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俺の涼風 ぼくと涼風

作者:おかぴ1129
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16. ちょっと行ってきます

「えーと……摩耶と榛名から……妙な報告を受けたんだが……」

 朝の執務室。東向きの大きな窓からは、とてもまぶしい朝日が差し込む。もう冬真っ盛りだから外は寒いはずなのだが、お日様の光の強さだけで見れば、今日はまさに小春日和と言ってもいい晴天。窓のそばでお日様の光を全身に浴びれば、ぽかぽかと温かく心地いい。

 自身の席に座る提督の前には、私と、ゆきおが並んで立っている。私は少々後ろめたくて、提督の顔をまっすぐ見ることが出来ず、うつむき気味の上目遣いでしか、提督の様子を伺うことが出来ない。

「妙な報告って?」

 一方のゆきおは、胸を張って、妙に堂々と佇んでいた。服はいつもの純白の室内着に、クリーム色のカーディガン。その細っこく華奢な身体は普段と変わらない。だけど背筋を伸ばして堂々と佇むゆきおは、普段よりも、少しだけ背が高く見えた。

 そのゆきおが、提督の顔をまっすぐに見つめながら、提督の質問の真意を問いただす。なんだかゆきおの方がスゴミがあって、提督の方がおっかなびっくり……といった具合だ。

「……お前らさ。昨晩、一緒に、その……寝たって?」
「うん」

 提督の恐る恐るの質問に対し、ゆきおは堂々と、ハッキリと答えていた。そこには、私のような後ろめたさはない。

 昨晩、ゆきおにあの日の話を聞いてもらった私は、久しぶりの睡魔に身体を委ね、心地良い安心感の中で眠ってしまった。ゆきおもその後すぐ眠ってしまったらしく、私とゆきおは昨晩、一緒のベッドで、一緒に眠った。

 そして今日。私があまりに起きてこないため、業を煮やした摩耶姉ちゃんが合鍵を使って私の部屋に踏み込んだそうだ。そこに私の姿がないことに愕然とし、榛名姉ちゃんとともに鎮守府内を探しまわったらしい。

 ひとしきり鎮守府内を探しまわった後、『もしや』と感じるものがあった榛名姉ちゃんが、ゆきおの部屋を覗いてみたところ……ベッドの上で大の字になって歯ぎしりしながら爆睡している私と、その隣で身体を縮こませて耳をふさぎながら、それでも熟睡し寝言を言っているゆきお……そんな私たち二人の寝姿を見たらしい。

『んぎぎぎぎぎぎ……ッ!!!』
『んー……しおこぶ……ニヘラぁ』
『てや……んで……ゆきおッ……ギリギリギリギリッ!!!』
『ちょ……待って……ホットケーキが……すずか……ぜ……に……ッ!?』

 私が昔のように、盛大に歯ぎしりを鳴らしながら寝ていることに安心しつつも、その大騒音の中でも平気で寝ているゆきおに戦慄を覚えたと、後に榛名姉ちゃんは語ってくれた。

 榛名姉ちゃんは摩耶姉ちゃんに事の次第を相談。それを受けて摩耶姉ちゃんは……

――面白そうだ 提督にチクってやろうぜ ニッシッシ

 と桔梗屋から山吹色のおまんじゅうを受け取る悪代官のようにほくそ笑み、結果、今私とゆきおは、提督から呼び出しを食らって、この執務室にいる。

 私たちの背後には、摩耶姉ちゃんと榛名姉ちゃんがいる。二人が今どんな顔をしているのか分からないが、時々『ニッシッシ』といういやらしい笑い声が聞こえてくるから、少なくとも摩耶姉ちゃんは越後屋のように邪悪なほほ笑みを浮かべているはずだ。

「あのなぁお前ら……」

 うなだれた提督は、がっくりと肩を落としつつ、ため息混じりに話をすすめた。私はすこーしだけ顔をあげ、ゆきおの様子を伺う。ゆきおは相変わらず、提督をまっすぐジッと見ていた。ともすれば睨みつけているようにも見えるほど、真剣な眼差しだった。

「なに?」
「涼風がお前によくしてくれてるのは知ってるし、仲がいいのはいいことだ」
「じゃあ何がダメなの?」
「だからっつって、一緒に寝るってのはなぁ……」

 視線をゆきおから提督に移す。提督は自分の帽子を脱ぎ、うつむいたまま、困った顔で頭をぽりぽりとかいていた。『注意したいが、どう注意すればいいのか分からない』提督の顔には、そんな言葉が書いてあるように見えた。

