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Raison d'etre

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一章 救世主
  1話 神条奈々

 物心ついた時から、僕の国は戦争を続けている。
 正確には、戦争という表現は妥当ではないらしい。だって、相手は国家ではないから。それどころか、人間ですらもない。亡霊と呼ばれる怪物を相手に、僕の国は八年もの間闘いを続けている。学校の教科書では「闘争」という言葉が使われていた。
 この亡霊との闘争について、僕は良く知らない。そして、それは僕だけじゃない。皆、詳しい事は何も知らない。もしかしたら誰も知らないのかもしれない、とたまに思う。
「日本固有の領土である白流島を長期に渡って不法占拠し続ける生命体」
 教科書では、亡霊について簡素にそう説明されていた。それ以上の説明は、誰もしてくれない。多分、亡霊が何なのか、誰もわかっていないんだと思う。でも、わかってなくても問題なかった。僕達には関係のない事だから。
 僕が小さい頃は、テレビの向こうに燃える街がよく映し出されていた。煤だらけの瓦礫の山。空を覆う怪物の群れ。対空砲の咆哮。叫ぶリポーター。
 でも、僕が大きくなるにつれて、そうした報道は減っていった。亡霊対策室と呼ばれる情報機関が設立されて、亡霊による被害が急速に収まっていったから。
 その機関のトップは若い女性だった。とても綺麗な人だった。設立された当初は毎日のように彼女がカメラの前に立って、フラッシュを浴びていた。その女性はいつも仮面のような笑顔を浮かべていて、それが僕にはとても寂しそうに見えた。
 その女性が、今、僕の目の前に立っている。記憶の中とは違う、柔らかな笑みを浮かべて。
「はじめまして、桜井優さくらい ゆう君。特殊戦術中隊への入隊を歓迎します」
 彼女はそう言って、手を差し出した。僕は迷わず、その手を取った。
 とても長い闘いが、ここから幕を開けます。



