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Sword Art Rider-Awakening Clock Up

作者:redo
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風妖精との出会い

サラマンダーの放った火炎魔法が、シルフ族の少女の背を捉えた。

「うぐっ!!」

無論痛みや熱は感じないが、背後から大きな手で張り飛ばされたような衝撃を受けて姿勢を崩す。逃亡を図りながら風属性の防御魔法を張っておいたおかげでHPバーには余裕があるものの、シルフ領まではまだ遠い。

その上、シルフの少女《リーファ》は加速が鈍り始めたのに気づく。忌々しい滞空制限だ。あと数十秒で翅がその力を失い、飛べなくなる。

「くうっ……」

歯噛みをしながら、樹海に逃げ込むべく急角度のダイブ。敵にメイジがいる以上、魔法を使っても隠しおおせるのは難しいだろうが、諦めておとなしく討たれるのは趣味ではない。

(こずえ)の隙間に突入し、幾重(いくえ)にも折り重なった枝をすり抜けながら地表に近づいていく。そうする内にも速度はどんどん落ちる。やがて前方に草の(しげ)った空き地を見つけ、そこにランディングを敢行(かんこう)、靴底を滑らせながら制動をかけ、正面の大木の裏に飛び込むと身を伏せた。すぐさま両手を宙に(かざ)し、隠行(いんこう)魔法の発動を開始する。

ALOでは、魔法を使用するためには、ファンタジー映画よろしく実際に口で《呪文(スペル)》を詠唱(えいしょう)しなくてはならない。システムが認識できるよう、一定以上のボリュームと明確な発音が必要とされ、途中でつっかえれば魔法の発動に失敗し、最初から詠唱し直しとなってしまう。

暗記しているスペルを、可能な限りの早口でどうにか無事に唱え終えた途端、薄緑色の大気の流れが足元から湧き上がり、リーファの体を覆った。

これで敵の視線からはガードされる。しかし、高レベルの索敵(さくてき)スキルもしくは看破(かんぱ)魔法を使われればその限りではない。息を詰め、ひたすら身を縮める。

やがて、サラマンダー特有の鈍い飛翔音が複数近づいてきた。背後の空き地に着陸する気配。ガチャガチャと鎧の鳴る音に重なって、低い叫び声が響く。

「この辺にいるはずだ!探せ!」

「いや、シルフは隠れるのが得意だからな。魔法を使おう」

その言葉に、()(ぶと)いスペルの詠唱が続く。リーファは思わず毒づきそうになって口を(つぐ)む。

__数秒後、ザワザワと草の鳴る音が背後から近づいてきた。

巨大の根を乗り越えてこちらに這い寄ってくるいくつかの小さな影は、赤い皮膚と眼を持つトカゲだ。火属性の看破魔法だ。数十匹のサーチャーが放射状に放たれ、隠行(いんこう)中のプレイヤーまたはモンスターに接触すると燃え上がった場所を教える。

来るな、あっち行け!

トカゲの進路はランダム。リーファは必死に小さな爬虫類(はちゅうるい)に向かって念ずる。しかし、願い虚しく1匹がリーファを包む大気の(まく)に触れた。瞬間、一声甲高く鳴いて、赤々と燃え上がる。

「いたぞ、あそこだ!!」

金属鎧を鳴らして駆け寄ってくる気配。リーファはやむなく木の陰から飛び出す。一回転して立ち上がり、剣を引き抜いて構えると、3人のサラマンダーも立ち止まってランスをこちらに向けてきた。

手子摺(てこず)らせてくれるじゃねぇか」

右端の男が(かぶと)のバイザーを跳ね上げ、興奮を隠し切れない口調で言った。

中央に立つリーダー格の男が、落ち着いた声で言葉を続ける。

「悪いがこっちも任務だからな。金とアイテムを置いていけば見逃してやる」

「なんだよ、殺そうぜ!女相手なんて超久々じゃん!」

今度は左の男が、同じくバイザーを上げながら言った。暴力に酔った、粘り着く視線を向けてくる。

1年のプレイ経験から言うと、この手の《女性プレイヤー狩り》に執着を見せる連中は少ないとは言えない。リーファは嫌悪感で肌が(あわ)()つのを意識する。卑猥(ひわい)な言葉を発したり、戦闘以外の目的で無闇と体に触れたりすればハラスメント行為で即座に通報されてしまうが、殺傷(さっしょう)自体はゲームの目的でもあるゆえに自由だ。VRMMOで女性プレイヤーを殺すのはネットにおける最高の快楽と(うそぶ)く連中すらいるのだ。