「ぼくが男だから?」
「まぁ……そうだなぁ」

 二人の声の調子だけを聞いていると、どっちが追い詰められているのか分からない。ゆきおはきっぱりハッキリと提督に質問をし、提督がしどろもどろになりながら答えている……そんな感じだ。

 そんな二人の様子は、私たちの後ろの二人にとっても、可笑しい状況らしい。『クックックッ……』という摩耶姉ちゃんのいやらしい含み笑いと、『タハハ……』という榛名姉ちゃんの苦笑いの声が聞こえる。

「父さんだって昔、母さんと一緒に寝てたじゃないか」
「あれはいいんだよッ!!」
「母さんの名前を呼びながら『だいしゅきぃ』って寝言言ってたらしいじゃないかっ」
「今その話するか!? みんなの前で自分の父親の醜態の話するか普通!?」

 背後から『ブホッ!?』という、摩耶姉ちゃんが吹き出した声が聞こえた。私もつられてつい吹き出した。まさか提督に、そんな甘えん坊な一面があったとは……!!

「お前……むかつくほどあいつにそっくりになってきたな……」
「母さんの息子だからね。それにさっきの寝言は、母さんが教えてくれた」
「……なんだと?」
「『父さんは頼りがいがあってすごくカッコイイけど、ああ見えてホントは甘えん坊でカワイイ人なんだよ』って言ってた」

 途端に提督の顔が真っ赤に染まる。スッと立ち上がった提督は私たちに背を向け、無言でそばの本棚に頭を何度もガンガンとぶつけ始めた。摩耶姉ちゃんが『アヒャヒャヒャ!!! はらいてぇ!!?』と腹を抱えて大笑いしはじめ、榛名姉ちゃんは『あは……アハハハハ……』と苦笑いに拍車がかかる。

 私もつられて笑いつつ、二人の話を聞いている。提督とゆきお……似た物親子の血みどろの戦いは、私たちを笑いの渦へと巻き込んでいた。

 ひとしきり頭を打ち付けた提督が冷静を取り戻し、再び帽子を被って私たちの方を向き、席に座った。その顔には、さっきのような真っ赤に染まったほっぺたはない。

「……どっちからだ」
「何が?」
「どっちが誘ったんだ」

 急に冷静になった提督の突然の追求には、ゆきおもさすがにうろたえたようだ。ゆきおの身体が、少しのけぞったのが分かった。

「なんで?」
「……いいから答えろって。お前か? 涼風か?」

 いくら今までゆきおに追い詰められてたとはいえ、やはりそこは百戦錬磨の大人の提督。本気になれば、逆にゆきおを追い詰めていくのは容易いらしい。

 昨晩二人で眠ったのは、原因の大半は私にある。私がワガママでゆきおに寝転んでもらい、話をしているうちに、私が眠ってしまったことが原因だ。

「あ、あのさ提督……」
「なんだ涼風」
「えっと……あたいが……」

 これは素直に言うべきだ。私は意を決し、昨晩のことを提督に謝罪しようとした。

 だけどその瞬間、ゆきおが私の手をガシッと握った。その力は、いつになくとても強い。

「僕がワガママ言った!」
「え……?」
「……」

 ゆきおが、私をかばってくれた?

「発端はお前か?」
「僕がワガママ言った。涼風が珍しく夜に遊びに来たから、『いっしょにねようよぉ』てワガママ言ったんだ」
「……ホントか?」

 ダメだ。ワガママを言ったのは私だし、先に寝てしまったのも私だ。それなのに、ゆきおに濡れ衣を着せるわけには行かない。私もゆきおの手を強く握り、自ら冤罪をかぶろうとするゆきおを制止した。

「提督! あたいだ!! あたいがワガママ言ったんだ!!」
「??」
「怖くて怖くて眠れなくて……だからゆきおの部屋に行って、『一緒に寝てくれ』てせがんだんだ!! だからゆきおは悪くねえ!!」
「どっちだよ……」
「あたいだよ! ワガママ言ったのはあたいだッ!!!」
「違うぼくだ!! ぼくが父さんみたいに『いっしょにねようよぉしゅじゅかじぇー』てワガママ言ったんだよ父さんの息子なだけにッ!!!」
「どさくさに紛れて自分の父親の羞恥心を煽るのはやめろッ!」
「違うあたいだ!! ゆきおはあたいのワガママに付き合ってくれただけだ!! どこかの甘えん坊な父親と違ってッ!!!」
「お前も自分の上官をさりげなく辱めるのはやめるンだッ!!」

 提督とゆきおの諍いに私も参戦し、果てしなくしょぼい言い争いは泥沼の様相を呈してきた。私とゆきおは手をつなぎ、提督を辱めつつ、互いに『ほくだ!!』『あたいだ!!』と罪をかぶり、提督はそんな私達の暴言にひたすら呆れ果てるばかり。

