える。

だが、事実はキリトに伝えなきゃならない。もうあの時のようになりたくはないから。

「ラフコフのボス、POHだよ。キリト。」

キリトはその場でしばらく口を開いたまま固まっていた。


第45層のボスを撃破したのち、僕とキリトは46層のアクティベートのために主街区へ向かった。

途中で亜人型モンスターに数回遭遇したものの、安全マージンを大幅に保っている僕らコンビの敵ではなかった。

「よし、この層も一週間で攻略するぞ。」

毎度ワクワクしている少年に僕は半ば呆れながら苦笑する。

「はいはい。ったく、君はいつまでも少年なんだね。」

「どういう意味だそれ?」

にこやかにそう言って、POPしたモンスターに斬りかかって行く。

あれだけポジティブにこのゲームを楽しめたらどれだけ気持ちが楽なんだろうか。

と一瞬思ったが、かつて彼が僕に吐露した意外な内容を思い出してそっと心の中で親友に手を合わせる。

そうだったね。キリトも同じだった。この世界に対して恐怖を抱くのは誰も同じなんだ。怖くて当たり前なんだ。

そう考えたところで声がかかる。

「なにボーッとしてんだ?コイツのドロップ全部もらっちまうぞ。」

「ちょっ、待ってよキリト。まだ僕は行動パターンを把握してないんだよ?」

「自業自得だよ。はぁっ!」

バシュッ。という音と共にモンスターの体が真っ二つに引き裂かれガラスの破片となって四散する。

それと同時に経験値、コル(この世界のお金)、アイテムの取得ログが表示される。

そのウインドウを閉じたキリトが僕を見て口の片端をにやりと吊り上げた。

「どうやら間に合わなかったみたいだな。」

彼は忘れているようなので僕がそれを教えてやる。

「残念だけど、ずっとパーティー組んでる状態だろ?」

「なっ…」と一瞬声を詰まらせたあとに身も蓋もないことを言う。

「ま、まぁパーティーであり、親友であるユーリには分配しないとな。」

「よく言うよ。」

ゲシッ、という効果音が似つかわしいような軽さで、彼の頬に拳をあてる。

「ふっ…はははは。」
「っふふふふ。」

どちらからともいえず、互いに笑いあっていた。
こんな時間が永遠に続けばいい。
そう思った。
永遠にとは言わずとも、せめてこの世界のどちらかの終焉までそうしていたいと心から願っていた。

