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ルヴァフォース・エトランゼ 魔術の国の異邦人

作者:織部
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魔術の国の異邦人 3

 
前書き
 原作小説『ロクでなし魔術講師と禁忌教典』10巻。
 本日発売! 

 
 ウェンディ=ナーブレス。
 不器用かつ少々どんくさく、肝心なところでドジを踏む――。
公爵家の令嬢を相手に面と向かってそのように評する人はいないが、実のところウェンディはドジっ娘だ。
 召喚した悪魔(?)が謎の放心状態になってしまったため、少し間を空けて夜にでも様子を見ようと決めていたのだが、夕食後に観に行ったオペラの余韻に浸っているうちにその日は就寝。
 次の日は商人ギルドの有力者を招いた晩餐会がいそがしく、自分が召喚した存在のことを思い出すこともなかった。
 次の日も、その次の日も勉学や雑務に追われたり趣味に没頭しているうちにすっかり忘れてしまった。
 彼女が地下室にいる被召喚者のことを思い出したのはミーアとの雑談中、 近ごろ帝都で流行している青少年向け小説について雑談している時だった。

「――そのツンデレ胸ぺったんの落ちこぼれ女の子が、使い魔として自分のパートナーを召喚する儀式で失敗してしまい、べつの世界から少年を召喚しちゃうんですよ」
「まぁ、悪魔や魔獣ではなく異世界から生身の人間を呼び出すだ、なん、て……」
「お嬢様?」
「あ」
「あ?」
「ああああ」
「ロトの血をひく勇者ですか?」
「ちがいますわ! あの地下室で呼び出したヘンテコな悪魔もどきのこと、わたくしとしたことがすっかり失念していましたわ」
「え? ええ~!? あれからもう一週間も経っていますよ、平気なんですかぁ?」
「ミーア。あなた、彼に食事とか用意してあげたりはしていませんの?」
「していませんよ~、そんなこと言われていませんし」
「あ、悪魔なら、悪魔ならなにも口にしなくても平気ですわ!」

 人間が飲まず食わずで生き延びられる限界は三日間だと、一般にはいわれている。
 口では悪魔と言うが、さすがにもう本物の悪魔だとは思っていない。大慌てで地下室へと急行する。
 干からびて死んではいないかと危惧していたウェンディの目に映ったのは浴槽に浸かりながらリンゴをかじり、読書をする秋芳の姿だった。

「遅い!」
「んまぁッ!?」
「遅い。糧食を絶って弱らせて言うことを聞かせようとでも考えていたのかも知れないが、遅すぎだ。死んでしまったら元も子もないぞ」
「誇り高きナーブレス家の人間はそのような卑劣なことはいたしません! あなたのことをきれいさっぱり忘れてしまっていただけですわ」
「いやぁ、それもっとたちが悪いぞ」
「そんなことよりも、いったいどこからこんなにたくさん持ってきたんですの?」

 なにもなかったはずの魔方陣の中には秋芳が浸かっている浴槽のほかにも大皿に盛られたパンやチーズ、葡萄酒の瓶。それに動物図鑑や植物図鑑などの百科事典類、旅行記や地図、偉人伝、歴史書、医学書、初歩の呪文書といった書物の類いが山と積まれていた。

「いったいどこからこんな……。まさか、アポート? あなた、悪魔ではなく魔神だったんですの?」

 ランプの魔神。ジンとも呼ばれ、封印されているランプを磨くことで現れ、呼び出した相手の望む物を魔法の力で取り寄せてくれるという。
 おどろきに目を見張るウェンディの視界に異様なものが映った。
 浴槽の影に毛のない猿のような生き物がじっとこちらを見つめている。

「インプ!」

 インプ。
 暗褐色の肌をした小型の妖魔で、体毛は無くコウモリのような翼とトカゲのような尻尾を生やしている。もっとも低級な悪魔の一種とされ、外道魔術師のなかには好んでこの奇怪な生物を使い魔にする者がいるという。最初にウェンディが呼び出そうとしていた悪魔こそ、このインプのような小悪魔だ。

「コール・ファミリア、で召喚したんですの……?」

 コール・ファミリア。
 あらかじめ契約をしている使い魔を召喚する呪文。使い魔の種類は術者次第で、ネズミや梟といった小動物や自己作成したゴーレムなども遠隔召喚することができる。

