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俺の涼風 ぼくと涼風

作者:おかぴ1129
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2. きっかけは紙飛行機

 眩しい朝日が私の瞼の奥まで届く。知らない内になんとか眠りについていたらしい。未だに『眠い』と文句を言っている身体を無理矢理起こし、大きく背伸びをした。

「……おはよ」

 誰に対して言ったわけではない。強いて言えば、未だに目覚めない、私自身への挨拶。未だに重くて開ききらない瞼をこすりながら、ベッドから出てカーテンを開ける。

「……ん」

 途端に山吹色の太陽の輝きが私を包む。お日様は私の身体にぽかぽかとしたぬくもりを届け、まだ夢と現実の境目にいる、私の身体を優しく起こしてくれた。少しずつ確実に、私の身体が目を覚ましはじめていた。

 太陽に照らされた室内が、山吹色に輝き始めた。昨日見た夢のような、薄暗い暗闇とは違う。そのことに再び安堵した私の耳に、乱暴にドアが開くガツンという音が届いた。

「おはよー涼風!!」

 鼓膜にビリビリと届く大声にプレッシャーを感じつつも。私は背後のドアを振り向いた。そこにいたのは、数少ない昔からの仲間で私の姉貴分、摩耶姉ちゃんだった。摩耶姉ちゃんは外の太陽に負けない笑顔を浮かべ、スタスタと私のそばまで歩いてくると、私の頭を乱暴にくしゃくしゃと撫でてくれた。

「んー? 挨拶はどうしたー?」
「ん……おはよー摩耶ねーちゃん」

 太陽の光を受けてキラキラと光っていた摩耶姉ちゃんの瞳が、私の顔を見た瞬間、心配の色を浮かべた。昨晩、あの悪夢のおかげで満足に睡眠を取れなかった私の目の下には、うっすらクマができているらしい。頭を撫でてくれていた摩耶姉ちゃんの右手が、私のほっぺたに触れ、親指で私のクマを優しく拭う。

「……眠れなかったのか?」
「うん」
「夢に見たのか?」
「うん……」
「そっか……」

 目の下をさする、摩耶姉ちゃんの親指の優しい感触が、私の心をホッとさせてくれる。こうやって摩耶姉ちゃんは、いつも私のそばにいて、私のことを気にかけてくれていた。それこそ、あの男の元で戦っていた、あの時から。

 しばらく私のほっぺたを優しくさすっていた摩耶姉ちゃんの瞳が、再び明るく輝きだした。摩耶姉ちゃんはいつも、こうやって私に対して深追いせず、ただそばにいてくれる。

「……行こうぜ。朝ごはん、食えなくなっちまう」
「うん」

 外のお日様に負けない輝きを放つ、笑顔の摩耶姉ちゃんは、私の右手を取って、部屋の外に引っ張り出そうとしてくれた。摩耶姉ちゃんは重巡洋艦だから、私と比べて力が強い。私がどれだけ抵抗しても、いつも力づくで、私を輝く外に連れ出してくれる。

「ちょ、待って摩耶姉ちゃん! あたい、まだ着替えてないっ!」
「あそっか。んじゃさっさと着替えな。あたしは外で待ってるよ」

 パッと手を離してドアの向こうに行った摩耶姉ちゃんに促され、私は寝巻きを脱ぎ捨てて、改白露型の制服を身に纏った。手袋をつけハイソックスを履き、身支度を整え、姿見の前に立つ。自分の顔を見ると、目の下にうっすらとクマが見えた。どおりで摩耶姉ちゃんが心配するわけだ……。

 なんとかクマを隠したいと思ったけれど、お化粧なんてしたことないし、道具だって持ってない。摩耶姉ちゃんに相談しようか……でもこの前、『あたしだって……!!』とか言って、口紅が大変なことになってたっけ。