 私たちの後ろの摩耶姉ちゃんは『ヒー……やめてくるし……腹痛い……アヒャヒャヒャ……!!!』と酸欠気味な声を上げ、榛名姉ちゃんもついに『こ、これは榛名も……ぶふっ……ヒョヒョヒョ』とキレイでおしとやかな榛名姉ちゃんにあるまじき笑い声を上げ始めた。ドッタンバッタン激しい音が聞こえてるから、どちらかが床の上で転げまわってるのかも知れない。きっと摩耶姉ちゃんだけど。

「ヒー……ヒー……て、提督……ブホッ」

 ひとしきり私たちの醜い言い争いが続いたあと、ついに摩耶姉ちゃんが横槍を入れた。だけどその声は、ホントに息苦しそうで、聞いてるこっちを不安にさせる。

「なんだ摩耶ぁ!!!」
「ちょ……突然怒鳴っても……ブヒャヒャヒャ……もはや威厳ゼロ……アヒャヒャヒャ!!!」

 かと思えば、また摩耶姉ちゃんは吹き出し、再びドッタンバッタン激しい音が執務室に鳴り響く。耐えられなくなった摩耶姉ちゃんが再びお腹を抱えて大笑いしているようだ。やっぱりさっきのドッタンバッタンの犯人は摩耶姉ちゃんだったのかっ。

「ブフッ……て、提督。これはもう……二人が一緒に寝るのを……ブフゥ……認めては……オフッ……いかが、かと……」

 今度は榛名姉ちゃんが横槍を入れた。摩耶姉ちゃんほどではないが、榛名姉ちゃんも必死に笑いを押し殺しているつもりなようだが、我慢しきれてない笑いが時々噴き出している。

「笑うな榛名ァ!!」
「ブフッ……いや、榛名は……ンブッ……だいじょ……んくっ……ぶ……ブフゥ」
「全然大丈夫じゃないだろうがァ!!」

 不思議だ。この鎮守府に来てから、この提督がこんなに怒鳴ってるのを見たのははじめてなのに、全然怖くない。むしろ微笑ましい。こんなに大声で怒鳴る人でも、自分の大切な人の前だと、『だいしゅきぃ』て言ったりするんだ……

 私にとっての大切な人は……誰だろう……少しだけ、ゆきおの方に視線を移す。ゆきおは相変わらず、提督をキッと凛々しい瞳で、まっすぐに見据えていた。

「……で、どっちが本当なんだよ」
「ぼくだッ!!」「あたいだッ!!」
「……」
「違うぼくだッ!!」「違うあたいだッ!!」

 互いに引かない私たち。二人で提督をキッと見据える。目は合わせないけど、私たちはずっと手を握っていた。

 提督はそんな私達の顔を交互に見て、フゥっとため息をついた。私たちの追求を諦めたらしい。がっくりと肩を落としていたから、本位ではなかったようだけど。

「……で、ここからが本題なんだけどな」
「え!? あたいたちに説教くらわすために呼んだんじゃないのか!?」
「甘えん坊父さんなのに!?」
「誰が甘えん坊父さんやねん。お前ら一回大人社会の厳しさを教えてやろうか」

 その後、完全にへそを曲げた提督いわく……三日後、提督とゆきおは、二週間ほど鎮守府を離れるそうだ。そのことを伝えるため、提督はわざわざ、ゆきおと私たちを執務室に呼んだのか……

 その話を聞いた時、私は最初、『わざわざここで話さなくてもいいんじゃないか』と思った。わざわざ私たちの前で今そんな話をしなくても、いつものように夕食の時にでも、みんなの前で話をすればそれで済むじゃないか……と思ったのだが、それは何か言えない理由があるようだ。

「……ゆきお」
「ん?」
「あの日が決まった」
「……うん」
「いいな?」
「うん」

 そんなやりとりを交わすゆきおと提督が、ただならぬ雰囲気を漂わせていたことから感じ取れた。

 それが一体何を意味しているのか、詳しくは私にはわからない。でも、ゆきおは男の艦娘第一号になるためにここにいる。ということは、ついにゆきおが艦娘になる日が近いのかも知れない。ひょっとしたら二人は、その為に鎮守府を空けて、司令部に行くのかも……

 提督が言うには、不在の間は大淀さんが鎮守府の運営を任されるそうだが、特に何もない限り、鎮守府の活動はストップするそうだ。私達も、ちょっと長い休みがもらえる。その休みをゆきおと一緒に過ごせないのは、ちょっと残念だけど。

