一通り話が済んだところで、『また来週、お伺いしますね』と言って神通さんは帰って行った。日没が過ぎて『太陽が無くなっては……戦えぬ……』とフラフラしていたソラール先輩も帰宅し、今事務所には、俺と大淀さんの二人だけだ。
俺の向かいの席に座る大淀さんが、カチカチとクリックを繰り返す音が聞こえる。彼女を顔をこっそりと覗くが、メガネにパソコンの画面が反射していて眼差しが見えない。何か操作を繰り返しているのは分かるが、それが何の操作をやっているのかは、メガネに反射して見える画面からは分からなかった。
「カシワギさん」
「はい?」
「カシワギさんにお願いしたいことがあるんですが。前職ってweb系のプログラマーでしたよね」
「ええ」
「だったら、データベースは詳しいですか?」
「本職ほどではないですが、あれが扱えないとweb系は何も出来ませんからね」
「だったら、ちょっとお願いしたいことがあるんです」
大淀さんがそう言うやいなや、俺の背後に置いてあるレーザープリンターが稼働し始め、数枚の印刷物を吐き出し始める。目が合った大淀さんに促され、排出された印刷物を手にとって見た。なんだか仕様書のような……。
「これは?」
「今この教室で使っている、業務基幹ソフトの仕様書です。業務基幹ソフトといってもAccessで作成したアプリケーションなんですけど」
「ああ、なるほど」
確かにこれは、アプリケーションの仕様書のようだ。データベースの設計図と思われるページを見る。以前いた会社とは仕様書の作りはだいぶ違うが、それでもどんなテーブルを作って、どんなカラムがあるのかは、手に取るように分かる。
「これがどうしました?」
「ええ。今使っている基幹データベースはAccess2003の形式なんです」
「はぁ」
なるほど……だからAccessの2003と2007でdbの更新をやってるのか。前から不思議に思ってたんだ。なんで2013や2016があるのに、わざわざ2007や2003で活用してたのか……。
「でもそのせいなのか何なのか、時々不安定でデータが消えてしまう時があるんですよ。ついでに言うと、いくつか追加して欲しい機能もあって……オーナーに催促してるんですが、中々そこまで手が回らないというのが、現状のようです」
「なるほど」
「なので、カシワギさんにAccessで基幹ソフトを作ってもらおうかなと。web系の方なら、データベースの扱いにも慣れてるかもと思いまして。私もソラールさんも、Officeの扱いは慣れてますが、Accessとなると勝手が違いますから」
そういえば、Accessはデータベースとしてはあまり安定したものではないという話を、以前にどこかで聞いたことがある気がする。不具合が多いのは、それも理由にあるのかもしれない。
「……」
「急ぎではないですし、生徒さんが少ない時に少しずつでいいんです。その分の報酬もお支払いしますし、ぜひやっていただきたいのですが」
うーん……やること自体はやぶさかでない。確かに大淀さんやソラール先輩よりもデータベースを扱い慣れてる自信はある。
でもだからといって、今回扱うのはAccessだ。俺はAccessでのソフト開発は経験がまったくない。そんな俺に出来るのか……? 大淀さんとソラール先輩が満足いく、今のものに匹敵する業務基幹ソフトが作成出来るのか……?