だが、まさかこの層で僕らはバラバラになるなんて、考えてもみなかった。

そして、このあと半年以上後悔し続けることも。

そうやって、たっぷりMOB狩りをしているといつの間にか主街区に着き、放置しても残り1時間程度で開く転移門をアクティベートした。

コォオオオ、という音と共にコバルトブルーの光が門から発せられる。

直後、大勢のプレイヤーが下の層から転移してきていた。

「お、今回のアクティベートは攻略組、コンビのキリトとユーリだ。お前ら、次も頼むぞ!」

「もうすぐ半分ね!頑張って!なにも出来ないけど応援してるわ。」

などと、新層解放を祝う声に歓迎を受ける。

「あ、ああ。できる限りがんばるよ。」

パーティーの雰囲気に慣れていないのだろうキリトが助けを求めてこちらをチラチラと目だけで見る。

ったく、しょうがないなぁ。僕も苦手なんだけどなぁ。人と関わること。

「あの、僕らこれからクエスト受注しに行こうと思うので。」

とキリトの手を握ってその場から連れ出す。

「頑張れよぉ!」
「期待してるぞー」

という黄色い声援が背後に聞こえる。
ふぅー。と溜め息をつくと、キリトはボス戦の時よりもドッと疲れた顔をしていた。

「大丈夫?顔色…でいいのかなこの世界でも。じゃなくて、顔、すごく青いよ?」

脱線しかけたが戻して尋ねるとキリトは答えた。

「だいじょばない、だからお前の金で宿に泊まらせてくれれば治るかも。」

と彼が多少のコルにこだわるので「てい!」と額にチョップを食らわす。

「いてっ、はっはっは。」

「笑って誤魔化すなよ。第一既に二人で泊まってるんだから割り勘でそんなに高くないだろうに。」

「俺の財布は別の物に消えていくのさ。」

彼が調子のいいことを抜かすので、こちらもトドメを刺しにいく。

「7層のモンスター賭博とかね。」

「うっ…癒えたはずの傷を突っつきやがって。」

「自業自得だよ。」

先程彼から言われた言葉をそのまま返す。とキリトは苦笑いしながら言った。

「ま、まぁ、いい経験が出来たと思えば、な。」

な。じゃないよ。な。じゃ。

「はぁ、それはもういいよ。それより本当に平気かい?」

僕が本気で心配しているのを感じ取ったのか、こういうときキリトは嘘をつかない。

「大丈夫。ちょっと人酔いしただけさ。少し休めば治るだろ。」

互いに部屋を分けるか提案したが、金銭的問題もありこれまで通り割り勘で一部屋に泊まる。

「キリト、君はシャワー浴びないのかい?ってまぁ、いつも聞くけど。」

「いつも通りで。」
「りょーかい。」

この世界でなく向こうの世界だったら不衛生過ぎて一緒の部屋にすら居たくないのだが、ここは仮想の世界だ。

現実世界で【処理】を行った左腕も痕跡は全くない。

ショートカットの髪をシャンプーでほぐしながら鼻歌が自然と漏れだす。

こんなデスゲームに囚われていても、僕は幸せだった。

大好きな親友と共に冒険し、この世界のクリアを目指すことに充実を覚えていた。

自らの青白い仮想の肌を撫でる。

華奢な肩をブルりと震わせてお湯の温度をやや上げる。

鏡に映る自らの顔に手をあて、いつの間にかボソりと呟いていた。

「なんだよこの再現率…」

痩せ細った体、髪の色、己を見つめる瞳。
僕は自分の顔が嫌いだった。

この顔が原因でかつていたリアルではイジメを受けていた。

男女構わず僕を凌辱し、暴力をふるい、そして終いには…。

思い出しただけで寒気が走り、吐き気を催す。

汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い。

汚い手で僕に触れるなああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!

「あああああああ!!!!!あああああああああああああああああああああ!!!!!」

叫びながらシャワールームを全裸で飛び出す。

だが、僅か数歩でその場に崩れ落ちる。

それを見たキリトが色々な意味で面を喰らっていたが、すぐに駆け寄ってくる。

「ユーリ!何があった!!?」

近くに落ちていたタオルケットで僕を覆い、一瞬躊躇ってから後ろから抱き締める。

「かっ、かか…かぁ、かっ……。」

過呼吸になる僕の手をキリトがギュッと握る。

「いるぞ、俺はここに…お前の側にいるぞ。」

耳許で熱い吐息が静かにかかる。それは喘いでしまいそうになるほどに心地好かった。

キリトの言葉に、そして握られた手に僅かに安堵してタオルケットの隙間から覗くように後ろを振り返る。

「か…かずと…」
「百合…」

僕らは呼び合った。リアルでの互いの名前を。
僕と和人は小学生の時の同級生だった。



既にネットゲーマーだった和人と共通の趣味を持つ私が仲良くなるのは必然だったのだろう。

私は桐ケ谷和人を『かずと』と呼び、彼は私のことを下の名前である『百合』と呼んでくれた。

私たちは色々なネットゲームをした。

もちろん今のように仮想現実ではなかったけれど、それでもかずととのプレイは病み付きになるほど楽しかった。

だが、小学六年生のある日のことだった。

家に帰ると父親が食卓で両肘をつき、その手の甲に額を付けて沈んでいた。

そしてその向かいには両手を強く顔面に押し付けて咽び泣く母親の姿があった。

どうしたことだろうとさすがの小学生でも異常な雰囲気を感じ取る。

私が帰って来たのに気付いた父親が座りなさいと促す。
普段は柔和で穏やかな父親だが、この時は険しく眉間に深い皺が深く刻まれ、声は酷く掠れていた。

「お父さんの会社の上司が悪いことしてお金を稼ごうとしていたんだ。お父さんはそれを見てみぬフリをしていた。しばらくしてその上司の悪事が社長にバレてな。上司は勿論、その部下であるお父さんたちまで会社をクビになってしまったんだ。ごめんな百合。ごめんな。」

