八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
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第百三十五話 餓鬼その六
「そこは頭に入れてね」
「そうしてですね」
「妖怪のことは考えていきましょう」
「妖怪はそうしたものですね」
「うん、そしてね」
「そして?」
「確か合気道部の道場もだよね」
「そうしたお話があります」
実際にとだ、円香さんは僕に答えた。
「夜の十二時に出るとか」
「何かいるよね」
「幽霊の話があります」
「その幽霊は何なのか」
「噂では戦前の方だとか」
「戦前の?」
「合気道部創設の頃の方で」
合気道の歴史は案外新しい、合気道術という術があってそれが源流だと聞いている。
「何でも古武術を極めておられて」
「もうお亡くなりになったんだよね」
「はい、ですが天寿を全うされても」
それでもというのだ。
「魂が道場にあって」
「そこでなんだ」
「毎晩鍛錬をされているとか」
「そんな話だったんだ」
「そう聞いています」
「あそこにも出るのは聞いていたよ」
僕もだ、けれどそうした話とは聞いていなかった。
「僕も、ただ詳しい話はね」
「それはですか」
「聞いてなかったよ」
そこまではだ。
「僕もね」
「そうでしたか」
「うん、ただ凄いね」
「合気道への想いが」
「天寿を全うしてもだね」
「武芸に励んでいることは」
「そうは出来ないよ、そこまで思い入れがあるなんて」
本当にこう思った。
「並のことじゃないよ」
「私もそう思います」
「うん、僕も思うよ」
心からだ、そう思っていた。今も。
「その思い入れが凄いよ」
「はい、何でも相当にお強く」
円香さんはその道場にいるという人についてさらに話した。
「人格もです」
「素晴らしい人だったんだ」
「そう聞いています」
「そうだったんだね」
「あくまで私が聞いた限りですが」
「いい人で」
「お強かったとか、教育者であられ」
職業はそちらだったらしい。
「八条大学で立派に教鞭を取られていたとか」
「人格者の教育者というと」
こう聞いてだ、僕が思った人は。
「加納治五郎さんみたいな人かな」
「そうだったかと」
「あの人も人格者だったんだよね」
柔道の創始者にして偉大な教育者だった、その人格については今も尚言われている程だ。そうした立派な人だったらしい。
「相当な」
「ご自身ではそう言われるととてもと謙遜されていたそうです」
「あっ、それはね」
「それは?」
「立派な人だったってわかるよ」
その謙遜からとだ、僕は円香さんに答えた。
「そう言われて得意になったりふんぞり返る人はね」
「人格者ではない」
「そうしたものだからね」
これは親父に言われたことだ、それで僕は円香さんに親父から言われたことを思い出しつつ話した。
「そこでそうだとか言ったらね」
「もうその時点で」
「うん、どうかという人だよ」
こう話した。
「特に自分を尊敬するとか言う人はね」
「絶対にですね」
「尊敬されない人だよ」
無意識のうちに吐き捨てる様に言っているのがわかった。
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