東京レイヴンズ 今昔夜話
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
夜虎、翔ける! 1
前書き
原作小説の9巻と10巻の間、第一部終了後。春虎が夜光として覚醒した直後のお話です。
晩夏の太陽が落とす光を受け、海面は燦々と輝いていた。
海岸線に並行してのびる道路を少し異様な一行が歩いていた。なにせこの暑さだというのに黒い外套やら軍服やらスーツやら袖の長い制服やらと、実に暑苦しい恰好をしているのだ。
「この残暑だと海水浴ができそうだな」
「物見遊山に来たわけではない」
長身で、それでいてスーツの上からでも筋骨隆々とわかる筋肉質で片腕の男のつぶやきを古めかしい軍服を着た妙齢の美女がぴしゃりとたしなめた。
「名案ね。赤いスクール水着とか、白いスクール水着とか、黒いスクール水着とか用意してあげる。コンちゃんはコンだけに紺色がいいかしら?」
「…………っ」
白い制服を着た中高生くらいの小柄な少女の軽口に美女がなにか反論しかけるも、とっさに言葉が出てこず、口をぱくぱくとさせる。そんなひょうきんな表情でさえ凛としている。
「……海水浴か、いいな」
「春虎様!?」
左目に眼帯を巻き、漆黒の外套をまとった青年の言葉に美女が意外そうな声をあげる。
筋肉質な男の名は角行鬼、美女の名は飛車丸、少女の名は早乙女涼、眼帯を巻いた青年の名は土御門春虎――あるいは夜光と呼ばれる。呪術界最大の反逆者として指名手配されている、泣く子も黙る不逞にして兇悪なテロリスト集団だった。
「だけど今年はちょっと無理だな。来年、みんなで行こう。夏目や冬児や天馬、京子も鈴鹿もさそってみんなでだ」
なにげない内容をなにげなく口にする。だがそこには大きな覚悟と決意が込められていた。
東海地方某所に位置する立花市は人口六〇万、太平洋に面した地方都市で、古くから海上貿易で栄えてきた歴史をもち、第二次大戦後は工業都市として発展した。また最近では富士山の見える美しい砂浜を目あてに東京方面からの観光客も増えつつある。
この街にある立花電子産業、立花自動車工業。この二社は多嶋という一族の支配下にあり、二社あわせて一年間に三兆円近い売り上げを誇っている。また直接ではないが銀行、新聞社、TV局、バス会社、不動産会社、ホテル、ゴルフ場、百貨店、出版社、土木建設会社など、すべて多嶋一族の息がかかっている。
そのような街にある真森学園は市街地より少し高い丘陵に建てられていた。
男女共学の中等科と高等科があり、学園長は理事長と総長も兼ねている。名を吉良幸一といった。七〇近い齢のわりには姿勢のしっかりとした人で、実年齢より若く見える。
その吉良幸一が学園長室で二人の招かれざる客の相手をしていた。
横柄にもテーブルの上に土足の両足をのせ、タバコを煙らせる闖入者に退席を願う。
「――もうしわけありませんが今日はお会いする約束はしておりません。そろそろ客が来る時間ですのでお引き取りいただけませんか」
「アポイメントなしでは市議会議員にもお目にかからんというのか、学園長というのはずいぶんとお偉いようですな」
「ほほほ、さすが教育ひとすじ半世紀の方は礼儀にうるさく、世事にうといようで」
タバコをくわえた栄養不良のブルドックじみたいかつい男とインテリヤクザめいた風貌の男が交互に嘲笑をあびせる。前者は立花市議会議員の木内、後者は多嶋一族の秘書を務め、立花銀行会長の肩書をもつ植田といった。
「この木内には二万人の支持者がついている。つまり私の行動はこの二万人の声を代表しているのだ。私をないがしろにすることは二万人の有権者とその家族をないがしろにすることだぞ。わかっているのかね学園長。ええっ?」
「そうですぞ、市民の陳情を聞いたり視察をなさったり式典で祝辞をのべたりと多忙な木内市議がこうして来ているのです。お話を聞くのが礼儀というものでしょう」
ことさら粗暴な木内にくらべ植田のほうは爬虫類めいた底意地の悪さで脅迫めいた言動を繰り返す。まるで二人一組で容疑者を取り調べるにあたり飴と鞭を使い分ける合法ヤクザの手口だった。
俗に田舎に行けば行くほど政治業者とその関係者の質と態度が悪くなると言われるが、そのとおりらしい。
「――なんと言われようと移転の件ならおことわりします。創立以来わが学園はこの土地にある。どこにも動くつもりはありません」
「やれやれ頑迷な、ちゃんと代替え地は用意したじゃありませんか。今の敷地よりもはるかに広いというのに欲張りな……」
「広ければ良いというものではありません。あの代替え地は山奥で生徒の通学に不便すぎます。電車もバスも通ってさえいないではないですか」
「山奥とはなんだっ!」
木内は大喝してテーブルの上に乗せた足を上げて振り下ろした。灰皿が大きくおどって床に落ち、吸い殻と灰が綺麗なカーペットを汚す。
「あそこも立花市の立派な市内だぞ、そこに住む市民を侮辱するつもりか、ええ!?」
ことさら大声を出して暴力団まがいの恫喝をあびせつつ、薄笑いを浮かべた。相手を脅しつけ屈服させるときのいつものやりくちだった。相手は木内の大声に驚き、ついで不気味な薄笑いに恐怖し、混乱して木内のペースにのせられる。これが木内流の交渉術であった。
だが今回はその低俗な手口は通用しなかった。老いたりとはいえ誇りと信念をあわせもつ教育者は再度拒絶の意思を脅迫者に伝える。
「……学園長の考えはわかりました。しかしそれは多嶋一族の、ひいてはトコヨ様のご意向に反することだということはご理解したうえでのことでしょうね?」
爬虫類じみた容貌に歪んだ冷笑を浮かべて植田が言った『トコヨ様』という単語に吉良ははじめて動揺の色を見せた。
ここぞとばかりに畳み掛けようとしたそのとき、ドアが開いてよどんだ室内に新鮮な外気が風となって入ってきた。
「すみません。いくらノックしても返事がないものですから」
黒い外套を羽織り、左目に錦の眼帯を巻いた青年――土御門春虎がおだやかにあいさつをした。春虎に続いて早乙女凉が園長室に入り、こちらも吉良にむかってきちんとあいさつをする。
「臨時呪術講師早乙女涼とその助手にして転入生の堀川夜虎。ただいま到着」
「ああ――、早乙女君か。よく来てくれた。それに堀川君も、遠路はるばる疲れたろう。さっそく校内や寮を案内してあげたいところなんだが、見てのとおり取り込み中でね……」
臨時講師に転入正とはいったいなんのことか?
泰山府君祭によって現世に帰還をはたした夏目だったが、その術は不完全なものだった。春虎が施したある術で夏目に土御門の竜である北斗を憑かせることでかろうじて夏目の魂を現世につなぎ止めておくことができているが、あやうい状態だ。そのため春虎は夏目を完全に復活させる方法を探すため、あるモノを探している。
だが手がかりは乏しい。そのため春虎が周易をもって卜占したところ、この地に求めるモノがあるとの応えがでたのだ。それもこの真森学園の敷地内に。
春虎たちはこれまでにも幾度か陰陽庁の研究施設をなかば襲撃するように捜索していた。陰陽庁が春虎たちをテロリストあつかいする理由のひとつだ。
遺恨とまではいかないまでも陰陽庁には複雑な思いがある。少々強引な手段をとっても胸が痛むことはないが、一般の組織や施設が相手では話はべつだ。陰陽庁とは直接関係のない真森学園に強行手段はもちいたくはない。さらに春虎がくわしく卦を読んだところ。
――大過は棟撓む。往くところあるに利ろし。亨る。初六。藉くに白ボウを用う。咎なし。九五。枯楊華を生じ、老夫婦その士夫を得たり。咎もなく誉もなし――
という卦が読みとれた。これはひとことで言うなら『急がば回れ』という意味だ。
隠形してこっそり探る方法も検討されたがより腰を据えて調べられないか考えていると早乙女凉が突拍子もない提案をした。
臨時講師と転入生として潜入してじっくり調べる。というのが彼女のアイデアだった。
昨年末の陰陽法改正以降、一般の企業や学校にも陰陽師を派遣し、呪術について初歩的な教えをするという動きがあった。それに便乗して学園に潜り込もうというのだ。
「……ロゼッタ協会に所属するトレジャーハンターじゃあるまい、そんな簡単にいくんですか?」
「まかせてちょうだい、蛇の道は蛇よ」
ためしにまかせた結果、簡単に段取りをすませてしまった。
「マジかよ……」
「どう? 身分を隠して学園内に潜入調査。『スケバン刑事』みたいで燃えるでしょう」
「ええ、『九龍妖魔學園紀』みたいですね」
世代間の微妙な差を感じつつ、こうして講師と生徒として学園に入ることに成功したのだ。指名手配中ということもあり、さすがに土御門春虎という本名は名乗らず堀川夜虎という偽名をもちいることにした。堀川というのは安倍晴明の邸があった京の土御門通りの近くにあった大路からとってきている。
「呪術講師としてひとこと。この学園は風水的に良い土地に建っているわ。移転なんて愚かな真似はおよしなさい」
「おい、なんだおまえら! いきなり出てきて口をはさむなっ!」
たまりかねて木内がわめいた。だが春虎たちは意にかいさず吉良と会話を続ける。部屋の中でのやりとりは外にも聞こえていた。さらに土足をテーブルの上に乗せている様を見て、この両者が善良な市民ではないと判断した。そのような者に対して守る礼儀などない。
まして初対面の人に『おい』『おまえ』呼ばわりするような輩は畜生と同類である。人間が相手をしてやる必要はない。
春虎たちが木内を無視して吉良とやり取りを交わしていると、木内がさらに大声でわめき立てる。
「おれたちは多嶋先生の代理でここに来ているんだぞっ、邪魔をするんじゃない。いいかよく聞け、この街では多嶋先生の許可がなければ口をきくこともできんのだ。おぼえておけ青二才どもっ」
「そのかわり許可があれば狗や豚でも日本足で立ってスーツを着てタバコを吸って人の言葉をしゃべってもいいみたいね」
早乙女の皮肉を瞬時に理解できるほど木内も植田も言語的文章的センスともに恵まれていなかった。植田はふた呼吸ほど。木内はその三倍ほどの時間をかけて考え、ようやく自分たちが狗豚呼ばわりされたことに気づいた。
「こ、この無礼な青二才の小娘が! 口の利きかたに気をつけろっ!」
気づくと同時に激高し、早乙女に殴りかかった。
選良たる市議会議員のすることではない。だが暴力団出身の木内はこれまでにもなんども〝無礼な〟相手を殴りつけて屈服させ、あとになって「あれはむこうが勝手にころんだだけ」と主張してしらを切るのがいつものやりくちだった。
だが振るわれた拳が早乙女の身に触れることはなかった。木内はまるでだれかに正確無比な足払いを決められたかのごとく盛大に転倒し、自分が蹴倒したテーブルの足に身体をぶつけ、その痛みに悶絶した。
「あらやだ、勝手にころんじゃったわ」
もし木内や植田に見鬼の才があったなら軍服を着た妖艶な美女の姿と、その蠱惑的な脚がひるがえるさまが見えたことだろう。
「き、木内市議!? だいじょうぶですかっ?」
「ぐぬぬ、呪術講師とか言ったな。なにかあやしい術でも使いやがっただろう。あ痛たたたっ」
「くそっ、おまえらおぼえてろよ。社会的に抹殺してやるからなっ!」
二匹の小悪党はお決まりの捨て科白とともに退散していったあと、春虎たちは吉良からひととおりの事情を聞き、講師赴任と転入の手続きを終えた。
「真正至神智真理教団か、聞いたことないけど先輩は知ってる?」
「ええ、わりと有名な新興宗教団体よ。といっても創立されたのはもう五〇年も前になるけど、まさかこの街に教団の本部があったなんて知らなかったわ」
「宗教団体と銀行、その他もろもろが組んで学園乗っ取りをくわだてるだなんて、まるで三文小説みたいな話だな」
立花市を牛耳る多嶋一族の長である多嶋神州が半世紀前に起こしたこの長ったらしい名称の宗教団体の信者は三〇万人と公表されている。明治以降に成立した新興宗教団体の中では規模は小さいほうだが、セミナーや開運グッズの販売などが盛んで、なかなかに資金は豊富らしい。
そこの教祖。つまり多嶋神州が占なったところ真森学園の敷地を手に入れることが教団の繁栄、ひいては人類六〇億人の幸福につながるというのだ。
「春虎様の占いと時を同じくするとは、このあやしげな教団の教祖、本物の呪術者でしょうか?」
呪術が物理的な効果を発揮する、現実のものとして存在するようになって以降も乙種呪術――思い込みやトリッックなどを利用して注目をあびる自称超能力者や霊能者のたぐいはあとを絶たない。得体のしれない呪術よりも神の奇跡や『科学的』な超能力を信じ、すがる人々の数がそれだけ多いのだ。
しかしそのような能力者らが実際に甲種呪術――陰陽庁によってたしかな効果が認められた呪術を行使していたとしたらとたんに神秘性は失われることになるだろう。
『なんだ、ただの陰陽術じゃないか。神の奇跡や超能力じゃなかったんだ』と――。
だからこそ実際は甲種呪術を使っているにもかかわらず別のミラクルなパワーだと吹聴し、活動する者の数は少なくない。
たとえ呪捜官に逮捕され刑罰を科せられる危険があっても、あつかえる者が少なく、しかも用途を厳しく限定されているからこそ、その枠をはずれた場面での甲種呪術は大きな利益を生む。宗教を隠れ蓑に活動するもぐりの呪術者の数は少なくはない。
陰陽法が改正されるまでは。
昨年末の陰陽法改正以降、無資格で活動していた在野の呪術者の多くが陰陽庁に登用されている。霊災修祓以外の場所でも呪術の使用が許可されつつあり、多くの人材を欲している関係で資格の習得がかなりゆるくなっているからだ。それまで陰陽術ではなく自前の力と称していた超能力者や宗教家のなかにはくら替えして正規の陰陽師に転職する者もいた。
さて、この真正至神智真理教団はどうなのかというわけだ――。
「さて、どうだろう。先輩、その真正至神智真理教団の教祖ってのは陰陽師の資格持ちなのかい?」
「いいえ、陰陽Ⅱ種も陰陽Ⅰ種も持っていないわ」
「ふぅん、モグリか素人か。たんに土地が欲しいだけの可能性もあるな」
「……よし、そこらへんのことは俺が調べてみよう」