正常に運営されているALOですらこうなのである。今や伝説となった《あのゲーム》の内部はさぞ__と思うと背筋が寒くなる。

リーファは両足でしっかりと地面を踏み締めると、愛用のツーハンドブレードを大上段に構えた。視線に力を込め、サラマンダー達と睨む。

「あなた達の1人は絶対に道連れにするわ。デスペナルティの惜しくない人からかかってきなさい」

低い声で言うと、両脇のサラマンダーが(たけ)り立つように寄声を上げながらランスを振り回した。それを両手で制しながらリーダーが言った。

「諦めろ、もう翅が限界だろう。こっちはまだ飛べるぞ」

確かに、言われた通りだ。1対3となれば尚更だ。しかし諦める気はない。金を渡して(いのち)()いをするなどもってのほかだ。

「気の強い子だな。仕方ない」

リーダーも肩を(すく)めると、ランスを構え、翅を鳴らして浮き上がった。左右のサラマンダーも左手にスティックを握り、追随(ついずい)する。

例え3本の槍に同時に貫かれようとも、最初の敵に全力を込めた(ひと)太刀(たち)を浴びせる覚悟でリーファは腕に力を込めた。敵が三方からリーファを取り囲み、今まさに突撃しようという__その時だった。

突然後ろの灌木(かんぼく)がガサガサ揺れると、黒い人影が飛び出てきた。それはサラマンダーのすぐ横をすり抜け、空中でグルグル(きり)()みしたと思ったら、派手な音を立てて草の中に墜落した。

予想外のことに、リーファと3人のサラマンダーの動きが止まった。呆気に取られて乱入者を凝視する。

「うう、いてて……。失敗したな」

緊張感のない声が放たれたと同時に、「練習不足だな」と放ちながらもう1人、別の黒い人影が同じく灌木(かんぼく)から降りてきた。

墜落してきたのは、浅黒い肌の男性プレイヤー。つんつんと尖った威勢のいい髪型、やや吊り上がった大きな眼、どことなくやんちゃな少年といった気配を出している。

優雅な着陸をしたもう1人は、紫がかった白い肌の男性プレイヤー。(つや)やかな紫黒(しこく)色のショートヘアが額に垂れている。きりっとした大きな眼。クール系美男子を思わせる。

東と南の辺境にテリトリーを持つスプリガンとインプがこんな所で何を、と思いながら彼ら2人の装備をチェックしたリーファは眼を疑った。スプリガンは黒い簡素な胴着(どうぎ)にズボンのみ。インプも同じような格好だが、胴着とズボンが紫色だった。アーマーの類はなく、武器は背中に装備された貧弱な剣が1本。どう見ても初期装備そのままだ。初心者がこんな中立域の奥深くに出てくるとは何を考えているのか。

