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俺の涼風 ぼくと涼風

作者:おかぴ1129
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番外編
  熨斗をつけて返す

 
前書き
シーンは18話『“絶対に負けない”』で、
涼風の元に駆けつける前の摩耶姉ちゃんとゆきおと榛名姉ちゃん。
あと、最終回からしばらく経った頃の摩耶姉ちゃんです。
 

 
「摩耶姉ちゃん!! ゆきおが……!!!」

 船上で、忌まわしいノムラと挌闘しているはずの涼風の悲鳴が聞こえた。だけどあたしは今、あいつらを助けることが出来ない。

 私は今、無数の深海棲艦に身体を蹂躙されている。雷巡チ級の集団からは遠目から絶え間なく砲撃され、近場の雷巡チ級には身体を押さえつけられ、身体は駆逐ハ級どもにのしかかられ噛み付かれ、身動きが取れない。

「クソッ……涼風……雪緒……ッ!!」

 ボートの方向に伸ばした左手は、新たなハ級に齧られた。喉にもまとわりついてくるから息もしづらい。顔面にも噛み付かれてる。息がくせえ。よだれを垂らすな気持ち悪い。

「ふざ……けるな……くせえぞ……口が……!」

 不快な生暖かさを感じるハ級の呼気を鼻に感じた。あたしは顔面に齧りついたハ級を引き剥がそうと右手を動かすが、その右手は雷巡チ級に掴まれ、押さえつけられた。

 不意に、ガシャリという音が鳴り、あたしの顔面にガシガシとかじり付いていたハ級が離れた。その向こう側にいたのは、雷巡チ級。

「……ッ!!」

 チ級が、左手の砲をあたしの顔面に向けていた。

「……クソがッ」



 話は1時間ほど前に遡る。あたしは出撃ドックで艤装を装備し、今回の相棒が水面に立つのを待っていた。

「雪緒、立てるのか」
「大丈夫です。一度、ゲフッ……立ちました」

 涼風の艤装を身につけた雪緒が、人間とは思えない器用さで艤装を使いこなし、水面に立っていた。雪緒が『ぼくも行かせてくれ』と提督に詰め寄り、提督も『惚れた女を取り返してこい』と了承したのは、正直予想外だった。

 涼風の発信機からのモニター情報によると、ノムラのクソが涼風を連れて向かっている先は、深海棲艦の出現が多発する危険区域……。

「なぁ雪緒」
「はい」
「あたしは涼風と違って甘くねえからな。自分の身は自分で守れよ」

 器用に主機を回し、あたしの隣に並んだ雪緒にそう話しかける。今から向かう場所は演習場でもなければこいつら二人が散歩した平和な沖なんかでもない。戦闘が発生すれば、怪我だってするかもしれない。いよいよの時はあたしが助けるとしても、その覚悟はしておいてもらわないと。

「ケフッ……分かってます」

 意外なほど冷静に雪緒は、私の顔をまっすぐ見て答えていた。この野郎……涼風と同じぐらいの背格好のくせしやがって、随分肝が据わってやがる。自分が大怪我するかもしれない場所に向かうってのに、返事に迷いがない。

「待って下さいッ!!!」

 そろそろ出発するかと主機に火を入れたその時、あたしたちの背後から榛名の声が聞こえた。あたしと雪緒の主機の音が鳴り響くこのドックの中で、それに負けないほどの大声を張り上げた榛名を振り返る。

「榛名も……行かせて下さいッ……!!」

 まだ水面に立ってない榛名は、ダズル迷彩砲を含む自分の艤装を身に着けていた。提督に『お前の出撃は許さん』と釘を刺されていたのに。

「おい榛名。お前、留守番だろ?」
「イヤです! 榛名も助けに行きます!!」
「命令違反になるぞ?」
「構いません……ッ!!!」

 あたしの冷ややかな反論にも、榛名はいちいち声を荒らげて返答を返す。そんな榛名の様子を見て、あたしの直感が告げた。

「……ダメだ。連れていけない」

 こいつを連れて行ってはいけない。連れて行けばこいつは、ノムラを殺す。

「なぜですか!!! 艦娘でも何でもない雪緒くんは連れて行って……なぜ榛名は出撃してはいけないんですかッ!!!」
「もう一度、今回の作戦内容を思い出せよ。涼風の奪還と、もうひとつ重要な任務があったろ?」
「……ノムラの、捕縛ですか」