いままでだんまりだった角行鬼が口を開く。
「なんだよおい、ずいぶんとやる気だな」
「学園生活がはじまるおまえたちとちがって、こっちは明日からひまになるからな」
「なんだと? 護法たる者が主のそばを離れるつもりか!」
「そのほうがおまえにとっちゃ都合が良いんだろ? ……二人きりになれて」
「な――!?ッ」
「これでも気を利かせているつもりなんだぜ」
「な、ななな、ななニャッ、なにを言っているんだ角行鬼! 私がそんなっ、は、春虎様とはそんなっ」
周章狼狽して頭部から獣のごとき一対の耳と、臀部から木の葉型の尾が露呈しぶんぶんと揺れる。
「青春という名の乙種呪術ね」
「またわけのわからないことをっ!」
「……飛車丸、角行鬼、すず先輩。みんながいてくれて助かるよ」
「春虎様……?」
「おれたちは学園内を探るから角行鬼は教団のほうをよろしく頼む。飛車丸、明日からよろしくな」
「は、はいっ」
「それで飛車丸ちゃんはブレザーとセーラー服、どっちにする?」
「なんのことだっ」
「明日から春虎くんといっしょに嬉し恥ずかしな学園生活がはじまるのよ。まさかその軍服姿で通学するつもりじゃないでしょ」
「生徒として通学するのはあくまで春虎様だ。私は護法としてつねに穏形するから着替える必要はない」
「気分の問題よ。ピンクがいい? ラメ? シースルー?」
「なぜそんないかがわしい物ばかりなんだっ」
「飛車丸ちゃんの青い瞳に合わせてメタリックブルーのセーラー服に……」
「やめいっ!」
そんなやり取りを見つめながら春虎は胸中であらためて「ありがとう」と感謝した。
ことさら楽しげにふるまうのは、ともすれば押し潰されそうになっている自分を励まそう、支えようとするからだ。その気持ちが伝わってくる。
そしていまここにいない仲間たちにも感謝の言葉と謝罪の言葉をつぶやいた。
なにも言わずに去った自分をゆるしてくれとは言わない。すべてが終わるまで待ってほしい。そのときはみんなに殴られてもいい。京子のビンタは二回目、冬児のパンチはなんどめか? 天馬はでもぶつのかな、鈴鹿のやつは蹴りが飛んできそうだ――。
こうして立花市でのわずかな学園生活が幕を開けた。
一方に富士山を、もう一方に東海を見はるかし、人口六〇万都市を眼下にのぞむ高台に多嶋神州の邸宅があった。三万坪の敷地内に二つの洋館と純日本風の離れ。さらに使用人の宿舎などが建ち並んだ現代の大名屋敷。いや、立花市を城下町とした山城のごとき威容を誇っていた。
二千坪およぶ日本庭園の中央部に建てられたその離れで月に一度、多嶋の勢力下にある名士たちを呼んで会合を開く決まりがあった。
県知事、市長、代議士、参議院議員、県議会議員、市議会議員、会社の社長などなどなど……。
応接間にあつまった面々が代わる代わる多嶋神州に頭を下げてあいさつをしていく。
「このたびは会合にお呼びいただき恐悦至極でございます」
「うむ」
「つまらない物ですが手土産を持参いたしました、どうかご笑納ください」
「ほう、古備前の水指か」
「はい、多嶋先生がお茶に凝っているとお聞きしましたので。気に入っていただけると光栄です」
「ふむ、たしかにつまらない物だが県警本部長程度の稼ぎで手に入れるのは奮発ものであったろう。――きみは将来にどういう希望があるのかね、パチンコ業界団体理事の席くらいならいつでも用意してやるぞ」
「ははー、ありがたきしあわせ! パチンコ業界への天下りは全警察官の夢。多嶋先生のおかげで不肖の老後の身も安泰でございます」
「しかし最近は若者のパチンコ、ギャンブル離れが進んでおると言うではないか。先の不安定な業界ではないのかね」
「はい、まったく由々しき事態でございます。愚民は愚民らしく低俗な娯楽に興じて散財していればいいものを……」
「それならば弊社におまかせを」
「おや、これは売日新聞の社主さん」
「パチンコのような法律で許可された健全な賭博のひとつも楽しめないとはだらしのないやつだ、女にモテない。女は女でそれまで男の趣味だったパチンコをするのは女性の社会進出の証だ。などと書き立て、世論を誘導しましょう」
「そんなに簡単にいくのかね、最近は新聞だって若者離れが進んでいると聞くぞ、彼らはインターネットで情報を得るとか」
「なぁに、そういう若者はハナから新聞を取る経済力のない貧民。最初から数に入れてありません。購買力のある年配者の関心さえ惹けばいいのです。それに弊社はインターネット対策も万全。ネット工作員を総動員して情報操作できます。新聞に書いてあることは疑い、忌避するくせにネットの情報は確実などと信じ込み、ソースも確認せず信じ込む情報弱者のなんと多いこと……。若者をあやつるなど団塊の世代をあやつるよりも簡単です」
「なるほど、ではよろしくたのみますよ」
「くっくっく、おぬしらもワルよのぅ」
「いえいえ、多嶋先生ほどでは……」
「ブヒゅwwwぶひwwwブフwwww」
などというやり取りがなんども繰り返されていた。
多嶋神州。六〇という年齢ではあるが骨太で白髪も少なく実年齢より二〇は若く見える。精力的でふてぶてしいほどの自信に満ちた風貌は宗教家というよりも政治家のそれを彷彿とさせた。
「おい」
この県の知事を務めている人物を手招きすると、県知事が多嶋の前にかしこまる。
「なんでございましょうか」
「県庁の建設部に市来とかいう課長補佐がいるだろう」
「……は、たしかにおります。よくごぞんじで。まだ若いですがなかなか仕事のできる男でして」
「本気で言っているのか、あれは実にけしからん男だ」
多嶋の両目に怒気が浮かぶ。県知事はたちまち全身に冷や汗を流す。
「な、なにかお気にさわることがあったでしょうか?」
「富士川の改修工事の件を知っているだろう。うちの会社のひとつが工事を受注するのは当然だ。だから工事の見積書と計画書の写しをよこせと言ったらなんと答えたと思う? それを外部に漏らすのは違法行為だから教えられない。などとぬかしおったのだ!」
「ひぃーっ、な、なんとう無礼を!? ひ、ひらにご容赦ください」
県知事は悲鳴をあげると平身低頭して両手をつき、畳に額をこすりつけた。
「それだけではない。このわしが数多の不正行為をしていて、それを改めないならその情報を世に公表するというのだ。とんだ言いがかり、名誉棄損だ」
「オウフッッッ!? ファッ!? た、たたたっ、たいへん失礼いたしましたたたたタタタっ」
知事はこすりつけるどころか額で畳に穴でも掘るようないきおいで頭をなんども叩きつけて謝罪する。
「市来のやつめは明日にでも解任して山奥の地方事務所にでも左遷して定年まで本庁の床を踏ませません」
「ぬるいわ!」
「ひ、ひぇーっ、で、では……」
「その件については私がお役に立てるかとぞんじます」
横からしゃしゃり出てきたのは先ほど古備前の水指を土産に持ってきた県警本部長だった。空になった多嶋の杯に酒を酌みつつ考えを述べる。
「その市来とやらが県庁からの帰路、私めの部下に不審尋問をさせ、少しでも反抗的な態度をとりましたらその場で逮捕いたします。公務執行妨害の現行犯ですのでこれを理由に懲戒免職。退職金は一円も支払う必要もありません。この地で新たな職を見つけることもできずに他所へと逃げ出すしかないでしょう。恩知らずにはふさわしい末路かと」
「ふむ……」
「私の案はお気に召しませんでしょうか……?」
本部長が恐々と問いかける。
「いや、気に入った。くっくっく、公務執行妨害とは実に便利な罪状よのう」
「はい、なにせこの国の連中ときたら欧米や中国の国民とちがい、お上には逆らえない体質のようで、税金があがろうが移民を受け入れようが武装蜂起どころかデモひとつまともに起こせませんからな。支配する側にとってこんなに都合の良い従順な民衆はいません。法の番人たる警察官に楯突くなどもってのほか、公務執行妨害を犯した者に味方するような不届き者はいません」
「だからといってあまり濫用するのも考えものだぞ」
「ははっ、そのあたりはご安心を。多嶋先生のお役に立てる場合をのぞいて濫用するつもりはございません。それが節度というものですからなぁ」
「くっくっく、県警本部長。おぬしらもワルよのぅ」
「いえいえ、多嶋先生ほどでは……」
「「ブヒゅwwwぶひwwwブフwwww」」
「ではさっそく手配いたします――」
「うむ、だがそのうえでさらにトコヨ様に断罪してもらうことにしよう」
「――ッ!?」
トコヨ様。その名が出た途端、室内にいる全員の動きが止まった。多嶋以外のだれもが恐れの表情を浮かべて息をのむ。
「わしに不快な思いをさせた罪は重い。市来にはすべてを失った絶望をとくと味あわせてやる。くっくっく――」
静まりかえった広間のはしでかるいざわめきがおこった。遅れて参上した者がいたのだ。凍りついていた場の空気を変えようと、みながことさらおどけた声を出す。
「おお、なんだ木内君じゃないかね。いやに遅かったじゃないか」
「そうかそうか、木内君がおらんかったのか。どうりで座が静かだと思った」
「なにがあったか知らんが、早いとこ先生にお詫びして罰杯したまえ」
いならぶ議員や社長らお歴々に声をかけられながら木内が両膝で多嶋の前まで進み、両手をついて頭をさげる。
「多嶋先生、もうしわけございません。不肖この木内、先生にお目にかかる面もございませんが、お叱りをいただくため恥を忍んで参上いたしました」
「なにがあった、言ってみろ」
「は、実は真森学園のおいぼれめが呪術者を用心棒を雇ったようでして――」
翌日。
夏の終わりに転入する。奇妙な既視感をおぼえつつ黒板に『堀川夜虎』と名前を書いた春虎は恒例の自己紹介タイムをむかえた。
「堀川くーん、前の学校ではなんて呼ばれてたの?」「いままでどこに住んでたの?」「血液型と誕生日は?」「あたしもしつも~ん」「あたしもあたしも!」「好きな食べ物は?」「好きな女の子のタイプは?」「お姉さんか妹いる?」「なにかスポーツやってる?」
(あー、なんかすっげぇ新鮮。陰陽塾じゃこういうノリじゃなかったもんな)
けして好意的とは言えない刺々しい視線の束に京子との式神という洗礼を受けたあの日とは大ちがいだった。陰陽塾に入る前、普通の学校の空気がそこにあった。
質問に答えホームルームを終え、一時限目がはじまるわずかな間に声をかけてきた女生徒がいた。
「ねぇ、堀川君。ちょっといい?」
おさげ髪に黒縁眼鏡をした地味そうな外見なのだが、うりざね顔のととのった顔立ちをしている。同世代よりも年上の、年配の男性に好まれそうな女子だった。
「ああ、なに?」
「あたし、平坂橘花。よろしくね」
「ああ、こちらこそよろしく」
「……あのさ、聞きたいんだけど、堀川君て、そっち系の人?」
平坂はそう言うと片手を顔の高さに上げて刀印を結んだ。
ごくわずかだが春虎に警戒心が生じる。刀印を見せてそっち系とは呪術関係者かという質問だろう。だが霊気は完全に抑えてあるし飛車丸の穏形もほころびはない。どこから呪術者だと思ったのか? ――いや、まて。特別呪術講師として赴任した早乙女の助手という『設定』だったはずだ。いまの自己紹介では呪術の呪の字も口にしてはいないが、教師経由などどこかしらから伝わり、そこらへんから察したのかもしれない。
「ん、あー、そっち系てなに? どういう意味?」
とりあえずとぼけてみた。
「決まってるじゃない。これよこれ」
平坂は刀印のようにならんで立てた人差し指と中指で自分の右目をちょいちょいと指し示す。
「邪王真眼でしょ」
「…………はァ?」
「堀川君の場合は右目じゃなくて左目みたいだけど、やっぱり邪王真眼よね。中二病なのよね? だってまだ夏なのにそんな黒づくめの恰好に眼帯までしちゃって、もう完全にそっち系よね」
「いや、この目は普通にケガしてるだけだから、そういう中二病とか邪気眼的なやつじゃないから……」
「うんうん、そういうことにしておくわ。そんな堀川君にぴったりな部活があるんだけど――」
「Good Mornig Everybody」
一時限目の教師がやってきた。どうも英語の教師というのはたとえ日本人であってもなにかにつけ英語を話すというのはいつの時代、どこの学校でも共通するようだ。
「あ、じゃあまたあとでね堀川君」
平坂はそう言うと自分の席にもどる。おさげ髪がひるがえった瞬間、柑橘系を思わせる甘くさわやかな香りが春虎の鼻をくすぐる。それが妙に印象に残った。
昼休み。
春虎は軽く隠形し、校内を見てまわることにした。
存在を消すほど強くはなく、そこにだれかがいるとはわかる。けれでもだれも春虎とは認識できず、ただの一生徒にしか見えない。そのような巧妙な隠形。
実力のある術者ならばどんな場所であっても人目を避ける穏形が可能だ。それこそ物理的な穏形。透明にあるという術も存在する。
だが真に巧みな穏形というものは、単純に気配や霊気を隠すだけではなくおのれを周囲になじませるものだ。まわりの空気を読みとり、溶け込む。いま春虎がおこなっているのがそのような隠形だった。
以前の、昨年の夏以前にはけっしてできなかったであろう玄人の技術だ。
「なんつーか、普通だな」
校内をざっくりと見回ったあと校庭の離れにあるベンチに腰掛けてつぶやいた。
昼休み中に流れる校内放送がやたらアニメやゲーム系の曲が多いのは放送部の趣味がそっちよりだからだろうか、なんだかひどくなつかしい気がする。なにせ陰陽塾に入ってからは夏目のスパルタ教育のおかげでそういう系統の娯楽に触れる機会はひどく少なくなっていた。
「普通の学校に通っていたころがおなつかしいのでございますか?」
かたわらにひかえた銀の髪に青い瞳の美女――飛車丸が遠慮がちに声をかける。
「ん? そうだな……。なつかしいっちゃなつかしいぜ」
陰陽塾に入る以前、二年前の夏までは冬児といっしょに地元の高校に通っていたのだ。そのころは霊気すら視えない平凡な高校生でしかなかった、だがあの夏祭りの日にすべてが変わった。
「いや、変わったって言いかたはおかしいかもな。変わったんじゃない、おれは知らなかっただけだ、おれのことを、おれ自身のことを」
あのころにもどりたいですか?