「そういうわけだ。すまん涼風。ちょっと雪緒を連れてくから」

 出来ればゆきおは置いて、提督だけ一人で行って欲しかったが、それを口に出すことは出来なかった。なぜなら。

「……ごめん涼風」
「へ? なんで?」
「昨日は『ずっと一緒』て言ったのに……」
「いいじゃねーか! 大切な用事なんだろ? あたいは待ってるよ!!」
「うん」
「だから帰ってきたら、いっぱい話そうぜ!!」
「うんっ」

 私に謝るゆきおの手が、その瞬間、私の手を強く握ったからだった。



 そうして、ゆきおと提督が鎮守府を離れる日までの2日の間は、特に何事もなく過ぎていく。変わったことといえば、私が夜、眠れるようになったことで、出撃や遠征に出ることが出来るようになったことと……

「まーたお前ら一緒に寝てたのか……」
「まぁねー」
「ぼくらは二人で一人だからー」

 私とゆきおが、一緒に寝るようになったことぐらいだ。確かに提督にはいい顔をされなかったが、逆に言えば『ダメだっ!!』と言われたわけでもない。ならば私は……ゆきおと名コンビで、二人で一人の私は、ゆきおとずっと一緒にいたい。それに、ゆきおと一緒に眠れば、私も怖い夢を見ずに済む。

 昨晩も一緒に眠った私達は、二人で手を繋いで、食堂まで朝ごはんを食べに向かった。食堂では摩耶姉ちゃんと榛名姉ちゃんが朝ごはんを食べながら私たちを待ち構えていたようで、手を繋いで一緒に食堂に入る私たちを、榛名姉ちゃんは笑顔で……摩耶姉ちゃんは呆れ顔で出迎えていた。

 私はゆきおと一緒に朝ごはんが乗ったお盆を鳳翔さんから受け取り、二人で摩耶姉ちゃんと榛名姉ちゃんが待つテーブルへと向かう。

「榛名姉ちゃんおはよー!!」
「榛名さんおはよ! ケホッ……」
「おはようございます! 今日もお二人は仲良しですね!」
「「えへへー」」

 私たちが席に着くなり、榛名姉ちゃんは満面の笑顔で私たちに挨拶してくれる。仲直りしたあの日から、榛名姉ちゃんは以前のように、私たちにとても優しい、仲直りが出来て本当に良かったと思える瞬間だ。

「ったく……いつか提督、ストレスでハゲんぞ?」
「いいんだ。ケホッ……父さんは甘えん坊父さんなんだからっ」
「つーかよぉ雪緒。お前、あのエクストリーム歯ぎしりの中でよく寝られるな」
「いや、別に……うるさいって思ったこと、無いけど……」
「そ、そっか……」
「?」

 摩耶姉ちゃんは、今日も呆れ顔で私たちを迎えてくれる。確かに顔は呆れているけれど、その目はどこかうれしそうだ。

 二人への挨拶もそこそこに、私とゆきおは朝ごはんを食べるため、二人で声を合わせて『いただきます!!』と宣言し、お味噌汁に手を伸ばした。今日の朝ごはんの献立は、豆腐とわかめのお味噌汁にだし巻き卵。そしてきゅうりの浅漬と銀だらの西京焼き。

 お味噌汁を口にして、まだ眠っている胃袋を起こした後は、美味しそうにふっくらと焼けた西京焼きに箸を伸ばす。焦げた部分が香ばしくて身はふっくら。西京味噌の味がご飯によく合う逸品で、食べれば食べるほどお腹が空いてくる不思議なメニューだ。

「んふー……ゆきおー……」
「んー……なにー?」
「西京焼きとご飯も……んふー……名コンビだよなー……」
「だよねー……僕らと同じで、二人で一人だよねー……」
「「んふー……」」
「お前ら……」
「お二人、顔そっくりです……」

 呆れる摩耶姉ちゃんと榛名姉ちゃんをよそに、私たちは引き続き西京焼きその他諸々に舌鼓を打ち続けた。

 魅惑の西京漬けとだし巻き卵の朝ごはんを堪能したあと、私たち4人は熱いお茶をすすってホッと一息ついていた。ゆきおの湯呑を覗くと、すでにお茶は空っぽになっている。私はゆきおの湯呑を奪い去り、急須を取ってお茶を注いであげた。『ありがと』とお礼を言ったゆきおはそのままお茶をすすり、その瞬間に顔をしかめる。

