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明日へ吹く風に寄せて

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Ⅳ.花岡春代


「旦那様は只今来客がおありですゆえ。」
「そんなの私には関係ないわよ!だって倒れて担ぎ込まれたって聞いてきたのよ?だからこうして心配して来たんじゃないの!」
「そう仰られましても、先生にもお見せして大事無いと…」
「そんなの私が決めるわよ!だ・か・ら!そこを今すぐお退きなさいってば!」
 あの彌生さんをたじたじにさせるとは…。そんな芸当が出来るのは、八分家でも一人しかいないな…。まぁ、この強引さがなければ、あの家を引っ張ることなど出来ないだろうが。
 未だ廊下で大声を出しているのは、花岡家の当主である花岡春代さんだ。全く、あれで当主なのだから世も末だ。
「颯太、行け。」
「俺かよ!」
「無論だ。僕はいらぬ火の粉を浴びたくはないからな。それに僕が自ら出向いたら、彌生になんと言われるか…。なぁ、颯太?」
「な…!分かったよ!行けはいいんだろ!」
 良い返事を返し、颯太は廊下へと出て行った。
「あら?颯太じゃないの。来客ってば、もしかしてあなたのこと?それじゃどうでもいいじゃないのよ!」
「春代さん…相変わらず口悪いですね。」
「そんなに誉めないでよ!」
「誉めてねぇよっ!」
 あぁ、颯太まで巻き込まれている。春代さん、こうやって皆を揶揄うのが大好きだからな。困った性格だが、八分家の中ではかなりの力を持っている。解呪師としては、僕と叔父の樟冬久に次いで三位の実力があり、女性で唯一の解呪師だ。
「私はなっちゃんとお風呂入ったことだってある仲よ?羨ましいでしょ?」
「俺だって夏輝と風呂くらい入ったことあるって!」
「あらやだ!颯太のエッチ!」
「誰がエッチだ!」
 いつもながら、全くとりとめもないな。仕方なく、僕は部屋の中から「コホン…」と咳払いすると、障子戸を開けてそれを止めさせた。
 この二人、一体何しに来たのやら…。僕は深い溜め息を洩らしながら、渋々二人を部屋へと招き入れ、疲れ果てている彌生さんにお茶を持ってくるように頼んだのだった。
「で、春代さん?貴女はなぜここへ?」
「だって、愛しのなっちゃんが倒れたって…けぃちゃんが携帯で教えてくれたから。」
 春代さんの言っている「けぃちゃん」とは、運転手の本間のことだ。フルネームが「本間圭二」だからだ…。無論、「なっちゃん」とは僕のこと…。いい加減、この呼び方は止めてほしいと思うのだが、春代さんは全く耳を貸さないのだ。まぁ、本間は春代さんとは同級生だから、春代さんが偶然連絡入れた時にでも話してしまったんだろうがな。
「ま、それはそれとして…。春代さん、貴女が本家に顔を出すからには、見舞いと言うわけではないのでしょ?何かありましたか?」
「あ…そうそう、これお土産ね。」
「人の話聞けよ!」
 はぁ…。春代さんは颯太の突っ込みを待っているように見えてきた…。しかし、僕は前に差し出された桐箱を見て、思わず目を疑ってしまったのだった。
「春代さん…これ…。」
「うん。白法院所蔵の“白虎の帯"と、常善寺所蔵の“玄武の鈴"よ。」
 何と言って良いか分からず、暫くは唖然とした。
 事情を把握している北の寺社なら兎も角、関係のないところから借り受けてくるなんて…。いくら花岡家は顔がきくと言っても、これは超人と言わざるを得ない…。
 僕も颯太も目を丸くして春代さんを見ていると、天狗になった春代さんはとんでもないことを口にしたのだった。
「寄付するの止めよっかなぁって言ったら、すぐに貸してくれたよ!話が早くて助かっちゃった!」
 前言撤回…悪魔だ…。僕も颯太も溜め息を吐き、げんなりとして俯いてしまったのだった。
 要は脅したと言うことなわけで…。ただでさえ、花岡家は莫大な資産があって力も強大。そんなとこの当主に「寄付止める」なんて言われれば、まるで「今から敵になってもいいよね?」みたいに聞こえてしまうだろう…。それでは貸さぬとは到底言えないと思う…。
「まぁ…何にせよ、助かったよ。」
「なっちゃん、千年桜のとこに行ったんでしょ?」
「ああ。本間に聞いたのか?」
「違うわ、水鏡で見たの。けぃちゃんはそこまで詳しく教えてくれなかったし。水鏡じゃなかったら、こうして六宝装を借りてこれなかったしね。」
 忘れていた。春代さんは水鏡の使い手だったな。
 その時、今まで黙っていた颯太がムスっとした顔で言った。
「だったら早く知らせりゃ良かったじゃんか!」
 春代さんはそんな颯太に「チッチッチッ!」と人差し指を立てて言った。
「安易に未来視を話しちゃダメなの!特にこれは“呪"が関係してるから、下手に言ったら大変なことになったかも知れないからね。話して最悪のパターンになることだって、結構多いんだから。」
「いちいち子供扱いすんなっての!ま、そちらは五歳も違えばオバサンだしなぁ…。仕方ねぇのかもなぁ。」
「オ…オバ…」
 颯太は言ってはならぬことを言ってしまった。春代さんが壊れてる…。
「は…春代さん。それで、そちらの家の様子なんかは…」
「オバ…オバ…」
 うん…これは少しヤバいかも知れないな…。
「オバ…オバサンですってぇ!?」
 余りの壊れっぷりに、さすがの颯太もたじろいでしまった。この人を怒らせると怖いのは、颯太も知っている筈なんだがなぁ…。