そんな質問が飛車丸の喉元まで出かかり、飲み込んだ。いったい私はなにを訊こうとしているのか、せんのないことを……。
「まぁ、もどりたいとは思わないけどな」
飛車丸の心を見透かしたかのように春虎が言う。
「知ったからにはもどれない。まわりの大人や社会を盲信して安易にすべてをゆだねてしまうのは信用ではなく甘えだ。大人たちを頼る前に自分と自分の近くの人たちを信じ、頼るべきなんだ。だいたいおれにはもどる前にするべきことがたくさん――」
「堀川君っ」
「おわっ!?」
「それがあなたのエア友達。いわゆるイマジナリーフレンドってわけね」
いきなり声をかけてきた女生徒、平坂橘花があらぬ方向を見つめてうんうんと納得した表情でうなづく。隠形状態にある飛車丸にはまったく気づいていない様子だ。
「さっきは途中だったから……あらためて、はじめまして。あたしの名前は平坂橘花。橘花でいいわ」
虚空にむかって握手をするかのように左手をさしむける。
「こっちの手でごめんなさいね、利き腕を人にあずけられるほどあたしは自信家じゃない。てわけでもないのよ。握手とはもともと武器を持っていないことを示す行為。だからこそあたしは左手で握手をするの、なぜならあたしの右手には触れるものすべてを原子レベルで崩壊させる摩醯首羅天掌(シヴァの右手)の力が宿っているから、封神縛鎖ごしでないと危険なのよ。でも左手は触れるものすべてを原子レベルで復元させる梵天掌(ブラフマーの左手)だからだいじょうぶ。ちなみに額にある那羅延天眼(ヴィシュヌの眼)がひらいて永久刹那(ニティヤ・カーラ)が発動するとき、この世のすべてが動きを止めるの」
「…………」
「…………」
だれもいない空間にむかって謎の言葉を吐き出し続ける平坂の姿に呆気にとられ、「なんでシヴァとかヴィシュヌとかのインド神話にまざってグレイプニルとか北欧神話の言葉が出てくるの? そこだけ思いつかなかったの?」というツッコミも入れられず、春虎と飛車丸は呆然と立ちすくむ。
「――あ、ごめんなさい。つい話し込んじゃった」
「あ、いや、うん……」
「あなたのエア友達、話し上手で聞き上手だからついつい話がはずんじゃったわ」
「お、おう……」
先の大戦中に現代の陰陽術の礎を築いた稀代の大天才にして伝説の陰陽師の魂と知識を持った春虎だったが、このときこの少女に完全に気圧されていた。
「しかも可愛くて頭もよくて運動神経も抜群で、よくナンパされるとか、すごいエア友達じゃない」
「いや、知ってるけどさ、そういうエア友達の存在は知ってるけど、現国のテストで一〇〇点オーバーを出せるようなエア友達の存在は知ってるけど、おれのエア友達じゃねぇっ!」
「……トモちゃんじゃないの?」
「ああもう言っちゃったよ! トモちゃんの名前口にしちゃったよ! つうかそもそもおれにエア友達はいないからっ」
「じゃあだれと話をしていたの?」
「……おれ、ひとりごと言うくせがあってさ」
「さっきのはひとりごとって感じじゃなかったわよ。ちゃんと『会話』してたじゃない」
「あー、それはほら、なんていうか……」
「護法式?」
「……!」
「堀川君て呪術講師の早乙女先生のアシスタントしてるって聞いたけど、式神とか使ってたりして」
下手にごまかすのはやめにした。そもそも最初から『呪術講師の助手』という呪術関連者という設定だったではないか。
「うん、そう。おれ早乙女先生の助手してるから、そういうの持ってるよ」
「…………」
「平坂?」
伏し目がちになってうつむいた平坂はなにごとかをぶつぶつとつぶやいている。
「――赤錆びた校舎の階段――なまり色の雲を映す窓――放課後の校庭――」
「お~い、平坂」
「やっと、変わる。変われるんだ――」
「平さ―」
「助手でもやっぱり陰陽Ⅲ種やⅡ種の資格とかもってるの? ひょっとしてまさかのⅠ種持ちだったりする? メディアに公表されてない十二神将だったりして! 陰陽庁から秘密指令とか受けてたりするの? ふたつ名はある?」
「いやいや、おれはほんとただの助手。陰陽Ⅲ種の資格すらもってないよ」
「でも式神はあつかえるんでしょ? いまいるのってどんな式神なの? 使役式? 人造式? お話ができるってことは使役式か、高等人造式よね。あ、呪力の供給はどうなってるのかしら。早乙女先生から? それとも堀川君がそそいでるの? 陰陽塾には通ってないの? あそこの塾生は陰陽Ⅲ種の資格者、准陰陽師に近い権利が特別に与えられてるから甲種呪術が使える、使ってもいいんでしょ」
朝の質問タイムのときを上まわる矢継ぎ早の質問攻めがたった一人の口から次々とくり出される。
「ちょ、ずいぶんとくわしいなっ」
「まぁね、だってあたし『月刊陰陽師』の愛読者だから」
えへん、と誇らしげに胸をはる平坂。細身だが意外と胸がある。
月刊陰陽師。タイトルは固いがいわゆる業界紙ではなく一般読者むけに呪術や陰陽師の話題を提供している雑誌で、『陰陽マガジン』『電撃インヤン』『ザ・陰陽』など似たような雑誌はいくつか存在するが、それらの中では一番の老舗だ。陰陽Ⅰ種をクリアした国家一級陰陽師を『十二神将』と最初に呼びはじめ、天将や神通剣などのふたつ名を募集して名づけているのもこの本だ。
「いまは期待のルーキー山城隼人(やましろ はやと)のふたつ名をなににするかで盛り上がってるわ」
「へ、へぇ……。それであの異名が決まるのか」
去年の春。進級試験に乱入してきた鏡が藤原に「オーガ・イーター」と呼ばれて不機嫌そうに顔をしかめた光景が春虎の脳裏をかすめる。
「これでも汎式にはちょっとくわしいのよ。月刊陰陽師に毎年載る模擬テストじゃ良い点とってるもの」
えへん、とさらに誇らしげに胸をはる平坂。制服の上からでもしっかりとわかるふたつの胸のふくらみも、ゆっさゆっさと揺れてこれでもかと自己主張する。
「すごいじゃないか、平坂は陰陽師志望だったりするのか?」
「……あたし、見鬼じゃないから」
「でもそれだけ知識があれば陰陽庁の事務職とかに就けるんじゃないか? あと呪術専門のライターとか」
「……あたしのことなんかよりいまは堀川君のことが再優先事項よ。とりあえず式神の話にもどるけど、それって――」
「さがしたぞ、転校生」
一〇人ほどの男子生徒が春虎のまわりを輪になって取り囲む。あまり友好的とはいえない、おっかない雰囲気に、それまで快活にしゃべっていた平坂の表情がこわばり、春虎の背に隠れようとして思いとどまる。
かっこ悪いと思ったからだ。
男子を怖がって、男子の後ろに隠れたくない。
そんな平坂の思いを察した春虎は彼女を守るようなかたちで一歩前に出た。
「おまえが堀川夜虎とかいう転校生か」
質問ではなく無礼な断定口調でそう人定質問をされたとき、春虎の親友である冬児ならば氷の短剣を忍ばせた笑みを浮かべて相手にドスをきかせ、夏目や京子だったなら真っ向から雑言を説き伏せるところだったが、春虎はいたって愛想よく応えた。
「ああ、そうだよ。ただおれは学校に通っていたわけじゃないから正確には転校じゃない。だから転校生じゃなくて転入生だけどな」
「ふんっ、そんなこまかいことはいい。今日、早乙女とかいう呪術講師がやってきたが、おまえもそいつの関係者なんだろう」
「講師であるからには先生で、先生というからには目上だ。きちんと早乙女先生。もしくは早乙女さんと呼べ。そうすればおれも初対面の人間に『おまえ』呼ばわりしたあんたの非礼を不問にふしてやる」
「ああぁ? ひれいとかふもんとか、わけのわからないことを言うな! オレをなめてるのかっ」
自身の語彙の乏しさを自身の口から露呈した男子生徒に対して春虎は冬児とはことなる方向から言葉の短剣を突き刺した。
「尊敬されるようなことをしたおぼえがあるのかよ、少なくとも女の子の前で大声をあげて怒鳴りちらすような行為は尊敬には値しないな」
男子生徒は春虎の背に隠れるようにして身を縮ませている平坂を一瞥する。
「オレたちはこの転校生に用がある。おまえは消えろ」
「堀川君……」
「こんな無礼な連中の言うことなんか聞く必要はないよ、でもちょっと荒っぽい展開になるかも知れないから少しだけ離れてくれ」
「う、うん……」
不安げな表情を浮かべつつ、平坂は春虎と男子生徒たちから距離をおく。
「腕力にうったえるなんて、そんな野蛮なことするものか」
「なにをいまさら」
「オレたちは真正至神智真理教団の神官戦士だ。この街に呪術なんか必要ない、不信心者は出て行け。さもないと調伏するぞ」
「おいおい、調伏って。ちゃんと意味を理解して使ってるのか?」
「うるさい、だまれ!」
男子生徒たちが散開した。その配置を見た春虎は眉をひそめる。
八陣結界を展開するさいの配置にそっくりだったからだ。
(春虎様、これは…)
(ああ、ただの偶然。……てわけでもなさそうだな)
男子生徒たちが制服の下から取り出した呪符にたしかな呪力がやどっていることを視た春虎は確信した。
「「「真理はひとつ! 正義はひとつ!」」」
男子生徒たちの声に呪符が反応し、呪力を発する。
「「「真理はひとつ! 正義はひとつ!」」」
唱和する男子生徒たちをつなぐように淡い光の線が地面に浮かび上がり、各々をつなぐ。
対霊災用遁甲術の八陣結界。八人の術者がそろわなければ展開できない封印結界で、これを結ばれると基本的に内側からは破ることができない。
もっともこの男子生徒たちの八陣結界はプロの祓魔官が実際に使用する術にくらべれば込められた呪力も編まれた術式もお粗末なもので、春虎や飛車丸なら高い霊力をもって力づくで破ることも簡単だろう。それでも一応は八陣結界の体をなしてはいた。
「どうだ動けまい、これが真正至神智真理教の奇跡の力だ!」
勝ち誇る男子生徒。
「春虎様を霊災あつかいするとは……!」
尾と耳を逆立て怒気もあらわに牙を剥いた飛車丸がいまにも結界を力づくで突き破り、男子たちに跳びかかろうとする。よく見ればごくごくわずかではあるがその身にラグが生じている。あるかなしかのかすかなラグ。幼児にぶたれた程度の、なんの痛痒にもなってはいないが、対霊災用の結界としての効 果を発揮してはいることの証だ。
いきどおる飛車丸を春虎は手で制した。
「春虎様?」
「強引に突破したら術が返り零障を負う。こいつらにそれを防ぐほどの力があるとは思えない」
「自業自得です。素人が安易に呪術などもちいるとどうなるか、彼らには人を呪わば穴ふたつという言葉の意味を身をもって知るべきです」
「まぁ、そう言うなって――おい、おまえら。これで閉じこめたのはいいけど、次はどうするつもりなんだ。自分たちともども午後の授業に出られなくするのがおまえらの言う調伏か?」
八陣結界はあくまで対象を拘束・隔離する術であり、それ自体には殺傷力はない。結界を収縮して内部の霊的存在を押し潰すことなら可能だが、生身の人間に対して効果は薄い。そして彼らも平坂同様に飛車丸の姿が見えていない。相手は生身の春虎一人だと思っているはずだ。
「ふふん、ここからが本番だ。同志諸君、調伏の祝詞を唱えるぞ!」
「応ッ!」
「おまえの魂は汚れている」「アーメン」「おまえは真理から目をそらし正義にそむく悪魔の子だ」「エィメン」「おまえの背中には悪魔の黒い翼が見える」「南無阿弥陀仏」「隠しても無駄だ」「はらったま~、きよったま~」「おまえに残された道はふたつ。真理に帰依しておのれの罪を悔い改めるて天国にいくか、悪業を背負って地獄に堕ちるかだ」「ア~ミ~ン」「おまえの魂は汚れている」「アメーン」「おまえは真理から目をそらし――」
うっとうしい。
実にうっとうしい、そして不気味だ。
特に呪的な効果のある言葉ではないのだが、表情も雰囲気もまったくいっしょの集団がネガティブな言葉を投げてくる。合間にはさまれた各宗教の神聖な祈りの言葉すら呪詛に聞こえてくるようだった
「……こいつは乙種呪術による精神攻撃ってやつだな」
「ムキーッ! 春虎様、いますぐこのボロ紙のような結界をぶち破ってこいつらを一人残らずころがすよう飛車めに命令してください!」
飛車丸の堪忍袋の緒もいよいよ切れそうだった。
「しかたないな……」
男子生徒たち自身の霊気は一般人のそれと大差ないと春虎は視た。あくまで呪符が力をあらわしている。見鬼の才すらろくに持っていないと判断し、隠形ないし幻術を使って姿をくらませて煙にまこうと考えていた。
拘束していると思った相手がいきなり姿を消せばおどろき、詠唱を中断し結界の維持を解くと思えるからだ。そのすきに退散すればいい。
だがどこでそのような本物の呪符の手に入れたかを聞くためにはこちらの実力をしめしたほうが良いだろう。
春虎の両手が交差し、小指を立て伐折羅印を結んだ。
「オン・アミリテイ・ウン・ハッタ――」
あらゆる障害を排す軍荼利明王の真言は結界の除去にも効果がある。それを唱えながら、指先を結界にのばし、埋め込んだ。脆弱な呪力と稚拙な術式は春虎にいとも簡単に解呪されていく。まるでカーテンでも開けるような気軽さで八陣結界を引き裂き穴を開け、なお調伏の祝詞とやらを唱える男子生徒たちに悠然と歩を進める。
「うわぁ!?」
自分たちの結界がいとも簡単に破られるとは露ほどにも思っていなかったのか、近づいて来る春虎におどろき、および腰になる。
「く、調伏ーっ!」
みずからのおじ気をはらい去るように、ことさら大声を出して男子生徒の一人が警棒のような物を取り出して殴りかかる。
鈍い音が響いた。身体をくの字にまげて地面にくずれ落ちたのはしかし春虎ではなく、男子生徒のほうだった。
「う、ぐぇぇ……」
わき腹をおさえ、苦痛にあえぐ。
「な、なにが起きたんだ……」
「あ、見ろ。同志山田がお小遣い半年分で購入した武田信玄の軍配がバッサリじゃないか」
「なんだって!? あの上杉謙信の斬撃を四回も受け止めたという軍配を一撃で……」
「霊験あらたかな神宝を簡単に壊すだなんて、こいつ、ただの呪術者じゃないぞ」
これは飛車丸が手にした小太刀――搗割で警棒を切断すると、返す刀で峰打ちしたのだが、見鬼ではない彼らには飛車丸の姿は見えない。春虎がなんらかの術をもちいて反撃したかのように見えた。
「真正至神智真理教神官戦士団、白兵戦用意!」
「応ッ!」
威勢よく声をあげると、各々が似たような警棒を取り出してかまえる。
「お小遣い五か月分で購入した黒田官兵衛の指揮棒で調伏してやる」「お小遣い半年分で買ったこの諸葛亮の采配で決めてやる」「オレなんてお年玉全額はたいて購入した豊臣秀吉の痰壺だぞ」「聖徳太子のしゃもじで――」
「いやいやあんたらだまされてるよ! それ絶対だまされてるからね! つうか聖徳太子のしゃもじてなんだよ、あれは笏って言う木や象牙で作られた貴人の装飾品で、裏にメモ用紙とか貼ってある、今でいう手帳みたいな物だぞ。だいたい白兵戦てなんだよ、腕力にはうったえないんじゃなかったのか」
「これは腕力ではない。真正至神智真理教信者が調伏のためにもちいるのなら、なんであろうとそれは信仰と奇跡の力なのだ」
「なんだかどっかで聞いたような理屈だなぁ」
搗割を手にした飛車丸の目が据わってきている。あまり痛い目にあわすのもかわいそうなので、とっとと終わらせることにした。
素早く手法印を組む。転輪印から呪縛印、いっさいの無駄もよどみもない流れるような指さばき。刀印すらろくに結べず、九字切りもままならなかった、陰陽塾に入りたてのころとはくらべものにならない。
そこには力にまかせた豪快さも、策を弄する巧妙さもない。必要な力を最適なタイミングで無駄なく淡々と、だが思いきりよく振るう。玄人の手腕がそこには存在した。
術巧者であればあるほど、その地力の高さを感じとることだろう。
「オン・ビシビシ・カラカラ・シバリ・ソワカ」
春虎を中心に放射線状に放たれた見えざる呪力の縄が男子生徒たちを束縛し、首から下の自由をうばった。
一度に複数の対象を拘束する。高い技術と霊力があってはじめて成立する高難度の離れ技を春虎はやってみせた。
「な、な、な……」
一〇人の男子生徒たちはみな彫像のように固まり、まったく身動きのできない恐怖に目を見開くのみ。
「さぁ、こんどはこっちが調伏してやろうか?」
「お、オレたちは栄えある真正至神智真理教団の神官戦士だ。拷問などには屈しないぞ!」
「そうだ、そうだ、勇敢なヤマトミンゾクは逆さ吊りにされて鼻や肛門に水を流し込まれようがへっちゃらだ」
「そんな某国の情報部みたいなことするかよ! つうかあんたら調伏のことを拷問と同様に考えてたのか」
最初に春虎に話しかけてきた、リーダー格と思われる一人の男子の手から呪符を取り上げる。
文字とも模様ともつかない奇妙な紋様。呪力とともに込められた術はたしかに八陣結界のものだが、粗い術式といい、陰陽庁の正規品ではないことはあきらかだった。
「……信玄の軍配とかとちがって呪符のほうは本物だな。こんなもんどこで手に入れたんだ。まさか真正至神智真理教団(以下、長ったらしいうえに文字数稼ぎと思われたらいやなのでS教団)に入ると教主様からもらえるとか」
「ふん、おまえに教える筋合いはない」
「そうだ、そうだ、ヤマトミンゾクは口が固いのだ」
「ならしゃべりたくなってもらうよ」
「お、おおお、おっ、おっおっ、おおう、おっ、OUっ、オレオレオレオ、オレたちは栄えあるS教団の神官戦士だ。拷問などには屈しないぞ!」
「すげえ動揺してるな、おいっ。……安倍晴明が投げつけた葉っぱで蛙を押し潰した話を知ってるか?