「おーい涼風ー?」

 摩耶姉ちゃんのお化粧事情を考えていたら、ドアの外で待っている摩耶姉ちゃんの呼びかけが聞こえた。体中がビクッと反応し、ついつい大げさな返事を上げてしまう。

「な、なに!?」
「まだかー? あたし、腹がぺこぺこなんだよー」
「い、いまいくー!!」

 仕方ない……クマを隠すのは諦めよう。私はそのまま摩耶姉ちゃんの元へと急いで向かう。ドアを開くと、摩耶姉ちゃんが壁にもたれて待っていた。ドアにカギをかけ、摩耶姉ちゃんと共に食堂に向かう。

「そーいや涼風ー。知ってっか?」
「んー? なにー?」

 すれ違う仲間のみんなと挨拶をしながら、摩耶姉ちゃんが話を続ける。この鎮守府には、私たちが生活するこの宿舎の他に、もうひとつ三階建ての宿舎がある。最近建築されたその新しい宿舎は、入渠施設のそばに位置していて、海の景色がよく見えるそうだ。

「その宿舎にさ。今日から新しいヤツが来るんだってよ?」
「へー……あたいたちみたいな艦娘なのかな? 誰だろう?」
「わかんないけど……朝礼で提督から何か話があるんじゃないか?」
「ちなみに摩耶姉ちゃんはその話、誰から聞いたんだ?」
「青葉。なんか鼻息荒くして『恐縮ですっ』て言いながら話してくれた」

 容易に想像出来る、興奮した青葉さんの姿を思い浮かべながら、食堂への順路を歩く。次第にお味噌汁の香りが私の鼻をくすぐりはじめた。私のおなかが刺激され、『ぐぅ〜』と情けない悲鳴を上げた。摩耶姉ちゃんに聞かれたのかと思い、慌てて摩耶姉ちゃんの顔を見たが……よかった。気付いてないようで、素知らぬ顔で前を向いている。

 そんなとりとめのない話をしながら、二人でてくてくと廊下を歩く。次第に食堂との距離が近付き、それに合わせてガヤガヤと、仲間のみんなの喧騒が聞こえてきた。すでに他のみんなは朝ごはんを食べ始めているようだ。私と摩耶姉ちゃんは食堂に入った。

「よー。おはよー」
「おはようだクマー」
「おはようございます」

 何人かが私たちに挨拶しつつ、手に持つお盆の上の朝食を、自分たちのテーブルに運んでいた。私と摩耶姉ちゃんは、鳳翔さんから美味しそうな朝食を受け取り、そのお盆を持って、窓際にあるテーブルに移動する。

「……」

 フと足が止まる。私たちの目の前に、やっぱり朝食が乗ったお盆を手に持った、榛名姉ちゃんがいた。

「榛名姉ちゃん……」
「……」

 一瞬、気まずい表情を浮かべた榛名姉ちゃんは、次の瞬間、非難と敵意がこもったような鋭い眼差しで、ただ私を、ジッと見つめ続けた。

「……お、おはよ」

 こちらの胸に痛く突き刺さってくる眼差しに耐えられなくて、私は榛名姉ちゃんに挨拶をする。榛名姉ちゃんの目はとても怖くて、見ているだけで恐怖で身体が震えてきた。私が持つお盆の上のお味噌汁が、私の身体の震えに合わせて零れそうに波打っている。なんとか震えを止めたいが、榛名姉ちゃんの目が怖くて怖くて、震えが止まらない。

 そんな私の様子をジッと見ていた榛名姉ちゃんは、呆れたように鼻を鳴らした後、私に背中を向けた。

「……話しかけないで下さい」

 全身から渾身の拒絶の意思をにじませて、榛名姉ちゃんは私にそう答えた。榛名姉ちゃんは私に背中を向けていたから、その時姉ちゃんが、どんな表情を浮かべていたのか、私には分からない。でも声色からは、榛名姉ちゃんの憤りが、はっきりと聞き取れた。