ええいっ。ここで悩んでいても仕方がない。ここはもう見切り発車で行ってやるッ。
「急ぎではないんですね?」
「はい」
「俺はAccessをいじった経験がないので、勉強しながらになりますが、それでもいいですか?」
「もちろんです。お願いできますか?」
「わかりました。やるだけやってみます」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
俺が承諾を返事をした途端、大淀さんの表情が花開いたように、パアッと明るくなった。この笑顔を見られただけでも、OKした甲斐があると思える、本当に心からの笑顔だ。
報酬も払ってくれるって話だし、急ぐ必要もないというのなら、勉強がてらやってみようか。それに、この人なら『まだ作ってないんですか?』『早く作って下さい』てな具合の、後になってから話が違う的ゴタゴタには陥らない気がした。この教室は、従業員に対してとても誠実なところがあるし。
俺は、先ほどプリンターから排出された印刷物に再度目を向けた。データベースの設計もちゃんとあるし、具体的な追加機能の希望もきちんと記載されている。これなら、困るような事態にもならないはずだ。UIのデザインに関しては、みんなと相談しながら決めればいい。2人なら、喜んで相談に乗ってくれるはずだ。自分が使うものだしな。
「ではよろしくお願いします!」
「ええ。なんとかがんばってみます」
加えて、ソラール先輩も大淀さんもあまりAccessが得意ではないと言うのなら、俺がもしこれでAccessを極めれば、この教室での俺の強みがひとつ出来ることになる。これは俺にとっても有益なはずだ。
そうして俺が、新たな決意と共にAccessの参考書を戸棚から引っ張りだした時。『ゴウンゴウン』という重厚な音が事務所内に轟き、入り口のドアがゆっくりと開き始めた。慌てて入り口を振り返る俺。ついに来たか! 奴が来る時間となってしまったのか!?
「やー……!」
時計を見ると、午後7時5分前……しまった! 大淀さんとの楽しいコミュニケーションに気を取られ、すでにこんな時間になっていたということに、気が付かなかったッ……!!
「まずいッ……奴が……」
「せー……!!」
「奴が来てしまったというのかッ!?」
「んんんんんんんんんん!!!」
ドアがゆっくりと開いていき、その向こう側が顕になった。そいつは逆光の中仁王立ちして、真っ白い歯からほとばしるまばゆい輝きで、俺達を照らし瞳孔にダメージを与えてくる。
「うわッ!? まぶしッ!!?」
「こんばんもぉおおおー!! 夜戦の時間がやってきたよぉおおおおおおお!!!」
「うるせー川内!! 眩しいうるさい賑やか過ぎるッ!!!」
「せんせー!! 夜戦だよぉぉおおおお!!」
「妹を見習え妹を!!!」
「あーそういや今日から神通きてたんだっけ」
『妹、来校』の報を聞き、急に顔の表情からギラギラが抜け、フラットな表彰になる川内。妹の初来訪が気になるらしい。やはりここは妹を持つ姉といったところか。こいつは時々、こうやってタダの夜戦バカじゃない顔を見せつけてきやがるから困る。
「どうだった?」
「どうだったもクソも、お前と正反対じゃねーか!! 妹はあんなにおしとやかなのに、なんでお前はそんなにやかましいんだよッ!?」
「えー!? そっくりじゃん私達!!」
「お前のそのそっくりの概念は、どこかで上書き保存したほうがいいッ!!」
一体お前ら姉妹の一体どこがそっくりなんだが……いつの間にか普段の夜戦バカに戻ってるし……我ながらかっこ悪いことは承知だが、ブツブツと文句を口ずさみながら、俺は愛用のバインダーを片手に、川内と共に教室に入る。教室に入る寸前……
――お似合いですよ?
