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東京レイヴンズ 異符録 俺の京子がメインヒロイン!

作者:織部
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万聖節前夜祭 3

 陰陽庁修祓局。
 この局には霊災を修祓する霊災修祓室のほか、霊災の感知を担当する情報課など様々な専門部署が存在し、霊災修祓室に属する陰陽師は祓魔官と呼ばれ、おもに霊災の修祓任務にあたる。
 十月三十一日の夜。都内を中心に同時多発した霊災を修祓するため、祓魔官のほとんどが出動していたが、それ以外の部署に属する者たちは比較的平和な時間を享受することができた。

「国営放送も民間放送も霊災関連のニュースばかりだな」
「あたりまえだろ。まだフェーズ4は確認されてないが、どこもかしこもフェーズ3だらけだ。範囲だけなら上巳の大祓以上だぜ」
「そういや今夜の霊災はなんて命名されるんだろうな」
「ハロウィンだし、欧風の命名がされたりしてな」

 庁舎食堂内に複数設置してあるTVの前で人の山を作り、ニュース番組に見入っているのは開発研究部や呪捜部の中でも鑑識課といった『実戦向きではない』陰陽師たちだ。

「お、CM入ったぞ。別のチャンネルにまわせ」

『ウハウハで行くか?』
『ザブーンだな!』

「ん、なんだ? この局は、こんな時でも映画なんか流しているぞ」
「ああ、テレビ大江戸だろ。ここは昭和天皇が崩御された時も通常放送だったからな」
「ぶれない放送局もあったもんだ」

 などというのん気なやり取りができたのも、その時までだった。

『庁内で作業中のみなさんにお知らせします。防瘴戎衣を着用し、庁舎前に整列してください。これは演習ではありません。繰り返します。防瘴戎衣を着用し、庁舎前に整列してください――』

 非常招集を告げるアナウンスがスピーカーから流れ、たちまち騒然となる。

「おいおい非常招集って、マジかよ!?」
『マジです』
「わっ、アナウンスが応えた!」
『ここは陰陽庁です。壁に式神、障子に式神。あなたたちの声は筒抜けです。隠しごとなどできません』
「ううっ、これは素直に招集に応じなければあとが怖い……」

 観念して庁舎前の広間に集まった職員たちの前に、大型の外輪のついた楼船が陸を走り、姿を現した。
 否、楼船のような造形だが船ではない。船首部分と船尾部分に巨大な車輪がつけられ、マストの代わりに護摩壇がしつらえてある。
 陰陽庁が誇る一両十億円の可動護摩壇ヴリティホーマ。
 全長二十メートル、護摩をふくめた全高は十五メートル。呪術によって強化された装甲は木造の見た目よりもはるかに堅固な造りとなっている。五行砲を始め数種の呪具が装備された、対霊災用の『戦車』だ。

「おい、まさかあれに乗って修祓しに行けってんじゃないだろうな」
「霊災の修祓もヴリティホーマの運転…、じゃなくて操縦なんてできないぞ。おれはただの広報だ」
「おれだって人事部だぞ、現場組じゃない」
可動護摩壇の出現にいっそうざわめきが強くなる。
「諸君、静粛に」

 おだやかで、それでいて力強い響きの込められた発せられたとたん、あたりの喧騒は水を打ったかのように静まりかえった。
 一言、たった一言で場の空気を支配した主が職員たちの前に進み出る。
 砲に袴、石帯の束帯姿。陰陽師の正装をしたその人物は、そこにいるだけで周囲の人間に緊張を強い、厳粛にさせる、威圧的な気に満ちていた。
 陰陽庁長官兼祓魔局局長。十二神将の筆頭にして当代最高と謳われる国家一級陰陽師。倉橋源司その人だ。
 倉橋の後ろには僧形の、袈裟を着た法衣姿の宮地磐夫がひかえている。
 最高と最強の陰陽師が、そこにいた。

「これより大元帥法をとりおこなう」

 !?ッ

 声にならないざわめきが聴衆の間に広がる。
 大元帥法。大元帥明王アタバクを本尊として、おもに朝敵や外寇の調伏。国家安泰を祈ってされる、極めて強大な修法。本邦の歴史上、最後にこれがとりおこなわれたのは太平洋戦争末期にまでさかのぼる。
 それを今おこなおうというのだ。

