天使のような子に恋をした
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天使のような子と連絡先を交換した
窓からギラギラとした光が教室に差し込む。もう九月も中旬に差し掛かろうというのに、真夏のような日差しで最高気温は30℃近く。俺の席は窓側の一番後ろ側。直射日光がこれでもかと、俺を含めた窓側の生徒に降り注ぐ。空調が効いているとはいえ、暑いものは暑い。それに眩しい。
教室内を見渡す。頭をコクンコクンと揺らしている人もいれば、頭が下がりっぱなしの人もいたり、更には大胆に机に突っ伏している人もいる。
30代前半と比較的若い先生の現代文の授業。ユーモアがあり面白い先生で、全然眠くなる要素はないのだが、いつも授業中に寝ている生徒に聞いたところ、「眠いものは眠い。教師の言葉はどれも睡眠魔法の呪文となる」という迷言を遺してくれた。
まあ、眠くなる理由も分かる。何しろ午後一の授業だ。お昼を食べて食欲が満たされれば、今度は当然の如く睡眠欲が襲ってくる。これに抵抗するのはかなり難しい。
とはいえ、学校ではあまり眠くならない俺。椅子に座り直し、先生が新たに板書したことをノートにさっと書き写した。
窓の外には、いかにも都会らしい風景が広がっている。たくさんのそびえる高層ビルやマンション。更には東京タワーまで。授業中にこれらを眺めることが俺の密かな楽しみだったりする。
「よし、教科書読んでもらおうか。じゃあ……前原。200ページの5行目から読んでくれ」
「はい。えー、一週間の後私は──」
我が親友が指され、教科書を朗読していく。今やっている単元は恋について書かれたもの。前までは何も思うことはなかったけど、恋を自覚した最近では小説中の人物と自分を照らし合わせてしまう。
その為、読んでいる部分を目で追いながらも、頭の中では全く別のことを考えていた。
──南さんに会いたい。
俺の初恋の人、南ことり。彼女と運命的な出会いをしてかれこれ一週間が経過しようとしていた。南さんと会ったのはあの喫茶店での一件が最後。それっきり一度も会うことが出来ていない。
家を出る時間をずらしたりずらさなかったり。そんなこともしてみたけど、結局会うことは出来ず。もしかしたら向こうも同じことをしているのかもしれない。
まあ南さんと俺の家はかなり近いし、会いに行こうと思えば会いに行ける。勿論それも考えた。だけど、生憎なことにそのような勇気を俺は持ち合わせていない。翔真だったら何も考えなしに行くことが出来るだろうけど、俺には無理だ。
──考えたくはないけど、南さん、俺に会いたくないが為に登校時間をずらしている訳ではないよな……? あるいは俺が家を出たのを見計らってから南さんも家を出たりとか……?
段々と不安になってきた。あの優しい南さんに限ってそんなことはないだろうけど、一度ネイティブ思考になると心はどんどん不安に染まっていく。
「よし、もういいぞー。じゃあ神崎、続き読んでくれ」
「あ、はい。えーと──」
先生に指され我に返る。
──とりあえず、今はこんなことを考えるのはやめよう。どんどん精神的に不安定になっていくだけだし、何も良いことなんてない。しかも今は授業中だ。授業の時間まで使う必要もない。後からいくらでも考えることが出来る。
俺は気持ちを切り替えて、物語の続きを読んでいった。
◆
「翔真、帰ろうぜ」
放課後。何の部活にも所属していない俺は、いつものように帰ろうと翔真を誘った。
だけど、今日はそうもいかないようで。
「悪い、今日は部活に顔出すわ」
「部活……? ああ、オカルト研究部か」
翔真はオカルト研究部という部活動に所属している。オカルトというくらいなんだから、ホラーや魔術に関して研究しているのだろうかと思いきや、全然そんなことはなく、悩みがある人の相談に乗ってあげたり、アドバイスをしてあげたりと、所謂人助けをしている部活らしい。まあ、流石に占いあたりはやっているみたいだけど。
翔真は昔から人の役に立つことが好きだった。そう考えると、コイツにはピッタリの部活かもしれないなと、今更ながらに考える。
「そうか、それなら仕方ないな。じゃあお先に失礼するよ」
「おう、また明日な!」
今回のように度々部活に顔を出している翔真。そういう時は大体一人で帰る。だから一人で帰るのが初めてという訳でもないし、別に寂しいと思ったりもしない。
寧ろ、一人で帰るときだってそれはそれで楽しみがある。自分の好きなことを考えたり、妄想を膨らませたり。うん、一歩間違えればヤバイ奴だわ、俺。
