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東京レイヴンズ 異符録 俺の京子がメインヒロイン!

作者:織部
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奇門遁甲(乙種)

烏羽色をしたジャージを着た一団が草深い小道を上がっている。
陰陽塾の男子生徒達だ。手に手に呪符を持ち、いつでも打てるよう、周りを警戒して進んでいるのだが、そのうちの一人。先頭を歩いていた生徒がいきなり転んで悲鳴をあげた。

「おい、どうした!?」
「くそっ、穴だ!」

 三十センチほどの深さの小さな落とし穴に足をはめられ、転倒してしまったのだ。どうも雑草で巧妙に隠されていたらしい。

「ふんっ、こんな小さな穴、子どもだましだな。おれはこう見えてもサバゲー経験者だぜ」
「経験者なら見抜けよな」
「うるさい……、て、抜けねぇ!」

 穴の中にはゲル状の粘液が満たされ、それが固まり、彼の足をつなぎ止めているのだ。

「接着剤かよ、くそっ」
「トラップがあるってことは、秋芳はこの先にいるはずだ」
「よし、行くぞ! 昼飯一か月おごらせてやるんだ」
「お、おい待てよ。おれを置いてく気か?」
「秋芳を捕まえた後で助けてやるから、おとなしく――うわッ!?」

先行しようとした一人が、まったく同じ落とし穴にはまる。

「ま、ひとつだけとは限らないよな」
「ちょ、この道ヤバイって、迂回しようぜ」
「そうだな。悪い、二人とも後で助けに来るから、ちょっと待っててな」
 
 そう言い、薄情にも動けない友人に背を向けて、そこから離れ茂みの中に入る。と、その瞬間、足が細い縄を引っかけた。真横から丸太が振り子のように迫る。

「ひぃぃっ」
「どぅわっ」
「うわっ」

 一人がそれになぎ倒され、もう一人は木の幹に挟み込まれる。丸太には落とし穴に入っていた謎の粘液が塗りたくられ、それが緩衝剤の役目を果たしているようで、あたった生徒にケガはない。が、丸太の直撃を受けたという、その精神的なショックはかなりのものだった。

「ランボーかよ、おい!」
「助けてくれっ」
「おいおい、ここまでやるか? ちょっと洒落にならないぞ」
「助けてくれよっ」
「土御門チームに連絡だ。秋芳はこの山の上にいる。あいつらならきっと、きっとなんとかしてくれる」
「お、おう」
「動けねぇ~」
「夏目ならきっとなんとかしてくれる。それに倉橋もいるし……」
「助けて、助けて、助けて!」
「落ち着け! 今その助けを呼ぶから……、あ、もしもし。春虎か!? 決して走らず急いで歩いてきて、そして早くおれらを助けてくれ!」
「ボスケテ~」

 罠にはまった生徒達は混乱状態で泣きわめいていた。





 数日前。

「飛び級、ですか?」
「ええ、飛び級よ。秋芳さん」

 陰陽塾の塾長室。
 塾長である倉橋美代と、その孫娘の京子。それと賀茂秋芳がともにテーブルを囲み昼食をとっている。

「あら、秋芳さんのこれ美味しい。蕎麦粉かしら?」
「ええ、蕎麦粉のクレープで味噌をつつみました」
「京子さんの玉子焼きも美味しいわ」
「でしょう? 今日のは自信作だったんですよ」

