ラブライブ!サンシャイン!! Diva of Aqua
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遭遇
夏の終わりが近づくにつれ、海岸から吹き付ける潮風も涼しくなってきたこの頃。二学期の始業を明日に控えた浦の星女学院の屋上には、九人の少女達の姿があった。
もうすぐ八月も終わろうとしているというのに、頭上から降り注がれる日差しは暑く、彼女達は額に汗を流しながら身体を動かしていた。一定のリズムで響き渡る手拍子の渇いた音に合わせ、何人かの少女たちが舞い踊る。
やがてメトロノーム代わりの手拍子が鳴り止むと、その手を叩いていた瑠璃色の少女――松浦果南が、それまでとは違い注目を集める意味合いで両手を二度叩いて鳴らした。
「少し休憩にしよっか? この暑さだとみんな疲れてきただろうし」
「さっすが果南、ナイスアイディアよ! さっきからウェアが汗でビッショリなのよ!」
「まったく、夏休み最後の練習だというのにこのむせ返えるような暑さはなんですの!?」
「まぁまぁお姉ちゃん、頑張ルビィ!」
「灼熱の太陽……この堕天使ヨハネの弱点を確実に突くなんて、やるわね」
「善子ちゃんの頭が暑さでおかしく……いつものことだったずら」
「私は暑いの好きだけどね! プールに飛び込むと気持ち良いから!」
「うへぇ……暑すぎる。ねぇ、梨子ちゃ……ん?」
蜜柑色の少女――高海千歌はタオルで汗を拭いながら、つい先ほどまで隣で一緒に踊っていた深紅色の少女――桜内梨子に話しかける。しかしそこに彼女の姿はなく、千歌は汗を拭く手を止めて屋上をぐるりと見渡した。
「……梨子ちゃん?」
梨子はいた。屋上の端に備え付けられている落下防止の柵に肘を乗せ、右手に持ったスマートフォンを真剣な表情で見つめている。
ふと、千歌の中に悪戯心が湧き上がる。足音を立てぬよう静かに、慎重に足を運んでスマホに釘付けになっている梨子へと、背後から少しずつ近づいていく。
「千歌ちゃん?」
「しーっ」
そんな千歌の行動に疑問を持った曜だったが、人差し指を唇に当てて「静かに」と暗に言う千歌には、困ったように愛想笑いを浮かべるしかなかった。
気がつけば、そんな千歌の行動が引き起こすであろう結末を屋上にいた全員が注目していた。
ある者は千歌がどんな行動をとるのか期待に目を輝かせ、ある者はあまり興味がなさそうに、またある者はオロオロと心配そうに。彼女達はそれぞれの思いで千歌と梨子の行く末を見守っている。
屋上にいる九人の少女。彼女達はここ浦の星女学院のスクールアイドルグループ――Aqours。つい先日に開催されたラブライブ地区予選を終えたばかりであるにもかかわらず、彼女達は毎日のように練習に励んでいた。
他のメンバーの視線が千歌と梨子に注目する中、千歌は忍び足で徐々に梨子の背中へと近づいていく。ゆっくりと、梨子に気づかれぬよう慎重に足を運んでいき、そして千歌は梨子の背後に立った。
千歌は梨子に気づいてもらおうと、手をブンブンと大きく振ったり変なポーズをとったりするが、梨子がそれに気づく気配は一向に見えない。依然として右手に持ったスマホを、無言でただジッと見続けている。
自分の存在に気づかない梨子の反応が面白くないと感じた千歌は、ムスッと頬を膨らませ、背後からするりと梨子の胸元へと両手を回した。そして……。
むにゅ。
「ひゃあっ!」
驚きの声を上げた梨子の手から、スマホが滑り落ちる。しかし梨子はそのことに気づかず、唐突に胸を触ってきた人物を確認しようと咄嗟に身体を反転させた。悪戯に成功して満足気な表情を浮かべる千歌を、梨子は顔を赤く染めつつジト目で鋭い視線で睨んだ。
「いきなり何するのよ千歌ちゃん!」
「ごめんごめん、梨子ちゃん全然気づいてくれないから、つい」