「諸君ら一人一人の呪力をこの倉橋源司にあずけて欲しい。そうすることで大元帥法は完遂し、この未曽有の霊災を修祓することができる」

 続けて作戦の説明をする。都内で暴れる百鬼夜行は霊脈を利用して神出鬼没の移動をくり返しているため、動きがつかめない。そこで大元帥法の力によって霊脈の動きを制御し、一か所に集め、宮地磐夫の火界咒によって一掃しようというのだ。

「なおこの場にいる呪捜官は全員ヴリティホーマに搭乗し、東京都庁舎で祓魔官たちと合流。彼らとともに火界咒をおこなう宮地室長の護衛につくように」

 こんにちにおける陰陽師の第一の任務は霊災の修祓だ。呪術犯罪が専門の呪捜官ではあるが、陰陽二種の習得者ならば霊災に対する最低限の呪術を身につけている。
 戦える者は前線に、そうでない者は呪力の提供というかたちの後方支援。この配置は妥当といえた。

「風水において塔とは木気の性質を持っている。火木生、都庁でおこなわれる宮地室長の火界咒は常よりいっそう強力なものになるだろう」

 もとより不動明王の申し子、炎魔の異名で呼ばれる火炎術の達人の術が相生効果でさらに強まる。そのことに集まった人々は慄然とした。

「さらに東京都庁の上部、二つにわかれた塔をもちいることで強力な霊的音叉効果を生じさせることでも呪力が大幅に増幅されることだろう。もはや神すら焼却できよう」

 おおー。

 人々が良い意味での動揺に打ち震える中、宮路は髭の奥でこっそりと苦笑した。

(おいおい局長。仏さんの術で神を焼くとか、物騒なことは言わないでくれよ)

「おのおのが全力を出せば負ける要素など微塵もない作戦である。この倉橋源司の首をかけてもいい。われら日の本の呪術師、国家を護り民人を救う陰陽師の腕の見せ所だ。後世の人々の物笑いの種にならぬよう、各員奮起すべし!」

 倉橋源司は決定したことを伝え、それを実行に移させた。それ異を唱える者も、さえぎる者も、この場には一人もいなかった。





 異界。
 京子は風の流れを読んで帆を立てるように、潮の流れに竿をさすように、霊脈を見て、その流れに合わせて百鬼夜行の群れを誘導する。
 霊脈から霊脈へと、決して力づくではなく巧みに移り歩いていた。

「まずは原宿。それから三軒茶屋、六本木、下北沢、恵比寿、また原宿の順に廻ってくれ」
「……いいけど、その順番になにか意味でも……て、五芒星?」

 渋谷を中心にした五つの街。それらを結んだ線が五芒の形を象る絵が京子の脳裏に浮かんだ。

「この怪異。夜明けとともに消滅するとは思うが、念のため修祓する準備はしておこうと思ってな」
以前、犬神筋の呪術師に使った北斗七星陣のように、陣図をもちいた呪術はおうおうにして強力だ。秋芳はセーマン陣を敷き、いざという時はそれで百鬼夜行を修祓しようというのだ
「ねぇ、その時はやっぱりあたしが祓うの?」
「そうしてくれ、さすがにこの式神越しじゃあいつもみたく術は使えないからな」
「これだけの数を修祓するとなると、大変よねぇ……」

 ちらりと後ろを顧みれば、いるわいるわ異形の群れ。ハロウィン仕様の動的霊災が雲霞のごとくひしめいている。

「あれにしようかしら、それとも……」

 先導する魔女が自分たちをどう修祓するか、どんな呪術を使うかを考えているとは露ほども思わず、小躍りし談笑しながらついてくる魔物たちを見ると秋芳は少し気の毒になった。