「……すずかぜ、苦い」
「そか?」
「うん。涼風が淹れてくれるお茶、いつもこゆい。けふっ……」
「あたいはこれぐらいこゆい方がいいけどなぁー……」

 とはいいながらも飲んでくれる辺り、嫌いというほどでもないようだ。いつも飲んでるあの苦い粉薬のせいで、苦い味に耐性がついているのかもしれないなと、軽くせきこんでいるゆきおを見ながら考えた。

 ところで、今日はゆきおが提督と共に、鎮守府を離れる日だ。

「なー雪緒」
「ん? 摩耶さん何?」
「お前さ。今日から提督と鎮守府から離れるんだよな」
「10時過ぎには出発します。けふっ……」
「どこ行くんだよ?」

 きゅうりの浅漬にバリバリとかじりつきながら、摩耶姉ちゃんがゆきおにといかけ、ゆきおがちょっと戸惑っているように見える。摩耶姉ちゃんも軽い気持ちで質問したはずなのだが、ゆきおの顔が妙に優れない。

 実は私も気になっていた。ゆきお自身がその話に触れないので、私もその話には触れないようにしているのだが……やはりパートナーがどこに行くかは知りたい。

 ……もっとも、それをゆきおが話してくれるのなら……というのが前提だけど。

「えっとね。東京」
「へー」
「ちょっと用事があるんです」
「ほーん……提督もあんまその件は話してくれなくてさー。大本営に行くとは言ってたけど……」

 そこまで言うと摩耶姉ちゃんは、再び急須を取って自分の湯呑にお茶を注ぎ、それをすすって顔をしかめていた。口がむにむにしているから、私のお茶が苦いのかも知れない。

「大淀さんも詳しくは知らないらしいんですよね」

 榛名姉ちゃんが空になった急須を取り、蓋を開けてポットからお湯を継ぎ足していた。これで多少はお茶の苦味も和らいだかも知れない。私には少々物足りないけれど。

「何か東京で用事でもあるんですか?」
「そうらしいです。けふっ……」
「雪緒くんもですか?」
「ぼくは親族が東京にいるんで。ぼくの顔を見せたいそうです」
「へー……」

 ゆきおは榛名姉ちゃんの質問に笑顔で答えた後、私の隣で顔をしかめてお茶をすすっていた。私は、そんなゆきおの横顔をこっそり眺める。あの粉薬を飲んでる時のようなしかめっ面だが、それでも律儀に飲んでくれてるってことは、少なくとも飲めないレベルの苦さではないようだ。

 そういえば。少し前まで……それこそ、私が眠れなくて苦しんでいる間、ゆきおも満足に睡眠が取れてなかったらしく、目の下にクマを作っていた。それが、最近はクマもなくなり、以前のキレイな顔に戻っている。ここ数日は私と一緒にぐっすり眠っているのかもしれないが、それ以前に、ゆきおが睡眠不足に陥っていた理由は何だったんだろうか。フとそんなことを考えた。

「なーゆきおー……」
「うん?」
「……なんでもねーやっ」
「??」

 そのことを聞こうとして、やめる。なんだか、聞いてはいけないような予感がした。

 その後『出かける準備しなきゃ……』と言って、ゆきおは一人で自分の部屋に戻っていった。その後ろ姿は、いつものようにとても華奢で細っこくて……それで、とても頼りがいのある背中だ。

「おーい涼風。ニヤニヤ」
「ん? どしたー摩耶姉ちゃん?」
「一緒に行かなくていいのか?」
「いいんだよっ。ゆきおは準備で忙しいんだからっ!!」
「準備を手伝ってやりゃ雪緒だって喜ぶだろうに」

 ……私だって出来れば手伝いたいけれど……摩耶姉ちゃんは知らない。ゆきおは、自分のことは極力自分でやりたがる。どうしても無理な時は仕方なく私に頼むこともあるけれど、そうでなければ、意地でも自分ひとりでやろうとする。

「ゆきおは、あたいが手伝わなくても自分でやるからいいのっ」
「そっか。お互いのこと、よくわかってんだなぁ。ニヤニヤ」

 ……あ、そういえば。摩耶姉ちゃんと榛名姉ちゃんに聞きたいことがあったっけ。

「そういやさ。ちょいと二人に聞きたいことがあるんだ」
「ほ?」
「はい?」

 以前、ゆきおと二人でデートしてた時、あのフードコーナーのお姉さんに言われたこと……

――男のパンツ姿ってのぁーな。その時がこなきゃ、見れないもんだ。

 その後の騒動ですっかり忘れていたけれど……最近、そのことを思い出して気になっていた。男がパンツ姿を見せる『その時』って何だ?