「思い付きで胸揉まないでよ! まったくもう……」
謝りながらも全く悪びれていない様子の千歌を見て、梨子は溜め息をつく。他のメンバー達も千歌と同じような笑みを浮かべていることから、彼女達が黙って千歌の行動を見ていたことに気がつく。梨子はまた一段と肩を落とした。
「あれ? 私のスマホ……」
そこで梨子はようやく、先ほどまで大事に眺めていたスマホが自身の手から離れていることに気がつく。キョロキョロと慌てて周囲を見渡すが、どこにも見当たらない。
「あ、もしかしてこれ?」
「それ、私のスマホ!」
「ん? 画面に映ってるのって……写真?」
「み、見ちゃダメー!」
千歌が足元に落ちていたスマホを拾い上げ梨子に見せる。それを一目で自分のものだと認識し、梨子はすぐさま千歌からスマホを返してもらおうと詰め寄る。
しかし梨子が辿り着く前に千歌が、液晶画面に表示されていたそれを、スマホに視線を落とした際、偶然にも目にしてしまう。
そこに映るものを見られたと悟った梨子は、千歌からスマホを奪い返そうと手を伸ばす。しかし梨子の手はあえなく千歌に躱されてしまい、未だその画面を見続けられている。
「この子、梨子ちゃんの友達?」
梨子のスマホに映る写真。そこには梨子と一人の少女が、笑顔で隣り合って写っていた。
「どれどれー?」
ふと、千歌の背後から曜の声がする。いつの間にやら千歌の後ろには、曜だけでなく他のメンバーが集まっていて、千歌の持つ梨子のスマホに映るものを一目見ようとしていた。
「梨子さんも、一緒に写ってる方も、音ノ木坂の制服ですわね」
「わぁ……綺麗な人……」
何とか千歌の近くに陣取って写真を見ることに成功した黒澤ダイヤ、ルビィの黒澤姉妹が、梨子と親し気に写る金髪の少女を見て、そのような感想を口にした。
それから梨子のスマホは全員の手に回っていき、メンバー達は全員がその写真を見ることができた。その様子を見て梨子はガックリと肩を落とし、諦めて眺めているしかなかった。
「その人は、私が音ノ木坂にいた頃の……友達なの」
「梨子ちゃん……」
どこか懐かしむように言葉を紡ぐ梨子。そんな梨子を見て何か思うところがあったのだろうか、千歌がどこか切なさを感じさせる声で梨子の名を呟いた。かと思いきや……。
「音ノ木坂に友達いたんだね!」
「は、はぁ!? 友達ぐらいいるに決まってるでしょ! 千歌ちゃんは私を何だと思ってるのよ!」
心外な言葉が千歌の口から放たれて、梨子は相当な剣幕で千歌に詰め寄った。普段あまり見ない梨子の怒っている姿に、千歌はもちろん蚊帳の外にいる他のメンバーも思わずたじろいでしまう。
「いやぁ……前に聞いた話だと、梨子ちゃんいつもピアノの練習ばかりしてたって……だからてっきり友達いなかったんだと……」
「そんなわけないでしょう! まったく千歌ちゃんは……!」
「あはは……ごめんごめん。でも梨子ちゃんに音ノ木坂の友達がいて良かったよ! なんか安心したっていうか、嬉しいっていうか……よく分かんないけど、今はそんな感じ!」
そう言って千歌はにっこりと満面の笑みを浮かべる。その屈託のない笑みに、先ほどまで怒り心頭だった梨子は絆されていく。
「やっぱり、ヘンな人」
千歌の笑顔に釣られるように、梨子はニッコリと微笑んだ。
「済んだみたいだね。それじゃあ練習再開するよー」
ずっと二人のやり取りを見守っていた果南がパンパンと手を二回叩き、彼女達は練習を再開した。
その日の夜。スクールアイドルの練習を終え、旅館『十千万』を営む自宅へと帰宅した高海千歌は、二人の姉と共に夕食を済ませると、少し散歩してくると言って夜の内浦へと繰り出した。
舗道の所々にポツリと位置する街灯と、うっすらと雲に隠れた月明かりのみによる僅かな光源を頼りに、千歌は歩みを進めていく。夜になると少し冷え込むので、海側から時折吹きつける潮風が心地良い。