 涙目の榛名は、下唇を噛み、拳を必死に握りしめていた。よほど悔しいんだろう。拳だけでなく、体全体がプルプルと震えている。必死に自分を押さえつけてるようだが、その怒りと悔しさが隠しきれてない。

「ああ」
「それが命令なら……従いますから……ッ!!!」
「今の様子見てたら説得力ねえよ。正直、今のお前を連れて行っても、捕縛どころか見つけ次第主砲をぶっ放すお前しか想像出来ねえ」
「……ッ!!」

 あたしの指摘に対して押し黙る榛名を見て、こいつは自分でもその自覚があることを感じ取った。ギリギリと歯を噛みしめる音が聞こえてくる。

 こいつの悔しさは、あたしも痛いほど分かる。大切な姉二人が沈んだ元凶。大好きな妹分を一時は再起不能にまで追い込み、今また雪緒が助けてくれた涼風を、その毒牙にかけようとしているノムラ。そんなヤツが目の前にいれば、榛名じゃなくても殺したい衝動にかられるだろう。

 特に今、榛名は完全に冷静さを失ってる。こいつはとても優しい。そんなやつが、自分が大切にしているものを理不尽に壊されていった時……普段は怒りを押し殺す分、爆発したときの怖さと行動力は恐ろしい。

 今も、あたしの答えを無視して、榛名は体中を怒りでプルプルと震わせながら、主機を履いた足を水面につけようとしている。あたしは即座に主砲を向けた。これ以上の命令拒否は許さない。

「なにするつもりだよ」
「榛名も行くんです。これで解体処分になっても……ッ!!」
「無理に押し通るつもりなら、あたしも黙ってねーぞ」
「……」

 榛名があたしの目を真っ直ぐに睨みつけてきた。いつも澄んで綺麗な榛名の眼差しが濁っている。そんな状態の榛名を一緒に連れて行くわけには行かない。それに、榛名はあたしの大切な仲間だ。解体処分させるわけにもいかない。

 榛名の主砲がギリギリと動き、あたしに照準を合わせた。榛名はすでに、水面に両足をつけている。

「邪魔するなら、いくら摩耶さんでも……ッ!!!」
「戦艦の分際で重巡のあたしに夜戦で勝とうなんて思うんじゃねえ」
「あなたこそ、金剛型を甘く見ないでくださいッ!!」
「うるせぇロートル」

 あたしも榛名に主砲を向けた。あたしを見る榛名の目が据わる。榛名の主砲からあたしに向かって、射線が伸びているのが分かる。榛名は、本気であたしを潰してノムラを殺しに向かうつもりのようだ。

 互いに視線を外せない。ドックの中が、耳に痛い沈黙とともに緊迫感に包まれた。互いに引き金に指がかかった状態で、なにか物音が鳴った途端……何かがあたしたちを刺激した途端に、あたしたち二人はためらいなく引き金を引くだろう。あたしは榛名を止めるため、そして榛名は涼風を助け、ノムラを殺すために。

「……ケフッ……榛名さん」

 そんなあたしたちの間に、細っこい雪緒が割り込んできた。あたしたちの間に立ち、あたしに背を向け、背筋を伸ばし、榛名の前に立ち塞がりやがった。

「雪緒くん、どいてください」
「嫌です」
「どかなければ、怪我をします」
「ぼくは提督の息子で、ただの人間です。そんなぼくを……あなたは、撃てますか」
「……」
「……ケフッ」

 あたしに背中を向けているから、雪緒が今、どんな顔で榛名の前に立ちふさがっているのか、あたしには分からない。だけど。

「……撃ちますよ!」
「撃てるならどうぞ」
「榛名は本気ですよ!?」
「ゲフッ……ゲフッ……」

 冷静さを欠いているとはいえ、榛名が目に見えてうろたえている様子を見る限り、雪緒は堂々と榛名を追い込んでいるようだ。

 榛名はわなわなと全身を震わせ、主砲の狙いを雪緒に向けた。だけど雪緒は微動だにしない。ピクリとも動かず、むしろ堂々と両手を広げ、榛名の前に立ちふさがっている。その後ろ姿には動揺もなく、ただ覚悟だけがにじみ出ていた。

「どいてください! あなたの代わりに、榛名がちゃんと涼風ちゃんを助けますから!!」
「嫌です!」

 雪緒に立ち塞がれた榛名の目に、段々と涙が溜まってきた。艦娘の、しかも艤装フル装備の自分の前に立ちふさがるのは、艤装を身に着けているとはいえ、ただの人間の雪緒。その雪緒は助けに行くことが許されて、自分は許されないという事実が、榛名には我慢がならないらしい。