 秋芳が以前から憧れていた『仲の良いクラスメイトと弁当の中身で料理勝負』を、最近は京子としているのだ。

「……で、飛び級の話ですが、はっきり言ってあなたの実力はプロ並です。今の呪術界はどこもかしこも人手不足でしょ? すぐにでも現場で使える人材が必要なの。そしてそれはここ陰陽塾でも同じ。講師の数が足りないのよ」
「陰陽庁の人材不足の件は前々から聞いてましたが、講師の数も足りないんですか?」
「ええ、そう。うちに巫女学科てあるでしょ。あそこは専属の講師がいないから、手すきの講師が代わる代わる教鞭をとってる状態よ」
「担任不在ってのはよくないですね」
「そうでしょ? で、秋芳さん。とっとと卒業してうちの講師になってくれないかしら?」
「いやいや、そんな簡単に講師になんて――」
「今すぐ講師になれば、京子さんと教師×生徒という禁断のプレイも楽しめますよ」
「ちょっ、お祖母様!? いきなりなにを言い出すんですか!」
「あら、京子さん。あなたの愛読している少女漫画にもそういうお話があったでしょ」
「ありましたけど、なんでそれを今ここで再現しようとするんです!」
「俺は自分が教師という立場より、相手の女性が教師というプレイのほうがグッときますね。女教師のきらいな男子なんていませんよ」
「て、こらーっ! なに言ってるの秋芳君!」
「あらあら、それって私を誘ってるのかしら? でも残念ねぇ、私があと三十歳若ければ……」
「お祖母様も乗っからないでください!」
「話しを戻しますが、あなたがたの二期上の四十五期生にも二年間で卒業した人がいて、その人は今プロの現場で働いてるわ」
「そりゃまたずいぶん優秀な人ですね」
「ええ、でもあなたも同じくらい優秀よ、秋芳さん。早期卒業。その後にうちで働くこと、今すぐ決めなくてもいいから、そういうことも考えておいてくださいね」





「俺が講師か……、正直、人に教えるってガラじゃないんだがな」
「あら? あなたはあたしの立派な『先生』じゃない。あたし秋芳君て教えかた上手だと思うわよ」

 昼食をすませて塾長室を後にし、廊下を歩く二人。

「それは生徒が優秀なんだ。一を聞いて十を知る。こっちがくどくど説明しなくても、すぐに理解して、実践しちまう。この前教えた雷法もすぐに身につけたしな」
「まだ初歩の初歩じゃない」
「でも凄い。難易度の高い雷の術を、ああも早くおぼえるとは流石だよ」
「だって、秋芳君。あたしに雷の術を使えて欲しいんでしょ?」
「まあな」

 雷の呪術は制御がむずかしく消耗も激しい。また他の呪術と異なり、使用した直後に結果が出る。やり直しや調整のきかない一発勝負であり、実戦で使用するには相応の覚悟が必要だ。如来眼に覚醒し、強力な霊力を得た今だからこそ、そのようにあえて危険な力を身に着けることで、つねに『強者の責務』を自覚することが必要だと判断し、雷法を伝授したのだ。

 さらにもうひとつ――。

「電撃でツッコミ入れろとか、あたしには理解できないわ…」
「恋人からビリビリ電撃喰らって『ダーリン、浮気はダメだっちゃ』て言われるのは男の夢なんだよ。いや、俺は浮気なんかしないから、なんかバカなことした時にそうしてくれ」
「う~ん、ダメ。やっぱりわけがわからない…」





 それから数日後。
 関東某所にある野外演習場に向かうバスに揺られる京子の姿があった。
 いつもの制服姿ではない。塾指定の白いジャージを着ている。
 隣に座っている天馬は黒いジャージ姿。ジャージの色も制服と同じく、男子は黒、女子は白に統一されていた。
 他のクラスメイトもジャージ姿で、にぎやかに雑談していた。バスは陰陽塾の貸し切り。クラス全員で移動している最中なのだ。二人を除いて。
 賀茂秋芳とその使役式である笑狸の姿が、そこにはなかった。

「秋芳君から連絡あった?」

 隣の天馬がそう聞いてくる。

「ええ、さっきメールがきたわ『塾長に頼まれたことがあるので先に行ってる』ですって。いったいなんのことなのかしら?」

 今日は普段のカリキュラムにはない野外実習。陰陽塾では一年の間は座学が中心で実技・甲種呪術の講義数は少なく、内容もごく基本的なものだ。中にはそれに飽きがきている生徒もいて、今回のような外での講義は良い気分転換になる。

「今日はみんな肩肘はらんと楽にしたらええで~、季節は秋。暑ぅない寒ぅない、良い陽気や。行楽や思うて、みんな楽しもう。あ、でも運動のできる、汚れてもええ格好でな」

 担任の講師である大友陣でさえこの調子なので、塾生たちも気を楽にしている。
 たしかに塾舎ビル以外の場所で講義というのは新鮮だし、クラスメイトたちとバスで遠出というのも楽しい。しかし妙な胸騒ぎというか、悪い予感のする京子だった。