「苦しまず強力な呪で祓ってやれ。この前教えた尊勝陀羅尼の調伏法を使おう」

 尊勝陀羅尼。帝国式陰陽術に数ある陀羅尼の中でも至高とされる尊勝仏頂陀羅尼。この真言を唱えることによって滅罪生善、無病息災、身心健全などなど。多くの利益が得られるとされるが、特に魑魅魍魎の類に対して非常に有効な真言で『今昔物語』に遭遇した男が尊勝陀羅尼の札を身につけていたおかげで難を逃れたという話が載っている。

「あれならバッチリよ。もっともあんまりこの子たちに使いたくはないんだけど……」

 霊災を『この子』呼ばわりである。みずからも魔女の装いをし、ハロウィンの空気になじんでいるからそのような気持ちになるのだろうか。

「なに、俺の予感では夜明けとともに消え去る。ほぼまちがいない」
「秋芳君の予感って、あたるの?」
「この予感はあたる。そんな予感がする」
「またてきとうなこと言ってる~」

 そんなやり取りをしているうちに気の流れが早くなった。
 遠くに小さな光が、うつし世につながる穴が見える。
 魔物たちの間から歓声が上がり、どんちゃん騒ぎへの期待がふくらむ。その興奮は京子たちにも伝わってきた。

「来た! 行くわよっ!」
「おう!」

 百鬼夜行を従えて、うつし世へと踊り出た。





 陰陽庁が燃えている。
 いや、燃えているのではない。屋上の巨大な鳥居の奥にしつらえたかがり火が燃え盛っているのだ。

「アシャアシャ・ムニムニ・マカニムニ・オウニキウキウ・ムカナカキウキウ・トカナチコ・メカナチタナチ・アタアタ・ナタナタ・リウツ・リウツ・キウキウツル・キニキニキニ・イリマリマ・クマ・キリキリキリ・キリ・ニリ・ニリ・マカニソバカ――」

 陰陽庁それ自体を巨大な護摩壇に見立て、火を焚いている。煙が空へと昇る中、数十人の誦経の声がものものしく響きわたる。
 陰陽庁に残された一般職員の多くは真言を解さない。意味もわからず渡された経文の文字をそのまま読み上げているだけだ。だが、だからこそ雑念もなく一心不乱に唱えて、力も生まれる。
 護摩壇の前、供養印を結び、職員たちと同じ真言を唱える倉橋源司のもとに呪力が集まる。
 大元帥法。古くは平将門や藤原純友の起こした承平天慶の乱。元寇のさいにもちいられ、太平洋戦争末期に金剛峰寺でおこなわれたこの呪法の効果で時のアメリカ合衆国大統領、フランクリン・ルーズベルトを呪殺したとも伝わる。
 これは土御門夜光が呪術を現代に復活させる直前の話だ。もし夜光その人がこの呪法を執り行っていたら、日本は連合国に勝利した可能性もある。そのくらい強大無比な呪術なのである。

「アシャアシャ・ムニムニ――」

 呪力が高まるにつれ倉橋源司が唱える真言が、いよいよ高まってくる。
 ゆらりと、彼の身体から陽炎が立ちのぼった。大気のゆらめきではない、霊気のゆらめき。
 やがてそれは大地へと流れ、地下深くへと浸透する。東京の霊脈を御すべく、その触手を伸ばし始めた――。





 新宿都庁が燃えていた。
 こちらは比喩ではく、本当に燃えている。ただし呪術の炎で。
 燃え盛り、煌めく炎の壁。炎の塔、炎の城、炎の剣、炎の槍、炎の矢、炎の竜、炎の巨人、炎の獅子、炎の巨人――。
 不動明王の眷属が次々と顕現し、その威光を世に知らしめているようだった。

「ノウマク・サラバ・タタギャテイビャク・サラバ・ボッケイビャク・サラバタタラタ・センダ・マカロシャダ・ケン・ギャキギャキ・サラバ・ビギナン・ウンタラタ・カンマン――」

 都庁のツインタワーにはさまれて宮地が唱えているのは金剛手最勝根本陀羅尼。密教の調伏呪術の火界咒だ。ただただ一心に火界咒を念じ、唱えている。
 一才の魔軍を焼き尽くし三千世界を焦土と化すとされる不動明王の火界咒。
 それを一人で唱え続ける。倉橋源司のように大勢の力を借りず、ただ一人で。
 準備はととのった。あとは百鬼夜行が出て来るのを待つだけだった。