呪術師が呪を込めればそこいらの葉っぱだって立派な凶器になるんだ」
安倍晴明が貴族や僧にせがまれて蛙を呪殺したという逸話が『宇治拾遺物語』に記されている。
「たとえばこうするんだ」
そう言うと春虎は近くの樹から葉を摘んで息を吹きかけ、こぶし大の石ころにむけて投げ打った。
葉を投げて的にあてるというというとむずかしげだが、春虎は陰陽師にあこがれていた子どものころ、よく鏡の前でポーズをつけては呪符投げの練習をしていたのでこういうのは得意だ。
石にむかいひらひらと落ちていく葉を前に飛車丸に目くばせをする春虎。主の意をくんだ飛車丸は無言でうなづき搗割を一閃。ちょうど葉が落ちる瞬間に石を断ち割った。
飛車丸の姿が見えない者からしたら、まさに木の葉で石を割ったように思えるだろう。
男子生徒たちが顔から血の気が引いていく。
「しゃべりたくなったりして」
「は、はいーっ。しゃべりますしゃべります! 好みの女子のタイプから好きなアイドル、シチュエーション、オ●ニーの回数まで。どんな恥ずかしいことでもつつみ隠さず赤裸々にカミングアウトいたしますです、はいっ」
「いや、そういうのはいいから……」
学園内で目あてのモノを探るつもりが、思わぬところからS教団の情報を得ることとなった。
さて春虎たちがかりそめの学生生活をおくっているころ、角行鬼はきのうの言葉通りS教団というあやしげな宗教団体を調べるべく街へとくり出した。
学生寮を出た後に散歩と偵察を兼ねて街中を見て周る。駅の周りには大型ショッピングモールやシネコン系の映画館があり、どこにでもある地方都市といったところか、高層中層のビル群が林立し、田舎という感じはしない。洗練度では東京にあるどの都市にも劣らないだろう。
駅前にあるバスターミナルからその名もずばり『教団本部』という、S教団の本部にむかうバスが出ていたのだが、歩いて行ける距離だったので徒歩でむかうことにした。
市街からやや離れた丘陵にイスラム、インド風と、中華様式と神社建築とをごっちゃにし、さらに近代アートで味つけしたような派手派手しい建造物があった。
「豪華だが敬虔さや神聖さはまったく感じられないな」
さらにこの手の施設につきものの結界の類も張られていない。
ロシア正教会を思わせる玉ねぎ型の屋根をした仰々しい門をくぐろうとして係の者に信者証を見せるよう求められた。信者ではないと答えると信仰協力費という名目の入場料三〇〇〇円が必要だという。隠形して入り込んでもいいのだが、どうにもスマートじゃないな。そう思い素直に払って入場してみることにした。
受付で初見だと告げると教団の歩みが書かれた小冊子をわたされたので軽く目を通す。
教祖・多嶋神州
教主・多嶋天州
そのような字が目に入った。
「この二人は家族かなにかで、教祖と教主はどうちがうんだい?」
「んまぁ、そんなふうに呼び捨てにするだなんて不敬ですよ」
わずかな憤慨とあまたの恐縮のまざった声を出すも、受付の中年女性はていねいに教えてくれた。
「教主の天州様は教祖の神州様のご嫡男であらされます」
あらされます、ときたか。その時代が勝った仰々しいもの言いに内心で苦笑しつつ続きを聞く。
「教祖神州様は天啓をさずかって教団を起こしたのですが、『精神と物質の両面から人々を幸福にする』という崇高な理念のもと、俗世の垢にまみれるのを承知で下界の事業に専念することになり、代わりにご嫡男の天州様が教団のすべてを取りしきっています。どちらも神々しいオーラをまとった御方でして、あなたもひと目で真の教えに帰依する気になりますよ」
「そうかい、そいつは素晴らしいな」
営利を目的としない宗教法人には課税されない。たとえ宗教法人として認められても宗教活動ではない収益事業にはしっかりと課税されるわけだが、そのあたりの判断がしっかりとなされているのかはなはだ疑問だ。
多嶋神州という男にとって教団は巨万の富と多数の信者という動員力を手に入れるための道具のひとつにすぎないのではないか。だからこそ軌道に乗った教団はとっとと息子にまかせて自分はほかの業務にいそしんでいる。まったくの憶測ではあるが、そのような考えが角行鬼の脳裏によぎった。
伊達に数百年の歳月を過ごしているわけではないのだ、この手の俗物はいやというほど見てきた。
巻末にある多嶋親子の略歴を見たが、とにかくプロフィールがふるっていた。宗教家以外の神州の肩書は立花商工会議所会頭からはじまり、会社の会長や相談役、学校法人や病院や財団の理事長、スポーツ選手や芸能人の後援会長などなど……。
息子の天州のほうは芸術家、福祉・慈善活動家、評論家、歌手、画家、書道家、詩人、作曲家と、これまた文化・芸術方面で活躍しているようだ。
「いちども聞いたことはないが、まぁこういうのは言ったもん勝ちだからな」
自費出版で本を出しても名刺に作家と書けるし、自分で作ったFlashアニメに自分で声をあててアニメーターや声優を自称する人間だっている。現代はクリエイターとやらのバーゲンセール時代なのだ。
中庭に出ると目の前に体育館と美術館を混合し、天守閣を追加させたような白亜の建築物が目に入った。おもに教祖や教主が説法するなどのイベントに使われる説真館とかいう建物で、ちょうど今日これから教主天州の講演があるという。どうりで平日の昼間なのに人が多かったわけだ。
そこに入館するのにあらためて三〇〇〇円徴収されたが、情報収集に費用はつきものと割り切って入館することにした。
数字の書かれた映画のチケットのようなものをわたされ、これまた映画館とおなじく入館するさいに半券にちぎり、係員にわたして中に入る。二〇〇〇人は収容できるというホールはすべて満席で角行鬼は立ち見を余儀なくされたが、どこで見てもいいというので最前列に陣取ることにした。
しばらくして奇妙な音楽が流れ、万雷の拍手がとどろいて壇上に教祖の天州が姿を見せる。
栄養過多のイエス・キリスト。それが天州の第一印象だった。妙に脂ぎった中年男で鼻下に長々と髭をたくわえ、白ずくめの礼装をまとっているが、神聖さは微塵も感じられない。角行鬼は天州の姿を注意深く視たが、霊力も一般人にくらべて多少はある程度のものだった。
拍手が潮のように引き、ようやく講演がはじまったのだが――。
「お元気ですかー!」
「お元気ですよー!」
「真理してますかー!」
「真理してますよー!」
「正義はひとつ、真理はひとつ!」
「正義はひとつ、真理はひとつ!」
「真理はひとつ、正義はひとつ!」
「真理はひとつ、正義はひとつ!」
「人類みな平等、格差社会反対!」
「人類みな平等、格差社会反対!」
「消費税反対! 納税断固拒否!」
「消費税反対! 納税断固拒否!」
「みんなはひとりのために、ひとりはみんなのために!」
「みんなはひとりのために、ひとりはみんなのために!」
大音声で教団の標語のようなものを連呼し、最初からクライマックスなテンションに部外者の角行鬼は完全に取り残された。ついていけない。
「――超古代の日本。すなわちヤマト帝国は偉大な科学文明によって全世界パンゲアを支配していた神の国であった。それは私が真の神より受けた啓示により明らかである。新世紀の大混乱の中で我々ヤマト民族の末裔は選ばれた神の民として超古代の叡智と技術を復活させ、地球全土を日本。すなわちヤマトの指導のもとに統一しなければならない!」
教主の話はさらに続いて、イエス・キリストも釈迦も孔子も老子もマホメットも、世界の偉人たちはみな超古代の日本。ヤマト帝国に渡来してそこで真の神の教えを学んだこと。ヤマトには重力を制御して自由に空を飛ぶオリハルコンや、この世でもっとも硬く破壊不可能なアダマンタイト、あらゆる物を破壊するヒヒイロカネという超物質が存在したこと。ヤマトの首都は富士山の噴火によって滅び、その末裔こそがアトランティスやムー大陸を支配していた王族だったこと、教祖と教主は超隔世遺伝によって覚醒したヤマト民族の王族で、うんたらかんたら――。
「重力を制御できるほどの科学文明が火山の爆発を予測できないとはねぇ。つうかそのヒヒイロカネでアダマンタイトを叩いたらどうなるんだ? そもそも時代設定はいつなんだよ、パンゲアがパンゲア大陸のことなら二億や三億年前のことだぞ。その時代に釈迦やキリストはないだろう、おい」
思わず失笑し皮肉を口にするが、周囲の人々は感動の涙すら浮かべて聞き入れており、角行鬼の不信心なつぶやきは聞こえてないようだ。
さらに教祖と教主は遠くアンドロメダやマゼラン星雲の彼方まで魂を飛ばして地球制服を狙う外宇宙の邪神一〇八体と戦い、素戔天照神流魔剣とかいう神の剣だか超武術だかをふるって倒した。という話になると聴衆は熱狂的に拍手し。
「救世主! 救世主! メ・シ・ア! メ・シ・ア! ウリャヲイ! ウリャヲイ! は~い、はいっはいっはいはいはいはいっ! は~い、はいっ!」
という謎の叫びがホール内全体に満ちた。
「やれやれ、たいした熱狂ぶりだな。まるでアイドルのコンサートじゃないか。どうしてこう人間て生き物は他者に対してこうも熱くなれるものなのか、まったく理解に苦しむな。他人を飾り立てる暇があるのなら、少しでも自分自身の人生を盛り上げてみようとは思わないのかねぇ」
偶像崇拝、宗教という点ではアイドルのファン、オタク活動もこの場にいる盲信者たちと大差ない。法被着てサイリウム振って、かけ声をあげている連中など一般の人から見ればただの奇人変人のあつまりだ。みずからの大切な時と金を他者のために費やしている点でもそれは共通する。
複数の初回限定盤を発売する、規定枚数買えばお渡し会に参加できる、といった業界のあこぎな商法にまんまとのせられ、なんの疑問も持たずに全種コンプリートするのは当然。
あげくの果てには購入したCDの数イコール愛。などと、およそ正気の沙汰ではないことを平然と口にする。
これが狂信や盲信でなくてなんであろう。
盲愛の対象たるアイドルが結婚して正気にもどったときはもう遅い。一〇代二〇代という人生の貴重な一時期をイベントやらツアーやら握手会やらに費やし、仕事で稼いだ金はCDなどのグッズにすべてつぎ込んで貯金もない。
身近な人間関係も築かず家族とも疎遠で結婚もしていない。一般社会で通用できる知識も教養も技術もない。中身のスッカラカンな中年のできあがりだ。
宗教は麻薬に似ている。
麻薬も使用方法と用量を誤らなければ鎮痛剤や憂いを払う妙薬になるが、少しでも過剰に摂取すれば身心を蝕む害毒に変わる。
気晴らし程度に好きなアイドルの歌やラジオを聴くのはいいだろう、だがのめり込み過ぎれば人生を蝕む害毒と化す。
さらに集会は悪ノリとしか思えない方向にむかう。私たちのこんにちの生活が苦しいのは政策が悪いと言い出し、現在の総理大臣の顔写真をドラムに貼りつけ、「悪霊退散、怨敵調伏!」などと言ってドラムスティックで叩きつけたのだ。
しかも顔写真にはヒトラーを思わせるチョビ髭の落書きというおまけつきだ。
「おいおい、こいつは天神法じゃないか。立派な呪詛だぜ」
天神法とは槌などの鈍器で呪う相手を模した人形などを叩いて呪詛する厭魅の術だ。
「見たところ甲種呪術の力は感じないが、いいのかねぇ、こんなことして。呪捜部のやつらに知られたらただじゃすまないと思うがね」
いいのである。なにせこの国は日本の象徴である国旗を燃やすという国崩しレベルの呪詛をおこなった外国人に対してはなんら法的措置をとらないくせに、日本人が外国人を罵ると一二〇〇万円もの賠償金を請求するという不思議の国なのだ。この程度の反日活動ではおいそがしいお役人のみなさんは動かないのである。
ネオナチだの下痢ピーだの種無しスイカだのと現役の総理大臣に対してさんざんヘイトしたあと、説法の前半が終わり、一五分ほどの休憩時間に入った。
内容そのものはうんざりするような類のものだったが、その言動は笑い飛ばしていいものではない。
「閉ざされた空間を用意し、集団に共通する敵を作り、みんなで叩く。たしかに結束を固めるには効果的だろうよ」
人は集団の一員を自覚するとき人格が変わる。
人は他人と最低限の距離をとろうとする本能があり、これを無視されて密着されると不安をおぼえ、その不安を解消するため無理をしてでもまわりの人と親和しようとする傾向があるのだ。
これをうまく利用したのがナチスの宣伝大臣だったヨーゼフ・ゲッベルスだ。党の大会がどんなに広い会場でおこなわれていても一般民衆のための席は最低限しか用意せず、せまいところにぎゅうぎゅうに押し込んだのだが、そうされると観客のあいだに一種の興奮状態や共感委式が生まれ、感情的になる。心理学でいうラポールをかけるというやつだ。
人はせまいところに押し込められると理性は消し飛ぶ。タレントのコンサートや芝居などで似たような経験をした人も多いはずだ。
また人はある種の目的のために集団が同じ意志を持つことに本能的に快感を感じる動物のようで、その全員がおなじ原因による抑圧を受けているとさらに劇的だ。
満員電車にぎゅうぎゅう詰めになっているときはまわりの人らがうっとうしいが、人身事故のためしばらく停車。というアナウンスでもあろうものなら「えー、ふざけんなよ!」という仲間意識が乗客らに生まれる。その中の一人が「死にたいやつは勝手に死なせて早く発車しろ」と叫ぼうものなら、もうそれが自分たちの総合意見であるかのように感じてしまうのだ。
人は無意識に心理操作を受けたがっている面倒あり、独裁者や宗教家はよくそこにつけこむ。
飴と鞭というが人間の人格を改造するのは愛と利益と恐怖のみっつであるといわれる。「神は大いなる愛をもって汝らに利益をもたらすが信仰のたりぬ者には容赦なく罪をあたえるぞよ」というやつだ。
新興宗教にかぎらず古くからある既存の宗教には教義のなかにこのみっつの要素を取り入れているのが多い。
さて後半は前半とはうって変わっておごそかで静かな雰囲気だった。
ありがちな宗教的説法にありがちな精神論――。そんななかにさりげなく呪術関連の専門知識をおりまぜつつも、自分のは呪術ではなく神の奇跡であると主張している。
「奇跡のおすそ分けをしてみなさんの苦悩を取り払おうと思います」
そう言うと天州は用意された抽選箱に手を入れて紙片を取り出し、そこに書かれた数字を読み上げた。どうも入館時にわたした半券がそこにおさめられ、天州が無作為に選んだ人が壇上に呼ばれ、個人的な問題を直接聞いてくれるという趣向のようだ。
何人かが壇上に上がり教主にお悩み相談するのだが、唐突に呼ばれたとあってまともな内容は出てこないようすだった。ご近所つき合いなどの人間関係や仕事上のちょっとした
問題など聞いてもらっているが。
「――我を捨てること、個を捨てること。それが幸福への道です。全人類の心がひとつになる。価値観がひとつになる。みんながおなじことを考え、喜びと楽しみを共有するのです。そうすればたがいの考えの差から争うことはなくなり永遠の平和がおとずれることでしょう。同一にして唯一の価値観を受け入れることによって――」
などと、なんの問題の解決になりそうもない益体もないことを言ってお茶をにごしている。それでも信者はたいそう感動し、ことあるごとに拍手と称賛の嵐が起こる。
「こいつは個人の価値観や考えの差異を否定じゃないか。あきれたねぇ、究極のファシズムだな。同一にして唯一の価値観てのは指導者の考えを鵜呑みにすることで自分の思考を放棄すること。人の生きかたじゃあないな」
こうしてただ一人――一鬼の例外をのぞいて講演は感動と熱狂を生んで終了した。角行鬼が信者たちにまざってホールから出てみるとブースが立ち並びなにかを販売していた。
教主様の霊気が込められたありがたい神宝の数々だそうで、高額商品を購入すると教主様から直々におごそかな儀式をとりおこなってくださるという特典つきだ。冷やかしに見てみると宇宙エネルギーを注入したという聖晶石と称する石ころや、神代文字なる謎の言語がプリントされたTシャツ、もっていると幸運になるという精霊の入った缶詰(開けると精霊は死んでしまうので絶対に開けてはならない)などなど――。
「なんだこりゃ、偉人の種?」
なんでもこれを特殊な聖水(別売り)で服用することにより歴史上の人物・既存の人物を問わず時空を超えてその人物と同盟を組み霊的細胞を分裂させて種として自分の中に植え込むというわけのわからない説明文が書かれていた。
体験者の感想が載っている。豊臣秀吉の種を飲んだ人は顔が精気を抜かれたようになり、西郷隆盛の種を飲んだ人は腹がポッコリ&顔がふっくらしたそうだ。
「さっき納税するなとか言っていたが、どれも消費税がかかっているじゃないか」
こんなガラクタ買うやつがいるのかと思ったが、けっこう売れている。諸葛亮の采配とかいう白い羽毛をつけた警棒を五四〇〇〇円(税込)で買っている老人を尻目に外へ出ると係員の腕章をつけた信者に声をかけられた。
「教主様がお呼びでいらっしゃいます。どうぞご昼食をともにとのおおせでございますのでご同行お願いします」
「俺は信者じゃなくてちょいと興味を持ってのぞきに来ただけなんだが、いいのかい?」
「かまいませんとも、教主様は心の広い御方ですので気にしないでください」
「ならお言葉に甘えるとしよう」
渡りに船とばかりにお誘いに乗ることにした。教主の人となりと呪術者か否か、直に見て確かめるべく信者の案内を受けて説真館に隣接する塔のような建物に招じ入れられた。リゾートホテルのようなこの建物は教主の個人的な迎賓館だということで、最上階に大理石造りの食堂があり、そこのテーブルに平服に着がえた天州が待っていた。