「なんでですかッ! ただの人間のあなたが助けに行くのは良くて、どうして艦娘の榛名が助けに行くのはダメなんですか!!」
「……ゲフッ」
「今だって! あなたは涼風ちゃんの艤装しかつけてないじゃないですか! ただの人間のあなたに、涼風ちゃんの艤装が使いこなせるはずがないじゃないですか!」
「……」
「駆逐艦の艤装をつけたあなたが行くよりも、戦艦の榛名が行ったほうが、涼風ちゃんを助けられるじゃないですか! あなたは、涼風ちゃんにとって大切な人じゃないですか!」
「ゲフッ……ゲフッ……」
「そんなあなたを、危険に晒したくないんです! 榛名に行かせてください! あなたの代わりに、榛名が涼風ちゃんを助けますから!! あなたのもとに、涼風ちゃんを送り届けますから!!」

 榛名が、自分の気持ちを雪緒にぶつけた。目に涙をいっぱいためて、雪緒に自分の出撃を懇願する榛名は、何も自分の気持ちだけを優先して出撃しようとしているのではなかったようだ。榛名は、自分が出撃することで、雪緒を守ろうとしているらしい。

 涼風にとっての大切な存在であると同時に、ただの人間である雪緒。その雪緒がこれから向かおうとしているところは、命の危険がつきまとう場所だ。涼風の発信機が指し示す場所は、深海棲艦がよく出没する海域だと提督は言っていた。ともすると涼風を奪還する過程で、深海棲艦と戦う事態になるかもしれない。そうじゃなくても、涼風を誘拐したのは、あのノムラだ。素直に涼風を返すとも思えない。

 数え上げればキリがないほどの危険が、あたしと、雪緒を待ち受けている。そんな場所に、涼風にとって大切な存在である雪緒を行かせるわけには行かない。だから自分が雪緒の代わりに行く。……榛名が言いたいのは、きっとこういうことだろう。

 だが、それを受けての雪緒の次の言葉は、あたしと榛名を絶句させた。

「ぼくは……ゲフッ……もうすぐ、死にます」
「え……?」
「……?」

 あたしは最初、雪緒の言葉の真意を測りかねていた。そしてそれは榛名も同じだったようで、雪緒の言葉を受けた榛名は、改めて、うろたえ始めた。

「雪緒くん、今、なんて……?」
「ぼくには、もう……ゲフッ……時間が、ないんです」
「雪緒、お前……」

 相変わらず、雪緒はあたしに背中を向けているから、雪緒がどんな顔をしているのか分からない。でも、その身体は、堂々と榛名の前に立ちふさがり、榛名の一切の抵抗を許さず、その場に留めていた。

「ぼくは、病気なんです。亡くなった母と同じ病気です」
「……」
「東京に行ってたのも、ぼくの、ゲフッ……病気の進行を調べるためです」
「……」
「検査の結果は、父さんは何も話してくれませんでしたけど……きっとダメです。苦い薬も、最近のぼくの咳も……全部、死ぬ前の母さんと同じだから」
「……」
「……何より、父さんがぼくの出撃を許したってことは……」

 そこまでいうと、雪緒は言いづらそうに押し黙る。少しうつむき、視線を下げたことが、雪緒の背後から見ているあたしからもよく分かった。

「……雪緒くん、卑怯です」
「……ッ」
「そんな顔で……そんなウソを、つかないで下さい」

 榛名が、ゆきおから目を背けた。自分の死を悟った、この細っこい少年は今、どんな顔をして榛名と対峙しているのか分からない。だけど、その覚悟はあたしにも伝わる。

 こいつはウソをついてない。それは、そんな雪緒から目を背けた、榛名の目が物語っている。ウソをついてないと分かったからこそ、榛名は雪緒の顔を見てられなくなったのだろう。

「……ゲフッ。ウソじゃないです」

 咳き込みながら答えた雪緒の答えを聞いた榛名は、涙を浮かべた両目でキッとゆきおを睨んだ。

「だったらなおさら安静にしていて下さい! 少しでも長く、涼風ちゃんと一緒にいてあげて下さい!!」
「イヤです! ぼくは行く!!」
「ワガママ言わないで下さい! 涼風ちゃんが好きじゃないんですか!?」
「世界で一番好きです! 涼風は何よりも誰よりも大切です!!」
「だったら……! 今は安静にして、一秒でも長く、一緒にいてあげて下さい……ッ!!」
「……」
「お願いですから……あの子につらい思いを……もう、させないで、下さい……ッ」
「……」
「代わりに、榛名が行きますから……ッ」