『Trick or Treat!』
「ひゃーっ、どうか命ばかりはお助けを!」
「きゃー! お菓子ならあげます」
「ひーぅ! 柿ピーはお菓子にはいりますか!?」

 狼狽しつつもお菓子をさし出す人は意外と多いのはまさにハロウィンが日本に定着した証左なのだろうか、もらう物をもらえばいたずらはできない。最初とその次のパーティー会場ほどにはぶっ飛んだ乱痴気騒ぎにはならなかった。六本木に行くまでは。
 直立した棺桶を思わせる外観の六本木にある高層オフィスビル。集合住宅、ホテル、テレビ局、映画館、美術館などの文化館。その他さまざまな商業店舗などで構成されている超大型複合施設。
芸能界の大物やトップミュージシャン、若くして成功した企業家といった人々が数多く居住する高所得者の象徴のような建物。
 そんな場所のそこかしこで霊災が猛威を奮っていた。
 陰陽庁からの再三にわたる避難勧告を無視して『自分だけは安全』という根拠のない自信のもと、建物内に居すわっていたセレブリティの方々が狂乱と狂騒の坩堝に巻き込まれる。

「なにをするだァーッ!」
「まあーああぁ、まあああーあぁ」

 京子は魔物らに人を傷つけるような悪戯をきつく禁じたあと、以前からこの建物自体に興味があったということもあり、同ビル内にある美術館へ散歩がてらに足を運んだ。
 だが今は聞いたことのない名前の現代美術家の個展がひらかれており、いささか残念な気になった。

「あたし現代美術の良さってさっぱりわからないわ。なんでこんな気味の悪い人形がアートなの?」

 自分の母乳で縄跳びをしている等身大の美少女フィギュアを見て素直な感想を口にする。

「これはなんだろうな、多産や豊穣の象徴と見えなくもないが。……まぁ、現代美術ってやつは既存の概念にとらわれない表現を目指した結果、ただたんに奇をてらっただけなんじゃないか。てしろものが多いよな」
「もっと普通の美術展なら良かったのに。……あたし、クロード・モネと東山魁夷の絵が好きなの。なんて言うか、二人ともすごい優しい絵を描くのよ。構図もおだやかだし、見てると落ち着くわ」
「俺は歌川国芳が好きだな」

 江戸時代末期の浮世絵師、歌川国良。数多くの作品を世に生み出した人物で、秋芳は江戸っ子らしい反骨精神が込められた『源頼光公館土蜘作妖怪図』が好きだった。
 この作品、平安時代の武士、源頼光と配下の四天王による土蜘蛛退治をテーマにしたものと思いきや、幕府の弾圧を風刺したものになっている。
 国芳はほかにも美人画や役者絵などが禁止されたさいに動物を擬人化したキャラクターを描き「これは人ではなく動物ですがなにか?」などとそらっとぼけたりもした。
 今のエロ創作家たちの「これは幼女じゃなくてなん百年も生きている大人のエルフです」「これは人じゃないです、ケモノです」というような理屈をすでに実践していたのだ。
 とうぜん幕府からは目をつけられ、なんども尋問されたり罰金を取られたりされたが、最後まで反骨をつらぬいた。
 命がけのエンターテイナーである。現代の創作家たちも見習って欲しい。
 ゴッホの『夜のカフェテラス』、フェルメールの『合奏』、井上直久の『イバラード』シリーズ――
たがいの好きな絵についての感想にはじまり、絵画と呪術の関連性などを語り合いながら広大なフロアを歩いていると、一軒のバーを発見した。

「バカラバー? ……グラスもシャンデリアも調度品も、みんなバカラクリスタル製かよ。ブルジョア臭ぷんぷんさせやがって!」
「べつにいいじゃないそのくらい、あなただってどっちかっていうとブルジョア側の人間でしょ? 名門賀茂家の人なんだから。もっと鷹揚にかまえなさいよ。それより、ねぇ。ここのお店、お洒落だしちょっと見てみましょう」