「にょほほほ、よく来てくださった」
立ち上がると平伏する信者たちを手を振って犬でも追い払うように立ち去らせ、みずから椅子を引いて角行鬼を迎えた。
「さぁさぁどうぞおすわりください。フランス料理はお好きかな? 良いトリュフがありますぞ。もしお嫌いなら北京料理とトルコ料理もすぐ用意できますぞ」
宗教家とは思えない贅沢さだ。着ている服もインドのクルタ風なのだがまるでマハラジャのように大小の宝石類や金銀のアクセサリーを身につけ、太い指にはひときわ大きな宝石のついた指輪をいくつもはめていた。
「好き嫌いはない、なんでも食べられる」
「ではフランス料理にしよう。ワインは赤と白、どちらも二〇種類以上そろえてあるからね。ああ、もちろんロゼも置いてあるよ」
「食前酒はパスティス、食中酒はカベルネ・ソーヴィニヨン種の赤ワインを、食後にはコニャックを頼む」
合計で六〇〇〇円とられたのだ。遠慮なく元を取らせてもらうことにした。
「にょほほほ! いいねぇ、飲める子は好きだよ」
講演のときは朗々とした大声だったが、ここでは妙にねっとりとした口調で、同様にからみつくような視線で見てくる。
夏野菜のテリーヌ、牡蠣のクリーム煮、サーモンのジュレつつみ、ガレットのウニクリーム添え、パテ・ド・カンパーニュ、トリュフをたっぷり散らしたオムレツなどなど……。次々と酒と前菜がはこばれてきた。天州はフォアグラにかぶりつきながら上目づかいに角行鬼を見る。
「君は実に良い身体をしているねぇ」
「そうかい? まぁ、それほどでもあるかな。事実を否定するわけにはいかないしな」
「うなるような上腕筋、燃えるような広背筋、しなるような大腿筋、叫ぶような三角筋……。良いねぇ、実に良い」
「…………」
「鍛え上げられた男の肉体に私は高邁で純粋な愛を感じる」
「…………」
双眸に欲望の色を浮かべた天州がワイングラスを片手に角行鬼の横にすりよる。
「愛があれば性別など関係ない。それこそ真の教えであり私の魂の真実でもあるのだよ。君ならばきっとわかってもらえると思うのだがね」
「キリスト教だとソドムの男は火あぶりだったが、S教は同性愛容認派なのかい?」
「女同士など汚らわしい! レズビアンは地獄に堕ちるが男同士は天国極楽西方浄土へ行けるぞよ」
たったいま愛があれば性別など関係ないと言ったばかりなのに、なんとも不寛容な科白を吐いて天州の顔が動き、脂ぎった唇が角行鬼の頬にのびた。
「……この酒は隠し味にハルシオンを入れているな」
「なっ!?」
「そうやっていままで何人の男を手籠めにしてきたんだ、このスーフリ野郎!」
同性愛だろうが女装男装趣味だろうが加虐・被虐趣味だろうが個人の趣味に口を出す気はないが、一方的かつ強引に押し付けられるのはごめんこうむる。
角行鬼の隻腕がひるがえり、天州の片方の髭が根元からむしり取られた。
「ひぎぃぃぃッッッ!?!?!!」
けたたましい悲鳴に室外でひかえていた信者たちが駆け込んできて見たものは、鼻の下を血で染めて床にころがっている教主の無様な姿だった。
「あいにくと中年男とソドミーする趣味はないんでね。変態は変態どうしで仲良くして、正常な男性を巻き込まないでくれ」
隻腕を振るうとむしり取られた髭がひらひらと天州の顔に落ちる。
「ぐぬぬ、そやつを捕まえろ! そやつは神を畏れぬ不信心者だ。マゼラン星雲の彼方より地球を侵略しに来た魔族の生き残りだ。逃がすでないぞ」
命令された信者たちが人の壁となって角行鬼を包囲する。
「よいか、けっして身体には傷つけることなく捕まえるのだぞ。時間をかけて悪霊を取り除いて真の神に帰依させるのだ。私の霊力ならば魔族を改心させることくらい容易なことだ」
「ならまずその霊力で魔族とやらを捕まえてみせろよ」
冷ややかな笑みを口元に浮かべ、角行鬼が一歩踏み出すと天州は奇声を発して後ろに飛び退き、かわって忠実な信者たちが突進してきた。彼らの眼には個性や知性の光はなく、権威や命令に盲従する狂信者の光に満ちていた。考えることを放棄した人形相手に遠慮はしない。隻腕を振るい、片足がひるがえるたびに信者たちは吹き飛び、床にのびていく。
「ひ、ひぇぇぇ~!」
天州はあわてふためき奥へと逃げる。なんとか星雲の彼方まで出かけて行って神剣で邪神を切り伏せた英雄とは思えない怯懦ぶりだ。
「ちょっと待て。話がある」
天州を追って奥の部屋へ足を踏み入れた瞬間、聞きなれた常套句が耳に入った。
「急急如律令!」
炎をまとった呪符が飛んできた。マゼラン星雲の魔族を捕縛し、教主を守らんとあとから追ってきた信者たちが空中で燃え盛る炎を見て悲鳴をあげる。
火行符だ。
「哈ァッ!」
角行鬼が強く呼気を吹きかけると呪符もろともに炎は消し飛んだ。
霊的存在である式神の身体はそれ自体が強固で高度な術式の塊。それそのものが呪術のようなものだ。式神が自身の呪力を込めて放つ拳や蹴り、息吹は呪術そのものといっていい。しかも通常の呪術にくらべ呪力の変換ロスが圧倒的に少ない。
これは敵を倒すことのみに主眼を置いた場合、きわめて有効である。なにせ呪力の発現に呪文の詠唱を必要とせず、集中する時間も短縮できるからだ。
「お、急急如律令!」
天州が次の呪符を打つ。金行符だ。するどい金属片と化して肉薄するが、全身から放出される鬼気が輝く障壁となり傷ひとつつけられない。金属音と火花をむなしく散らすのみ。
さらに足首につる草が絡みついてきて歩みを止めようとした。金行符とともに木行符も打っていたのだ。しかしこれは力まかせに引きちぎられ、半秒ほどの時間稼ぎにもならなかった。
「おいおい、呪術ではなく奇跡なんじゃなかったか? こいつは『汎式』だぜ」
襟首をつかんで床にねじ伏せた教主の手から呪符をもぎ取る。
「しかも陰陽庁謹製の、えらく値の張る上物じゃないか。呪術と無縁どころか、呪術の総本山である陰陽庁の良いお客様だったってわけだ」
呪符というものはそれを作った術者の霊力が強ければ、素人でもある程度の効果が発揮される。呪符の使用者が作成者以上の霊力の持ち主であるならば自前の霊力による効果になるが、今の場合はあきらかに呪符の力に頼っていた。
「そこいらの関係もふくめて、ちょいと話をうかがわせてもらおうか」
「お、おまえはだれだ!? いや、なんなんだっ! 呪文も呪符も使わずに術を無効化できるだなんて、この化け物め!」
「どうもマゼラン星雲からやってきた魔族の生き残りらしいぜ。さて、化け物じみた力のほどはたったいま見ただろ、おとなしく聞かれたことに答えたほうが身のためだぜ」
そう言うと褐色の肌をした野性的な風貌にスマートな笑みを浮かべてみせた。天州がなにも知らぬままその笑顔を見たのなら好色そうな笑いで応えたのだろうが、いまは恐怖をそそられえるだけであった。
「群霊よ、屠れ。我が敵は汝が敵なり。急急如律令!」
天州にはまだ呪符のストックがあったようで、豪奢なクルタ服のふところから数枚の符を取り出すと、投じるのではなく、まとめてにぎりつぶした。指のすき間から黒くにごった瘴気がいきおいよく吹き出した。
「おっと」
思わず天州をつかんでいた手をはなし、身をよじる。並の人間、いや訓練を受けた陰陽師でも霊障を負うレベルの濃い瘴気をあびたが、自販機から取り出した紙コップから少々熱い湯気をあびた程度にしかひるまない。
黒濁した瘴気は生きているかのようにおどろおどろしく脈動し、符とおなじ数だけ不定形のかたまりを形成。そのどれもが気体でありながら金属を溶かしたような重量感をもっていた。さながら生命を得たコールタールといったところか。
「呪詛式か、蠱毒の類だな」
蠱毒がうごめき、その表面に無数の切れ目が走った。いくつもの巨大な眼球があらわれる。ぽたぽたとしたたり落ちる涙が床にふれると、その部分が焼けたような音を立てて黒く変色する。
「やれ!」
無数の眼球が声なき叫びをあげて角行鬼に殺到。
「哼ッ!」
先ほど火行符の炎を吹き消したのとは逆に、こんどは大きく息を吸い込む。人のものとは思えぬ大きな牙を剥いたその口に眼球が吸い込まれた。
「んなッ!?」
ばくり、ぞぶり、がぶり、むしゃむしゃ、ずるずる、ちゅるちゅる。と、蠱毒の群に噛みつき、喰いちぎり、咀嚼し、飲み干した。
「不味いな、ゲテモノは美味と相場が決まってるんだが……」
「くぁwせdrftgyふじこlp」
激しい動揺もあらわに言葉にならない悲鳴をあげて腰砕けになった天州の残った髭をつかんで立ち上がらせ、笑いかけた。
「おまえさんさっき美味そうにフォアグラを食べてたな。人の肝だってなかなか美味いんだぜ。なんなら自分のもので試食してみるか?」
笑うという行為は本来攻撃的なものであり、獣が牙をむく行為が原点だといわれる。
もはや天州は反撃する気力も逃げる意思も失い。角行鬼のなすがままとなっちた。
夜。
さして広くもない学生寮の一室に四人の男女と一羽のカラスが会していた。
土御門春虎、飛車丸、角行鬼、早乙女すず。そして三本足のカラスが机の上に止まっていた。このカラスはかつて土御門夜光が八咫烏や金烏の神話にのっとり生成した式神の『鴉羽織』。通称鴉羽。春虎が着用するさいは漆黒の外套となるのだが、それ以外のときはこのように三本足のカラスの姿をしている。
「じゃあ春虎くんもS教信者の洗礼を受けたってわけね」
「先輩も連中にからまれたんですか?」
「ええ、とてもうざかったわ」
昼間、早乙女が呪術講師として授業をおこなっていたときの話だ。
「――みんなは聖徳太子って知ってるわよね。仏教の伝道者として知られているけれど、彼は陰陽道にも精通していたの。歴史の授業で冠位十二階を習ったでしょ。あの序列が『徳仁礼信義智』であることには意味があるの。儒教的価値観で作られたならば『徳仁義礼智信』でなければならないのよ。なのにああなったのは管子の五行説。すなわち道教、陰陽道的価値観によって――」
「――この推古天皇の時代に百済の僧たちが遁甲や方術の書を大和朝廷に献上し、そのうち方術は山背臣日立が、遁甲を大友村主高聡( おおとものすぐりたかとし)に学ばせて――」
「――陰陽道が本格的に政治に取り入れるようになったのは天武天皇の時代からよ。壬申の乱のさいに式占のおこないで勝利した大海人皇子。のちの天武天皇は陰陽師を官僚としてみずからの朝廷に招いて、やがては養老律令のもとに陰陽寮が作られることになったの。陰陽寮には暦博士、天文博士、漏刻博士といった――」
「――大和朝廷には陰陽師のほかにも呪禁師という呪術師の役職があったの。禁じられた呪いの術っていうといかにもおどろおどろしいけれども、彼らは陰陽寮ではなく典薬寮に属して按摩師や鍼師とともに医療に努めていたのよ。人を呪うのではなく悪気を祓い病人を癒すのが仕事。呪禁師には存思、禹歩、掌決、手印、営目の五法があるとされているけど、その正確な技法はさだかじゃないわ。この呪禁師の代表といえるのが韓国連広足で、修験道の祖とされる役小角を讒言によっておとしいれたことで有名よね。え? 知らないですって? 有名なのよ、呪術史では。この広足が役小角をおとしいれたわけは新たに台頭してきた修験道と、以前からあった呪禁の勢力争いが背景にあったといわれるわ。でもその呪禁もまた陰陽道に取って代わられることになって呪術史からは姿を消して――」
「――もともと陰陽道は中国の易や道教などから発展した呪術体系だったけど、日本においては平安時代に独自の発展をとげることになるわ。これは当時の日本に陰陽道の天才たちが数多くあらわれて、技術を磨き合っていたからよ。滋岳川人、弓削是雄、日下部利貞、三善清行……。錚々たる顔ぶれよ。彼らの活躍は公式の史書には書かれていないけれど、『今昔物語集』なんかの説話には彼らの活躍が数多く収録されていいるわ。たとえば滋岳川人は平安初期の陰陽頭で『滋川新術遁甲書』をはじめ、数多くの書を残したのだけど――」
などなどと、宮内庁御霊部務めは伊達ではないと、その知識を披露し、研究者らしからぬ饒舌ぶりを発揮し、空海の真言宗と最澄の天台宗の話におよんだとき、一人の女生徒が手をあげて質問した。
「どちらが正しいんですか」
「……なんですって?」
「空海と最澄、真言宗と天台宗。どちらが正しくて、どちらがまちがっているんですか」
「真言宗は『密教のみ』の単科大学、天台宗は『密教もある』総合大学のようなもので、どちらがただしくてどちらがまちがっているとか、そういう問題じゃないわ。空海と最澄にしたって、たんに考えかたが異なるだけで――」
「それはごまかしですッ!」
女生徒は金切り声を発した。
「世の中に真理はひとつ、正義もひとつなんです。真言宗と天台宗のどちらかの教えが正しければ、どちらかがまちがっているんです。空海と最澄のどちらかが嘘つきなんです。そのことをきちんと教えるのが講師の役目じゃありませんかッ!」
「学問や宗教はそういうものじゃないの。人間の主義思想、哲学とかを一方的に善悪二元論で区別するのは無理よ。せいぜい自分はどちらの考えにくみするのか、それはどういう理由でかを自分の頭できちんと考え、それを他人に強制しないことね」
どうも最近は右でないなら左。などと一方的に決めつける手合いがネット界隈に多い。
人の主義思想や思考というのは一人一人が異なる。曖昧模糊、複雑怪奇なもので、とてもではないがアニメや漫画のキャラ属性のように、ひとことで言いあらわせるものではない。それを革新や保守といった言葉本来の意味を無視してウヨだのサヨだの連呼しレッテル貼りをする行為は、他者をまともに理解しようとせずに自分の狭い了見にあてはめる一種の思考停止にほかならない。
マインドコントロールの手法のひとつにポラライズというものがある。YESかNOか、右か左か、両極端に走らせ中間を認めないと人間は自らの意思決定を他人にまかせるしかなくなるというものだが、どうもこの手の人間はナチュラルにそのような状況にあるらしい。
「――あとで聞いたらその女生徒はS教の熱心な信者だっていうじゃない。真理はひとつ、正義はひとつ……。そういう決めつけかたをする人は自分は正義の陣営に置いて疑わないものよ。そして自分に同調しなかったりする者は悪と決めてかかるの。まったくうすら寒いわね」
「――この街ではS教団が大きな影響力をもっていることはたしかなようだ。だが教主はとことん下種な俗物でカリスマ性の欠片もなければ呪術者として腕は四流もいいところだったぜ。教祖のほうも俗物という点では同様だろうな。金権政治臭がぷんぷんで、とんだ悪党みたいだ。どうもこっちも呪術者って感じはしないな」
「――神官戦士団とやらを締め上げたんだけど、こいつらをたばねる神官長とやらがまた多嶋一族みたいなんだよ」
と、このようにその日にそれぞれが得た情報を交換し合った結果。
呪術ではなく神の奇跡と謳っていた教主天州は陰陽庁からこっそり呪具の類を購入し、奇跡の演出に使うことがある。
神官長もまた教祖神州の子で教主天州の歳のはなれた弟。名を地州といい、教団内では神官長という役割にある。
ということがわかった。
「どうもこの神官長の地州ってのがくせ者みたいなんだよなぁ。独自に呪符を作成して自分のシンパにわけあたえているみたいなんだ。そんなことはそれなりに呪術の使える者にしかでいない。真森学園の土地が吉だと占なったのは教祖ということになっているが、実は占なったのはこいつじゃないかって気がする。事実あの土地は吉相なんだけど、これは素人にはわからないことだし」
「その神官長ってのはまだ若いのか?」
「ああ、なんでも高校三年生だそうだ。あの教団は高校も本部内にもっているそうだが、見てきたか?」
「すまん、そいつは見落とした。明日にでも再調査に行くとするか」
「おいおい、今日ひと暴れしたばっかりだろ」
「なぁに、騒がれないようにこっそり忍び込むさ。神聖な教団本部といっても、ろくに結界も張っていないような場所だからな」
「それにしても天州とか地州とか、ふざけた名称ですね。さらに下の弟に人州なんてのがいるかもしれません」
「おいおい飛車丸、それをこいつに言うか? 俺たちの名前だってじゅうぶんあれだぜ」
「あれとはなんだ、あれとは! 春虎様の命名にいまさら異を唱える気かっ」
「とんでもない、金角だの銀角だのじゃなくて感謝してるぜ」
「聞けば私は真森学園はじまって以来のロリ先生みたいなの。でもあえて幼女先生と呼ばせることにしたわ」
「……まぁ、飛車角以外にも金将や銀将も候補にあったことはたしかだ」
「カァーッ、クワァーッ!」
鴉羽まで入ってきて、なにやら話が脱線しだしたので今夜のところはおひらきにすることにした。
早乙女は教職員専用寮へ、角行鬼は夜の街へと消えていく。
同時刻、多嶋邸の一室。
スワロフスキーのクリスタルシャデリアが落とす光を受け、ヴィクトリア朝様式の家具類が美しい陰影を生んでいる。絨毯はモロッコ制の物で、かかとが埋まってしまうほどに毛足が長い。
その上に二人の男がならんで正座をしていた。
「……教主先生のお顔もずいぶんと伊達になったものだな」
「へへーっ、面目次第もございません」
実父からの蔑みの視線と冷笑に恐れ入って額を絨毯に埋め込ませているのは片方の髭をなくした痕に貼ってある絆創膏も痛々しい多嶋天州だ。