 ボロボロと大粒の涙を流しながら、榛名が両膝をついて、雪緒に頭を下げている。榛名の言いたいことはあたしも分かる。あの日以降、涼風がどれだけ苦しんできていたのかは、そばで見ていたあたしが一番良く知ってる。それに、こっそりと涼風を見守ってきたこいつも、アイツの苦しみがよく分かってるだろう。

 雪緒と知り合ってからの涼風は、本当に明るくなった。それまでは終始過去を引きずって、笑顔すら見せなくなっていた涼風が、こいつと出会って、元の明るさを取り戻した。

――今、ゆきおと一緒に沖から鎮守府眺めてる!!

 こいつらが鎮守府を抜けだして、二人で沖に出たときの事を思い出す。あの時は事態が事態だけに、あたしは立場上、やむなく二人を叱ったが……

――あたしの妹分に笑顔を取り戻させてくれて、サンキューな

 本当はそう言いたかった。雪緒の頭をぐっしゃぐしゃに撫でた後、雪緒に感謝したかったんだ本当は。

 こいつが東京に行く前もそうだ。涼風は、雪緒にノムラの話を全部話したと言っていた。その話を聞いて、それでもなお雪緒は、涼風を受け入れてくれた。一緒に寝たというのはびっくりしたが、それが涼風を守るためだってのは、少し考えれば察しがつく。

 それだけ仲のいい二人だから……それだけ、涼風にとって大切な存在である雪緒だから、榛名が雪緒を守ろうとする気持ちも分かる。

 あたしも、本音をいうと雪緒には留守番をしていて欲しい。榛名を連れて行くかどうかは別にして、もしこいつが言ってることが本当なのだとしたら、今は安静にして、少しでも長く、涼風と一緒にいて欲しいと思う。

 だが、雪緒はそうしない。覚悟を持って、涼風を助けに行くという。たとえ、それが自身の命を削ることになろうとも。

 両膝をついてうなだれる榛名を、雪緒はジッとみつめて、そして咳き込みながら、静かに口を開いた。

「……ゲフッ。榛名さん」
「……決心がついたんですか?」

 その声は、あたし達の提督のように、静かだけどよく通り、とても耳に心地よい、聞いてるだけで安心出来るような、不思議な声色をしていた。

「ぼくは行きます。涼風とは……ゲフッ……二人で、一人だから」
「……」
「ノムラの話は聞きました。そんなヤツに、涼風を渡すわけにはいかないから」
「……」
「ぼくと涼風は二人で一人だから。だからぼくが助けないと……」
「……」
「ゲフッ……」

 未だに引かない榛名も強情だが、折れない雪緒も中々強情だ。きっとこの二人は、涼風が自力で戻ってこない限り、いつまでもこの場で言い争いを続けるだろう。そろそろ涼風を助けに行かないとマズい。埒が明かない。

 あたしは意を決し、艤装を外した。

「え……ゲフッ」
「摩耶……さん?」
「埒が明かねーだろ」

 あっけにとられる榛名をよそに、あたしは外した艤装を手に持って、陸にそれを置く。そのまま、両膝をついている榛名の元へ、静かに主機を回した。

「榛名。何言っても無駄だよ。こいつは折れねえ」
「でも……」
「でもさ。お前の気持ちもわかるし、正直、気持ちはあたしも一緒だ。それに、ノムラをぶん殴りたい気持ちも、あたしには分かる」
「……」

 だから、無謀かも知れないけれど。艦種の違うあたしと榛名じゃ、あまりに馬鹿げたことだけど。

「だから榛名。お前の艤装、貸せ」
「え……?」

 榛名が、顔を上げ、あたしを見た。榛名の目が、『あなたは何を言っているんですか』と、私に疑問を投げかけている。

 馬鹿げたことを言っていると、あたし自身も思う。だけど、あたしと榛名が同じ気持ちを共有している以上、こいつの気持ちを汲んでやりたい。連れて行くことは出来ないが、あたしも、雪緒だけじゃなく、榛名と一緒に、涼風を取り返しに行きたい。