────────── 1章 救世主



「君は、ここで起きている戦争というものを理解しているかしら?」
 無機質な印象を受ける白亜の廊下。
 二つの足音とともに、神条奈々(しんじょう なな)が無表情に問いかけてくる。
 桜井優(さくらい ゆう)は奈々の人形のように整った顔を見上げて、小さく首を横に振った。
「正直に申し上げると、何もわかりません」
 奈々は足を止め、微笑んだ。
「そう、君は何も知らない。それを、よく理解しておきなさい。前期初級訓練過程では、基本的な概念や知識しか与えられない。私達は、君に充分な教育を与える事ができなかった。時間が、それを許さない。その責任は、私達にある。けれど、その結果は君に跳ね返る事になるでしょう。それはとても理不尽なことだわ」
 奈々の手が優の頬に添えられる。温かった。
「これから先、君はそれとは桁違いの理不尽な経験をすることになるでしょう。でも、それを甘んじて受ける必要はない。君がそうした理不尽な目に遭わないようにすることも、私の役割の一つ。入隊時にも言ったけれど、何かあれば、私に相談すること。いい?」
「はい」
 優が頷くと奈々はにこりと微笑んで、それからすぐ近くの扉に目を向けた。
「それじゃあ、行きましょうか」
 奈々が扉を開く。優は奈々に続いて、部屋の中に足を踏み入れた。
 白を基調にした講堂のようだった。その中には、優と同年代と思わしき高校生くらいの少女たちが並んでいる。およそ三〇人。その全てが、女性だった。
 少女たちの視線が優に注がれる。優は緊張で身体を硬くしながらも、少女たちの前を通って檀上にのぼった。
「事前に告知した通り、彼が今日から正式に第一小隊に配属される事になっている」
 奈々がよく通る声で告げた後、自己紹介をするように目で合図を送ってくる。優は一歩前に出て、頭を下げた。
「今日からお世話になる桜井優ですっ。よろしくお願いします」 
 静寂に包まれた講堂に、僅かに上擦った優の声が響いた。それに応えるように数多の拍手が室内に木霊する。優は安堵の笑みを浮かべ、深々と下げていた頭を勢いよく上げた。
「彼は昨日付けで前期初級訓練課程を終え、今日から寮棟に入る事になっている。暫くは後期初級訓練課程に入るけれど、合同訓練にも参加してもらうから、何かあったら率先して手を貸してあげるように」
 優の隣で、奈々がよく通る声で補足する。
 亡霊対策室・総司令官、神条奈々。腰まで届く黒髪と人形のように整った鼻筋が印象的な彼女は、この組織の頭である。女性にしては背が高い為、隣の優の背の低さが際立っていた。
 奈々は一度だけ隣の優をチラリと見た後、すぐに少女たちに向き直った。
「今は簡単な紹介だけ。これから彼には後期初級訓練課程のカリキュラムを消化してもらう予定がある。後日、正式な歓迎の場を設けるけど、何か質問があれば今のうちに済ませて」
 奈々がそう言うと、室内が僅かにざわめく。そして、部屋の後方にいた一人の少女が手をあげた。肩まで届く茶髪に、活発な雰囲気を纏っている。
「歳はいくつですか?」
 優は一度だけ隣の奈々に視線を向けてから、その質問に答えた。
「十六歳です」
 途端、室内に驚きの声が反響する。
「中学生じゃないの?」
 ざわめきの中からそんな呟きが聞こえ、優は引きつった笑みを浮かべた。平均身長よりも低いため、よく言われる事だった。
「彼女はいますかぁ?」
 前列にいた長身の少女がからかうように言う。同時に、周囲から黄色い声があがった。
 優が困ったような笑みを浮かべて隣の奈々を見上げると、奈々は呆れたように首を横に振った。
「公式の場でそういう質問はしないように」
 その援護射撃に優は安堵の息をついた。
「大した質問がないようなら切りあげましょう。そういう質問は後日、個人的にしなさい。今日はこれで解散。優君だけ、私と一緒に来てくれる?」
「はい」
 優が頷くと、奈々はさっさと戸口に向かって歩き始めた。同時に少女たちのひそひそ話が始まる。優は室内を一度だけ眺めてから、奈々の後を追って廊下に出た。
「うるさい子達でしょう?」
 廊下に出て早々、奈々が呆れたように言う。優は曖昧な笑みを浮かべた。
「女子が静かすぎると、怖いです」
「それは言える。君以外は全員女性だから、色々とやりづいらいかもしれない。何か困った事があったら遠慮なく相談してね」
「はい」
 頷きながら、エレベーターに乗る。奈々が黙り込んだ為、優も口を閉ざした。
 エレベーターが動き出す。
 微かな駆動音。
 優は奈々の綺麗な横顔をじっと見上げた。その地位に反して異常とも言える若さと美貌。整いすぎた鼻筋からはどこか冷徹な印象を受け、奇妙な威圧感を覚える。周囲の空気を変えるほどの容姿は、人を従える立場の人間として非常に恵まれた素質と言えるだろう。神条奈々は生まれながらにしての統率者だった。
 奈々の顔を見惚れていた事にふと気づき、優はそっと奈々から視線を外した。
 奈々と出会ってから一週間経ったというのに、一向に慣れる様子がない。そこまで考えて、もう一週間経ったのか、と優は感嘆に浸った。
 桜井優には、超感覚的知覚(ESP)と呼称される能力がある。その能力を持った者だけが集められる特殊戦術中隊に勧誘を受けたのが、一週間前の事だった。
 特殊戦術中隊はその名の通り、軍事的な目的を持つ組織である。しかし、その矛先は通常の軍事的組織と異なり、人には向けられない。特殊戦術中隊の目的は、亡霊と呼ばれる生命体の殲滅にある。そして、通常、ESPは女性にしか発現せず、特殊戦術中隊は女性だけで構成されていた。
 男性の発現例は、桜井優だけだ。何故ESP能力が発現したのか、優本人にもわからなかった。明確なきっかけは、何もなかった。ある日突然訪れた軍の関係者によって、告げられた。君にはESP能力がある、と。
 エレベーターの扉が開く。奈々が一歩踏み出したのを確認してから、優もそれに続いた。
 エレベーターの外は吹き抜けになったエントランス・ホールだった。そのホールを奈々が真っすぐ横断していく。取り残されないように、優は足を速めて奈々の後を追った。
 エントランス・ホールの裏から外に出る。そこは、野外の射撃訓練場だった。冷たい秋風が頬を撫でる。
「今日から、実際に火器を扱って貰う事になる。安全の為、指示通りに行動すること」
「はい」
 射撃場の奥にいた男が二挺の小銃を抱えてやってくる。奈々は男から小銃を受け取り、一挺の小銃を優に渡した。ずっしりとした重さが両腕にかかる。その小銃は驚くほど手に馴染んだ。そして、奇妙な懐かしさを覚える。その不思議な感覚に、優は首を傾げた。
「どうしたの?」
 小銃をじっと見つめたまま固まる優に、奈々が心配そうな声をかける。優は顔をあげて、何でもありません、と答えた。
「前期過程で習ったはずだけど、これがフレイニングと呼ばれる小銃。実弾は利用しないから暴発の心配はいらないし、装填する必要もない。初心者向けの火器と言える」
 奈々が安全装置を外す。
「まず、安全装置を外して」
 優は奈々の動作を真似て、小銃の安全装置を外した。カチャリと小気味良い音が響く。
「それで、構える時はこう。ここを肩に当てて、安定を図る。」
 奈々が遠くの的に向かって小銃を構える。優もそれに続いた。
「そう、それで、頬をストックに密着させて。そう。そのまま的を狙って撃ってみて」
 優は思わず奈々を見た。
「あの、どうやって撃つんですか?」
「エネルギーを込めて、引き金を引く。それだけ。小銃に取り付けられた供給機構が勝手にESPに反応するから、少し力を込めるだけで良い」
 言われた通り、優は力を込めて引き金を引いた。発砲音とともに、小銃から翡翠の閃光が走る。そして、小さな反動。優は反射的に目を瞑った。
「……初めはこんなものだから、気にしないように。訓練を重ねるうちに上手くなるから、頑張ってね」
 微かに落胆の色が混じった奈々の声。
 目を開けると、的から何メートルも離れた位置から煙があがっていた。
 優は素直に頷いて、もう一度小銃を構えた。
 よく的を狙って引き金を引くと、銃声とともに的が弾け飛んだ。
「良い狙いだわ」
 後ろから僅かに弾んだ奈々の声。優は小銃を下ろして、首を振った。
「……二つ隣の的を狙ったんです」