 ゆきおには内緒だが、実は私は、昨晩こっそりゆきおのパンツを見た。夜中にフと目がさめて、隣を見るとゆきおが『んー……ショートケーキ……いちごがすずかぜに……ッ!?』と気持ちよさそうに寝言を言いながら眠っていた。気持ちよさそうに眠っているゆきおの寝顔を眺めていたら、あの時の気持ちをふつふつと思い出してしまい……

「こっそり見ちまったんだよ。ゆきおのパンツ」
「「……」」
「この前デートしたときに買った、ケツに水戸黄門の印籠が描かれてた真っ赤なパンツだったんだけどさ」
「「……」」
「それはまぁ別にいいとして。男が女にパンツ姿を見せる『その時』って一体いつだ? あたい、さっぱりわかんねーんだけど」

 私は至極真面目な話をしているはずなのだが……摩耶姉ちゃんはあからさまに困惑の表情を浮かべ、榛名姉ちゃんは苦笑いが止まらず、お茶を注ぐ手が震えている。私の質問は、二人を困惑させるのに充分な威力を持っていたようだ。それはまぁいい。腑には落ちないけれど。

 妙なのは、そんな二人のほっぺたがほんのり赤いということだ。なんだ恥ずかしいのか? 私は別に恥ずかしい質問をしているつもりはないんだけど……。

「榛名」
「は、はい」
「教えてやれよ」
「榛名がですか!? 摩耶さんが教えればいいのでは!?」
「あ、あたしは……その……柄じゃねぇし……」

 おかしい……この二人ならきっと教えてくれると思ったんだけど、二人とも顔を真っ赤にして、互いに擦り付け合っている……これはますます気になる。私は二人にさらに詰め寄っていく。さながら真犯人につめよる少年探偵のように……おっ。なんかゆきおみたいだ。

「なぁ摩耶姉ちゃん」
「……榛名に聞け」
「榛名姉ちゃん教えてくれよぉ」
「あは……あはは……えっと……」

 なんでだ? なんで教えてくれない? ひょっとして、私はなんか不味いことでも聞いているのか? ゆきおのパンツを見たいというのは、そんなにいけないことなの?

「おい涼風」
「ん?」

 二人の困惑っぷりに私も困惑し始めていたのだが……ここでちょっと不機嫌そうな顔をした……でも顔真っ赤っかだけど……摩耶姉ちゃんが、お茶をすすりながら私を呼ぶ。

「そのフードコーナーのお姉さん、何て言ってたんだ」
「それが分かる頃には、ゆきおもあたいにパンツ見せてくれてるって言ってた」
「それが全てだ。いい加減察しろよ。六駆の奴らじゃねーんだからお前は」
「うん?」

 なんでそこで六駆のみんなの話が出てくるのかさっぱりわからない。後ろの方で『へくちっ』『暁、風邪?』『き、きっと一人前のれでぃーのこの暁の噂が……ッ!?』というセリフが聞こえてきた。うわさがあるとくしゃみをするってのは、本当だったのか……

 それ以上は二人共、うんともすんとも言わなくなってしまい、ついに『その時』とは何かを私は知ることが出来なかった。姉ちゃんズのアホ。肝心なときに頼りにならない……ゆきおと正反対じゃないかっ。



 食堂でのひと悶着の後、私は一度部屋に戻った。今日から鎮守府は休みに入るから、私たちは出撃も遠征もない。ゆきおもいなくなるから、しばらくは暇な日々が続くことになる。

 時計を見ると午前9時。ゆきおは今、東京に向かう準備をしているのだろうか。

 9時半になるのを待って、私はゆきおの宿舎へと足を運ぶ。確かゆきおは、10時には鎮守府を出ると言っていた。それぐらいに足を運べば、見送りぐらいは出来るはずだ。一緒に行くことも出来ないし、その間は離れ離れになる。せめて見送りぐらいはしたい。

 ゆきおの宿舎に向かうため、私は入渠施設の前を通り、桜の木の前に来た。季節はもう冬本番。吹き付ける風も冷たいし、桜の木も、すでに葉っぱはすべてキレイに落ちている。

 強い風が吹き、私の肩を冷やした。でも不思議と、ノムラの恐怖にふるえていた時のような、嫌な寒さは感じない。今の私には、この冬の厳しい寒さも心地いい。息が白い。ひょっとしたら鼻も赤くなっているのかも……。冷たくかじかみ始めた手を、白くなった自分の息で温めた。

 ゆきおの部屋の窓を見上げる。そういえば、ゆきおとはじめて出会った時も、私はあの窓を眺めてたんだっけ。あの時と違って、今は窓は閉じているけれど。でも、あの日のことは昨日のことのように思い出せる。見ているこちらが思わず息を呑むほどの真剣な表情で紙飛行機を飛ばし、そしてその紙飛行機が、稀に見るケッタイな軌跡を描いて墜落していったあの日。二人で一人の私達が出会ったのが、あの日だったんだっけ。