 だからあたしは、榛名と共に涼風を助けに行く。それが、あたしが榛名に出来る、精一杯だ。

「お前の気持ちは、お前の艤装であたしが届ける。」
「……」

 榛名は再び、あたしから視線を外した。悔しそうに下唇を噛み、雪緒の足元あたりを見つめてる。納得は出来ないみたいだが、あたしの提案を受け入れたようだ。榛名の艤装から、圧力を抜くプシュッという音が鳴ったのが、あたしにも分かった。

「おい提督!! 聞いてるか!?」

 右手の甲を右耳に当て、あたしはこの会話を聞いているであろう、提督に怒鳴りかけた。

『聞いている』
「聞いてのとおりだ! あたしは榛名の艤装をつけて出撃する!」
『……お前がつけて大丈夫なのか』
「知るかクソがッ!! でもこうするしかねーだろ!!!」
『……』
「お前の息子のワガママ聞いてやったんだ! あたしのワガママぐらいカワイイもんだろうが!!」
『……』
「要はあんたの義理の娘を助けて、ノムラを確保すりゃ文句ないだろ!?」
『……』
「返事しろ!! あのクソッタレ、生きて確保できりゃいいんだろうが!?」
『……ああ』

 よし。提督からの言質はとれた。これで大手を振って、榛名の艤装を装備して出撃出来る。それに……

「よし。決まりだ榛名。艤装よこせ」
「……」
「その代わりお前の分まで、あたしがノムラを殴り倒しておいてやる」
「……」
「提督から言質はとった。殺す寸前まで殴って殴って殴り倒してやる」

 水面に両膝をついていた、榛名が力なく立ち上がった。ふらりと立ち上がった榛名は、あたしの両肩に手を置き、涙が滲んだ、澄んだ大きな瞳で、まっすぐにあたしを見つめた。

「……摩耶さんッ」

 榛名の艤装から、圧力を抜くプシューっと言う音が鳴り響く、艤装の固定が外れたようだ。

「……お願いします……涼風ちゃんをどうか……どうかお願いしますッ……!! これでちゃんと……掴んで下さいッ」

 悔しそうに下唇を噛みしめる榛名の左手を、あたしは自分の左手で握る。当たり前だ。あたしたちの大切な妹だぞ。

「任せとけ。相棒と、お前と一緒に、妹助けてくるからさ」

……

…………

………………

「そういや……そうだったな……!!!」

 思い出した。私に託された榛名の艤装は、特別製だった。特殊な近代化改修を受けたこいつの艤装は、砲雷撃が得意なあたしたち艦娘の中で数少ない、接近戦に特化した改修が施されていたことを、忘れていた。

 あたしは榛名の艤装のギミックを作動させ、その巨大なマジックアームをバクリと展開する。展開されたマジックアームは、あの優しい榛名に似つかわしくない、禍々しい駆動音を轟かせ、あたしの顔面に狙いをつける雷巡チ級の主砲をがしりと掴み、そしてねじり上げる。

「榛名さんよぉ……お前に艤装を借りといて……正解だった……!」

 メキメキという嫌な音を周囲に響かせ、雷巡チ級の腕を、肩の根本から捻り落とす。チ級の悲鳴が周囲に響き、他の深海棲艦に動揺が走った。

「甘く見るなよ……金剛型最強の三番艦……榛名の艤装を!!!」

 そのままマジックアームでチ級の頭を抱え、至近距離で主砲を撃つ。榛名の主砲の反動は凄まじく、撃った側のあたしの身体が一瞬水面に沈み込み、そして私の身体にビリビリとした衝撃が走った。

 あたしの身体を駆け巡る衝撃は、同じくあたしの身体にかじり付いていたハ級たちにもダメージを与えたようだ。全身にかじりついていたハ級たちは慌てふためき、何匹かはあたしから口を離した。そのスキをあたしは逃さない。主砲の駆動音とは明らかに異なる、重く禍々しいモーター音を周囲に轟かせながら、左右のマジックアームで周囲をなぎ払い、すべてのハ級を引き裂き、殴り飛ばし、水面下に沈めた。

 そして、遠目からあたしに砲撃しているチ級たちに、左のダズル迷彩砲2門を向ける。相手からの砲撃はうるさいが、右のマジックアームで身体を覆えば、それもしっかりと防御可能だ。

「くたばれッ!!!」

 再び、身体が海に沈み込むほどの衝撃があたしの身体に襲いかかる。強大な反動に耐え、崩してしまったバランスを再び取り、あたしが姿勢を正した頃、あたしの視線のその先からは、チ級たちの姿は消えていた。