父が涙を流すのを初めて見た。
嗚咽を漏らして泣く父は、当時の私にとっては不甲斐なく見えたもので、私はただ父に絶望した。


仕事が出来て、家族のことにもしっかりと目を向けて大切にしてくれて、色々なところに連れて行ってくれた。

そんな完璧な父は私にとって憧れだった。

それなのに。

その瞬間私の中で何かが弾けた気がした。

私は学校に行かなくなり、父親は再就職のために奔走するどころか、家のソファで死んだような瞳を携えてテレビを眺めていた。そして母親は…。

父が解雇されてから僅か三日で母は姿を消した。

私は更に心が闇に蝕まれ、喰われ過ぎて空っぽになった。

ゲームを全くしなくなった。

私は一体なにものなのであろうか。
何故父がクビにされねばならなかったのか。
何故母は私たちを置いて一人逃げ去ってしまったのか。

私は全てが不思議だった。

この世の中が狂っているようにしか感じられなかった。

だが壊れていたのは私のほうで、世界は誰にでも常に平等に時間を与え、回り続ける。

私は空っぽ。私は人形。私は屍。

「あっ…はは。あはははは。あっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっ!!」

奇怪な叫び笑いが腹の底から宙に駆ける。

「くけけけけけけ。あー、おかし。おかしいねぇ。なぁーんもないや!なにも!なにもなにも!私には何もない!!」

私はもう何かを信じることが出来なくなっていた。
唯一無二の絶対の絆で結ばれていると疑うことすらなかった最高の家族。

家族は父親がクビになるそれだけのことで一夜にして崩壊した。

私と父は壊れ、母は姿をくらました。

もう、どうでも良かった。

気づけば私は父親の登山用の鞄に入っていたサバイバルナイフを持ち、風呂場にいた。

テレビで見たことがあった。
こうすれば楽になれるんだって。

私は知識が無いためかその勢いを最大にして己の左腕に突き刺した。

これが初めて行った【処理】の瞬間だった。


夢を見ていた。

小学生から中学生になった少しあとまでのつい最近までの事実をフラッシュバックするような夢を。

僅かに寒気で身震いして頭を右に傾けると、ツインベッドの隣にはキリト…桐ケ谷和人が寝息を立てていた。

彼のしなやかな髪をそっとはらうと、その奥に女の子のような端正な顔立ちが覗く。

その寝顔に癒されて満足気に微笑む僕の顔はいったいどうなっていることやら。

喉の乾きを感じてベッドから起き上がると、キリトが「んっ…んんぅ…」と寝返りを打つ。

そんな仕草一つにさえ庇護欲をそそられる。
彼は何か特殊な才能を持っていそうだなと感じる。

あのあと倒れてからここまで運んでくれたのだろう。
そして恐らくアスナ副団長あたりにでも頼んだのか、可愛いふわふわした寝間着をユーリは羽織っていた。

「ありがとう。キリト」

「あぁ」

思いもよらぬ返答があり、体がビクリと宙に浮く。

「起こしちゃったかな?」

「今寝返りうったところでユーリの声が聞こえた気がしたからさ」

「そっか」
「ああ」

「ごめんね」
「謝ることじゃないよ。それに君の境遇を知ってしまったからには放っておけるわけないだろ」

彼はそう言って体を捩り僕の顔を覗く。

やっぱりそれだけなのか。
と溜め息をつく自分に僅かながら驚きを覚える。

僕は彼にそれ以上の何かを求めているのか?