 陽光がそそぐ緑豊かな草原。その名も戦場ヶ原。
 ところどころに丘陵があり起伏は激しく、どこか田舎のハイキングコースを思わせる。近くにキャンプ場があり、そこの林の中に開けた楕円形の広場に塾生たちは集まっていた。

「は~い、みんな注目。今日はこれから特別講師の賀茂秋芳クンに講義を一席もうけてもらうで。ほな秋芳クン、バトンタッチや」
「はい、大友先生。それではみなさん、さっさくですが授業を始めます。今日は陰陽道の歴史と、乙種実技について学んでみましょう。野外活動ということで開放的な気分になりがちですが、陰陽塾塾生としての自覚を忘れず、気持ちを引き締め、節度ある行動を守ってくださいね」
「ちょっと待ったーっ!」
「はい京子君、質問は挙手してから」

 律儀に手をあげ直してから、前に出て大友と秋芳に食ってかかる京子。

「これはどういうことですか? なんで秋芳君が講師の真似事なんか…」
「うん? 塾長や秋芳クンから聞いてないん?」
「聞いてませんっ」
「んー、ほならみんなも聞いてや。知ってのとおり秋芳クンは成績優秀、学年では夏目クンと双璧を成して。いや、京子クンも入れての三羽烏やな。でもって卒業したらうちの講師として働かんか、ちゅう話が出とるんや」

「マジかよ」
「すげーな」
「でも合ってるかも」

「今日の野外実習の話も彼の発案なんやで」
「そうなの?」
「ああ、みんな本来なら義務教育を受けてたり、高校や大学に通っている年齢。肉体的にはまだまだ成長途中なのに、引きこもって勉強ばかりというのは健康に悪い。学問にはフィールドワークも必要だし、こういう野外実習の必要を塾長に説いたんだ」
「へぇ……」
「で、その野外実習を実験的にしてみよう。言いだしっぺで講師候補の彼に教鞭をとらせてみようっちゅう話や。実験ついでの実験やな」
「そうだったの……、でもちょっと意外ね。あなたこういうの嫌そうだったから」
「それについては塾長と裏取引があってな」
「え?」
「この『仕事』を引き受ける代わりに、あるものを報酬にもらったんだ」
「あら、なによそれ?」
 
 京子の耳元に口を寄せ、そっとつぶやく。

「君の時間。次の休日は塾長の華道につき合わされるってぼやいてただろ? だからその日の君の時間を報酬にもらったんだ」

「……ッ!」

 嬉しいやら恥ずかしいやら、京子は思わず赤面してしまい、黙って生徒達の列に後ずさる。

「はい、他に質問がなければ授業を続けます。今でこそ霊災修祓などの仕事を主としている陰陽師ですが、悪鬼調伏や怨霊の鎮魂などの宗教関係の仕事は元来、神祇官のものでした。歴史の本に『天神を祀り地祇を祠る官』と、ちゃんと書いてあります。陰陽師の仕事は天文道と暦道です。これらが陰陽道と呼ばれるのですが、陰陽道というのは古代に『周易』から発展形成された遁甲を原型としている占術流派でもあります。はい、冬児くん。遁甲とはなんですか?」
「あー、道教の中の呪術的要素の強い占術の一つで。天文現象から吉凶を判断して人の目をあざむいたり、身を隠す術。ですよね」

 突然の質問に動揺することなくヘアバンドをした生徒、阿刀冬児はそう答えた。
 隣にいる春虎が感心し、それを夏目が『当然だろ』とたしなめる、いつもの光景。

「はい、そうです。それが甲種遁甲術ですね。今日は乙種の遁甲がどのようなものだったか、みなさんに知ってもらおうかと思います」
「乙種?」

 誰かがそんな疑問を口にする。

「そうです。遁甲とは本来は兵法。つまり軍事技術のことなんです」
「え、うそ、本当?」
「本当です。山地の行軍、陣地の構築、水源の確保、敵陣の偵察、情報の分析、作戦の立案、兵糧補給。さらに傷病兵の治療や薬草の採取や処方。くわえて戦死者の埋葬と供養などなど、すべてひっくるめて遁甲です。日本は中国にくらべて戦乱が少なかったので、これら遁甲、兵法系の陰陽道はあまり発達しませんでしたが、応仁の乱あたりから急速に発展します。戦国武将が陰陽師を抱えたのは予言や調伏ではなく、実戦的な軍事的情報処理技術を求めていたからです。兵法系の陰陽道は情報分析と作戦立案が術の根幹をなしていて、まさしく軍師の意味合いそのもの。ちなみに本邦における軍師の嚆矢は奈良時代に遣唐使として中国に渡り、技術や知識、陰陽道の秘伝書である『金烏玉兎集』を日本に持ち帰った吉備真備と言われます。彼は藤原仲麻呂の叛乱のさいに、その軍略。中国仕込みの兵法三十六計をもってこれを鎮定しました。兵法三十六計とは――」