「さすが戦艦の主砲だ……助かったぜ榛名……」

 これで、あいつらを助けに行ける。涼風たちが乗っているボートを見た。ノムラのクソが涼風を拘束し、ボートの底面に銃を向けているようだ。雪緒の姿は見えない。底面に倒れこんでいるとすれば……あたしは即座に主機を回し、全速力でボートに向かう。

「う、嘘だ……嘘だよぉ……あんなに、大切に……したのに……こんなに、愛して……」

 クソが涼風から手を離し、一歩々々と後ずさりしはじめた。雪緒がクソを完膚なきまで言い負かしたようだ。クソの手を離れた涼風は、一目散に倒れている雪緒のもとにかけていく。やっぱり雪緒は倒れてやがったか。

 距離が近付き、雪緒の様子がやっと分かった。綺麗だった茶髪は血塗れで、口からの吐血もひどい。咳も止まらず、その度に口から血が飛び散っている。

「ゆきお! しっかりしろ!! ゆきお!!!」
「うん……あり……ゴフォッ!?」

 このクソヤロウ……涼風を助けてくれたあたしの相棒までボロ雑巾みたいにしやがって。

「おい」

 やっと追いついたクソヤロウの右肩に手を起き、無理矢理にこちらを向かせる。

「なッ……摩耶……」

 まさかあたしが深海棲艦を全滅させるだなんて思ってなかったのだろう。あたしを見るノムラの目は、驚愕と恐怖で、ピクピクと泳ぎ、痙攣しているようにも見える。そのまま左手の拳を振りぬき、ノムラの顔面を殴り飛ばす。バキという音とともに、ノムラの身体は宙を舞い、バシャリと水面に落ちた。

 ……まだ足りないよな、榛名。

 あたしは持ってきてたニッパーを雪緒と涼風に投げ、相棒に対し、涼風の拘束を解いてやるように指示した。雪緒はボロ雑巾のようにズタボロだが、根性のあるこいつなら、それぐらいはできるだろう。こいつがここに来た目的は、自分の相方を助けるためなんだから。自分の目的は、最後まで自分の力でやれ。そういうやつだろお前は。

「出来るか」
「うん……でき……ゴフッ……」
「上等だ相棒。あたしの妹分を助けてくれて、サンキューな」

 血を吐きながらではあったが、雪緒はあたしにそう答えた。体調は心配だが、あとは無事な涼風に任せることにしよう。涼風は雪緒に任せ、雪緒は涼風に任せる。あいつらは二人で一人らしい。互いが互いを助け合える。あとは、少しでも長く一緒にいてくれれば、それでいい。

 ……さて、あたしはもう一人の相棒との約束を果たそうか。

 水面にマジックアームを突っ込み、浮かんでいたノムラを引っ張り上げる。

「……ぐはっ!! カハッ……!!」

 榛名のマジックアームによって水面からひきずり出されたノムラは、生意気にも、雪緒と同じような咳をしてやがった。

「カハッ……カ……」
「おい」
「ゲホッ……ゲホッ……摩耶……助け……」

 寝言を言うノムラを、自分の目の前まで持ってくる。右手で襟を掴んでねじり上げ、マジックアームを離した。

「言ったよな。タダで済むとは思ってねぇよな」
「ま、待……」

 ノムラの返事を待たず、左の拳でノムラの頬を殴り、振りぬいた。『ガッ!?』という悲鳴と共に、ノムラの鼻から汚い血が飛んだのが見えた。

「これは五月雨の分だ」
「ハァ……ハァ……たしゅ」

 鼻に拳を打ち据え、捻り込む。鼻は潰れ、拳を離すと、大量の鼻血が一気に流れでた。

「ちょっとぬるいけどな。比叡の分はこれで勘弁してやる」
「ごふっ……ごふ……こふー……」
「右耳と左耳、いらねーのはどっちだ?」
「へ……へ?」

 間抜けに開いた口に、左拳を思い切りぶち込む。折れた歯が拳に食い込む感触があったが、不快感以外に感じるものはない。ノムラの口から拳を離すと、ポロポロと歯が何本か落ちていった。汚え。

「特別に口にしといてやった。金剛の分だ」
「ひゅー……かひゅー……」
「……で? 右耳と左耳、どっちがいらねーんだよ?」
「ひ、ひっ……」

 ノムラの両手が力なく上がり、自分の顔の前で、私に手の平をむける。あたしの拳をなんとか防ごうとしているようだが……あたしはマジックアームを再び起動し、それで左右からノムラの両手を掴んで、思い切りねじり、締め上げた。

