大洗女子 第64回全国大会に出場せず
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第10話 怒りのみほ
卒業前の最後の一仕事ということで、ナカジマたち三年生総出でキャブ調整に取り組んだものの、結局丸1日をこれに費やすことになった。
彼女たちの仕事はショップレベルだったと言っていい。不整爆発寸前だった機関もなんとか回るようにはなった。
しかしキャブを完全に近く同調させるだけでは終わらず、燃料に無鉛アブガス添加剤を入れたうえ、オイルは固さはそれほどでもないが潤滑性能が高いシングルグレード鉱物油を探さなければならなかった。
現在使われている、季節の温度変化に対応できるマルチグレードや高性能の化学合成オイルは、オイルシールやエンジンの構造そのものが対応していないため漏れてしまうので使えない。
板バネについては既存品で対応できないことがわかったので、諦めるしかなかった。
それでもこいつの大重量はどうにもできず、整地で30km/hには結局届かずじまいだった。
優香里はチャーチルよりは少しだけ速い速度でなんとかテストランする新型を見て、動くだけマシよ。そのための重装甲と長射程砲なのだから。不整地は行かなければいいだけと、なんとか自分を納得させていた。
ただ、格闘戦が身上のみほは、おそらくこれに乗ろうとはいわないだろう。
研修会の日程が延伸したため、数日予定を超過したみほと華が大洗に帰還したのは、新型がとりあえず動くようになった次の日だった。
華は放課後にみほも加えて、自分が不在だった期間の事務引き継ぎを会長室で行うと携帯メールで優花香里に伝えた。華がいる普通Ⅰ科と優香里の普通Ⅱ科は、校舎が離れた場所にある。
すると優花里からは、『戦車倉庫から離れられないので』来て欲しいという。
みほと華は顔を見あわせた。折悪しく麻子は趣味の時間であり、沙織は……
「ゆかりんが業者に試乗用パンター借りたみたい」
という認識だった。これは別に彼女だけの話ではない。
「せんしゃずかん」にはこれどころか、ハンガリー戦車のページすらない。
ネトゲチームはパンターではないということはわかったが、ネトゲにはハンガリー戦車は(少なくともハンガリー国籍では)出てこないので、ハンガリー製戦車があること自体すら知らないままだった。
優花里と会ったうえで、その試乗車を見ない事には話が進まないと思った華とみほは、放課後になってから戦車倉庫にやってきた。
ところがその優花里はまだ来ていないようだ。戦車倉庫の照明が点いていない。
「戦車倉庫から離れられないっていうから来たのに。優花里さんどこにいったのかなあ」
「とりあえず照明をつけましょうか」
古い戦車倉庫の照明が最新のLEDであるはずもなく、旧式の水銀灯が何分もかけて徐々に光を放ち始める。
戦車倉庫には手前側に見慣れた8両の戦車がある。
これらはシルエットだけでも何なのか彼女たちにはすぐにわかる。
そして、無限軌道杯直前に河嶋桃が発掘した菱形戦車「マークⅣ」の巨体も鎮座している。
戦車黎明期の縄文式土器を引き当てるとは、河嶋はさすがというか、やはりというか……
わからないのは入って来たドアから一番遠くにある、ひときわデカいシルエット。
「ポルシェティーガーよりも大きいですね。
みほさん、これは何という戦車なのですか?」
「わからない。こんなのは見たことがない。
明らかにパンターではないということぐらいしか……」
水銀灯が過熱され、ようやく本来の光量に達して、部屋の隅々まで光に満ちる。
そして新戦車の姿も、光の中にうかびあがった。
「あっ!!」
「みほさん? どうしたの……」
「……これでは」
華の目のまえのみほは、そう言ったきり口をぽかんとあけて呆然としている。
しばらくそのまま硬直していたみほだったが、その呪縛が解けたとたん、まるで言葉を絞り出すように言った……。
「これでは戦えない……」
「え?」
どういうことであろうか。
あの、整備もされずここで朽ち果てるのを待っていたかのような旧型Ⅳ号D型を見て「これなら戦える」と言ったみほが、というか縄文式マークⅣにさえ何も言わなかったみほが戦えないとまで言うとは……。
それからしばらくして、戦車倉庫に直行するはずの優花里がやっと姿を現した。
「あ、もういらしていたのでありますか?