「コール・ファミリアってのは、ここに書いてあるやつか?」

 秋芳が手にした本のページをめくって指さす。本の題名は『初心者必読! ゼロからはじめる召喚魔法』。ウェンディが秋芳を召喚する参考にした、初心者向けの召喚魔法書だ。

「あ、あなた。それはわたくしのものですわよ!」

 秋芳に駆け寄り、その手から本を奪う。

「この本だけではありませんわ、ここにある物すべてわがナーブレス家じゃありませんこと? あなたインプを使って……」
「勝手に持ち出したのは悪かったな。だがこうでもしないと飢え死にするところだったんだ」

 そう言ってまたひとくちリンゴをかじる。

「このバスタブもそう。俺は戦後の日本、平成生まれの文明人なんでな。毎日風呂に入って身を清めないと、どうも落ち着かない。綺麗好きなんだよ」
「んまっ」
 
 相手が一糸まとわぬ姿であることに今さらながら思い当たり、赤面する。

「起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半。なんて言葉があるが、閉じ込められて狭い空間で食事と排泄と入浴をするのは不便極まりない。こんな羽目になったのもそちらのせいだ。一方的に責められる筋合いは――」
「わかりましたわ! わかりましたからまずは身体を拭いてなにか羽織っていただけませんこと? お話は、それからですわ」
「服をもらえるか? 着ていたやつは洗濯してまだ乾いてないんだ」
「ええ、かまいませんわ」
「ありがたい。ではついでに新しい葡萄酒も一本つけてくれないか? これとおなじやつがいい。実に格別の味だ」
「とうぜんですわ。それはナーブレス家が製造している逸品ですもの」
「口にふくんだ瞬間広がるラズベリーのような芳香、凝縮された果実味。紅玉のような鮮やかな色とのど越しの良さが癖になりそうだ」
「おーっほっほっほっほ、そうでしょう。あなた、舌はたしかみたいね。なんでしたら別のものも差し上げてあげましてよ。おほほほほ」
「最初に名乗ったが俺の名前は賀茂秋芳。悪魔でも魔神でもない。ただ少々まじないの類が使える。いや、使えた。ここに、この世界に来るまでは」
「そのようみたいですわね、現にこうしてインプを召喚していますもの」
「ちがう」
「これはあなたのインプではなくて?」
「俺は別のものを呼び出そうとしたんだがな……」





 秋芳が混乱していた時間はそう長くはなかった。
 とりあえず現状を受け入れて、できることをしよう。
 落ち着きを取り戻したあと、あらためて魔方陣からの脱出を試みたのだが、ほとんどの術は不発に終わり、まったく効果を現さなかった。
 神道系、仏教系、道教系、修験道といった宗教系は全滅。木火土金水、いつつの元素を源にする五行術も同様。
 
「この魔方陣は俺にしか、内部にいる者にしか影響をおよばさない。外から破壊できないものか」

 手持ちの簡易式を作成したところ、なんと発動できた。ただし、不完全な形で。

「なんだこいつは!?」

 デフォルトで組み込まれている影法師の姿ではなく、悪魔じみた奇怪な外見の妖魔インプ。
 なんどやり直しても変わらない。
 しかも呪力の消耗がやたらと激しい。本来の一〇倍以上の消耗を感じる。
 さらに式の操作、感覚の共有も困難だった。
 自身の手足のように操り、見たもの聞いたものを知り得るはずが、かなり集中しないとそれがままならない。
 まるで呪術を覚えたての頃に戻ったかのようだ。
 それでも式が作成できたのはありがたい。さっそく魔方陣の破壊を試みたのだが、ごくごくわずかに込められている退魔の力に阻まれて破壊はできなかった。
 もどかしさに焦燥しつつも外部との接点が持てたので水と食料を確保。ライフラインの維持ができたら次は情報収集。
 この世界のことを少しでも多く知るために書棚から何冊か本を借りて読む。

火素(フレメア)水素(アクエス)土素(ソィレ)気素(エアル)、……これがこの世界を司る根源素(オリジン)。パラケルススの提唱した四大精霊とほぼおなじか。陰陽五行が世界の根本である俺の世界とは根本から違う。世界の法則が異なるから呪術が使えないのか」
「だが気を読むことはできる。見鬼の力はなぜ無くならない? 周囲に満ちる五気はなんだ? ……これは、錯覚か? 本来ならば気素であるところを、俺の脳が木気か金気のいずれかだと認識している」
「見鬼のように生来備わっている機能は損なわれないのか? ではなぜ式を作ることができたんだ、しかもこんな不完全な形で。互換性……、この世界でも再現できる異能はある程度は再現可能なのだろうか」

