鎮守府のみかんの木
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4.秋
秋。私の同胞にしてライバルのイチョウどもが色気付き、それはそれはクサい実を落としまくって、みんなからひんしゅくを買う季節。カッカッカッ。実が黄色ければいいというものではないのだよイチョウ共。まだまだ私の領域にはたどり着けぬようだな。
かくいう私も、自分が一年の中で最も輝く季節を前に、今は自分の身体にくっついている実をじっくりと育てている……そんな季節でもある。
お日様の光を充分に浴びつつ、そろそろいい頃合いかな? と自分の実の状態を確認。……うーん……あともうちょっと、といったところか。
「……みかんよ」
そうやって私が自分の実の出来栄えを確認していたときだった。私の前に姿を表したのは、いつの頃からかここの仲間の一人になったロドニーだ。
「お前の実がどれぐらい熟してきたか、私が確認しにきたぞ」
そう言って微笑むロドニーだが……気のせいだろうか。少し、笑顔に陰があるようにみえるのは。
「……まだ青い部分が残っているな。収穫には、あともう少しといったところか……」
私の実を手に取り、しげしげと見つめるロドニーの眼差しは、いつものように優しいが、やはりどこか儚げだ。『どうした?』と聞きたいが……私の言葉が、彼女の耳に届くことはない。
一通り私の実の確認が終わったところで、ロドニーは私から離れた。今はまだ、私の実の熟し具合は足りないようだ。私と同じ結論に達したようだ。ロドニーもだいぶみかんのことが分かってきたようだ。その調子で精進を繰り返すといい。
「みかんよ。……聞いてくれるか」
少しうつむき気味に、ロドニーがそう口ずさむ。手には一枚の封筒。封筒は俗に言うエアメールとかいうもので、海外から届いた手紙であるらしいことが、私にも分かった。
「これは、永田町にいた時の私の友、ビスマルクから届いたものだ」
そういい、ロドニーが私に封筒を見せてくれる。とても美しい筆記体でここの住所が書かれたその封筒を、ロドニーは私の前に突き出していた。
「戦争が終わった後、故郷に帰った彼女は、時々こうして手紙をくれるんだ。あの時の思い出は最低だが、それでも、私と再び出会えたことは純粋に嬉しい……彼女はいつも、そう言ってくれる」
そこまで聞いて、私はなぜ彼女の笑顔が曇っているのかさっぱり分からなかった。友からの便りは、本来はとてもうれしいもののはずだ。それに、どうやらロドニーとそのビスマルクとやらは、とてもつらい時期を共に乗り越えた2人。そのような友ならば、今ではとても仲のいい友のはず。
なのに、ロドニーのこの浮かない表情は何なのだろう? ひょっとして、『最低の思い出』とやらに、何か関係があるのだろうか……。
「……私は今、幸せだ。自分のホームを見つけ、互いに研鑽を積んで切磋琢磨し合える友と出会え、軍籍ではない友も出来、平和でのどかな日々を過ごせている」
……ふむ。特に彼女の笑顔に陰をさすような理由は見当たらないが……
「戦いから遠ざかった生活を送ることはいささか残念ではあるが……それでも、誰も死なない……死ぬ必要がなく、死ぬ危険がないということは……とてもうれしい。だが……」
そこまで言うと、ロドニーはうつむき、押し黙った。口に出すか出すまいか……そう悩んでいるようにも見える彼女は、やがて小さな声で静かに、口を開いた。
「……この楽しい日々を、イカズチにも過ごしてもらいたかった」
いかずち? 私の知らない名前だ。誰だそれは?