 青空の下、講義は続く。

「さて、みなさんが今いる場所。ここ戦場ヶ原はその名のとおりかつて幾度も合戦があった場所です。蟹の怪異にとり憑かれた少女とはなんの関係もありません。戦国時代、このあたりは岡見氏という豪族が支配していました。岡見氏は佐竹・多賀谷といった近隣の大名からたび重なる侵略を受けていましたが、それらをことごとく撃退します。なぜならば岡見氏には『関東の孔明』と呼ばれた智将、栗林義長が仕えていたからです」

「誰?」
「そんな武将知ってるか?」
「関東の孔明とか、盛りすぎだろ」

「栗林義長の活躍は『東國鬪戰見聞私記』という軍記によく書かれています。授業と関係ないですが、俺は『信長の野望』シリーズをプレイする時。栗林義長、南条隆信、水野勝成の三人をかならず新武将で作ったり、能力をいじって高くしてます。あと自分の名前をつけた能力値オールMAXの新武将を作る人。先生、きらいじゃないですよ」
「ほんとに関係ねぇよ!」
「この栗林義長には母方の祖先は霊狐という面白い伝説があります。まるで安倍晴明のようですね。さてその義長が兵法を駆使し、佐竹・多賀谷の大軍を寡兵でもって迎え撃ったのがここ戦場ヶ原。と、言うことで、みなさんには本来の、乙種の遁甲を身をもって知ってもらいます。具体的には俺を捕まえてごらんなさい」

………… ………… ………… …………。

「「「「は?」」」」

「この広大な野原の中を逃げ回る俺をみんなで捕縛するのが今日の授業の課題です」
「あ、あの~」
「はい、天馬くん」
「捕まえると言っても、秋芳君に本気で穏形されたり逃げられたり抵抗されたら、どうしようもないと思うんだけど…」
「今回は俺もみなさんも基本、甲種呪術を使ってはいけません。それがルールです。隠形術についてはみなさんの見鬼をあざむく程度におさえます。逆にみなさんは全力で穏形してもらっても結構です。とにかく俺は逃げ回りますので捕まえに来てください。と言っても――」

 秋芳はかたわらに置いてあるダンボール箱の中からなにかを取り出す。呪符だ。

「なんの訓練も受けていない人に、人を一人いきなり捕まえろと言ってもむずかしいでしょう。なので捕縛用の呪符を用意したので、これを使って俺をとっ捕まえてください。スワローウィップを模した簡易式になってますが、本物ほどの追尾性はありませんので、よく狙って打つように」
「秋芳センセー」
「はい、冬児くん」
「秋芳センセイを捕まえるのに、甲種以外の呪術は使用してもいいんですか? たとえばこいつとか」

 そう言って拳をかざして見せる阿刀冬児。

「はい。甲種呪術さえ使用しなければ、なんでもありありです」
「よっしゃ、やってやるか」
「今日の授業の要旨は『いにしえの遁甲術を知る』と『術を制限された状態でいかに動くか』の二点です。あ、それと首尾よく俺を捕虜にできた人には昼飯を一か月間おごるくらいの特典はつきますので、がんばってください」

「一か月タダ飯か!」
「おもしろそうだな」
「なんか鬼ごっこみたいね」

「制限時間は正午までとします。他に質問がなければもう始めますよ? …………。ないみたいですね。それでは……、忍ッ!」
なにかを地面に放ると、そこから白い煙がもうもうと立ち昇る。
「うわっ」
「けむっ」
「え、煙幕!?」 