「おい榛名さんよお」
「……」

 私の隣で一部始終を見ていた摩耶姉ちゃんが、榛名姉ちゃんに声をかける。摩耶姉ちゃんの呼びかけを受けた榛名姉ちゃんはピクリとして立ち止まったが、こちらに顔を向けてくれない。どのような表情であれ、私に向ける非難の気持ちは変わらないんだろうけど。

「いい加減にしろよ。涼風は悪くねえだろ?」
「……」
「同じ鎮守府で過ごしてきたアタシだ。お前の気持ちも分からなくはないけどさ」

 摩耶姉ちゃんが悪気がないのは分かってるし、私のことをかばってくれているのも分かる。でもその一言は、ほんの少しだけ、私の胸にチクッと刺さった。

「でもさ。こいつもあのクソの被害者じゃんか。お前もそれ、わかってんだろ?」

 摩耶姉ちゃんの静かな声が、食堂に響き渡る。周囲の仲間の視線が痛い。やがて食堂内の喧騒が止み、いつの間にか摩耶姉ちゃんの声だけが、静まり返った食堂で鳴り響いていた。

 摩耶姉ちゃんの言葉を受け、榛名姉ちゃんの背中が、ワナワナと震え始めていたのが分かった。確かに摩耶姉ちゃんの言葉は、私の事を気遣ってくれる言葉だが、それは同時に、私に怒りを抱いている榛名姉ちゃんにとっては、どうやら逆鱗を逆撫でする言葉でしかないらしい。榛名姉ちゃんは、そばにあるテーブルにガシャンと乱暴にお盆を置いて、私たちに背中を向けたまま、両手の拳を力いっぱい握りしめていた。

「……仲間が沈んだんですよ? 姉妹を殺されたんですよ?」
「だからさ。それはこいつが悪いんじゃなくて……」
「張本人なんかと、仲良く出来るわけないじゃないですかッ」

 テーブルに激しくたたきつけられて、味噌汁がこぼれてしまったお盆を再び手に取り、榛名姉ちゃんは私たちを振り向くこともせず、食堂の奥に向かってツカツカと歩いて行く。

 反射的に、その背中を追いかけたい衝動にかられた。以前は誰に対しても優しく、私に対しても笑顔を絶やさなかった榛名姉ちゃん。今はもう、私には憤りの感情しか向けてくれなくなったけれど、私は以前のように、榛名姉ちゃんと楽しく話をしたかった。

「は、榛名姉ちゃん……」

 榛名姉ちゃんの背中をフラフラと追い駆けそうになる私の肩に、摩耶姉ちゃんの手がぽんと置かれた。途端に我に返り、私は榛名姉ちゃんの背中をもう一度見る。

――私に近づくな

「やめとけ涼風」
「でもさ……」
「あいつもさ。お前は悪くないって、きっと分かってんだよ」
「……」
「でもさ。分かってるのと納得するのは違うからさ。アタシみたいに納得するには、もうちょっと時間がいるのさ」
「うん……」
「いいから、さっさと食おうぜ」

 摩耶姉ちゃんにそう促され、私はたった一人で朝食を摂り始めた榛名姉ちゃんに背中を向け、摩耶姉ちゃんと一緒に、窓際の席に座った。背中に感じる榛名姉ちゃんの雰囲気に、後ろ髪をひかれるような感覚を覚えながら、私は摩耶姉ちゃんと共に『いただきます』と宣言し、朝食を摂った。

 榛名姉ちゃんは、摩耶姉ちゃんと同じく昔からの仲間だ。今でこそ、私と目が合うたびに怒りをぶつけてくる榛名姉ちゃんだけど、昔はとても仲がよかった。よく姉の五月雨と一緒に、榛名姉ちゃんや金剛型のみんなと、遊んでもらったっけ。