「このたびの失態は幾重にもお詫びします。深く恥じて反省しておりますのでどうか今回だけはおゆるしください」
「さがれ」
「ダディ! おゆるしをっ!」
「なにがダディだ。父と呼ばんかっ! これ以上立場を悪くしたくないならおとなしくさがれ。沙汰があるまで待っておれ」
「は、ははぁーっ」
天州は頭を下げたまま膝立ちになり、古代の宮廷人のようにかしこまって退席していった
あとに残されたもう一人、頭髪を短く刈り込み、たくましい身体を和服につつんだ若者。これこそS教団神官長の多嶋地州であった。
歳の離れた兄よりよほど貫禄があり、神州もこの息子には冷笑をあびせたりはしなかった。
「あれにもこまったものだ。少々の乱行は大目に見るが、公の場での失態を衆目にさらすのはゆるさぬ」
「先ほどの言葉とおり当人も深く恥じ入り反省していることでしょう。どうか今回だけはご容赦ください。このとおり私からもお願いもうしあげます」
「ふむ、おまえがそう言うならば考えておこう。……ところでおまえが占なった真森学園の土地の件で市議の木内が動いていたのだが、東京から来た呪術講師とやらに痛い目にあわされて追い払われたそうだ」
「…………」
「相手が一般人なら警察を動かして逮捕させるところだが、呪術者となるとそうはいかん。といって呪捜部の連中をこの地に入れるのは論外だ。……この地に陰陽庁の呪術はいらん、いまはまだな。そこで市来に続いてその呪術講師もトコヨ様に断罪してもらいたいのだ。――できるか?」
「むろんでございます」
「うむ、では委細はまかせるゆえ、たのんだぞ」
一礼して退室した地州は来訪者とすれちがう。陰陽庁とは昵懇の仲で、勢力を増している新民党の佐竹とかいう議員だ。齢は三〇代、平均年齢が五二歳といわれる日本の政界の中では若造といっていい。
おたがいかるく会釈したが、どうも軽薄そうな印象を受け、地州はあまり良い印象をもてなかった。
黒塗りのベンツに載りこみ、その前後を合計六台の国産車にはさまれて教団本部にむかう車内で地州は目をとじて意識の糸を外界へとのばした。
式神を通して神州と新民党の議員との会話が脳に直接聞こえてきた。この地州という青年は自分の父親の部屋に盗聴目的で式をはなっているのだ。
「…………」
会話の内容を聞くにつれ目じりがけわしくつり上がってくる。中央でのポストと諸々の便宜と引きかえにS教団を陰陽庁の傘下に、宗教法人から呪術法人へと移そうというのだ。信者たちには『呪術は奇跡とは別次元の人の技術であり、これを学ぶからといって教団の教えに背くというわけではない。仏陀は呪術の使用を戒めたが護身の術としてパリッタという護身呪術の使用は許可したではないか。それと同様である』などという名目で三〇万人の信者らに呪術を学ばせるつもりだ。
だがこんにちの呪術は宗教の排除から成り立っている。呪術の前提条件から信仰心の類を切り捨てたからこそいまの甲種呪術が存在するのだ。熱心な信者たちもやがては自然に〝冷めて〟いくことだろう。もともと金儲け目的に起こしたS教を、いままた新たな地位と富を得ようとするために売り払おうというのだ。
「俗物が……」
吐き捨て、走行する車中から窓の外を見ると、遠い沿岸地帯に広がる工場群の放つ光が夜空に煌々と輝いているのが見えた。工場夜景クルーズ愛好家がよろこびそうな光景だ。
立花市の、多嶋グループの誇る自動車、電子機器工場地帯。金の卵を生み出し続ける機械仕掛けの鶏――。
「木気の竜を剋す金気の枷――。邪魔だな。俗な教祖、俗なうえに無能な教主ともども撤去する必要がある。その時はいまだ」
一七歳の神官長はすごみのある笑いを浮かべて独語すると、どこかに電話をしてなにごとかを支持し出した。
やがて車は教団本部へ到着し、地州は巨大な建造物内に無数に存在する部屋のひとつに入ると、そこには床にはいつくばり、ひたすら謝罪の言葉を連呼してゆるしを請う男子生徒の姿があった。
昼休みに春虎に因縁をつけて調伏しようとしたリーダー格の男子生徒だ。
「一〇人がかりの調伏に失敗したあげく、私のあたえた神聖な符をうばわれるとはな、いいように手玉にとられたものだ」
「おゆるしを、どうかおゆるしを……」
「おまえは信者として私に忠誠を誓うか?」
「も、もちろんでございます神官長様っ」
「良い返事だ。だが口だけならなんとでも言えるぞ。おまえが嘘偽りを言っているとは思わないが、人というのは弱い生き物でな、いまは心底そう思っていても、困難や苦痛に出遭うと信仰を捨てて楽に生きたいと思うのが凡人のあさましさよ」
「わ、私はちがいますっ。教団と教義、そしてなにより神官長様のためでしたら命も惜しくありません。入信に反対した家族も捨てました。なんでもご命令ください」
「ようし、よく言った。おまえこそ真の信仰心を持つ者だ。ではこの文章をおまえ自身の手で書き写すのだ」
男子生徒に便箋とペン、文章の書かれた紙が渡され、さっそくそれを書き写しはじめたのだが、しだいに手の動きが遅くなり、困惑の表情を浮かべはじめた。
「どうした、なにを迷っている。私のためなら命はいらないのではなかったのか」
「し、しかし神官長様、これは、この文章はいったい……」
その文章は遺書の体裁をなしていた。工場の待遇に不満をいだいている外国人労働者におどされて立花自動車工場に放火をした。火災があまりにも大きくなったため、自分の犯した罪の大きさにおそろしくなり償いのため自殺する。みなさんすみませんでした――。と、そのような内容だったのだ。
「殉教者になれるのだ、なにをためらう」
「し、しかしっ、だとしてもなんでこんな遺書を書かなければならないんです。これは信仰とはなんの関係もないのでは」
「どこまでも信じて疑わないというのが真の信仰の美しき姿ではないか。信仰とは神に対する大いなる愛であり、愛とは信じること。愛とはけして後悔しないこと。神のお眼鏡にかなったのだ。感謝するべきだろう」
「そうですけど、そうですけど、これはちがいます、こんなこととても書けませんっ」
「……おまえには失望した。トコヨ様の手をわずらわせることになるとはな」
「ひぃぃっ」
トコヨ様という言葉を聞いた男子生徒は恐怖におののき、その場から逃れようと立ち上がり、入り口にむかって走り出した――のだが、急に動きを止めた。まるで動画の一時停止ボタンを押したかのように、その身を硬直させた。
「運命の赤い糸を知っているだろう、いつか結ばれる男と女は目に見えない赤い糸で小指と小指がつながっているというやつだ。あれはもともと中国の伝説で小指ではなく足首だ。だが考えかたとしては小指も足首も糸を通じてその人間の心臓、すなわち魂に結ばれているといわれていう」
地州がしゃべっているあいだに男子生徒はゆっくりとむきを変えてイスに座り、ペンを手にして遺書の続きを書きはじめた。
「な、なんでっ、て、手が勝手にっ!? 身体が動かないッ!」
「――運命の糸。人の出会いや縁はすべてそういう魂からのびた糸によって運命づけられているというわけだ。だがこう考えたことはないか? 運命の糸は人と人を結びつけているのではない、我々の魂からのびるその糸は、神の御許へとつながり、その御手によってあやつられているのではないか、と……」
最後の署名をし、遺書をすべて書き終えるも男子生徒は身体の自由を取り戻すことができない。ペンを持ちかえて、みずからの意思とは関係なく動く。目にむかって。
「や、やめてくっ! これをやめてください神官長ッ!!」
「神が気まぐれにあやつったその糸によって人は動かされている。まるでマリオネットのように。人間はみな神によってあやつられている傀儡にすぎない。私は神の力を手に入れた。運命を逆から読むと命運。まさにこの地州は人の命運をにぎっていることになる。くっくっく、ただ人は私の、トコヨ様のあやつり人形にすぎないのだ!」
首をそらすこともまぶたを閉じることもできず、ペンの先端が眼球にふれた、その瞬間男子生徒は恐怖のあまり泡を吹いて意識を失った。
「ふっ、無様な。……このまま黄泉路へと旅立たせても良いが、おまえはいままでは役に立った。神の慈悲をあたえてやろう……」
別室にひかえていた信者を呼び出すと男子生徒を一室に閉じ込めるよう指示した。
「神の劫火が穢れた地を浄化するさまを見せてやろう。それまではいままでの功労への報いだ」
自分はなんと寛大で慈悲深いのだろう。エゴイスティックな笑みを浮かべた地州は遺書を手に取り部屋をあとにした。見鬼の持ち主がいまの姿を視たのなら、その身体から無数の糸が陽炎のようにたゆたっているのを見てとれただろう――。
翌日。
「夜虎君、どの部活に入るか、もう決まってる?」
「いや、おれ部活に入るつもりはないから」
「うちの学校って運動系は弱いんだけど文化系は充実してるの」
「うん、でもおれは部活には入らないからね」
「放課後、案内してあげる!」
こうしてなかば強引に平坂にエスコートされることになった。
放課後。
真森学園では文化系の部室棟として旧校舎が使われている。昭和のにおいただよう木造校舎の中を平坂の先導で連れまわされる春虎。
SOS団、隣人部、奉仕部、ごらく部、囲碁サッカー部、ヒゲ部、GJ部、木工ボンド部、ゴセロ部、ろうきゅー部、スラップスティック文芸部、昼寝部、ラノベ部、てさぐり部、屋上部、階段部、自らを演出する乙女の会、ジャージ部、学園生活支援部、シノ部、合唱時々バトミントン部、戦争脅威力研究クラブ、スーパーで売ってる爪楊枝は全部同じ本数入っているのか部、路上観察研究会、ハーフプライサー同好会――。
謎部の数の多いこと多いこと――。
「よくこんなアニオタがその場のノリといきおいで考えついたようなのが許可されたな、オイ!」
「うちの学校はそういうところはゆるいのよ」
「でもほとんどアニメ見たり漫画読んだりしてだべってるだけじゃん。いいのかよ、それで……」
「文芸部は機関誌で創作発表してるわよ。あたしも前にゲスト寄稿したことがあるの」
「へぇ、文才があるんだな」
「絵が描けないから小説を書いただけなんだけどね。森川スーパー攻めの遊佐ツンデレ受けの――」
「BLかよっ! しかもナマモノて!」
「よくそんな言葉知ってるわね、夜虎君わかるんだ」
「いや、これは前にお世話になった寮母さんに無理やり……うん? なんだか良い匂いがするぞ。これは……、出汁?」
「ああ、うどん部ね。この暑いのに鍋焼きうどんなんか食べてるのよ、どうかしてるわ」
「暑いときこそ暑気払いに熱いの食べるって言うし、それにうどんは日本の生んだ偉大な食文化だぜ。蕎麦よりも歴史がって、麺の種類だって豊富だし」
「夜虎君てうどんが好きなの?」
「大好物だよ」
このあたりの好みは夜光ではなく春虎といったところか。
「囲碁部はあるのに将棋部はないんだな」
「夜虎君て将棋が好きなの?」
「好きだよ、そんなに強くはないけどね」
このあたりの好みは春虎ではなく夜光といったところか。
「あそこにある建物は?」
校舎から少しはなれた場所に山小屋や倉庫を思わせる建物がある。小高い丘を背にして雑木にかこまれたその建物から、わずかだが霊気がただよっているのが感じられた。
「ふっふっふ、さすがお目が高い。あれこそはわが楽しき都(マグ・メル)、にして喜びの野(メグ・ミル)。呪術部の部室よ」
「へぇ、わりと普通の部活してるんだな」
呪術が復活して半世紀以上、陰陽師が活躍する昨今。呪術部というものがあっても不思議ではない、たったいま見学してきた謎部の数々にくらべたらよっぽど普通だ。
「でもなんで校舎の中じゃなくてあんな場所に?」
「あそこはもともと倉庫だったんだけど、新校舎ができて空き家になってね。いわくつきの場所だっていうんで心霊現象研究会が入ってたんだけど――」
「いわくつき?」
「そう、いわくつき。なんでもむかし防空壕があって――、あ、夜虎君は防空壕てなにか知ってる?」
「ああ、もちろん知ってるよ」
「物知りなのね、クラスの連中で知らない人とかけっこういるのに。まぁ陰陽師だし物知りなのはとうぜんかな。で、空襲のときにその防空壕で人がたくさん死んじゃったんだって」
あっけらかんと言いはなつ。まるで遠いむかしのよその国でのできごとかのように。いや、じっさい日本に空襲があったのはいまから七〇年も前もむかしのできごとなのだが――。
「そういえばここも空襲されたんだったな……」
「ねー、意外よね。空襲があったのって東京だけかと思ってた」
一九四二年のドーリットル空襲を皮切りに一九四五年の敗戦まで、日本の各都市はアメリカ軍の空襲、戦略爆撃を受けた。東京や大阪、京都、名古屋といった主要都市のほか、仙台や甲府、鎌倉や横浜、静岡、奈良、和歌山、熊本、鹿児島――。地方都市も爆撃の対象であった。空襲のほかにも沿岸都市などは艦砲射撃による攻撃を受けたところもある。
「東京じゃ土御門夜光がすごい儀式してるときにすごい空襲があったのよね」
「ああ――、ああ、そうだ……。最初のうちは軍事施設を狙った精密爆撃だったのが〝あの日〟から、燃えやすい木造家屋の密集地を狙った無差別爆撃になったんだ。昭和二〇年三月一〇日、数百機のB-29が三八万の焼夷弾を落として東京を火の海に変えた。東京の三分の一がひと晩で焼失した。犠牲者はわかっているだけでも八万人、実際は一〇万人以上だと言われている――。一〇万以上の死、それも災害ではなく人の手による大量虐殺……」
一九四五年(昭和二〇)、アメリカがミーティングハウス2号作戦と呼んだ、いわゆる東京大空襲は襲撃するアメリカ軍兵士たちにとっても残酷なものだった。司令官であるカーチス・ルメイは高々度からの軍事施設を狙った精密爆撃は効果が薄いと判断し、従来よりもはるかに低高度での無差別爆撃をするよう命令した。これは高射砲や迎撃機の攻撃範囲内を飛行しろということだ。
それだけではない、なんとカーチス・ルメイはほぼすべてのB-29から機関銃や通常爆弾を降ろさせて一発でも多くの焼夷弾を積むよう命じたのだ。
これは日本軍側からの攻撃に対して完全に無防備になるにひとしい。だがこの日、日本側はアメリカ軍機がいままでの空襲とは異なる飛行経路をしていたことから、退去したものと思い込み、警戒警報を解除してしまった。
そのすきを突くようにしておこなわれた空襲は日本側にとってほとんど不意打ちとなり、大打撃をこうむることとなった。アメリカ軍兵士たちにとっては幸運なことに、日本人にとっては不幸なことに――。
なおこのカーチス・ルメイは戦後一九年ほど経ってから日本から勲一等旭日大綬章を授与されている。理由は「日本の航空自衛隊育成に貢献した」からだそうだ。
「……夜虎君?」
「あ、いやワリぃ。なんかちょっと変なスイッチが入ってたみたいだ。……それよりその心霊現象研究会がどうしたって?」
「出るって話だったから心霊研の連中が進んで部室にしたのよ。そうしたらほんとに怪奇現象が起きたとかで、こわくなって引っ越ししちゃったの。そのあとにあたしの呪術部が入ったんだけど、心霊研のくせに意気地無しよね~」
「そんな場所で部活してて、平気なのかよ。怪奇現象が起きるんだろ」
「それがあたしたちにはな~んも起こらないのよね、期待してたのに拍子抜けよ」
そのような話の流れでお邪魔することとなった。
教室と同じくらいの大きさの部屋の中は経絡の描かれた人体模型や手首型の燭台、ドクロの置物や動物標本といった奇妙なオブジェであふれかえっている。
そんな中にも式盤や筮竹といったまともな呪術道具もあり、本棚には陰陽Ⅲ種、陰陽Ⅱ種、陰陽Ⅰ種の参考書にはじまり、汎式陰陽術概論や現代式神理論、周易、そして金烏玉兎集や占事略決などの解説書がならんでいて、これはかなり充実しているほうだ。そこだけ見ればまっとうな呪術部らしい。
「平坂のほかに部員は何人いるんだ?」
「あいにくと正式な部員は部長であるあたしひとりだけなの、でも凖部員ていうか幽霊部員みたいな連中なら何人かいるわ。どうせなら水無神操緒や小鳥遊まひるみたいに本物の幽霊なら良かったのに」
「そんなんで部活として認可されるのかよ……」
かるいやり取りを交わしつつ霊気を探ると、どうも地下からただよってようだ。
「なぁ、ここって地下室とかあったりする?」
「いきなり地下室の所在を聞くだなんて、夜虎君てばわかってるじゃない。そうよね、やっぱり山小屋といえば地下室にある魔術書と呪文の録音されたカセット入りテープレコーダーよね」
「それなんて『死霊のはらわた』? そもそもここは山小屋じゃないだろ!」
同じ男子寮にいた塾生のひとりが映画好きで、そいつに有名無名、名作珍作を問わずいろいろな映画を見せられた記憶が脳裏をよぎる。
そういえばあいつはなんという名前だったか。けっこうつるんでいたはずだったが、春虎は顔も名前も思い出せなかった。
「あるいは殺人鬼の書いた日記や謎のキューブ、バレリーナのオルゴールや法螺貝とか……」
「『キャビン・イン・ザ・ウッズ』かよ! そういうのが好きなら呪術部じゃなくてホラー映画研究会にしたらどうだ」
「まぁ、冗談はともかく地下室なんて上等なものはないわ。半分地下室みたいな押し入れだか物置みたいなのならあるけど」
平坂がそう言って床にある取っ手を引くと、一メートル四方の収納スペースがあらわれた。
霊気の流れはそこからさらに下、つまり地中から来ている。
春虎の隻眼が光り、より詳細に霊気を視て内部を探る。射覆だ。
(……中に空間が広がってるみたいだな、隠し扉でもあるのか?)