かくして、一人で帰る気満々でいた俺。勿論、途中まで一人で帰っていたのだが、それは校門を出たところまでとなった。
──まさか、彼女が待っていようとは。
「──神崎くんっ」
「……えっ?」
絶対に聞こえてくる筈のない声が俺の耳に届く。ずっと聞いていたら脳が蕩けてしまいそうな、とてつもなく可愛い声。この声の持ち主より可愛い声の持ち主はこの世には存在しないだろうというくらいに、聞いた者を魅了させる声。
その声の持ち主を、俺は知っている。だけど、こんな所で聞こえてくる訳がない。有り得ない。
とうとう俺も幻聴が聞こえてしまうようになったか。自嘲しつつ声のした方を向くと、制服姿の彼女がいた。
──そう、俺の初恋の人。
「み、南さん!? どうしてここに……」
「えへへ……最近会えなかったから我慢出来なくて」
ということは、俺に会いに来てくれたということか? わざわざ音ノ木坂から? いや、距離はあまり離れてないけれど。
どうしよう。言葉に表すことが出来ないほど嬉しい。授業中に考えていたことや不安は杞憂だったようだ。
「そ、そっか。わざわざありがとね。でもウチの高校にまで来なくて良かったのに。ほら、先に帰っていた可能性だってあるし」
「いつも通りなら家の前で待ってたよ。でも音ノ木坂、今日は早かったの。だから絶対に会えるって思ってたんだ」
そして、それに……と南さんは一呼吸置いて。
「神崎くんと一緒に帰りたかったから。その……ダメ、かな?」
……ダメな訳ないじゃないか。
「そんな、ダメな訳なんてないよ。むしろ俺としても南さんと帰りたいって思ってたんだ」
「……えっ? そ、そうなの?」
「う、うん……」
「そっか……嬉しいな……」
最後の方は小声で聞き取ることが出来なかったけど、別に大したことではないだろう。
そんなことより、南さんと一緒に帰ることが決まった。一週間ぶりの再会と下校。緊張して上手く話すことが出来なくなることは目に見えている。だけど、一緒に帰るというだけでも十分幸せだ。だから、しっかりとこの幸せを噛み締めようと思う。
「それじゃあ、行こっか」
「うんっ」
南さんは微笑みながら、俺は緊張しながら。
やっぱり気まずいけど、不思議なことに居心地は悪くない。
それを肌で感じながら、俺と南さんは帰路を歩き出した。
◆
やはり一週間というのは長すぎたのだろうか。話題に困るようなことはなかった。この一週間お互いに何をしていたとか、何か出来事はあったかなどを聞いて、会話が途切れるようなこともなかった。
「なるほど、合宿とか練習で忙しかったのか」
「うんっ、最近の練習はライブも近いからハードになってるんだ」
南さんと会えなかった理由。それはμ'sでの練習や合宿で忙しかったから。何でも、近々ライブをやるみたいで、朝早くから夕方まで練習に打ち込んでいたという。なるほど道理で会えない訳だ。
俺ももっと早くに家を出れば良かったけど、終わったことを悔やんでも仕方がない。とにかく、俺の心配していたことが杞憂で本当によかった。
「そっか、大変だね。俺が言える立場じゃないけど、無理しちゃダメだよ」
「ありがとう。でも大丈夫、それはμ'sのみんなが気を付けているから」
「……そっか。それなら安心していいかな」
そう話す南さんの顔は、どこか哀愁を帯びていた。これは何かあったなと判断した俺は、それ以上の言及を避けることにした。
「心配してくれるの?」
「当たり前だよ。だって俺は南さんがす──み、南さんとは友達だからね!」
「……ありがとう。本当に嬉しいよ」
……危なかった。また口を滑らせて余計なことを言うところだった。
仮に俺が自爆して南さんへ告白したとしよう。そこで俺の初恋はジ・エンドだ。
南さんは気付いていない様子だけど、気付かれてもおかしくないような焦り様だ。これから気を付けないと……。
「あっ……もう神崎くんの家……」
「本当だ、いつの間に」
気が付けば、俺の家の前だった。さっき学校を出たばかりだというのに。15分くらい掛かった筈だけど、体感では5分くらいの道のりだった。
どうして楽しい時間──好きな人と一緒にいる時間というのはこうも早く過ぎるのだろうか。
名残惜しいが、ここで南さんとはお別れである。
「じゃあ、俺はここで。また今度ね、南さん」
「あっ──待って!」
俺が踵を翻したところで、南さんに呼び止められた。
そして、次の彼女の言葉は俺を驚かすのに十分な威力を持ったものだった。
「あの、良かったらでいいんだけど……連絡先、交換しない?」
「──えっ?」
その言葉を理解するのに数秒を要した。連絡先ってことはメアドとか電話番号だよな?