 榛名姉ちゃんが変わったのは、金剛型の金剛さんと比叡さんが沈んだ、あの時だ。あの時以来、榛名姉ちゃんと私は、険悪な関係が続いている。

 窓の外の海を眺める。外しとてもいい天気で、東向きの窓からは、お日様の気持ちのいい日差しがさして、私と摩耶姉ちゃん、そして榛名姉ちゃんを暖かく包んでくれている。海がお日様の光をキラキラと反射して、外の景色はキレイで、そして明るく輝いていた。

「なー。摩耶姉ちゃん」
「あン?」

 私が声をかけた時、摩耶姉ちゃんは、ちょうどだし巻き卵に箸を伸ばしていた。その箸がピタリと止まり、摩耶姉ちゃんのキレイな瞳が、私をジッと見据えた。

「……あたいさ。どうすればいいのかな」

 あの鎮守府を離れてここに来てから今日までずっと、私の心の中に漂い続けている疑問が、ぽろりと口をついて出た。4人のかつての仲間たちの命の上に立たされた自分は、どうすればいいんだろう。私は、どうすれば許されるんだろう。

「……」

 真剣な真っ直ぐな眼差しで、私をジッと見ていた摩耶姉ちゃんは、そのまま箸でだし巻き卵を自分の口に持ってくる。それを口に入れ、もぐもぐと咀嚼した後、箸をお盆の上に置いた。

 そして。

「バーカ」
「あだっ!?」

 摩耶姉ちゃんは、箸を置いたその左手で、私の頭をスパーンと横殴りにひっぱたいた。

「なにすんだよ摩耶姉ちゃんっ」
「お前はな。そんなこと気にしなくていいんだよっ」
「だってさ……」
「お前は自分が悪いって思ってるみたいだけどな」
「……」
「悪いのはお前じゃなくて、あのクソだ。お前は傷つけられた側なんだから」

 いつの間にやらお茶碗もテーブルの上に置いていた摩耶姉ちゃんは、右手を腰にやり、左手で私をビシッと指差して、そんなことを言ってくれた。

「それに! お前がそうやって元気がないと、みんなが犬死になっちまうじゃんかっ!」
「……」
「あれだけのことだ。忘れろなんて言わねーけど、いい加減、立ち直れって」
「うん……」

 当然の指摘を受け、私は窓ガラスを見た。窓ガラスには、外の風景にまぎれて、私自身の姿が反射して写っている。最後に心から笑ったのはいつだったろうか。必死に思い出したが、ついに思い出すことは出来なかった。自分がどんな顔で笑っていたのかすら忘れてしまった私の顔の目の下には、うっすらとクマができていた。

 不意に、『カンカンカン』という、金属が叩かれた甲高い音が鳴り響いた。ビクッとして音が鳴った方を見ると、いつの間にか食堂に来ていた提督が、お玉でフライパンをカンカンと打ち付けている。

「みんな、おはよう!」

 白い上下の制服に身を包んだ提督が、笑顔で私たちに挨拶をしてくれる。私にとって二人目の提督は、以前のあのヒトと違って、仲間思いの、とても優しい人だ。以前の鎮守府の破棄が決定したとき、私と摩耶姉ちゃんと榛名姉ちゃんの3人を引き取ると言ってくれたのが、あの提督だ。

 本人が言うには、提督には息子さんが一人いるそうな。奥さんもいたそうだが、すでに亡くなっているらしく、その話を聞いた一部の艦娘の鼻息が荒くなっていたと、以前に摩耶姉ちゃんに聞いたことがある。

「今日の予定を発表するから聞いてくれ! 第一艦隊は南西海域の制圧に向かう! 第二艦隊と第三艦隊は遠征任務についてくれ! 第四艦隊は、いつもの通りオリョールだ!!」

 提督の今日の予定の発表を受け、一部のテーブルから『きょ、今日もいくでちッ!?』『ふぁぁぁああ!?』『過重労働なのねッ!?』という阿鼻叫喚が聞こえてきた。見ると、そのテーブルには潜水艦のみんなが座っている。キャッキャキャッキャとはしゃいでいるのはろーちゃんだけみたいだ。食堂内に、クスクスという笑い声が響いた。