 ふたたび混乱しそうになる頭を落ち着かせ、書を漁る。
 公用語らしい英字もどきは読めるのだが、それ以外はさっぱりだった。

「……召喚された時点で俺はこの世界にある程度は受け入れられている。だからこそ基本的な読み書きは可能なの、か……?」
「エルフ語、ドワーフ語、ゴブリン語、マーマン語、ケンタウロス語、下位古代語にこれは……魔法語? ルーンだと! エッダ詩に記されているものと同様のものか。だが、数が多い。俺のいた世界のそれよりも種類が豊富じゃないか!」

 ルーン。
 アイスランドの神話であるエッダに書かれた物語によれば、知恵の神オーディンはさらなる知識を求めて自らを生贄にして儀式をおこなったという。
 おのれの身を槍で刺したうえにトネリコの枝で首をつったのだ。
 九日九晩、彼の意識は冥界へおもむき、そこで秘密の文字を得る。それこそが魔力を秘めた文字、ルーンだ。
 ルーンは梵字など、人間の作った文字とは異なり、神々の手による神秘文字なのだ。
 秋芳のいた世界、ヨーロッパで使われている文字はラテン語とキリル文字、ギリシア文字の三種であるが、古代では多数の民族がそれぞれ固有の文字を使っていた。
 しかしそれらの文字はほとんどラテン語に席巻されて消えてしまった。
 ルーン文字もそのひとつであり、このルーン文字は二四文字からなる。
 ヴァイキングが使用した第二のルーン文字は一六文字からなり、こちらは解読も容易におこなわれているが、こちらは魔術関連のものではなく、ルーンの魔力解明には至っていない。第一のルーンにこそ真の魔力が隠されているのだ。

「これが、この世界の呪術。いや魔法、魔術、呪文か……」
「実に興味深い。かつて土御門夜光は西洋魔術と東洋魔術の融合を考えていたというが、これは、これを習得すればセイズ魔術やガント魔術すらも……」

 呪術者としての純粋な好奇心がむくむくと鎌首をもたげる。

「せっかく呼び出されたんだ、こいつは習得して帰らなきゃ損だぜ」

 魔法、魔術、呪術――。
 これらは真の力のひとつであり、一般人が忌み嫌って敬遠したり、金持ちや政治家が楽しい娯楽としてあつかったりするものではない。
 世界を形作り、命の創造と破壊をおこなうことにはそれなりの敬意を払い、研究するべきだ。
なによりも好奇心。
 未知なるものに対する純粋な好奇心を妨げることはできない。

「――というわけで魔術を教えてくれ」
「なにが『というわけで』ですの!」
「いや、今の説明通りだよ」
「魔術の修行がお望みならわたくしの通うアルザーノ帝国魔術学院がもっともふさわしいと言えますわ」
「ああ、そのへそ出し制服の……」
「おへそはどうでもよくてよ! ……こほん、ですが入学するには適性があるかの診断を受けてもらう必要がありますし、それに合格しても座学と実技。ふたつの試験がありますわ。なによりも身元の確かな方しか入れませんし、庶民にとっては高額といえる入学金も必要になりますの」
「なら後見人になってくれ。金はなんとか稼いで用意する」
「な、なんでわたくしがそこまでしなければなりませんのっ」
「相手の意思を無視して勝手に呼び出したあげく、路頭に迷わせるつもりか。それがこの国の貴族のすることなのか? 官位や爵位のない平民は動物といっしょで、その日の気分で拾い、その日の気分で捨ててもなんとも思わないのか」
「そこまで言っていませんわ! ……そうですわね、まずは使用人の末席に入れてさしあげますから、住み込みで働かせてあげますわ。そこで貴方の価値を示してくださらない? 信用できると判断したら入学の件を考えてあげますわ」
「いいとも、薪割りでも荷物運びでも芋の皮剥きでも、10フィートの棒を持ってダンジョン探索でもなんでもするぞ。――新しい生活に乾杯だ。……この葡萄酒はさっきのとは別だな。エスプレッソやチョコレートを思わせる香りが完熟した葡萄を感じさせる。ほどよい渋味と余韻の長い軽やかな口あたりが肉料理に合いそうだ」
「まぁ! 奇遇ですわね、わたくしもおなじように思っていましたの。なんならもう一本べつのものもお飲みになるかしら」

 こうして、賀茂秋芳のルヴァフォースでの生活がはじまった。
 
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