勿論、言うまでもなく嬉しい。俺が翔真だったら二つ返事していただろう。
だけど──やっぱり気になってしまう。
「…………いいの?」
「えっ?」
「ほら、南さんって人気スクールアイドルだし、そんな人と簡単に連絡先を交換してもいいのかなって」
「大丈夫だよ」
予想外にも、南さんはきっぱりと言い切った。
「スクールアイドルって神崎くんが思ってるほど制約があるわけじゃないんだ」
「えっ、そうなのか?」
「うん。プロのアイドルじゃなくて、あくまでもスクールアイドルだからね」
それに……と南さんは続ける。
「神崎くんは友達だもん。友達と連絡先を交換するって普通じゃないかな?」
彼女の言葉は、俺を納得させるには十分過ぎるものだった。
どうやら、今まで勘違いをしていたらしい。スクールアイドルといえど、中身はただの女子校生。恋愛だってしたい年頃だ。そこら辺はプロのアイドルと違って制限はないのだろう。
それに──南さんの言う通り、俺達は友達だ。その友達のお願いを蔑ろにする訳にはいかない。
「──そうだね。南さんの言う通りだよ。分かった、交換しようか」
「わぁっ、ありがとう!」
メールアドレスと電話番号を交換し、喜びながらも優しく微笑む南さん。
ああ──本当に可愛いな。見ているだけでも心が癒されるようだ。しかも、南さんの連絡先も手に入ったし一石二鳥である。
「家に帰ったら早速連絡するね!」
「あ、うん。俺もすぐ返信出来ると思うから」
「はーいっ! それじゃあ、また後でね!」
俺もまた後でと返事すると、南さんは家に向かって走り出した。
これで、南さんと家にいても会話が出来る。あまり大したことないように聞こえるけど、そんなことはない。なんて素晴らしいことなんだろう。
自然とスマホを握る手に力が入る。南さんとのメールでの会話。今から楽しみで楽しみで仕方が無い。
◆
制服から私服に着替え終えた時、丁度スマホがピコンと音を立てた。
画面にはスマホを持つ人は殆ど入れてあるだろう、『RIME』というアプリの通知が。表示されている名前を見ると、『南ことり』とあった。
『話すならRIMEの方がいいかなって思って、こっちも登録したよ! 改めて、これからよろしくね!』
顔文字や絵文字を使った、いかにも女の子らしいメッセージの内容。中には、見慣れない顔文字もある。
これは……鳥をイメージした顔文字だろうか。うん、南さんにピッタリだ。
『わざわざありがとう。こちらこそよろしく』
彼女のメッセージとは比べるのも烏滸がましいほど単純で何の飾り気もない文章。せめて顔文字くらいは使うべきだったかなと、送信してから後悔。
『どういたしまして! それで、何話そっか?』
……それを考えるのを忘れていた。別に話題はない訳じゃないんだけど、盛り上がるか微妙だし南さんにとってつまらないと思われる話題ばかりなんだよね。
速く返事をしなければ。そう思いながら話題を考えてみるけど一向に思い付かず。
そして、結局は──
『南さんにお任せするよ。そうそう、μ'sの練習のこととか合宿中にあったこととか』
──他力本願。いやもう、本当に不甲斐ない。
『それじゃあ聞いて欲しいことがあるの! 合宿中のことなんだけど──』
南さんの話はとても面白かった。合宿中にスランプに陥ったことだとか、だけどそれをみんなで協力して乗り越えたこととか。他にも、些細な日常の一コマなども。
なんというか、充実してるなって思った。
『うん、大体こんなところかな? じゃあ次は神崎くんのこと、知りたいな』