実に暖かい微笑みで俺を見送る、大淀さんのメガネの奥の優しい眼差しが、俺の耳元でそうつぶやいていた。どこをどう見れば、俺と川内の相性が悪くないといえるのか。会うたびに体力と瞳孔とメンタルに回避不可能かつ致命的なダメージが蓄積していくばかりだというのに。
「ほらせんせー! 早くパソコンの電源入れて、夜戦しよ!!」
「だから夜戦じゃないって言っとるだろうが……ッ」
一足先にいつもの席に座った川内が、キラッキラに輝く瞳を俺に向け、うずうずしながら俺に催促をしてくる。そのプレッシャーに気圧されつつも、俺は川内の席のパソコンを立ち上げ、OSの8.1を選択した。
さて……OSが立ち上がる間に確認しよう。先日のやせ……ゲフン……授業では、ちょうど『春の鎮守府夜戦トーナメント大会のお知らせ』のプリントが完成したところで終わった。ということは、今日は新しいプリントを一から作ることになる。
「タイピングの練習はいいの?」
「お前、家でも練習やってるだろ?」
「うん。なんでわかったの?」
「打つスピードが上がってる。本人の努力次第でタイピングはすぐにスピードが上がるからな」
「そっかー」
始めてタイピングをさせてから数日。川内は目に見えてそのスピードを上げていた。おかげで今では、経験者とくらべてもかなり遜色のないスピードでタイピングが出来ている。本人の努力の賜物ってやつだ。
ちなみにこの教室では、タイピングにおいてホームポジションやタッチタイプとかは厳しく指導はしていない。なにより、そもそもそこまで細かく教えてない。『打てればいい』というスタンスを取っている。
俺もその点は賛成だ。本職ならいざしらず、タッチタイプまで初心者に要求してたらキリがない。何度でも言うが、こんなもんは打てりゃいいんだ打てりゃ。
「というわけで川内」
「うん?」
「今日はこのプリントを作ってもらう」
「了解! 今日はどんな夜戦が……」
「夜戦じゃなくてプリント作成。お前が言ってるのはデストローイで、これからやってもらうのはクリエーイトの方だ」
「そのコンゴウさん以上に胡散臭い、中途半端な英語はやめなよ」
む……こいつがこんな手厳しいことを言ってくるとは……なんかハラタツ。
「うるさいなー。俺だってちょっとふざけたいときがあるんだよー」
「だからいつでも夜戦に付き合ったげるよって言ってるじゃん」
「誰がいつデストローイしたいと言った」
俺はバインダーに挟んで準備していたプリントを川内に手渡した。プリントには、通常の書類の書式に則った文章と、その格式張った内容の硬さを幾分和らげてくれる、鏡餅ともちつきのイラストが入っている。
「えーと……」
「今回作ってもらうプリントは、『新春鎮守府餅つき大会のお知らせ』だ」
「へー……でも、まだお正月まで間があるよね?」
「いや本当にやるわけじゃないから」
フェイクだよフェイク……そんなことまで説明しなきゃいかんのか……。
「とりあえず、これ作ればいいの?」
「おう」
「そしたらご褒美に夜戦付き合ってくれる?」
「これ作って、Wordのスキルを身につけるのが、お前の目的じゃないんかい」
「了解! せんせーに夜戦に付き合ってもらうため、がんばるよー!!」
「さてはお前、俺の話を聞く気がないな?」
そうして、川内がプリント作成に入る。俺はその横で、死んだ眼差しで川内のプリント作成の一部始終を観察した。もうね。自分に覇気がないのが手に取るように分かる。
「せんせー」
「んー?」
「作る順番だけど……」
「いつものように、なにはともあれまず文章を打っていけー」
「鉄則は変わらないんだね。りょうかーい」
川内は俺の指示を受け、プリントの文章を打ち始める。よし。今日はちゃんと順番通りだな。
Wordで書類なり何なりを作る場合は、何はともあれ、まず文章を入力することに集中するのが肝心だ。書式設定は文章を入力し終わったあとで行っていく。その方が効率もよく、余計な手間も発生しないので都合がいい。