 煙はタコの墨のように広がり、野外で風通しが良いにもかかわらず、イカの墨のように長時間持続した。煙がなくなった後、そこに秋芳の姿はなかった。
 余談だが、イカの吐く墨にはムコ多糖類という粘液物質がふくまれているため、吐き出した墨は拡散せずに不定形のかたまりになる。イカはこの墨を自分のダミーとして吐き出し、敵の目がそちらに向かっているすきに逃げる。変わり身の術だ。
 この粘液物質には制ガンや抗菌、メラニン色素の他、うまみ成分のアミノ酸も含まれているので美味しい。
 タコの墨にはそれら粘液物質が少なくサラサラとしているので、煙幕のように散らばり敵の目をくらます働きがある。めくらましの術だ。
 イカ墨パスタはあってもタコ墨パスタがないのはこのためである。

「ハハッ! こらおもろい。煙玉やないの、まるで忍者やね。賀茂は修験道と縁の深い一族や。そんでもって修験道は忍者と密接に関係しとる。みんな今日は秋芳クン相手にあんじょう気張るんやで~」
かくして大自然にかこまれてのかくれんぼが始まった。





「え?! なんだよ? 聞こえないって!」
「だか……、しかけ……、トラップ…………、んとかしてくれ!」
「くっ、わかった、もういい。戻って来い」

 春虎は歯がみして雑音混じりの電話を切った。
 本陣と化した広場では総大将よろしく悠然とたたずむ土御門夏目の横で、伝令役の春虎や天馬が斥候部隊の連中と叫ぶようにやり取りを交わしていた。
 地には埋ずめ火(地雷)川には浮き橋(乗ると沈む足場)空を舞う天灯(小型熱気球)に気を取られて落とし穴にはまる……。
 罠やらなにやらで行動不能になった班はすでに六つ。一クラス四十人のうち五人一組からなる班を組んだため、残るのは自分たちをふくめた二班のみだ。そのもう一つの班が秋芳を追跡中なのだが――。
 春虎に電話がかかる。

「春虎っ、秋芳を見つけたぞ!」

 鼻息を荒げてそう報告してきた電話の主は中島。かつて春虎に『護法式がなんなのかも知らないようなのが、高等式なんか侍らせてるんだぜ? これだから名門様はよぉ』などとケチをつけ、そのためコンに手打ちにされかけたことがある塾生だ。
 彼の班は陰陽塾にしては珍しく、運動神経に自信のある体育会系の連中がそろっているので期待ができる。

「よし! それじゃあとっとと捕まえてくれ」
「OK! 急急如律令(オーダー)!」

 ザザザザッ!

 電話に雑音が入り、少し遅れて遠くから。

 ドドオォォォンッ!!

 まるで雷が落ちたかのような爆音がとどろき、空気を震わせ、広場にいる春虎たちにもそれがとどく。
 近くに見える小山。その中腹から無数の鳥たちが飛び立ち、白い煙がもうもうと上がる。

「ちょ、爆発でかすぎ! おい、中島。平気か? 返事をしろ!」
「ハメられた……、欺歩だ。熊や狐が巣穴に帰る時に狩人に追跡されないようにわざとちがう方向に進んで相手をあざむく……」
「おい! 中島、中島ッ!」
「自分が進んで来た足跡の上を同じように踏んで引き返す。そうすることで新たな足跡を残さずに戻って、途中でどこかの岩肌にでも飛び移ったんだ……」
「あ、なんかすごい説明科白だし、命に別状はないっぽいな」
「なぁ、春虎。オレ、最初の時に陰陽師のくせに木刀なんか振るってダサいだの、名門様がどうのこうのと、おまえにイチャモンつけただろ?」
「……ああ」
「ごめんな」
「お、おい! 中島、あんまり死亡フラグ立てるなよ」
「オレ、おまえが、うらやましかったんだ……、ぐふっ」
「中島っ」