右も左もわからない新米プレイヤーが無惨(むざん)に狩られるシーンを見るに忍びなく、リーファは思わず叫んだ。

「何してるの!速く逃げて!!」

だが2人の少年は動じる気配もない。まさか他種間ならキルありというルールを知らないのだろうか。

黒衣のスプリガンが右手をポケットに突っ込むと、リーファと上空のサラマンダー達をぐるりと見渡し、声を発した。

「重戦士3人で女の子1人を襲うのはちょっとカッコよくないなぁ」

「なんだとテメエ!!」

のんびりした言葉に激発した2人のサラマンダーが、宙を移動して2人の少年を前後から挟み込んだ。ランスを下方に向け、突進の姿勢を取る。

「くっ……」

リーファが助けに入ろうにも、リーダー格の男が上空でこちらを牽制(けんせい)しているためうかつに動けない。

「2人でのこのこ出てきやがってバカじゃねえのか。望み通り、ついでに狩ってやるよ!」

スプリガンの前方に陣取ったサラマンダーが、音高くバイザーを降ろした。直後、広げた翅からルビー色の光を引きつつ突撃を開始。

初心者にどうにかできる状況ではなかった。ランスが体を貫く瞬間を見たくなくて、リーファが唇を噛んで眼を逸らせようとした__その寸前。

信じられないことが起こった

右手をポケットに突っ込んだまま、無造作に左手を伸ばしたスプリガンが、必殺の威力をはらんだランスの先端をガシッと掴んだのだ。ガードエフェクトの光と音が空気を震わせる。呆気に取られて眼と口がポカンと開けるリーファの眼前で、スプリガンの少年はサラマンダーの勢いを利用して腕をブンと回すと、掴んだランスごと背後の空間に放り投げた。

「わああああ!!」

悲鳴を上げながら吹っ飛んだサラマンダーが、待機していたもう1人のサラマンダーに衝突し、両者は絡まったまま地面に落下した。ガシャンガシャン!という金属音が重なって響く。

途端、インプの少年がくるりと振り返り、背中の剣に手を掛けた。

「……斬り殺すぜ」

右手で背から貧相な剣を抜くと、すっと重心を前に写しながら左手を一歩前に__。

突然、ズバァン!!という衝撃音と共に少年インプの姿が()き消えた。今までどんな敵と相対しようとも、その太刀筋(たちすじ)が見えなかったことのないリーファの眼ですら追いきれなかった。慌てて首を右に振ると、遥か離れた場所に少年が低い姿勢で停止していた。剣を真正面に振り切った形である。

と、2人のサラマンダーの内、立ち上がりかけていた方の体が赤いエンドフレイムに包まれた。直後に匹敵。小さな残り火が漂う。

__速過ぎる!!

リーファは激しく戦慄(せんりつ)した。未だかつて眼にしたことのない次元の動きを見た衝撃で全身がゾクゾクと震えた。

この世界でキャラクターの運動速度を決定しているものはただ1つ、フルダイブシステムの電子信号に対する脳神経の反応速度である。アミュスフィアがパルスを発し、脳がそれを受け取り、処理し、運動信号としてフィードバックする、そのレスポンスが速ければ速いほどキャラクターのスピードも上昇する。生来の反射神経に加えて、一般的に長期間の経験によってもその速度は向上すると言われている。

リーファと、空中のサラマンダー隊リーダーが唖然として見守る中、インプの剣士は立ち上がり、再び剣を構えつつ振り向いた。

突進をいなされたもう1人のサラマンダーは、まだ何が起こったのか理解していないようだった。見失った相手を探して見当違いの方向をキョロキョロと見回している。

そのサラマンダーに向かって、容赦なくインプが再びアタックする素振りを見せた。今度こそ見失うまいとリーファは眼を凝らす。

初動は決して速くない。気負いのない動きだ。だが一歩踏み出した足が地面に触れた瞬間__。

再び大気を揺るがす大音響と共にその姿が(かす)んだ。今度はどうにか見えた。映画を早送りしたような、コマの落ちた映像がリーファの眼に焼き付く。インプの剣が下段から跳ね上がり、サラマンダーの(どう)を分断。エフェクトフラッシュすら一瞬遅れた。インプはそのまま数メートルも移動し、剣を高く振り切った姿勢で停まる。再び死を告げる炎が噴き上がり、2人目のサラマンダーも消滅した。

スピードにばかり眼を奪われていたリーファだが、今更のようにインプが与えたダメージ量の凄まじさに気づいた。2人のサラマンダーのHPバーは、全快状態でこそなかったものの、まだ半分は残っていた。それを一撃で吹き消すとは尋常(じんじょう)ではない。

ALOに於いて、攻撃ダメージの算出式はそれほど複雑なものではない。武器自体の威力、ヒット位置、攻撃スピード、それだけだ。この場合、武器の威力はほぼ最低、それに対してサラマンダーの装甲はかなりの高レベルだったと思われる。つまりそれをあっさり(くつがえ)すほど少年の攻撃精度と、何よりもスピードが脅威的だったというわけだ。