思考がそこへ至ると、己の口が自身の意識を越えて動いた。

「…ねぇ、キリト」
「ん?」
「キリトはそれだけなの?」
「へ?えっと…それはどういう…」

ガバッという掛け布団を振り払う音を伴ってキリトの腹の上に跨がり、彼の双肩に両手を置いて自らの体重を預ける。

いわゆる押し倒したという態勢にキリトが怯んでいる。

「こういうことだよ。かずと」
「な、あの、そのっ…ユーリ!?」
「ユーリじゃなくて百合…でしょ?」

自らが振る舞える最大の色気を出して自分の顔を彼の顔に近づける。

「ちょっ、百合!?」
「ふふっ、一杯いいことしてあげる」

そう言って固まった彼の唇に自らの唇を近付けている所でインスタントメールの着信音が鳴り響く。

「あー!インスタントメールだー!」

明らかな棒読みをする彼は僕の拘束を逃れて部屋の外に飛び出した。

「ちぇっ。かずとへの気持ちが何なのか確認しそびれちゃったな」

その独り言は誰にも掴まれることもなく、窓辺から心地よく風が舞い込む月明かりの夜に消えた。

「僕は本気だったのにな」

そう呟きながら彼の温もりが残るベッドに顔を伏せていた。

ドアが開く音がしてそちらをちらりと見ると彼の顔には血の気が無く、蒼白な顔に珠のような冷や汗が浮かび上がっていた。

「え、どうしたの」

戸惑う僕の質問に彼は途切れ途切れに答えた。

「ラフコフが…動き出した…みたいだ」

「!?」

その単語に反応する僕の体は血液が失せていくようにゾクゾクと背筋を波打つ。

「今からアスナと会うからユーリも来てくれ」

何故そこで結盟騎士団の副団長が出るのかは分からなかったが、先程のインスタントメールの相手がアスナだったんだなと理解し無言で首肯する。

「その前にショップで色々買い足しておこう」

その言葉の意味がよく分からなかったが後に従っておいてよかったと心から思うことになる。


索敵スキルを使いつつ、隠蔽(ハイディング)して酒場まで行くと、そのドアの前では数人の白と赤の服装をした集団がたむろしていた。

その中の一人の女性の背後に忍び寄り、後頭部あたりに向かって囁く。

「なんでこんなに大所帯なんだよ」

「ひあっ!」

という悲鳴と共にバックステップに次いで腰に備えたレイピアを引き抜いた結盟騎士団副団長殿ことアスナにつられて他の数人が身構えると同時に険しい表情で剣を抜く。

「あ、えっと…悪い。俺だ」

最強集団であるKOB(結盟騎士団)のエリート数人から殺意を向けられれば萎縮してしまうのも無理はないと自身を納得させつつ、彼らを刺激しないように一歩引く。

「なんだ、ブラッキーか」

とそのうちの一人である確か…クラディールだったかな…が剣をしまったのを境にして、全員の表情が僅かに緩む。

一人を除いて。

「キぃーリぃトくぅーん?」

いつのまにか眼前に迫ってきていたアスナは見るからに不機嫌そうな表情の上に青筋を浮かべていた。

「や、やぁアスナ。久しぶりだな」

「昨日のボス攻略戦で会ったばかりですが何か」

「い、いえ。なんでも」
「よろしい」

一連の流れをポカンとした表情で眺めているユーリをちらりと見てからアスナに向き直り「それで」と話の流れを本題に持っていく。

「この人数はなんだよ。まさかお前の護衛とかで更にはヒースクリフまでいたりなんか…」

「私がどうかしたのかね、キリトくん」

酒場のドアが開く音と共に神聖剣ヒースクリフがにょきっと顔を覗かせる。

苦笑いを浮かべた俺に彼は続けた。

「もちろんアスナくんの護衛もあるが、理由はそれだけではない」

「どういうことだ?」

「中に入りたまえ。そうすれば分かるだろう」

彼がドアを引くので断る理由もなく足を踏み入れるとそこには攻略組、フロントランナー達の姿があった。

「昨日ぶりだなぁ。キリト」

そう発した禿頭で色黒く、ガタイのいい男エギルはビールのジョッキを片手に持ち、その手を俺につきだしていた。

「いらないよ」

「未成年はそうこなくっちゃな」

「この世界じゃ関係ないだろ年齢なんて」

そう、この世界にアルコールは存在しない。
ゆえに酒というものの定義そのものが疑われるが、どんな酒にもアルコールは含まれていない故に酔っぱらうという概念が存在しない。