 私と摩耶姉ちゃんは第三艦隊だから、今日は遠征任務か。もっとも、私はこの鎮守府に来てから、遠征任務しかしたことないけれど。戦うことが出来ない今の私に出来るのは、遠征任務ぐらいだ。

 榛名姉ちゃんは第一艦隊だから、今日は出撃みたいだ。榛名姉ちゃんをチラと伺った。でもその途端、榛名姉ちゃんが私の視線に気付いたようで、すぐに私に振り返る。私は慌てて顔を背けた。

「あと、今日は報告がある! 夕方にでも顔合わせをするが、今日から新しい仲間が増えるぞ!」

 さっき摩耶姉ちゃんが話してくれたことのようだ。反射的に摩耶姉ちゃんの顔を見た。

「ん? どしたー涼風?」
「な、なんでもないっ」
「そっか」

 私と目が合うなり、摩耶姉ちゃんはニヒンと笑ってくれた。その後その笑顔のまま再び提督の方を見つめ、提督の話を聞くことに集中する摩耶姉ちゃん。私も摩耶姉ちゃんにならい、再度提督の話に耳を傾けることにした。

 提督が言うには、その『新しい仲間』というのは、やはり新宿舎の三階に居を構えるらしい。海がよく見える宿舎の三階。さぞかしキレイな光景が広がってるんだろう。そんな光景を眺めて生活出来るのは、ちょっと羨ましいかもしれない。

「そんなわけで、今日もよろしく頼む!」
「はい!」
「じゃあ飯を食い終わったら、各艦隊は任務に従事してくれ!!」
「はい!!」

 食堂に響き渡るみんなの元気な声が、私の耳にビリビリとプレッシャーをかけた。その後は喧騒を取り戻し、食堂内に賑やかさが戻る。私と摩耶姉ちゃんは、その中で、二人だけの食事を再開した。

 食事が終わった後、私たちは遠征任務に出撃した。少し離れた海域にある補給基地から燃料と弾薬を受け取り、それを鎮守府へと運ぶ任務で、深海棲艦に遭遇することのない、なんてことない任務。本当なら練度の低い子が担当するべき任務なのだが、今の私は戦うことが出来ない。そんな私には、こんななんてことのない、遠征任務しか出来ることがなかった。

 私と摩耶姉ちゃんに、旗艦の天龍さん、そして駆逐艦の雷電コンビと、私の姉の……五月雨と共に、遠征任務を無事に完遂し、私はそのまま入渠施設で疲れを癒やす。いつもの遠征任務に比べ、遠い補給基地に遠征したためか、私たちが戻った時には、すでにお昼過ぎとなっていた。

 お風呂でひと心地付いた後、私はタオルを首にかけ、せしめたラムネを片手に桜の木の下のベンチに腰掛けた。海からの潮風の冷たさが、入浴で火照った身体に心地いい。涼しく気持ちのいい風が、私の身体を冷やしてくれる。ラムネを飲みながら、海を眺めた。朝の時とはちょっと違って、幾分白色に近いお日様の光が眩しい。

 一際強い風が吹き、さくらの木の葉っぱが、サラサラと音を立てて揺れた。振り返り、桜の木を見上げる。季節は秋の中盤にさしかかる。桜の木の葉っぱは、すでに茶色になっていた。

 私と桜の木のそばには、新宿舎がそびえ立っていた。真新しい外壁はキレイな白で、それが、まだ建てられて間もない事を物語っている。汚れらしい汚れはまったくついてない。私はフと、その新しい宿舎を見上げた。

 宿舎の最上階の三階の一室の窓が開いている。

 朝に提督が言っていた、『新しい仲間』の部屋なのかな? まだ提督からみんなへの紹介はないけれど、ひょっとしたら、すでに到着して部屋にいるのかも知れない。そう思い、私はその開かれた窓をジッと見た。