Wordは改行を行った際に、前の段落の書式を引き継ぐ。故に書式設定を行いながら文章を入力した場合は、いちいち書式を元に戻す手間が増える。
それに、書式を設定しながら入力をしていくというのは、自分の意識を入力と書式設定の両方に向けていなければならない。それよりは、何よりもまず文章の入力を済ませてしまい、あとから書式設定に集中したほうが、出来上がりの全体のバランスを取るのも楽だ。
余計な手間が増えるのはエネルギーの無駄遣いとミスの元。ここは効率よく、かつ気持ちよく組んだほうがいい。
「入力終わったよー」
「うし。んじゃ書式設定をやりな」
「上からやってけばいいの?」
「それが一番間違いがないだろうな」
『りょうかーい』と軽い返事をする川内だが、画面を見るその目は真剣だ。キリッとした横顔でディスプレイとにらめっこし、プリントの書式設定を行っていく。クソッ……こいつは時々、こうやってべっぴんな横顔を俺に見せつけてくるから困る……。
「ねーせんせー?」
「ん? どうした?」
かと思えば今度はプリントとにらめっこをし始め、眉間がハの字の困り顔になった。賑やかな部分ばっかりに目が行くけど、よく見てたら、こいつってけっこう表情豊かなんだよなぁ。クルクル変わって、見ていてけっこう楽し……何考えとるんだ俺は。
その綺麗な困り顔のまま、プリントのタイトル部分を指差した川内が俺の目をまっすぐ見つめた。
「このタイトルなんだけどさ」
「ん?」
「このタイトル部分だけ、他の部分と文字の形が違うよね?」
「そだな」
今回のプリントは、本文や日付の部分のフォントは明朝体だが、タイトル部分はわざとゴシック体に変更してある。『フォントの変更』という操作が出来るかどうかを確認するためのものだ。だから別に、ゴシック体じゃなきゃダメだというわけではない。
「これさ、フォントはどれ使えばいいの?」
「そこはフォントさえ変更出来ていればいい。好きなフォントを選ぶといいぞ」
「とはいってもさー。私、フォントなんてよくわかんないよー」
まぁなぁ……普段パソコンを使わない人からすりゃ『フォントって何だよ』て話だよなぁ……。
「世の中にゃフォントって星の数ほどあるからな。全部は覚えなくていい。でも明朝体とゴシック体だけでも覚えておけば、フォントの大半は区別できるはずだ」
「そなの?」
「いえーす。なんでもいいから、好きな言葉を二つ入力してみ」
「うい」
俺にそう促され、川内は眉間にシワを寄せながら、『夜戦』と二回入力していた。予想はしていたことだったが、やはりというか何というか……
「入力したよー」
「ん。ちょっとマウス貸してなー」
「はーい」
俺は立ち上がって川内の右隣に移動し、左手でマウスを持って、今しがた入力した『夜戦』の文字を選択して、フォントサイズを72ptにした。これだけデカけりゃ、フォントの違いもわかりやすいだろう。
「でかッ!?」
「文字をこのサイズまでデカくするのははじめてか?」
「はじめてヲ級を見た時と同じプレッシャーだ……!!」
「意味が分からん」
ヲ級って何だよ……続けて俺は、二つの『夜戦』のうち、一つはMSゴシックにして、もうひとつはMS明朝にしてやった。太字にはしなくていいだろう。逆に細いほうが、二つの違いがよく分かる。
「ほら。これがゴシック体と明朝体の違いだ」
「へー……結構違うねぇ」
ゴシック体は、フォントの線の太さが一定なのか特徴で、明朝体と比べてインパクトがある。一方の明朝体は、縦線と横線で太さが違い、線のさきっちょに筆で書いたようなでっぱりがあるのが特徴だ。ゴシック体と比べて、読んでいて疲れにくく、読みやすいらしい。
「この違いだけでも覚えておくと、それだけでかなりの文字を判別出来るようになる。絶対覚えなきゃダメってわけじゃないけど、損はない」
「せんせーは覚えてるの?」
……web界隈に生きる人はね……フォントの種類はある程度把握しとかなきゃいかんのですよ……昔を思い出して、なんだか少々げんなりした。