「あぎゃぁぁあああああ!!?」
「うるせーよ」
「あぐッ……がぁぁああああああ!!?」

 ウィンウィンと鳴り響くアームの稼動音の音が大きく、激しい音になった。ノムラの身体を無理な方向に捻じ曲げ、負荷がかかった証拠だ。だが構わない。思い切りノムラの両腕を捻りあげる。

 涙目で悲鳴を上げるノムラの腹に、思い切り左拳を突き刺した。

「ごぶっ……!?」
「那智の分だよ」
「ほふ……ほぅ……おぶっ……」

 マジックアームでノムラを拘束したまま、涼風と雪緒をチラと伺う。あたしの相棒とあたしの妹分は、互いに抱きしめあって、無事を確かめているようだ。二人共、格好が痛々しい。雪緒は特にひどい。

 一方のノムラはどうだ。榛名のマジックアームに腕をねじり上げられ身動きはとれず、前歯がもげた口から吐瀉物を撒き散らしてはいるが、二人に比べて綺麗なもんだ。腹立たしいほどに。

「ハァ……おぶっ……摩耶……」
「あん?」
「たしゅ……け……」
「心配すんなよ殺さねえから。そういう命令だしな」
「……たしゅけ……て」
「だから命は助けるって言ってんだろ。命は」

 あたしの言葉がうれしいのか、それとも痛みのせいなのか。ノムラの左目から涙が流れてた。このクソが涼風みたいに泣くことがとても腹立たしい。渾身の力で左拳をノムラの左目にぶつけた。

「人の相棒と妹分を散々かわいがってくれたんだ」
「……」
「それに、榛名との約束もある。しこたまぶん殴ってやるから泣いて喜べ」

 その後あたしは、涼風が雪緒をおぶって帰路についたあと、このクソをロープでがんじがらめに縛り、水面に投げ捨てて曳航してやった。正直、その段階で溺れ死ねとも思ったが、そこは任務だから仕方ない。だから、助けを求められる度に殴り倒しておいた。



 あの騒動からしばらくして、あたしと一緒に涼風を助けてくれた相棒は、静かに息を引き取った。自分がもっとも愛する涼風に、自分のカーディガンを託し、指輪を渡して。

……

…………

………………

「柄じゃねえなぁ……」

 間宮で買った豆大福が二つ入った紙袋を持って、あたしは軍病院前の桜の木の下にやってきた。今日はとてもいい天気。春先らしいぽかぽかとしたお日様の光が暖かく、風はまだ春先らしくてとても冷たい。外にいるのがとても心地良い。

 ベンチにこしかけ、風が吹く度にサラサラと鳴る、桜の木を見上げる。桜はつい最近まで満開のピンク色でとてもキレイだったのだが、今はその花びらもほとんど散ってしまって、緑色の葉っぱが、太陽の光を受けて、気持ちよさそうに輝いている。

 本当は今日、あたしは第一艦隊として出撃予定だった。事実、今しがた旗艦の涼風と第一艦隊は今、大規模作戦に駆り出されて、元気に出撃していった。今日もロケットスタートを決めたらしく、ドカンという爆発音と共に大海原に飛び出ていった涼風と、必死にそれを追いかけている他のメンバーたちの姿が見えていた。

 あたしは今日はサボりだ。出撃しようと思っていたのだが、あまりに天気が良すぎた。雲一つないし、空は薄水色でとても高い。お日様はポカポカとキモチイイし、風もひんやりと心地いい。

 だったら、サボりたくなるのも仕方ないだろう。提督と涼風に許可をもらって第一艦隊を離脱した。別にアタシじゃなくても、防空艦なら他のやつもいる。だったら一日ぐらい、サボっても文句は言われないはずだ。

 そうしてフラフラと向かった先は、軍病院前の桜の木の下のベンチ。ここはとても景色がキレイで、軍病院のバックには緑色の山々が連なってる。振り返れば大海原が一望出来て、景色を眺めるのがとてもキモチイイ。

 そうしてしばらく眺めていたら、妙に豆大福が食べたくなった。まだここに来て間もなかった相棒が、涼風と一緒に、うまそうに豆大福を頬張っていたのを、フと思い出したからだ。