 窓に備え付けられたカーテンが、潮風を受けて、パタパタと気持ちよさそうになびいているのが見えた。構わず眺めていたら、その窓から、一人の少年が身を乗り出した。

「……?」

 パジャマのようにも見える素っ気ない純白の部屋着の上から、クリーム色のカーディガンを羽織ったその少年は、私と同じぐらいの年齢に見えた。キレイな茶色の髪の毛を女の子のようにおかっぱに整えているその少年は、距離が離れている私からも分かるぐらい、真剣な表情で身を乗り出し、自身の右手を中空に伸ばして、手の平を広げてゆらゆらと動かしている。右手で風の強さを計っているようにも見えるが、ホントのところはわからない。

「……なにやってんだろ?」

 少年の不思議な行動に興味が湧き始めた私は、本人が気付いてないのをいいことに、しばらく彼を観察することにした。しばらくの間右手で風の動きを探っていた少年は、風が弱くなると力強くうなずき、窓から姿を消した。

「?」

 かと思えば、少年は再び窓のそばに戻ってきて、身を乗り出す。何かをつまんでいるらしい右手を窓の外に伸ばし、肘を曲げ、至極真剣な表情で、妙な構えを取り始めた。

 彼が右手に持ち、構えているものをジッと見つめる。あまりに小さく距離も離れているため最初はよく分からなかったが、あれはどうやら、折り紙で作った紙飛行機のようだ。少年は、紙飛行機を飛ばすつもりらしい。それも、風を読んでベストなタイミングを測るほど、真剣に遠くまで飛ばそうと考えているようだ。

「……」

 紙飛行機を構える右腕の肘を何度か曲げたり伸ばしたりして、紙飛行機を飛ばすタイミングを計っている少年。下で自分のことを観察している私の存在に気が付かないほど、彼は真剣なようだ。

 風が弱くなり、ほぼ無風になった。風の冷たさを感じることができなくなり、お日様の温かさが私の肌にダイレクトに届いたその次の瞬間。

「……ッ!」

 少年は意を決し、右手に持った紙飛行機を勢い良く飛ばした。少年が飛ばした紙飛行機は、ものすごい速さで機首を下げ、真下に向かってストーンと高度を下げていく。

「……!?」
「……!!」

 かと思えば、紙飛行機はそのまま再び機首を持ち上げ、ものすごいスピードで高度を上げ、そのままくるくる縦回転を始めた。あんなに変な飛び方をする紙飛行機は、見たことがない。そのままぐるんぐるんと縦回転の軌跡を描く紙飛行機は徐々に高度を下げていき……

「……!?」
「……!?」

 やがて地面に墜落し、機首を地面に見事に突き刺していた。その瞬間は、まさにテレビのバラエティー番組で聞くような、大げさな『ブシャッ!?』という音が聞こえてきてもおかしくないような、そんな見事な突き刺さり方だった。少年はその一部始終を、がっくりと肩を落としながら眺めていた。

「……」
「……ぷっ」

 あまりに見事な突き刺さり方だったため、私は少年が三階から見下ろしていることも厭わず、つい吹き出してしまう。少年が私に気付いたようだ。眉間にシワを寄せ、憤りと気恥ずかしさを抱えていたのが、私からもよく見えた。

「な、なんですかっ」

 少年というには、あまりに優しい……でも、私の耳に届く、よく通る声で、彼が私に抗議をしてきた。風が強く吹き、桜の木からざわざわという音が鳴った。少年は寒そうに、カーディガンを羽織るその身体を、少しだけ縮こませた。

「わるいわるい。別に笑うつもりじゃ……ぷっ」
「笑ってるじゃないですかっ」

 不躾な私の笑いが気に入らないのか、ぷんすかという文字を頭の上に浮かべ、彼は私に必死に抗議してくる。そういえば、何かが可笑しくて吹き出したなんて、いつぶりなんだろう。クスクスと笑いながら、そんなことを考えてしまう。