「こんなにすげえ奴等が一ヵ所に集まってるとさすがに威圧感ハンパねぇぜ」

「ああ。攻略組のトップリーダークラスが9割はいるんじゃないか」

辺りを見渡すと、その中にはかつて第一層攻略を導いた騎士ディアベルをはじめ多くの精鋭達が酒を飲み交わしていた。

「エギル」
「んあ?」

「今この状況はもしかすると」
「ああ。ラフコフ討伐会議に他ならねぇ」
「やっぱり…でもどうしてこんな急に…」

「沢山被害が出てんだ。急ぐに越したこたぁねえだろ」

「ま、まぁそうだな」

でも本当にそれだけなのか。
何か見落としてるような。

そんな自問自答に引っ掛かりを覚えながら、俺の表情を微妙な顔で除くエギルの隣に座る。

「大丈夫かキリト」

「ああ…」

それよりも何か忘れてるような…

「あっ」
「ん?どうしたキリ…っておい!キリト!」

俺の頓狂な声にエギルが反応するが無視して酒場を飛び出す。
そこには思った通り血盟騎士団の精鋭達に囲まれたユーリがいた。

「なぁ、俺たちに協力してくれよ。頼む」
「私もあなたに頼みたいの!」

俺が名前を知らないメンバーの男女二人がユーリを囲んでいるところでユーリを庇うように腕をスッとあげ、彼らの間に割って入る。

「悪いな。コイツは今までもこれからも俺の相棒だ。だから他のやつらには渡せない」

「きりとぉ…」

俺を見つめるユーリの目は潤んでいた。

キィというドアの開閉音と共にアスナが出てきて、この状況の雰囲気を察したのだろう。彼女の口からはやや冷気を帯びた言葉が紡がれた。

「なにやってるのあなたたち。ラフコフの討伐会議を始めるからすぐに戻りなさい」

「し、しかし副団長!彼らのような戦力を野放しにしておくのはもったいなさ過ぎます!」

先程の二人のうちの男の方がきぃきぃ喚くとアスナは無言でそれを無視して俺達の方へと向き直り頭を下げた。

「ごめんなさい。うちの人たちが迷惑をかけたようね」

「あ、えっと…」

俺が返事をしあぐねていると、先程の女の方が顔に皺を寄せて俺を睨む。
おお怖い。

「副団長!何をしているんです!あなたが頭を下げる必要なんて…」
「黙りなさい」

冷徹なその響きが辺りを貫く。
そのおかげで俺の頭も冷静さを取り戻し、ようやく返事をすることができた。

「確かにアスナは悪くないよ。かと言って二人が悪いわけでもない。敢えて言うなら問題があるのはまだどこのギルドにも入っていない俺達の方さ」

俺がそう言って肩を竦めるジェスチャーをすると顔を上げたアスナ

がプッと吹き出してクスクスと笑い始めた。

「」
「あ、ああ」

本当は「なにが?」と惚けようととしたがこの場には適しているとは思えなかったのでやめておいた。

アスナは更に一歩進んでユーリの隣に立ち、耳元で「あなたにも申し訳ないことをしたわね」と言ってユーリから離れ、部下を引き連れて酒場へ戻っていった。

「さ、俺たちも参加…って…ええっ?」

振り向くとユーリのその頬には瞳から溢れる雫が滴って軌跡が出来ていた。

「どうしたんだよ」

使うと耐久値の減少する普通のハンカチでユーリの涙を拭う俺の瞳をじっと見つめるユーリがまだその光る珠をポロポロと溢しながら言った。

「どうして、どうして僕達が悪いの?なんでギルドに入らなきゃならないの?…僕にはどうすればいいのかわからないよ」

これにはどう答えたものか。
選択肢は幾つか存在する。

だが…

「ユーリ。ユーリはどうしたいんだ」

これは俺だけの問題じゃない。
彼女に、彼女自身に選ばせる必要がある。

「僕は…」

ややつまった返事の後に明確な考えを彼女は示した。

「僕はキリトといたい!いつまでもいつまでも。ずっと一緒にいたい」

幾つかある選択肢のうち、どれを取るとも選べなかった自分に対しユーリは単純明快な答えを持っていた。
特に考えてもいなかったが、ユーリにこう言われることで自分もそれは同じだと気づかされる。
どうやら俺はユーリと一緒にいることが当たり前過ぎてそういう気持ちを忘れていたらしい。

「ありがとな、ユーリ。それは俺も同じだ。この話は二人でまたゆっくり考えような」

「うん」

先程とは違う柔和な笑みを溢しながら、その瞳から一筋の粒が流れた。



 
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