 電話が切れた。

「くっ、中島……。バカ野郎……」
「春虎、どうやらぼくたちが出陣しなくちゃいけないみたいだね」
「夏目…」
「今の爆発で彼の居場所がわかった。残る戦力をすべてぶつける! 安倍と賀茂。土御門と勘解由小路……。かつては同じ陰陽の道を歩んだ同志だった。けれども今、ぼくたちは賀茂秋芳を討たなければならない!」
「お、おう」
「いや待て、夏目。おまえは総大将だ。最後の最後までここを動くんじゃない。悠然と構えてろ」
「冬児? …うん、わかった」
「秋芳を捕えるのは俺と春虎。それと、天馬は来るか?」
「う、ううん。僕が行っても足手まといにしかならないだろうし、ここで連絡係してるよ」
「そうか。じゃあ倉橋は?」
「…………」
「おい、倉橋?」
(秋芳君てば、あたしのためにお祖母様から時間を取ってくるだなんて、嬉しいことしてくれるじゃない。せっかく空けてくれたんだし、やっぱデートよね、デート。この前みたく映画を観て買い物がいいかしら? それとも次は遊園地とか? 秋芳君となら美術館巡りも良さそうね。クラシックコンサートも。歌舞伎や能も渋くて良いわ。あ、意表をついて動物園や水族館も良いかも――)

 聞いてない。
 京子はふふふとわずかににやけ顔を作り、デートプランを練っていた。

「……倉橋も居残りだな。よし、春虎。行くぞ」
「ああ、二人のほうが身軽っちゃ身軽だしな。冬児とならなんとかなりそうな気がするぜ」
「へっ、嬉しいこと言ってくれるぜ」

 春虎と冬児、ともに出陣。
 残ったのは夏目、天馬、京子の三人。
「んー、なんや佳境になっとるなぁ。お、さすが名産だけあってココの落花生はごっつ美味いやないの。麦系の炭酸飲料によう合うわ」

 ポリポリポリポリ。

「名産と言えば、きのうの夜は秋芳とあんこう鍋食べたよ」

 ポリポリポリポリ。

「豪勢やなー」
「一日がかりでトラップしかけまくったから、ご褒美だよ、ご褒美」

 緊張感もなく後ろで落花生をほうばるのは大友陣と笑狸の二人。

「大友先生……、今日の特別講義の内容ですが、さすがに危険なのではないですか? いきなりこんな形での野外実習だなんて、それに今の爆発を見ましたよね? あぶない、危険すぎます!」

 夏目が抗議の色を込めて意見する。

「ん、その通りや夏目クン。でもな、この『危険』もふくめて秋芳クン先生の教えたいことみたいなんや」
「は? どういう意味です?」
「一年とはいえ座学一辺倒の授業じゃあかん。実技にも重きをなす。ここまではええな?」
「はい」
「その次に危機感や。いざという時に自分自身の身に迫るリアルな『死』や『暴力』に対して耐久をつけさせたい言うてたわ」
「…………」
「ようは常日頃からおっかない目に遭うてりゃ、胆がつくってことや。これから先、なにがあるかわからん。ある日、突然に陰陽塾にごっつい敵が強襲かけてくる可能性だってある。そういう時に慌てず騒がず冷静に対処するには、普段からこわい思いしときゃええ。そうすりゃ度胸がついて、どえらい事になっても落ち着いて対応できる。そういうことや」
「……彼は、そんな類の実戦を想定した課題を僕らにぶつけてきたということですか?」
「そや」
「馬鹿げている。と言いたいところですが、確かにそれも一理ありますね……。でも――」

 一拍おいて口にする。
「やっぱり、今日のこれは馬鹿げていると思います」





「なぁ、秋芳。これってなんとかならないのか?」
 中島は全身にこびりついた粘液を気持ち悪そうに見下ろして、そう言った。携帯電話を耳にあてたままの姿勢で木の幹に接着されている。他のメンバーも似たような状態だった。
 無理にはがそうとすれば確実に着ている服をダメにしてしまうし、生身の肌だったら皮をもっていかれ、痛い思いをすることになる。