また自然豊かな場所なので、鈴虫の鳴き声が聞こえてくる。まるで音楽を聴いているような感覚に、千歌はクスッと微笑んだ。大好きなスクールアイドル――μ'sの曲をハミングで奏でながら、気分良く歩いていく。
それから丁度一曲歌い終えるほど歩いた千歌は、ふとその足を止めた。すると耳に手を当てて、何かを聴くことに集中する。
「歌……?」
どこか遠くから聴こえてくる女性の歌声。
「あっちの方から聴こえる」
止まっていた千歌の足は吸い寄せられるようにその方向へゆっくりと進んでいき、徐々にその速度を上げていく。気がつけば千歌は歌の聴こえる方へと走り出していた。
息を切らしながらも、千歌は全力で走っていく。何故こんなにも一生懸命に走っているのか、それは千歌自身にも分からない。だけど、もし誰かにそう尋ねられたのなら、千歌は聴こえてくる歌をもっと近くで聴きたいからだと答えるだろう。
地面を蹴るにつれて、歌声は少しずつ大きくなっていく。もうすぐ、あと少しで辿り着けると確信して、千歌はより速度を上げた。
千歌の足が止まる。膝に手をついて呼吸を整える。その視線に映るのは、夜の砂浜。
そこに、一人の少女が立っていた。
その少女に向かって、千歌はゆっくりと近づいていく。暗くてよく見えなかった少女の全体像が、近づくにつれて少しずつ鮮明になっていく。
およそ五メートルの距離まで近寄り、千歌が足を止めた。これだけ近づいてなお暗くて顔の見えない少女の歌う曲は、千歌の知らない曲だった。だけど、その透き通った綺麗な歌声に、千歌は一瞬にして魅了された。
ギュッと握りしめた両手を胸の前にあて海に向かい、まるで祈るように歌う少女。潮風で靡く長い髪とワンピースという少女の恰好が、それを目の当たりにする千歌をより幻想的な雰囲気へと誘う。
雲の切れ間から月明かりが射し込む。その光は千歌と少女のいる砂浜へと降り注がれ、千歌の目に映る少女の姿がより鮮明になった。
すると、少女の歌が突然ピタリと止んだ。胸の前で握りしめた両手を解いた少女が、ゆっくりと身体を回転させて千歌を正面で捉えた。
「こんばんは」
柔らかに微笑んだ少女が千歌に挨拶をする。
「こ、こんばんは!」
黙って歌を聴いていたことに僅かな後ろめたさを感じながら、千歌は慌てて挨拶を返した。
月明かりに照らされ、互いに正面に向き合ったことで、少女の姿がハッキリと映った。
潮風で揺れ動くブロンドの長髪。白のワンピース越しでも分かるほど、抜群のスタイルを少女は持っている。だけどその端正な顔立ちにはまだ少しあどけなさが残っていて、千歌と同年代であることが窺える。この時千歌は、少女が自分より一つか二つ年上だろうと予想していた。
千歌とこの少女が会うのはこれが初めて。だけど千歌は、目の前の少女にどこかで会ったことのあるような既視感を覚えていた。グルグルと記憶を辿ってみるが上手く思い出せない。
「あのー」
「は、はい!」
少女から声が掛かって千歌は驚いて返事をした。思い出す作業を一旦中止して、千歌は少女の言葉の続きを待った。
「高校生ですか?」
「あ、うん、高校二年生。あそこの丘にある、浦の星女学院って高校」
「あそこの二年生なんだ。じゃあ同い年だね」
「そうなんだ!? あ、私は高海千歌」
同い年という事実に大きく驚きなながも、千歌は自らの名を少女に名乗る。
「私は――」
少女が千歌に名乗ろうとしたその時。その場にどこからともなく音楽が鳴った。
「あ、ごめん。先に電話出るね」
少女がポケットからスマートフォンを取り出し、申し訳なさそうに千歌に言う。今もなお鳴り続けている音楽は、少女のスマホが奏でる着信音だった。コクリと千歌が小さく頷いたのを見て、少女は電話に出た。
「もしもし? うん、うん。わかった、じゃあ……」
短いやり取りを終えて電話を切った少女は、表情を曇らせて千歌に向き直った。