「せんせ?」
「あ、オホン……とにかく、今回のタイトルはゴシック体だから、ゴシックのやつを選べばいい。ゴシック嫌いってんなら、他のやつでも構わないし」
「はーい……でもさー。なんか“ゴシック”てついてるやつ、いっぱいあるよ?」
「ゴシックってついてて角が丸くなけりゃ、なんでもいいよ」
「そうなの?」
「同じ系統のフォントの違いに気付く奴なんて、デザイナーか天才か……変態かのどれかだ。だから同じゴシックなら、どれでもいい」
「はーい」
つい弾みで『お前みたいな変態』って言いかけた。危なかったぁ〜……。川内は数あるゴシック体の中から、IPAゴシックを選択していた。そんなフォントが入ってるこの教室パソコンにも驚いたし、そんな渋いところを突いてくる川内のセンスにも驚かされた。
「IPAゴシックなんてまた渋いとこ突いてくるなぁ川内」
「よくわかんないけど、一番最初に見つけたから」
「貴公……」
いつの間にかソラール先輩から伝染していた口癖を口ずさみ、俺は引き続き川内のプリント作成を見守る。書式設定を終えた川内は、続いてオンライン画像でのイラストの挿入に取り掛かっていた。お手本のプリントには、美味しそうなあんこもちのイラストと、餅つきを堪能する一組の老人カップルのイラストが入っているが……
「そのイラストにこだわらなくてもいいからな。好きなイラストを入れていいぞ」
「りょーかい。や、せ、ん。検索っ!」
「餅つき大会のお知らせになんで夜戦のイラストを入れようとするんだお前は」
「えー。ぶーぶー!!」
俺の指摘が気に入らないのか、口をとんがらせてブーイングをしながら、鏡餅のイラストを探す川内。いい感じのイラストを見つけ、クリックして挿入ボタンを押した。
「デカッ!?」
「よくあるよくある」
挿入された鏡餅のイラストは予想以上にデカく、一ページに収まりきらなかったようだ。この前までパソコンを触ったことすら無かったというのがウソであるかのように、川内は画像のサイズを器用にすいすいっと縮小させ、文字列の折り返しを前面に設定して所定の位置に動かしている。うまくなったなぁこいつ。
「んじゃあとはもちつきのイラストだねー」
「だな。それで完成だ」
「夜戦のイラストじゃだめ?」
「夜戦以外の選択肢はないのか」
「もちつきだって、夜にやれば一種の夜戦だよ?」
「そのりくつはおかしい」
やっぱり口をとんがらせ、ぶーぶーと文句を言いながら再びオンライン画像を利用してイラストを探す川内。もちつきのやる気ないイラストを見つけた川内は、そのイラストを挿入したのだが……
「あれ? せんせー、最初の鏡餅のイラストがなくなっちゃった……」
もちつきのイラストが入った瞬間、鏡餅のイラストが跡形もなく消えていた。鏡餅のイラストを選択したまま新しい画像を挿入したから、2つの画像が入れ替わってしまったみたいだ。
「へまったらどうするんだっけ?」
「あ、そうだそうだ。『元に戻す』だ」
「ぴんぽーん」
至極真剣な表情で、画面左上のぐるんと回ってる矢印をクリックし、操作をアンドゥする川内。その真剣な顔は目の毒なため、俺もあえて画面を凝視する。
「なんで消えちゃったのかなー……」
「鏡餅のイラストが選択されたままだったからだ。一回選択外してから入れなおしてみ」
「あ、なるほど。入れ替わるって言ってたもんね」
「おーいえー」
画面を見てると、今度はしっかりと選択を外した上でイラストを挿入したようだ。以上で、プリント『新春鎮守府餅つき大会のお知らせ』は完成した。
「できたー!!」
「はい。お疲れ様ー。綺麗にできてるじゃんか。おつかれ」
「印刷していい?」
「いいぞー。俺は印刷したやつ取ってくるから、その間に保存しとこうな」
「了解!」