――主にとっての、はじめての日本での友だ
戦闘において我が主をかばい轟沈した、駆逐艦のイナズマの姉だ
そんな声が聞こえた。まるで西洋の騎士のような、凛々しく、そしてどこか優しい男性の声だ。この声の主は恐らく、ロドニーが腰にぶら下げている剣だ。
己の剣にそんな話をされていることも気づかず(当たり前だが……)、ロドニーはその剣に左手を添え、そして話を続けてくれた。
「手紙の中でビスマルクが、『彼女にも、この平和な世界を見せたかった』と言っていた。ビスマルクにとっても、イナズマは初めての日本での友だったそうだ。……無邪気で優しいイカズチのことだ。きっと妹のイナズマのように、深海棲艦たちとも、すぐに仲良くなれたろうに……」
そう話すロドニーの眼差しは、私の向こう側に見える水平線の、ずっと向こう側を見ているように見えた。
「私の命を助けてくれたイカズチのことを忘れたことは一度もないが……改めてビスマルクにそう言われ……何やら昔のことを思い出してな」
なるほど。今は亡き友のことを思い出し、少し憂鬱な気分になってしまっているらしい。
私には、そのイカズチという者の気持ちは分からぬ。本人がこの場にいない上、すでに他界してしまっている以上、本人が何を思いロドニーを見守っているのかは、見当がつかん。
だが、きっとこれだけは言える。ロドニーよ。イカズチは、お前が今もイカズチとの思い出を大切にし、時々そうやって思いを馳せていることが、きっと嬉しくもあり、そして少し悲しくもあるだろう。
笑顔で思い出すのは構わない。『イカズチと過ごした毎日は、とても楽しいものだった』と笑いながら振り返るのは、とてもうれしいことのはずだ。
だが、そうやって憂いを含んだ表情で思い出されては、きっとイカズチの笑顔も曇ってしまうだろう。イカズチはお前にとって大切な友なのだろう? 友の笑顔を曇らせて、お前は平気な女なのか? お前はそんな女ではないだろう?
……よし。今日は特別サービスだ。今年一番目の私の実を、お前に食べさせてやろう。それで元気を出すがいい。
そう思い立った私は、ちょうどタイミングよく吹きすさんだ風に必要以上に煽られたフリをして、その拍子にわざと、実を一つだけ地面の上に落とした。
「?」
地面に落ちた私の実は、コロコロと転がってロドニーの足にコツンと当たる。その実はてっぺんこそほんのり青いが、全体はすでにきれいなオレンジ色だ。これは私にも分かる。このみかんはすでに食べごろだ。
「これは、……お前が私を元気づけるためにくれたのか?」
足元に転がってきた私の実を拾い、ロドニーが不思議そうにつぶやいた。そのとおりだロドニーよ。今年一番最初の実をお前に与えよう。その実を食べて、少しでも元気を取り戻すがいい。
「では、ありがたくいただこうか」
フッと笑ったロドニーは実の皮を丁寧に剥き、そして中身を一房取ると、それを口に運ぶ。その途端……
「……くおッ!? すっぱ!!!」
と顔面のすべてのパーツを中央に集めて悶絶し始めた。
「くぉぉぉおおおッ!! まだ酸っぱかったか……! やはり早すぎた……ッ!?
しまった……まだ酸っぱかったか……私としてはロドニーが『うん。甘酸っぱくて美味しい』と言ってくれることを期待したのだが……
「貴様……何をする……ッ!? ちょっとセンチメンタルな気分に陥ってしまっている私をあざ笑っているのかッ!?」
申し訳ない……私としてはまったくそんなつもりはなくて、ただそんなお前を元気づけたかっただけなのだが……しかし、そんなに酸っぱいのか……顔面の中央に寄ってしまっているお前のキレイな瞳に、うっすら涙が溜まっているぞ……
それなのに。
「ひぃ……すっぱ……一体私に……何の恨みが……ッ!?」
そう言って恨み節をこぼしながらも、ロドニーは私のすっぱすぎるみかんを食べることを、やめようとはしなかった。
「うう……」
時々身体をぶるっと震わせて、ロドニーはそれでも最後まで、私のみかんを食べることをやめようとしない。一房一房、丁寧に食べては、顔の真ん中にパーツを集めて、身悶えしている。