「どう、なにか見える?」
「ん、いや。特になにも感じられないな~」
この手のことに興味津々な平坂のこと、下手に知らせると穴を掘るだのなんだのと言いだして、なにかと問題だと判断した春虎は、とりあえず伏せておくことにした。
(気そのものは悪くもなければ良くもない、だけど霊気の濃くない通常の空間に、それよりも濃い霊気が流れ込むことでバランスが乱れて〝疑似瘴気〟のようなものが発生してフェーズ1に酷似した状態になる可能性はあるな。通常の霊災とちがってそれ以上発展せずに自然消滅すると見たが、霊感の、見鬼の才のある素人がたまたまその場にいたら気分を悪くしたり妙な幻覚を見ることになるだろう。たぶんこれが怪奇現象の正体だ)
春虎はそのように推理した。
「そう、残念。実は隠された扉があって、それを開ける言葉が普通の人には見えない呪力で書かれてたりして。とか思ってたのに」
「くわしいんだな」
呪力をもちいて見鬼を持たない一般人には見えない、あるいは普段は見えないが微弱な霊力呪力をあてることにより、あぶり出しの要領で文字を浮かび上がらせる手法はたしかに存在した。
「知識だけは、ね」
平坂の顔に一瞬だけ浮かんだ羨望の表情にしかし春虎は気づかなかった。
「とにかく歓迎するわ、ようこそわが呪術部へ。夜虎君の入部を認めます!」
「いや、だからおれはどこの部活にも入らないって」
「いやなの?」
「いや」
「どうしても?」
「どうしても」
「いま入部したらすごいサービスがついてくるわよ」
「どんなサービス?」
「あ、あたしのおっぱいを揉んでもいいわ!」
「色仕掛けかよ! あのなぁ平坂、女の子なんだからもっと自分を大切に――」
「い、一日に二回っ、二八秒間だけならいくらでも揉んでいいからっ」
「その微妙な数字はどっから出てきたんだ!」
「だって恥ずかしいじゃないっ! それに時間無制限でいくらでも揉みほうだいとかゆるしたら、ビッチみたいでいやだし……」
「そんな条件出してる時点でもうじゅうぶんビッチだよ!」
「平坂橘花、一七歳。しょ、正真正銘の処女よッ!! キスだってまだしたことないんだからっ、そんな巨乳現役JKのおっぱいが揉めるのよ、お願いだから入部してよ!」
「そんな科白を顔真っ赤にしながら涙目になって言うなよっ、おれが言わせてるみたいだろ! ……つうかなんでそんなに必死なんだ」
「……だって、人生ではじめて呪術者に、本物の陰陽師に出会えたのよ。きのうのこと一生わすれない」
S教団の神官戦士と称する男子生徒らに手前勝手な調伏をされそうになり、呪術の片鱗を見せた。集団を金縛りにしたり木の葉で石を割るなど(実際に割ったのは飛車丸だが)、一般人にすればかなりエキサイティングな体験だっただろう。特に非日常に対するあこがれの強い平坂には刺激が強すぎたようだ。
「あなたが転校してくるまでうんざりするくらい退屈だった。伝奇アクション作品の主人公みたいに夜道を歩いていて怪物に襲われたら謎の美少女や美少年に助けられたことをきっかけに秘密の退魔組織に入ることもなければ、修学旅行先の東京タワーから戦乱の異世界に飛ばされることもなかった。霊災に巻き込まれたのをきっかけに見鬼の力に目覚めたりしないかとか期待してたりするんだけど、こっちじゃフェーズ1すら起きやしないわ。宇宙人、未来人、超能力者といった本物の非日常とはまるっきし無縁な退屈な毎日。そんなときにあなたがやってきた。こんな出会いってめったにないわ、あなたと少しでも縁を結びたいの。関係していたいの、だから呪術部に入って、いっぱいあなたのお話を聞かせて」
大きな胸の前で両手を合わせて必死に懇願する。恋慕の情とは少し異なるかもしれないが春虎の人生で、いや夜光の人生でもこんなにも異性からの強烈かつ積極的なアプローチを受けたのははじめてだった。
「あ~、え~っと、まいったなぁ……」
無意識に頭をかく仕草が出ようとした。するとその手をとった平坂が「えいっ」とばかりに自分の胸に押しつけた。
むにゅん。
「ぬぉおおッ!?」
「あン」
夏服の薄い布ごしにほどよい弾性を秘めた柔らかな感触が春虎の掌に広がる。
「ムキーッ!! 先ほどから黙って見ておればつけ上がりおって、この痴女めが! 春虎様への不埒な狼藉、万死に値するっ!!」
実体下した飛車丸が搗割を振るう。刃は上をむいているし、手加減もしてあるがそれでもあたればあざくらいはできるだろう。相手は少々強引な勧誘をする女の子にすぎない、因縁をつけてきた男子生徒とはちがう。
「飛車丸!」
春虎の意を汲んだ鴉羽が動く。漆黒の外套の裾がひるがえり、搗割の刀身をくるみ動きを止めた。
「ええい、離せっ、離さぬか鴉羽! 邪魔をするな。こやつの淫蕩な性根を修正してくれるっ」
「……この人、式神?」
突然姿をあらわした飛車丸のいきおいにおどろき、盛大に尻もちをついた平坂がケモノ耳の美女を呆然自失のていで見上げている。
(あ~、なんかまえにもあったな。こんな光景)
あのときの京子は青と白のストライプだったが、平坂は白だった。
「すごい! この人が夜虎君の護法式なのねっ! あれ? でも夜虎君のこと『はるとら』様って言わなかった?」
「あー、それよりも早くおき上がったほうがいいぞ平坂。かなり盛大にめくれ上がっちゃってるから」
「シャッターチャンスだ!」
パシャッ。
「「えっ」」
突然の声とカメラのフラッシュ。
いつのまにか眼鏡をかけた見知らぬ男子がデジタル一眼レフカメラをかまえて立っていた。
「う~ん、エロチック。ナイスハプニングだったぞ平坂」
「あ、あなたはフォトカノ部。通称フォト部部長の緑川!」
「なんだよフォトカノ部って! 写真部や光画部じゃないのかよっ」
「フォトカノ部はその名のとおり写真撮影をしつつ、複数の女の子と仲良くなり写姦プレイを楽しむことを目標にする部活よ」
「ないからっ! 写姦なんて言葉、本来日本語に存在しないからね! つうかそんな部活、マジで、よく、許可されたよな、おいっ」
「君が噂の転校生、堀川夜虎君だね。なんでも転校早々にS教の連中に一泡ふかせたって話じゃないか」
「しゃべったのか?」
「べ、べつに口止めされてなかったしっ」
「まぁ、たしかにしゃべるなとは言わなかったけどさ」
「たったいま紹介にあずかった緑川雷人だ。フォトカノ部の部長をしている、よろしくな」
緑川はそう言って左手をさし出した。
「悪いが右腕はつねにシャッターチャンスを逃さないよう空けておく主義なんだ」
「うわ~、なんかこいつも平坂と同じタイプの人間っぽいぞ……」
「友人たちは親しみを込めてグリーンリバーライトと呼んでいる。よかったら君も遠慮せず呼んでくれ」
「いや……、緑川のほうが字数が少なくて呼びやすいからそっちで呼ばせてもらうよ」
「そうか。君はプラグマティズムなものの考えかたをするんだな、さすが陰陽師。――ところで」
「うん?」
「君は『フォトカノ』ではどのキャラとセックスしたい? オレは全員とセックスしたい」
「ストレートすぎるだろ、おいッ! もっとオブラートにくるんだ表現しろよ。それと全員とか欲望に忠実すぎ!」
「オレはそうだな、恋人にするなら新見遙佳」
「いがいと普通だな」
「妹にするなら早倉舞衣、肉奴隷にするなら果音」
「赤の他人を妹にして実の妹を肉奴隷とか歪みすぎだろ!」
「姉にするなら森島はるか」
「それ『アマガミ』のキャラクターだろ!」
「君はどのキャラとしっぽりしたい?」
「しっぽりて……、う~ん、そうだな。早倉舞衣、かな」
「ほう、そのこころは?」
「んー、声がかわいいから?」
「この声オタがッ!! いいか、声優を信じるんじゃないぞ。よく女性声優が結婚するたびに『お相手は一般の方です』とか言っているが、どうしたら一般人が声優に近づけるのか聞いてみたいものだ。オレら本物の一般人から見ればアニメ・レコード制作会社や広告代理店勤めなんて業界人なんだよ! ふざけやがって!」
「お、おう……」
「むっ、そういえばこちらの美女はどこのどちらさまだ」
それまで蚊帳の外だった飛車丸に話題がおよぶ。姿をあらわした以上はしかたがない、春虎は自身の護法として飛車丸を使役していることを説明した。
「んん~、ナイス! ナイスですね~。どうみても二十歳は超えている女性にセーラー服を、それも通常よりかなり丈の短いスカートを穿かせるこのセンス。堀川はわかっているな」
緑川は飛車丸の頭からつま先まで、上から下まで舐めるようにカメラをまわしはじめた。
「いや、それは先ぱ――。早乙女先生の趣味だから」
「容姿良し、スタイル良し、雰囲気良し。これほどの被写体にはめったいにお目にかかれない。どうだろう堀川、彼女を少しフォト部に貸してくれないだろうか」
「いかがわしい写真を撮る気じゃないだろうな?」
「とんでもない、ごく普通のモデル撮影だ。もっとも君がのぞむならそのようなテーマで撮ってもいっこうにかまわないが」
「う~ん、飛車丸はどう思う?」
「飛車丸は春と――。夜虎様の護法ゆえ、つねに御身のそばにひかえておらねばなりません」
「では堀川もいっしょに、というかいっそフォト部に入るつもりはないか?」
「ダメよ緑川っ。夜虎君は呪術部に入るんだから」
「ややっ、このような場所で撮影会とは、拙者たち個人撮影同好会もまぜて欲しいでござるよ~」
そろいもそろって赤いハチマキにジーンズ地のベストを素肌着用、指なし手袋といういでたちの集団がカメラ片手に押し寄せてきて、呪術部の部室は飛車丸の撮影会場と化した。
「このギブソンのギターをもって弾く真似をしてください」
「こ、こうか」
「この扇子をもって『凛っ!』て感じで決めてください」
「む、こうか」
「この局部に振動機が仕込んであるビキニアーマーを着てください」
「できるか、たわけっ!」
フラッシュが断続的に焚かれるあいだにも春虎の入部をめぐって平坂と緑川は口論している。
「呪術者が呪術部とか普通すぎてつまらん。フォト部に入るべきだ」
「世の中には様式美ってのがあるの。呪術者は呪術部に入るべきよ」
「いやだからおれはどの部活にもは入ら……」
そのとき地面の揺れを感じ、言葉が途切れた。
地震だ。もっとも大きくはない、震度一あるかないかの微震。にぶい者なら気がつかない程度のわずかな揺れにすぎない。げんに春虎の入部についてあれこれ言い合っている平坂と緑川は気づいているのかいないのか、気にせず舌鋒を交わしている。
春虎は気の異常を視た。たったいまの地震に反応して地面の下、土塀の内から流れ出る気の変化に気づいたのだ。
木気の異常だ。
易の八卦では地震は震(雷)に相等しく木気をあらわす。
地震の規模が大きければ大きいほど木気の揺らぎも大きくなる。この程度の地震にしてはかなり強めの木気がそこから流れ出ていた。
やはりこの中にはなにかがある、じっくりと調べてみる必要があるだろう。
「呪術部に入るよ」
「え?」
「なに!」
「おれ、呪術部に入るよ。よろしくな、平坂」
「こちらこそ、歓迎するわ!」
こうしてつかの間の部活動がはじまった。
数日のあいだはなにごともなく過ぎた。
早乙女が呪術講師として呪術の歴史や知識を教えるいっぽうで、助手役の春虎は簡単な汎式陰陽術を披露して生徒たちをおどろかせた。
一昨年のハロウィン、万魔の大祓えでの陰陽師の活躍や去年末の陰陽法改正による呪術者の社会進出により、呪術は得体の知れない、いかがわしいもの。という従来の認識は若い世代を中心に払拭されつつあり、S教信者などの呪術に不信感をもつ一部をのぞいて春虎のパフォーマンスは好奇と好意をもって受け入れられた。
「空を飛んだりできるの?」
「ああ、できる。修験道の開祖だと伝わる役小角という呪術者は飛行術に長けていて、日本各地どころか朝鮮や中国、インドにまで飛んで行けたって伝説がある」
「すごい!」
「いろいろあって彼は伊豆大島に流されてしまうんだ。で、昼のうちはおとなしくしているんだけど、夜になると空を飛んで中国まで行って修行してたとか。日本から中国まで往復してたとすると時速五〇〇キロは出てるはずだよな」
「リニア並じゃん!」
「ただそういう術はむずかしくて消耗もはげしいから、呪術者が空を飛ぶときは飛行能力のある式神や呪具をもちいるのが一般的かな」
「じゃあさ、箒の形の呪具とか作ればクィディッチできるよな」
「できるけど、形状的にバランスが悪いし股を痛めるぞ」
「陰陽師ならクィディッチじゃなくて蹴鞠だろ、蹴鞠。空中蹴鞠」
「どんなルールなんだよ、それ」
「なにいってるの、日本にだって打毬や毬打(ぎっちょう)という平安貴族のたしなんだ球技があるでしょう、あれを空飛びながらやればクィディッチよ」
「みんなクィディッチ好きだな!」
「ねぇねぇ、三次元双六は?」
学食の厨房を借り、簡易式で作った複数の影法師をあやつりカレーを調理したときは拍手喝采の嵐だった。
かつてはひとつひとつの作業を手動で動かして火を点けることさえ難儀した春虎だったが、米を研ぐ、炊く、野菜を洗って切る、肉と炒める、水を入れて煮る、ルーを溶かす――。
といったもろもろを作業をあらかじめ術式に組み込ませて自動で動かし、いっきに作ってみせたのだ。
安倍晴明は式神を家事に使って、来客があると人もいないのに勝手に門が開閉したという伝説があるが、春虎の式神使役の技量はそれを彷彿とさせた。
そんな学園生活の合間を縫って部室内で見つけた奇妙な木気の源を調べる。