「時間がたてば自然に朽ちるし、水をそそげば離れる」
「じゃあ、そうしてくれ」
「あと十分もすれば離れるさ、水がもったいない」
「ちぇ、ケチ。……つか、この接着剤? なにでできてんだ?」
「主な材料は膠だな」
「ふ~ん、じゃあ、今の爆発。火薬はどうしたんだ?」
「硝石と硫黄に木炭、それとその他もろもろ。基本ホームセンターにある材料で火薬が作れるんだから、おっかない時代になったもんだ」
「ほんとだよな」
「だがきちんと安全面を考慮して作ったんだぞ。その証拠に音と煙しか出なかっただろ」
「たしかにそうだな」
「で、この授業の話に入るが」
「おいおい、こんなの授業って言い張るのかよ」
「立派な授業だよ。日頃から慣れ親しんでる呪術が使えないとどれだけ不便か、呪術を使わない相手でも地の利や道具、これは罠のことな。を活かせば苦戦するって体で理解しただろ? で、さっきの講義で俺は孫子の兵法の話をしたが、そこで『半進半退者、誘也』半ば進み半ば退くは誘いなり。て言ったよな?」
「あー、たしかにそんなこと言ってた」
「これ見よがしに姿を見せて、わざわざ足跡をつけて山中に潜んだんだ。次からはもっと警戒しなければいけない」
「おいおい『次』なんてあるのかよ…」
「こういう経験は大事だぞ。俺の好きな映画に『300〈スリーハンドレッド〉』というのがあるが、作中で『訓練で汗を流せば、戦場で血は流れない』という科白があるんだ。名言だよ、あれは」

 そう言って秋芳は木々の中へと消えていった。





 秋芳がいるであろう小山を目指す春虎と冬児。

「帰ってきたみんなの話だと、どの罠もケガをするような類のものじゃない。でもって罠にかかったら退場。なんて決まりもない。てことは罠にかかっても気にせず進めばいいんだよ」
「猪突猛進だな、春虎。だがたしかに言えてるぜ。ここはひたすら前進あるのみだ」
「おう! 都会の坊ちゃん嬢ちゃんにはない、田舎育ちのガッツを見せてやる」
「おいおい俺は東京生まれの東京育ちだぜ、都会っ子だ」
「よく言うぜ。ま、元武闘派ヤンキーの根性には期待してるからな」

 緑にあふれた草原、川のせせらぎ、涼しい風。遠くには筑波山をはじめとした山々が軒を連ねている。大友先生の言葉ではないが、これはたしかに授業というより行楽のようだ。少々汚れるかもしれないが、それはそれで子どもの頃に戻って野遊びをするようで楽しい。春虎がそんなふうに考えていると。

「……不思議だ。俺はずっと前にもこうして野原を、この坂東の地を駆けたことがあるような気がする」
「ん?」
「なんかテンション上がってきたぜ、いくぞ春虎!」
「お、おう!」

 二人は目前にそびえる小山にむかい突進をはじめた。
 険しい坂を駆け登る。
 細縄に足首を取られ吊り上げられる、どこからともなく丸太が飛んでくる、落とし穴にはまる、頭上から泥の塊や網が落ちてくる……。





「ごめん、無理だった」
 ボロボロになったジャージの裂け目から肌をのぞかせた春虎が夏目につげる。

「面目ない」
 
 冬児など裸に近い、着ていたジャージはほとんど腰布のようになっていた。
 例の接着剤つきトラップを強引に突破し続けた結果、衣類をもっていかれ『クイーンズブレイド』ばりのサービスシーン状態になってしまったのだ。

「さすがにこの格好じゃなぁ」
「いや、俺はマッパでもいけるんだが、春虎のやつがな…」
「おいおいさすがに全裸はヤバイだろ、全裸は」
「わ、わかったから早く着替えて。みみみ、みっともないぞ二人とも!」

 赤面した夏目がそう言うも。

「いや、でも着替えとか持ってきてないし」
「俺たちゃ裸がユニフォームってことで」
「『ことで』じゃない!」

 わーきゃー騒ぐ夏目らをよそに、一人が席を立った。京子だ。

「……ジャージ代、秋芳君にちゃんと請求しといたほうがいいわよ」
「倉橋さん?」
「京子?」
「倉橋?」
「京子ちゃん?」
「まだ時間はあるわ。あたし、ちょっと行って秋芳君を捕まえてくる」





 罠はあらかた発動ずみ。
 今の今まで、別に狙って待機していたわけではないが、京子の行く手を阻むような障害はなに一つ残ってなかった。
 件の小山の山頂にたどり着く。こちらの見鬼をあざむく程度に穏形すると言っただけに、気配だけはかろうじて感じる。
 いる。
 すぐ近くでこちらの様子をうかがっているのがわかる。

(問題はどこにいるか、よね。闇雲に符を打ってもあたらないでしょうし、……ちょ~っとお下品だけど、兵法三十六計のうち、第三十一の計を使わせてもらうわ)
 京子はジャージのチャックを襟まで完全に上げてから、前かがみになると、勢いよく上体を反らした。
 
 チャックボーン!

