出勤日二日目。今日は昼すぎから授業だ。おじいちゃんおばあちゃんたち5人に対し、俺とソラール先輩の二人で教室内を徘徊しながら、みんなからの質問をさばいていく。
「先生、文字を太字にしたいんだけど……」
「このぶっとい『B』て書いてあるボタンをポチッと押してください」
「おーこれかこれか。ぽちっ。……ならないよ?」
「太くしたい文字を選択してあげないと、Wordに『文字を太くして!』て言っても、『どの文字かわかんないよー』てなるだけですから。まずは太くしたい文字を選択してあげましょう」
「あーなるほど。ずりずりっと……」
「おっけーです」
俺にフォントを太字にするやり方を教わったおじいちゃんのコウサカさんは、ぷるぷると震える右手で苦労しつつ『御徒町』の文字列を選択し、ぶっといBのボタンをクリックして太字にしていた。太字になった途端に『ぉお〜。できたできた』と実に嬉しそうな笑顔でほくほくしていた。
生徒であるおじいちゃんおばあちゃんたちは、こちらに対して他愛ない……それこそ、画面を見ればなんとなくやり方がわかるような方法でも、ひっきりなしにこちらに質問をしてくる。最初は辟易していたわけだが……
「太字にしたやつを『やっぱやーめたっ』て元に戻すことはできるの?」
「できますよ。元に戻したい文字をやっぱりズリズリと選択して、もう一度ぶっといBをクリックしてあげてください。元に戻ります」
「ぉお〜、元に戻った。いやぁ〜パソコンってのはかしこいねー」
こんな感じで、こちらにとっては他愛無い操作に対し、一つ一つ感動して顔をほころばせている。そんな表情を見るのが、なんだか楽しくなってきた。パソコンの先生っつーのも楽しいな。悪くないぞこの仕事。
ソラール先輩も剣と盾を持ったまま、妙な歩き方で教室内をうろうろと動きまわり、質問が来る度に鎧の音をちゃりちゃりと響かせて、生徒さんの元に走って行って質問に答えていた。時々『ガチャドチャリ』と盛大な音を立てて、前転して背中から着地してるのは一体何だ。何かの儀式か? それとも見えない何かを避けているのか?
今日は生徒の一人、モチヅキさんがWordではなくExcelの勉強をしている。先ほど『オートフィルが……』というソラール先輩のくぐもった声が聞こえてきてたから、まだ習い始めのようだ。
「この『おーとふぃる』っつーのは便利でええの〜」
「計算式はもちろん、1,2,3のような連続したデータを入力する際には非常に便利だ。Excelを扱う上では必須といえる操作なので、何度も繰り返して、太陽が東から空に昇るかのごとく、自然に行えるようにしておくといい」
……だからなぜいちいち太陽に結びつける?
「数字や計算式以外には、何かこの『おーとふぃる』で入力できるのかな?」
「たとえば曜日や十二支、甲乙丙などのように、意外なものがオートフィルで連続入力可能だ。まるで子供の疑問に即座に答えてくれる、太陽のように偉大な機能だ」
「ほー……ではこれはどうだろう……」
俺はソラール先輩がどのように生徒さんにレクチャーしているのかが気になり、二人の画面を背後からこっそりと覗き見てみることにした。生徒さんのおじいちゃんはA1のセルに『A』と入力し、右に向かってオートフィル操作をしていた。
「あり。アルファベットはできないのか……」
「ああ。干支や甲乙丙が出来るのならこれも出来そうだが、意外なことにアルファベットはオートフィルでは入力できない」
「こりゃ残念」
そうなんだ。実は俺にとっても意外だったのだが、Excelのオートフィルでは、アルファベットの連続入力は不可能なんだ。むりやりオートフィルをかけようとしても、すべてのセルに『A』が入力されてしまう……プログラマー時代、これに何度悩まされたことか……嘘だ。こんなんキーボードで打てば済む話で……なんて思っていたら。
「モチヅキ殿、オートフィル入力というのは、実は事前にExcelに連続データを登録してやらなければならんのだ。逆に言えば、オートフィル入力できるようにしたいデータを登録してやることで、どんな連続データもオートフィルで入力できるようになる」
なんだと? そんな話は初耳だぞ? オートフィルできるデータをこっちで任意に登録なんて出来るのか!?