◇◆◇

 情報は、歪んでいく。
 それを明確に認識したのが何歳の時だったのか、もう覚えていない。
 ただ、その歪みを恐ろしいと思ったことだけは、明確に覚えている。
  重要な何かが、隠されていく。重要な何かが、聞こえなくなる。そうした雑音に対して、神条奈々はある種の恐怖感さえ抱いていた。そのまま現実がノイズによって塗りつぶされていくのではないか、という妙な恐怖に襲われる事もあった。
 こうした奇妙な恐怖感を持つのは、思春期ではよくあることだと、奈々自身思う。自分以外の人間はロボットではないか、とか。子どもという存在は、正面から死という概念について考える為の前準備としてしばしばそうした哲学的なことを考えるものだ。ただ、奈々の持つノイズへの恐怖は、成長しても薄れることはなかった。むしろ、それは確固たる形をとり、その恐怖感から逃れる為、奈々は少しでも現実を直視しようとした。その価値観が、神条奈々という人格を作り上げていった
 故に、はじめてそれが観測された時、奈々はそれをそのまま認めた。友人のように不必要に笑い飛ばしたり、大袈裟に騒いだりしなかった。それらは正しい認識の障害にしかならなかったし、有効的な方法ではなかった。奈々は、それを常識的な価値基準によって解釈しようとはせず、そういうものだとありのまま認識することにした。
 亡霊。人ではない、異形の侵略者。
 当時、奈々は防衛大学校の二年生だった。故にそれが現れた時、彼女は自衛隊の今後の在り方が変わる事を早くに予期した。それは彼女の友人達も同様だったようで、防衛大学校から多くの退学者が出た。奈々は親の反対を押しきってそのまま残留した。
 あらゆる経済活動が新たな対応策に追われた。警察・消防・保険・宗教・医療・軍事、数えきれない変化が日本を覆った。奈々は激動の時代で青春を送った。
 そうやって、人々は徐々にそれに馴染んでいった。誰もがそれを現実と認めざるをえなかった。そうした間に奈々は防衛大を首席で卒業した後、亡霊対策室の司令官として迎え入れられた。
「彼は普通の男の子よ」
 司令官としての立場に就いて六年経った今、奈々は組織を運用する立場にいる。奈々は廊下を歩きながら、隣を歩く副司令官の長井加奈に向けてそう言った。
「彼の持つESPは平均を僅かに上回っているだけ。加えて、射撃も人並み。メディアが騒ぐほど、特異な点は見当たらない」
「皆、きっかけを待ってるんですよ。彼をきっかけだと思いたいんです」
 加奈がそう言う。奈々は憂鬱そうに首を振った。
「性別が変わっただけで、何かが変わる訳じゃない。過度な期待は彼の負担にしかならない」
「そうですね。でも、希望を捨てる必要もありません」
「……希望、か」
 奈々は呟いてから、加奈の言う希望とは何に対する希望だろう、と考えた。
 闘争が終わる希望?
 まさか、と思う。八年間にも渡る闘争は、未だ終わる兆しを見せない。
 八年間。それだけ闘争が続けば、経済的な疲弊は隠しきれない。貿易に依存した産業は深刻な影響を受け、莫大な失業者を生み出している。輸出国家である日本国の体力は、闘争を続ける上で低下し続けている。闘争が続けば続くほど、不利な状況に追い込まれていくのだ。
 奈々はそれから無言で、薄暗い廊下を進んだ。