 店内はうす暗く外の夜景が良く見えた。ゆったりと座れそうな大きめのカウンター席にソファ。実にオーセンティックなスタイルのバーだった。

「わー、すてき! すっごい良い雰囲気……」
「まぁ、内装と外観の趣味の良さだけは認めてやるか。さて肝心の酒の品ぞろえは、と……」
「どう、合格?」
「普通だな。可もなく不可もなく、だ」
「ふ~ん……。ねぇ、秋芳君。あたしのどが渇いちゃった。なにか美味しいの作ってくれない?」
「おいおい、この身体でカクテルなんか作れっていうのか?」

 京子の肩にとまった秋芳カラスが羽を広げて自身の大きさをアピールする。

「作れないの?」
「いや、まぁ、作ろうと思えば作れるけど、シェイカーは振るえないから、そんなに本格的な味は期待しないでくれよ」
「それどもいいわ。作ってちょうだい」
「はい。うけたまわりましたよ、お姫様」

 カラスの身から一時的に小人の影法師に変わった秋芳はジン、ラム、テキーラ、ウォッカ、ホワイトキュラソーにコーラとレモンジュースをくわえてステアしたあと、クラッシュド・アイスをたくさん詰めたバカラのコリンズ・グラスにそそいだ。
 ロングアイランド・アイスティーのできあがりだ。あまりアルコールに強くない京子のために、コーラとレモンジュースは多めにしてある。
 紅茶を一滴も使わずに紅茶の風味と色を再現した不思議なカクテルが京子ののどを潤す。

「んー、美味しい!」
「今はそれ一杯にしとけよ」
「ええ、近いうちに生身の秋芳君お手製のカクテルをいただくわ」

 それからほろ酔い気分であちこちを見て周っていた京子だったが、空間の広さと蔵書数だけは無駄にあるライブラリーのすみで体中にあざを作った半裸の少女がむせび泣いているのを発見し、一気に酔いがさめた。
 聞けばバイト先の店長からセレブの秘密パーティーをやるといって誘われ、多額の報酬を提示されたのだが、いざ行ってみたら乱交と薬物の服用を強要され、断ったらさんざん殴られたので必死になって逃げてきたというのだ。
 ハロウィンのいたずらではすまされない。自分は陰陽師で呪術の心得があると言って、おびえる少女を安心させ、無法のおこなわれた部屋へ案内させる。
 館内ホテルの上層にあるセミスイートの一室。
 京子が部屋をノックしてドアスコープにむけて胸もとをちらりと見せると、すぐにドアが開いた。
 部屋の中からよどんだ空気が流れてくる。甘く、それでいて不快な臭いがツンと鼻をつく。

「ブラン・エ・ノワール。サンクシオン!」

 京子の護法式である白桜と黒楓が召喚される。もとより日本の鎧武者と西洋の甲冑騎士を足して割ったような姿形をしていた二体だが、今回はカポーテをひるがえしたマタドールの格好をしていた。
 先ほどソルシエールという魔女を意味するフランス語の偽名をもちいたのに着想を得て、白桜と黒楓もハロウィン仕様の仮装をほどこしておいたのだ。
 一瞬、とは言わないが、ほんの一・五瞬ほどで三人の若い男たちが床にキスすることになってしまった。一人は鼻血の噴き出る顔を押さえて床をころがり、一人は股間を押さえて口から泡をこばして悶絶し、一人は胃液を逆流させて全身をひくつかせていた。

「ちょっとやりすぎちゃったかしら……?」
「気にすることはない、数人がかりで女の子を痛めつけるようなクズには自業自得だ。それに意識があると見張っておく必要があるから気絶させとくのが妥当だろう」
「ひぃぃぃーッ!?」

 部屋の奥にいた四人目の男が腰を抜かして後ずさる。
 部屋には注射器やスポイトやパイプ、白い粉や香草の入った袋が散乱していた。秋芳はカラスの身にもかかわらず床に落ちていた携帯端末を器用に拾い上げ、中のデータを確認した。男たちが少女に暴力をふるうさまが撮られていて、男たちは楽しそうに笑っている。