南さん直々のお願い。ここまで言われたら俺のことも話すしかないけど、正直面白くないと思う。
意を決した俺は、南さんにそのことを伝えることにした。
『別にいいけど、面白くないと思うよ? きっと退屈させるだけだと思うんだ』
長文を打ってるのだろうか、返事が遅い。
まさか俺に呆れて返事するのさえバカバカしくなったのかも……? 南さんはそんなことをしないと分かってるけど、やっぱり不安になってしまう。
30秒くらいが経った頃、返事が返ってきた。
『そんなことはないよ。神崎くんのお話って、私にとってとても新鮮で面白いんだ。何でもいいの。私の話みたいに些細なことでもいいから話してくれないかな?』
──もう、こんなこと言われたら断れないじゃないか。
南さんが俺の話を楽しみにしてくれている。ここで彼女の期待を裏切るような真似はしたくない。
『そこまで言ってくれてありがとう。分かった。それじゃあまずはこの前あったことを話すよ。えっと、あれは──』
そして、俺の周りで起きたことを話した。何もこの一週間のことだけでなく、今まで生きてきて印象に残っていることや楽しかったことなど。
南さんも真剣に俺の話を聞いてくれた。ある時は笑ったり、ある時は驚いたり。まあ文面から判断しただけなんだけど、それでも画面の向こうで楽しげにしている彼女が容易に想像できた。
つまらないだろう俺の話も、真剣に聞いてくれた南さん。超絶美少女でありながら、性格も良く。もし現世に天使が存在するなら、それは南さんのような容姿と性格をしているに違いない。
『あっ……もうこんな時間……』
南さんの言葉で俺は初めて気が付いた。会話を始めてから既に2時間以上が経過していることに。あと30分もすれば夕食の時間。
いつの間にこんな時間になっていたんだ。少々時間が進むのが早すぎないかと思う。
『ほんとだ。どうする? 続ける?』
『うーん、ごめんなさい。そろそろ夜ご飯になるからこの辺にしておくね』
ぐぬぬ。まあ仕方ない。あくまでも南さん優先だ。我儘は言えないし、迷惑を掛けることも出来ない。
『分かったよ。それじゃまた後でかな?』
『うん、そうだね。また8時くらいには出来ると思うよ』
『了解。その時は連絡するね』
『はーい、じゃあまた後でね!』
直後、バイバイというスタンプが送られてきた。スタンプにはどういう反応をすればいまいち良く分からないけど、とりあえず俺もスタンプを送ってみる。すぐに既読という文字が表示されるが、いくら待っても返事が返ってくることはなかった。それはRIMEでの会話が終わったということ。
一言で表すなら──ただただ楽しかった。そして幸せだった。まるで夢のような時間だった。
好きな人と会話をするって、これほどまでにも楽しくて、幸せなことなんだ。
スマホ画面に目を落とす。そこには俺と南さんが会話した履歴が。これを見返すだけでも幸せになれる。相変わらず俺の文章は飾り気がなくて、南さんのは工夫がされている。
──ああ、楽しかったなあ。
その時、突然俺のスマホが鳴った。またRIMEだ。送り主は南さん──ではなく、なんと母さんだった。
『ご飯にするよ』
送られてきたのはたったのこれだけ。うん、面倒なのは分かるけど、せめて呼びに来てくれないかな。
まあいいか。俺は今行くと返事し、リビングへと向かった。
後書き
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