◇◆◇

 桜井優は、ポツンと野原に立っていた。ふと、晴れ渡る空を見上げる。どこまでも透き通る蒼。優は視線を落とし、後ろを振り返った。少し離れた所に、同じ第一小隊の少女たちが集まっている。そして、彼女たちの背中には巨大な翼が生えていた。機械翼。亡霊との空戦を実現する為の戦術兵器。
 早く小隊に慣れる為にも集団の少女たちへ積極的に話しかけた方がいいのかもしれないが、はじめての正式な訓練である為、緊張してそれどころではなかった。
「桜井くん、これを」
 後ろから、落ちついた男性の声。振り返ると、作業服を着たエンジニア・スタッフが機械翼を両手で抱え、前に差し出していた。優は黙ってそれを受け取った。
 機械翼を用いた飛行訓練。それが今日のカリキュラムだった。空を飛ぶという事に子どものような期待を覚える一方で、墜落したらどうなるのだろう、と現実的な不安が圧し掛かってくる。
「ねえ、一人で付けられる? 手伝おっか?」
 横から女の声。顔を上げると、ニコニコと人懐っこい笑みを浮かべる一人の少女がいた。
「前期過程で取り扱い方だけは習ったから大丈夫。ありがとう」
 優は笑みを返してそう言った。少女は、そっかそっか、と呟いてから逃げるように少し離れた地点に固まるグループの元に戻っていく。その後ろ姿を見送りながら、少女の言葉に甘えた方が仲良くなるきっかけになったかもしれない、と今更ながらに思って軽く後悔した。
 周囲には、エンジニアスタッフを除けば女性しかいない。機械翼を取りつけて訓練に臨んでいる男性は、優一人だった。どうも馴染める気がしない。
 優は思考を切り変えて、機械翼の装着を再開した。何個ものベルトで機械翼を身体に固定し、金具をはめていく。作業を続けていくうちに、頭の中が急速に冷えていくのがわかった。飛ぶ事への不安が薄れ、気分が落ちついていく。背中にかかる重みが心地よくさえ感じられた。
「チェックします」
 近くで待機していたエンジニアスタッフがそう言って、機械翼が正常に装着できているかを確認し始める。優は両手をあげて、エンジニアスタッフが作業しやすいようにした。
「問題ありません。ゆっくりと、ESPを送ってください」
 エンジニアスタッフが三歩下がる。優は目を瞑り、ゆっくりと意識を集中させた。背後から僅かな駆動音。
「試しに一メートルほど上がってみましょう。飛行方法は覚えていますか?」
「はい、大丈夫です」
 優は頷いて、機械翼を展開させた。強い風が吹き、足がゆっくりと地上から離れていく。浮遊感。足場がない為、どこに重心をおけば分からない。飛行姿勢が崩れ、高度が不安定になる。
「姿勢の制御に移ってください。重心を前に倒さないと機械翼の重さで後ろに倒れます」
 エンジニアスタッフに言われた通りに前傾姿勢をとると、幾分か高度が安定し始めた。すぐにコツを掴み、高度を僅かにあげてみる。地上のエンジニアスタッフが僅かに不安そうな表情を浮かべるのが見えた。
「あまり高度を上げないでください。はじめは三メートル辺りが限界です」
 優は頷いて、高度を維持したまま旋回を繰り返した。考えなくても、次にどう動けばいいのか不思議と理解できた。風が気持ち良い。
 充分に飛び回ってから、高度を下げ始める。足が大地に触れると、優は大きく息を吐き、エンジニアスタッフに視線を向けた。
「これ、どれくらいの速度まで出せるんですか?」