春虎は呪術講師である早乙女の助手という立場上、一般の生徒たちのように授業に出席しなければならないという決まりはない。
他の生徒たちが授業を受けている中、だれもいない旧校舎の部室で件の物置に探りを入れることにした。
「堅牢なる地霊よ、我が前に道を示さんがため、汝が領域を開きたまえ。急急如律令」
春虎が呪を唱えて土壁に手を触れると、ぽっかりと穴が空き、みるみる広がっていく。
三〇センチほどで穴の拡大・侵食はとまった。内部に広がる空間につながったからだ。
地下へと下りる前、春虎は鴉羽の裾をひるがえし、物置の戸に文字とも模様ともつかない奇妙な紋様を薄く刻みつけた。
六道迷符印。人を遠ざける効力をもった呪印だ。これを貼られたり刻まれたりした場所は人払いの結界が張られる。呪術者ならともかく一般人はこの物置があることさえ知覚できなくなったはずだ。
外からの光はすぐにとどかなくなり、質量すら感じられるような漆黒の闇が障壁と化して立ちふさがる。
「オン・ロホウニュタ・ソワカ」
日光菩薩の真言を唱えると、春虎の身体からあふれ出た霊力が呪力に変換され、あたりを煌々と照らしだす。
せまく、入り組んだ洞窟内を迷わないようにわかれ道のあるところでは呪力で印をつけながら木気の流れてくる方向へと進む。
「この強い気の流れ、ここは龍穴だな」
龍穴とは大地を流れる龍脈(霊脈)の気があつまり、噴出する場所だ。特に強い気のある場所は天子穴と呼ばれ、その地に埋葬された者の子孫は皇帝になれる。その地に王宮を建てればその王朝は一〇〇〇年にわたって栄華を持続させることができる。などといわれている。
この奥に自分の望むものがあるかもしれない。はやる気持ちをおさえ、慎重に歩を進めると、ひらけた場所へ出ると、そこには土気色をした竜がよこたわっていた。
否、一瞬そのように見えたのは朽ちた老木だった。
大きい。まるで樹齢二〇〇〇年をこえた屋久杉のように長大な樹だ。
「この樹は……、龍穴の上にはえているのか?」
それならばなぜこのように枯れてしまっているのか。豊潤な気が流れ、あふれ出る地に根をはることができたなら、神樹霊木のたぐいとなり、緑豊かに生い茂るはずだ。げんにこのサイズまで成長できたということは良質の気を養分にしていたにちがいない。
KITIKITIKITI……。
くわしく見ようと樹に近づこうとしたとき、木のうろで影がうごめき金属同士がこすり合うような音があがり、そこから粘性のある糸が噴射された。
着衣者の動体視力よりも速く鴉羽が反応して回避をこころみたが、片足をからめ取られてしまう。
急速に力が萎える。糸にからまれた部分から霊力を吸い取られているのだ。
「せいっ!」
すぐさま実体化した飛車丸が搗割をふるって糸を断ち切ろうとするが、弾性のある糸には効果が薄い。
「ちっ、――ノウマク・サンマンダ・バサラダン・カン!」
飛車丸は即座に不動明王の小咒を素早く唱え、その呪力を搗割にのせて再度一閃。熱したナイフをバターに突き入れたときのように刀身が糸束に食い込み、両断した。
「हुं(ウン)!」
春虎の口から放たれた軍荼利明王の種字真言が気弾と化して襲撃者を叩きのめす。まともに食らい岩壁まで吹き飛ばされ、その姿があらわになる。
「虫!?」
襲撃者の正体は馬のように巨大な芋虫だった。蝶や蛾の幼虫を思わせる円筒形の胴体に丸い頭部と短い触角。小さな単眼が六個ならんで感情のこもらない光を浮かべている。
「KIKIKIIIッ」
大芋虫の眼と触覚の間から朱色の角のようなものが伸びた瞬間、猛烈な臭気が春虎たちの鼻をついた。
「ぐっ――!?」
吐き気がこみ上げ、目や鼻の粘膜に痛みが走る。あまりに強い悪臭はもはや〝臭い〟ではなく〝痛い〟と感じられる。
アゲハチョウの幼虫は興奮したり刺激を受けると頭から肉質突起と呼ばれる肉角を出して周囲に強い刺激臭をはなつが、この大芋虫にも同様の能力がそなわっているようだ。
「KISYAaaa―ッ」
ふたたび糸を吐き出す。だが先ほどの糸とはことなり、霊的な種類のものだった。悪臭によって反応が遅れた飛車丸の身体に常人には目視不可能な霊気の糸がからみつき、その自由をうばう。
それだけではない。精神を侵し、支配し、本人の意思とは関係なく肉体をのっとり、あやつろうとするのが飛車丸にはわかった。
搗割の刃が春虎へとむけられる。
「この……、虫けら風情が、図に乗るなァァァッッッ!!」
最愛の主を自身の手で害させようとするその所業に飛車丸の怒りが爆発。
おのれを拘束し、あやつろうとする霊糸を強引に引き千切り、呪的拘束をぶち破る。
しかし力まかせの強引なやりかたは霊力にかかる負担も大きい。まして飛車丸は人としての肉体をもたない霊的存在だ。
生身の人間ならば激しい呪術の使用などで急激に霊力を失うことがあっても気絶するだけで死にはいたらない。状況によっては廃人になる可能性もなくはないが、その確率はきわめて低い。
だが飛車丸にとって霊力はおのれの存在維持に直結する生命力そのもの。霊的安定をたもつためにはきちんとした解呪法をこころみるべきなのだが、激昂した彼女はそれをいっさい無視した。
全身におびただしいラグを走らせ大芋虫に迫り、その肉角を叩き斬る。
「SYAaaaッ!」
大芋虫もまた頭部にラグを走らせ、苦痛の叫びをあげながら大量の糸を吐き出す。
またことなる種類の糸だ。最初の捕獲や霊力奪取、その次の操作を目的とした糸ではない。
一本一本が剃刀のように鋭利な糸が広がり、投げ網のように飛車丸を覆おう。これにからまれば全身をずたずたに切り裂かれてしまうことだろう。
だが飛車丸は実体化を解こうとはせず、修羅の形相で猛然と斬撃をくりだした。
「刀剣槍矢はこの十字の外に在り、人たる者は中に在る。禁矢刃!」
掌に指で『刃』という文字を一〇回書いた春虎がそれを飛車丸にむけ、呪を唱えた。
春虎の呪力が飛車丸をつつみ、護る。
刃の糸は飛車丸を切り裂くことができずにガリガリという硬質の音を立ててはじかれ、その身にかすり傷ひとつ負うこともなかった。
これは掌決とよばれる呪禁師がもちいた術の一種で、掌に文字を書くことで対象を避ける効果がある。たとえば山に行くなら『虎』や『蛇』、海や川なら『竜』と書くことで、行き先での災いを避けることができるという。
こんにちでも緊張したときに掌に『人』と書いて飲み込む仕草をすると緊張がほぐれるという〝乙種〟の存在があるが、これなどは現代に残る掌訣の名残だろう。
春虎は矢や剣や槍のように切ったり刺したりする攻撃を無効化する呪を飛車丸にかけたのだ。
防御力のあがった飛車丸は守りを捨てて全力で攻撃に専念。春虎は数歩さがった位置で戦況を見る。
護法を前衛に出し、術者は後衛にまわる。護法式をもつ呪術者の基本の隊列だ。
「ひふみよいむね、こともちろらね、しきるゆいとは、そはたまくめか!」
さらに後衛からの呪術による攻撃。蟇目神事の祝詞を唱えて左手を突き出し、右手を引きしめる弓を引く動作をして呪力の矢を射出した。
「KI、GIGIII……ッ」
呪力の矢は的を外すことはない。大芋虫の胴体に大小無数の風穴が開く。
さんざんに斬られ、射られ、焼かれ、凍てつかされる。主従の攻撃の前についに大芋虫は永久に動きを止めることになった。
「ふぅ……、けっこうしぶとかったな」
「おケガはありませんか、春虎様!?」
「おまえ、人の心配よりも自分の心配をしろよな! まったく無茶しやがって……」
春虎は全身ラグまみれで明滅をくり返す飛車丸の身体を強く抱きしめた。
「ハひゃあっ!? ハ、ハ、ハ、春とラ様ッ!?」
まったく予期せぬ展開に木の葉型の尻尾が大きくふくらみ、毛が逆立つ。
「動くな。身固めするぞ――」
そう言って呪を唱えはじめる。
身固めとは文字通り身を固めて災いや穢れから身を守る呪法で、同時に心身を癒し健康にして魂が肉体から剥離しないように体を抱えるようにしておこなう一種の鎮魂法だ。
『宇治拾遺物語』のなかに式神に打たれた蔵人の少将を救うため、安倍晴明が少将の身をひと晩じゅう抱きかかえて呪を唱え、式を返す逸話がある。
物質的な肉体をもたない霊的存在である飛車丸には一〇〇枚の治癒符を貼りつけるよりも効果のある治療法だった。
「――甲上玉女、々々々々、来護我身、無令百鬼中傷我、見我者以為束薪、獨開我門、自閇他人門――」
強く抱きしめたまま春虎の両腕が上下して飛車丸の全身をなでまわし、霊力の流出をおさえる。
春虎の体温がつたわり、その口から呪がつむがれるたびに吐息が耳をくすぐる。
(ああ……、春虎様!)
愛おしい。
思わず抱き返したくなる衝動を必死におさえる。これは治療なのだ。主は、春虎様は恋慕の情を抱いて抱擁しているわけではない。これはそのような行為ではないのだ……。
そっと目を閉じた飛車丸のまぶたの裏につややかな黒髪の少女の貌が浮かんだ。
土御門夏目、主たる春虎の想い人。
春虎は彼女を取り戻そうとして陰陽庁に弓を引いた。飛車丸もそのことに異論はない。一刻も早く彼女を取り戻して欲しいと思っている。夏目は飛車丸にとっても友なのだ。
だだ、そのとき自分は――。
涙ぐみながらもくったくのない笑顔を浮かべて手をのばし、春虎にしがみつく夏目。おなじく目を潤ませて固く抱きしめる春虎。
そんな光景を思い浮かぶ。
目を閉じたまま飛車丸はこぶしを強くにぎった。やるせない想いが胸の奥底でチクリチクリと疼く。
「――よし、これで霊気は安定したはずだ」
身固めをした時間は三寸の線香が燃焼する程度のものであったが、飛車丸の感覚的には一夜にひとしかった。
長いようで短い一夜。このまま主に抱かれたまま永遠に時が止まってくれたら良いと、本気で思えたわずかなあいだ。
「無茶するなとか言ったけど、無茶させちまったのはおれなんだよな。いまの身固めで確信した。飛車丸、おまえ霊気が安定してない」
「…………」
「あのとき、無理に封印を解いたからだろ?」
あのとき、というのは今から一年前の夏。春虎が陰陽庁とたもとを分けた夜の戦いのことだ。〝叛徒〟たる春虎の前に一二神将の一人が立ちふさがり、その者との激しい戦闘で飛車丸は強引な封印解除を余儀なくされた。
「なぁ、せめてコンに――」
「私はこのままの姿で春虎様の近くにいたいのです」
「でも……」
「この姿で、いさせてください」
「……そうか、わかった。でももうあんな、いまみたいな無茶は禁止な。そのときは問答無用でコンにもどすぞ」
「はい、お気遣いいただきありがたき幸せ。ですがご心配にはおよびません。飛車丸は二度と春虎様の懸念となるようなまねはいたしません」
「ああ、たのむぜ」
やがて大芋虫の死骸からもやのようなものが立ち上がり、気化がはじまった。
霊災は霊的存在なので死亡しても骸は残らない。もっとも霊災はなにかを核にして実体化するものなので、たおしたあとにその核が死骸となって出てくることはある。 鬼などのタイプ・オーガをたおしたさいに人間の死体が出てくる例がある。
「こいつはタイプ・ワームか……。芋虫みたいな動的霊災なんておれもはじめて目にする固体だな。…
ん、いや、まてよ。虫? ひょっとして常世神か?」
常世神。大化の前年、富士川に住む大生部多が橘や山椒につく蚕に似た虫を神と称し。これを祀れば若返り、財産も得られる。などと吹聴してまわり、人々を惑わした。
「ここは富士川に近い。いにしえの常世神だとしたら、おれたちは神様を殺しちゃったわけだな」
「神といっても新興宗教のでっちあげた偽りの神です。それを屠ったところで私たちが気にかける必要はありません」
「新興って…、一四〇〇年近くも前に生まれた宗教だぜ。すぐになくなっちゃったけど」
常世神信仰は都にまで広がり、人々は虫を採ってきては祀り。財産を棄捨して幸福を求めたが利益はなく、被害者が続出した。それを見かねた山城国の秦河勝という豪族に大生部多は討たれ、常世神信仰は途絶えたとされる。
ふとS教団のことが春虎の脳裏をよぎる。どちらもこの土地で発祥したつごうの良い奇跡をうたう新興宗教だが、なにか関連があったりするのだろうか。
「うん?」
大芋虫――常世神の死骸が完全に朽ちたあと、そこに赤子のこぶし大ほどの赤茶けた木の実が残っていた。おそらく常世神の形代だろう。
手に取りじっと見つめる。
「常世神……常世の国……不老不死の……。これは、まさか非時の実か!」
古事記や日本書紀の時代。ときの帝だった垂仁天皇は配下の田道間守を常世の国に遣わして非時香菓と呼ばれる不老不死の霊果を持ち帰らせたという伝説がある。
この非時の実という霊果の種から芽生えた木はやがて『たぢまもりの花たぢの花』すなわち橘と呼ばれるようになったという。
「田道間守が非時の実を持ち帰ったときにはすでに垂仁天皇は崩御したあとで、彼はその実の半分を垂仁天皇の皇后に献上して残りを垂仁天皇の御陵に捧げたって話だが、それがどうしてこんな場所に……。多嶋と田道間……、どっちも読みが一緒だけどこれは偶然か?」
「…春虎様、この手の推論は早乙女が得意かと」
「……そうだな、明日にでもすず先輩を連れてきて見てもらうことにしよう」
飛車丸のこともある。これ以上の調査や探索はひかえて、きた道をもどって外へと出たとき、校内をつつむ異様な妖気を感じた。
なにものかの悪意に満ちたよこしまな呪力がただよっている――。
ページ上へ戻る