『んっふふ〜……んっふふ〜ん』と上機嫌に鼻歌を歌いながら、川内が今作ったプリントの印刷ボタンを押し、そのまま保存をしている。プリンターがガチャガチャと動き出す音が聞こえてきた。俺は立ち上がって一度教室から離れ、川内作の餅つき大会のプリントを取りにプリンタのそばまで向かい、プリントを手に取った。
「どうですか?」
大淀さんも気になるようで、川内作のプリントをひょいっと覗き込んできた。問題は……特に無い。駆け足でここまで進んだ割には、習得するスピードが早いな。神通さんほどではないが、さすがの若さだ。お年寄りばかり相手にしてると、そんな感想を持ってしまう。
「これなら次に進んでも問題なさそうですね」
「ですね。じゃあ、次のプリントが終わったら、はがき作成にすすんで下さい」
「了解です」
プリントがこの出来なら文句はないだろう。確かに作りはシンプルなものだが、ここまで出来れば、Wordの基礎中の基礎は習得したと見ていい。俺は、次回は次の単元に進むことを川内に伝えるべく、プリントを持って川内の元に戻った。
「せんせーどうだった!?」
「綺麗にできてたぞー。ほら」
「ホントだぁぁああああ!!」
印刷したプリント『新春鎮守府餅つき大会のお知らせ』を川内に渡す。受け取った川内はみるみる笑顔になってきて、キラッキラに輝いた眼差しでプリントを嬉しそうに眺めていた。
「で、このブリントの出来も良かったし、そろそろ先に進もうか」
「りょうかい!」
「でもその前に、後半の授業で最後のプリントを作ってもらうけどな」
「えー……あ、そうだせんせー」
「お?」
「参考にしたいからさ。同じプリントをせんせーが作ったらどうなるか見せてくれる?」
俺が渡したプリントを自分のバッグに入れた川内が、俺の方をまっすぐ見てそんなことを言ってくる。俺が作ってる様子ったって……別にこいつと作り方は変わらん気がするが……
「いいじゃんいいじゃん! せんせーが夜戦してるとこ見てみたいの!」
「だから夜戦じゃないっつーに……そもそもなんで俺が作ってるとこ見たいんだよ?」
「いや、だってさ。私ってまだ習ったばかりでしょ?」
「うん」
「作ったプリント見てさ。せんせーは『綺麗に出来たぞー』て褒めてくれてるけど、お手本みたいなのがないから、自分のやり方が正しいのか、いまいち自信が持てないんだよね」
『やり方もクソも、出来上がったものが同じなら気にしなくていいだろうに』とは思ったが……確かに褒め言葉だけ受け取っても、本人からしてみれば、案外不安が残るのかもしれん。他の人のやり方……たとえばお手本となる人がプリントを作ったとして、その作り方が自分と同じ作り方だったりすると、『よかった。間違ってないんだ』て安心出来るかもなぁ。
それにしてもこのアホ、自分の作業内容の検証と比較を求める辺り、ただのアホというわけでもなさそうだ。
「んー……」
「いいでしょー?」
「……しゃーない。んじゃ、休憩が終わったら俺も同じものを作ってみるから、隣でよく見とけよー」
「やったありがと! せんせーの夜戦が見られる……ッ!!」
「なんだかいかがわしく聞こえるからやめなさい」
「せんせーだって毎回私の夜戦を見てるくせに?」
「さらにいかがわしいからやめなさい」
その後、一度休憩をはさみ、今度は俺が『新春鎮守府餅つき大会』のプリントを作る。
「んじゃいくぞー」
「はーい!」
「目を皿のように丸く広げて、よく見とけよー」
「了解! せんせーのすべてを舐め回すように見つめるよ!!」
「貴公……」
そして、俺がプリントを作り始めてから、ちょっとした異変に気付いた。
「こんな感じで、とにかくまず……川内?」
「……ん? なに?」
「いや……」
「……」
川内は、俺が操作する画面を、真剣な眼差しで、ジッと見つめ続けていた。
「……」
「……うっし」
このアホの目からは、『どんなことも見逃さない』という、川内の気迫が感じられた。その意外な真面目さに……川内の真剣で凛々しい、そして綺麗な眼差しに応えられるよう、俺は、少しだけ気合を入れて、真面目に、ゆっくりと、プリント作成する様子を川内に見せた。