◇◆◇

「彼、飛行は初めて?」
 神条奈々は、エンジニアの指示に従ってカリキュラムを消化する桜井優の姿を遠方から眺めた後、思わず隣の長井加奈に視線を向けた。
「ええ。機械翼の概要や基本的な姿勢制御については既に前期初級訓練過程で学んでいますが、実際に機械翼を利用するのは初めてです」
 加奈の答えを聞いてから、奈々はもう一度視線を遠方の優に向けた。優はずっと低空飛行を続け、原っぱを何周も回っている。
「射撃に関しては成長を見送るしかないけれど、飛行に関しては既に及第点に達している。一度、実戦を体験させた方が良いかもしれない」
 奈々の言葉に、加奈が僅かに驚いた顔をする。
「少し、急ぎすぎていませんか?」
「もちろん、投入はしない。部隊の後ろから実戦を見せるだけ。本物の戦闘を間近で見れば訓練に対するやる気も変わってくるでしょう」
 そう言って、奈々は早くも頭の中で新たなスケジューリングを組み立て始めた。

 ◇◆◇

 それの予兆が記録上に初めて現れたのは二〇一〇年六月十二日の正午過ぎだった。日本海に浮かぶ人口八二〇人の小さな白流島を中心とした半径一〇キロメートルに謎の霧が発生し、突如島と本土の連絡が途絶えた。白流島を取り巻いたこの濃霧はグロテスクな紫色をしていたという。翌日、海上保安庁は住民の無事と不可解な霧の原因を調べる為に三隻の調査船団を送り出した。しかし、調査船団は濃霧に入った途端連絡が途絶え、そのまま行方不明となる。
 同年六月二十日、白流島から調査船団の代わりに数百の影が飛び出した。濃霧と同じ紫色の光を纏い、巨大な二対の翼を持った異形のそれは統率のとれた動きで本土を目指し高速で飛翔した。
 その姿から後に亡霊と呼称される怪物は、数時間後に日本海沿岸に点在するいくつかの集落を消し去った。それが未知の生命体、亡霊との長い戦いの幕開けとなる。

◇◆◇

「ここでの暮らしはどう?」
 第一小隊に配属されてから三日目。司令室に呼び出された優は、目の前で柔らかい笑みを浮かべる奈々を見上げて、曖昧な笑みを浮かべた。
「広すぎて、未だによく迷います」
 そう言いながら、司令室をチラリと見渡す。規則的にディスプレイが並び、電子オペレーターが暇そうにいていた。壁にはランプやスイッチが並び、機械的な雰囲気になっている。
 奈々はクスりと笑って、それから話を進めた。
「第一小隊の子たちとは仲良くなれそう?」
「まだわかりません。数人と少し言葉を交わしただけで、顔も名前も覚えてないです」
「やはり、周りが女ばかりというのは嫌?」
 その言葉に、優は僅かばかり考え込んだ。
「……嫌ではないです。でも、やっぱり馴染みづらいです」
 それを聞いた奈々は頷いて、優から目を離した。
「斎藤、こっちに来て」
 奈々が奥にいた若い男性を呼び付ける。
 斎藤と呼ばれた男がディスプレイの並んだデスクの間を縫って近づいてきた。
「この人は、情報部の斎藤準(さいとう じゅん)という人。何か困った事があったら、これからこの人を頼るといいわ」
「紹介に預かった斎藤準だ。対策室のシステム運用に携わっている。よろしく」
 斎藤準は友好的な笑みを浮かべて、そっと手を差し伸べた。優は慌ててその手を握った。
「桜井優です。よろしくおねがいしますっ」
「今日は生憎これから仕事が入ってるんだが、今度一緒に飯でもどうだ。周りが女ばかりだと、落ちつかないだろう」
 気さくに誘ってくる準に、優は満面の笑みを浮かべた。
「はい。是非、お願いしますっ」
「さて。紹介はこれで終わり。斎藤は持ち場に戻って。優君と話があるから」
 奈々の言葉に準は頷いて、司令室から出ていった。それを確認した奈々が優に向き直る。
「ここからが本題」
 優は黙って先の言葉を待った。
「十日以降に亡霊が出たら、実際に出撃してもらおうと思ってるの。もちろん、戦闘ではなく見学の意味で。戦闘記録は何度か見た事があろうだろうけど、実戦は全く違うから、それを肌で感じ取ってもらいたい」
「実戦、ですか……」
 自然とトーンが落ちる。
「心配しなくても大丈夫。君が直接戦う必要は絶対にないから」
 奈々が断言する。
 優は頷く事しかできなかった。 
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