 なぜかそんなことを思い出しながら、私は窓を見つめ続けた。しばらく見つめていたら、窓のカーテンが開き、ついで窓がバンと開いて、ゆきおが顔を覗かせた。いつもの真っ白い室内着ではないけれど。カーディガンも羽織ってはいないけれど……ダッフルコートを着たゆきおが、窓から顔をぴこっと出した。

 『ゆきおが窓を開けた』という事実が、私の胸を高鳴らせた。

「ゆきおー!!」
「? すずかぜ?」

 気がついた時、私はあの日のように、ゆきおに向かって盛大に手を振り、そしてゆきおの名を叫んでいた。

「ゆーきーおー!!」
「涼風……すずかぜー!!」

 そんな私に対し、ゆきおもあの日のように、私の名を呼んで、パタパタと右手を振ってくれる。

「準備は終わったのかー!?」
「終わった! これから出る!! ちょっと待ってて!」

 ゆきおはそう言い、慌てて窓をバタンと閉じていた。そして待つこと数分。

「ハッ……ハッ……おまたせっ!!」

 革製のアンティークっぽいキャリーケースを引きずって、ゆきおが宿舎の入り口に姿を見せた。そのままゆきおは、キャリーケースをガラガラと引きずりつつ、桜の木の下へ……私の元へと、急ぎ足でやってくる。珍しくそんな風に急いでセコセコと動いているゆきおが、何と無しにおかしかった。

「どうしたの?」
「ゆきお、もうすぐ出発だろ?」
「うんっ」
「だから見送りに来たっ!」
「……そっか。ありがと。ちょうど出るとこだったんだ」

 聞けば、どうやら提督とは正門で待ち合わせをしているらしい。正門にはすでに、迎えの車が到着してるんだとか。

 もうすぐ、ゆきおは行くのか……。

「じゃあ……」
「うん?」
「正門まであたいがついてってやるよ!」
「いいの? ケホッ……」
「てやんでぃッ! あたいとゆきおはコンビで、二人で一人なんだろ?」
「うん」
「だったらあたいがゆきおを見送らないで、誰がゆきおを見送るってんだべらぼうめえ!」

 これは、半分はウソだ。本当は、少しでも一緒にいたいからで……

 でもゆきおは、私のワガママに対して、ほっぺたを少し赤くして、でもとてもうれしそうに満面の笑顔を浮かべながら、

「ケホッ……ありがと!」

 と咳き込みつつ言ってくれ、キャリーケースを持ってない方の手で、私の手を握ってくれた。

 デートの日のように、正門までの道のりを二人で歩く。はじめこそ今日の朝ごはんの献立のことや、摩耶姉ちゃんと榛名姉ちゃんの昔話なんかを面白おかしく話していたのだが……

「……」
「……」

 正門が近づいてくるに連れ、二人とも言葉を発さなくなってきた。私たちの間に会話が無くなり、ゆきおが引きずるキャリーケースの音だけが、ガラガラと鳴り響く。

「……」
「……」

 今日を境に、しばらくゆきおと会えなくなる。本当はもっと色々と話したいことがあったはずなのだが……不思議と、言葉を発することが出来なくなってきた。いつの間にかつないでいる、この温かいゆきおの手を、しばらく握ることが出来ない……そう考えただけで、なんだか気持ちが沈んでいくのが分かる。

 こっそりとゆきおの横顔を見る。ゆきおは、私のように俯いてなどいなかった。まっすぐに前を見て、その眼差しはとても真剣だった。

 ゆきおが、こんなまっすぐな眼差しをし始めたのはいつからだろう?

「ケホッ……すずかぜ」
「ん?」

 ゆきおが咳き込みながら、私の名を呼んだ。ここ数日、ゆきおは咳き込むことが増えてきた。以前に『風邪だ』て言ってたけれど、それをこじらせて長引いているのかも。

「ぼくが東京に行くのはね。艦娘になるためなんだ。ケホッ……」
「そうなのか?」
「うん。東京で身体の精密検査をして、問題がなければ手続きして、艦娘になって帰ってくる」

 なるほど。私が睨んだ通りだったようだ。やっとゆきおは、艦娘になれるらしい。

「よかったなゆきお! やっと艦娘になれるんだな!!」
「うん。これでやっと、涼風と肩を並べて戦えるんだ」

 そういうと、ゆきおは私の顔を見て、目を輝かせてニッと笑う。私も、ゆきおと一緒に海に出られると思うと、楽しみで胸が踊る。ゆきおと一緒に出撃できるという事実は、私の胸を弾ませた。きっと、誰よりも頼りになる。摩耶姉ちゃんよりも、榛名姉ちゃんよりも頼りになる。だってゆきおは、私と名コンビで、私とゆきおは、二人で一人だから。