「麻薬取締法違反、および婦女暴行の現行犯で逮捕だな」
「逮捕って、お、おまえたちは警察なのかよ!?」
「いいえ、ハロウィンの魔女よ。二度と女性に悪さをできないように、不能の呪いをかけてやろうかしら。それとも物理的にちょん切られたい?」
「ひぃっ」

 京子が男をおどかしている間に秋芳は服をかきまわして身分証やクレジットカード類を調べた。

「ここに住んでいるのか。実に裕福そうだな、職業はなんだ?」
「マルチクリエイティブミュージシャンだ。音楽と映像と演劇と詩の完全なる融合を目指して創作活動をしているアーティストでクリエイターでタレントだ。現代の吟遊詩人だ」
「ゴールドカードを何枚も持っているアーティストねぇ。おおかた成金の道楽息子が、いい歳して臆面もなく親のすねにかじりついて穀を潰してるんだろう」
「お、おれのダディは政治家や官僚に顔が利くんだ。おまえらこんなことをしてあとで後悔するからなっ」
「あとで後悔ですって? 後悔ってのはもともと先にするものじゃないでしょ。まともな日本語も使えないくせして、なにが詩人よ」
「クリエイターといったが、女の子を痛めつけたりするのがおまえの中では創造的な行為なのか? だいたい日本で一流と呼ばれるクリエイターの中でクスリなんぞやってるやつがいるかってんだ。そんなのに頼らなければ創作ができないってことは、二流三流の証拠だろうが」
「ぐぬぬ……」
「なにが『ぐぬぬ』だ。きちんとした言葉を発してみろ、即興で詩の一つでも作れないのか?」
「…………」
「魏の曹植は七歩歩く間に詩を作ったし、唐代の李白は一斗の酒を飲む間に百篇の詩を作ったそうだぞ。おまえはどうなんだ?」
「技能装飾? 東大海苔吐く? なんだそれは?」
「おまえさん、少しはものを知ってから創作活動を始めるべきだな」
「ねぇ、秋芳君。さっきの娘を治してあげたいんだけど、撫で物してもいい? あたしまだ傷を移すのって、やったことないから」

 撫で物。身体をなでた後に形代や人形をなでることで災いや穢れを移し、身代わりとして水に流す祈祷や禊ぎの儀式。厭魅に属する呪術でもある。

「そうだな、ちょうど良い機会だ。ためしにやってみようか」

 自分を痛めつけた男たちが無残にころがっている様を見て、少しは溜飲が下がったのか、少女は安堵の表情で京子の前に進み出た。

「怖がらないでね、あなたの傷を癒す儀式だから」
「……はい」
「形代に依りて傷を癒す。等しく害を返したり。疾く、疾く、疾く……!」
「うっ! うぎゃあッ! い、痛い。痛いぃぃぃィィィッ!!」

 少女の身体にできていた無残なあざが一つ、二つと消え。代わりにマルチなんとか男の身体に大小無数のあざが生まれた。
 人を呪わば穴二つ。これはなにも呪術に限った言葉ではない。他人を傷つけ、苦しめるような悪事を働いた者には、かならずや報いがあるのだ。
 念のため悪漢どもを縛り上げたあと、少女にお金とお菓子をわけあたえ、夜明けまでは建物の中から出ないよう、朝になったら警察に通報するよう言いふくめた京子は階下のホールで霊気が異常なうねりをしているのを感じとった。
 異界へと通じる穴が開いたのかと、そちらに向かう。
 だがそうではなかった。そこでは一人の祓魔官が霊災相手に大立ち回りを演じていた。

急急如律令(オーダー)!」
「ピギャー!?」

 祓魔官の行使した呪術を受けた骸骨や小鬼、シーツお化けなどの複数の魔物。ハロウィン霊災たちが激しいラグを起こして無へと還る。
 強い。
 ここの魔物たちは京子の命令で戦意がないということを差し引いても強い。この祓魔官はかなりの使い出だろう。
 そんな祓魔官と、目が合った。

「式神作成っ、急急如律令(オーダー)!」

 防瘴戎衣をきっちりと着込み、退魔刀を腰に下げた祓魔官の正装。そんな姿が実に絵になる壮年の男性祓魔官は京子の姿を見るなり攻撃をしかけてきたのだ。
 祓魔官の打った簡易式は四羽のカラスの姿となり、襲いかかってきた。二羽のカラスは低空を疾走し、二羽のカラスが上空から急降下する。