「あっ…。俺、ちょっと用事を思い出したから…。」
「お待ちなさいな…。」
 部屋から出ようとする颯太の肩を、春代さんの手ががっしりと掴んだ。春代さんからは、何だか黒いオーラが噴き出しているようにさえ見えていたが、間が良いのか悪いのか、そこへお茶を運んで来た彌生さんが一喝したのだった。
「お二方、いい加減になさいませ!それも本家当主であられる夏輝様の前で何ですか!」
 この声に、言われた二人は慌てて姿勢を正した。彌生さんは滅多に怒らないが、怒らせると誰よりも恐い存在でもある。
 この二人も以前、一度だけ彌生さんを怒らせて、四時間近く説教されたことがあった。多少のことは多目に見るものの、僕や仕事に関しては容赦しないのだ。当たり前と言えば当たり前の話ではあるが。
「しっかりして下さらなければ困ります。今もお仕事の最中なのですから、気抜かりなぞあっては困るのですよ?」
「はいっ!」
 二人は先生に叱られた生徒のようで、思わず笑いそうになってしまった。普段はこんな殊勝な態度は見せないからな。
「まぁ、彌生さん。そのくらいにしておいて、お茶をくれないかな?」
「これは失礼致しました。」
 誰か止めに入らないと、このまま彌生さんの説教が始まってしまいそうだったので、苦笑しながら僕は言ったのだった。
「今日はアールグレイか。ん?いつもとは少し…」
「はい、旦那様。これは本日、イギリスの秋吉様より届けられた品にございます。」
「そうか…。大伯父に礼をせねばな。彌生さん…」
「分かっております。いつものように、風華亭の菓子を返礼としてお出し致します。」
「頼みましたよ?」
「畏まりました。それでは失礼致します。」
 僕と彌生さんの会話を、二人はじっと黙して聞いていた。何か言っては、また説教をくらうのではないかと恐れていたようだ。そして彌生さんが退室して暫く後、颯太が恐る恐る口を開いた。
「はぁ、またやっちまったよ。それもお前が悪いんだかんな!ったく、仕事も大変だってのに…。」
「あらやだ!仕事なんてやっていたの?てっきり私、金持ちの道楽だとばっかり…。そんなんでなっちゃんを危険に晒すなんて、全く困りものですわよねぇ。」
「うっせぇよ!それは彌生さんにも言われたっての!そんなことよか、これからどうすんのかって方が先だろうが!」
「颯太が言うと、まるで逃げてるようにしか聞こえないんだけど?」
 また始まった…。これには僕も少々腹に末かね、目の前でくだらない言い争いをしている二人に向かって怒鳴った。
「いい加減止さないか!二人共、ここへ一体何をしに来たのだ!?全く話が進まない。まともに話が出来ぬのならば、早々に出ていってくれ!」
 僕が怒鳴った後、二人は目を丸くして暫く動かなかった。そして静かに僕の前へと正座し、身を正して言ったのだった。
「申し訳御座いません。」
「御無礼致しました。」
 先程とは打って変わって、今度はまるで家臣のような態度を取った。まぁ…当たらずと言えども遠からずだが、こういうことでもない限り、この二人からこんな言葉が出てくることなぞないからな。何だか新鮮な感じがして良かったが、今はそんなことを感じている余裕などないのだ。
「さてと、今後のことを考えるとしようか。春代さんには事後処理を任せることになるが、颯太はいつもと同様、楽士として舞台に上がってもらう。」
「お待ちください。本家当主殿、私も共に千年桜へとお供したく存知上げます。」
「……!」
 僕と颯太は春代さんの言葉に耳を疑った。
 今まで花岡家と仕事をしたのは二回だけで、それも階位四位以下の者達で行ったことしかない。通常は、こうやって当主同士で会うことも稀なのだ。それをして一緒に仕事をするなど…有り得て良い話ではない。
「春代さん…それは些か…」
「そうだぜ?本家と分家の当主が揃って仕事するなんて…」
「いいえ!過去にも事例はあります!」
 まぁ無くはないが、江戸時代の話であり、どのようなものかと僕は腕組みをして考えた。春代さんのことだ、僕達がいくら言っても聞く耳は持たないだろう。そう思い、僕は溜め息を洩らしながら言った。
「分かりました…。しかし、何があろうと保障出来ませんよ?」
「承知しております。」
 横では颯太がげんなりとしている。
 だが、春代さんは楽士としても知られ、特に琵琶の演奏には僕も一目置いている。颯太の方はと言えば、鼓だけでなく笛などの管楽も出来るため、今回はかなり強力だと言えた。
「颯太、君は篠笛でお願い出来るかい?」
「ああ。春代さんは琵琶の名手だし、そうなれば打楽より管楽の方が良いからな。」
「あら、颯太が私を誉めるなんて。きっと雷でも落ちるわねぇ。」
 春代さんはまた余計なことを…。だが、今度は颯太が踏み留まり、流石に春代さんもそれ以上は何も言わなかった。但し、颯太の額には血管がくっきりと浮き出てはいたが。
「さて、この仕事は早急な対処が必要だ。よって、今夜行うこととする。」
「畏まりました。」
「分かった…。」
 二人は僕の言葉を受け返答すると、そのまま部屋を出ていった。皆、用意は必要だからだ。

…チリン…

「ん…?気のせいか…?」

 静かになった部屋の中に、鈴の音が聞こえた気がした。だが気のせいと一笑に伏したのだった。
「しかしなぁ…。」
 あの千年桜を狂い咲かせる程の念とは、一体どれ程の力なのだろうか?それも、今夜解る筈だ…。

…チリン…



 
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