 その巨乳の圧力によってジャージのチャックが弾け飛んだ。

 ざわ……。

 わずかだが秋芳の穏形に破綻が生じ、気配が濃くなる。

(左後方の茂みの中ね……)

 京子はそちらに向くと、ゆっくり。ゆっくりと、ゆっくりとジャージの上と下を脱ぎ出した。現れたのはTシャツと短パンにスパッツという運動着姿だ。

 ざわ……、ざわざわ……。

 さらに秋芳の気配が濃くなった。
 丁寧にたたんで置いた後、草むらに座り脚を広げてストレッチを始める。
 ぷるん、ぷるん、ぷるん、と豊かな胸が揺れる。
 さらにキャットストレッチ。四つん這いになって身体を前後させる屈伸運動に入る。通常のそれと異なり、胸とお尻を意識して動かしてみせる。
 そう。動かして、魅せるのだ。

 ぷるん、ぷるん、ぷるん! ぶるん、ぶるん、ぶるん!

 ざわ、ざわわ、ざわざわ、ざわざわ……!

「はぁ、はぁ、はぁっ、ふぅ。はっ、はぁっ、はぁはぁはぁ……、んっ!」

 京子の息づかいが荒くなり、汗ばんできた。

 身につけたフレグランス。爽やかなラグーナ ノマッドの香りにくわえて、京子自身の体から漏れ出す甘い匂いがあたりをただよう……。

「ふぬぅおおーッ! けしからん! なんというけしからん真似をしてくれる、このエロティカ娘。俺を誘っているのかっ!?」

 ルパンダイブの如き勢いで京子に跳びかかる秋芳。その額に「えいっ」と京子が呪符を貼りつけた。

急急如律令(オーダー)

 呪符から何条もの縄が鞭のように伸び、秋芳の体に巻きついた。
 スワローウィップを模したというだけあって、その効果も似ている。微弱な不動金縛りの術が設定されているのまでそっくりだった。

「……みごとな美人計だったぞ、京子」

 美人計。
 兵法三十六計の第三十一計にあたる戦術。色仕掛けで相手の戦意をとろかせたり、判断を誤らせる計略。

「秋芳君、やりすぎ」
「そうかな」
「そうよ」
「そうか」
「ええ、そう。……こういう時のためにアレを教えてくれたのよね?」
「アレ?」
「アレよ」
「アレってなんだ?」
「雷法」
「……え? なにそれこわい。なんでそれがここで出てくるわけ?」
「秋芳君、言ってたわよね『なんかバカなことした時にそうしてくれ』て。今がまさにバカなことした時でしょ。……じゃあツッコミ入れるわよ~」
「いやいやいや! たしかに言ってたけど、言ってたけどさ!」
「我、雷公旡雷母以威声、五行六甲的兵成、百邪斬断、万精駆逐――」
 
 呪文を詠唱する京子の体に微細な電流が走り、呪力が練りあがり、霊圧が上昇する。
 そしてまっすぐに腕をのばして、指で空を指し示す。すると呪力が天空まで飛翔し――。

「ダーリンのバカっアホっ、急急如律令(オーダー)!」

 ドドオォォォンッ!!

 先ほどの爆発と同じか、それ以上の音を響かせて雷鳴が轟き、秋芳の身に落雷が突き刺さった。





「倉橋京子さんが見事に俺を捕まえましたので、土御門チームには明日から一か月、昼食をおごることをここに誓います」

 塾生らの冷たい視線の中。黒こげになり、頭からぷすぷすと煙をあげつつも、動じることなく講師役を続ける秋芳。

「また今日は今日でこちらで昼食を用意しましたので、遠慮なくどうぞ」

 芋がら、干し飯、五平餅、高野豆腐、切り干し大根……。
 今日の課題に則して、いにしえの陣中食を再現したものに近くの川で獲れたアユやマス。ウナギなどが配膳された。
 微妙な味だったが、それでも塾生達は完食した。体を動かした後だけに空腹という調味料の働きがあったからだ。
 それに青空の下で学友達と食事するという状況は、実に楽しい。
 内容はともかく野外実習そのものは成功したのではないだろうか――。
 
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