「なー。紙飛行機、好きなのかー?」
「い、いや、えっと……」
「なんだよー。好きでもないのに、あんなに真剣に飛ばしてたのか?」
「本で『よく飛ぶ紙飛行機の作り方』ってのを見たから、ちょっと飛ばしてみようかなって思って」
「ふーん……」
「あなたは……艦娘なんですか?」
「おーう。涼風ってんだ。よろしくなー」

 彼の丁寧な質問に対し、つい元気よく返事してしまった。でもなんだか心地いい。ずっと感じることのなかった、胸に心地いいワクワクを、私は今、随分と久しぶりに感じることができていた。強い風が再び吹いた。桜の木のざわざわという音が大きくなり、私の肌に心地いい冷たさを届けてくれた。

「涼風さん……改白露型駆逐艦の、涼風さん……ですか?」
「うん! あたいのこと、よく知ってんなー」
「勉強、しましたから」
「そんなに丁寧に話さなくていいって! あたいのことも呼び捨てでいいから!」

 伏し目がちな少年のほっぺたが赤くなった。落ち着かないようにポリポリと頭をかいた彼の姿に、なぜかワクワクが止まらない。

「そ、そっか……」
「うん! ところで、あんたは?」
「へ?」
「名前!」

 この、不思議でちょっとおかしい、ワクワクの止まらない少年のことを、もっと知りたい……この少年と、もっと色んな話をしてみたい。そう思った私は、戸惑ってほっぺたを真っ赤にしている彼に、名前を聞いた。

「えっと……」
「おーい涼風ー!!」

 入渠施設の入り口から、私を呼ぶ摩耶姉ちゃんの声が響いた。見ると、摩耶姉ちゃんが両手でメガホンを作り、それをコチラに向けて、大声で私を呼んでいる。何かあったのだろうか。

「はーい! どうした摩耶ねえちゃーん!」
「提督が呼んでっぞー! 一緒に執務室いくぞー!!」
「はーい!」

 うーん残念……。でも、この少年とはきっとまた会えるはず。彼の名前は、その時に知ればいい。なぜか気になる紙飛行機の元にかけ、私はそれを手に取るために腰を下ろした。

「ごめんな! あたい、用事が出来たから、行かなきゃ」
「え、う、うん」
「名前はまた今度教えてくれよ!」
「……」

 突き刺さってしまった紙飛行機を地面から抜き取り、立ち上がって彼に別れを告げた私は、これまた随分と久々に、右手を上げて、彼に対してブンブンと勢い良く左右に振った。なんだか新鮮だ。何もかもが新鮮でワクワクする。こんなに楽しい気持ちを抱いたのはいつぶりだろう。

 なんて私が思っていたら。さっきまでまごまごしていた彼は、自分に背中を向けて去っていこうとする私の名前を、おっかなびっくり……だけどちょっと弾んだ声で呼んでくれた。

「えと……す、涼風っ!」

 彼を振り返った、私の視界に映ったものは。

「んー?」
「雪緒! ……僕は、北条雪緒!!」
「……ゆきお。そっか。ゆきお……ゆきお……」
「……す、涼風……すずかぜー!」
「ゆきおーっ!!」
「よろしく! よろしく涼風!!」
「おーう! よろしくなーゆきおー!!」

 冷たく心地いい風の中で佇む、純白の部屋着に優しいクリーム色のカーディガンを羽織った新しい友達ゆきおの、嬉しくて弾みだしそうな、でもとても優しい笑顔だった。

 ゆきおと名乗りあった後、私は摩耶姉ちゃんの元に駆け寄る。手には、さっきまで地面に突き刺さっていた、ゆきおの紙飛行機があった。

「摩耶姉ちゃんおまたせ!」
「おう」

 いつもより弾んだ返事を摩耶姉ちゃんに返したその時、摩耶姉ちゃんの口元が、うれしそうにニコリと笑っていた。

 
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