実は、急に聖グロリアーナから電話がありまして……」
みほは新型の前で呆然としたままであり、華だけが優花里の話を聞く形になった。
「聖グロリアーナ、ですか?」
「はい、受験シーズンが終わり次第、現選手団による最後の交流戦がしたいそうです。
……どうしますか?」
みほは、それを暗い表情のまま聞いていた。
姉から聞いた強豪校の状況。研修へ戻ってきたあと、急によそよそしくなった逸見。
匿名で多額、しかも条件付きの「ふるさと納税」。
突然売り込みをかけてきた、営業所長が男性だという戦車ディーラー。
そして、聖グロリアーナから突如申し込まれた交流戦。
このとき、みほにはすべてが一本の線でつながった……。
みほは、伏し目がちにゆっくりと優花里の方に向き直った。
無表情としか言いようのない顔をして。
このときのみほは、何かが永久に変わってしまったのを感じていた。
そしてこうも思っていた。
みんな踊りたければ勝手に踊るがいい。でも私まで舞台に上げて血まみれで踊らせたいのなら、もっと上手い方法を考えて欲しかった。
……まったく悲しい。本当に大人げない。
大洗動乱のとき「大洗女子を倒す」なんて言ったことを、私が覚えていないとでも思っているのだろうか。「戦車道にまぐれはない。あるのは実力のみ」ですって?
どう考えても「まぐれ」の綱渡りでしかなかった私たちの優勝。
そんな、アリ同然の大洗女子であっても、自分のメンツを傷つけた以上踏みつぶさねば気が済まないとおっしゃるのですね。あなたという人は……
……みほはここで、ついに本気で戦う覚悟を決めた。
「……優花里さん、向こうの出してきた条件は?」
みほの声が、戦車倉庫の内部にうつろに響く。
一つの時代の終わりを告げる鐘のように。
違和感にとらわれた優花里だったが、毒を皿まで食べてしまった彼女の舌は、何も感じていないかのごとく回り続ける。
「メンバーは履修を終えた三年生も含める。グロリアーナ側は5両。
大洗側は出せる戦車はすべて出してよいとのことです。
試合日は、三月の第2日曜日を希望とのことです」
「場所はどこ?」
さすがに大洗町全域というのは、もう連盟が認めないだろう。
観光ホテルが2つガス爆発で大惨事だし、アクアワールドも半壊した。
どれだけ金が出ていったかわからない。
たしか新築したばかりのお店を木っ端微塵にされた人もいたはずである。
「伊豆大島の、三原山カルデラ全域だそうです」
華が思わずみほの方を見た。聖グロリアーナが何を考えているのかわかったからだ。
みほは目で「何も言わないで」と華を制し、ややあって口を開く。
「お受けします。こちらは『9両』でお相手します。
すぐに聖グロリアーナにそう伝えてください。私と華さんはここで角谷元会長と連絡を取ってから、自動車部に寄ってそのあとで会長室に行きます」
「はいっ! 了解であります」
みほの暗い表情から、新型の導入や対外試合自体反対されるのではないかと不安になっていた優花里は、それが杞憂に過ぎなかったと安堵し、はりきって生徒会室に戻った。
一方……。
「みほさん。よろしいのですか? 今のままでは……」
「優花里さんにとって、戦車道自体がマニアの趣味です。
だからいまここで何を言っても無駄でしょう。
レアなアイテムをゲットしたくらいの気持ちなのね。
実は、私にもこの戦車は何なのか全然わからない。
でも、練達の戦車道選手がこの戦車を見たら、たとえこの戦車がどこが作った何という戦車か全く知らなくても……」
みほは首を振って考えを切り替えると、自分のスマホを取り出して電話帳を開く。
「……とりあえず、角谷元会長に連絡しましょう。
あの人に働いてもらわなくてはいけません」
「ふふっ、ご本人はもう二度と働きたくないって思っていらっしゃいますね」
華が笑った。前に角谷が「働いた」ときは、大洗動乱が起きてしまった。
こんどはどうなるのだろうか? 華には予想もつかない。
「まあ、晩ご飯でも食べながら話そうか」
それが角谷の返事だった。
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