「ごめん、早く帰って来いって怒られちゃった。もう帰らないと……」
「もう夜遅いもんね。家の人も心配してると思うから、早く帰った方がいいよ!」
「うん、そうするよ。それじゃあ……」
少女は踵を返してその場から立ち去ろうと歩き出す。砂浜を踏む音が数回ほど聞こえたとき、少女が立ち止まってクルリと振り向いた。
「……夜絵」
「へ?」
「――椎名夜絵。私の名前」
少女――椎名夜絵が、自らの名を千歌に告げる。
それを千歌に伝えると、夜絵は再度踵を返して歩き始めた。
「――夜絵ちゃん!」
千歌が夜絵の名を呼ぶ。その場で立ち止まった夜絵は、今回は振り返らなかった。
「私ね、夜絵ちゃんの歌を聴いて感動した! だから……だから、また夜絵ちゃんの歌、聴きたいって思ったの! だから――!」
「うん、いいよ。今の言葉、嬉しかったから」
「本当っ!?」
「うん、約束ね」
「うん! ありがとう、夜絵ちゃん!」
「それじゃあ、私は帰るわ。また――」
「うん、また今度会おうね!」
最後にそんな約束を交わして、夜絵は今度こそ砂浜から離れて行った。
残された千歌は、小さくなっていく夜絵の背中に向かって、笑顔で手を振り続けていた。
夏休み最後の夜、こうして高海千歌は椎名夜絵と出会ったのだった。
***
翌日。夏休みが終わり今日からまた学校が始まるというこの日、高海千歌は遅刻ギリギリのタイミングで教室に滑り込んだ。昨夜、夜絵と出会ったあの出来事を家に帰ったあとも思い出したりして、なかなか寝付くことができなかったのだ。
教室へと入り自分の座席に座る千歌もとに、クラスメイトで同じスクールアイドルをしている渡辺曜と桜内梨子がやって来た。
「千歌ちゃん遅ーい!」
「ごめん曜ちゃん、寝坊しちゃって……」
「だと思ったよ」
「二学期の始業式から遅刻ギリギリなんて、千歌ちゃんらしいけどね」
「ちょっと梨子ちゃん、私らしいってどういう意味?」
「さあ?」
「もうー!」
いつもこのような談笑から始まる浦の星女学院での高校生活。夏休み前と何一つ変わらない日常の風景がそこにはあった。
「そうだ! 昨日の夜なんだけどね、砂浜で――」
「はーいみんな静かに、席に着いてねー」
「あ、先生来た、席に戻らないと」
「ごめんね千歌ちゃん、また後で聞かせて」
「うん、わかったー」
昨夜、砂浜で夜絵と出会った出来事を曜と梨子に話そうとした矢先に、担任の先生が教室に入って来た。曜と梨子や他の立っていた生徒がそれぞれ席に戻り、教室が静かになる。今から先生の話があるだろうと、千歌は教壇に立つ先生に視線を向けた。
「はーい皆さん、今日から二学期が始まりますが、ここで転校生を紹介します」
「転校生? また?」
「そうだよね、梨子ちゃんも四月に転校してきたばかりだし」
転校生という言葉を聞き、千歌は隣の席に座る曜とそんな会話をする。さっきまで千歌達と一緒にいた梨子も、四月にここ浦の星女学院に転校してきたのだ。
今年に入って二人目の転校生。一体どんな人がやって来るのだろうと、千歌は入口に視線を向けた。
コツ、コツと甲高いローファーの音が教室中に響き渡る。
真っ直ぐに教壇へと進んでいく転校生の姿を見て、千歌の瞳はキラキラと輝いていた。
やがて足音が聞こえなくなり、先生の隣に立つ転校生。
「今日からこの学校に編入することになった――」
艶やかな輝きを保つブロンドの長髪。
セーラー服越しでも分かるほどの抜群のスタイル。
あどけなさも垣間見える端正な顔立ち。
「東京の音ノ木坂学院から転校してきました」
それは、昨夜砂浜で祈るように歌っていた。
「――椎名夜絵です、よろしくお願いします!」
千歌が出会った、少女だった。
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