ついにすべてを食べ終わったロドニーは、みかんの皮を丁寧に折りたたみ、そしてゲホゲホと咳き込んだ後、皮を懐へと入れた。
「……ふぅ。らしくなかったな。このすっぱいみかんは、お前の気遣いであると同時に、イカズチの叱責なのかもしれないな。あいつなら『ダメよロドニー!!』とかいいそうだし」
……おっ。最初はどうなるかと肝を冷やしたが、なんとか好意的に受け入れてもらえたようだ。涙を浮かべてはいるものの、ロドニーは私に向かって、フッと柔らかく笑ってくれた。
その意気だロドニーよ。お前に仏頂面や泣き顔は似合わぬ。笑え。ふわっと笑うお前が、もっともお前らしい。……いや憎らしい仏頂面も似合うといえば似合うな。
――みかんよ 主への気遣い、感謝する
構わん。主を案ずるお前の心意気は、きっと彼女も感づいているだろう。例え我らの言葉が、彼女には届かなくとも。
――私は剣ゆえ、暴力で主をお守りすることしか出来ぬ
私もお前のように、気遣いが出来る身体になりたかった
自分を卑下するのはやめるがいい剣よ。確かに私はロドニーを果実で気遣うことは出来るが、逆に暴力からロドニーを守ることは出来ぬ。その時はお前が主を守ればいい。適材適所というやつだ。
――……感謝するッ
そうして私が剣とロドニー談義をしていたら、向こうの方から人の気配が近づいてきた。この足音は……どうやら、彼女の一番の戦友が彼女を迎えに来たようだ。
「ロドニーさーん。そろそろ仕事ですよー」
ハッとしたロドニーが、目にたまった涙を拭う。まるで泣いてなどいなかったかのように目の赤みもサッと引いたロドニーだったが、彼女の袖口は、ほんの少しだけ、涙で濡れていた。
ロドニーの一番の戦友、赤城が近づいてきた。戦争の頃は真っ赤な弓道着を着ていた彼女だが、今では水色のツナギのような作業着を着ていることが多い。あの真っ赤な弓道着も凛々しくて素敵だが、私は、今の、ダサくて彼女に全く似合ってない、水色の作業ツナギの方が好きだ。
「ぁあ赤城。今日はどこだ?」
「私は大淀さんの学校です。ロドニーさんはいつも通り大学ですね」
「私もたまには大淀の学校に行きたいのだが……」
「駄目です。あなたは人当たりが強いので、生徒さんたちがびっくりしちゃいますから」
「そうか?」
「だってあなた、この前大淀さんの学校に行った時、元帝国軍人のモチヅキさんに『貴公! 勝負だッ!!』て大騒ぎしたらしいじゃないですか……」
「強者には勝負を挑まずにはいられない……それがネルソン級だッ。キリッ」
「そういう矜持を持ち出されるから困るんですよ……」
そんな軽口を叩き合いながら、2人は私のもとから離れていく。そうだ。それでいい。今は亡き友のことを忘れろとは言わぬ。だが、今を精一杯生き、思いっきり楽しんでこそ、先に逝った者も浮かばれるというもの。
ロドニーよ。今のお前は輝いている。そんなお前を、亡き友イカズチも笑顔で見守ることができよう。私にはそんなイカズチの姿を感じることは出来ないが、きっとそうだ。
「ぁあ、そうだ」
少し離れたところで、ロドニーはそう口ずさみ、私の元に戻ってきた。
「……みかんよ。礼を言う」
……なにについてだ?
「私を元気づけようとしてくれたこと……そして、その酷くすっぱいみかんで、イカズチの叱責を私に伝えてくれたことをだ」
あれは完全に私のミスだったのだが……まぁいい。いい風に捉えてくれて、私の方こそ感謝だ。
「だが収穫の時は、甘酸っぱいみかんを期待しているぞ」
任せて欲しい。今年の実も、あまずっぱく、最高の状態に仕上げてご覧に入れる。
「……フッ」
まるで私と言葉を交わすことが出来たかのような、そんなやり取りを経て、ロドニーはいつもの元気を取り戻して戻っていった。
さて。ロドニーとの約束もある。今年はせいぜい、あまずっぱい実に仕上げてみせよう。去りゆくロドニーたちの背中を見守りながら、私は再び、果実たちに栄養を蓄えるべく、お日様の光を存分に浴びて、光合成に勤しむことにした。
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