「ところでゆきお、艦種は?」
「まだわかんない。だけどきっと駆逐艦だ。ぼくは身体が小さいし、背格好も涼風と変わらないから」
「そっか!」
「改白露型がいいなー……涼風とお揃いの艤装をつけたいな……あ、でもこのことは他の人には言ったらダメだよ?」
「お、おうっ」
「父さんにも言わないでね? 怒られちゃうから」
「お、おうっ」

 再び前を向き、正門に停っている車を眺めるゆきおの眼差しは、とてもキラキラと輝いている。ゆきおが黙っていた理由は、私と離れる寂しさからではなく、東京から戻ってきたら、私と一緒に海に出られるんだという楽しみで、胸がいっぱいになっているからだったのか。

 私も、気分を切り替えよう。こんなに希望に満ちあふれているゆきおに、『寂しい』なんて言えるわけがない。

 それに、ゆきおはすぐに戻ってくる。そして、戻ってきた時は、史上初の男の艦娘になっているんだ。そして私と一緒に海に出て、一緒に出撃出来るんだ。そのことは私もうれしい。

「ゆきおっ!」
「ん?」
「へへ……」

 だから、今日ゆきおと提督が東京に向かうことは、私も嬉しいことなんだ。だから、沈むのはやめよう。私がそう決意し、ゆきおの手をギュッと握ってほほえみかけた時、私達は正門に到着していた。

「おまたせ父さん」
「おっ。涼風も一緒か」
「おうよ!」
「見送りに来てくれたのか?」
「あたぼうよぉ!」

 すでに待っていた提督が、私たちに声をかける。提督はいつもの白い上下の制服だが、胸の辺りにいくつか勲章がついていた。いわゆる外出用の礼服のようだ。私が提督と言葉を交わしている間に、ゆきおがキャリーケースを車の運転手と思しき人に預けているのが見えた。運転手さんはキャリーケースを持ち上げ、車のトランクを開いてその中に突っ込んでいる。

「……あ、ちょっと待って」

 トランクの蓋を閉めようとした運転手さんを制止したゆきおが、一度キャリーケースを開いているようだ。中をごそごそとまさぐったあと、中から何かを取り出し、それを私の前まで持ってきた。

「?」
「すずかぜっ」
「どした?」
「ケホッ……はいっ」

 ゆきおが持ってきてくれたもの。それは、いつもゆきおが羽織っている、クリーム色のカーディガン。ゆきおは優しく微笑みながらそれを広げ、私の肩に羽織らせてくれた。

「ぼくがいない間、それ羽織ってなよ。あったかいから」

 そう言うゆきおの優しい微笑みに、私の胸がギュッと締め付けられる。

「え……でもゆきお」
「ん?」
「そしたら、ゆきおは東京で何を羽織るんだよ?」
「ぼくは大丈夫。それより涼風だよ。もう真冬なのに肩出して、すんごく寒そう」

 そう言って、ゆきおがカーディガン越しに私の肩に触れてくれる。ゆきおのカーディガンはふわふわと心地よく、そしてとても温かい。たった一枚、薄っぺらいカーディガンを羽織っただけなのに、こんなにも私の身体が温かくなる。

「おーい雪緒ー。そろそろ行くぞ」
「はーい。分かった」

 提督が車の中からゆきおを呼んだ。別れが近い。

「んじゃ、涼風」
「う、うん」
「……行ってくるね」

 もうちょっと触れていて欲しかったのに、私の肩から、ゆきおの手が離れた。ゆきおが後ろを振り返り、そして車に向かって歩き始める。

「ゆ、ゆき……」

 その背中は、男の子とは思えないほど小さくて、とても華奢で細っこく……

「ゆ……ゆきお……ゆきおーっ!!!」
「? 涼風?」

 そしてとても温かく、なによりとても優しい。……私が大好きな、ゆきおの背中だった。

 私が名前を呼んだことで、ゆきおは立ち止まり、私を振り返ってくれた。私の気のせいかもしれなかったけれど、その時のゆきおの眼差しには、さっきまでの輝きは見られなかった。

「ゆきお! 早く帰ってこいよ!!」
「うん」
「帰ってきたら、一緒に海に出ようぜ!!」
「うん。楽しみにしてる。だって名コンビで……」
「二人で一人!!」
「……うん。ケホッ……」 

 
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