「ほえ〜。そうなのか」
「ああ。だから例えば……」
そういい、ソラール先輩はB3のセルに『太』という文字を入力した、その後生徒のモチヅキさんに対し、そこからオートフィルで右にずりずりとドラッグさせる。まさかこの男……
「『太』、『陽』、『賛』、『美』」
「太陽賛美ッ……!!」
やりやがった……! 今、モチヅキさんの隣で気持ちよさ気にY字ポーズを取っているソラール先輩は、いちいちそんなもん登録しなくていいであろう連続データ『太陽賛美』をわざわざExcelに登録していたというのか……!?
「これは便利だね!!」
「ああ。まるでそのぬくもりと光で俺達に恵みを与えてくれる太陽のような機能……それがオートフィルっ!!」
「まさしくお天道様ッ!!」
「これでモチヅキ殿も太陽の戦士っ!!」
気を良くしたらしいモチヅキさんは、立ち上がってソラール先輩と同じY字ポーズを取っていた。俺は、そのポーズの名前をなんとかして思い出そうと2秒だけ努力したが、2.5秒後にはすでに諦めていた。
こんな具合で、授業は何事もなく(?)、滞りなく進んでいく。途中、
「カシワギ先生、『コピーして貼り付け』ってどうやるんだったかな?」
という質問が、身体が耄碌して常にぷるぷると震えているコウサカさんから飛んできた時、
「ずりずりと選択したあと、右クリックしましょう。そしたら『コピー』って項目がありますから」
と回答したのだが……このことは後ほどソラール先輩に注意された。なんでも、超初心者にとっては『右クリック』という操作の存在は、混乱の元になるそうだ。よく分からない状況で右クリックの存在を知ってしまうと、左クリックと右クリックの使い分けが出来ず、混乱してしまうらしい。
「今回の生徒はご老体ゆえ、なおさらだ」
「そんなもんなんすか……」
うーん……普通なら右と左のクリックの使い分けって簡単にできると思うんだけど……それは、俺が小さい頃からマウス操作に慣れ親しんでるからなのか?
「貴公にもあったはずだ。まだ冒険をはじめたばかりで右も左も分からず、強大な敵……そう、牛頭デーモンと相対する時、手元にある黄金松脂と炭松脂、どちらを利用すれば効果的に敵にダメージを与えることが出来るのかわからなかった時が」
「この前も言いましたけど、喩え話が婉曲どころか意味不明です」
「それが生徒だ。確かに右クリックは便利な操作だが、ここの生徒たちにはデメリットの方が多い。故に貴公も、右クリックでなければ解決できない場合以外は、できるだけ左クリックだけで問題を解決してくれ」
「まぁはじめて牛頭デーモンと戦う時は、炭松脂なんか持ってないけどな。ハッハッハッ」
「人の話には真摯に耳を傾けて下さいソラール先輩」
相変わらず婉曲的で、今一例え話になってないような例え話をするなぁこの人は。黄金松脂ってなんだ? 牛頭デーモンってなんだよ訳が分からん……。
ただ、これもまた貴重な情報だ。やはりここの生徒さん……いやこのおじいちゃんおばあちゃんたちは、こちらが想像している以上にパソコン操作に慣れてないということか。こちらとしては自然で簡単な操作であっても、人が変われば難易度も変わる……シャットダウンの話を聞いた時のことを俺は忘れていた。コレは確かに、指摘されないとわからないことだ。
「分かりました。ご指摘ありがとうございます」
「これで貴公も、太陽の戦士にまた一歩近づいたな」
「いや太陽の戦士てよくわかりませんから」
「その調子で研鑽を積めば、いずれ『太陽の光の槍』を賜る日も……」
「賜るつもりはないですし、そんな物騒なものを一体誰からもらえと言うんですか」
「貴公……」
そうして、昼の授業が終わりを告げる。太陽が出てないと戦えぬという、これまたツッコミ待ちとしか思えない理由で帰宅したソラール先輩を除く、俺と大淀さんがその場に残る。あとは夜の授業……決して夜戦ではない……の生徒である川内の授業を残すのみとなった。