――ねーすずかぜー? んー……

 そんなのを思い出してしまったら、誰だって豆大福を食いたくなる。あたしは一度間宮に戻り、そして豆大福を二つ買って、このベンチに戻ってきたところだった。

 ベンチにあぐらをかいて座り、大海原を眺める。サラサラと心地いい桜の葉っぱの音を聞きながら、紙袋を開く、大きくてうまそうな豆大福が二つ、あたしの前に姿を表した。

「雪緒も食いたいかもしれねーけど、お前は涼風に頼め。この二つはあたしんだ」

 涼風と一緒に出撃しているはずの雪緒には聞こえるはずはないが、つい断りの言葉をポツリと口ずさむ。二つの豆大福のうちの一つを手に取り、それを口に運んだ。

「ぅぉぁぁああーん。はぐっ」

 途端に口の中にひろがる、あんこの甘みと、ほのかに感じる、豆のしょっぱさ。

「……たしかにうまいな」

 これは……あの二人が幸せに浸る理由もわかる。

「んー……幸せだ……」

 まさかあたし自身も、あの時の二人と同じ顔をするとは思ってなかった……。暫くの間、太陽のポカポカ陽気と風の心地よい冷たさ、そして豆大福の幸せを堪能した。

 豆大福を一つ平らげた後、あたしは両手で自分の頭を支え、薄水色に高い空を見上げながら、あの日のことを思い出していた。

 正直なところ……あの時、ゆきおを鎮守府に残してあたしだけ出撃したら、どうなっていただろう……そう思うことも、無くはない。そうすれば、今頃アイツは今も命を長らえて、涼風と一緒に、楽しく過ごしていたのかもしれない。

 でもあの時、雪緒は確かに艦娘だった。

 あとで涼風に聞いたのだが、あいつは自分のことを、『改白露型4番艦』と名乗ったそうだ。あたしたちの前で艤装を操って見せたし、名実ともに、雪緒は艦娘だったんだと、あたしは思う。男のくせに『艦娘』ってのはどうかと思うが……まぁいいか。あいつ、女みたいな顔してて、身体も細っこかったし。

 だったら……あたしたちの仲間で、一人前の艦娘だった雪緒が自分で決断したことを、あとからあたしがどうこう考えるのは、なんだか雪緒に失礼な気がした。あたしのせいで雪緒が沈んだなんて考えていたら……その結果もすべて飲みこんで、涼風を助けに行くという決断をしたあいつに、失礼な気がした。

 だからあたしは、雪緒と共に涼風を助けに行ったことを、後悔したことは一度もない。

「なぁ相棒」

 あいつは……あたしの相棒は、自分が大好きな涼風のそばにぴったりとくっついて、今も涼風を守ってる。あたしの相棒はきっと、いつの日か涼風に自分の支えが必要なくなるその瞬間まで、涼風のそばで、あいつを守り通すことだろう。

「涼風のこと……まだ暫くの間、頼むぜ」

 我ながら柄じゃないとは思いつつ、ついぽそっと口ずさんだ。あいつならきっと……あたしの相棒ならきっと、キッとあたしの方を見て、『はいっ』て、小気味よく言うだろうなぁ。女みたいな顔してるくせに、そんなときだけは、えらく男前にさ。

 視線を下げ、広がる大海原を眺めた。その海は、あたしの妹と相棒がこっそり抜け出したあの日のように、キラキラと輝いていた。

 そして、今もあたしの頬を撫でる風は、あの日のようにひやっと冷たく、そして心地よかった。

 紙袋からもう一つの豆大福を取り出し、それを口にほおり込んで丁寧に咀嚼した。その瞬間、海から吹く潮風が勢いを増す。それがまるで、あたしの豆大福を欲しがる、相棒からのブーイングのような気がした。

「だからよー。涼風に食わせてもらえってー。お前ら、二人で一人なんだろー?」

 途端に風が止む。なんだよ。あたしに『二人で一人』って言われて急に恥ずかしくなったのか。あの日はあたしの前でさんざん抱き合って喜んでたくせに。

 まぁいいか。相棒にそこまで催促されたのなら仕方ない。帰る途中に間宮で豆大福を二つ買って帰ることを心に誓い、あたしは豆大福の残りを味わうことに、全力を注いだ。

 大海原を眺めた。第一艦隊の面々が戻ってきたらしい。作戦終了までがとても早い。さすがはあたしの妹分。以前と比べると、まるで別人のように頼もしい。

 ……そして、さすがはあたしの相棒だ。

 妹と相棒の有能さに鼻高々な気持ちを感じつつ、あたしは口の中の豆大福を飲み込んだ。

終わり。

 
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