「バン・ウン・タラク・キリク・アク」

 京子は刀印で五芒星を描き、セーマンの障壁を展開。四羽のカラスは呪力の壁に衝突するとラグを生じさせて呪符へと戻る。直後、左右の空間でもラグが走り四体の大きな人影が現れる。
 うち二体は京子の護法式である白桜と黒楓で、先ほど同様にハロウィン仕様のマタドール姿をしていた。
 別の二体。分厚い鎧を着込んだ重戦士。剛健で無骨な姿は陰陽庁制護法式『モデルG1・仁王』だった。三メートル近い重量級の式神で、祓魔官の間でもっとも多用されるスタンダードなもの。呪術犯罪捜査部部長にして神扇の異名をもつ十二神将・天海大善はこの仁王をカスタマイズした金士と銀次という特製の護法式を使役していることで有名だ。
 カラスを象った簡易式による攻撃はおとり。本命は二体の仁王による挟撃だったのだが、京子は相手と周囲の霊気の動きを見て、隠形したままこちらにむかう仁王の気配を察知し、白桜と黒楓で迎撃したのだ。

「モデルG2・夜叉だと!? きさま、霊災ではないな!」

 甘い仮装とはいえひと目で京子の護法式の種別を見抜いたのはさすが現役の祓魔官といったとこか。

「この騒ぎはきさまの仕業か、おとなしく縛につけ! 急急如律令(オーダー)!」

 障壁に弾かれ地面に落ちていた呪符から植物のつたが生じて、京子を捕縛せんとのびる。
 一枚と見せて複数の呪符を打つ、簡易式に別の呪符を忍ばせる。祓魔官というより呪捜官の戦いに近い。この祓魔官は霊災修祓のみならず対人呪術戦にも慣れているようだった。

「溶かせ! 急急如律令(オーダー)!」

 さらに火行符による攻撃。これは京子が木行符による呪縛を金剋木で相剋することを予想しての行動であり、場合によっては木行符に相生させ、木生火による強力な炎による攻撃に切り替える狙いもあった。

「縛につけと言うが、やる気まんまんじゃないか」
「それだけあたしたちのことを強いって認めてるのよ、光栄じゃない」

 肩の秋芳とのん気に会話しつつ、京子の手は迅速に動き、指先が遅滞なくひるがえって印を結ぶ。
 祓魔官の表情が変わった。なにをするかがわかったからだ。
 京子の全身から放射状に呪力が吹き荒れ、つたをのばす木行符と後から打った火行符。さらには二体の仁王まで巻き込んでいっせいになぎ払った。
 まだ効果が持続していたセーマン障壁の術式を組み換え、強度をたもったまま空間から外して、たわめ。投網のように周囲に放射したのだ。
 攻撃的結界。
 さしもの祓魔官も結界をこのように使うとは予想外だったようで、驚きを隠せない。だがそれでもその行動に遅滞は見られなかった。
 結界に捕われた仁王の操作はあきらめ、自身の呪術に集中する。呪符ケースから惜しげもなく呪符を投擲。水行符の生んだ水流を吸収し木行符が巨木となり、巨木を燃やした火行符は巨大な火柱に変化し――。
 土行符を投入しようとしたところで祓魔官の身体が呪力による衝撃にのけぞった。五行の連環がとだえる。

「なん、だと!?」

 ふたたびの衝撃に姿勢をくずし後退を余儀なくされる。不動金縛りの術が連続して襲いかかる。祓魔官はそれが魔女の肩にとまったカラスからの呪術だと思った。使役式が主の援護をしていると思ったのだが、ちがった。
 魔女だ。魔女が呪文詠唱も手印もなしに、それどころか呪力を練る気配もなしに矢つぎ早に不動金縛りを放ってくる。そのぶん術の完成度は低かったが、ここまで連続してくると、もはや一つの巨大な呪だった。不動金縛りの弾幕陣だ。

「――オン・ビシビシ・カラカラ・シバリ・ソワカ」

 魔女が雑な不動金縛りを放ちながら、さらに本式の不動金縛りの術を行使したことは、さらに祓魔官を驚かせた。
 どのような術理を組めばそのようなことができるのか? どれだけの霊力があればこのような術の使い方ができるのか? 無数の呪に打たれ目の前で転法輪印、次いで呪縛印を結ぶ魔女の動きを止めることができないことに怒りとともに恐怖が込み上げてくる。
 眼前の魔女は人の姿をした霊災ではないのか!?
 次の瞬間、痺れるような衝撃が祓魔官を打ちすえ、身体の自由を完全に奪った。

「なかなか強い相手だったな」
「でも祓魔官を相手に呪術戦だなんて、われながら不良じゃすまないわね」
「なぁに今夜は祭りだ。このくらいなら無礼講のうちさ」

 戦いが終わるのを待っていたかのようなタイミングでホールの中央に穴が開いた。周りで呪術戦をおびえて見ていた魔物たちはわれ先にと飛び込んでいく。よほど怖かったのだろう。

「小隊長っ!」

 異界へと消える魔物にかわって制服姿の祓魔官たちがホールになだれ込んできた。

「おっと、これ以上の模擬戦は不要だ。とっととずらかろう」
「ずらかるって……。んもー、ほんとに悪い人みたいじゃない」

 京子たちも穴へと入る。 

「くそっ、ほんとに今夜の霊災は逃げ足が速いな」
「ヒット・アンド・アウェイのつもりなんだろうが、倉橋長官の儀式が始まったから、もうおしまいさ」
「あ、おい。小隊長が倒れてるぞ!」
「なんだって?」

 魔物が引き揚げ、駆け寄って来る部下たちの姿を見て安堵したことに対して、小隊長と呼ばれた祓魔官は恥じた。そして二度と無様な姿をさらさぬよう、いっそうの精進を重ねることを心に誓ったのだった。

 穴を抜けて異界。霊脈にもぐったとたん異変に気づいた。気の流れが異常なほどに激しくなっている。さっきまでのそれが小川のせせらぎだとすると、今のこれは逆巻く大河。アマゾン川のポロロッカのようだ。

「ちょ、なんなのよ。これ!?」
京子たちは霊波に翻弄され、どこかへと押し流されてゆく――。





 人造式に意識を集中していた秋芳の耳に遠くから歓声が聞こえた。
 スタジアムで応援していたチームが得点したさいに、人々が発する喝采。そんなたぐいの歓声。
 式のほうものっぴきならない状況なのだが、その歓声が妙に気になったので様子を見に部屋から出る。天岩戸神話の古来より、人の興味を引き付けるのは人のざわめきだ。
 食堂のテレビ前に寮生たちが集まり、興奮気味に語り合っていた。
 手近な一人に話しかける。

「いったいなんなんだ、この騒ぎは。街頭テレビで力道山とシャープ兄弟の試合を見ている人たちごっこでもしているのか?」
「そんなごっこ遊びねえよ! つうかいつの時代の話だよ! ……なんだよ、賀茂は知らないのか? 陰陽庁が霊脈をあやつって修祓するとか、すげぇことしてるの」

 霊脈をあやつる。その言葉を聞いた秋芳はすぐに自室に戻ってテレビをつけた。

『ウハウハで行くか?』
『ザブーンだな!』

「ええい、この非常時にL字テロップも出さずになにを放送してるんだ!」
普段はL字テロップに文句を言う秋芳が自分勝手なことを言ってチャンネルを国営放送に切り替えて、なにが起きているかを確認する。

「――まさか、こんなにも広い範囲に出現していたのか……」
 
 今夜出現した霊災について伝えるテロップが延々と流れている。
 自分らが現れた場所以外にも似たような連中が現れ、似たようなことをしているようだ。
 ハロウィン仕様の霊災は京子が率いている魔物たちだけかと思ったが、そうではないということを、秋芳はたった今知った。

「大元帥法に火界咒……。大盤振る舞いだな、おい」
 霊脈の変動はこの修法によるものだったのか。
 このままでは京子が火界咒に巻き込まれる。なんとかしなければ――。 
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