インプは再びゆっくりとした動作で体を起こすと、上空でホバリングしたままのサラマンダーのリーダーを見上げ、口を開く。

「……俺に斬られるか、逃げるか。どちらか選びな」

あまりに緊張を感じさせるほどの怖い言葉に、我に返ったサラマンダーが苦笑する気配がした。

「なら、逃げるほうを選ぶよ。もうちょっとで魔法スキルが900なんだ。死亡罰則(デスペナ)が惜しい」

「なら消え失せろ。消え失せられる内にな」

インプが短く言う。リーファに視線を向け、口を開く。

「お前は?奴と戦うなら邪魔はしない」

乱入して大暴れしておきながらこの言い草にはリーファは苦笑いするしかなかった。刺し違えても1人は倒すという気負いがいつの間にか抜けてしまっていた。

「あたしもいいわ。今度はきっちり勝つわよ、サラマンダーさん」

「正直、君ともタイマンで勝てる気はしないけどね」

言うと、赤い重戦士は翅を広げ、燐光(りんこう)を残して飛び立った。がさり、と1回樹の(こずえ)を揺らし、暗い夜空へ溶け去るように遠ざかっていく。あとにはリーファと黒衣の少年、紫衣の少年、2つの赤いリメインライトだけが残された。それらも1分が経過すると共にフッと消えた。

リーファは再びわずかに緊張しながら、2人の少年の顔を見た。

「……で、あたしはどうすればいいのかしら。お礼を言えばいいの?逃げればいいの?それとも戦う?」

インプの少年が剣をサッと左右に切り払うと、背中の鞘にカチンと音を立てて収めた。

途端、隣に立っていたスプリガンの少年が口を開いた。

「うーん、俺的には正義の騎士がお姫様を助けた、っていう感じなんだけどな」

片腹でニヤリと笑う。

「感激したお姫様が涙ながらに抱きついてくる的な……」

「ば、バッカじゃないの!!」

リーファは思わず叫んでいた。顔がカアッと熱くなる。

「なら戦ったほうがマシだわ!!」

「ははは、冗談冗談」

いかにも楽しそうに笑う少年に、傍らのインプは大いに呆れ、ため息を出した。

リーファはスプリガンにどう言い返してやろうかと必死に考えていると、不意にどこからともなく声がした。

「そ、そうですよ!!そんなのダメです!!」

幼い女の子の声だ。咄嗟(とっさ)に周囲をキョロキョロと見回すが人影はない。と、スプリガンがやや慌てた様子で言った。

「あ、こら、出てくるなって」

視線を向けると、スプリガンの短衣の胸ポケットから何やら光るものが飛び出すところだった。小さなソレはシャランシャランと音を立てながらスプリガンの顔の周りを飛び回る。

「パパにくっついていいのはママと私だけです!」

「ぱ、ぱぱぁ!?」

呆気に取られながら数歩近寄ってよくよく見ると、それは手のひらに乗るような大きさの妖精だった。ヘルプ・ウィンドウから召喚できるナビゲーション・ピクシーだ。だがあれは、ゲームに関する基本的な質問に定型文で答えるだけの存在だったはずなのだが。

リーファは少年に対する警戒も忘れ、飛び回る妖精にマジマジと見入った。

「あ、いや、これは……」

スプリガンは焦った様子でピクシーを両手で包み込むと、引き()った笑いを浮かべた。リーファはその手の中を覗き込みながら訪ねた。

「ねぇ、それってプライベート・ピクシーってやつ?」

「へ?」

「あれでしょ、プレオープンの販促(はんそく)キャンペーンで抽選配布されたっていう……。へぇー、初めて見るなぁ」

「あ、わたしは……むぐ!」

何か言いかけたピクシーの顔を少年スプリガンの手が覆った。

「そ、そう、それだ。俺クジ運がいいんだ」

「ふーん……」

リーファは改めてスプリガンとインプの少年を上から下まで眺めた。

「「何だよ?」」

思わず2人同時に言葉を発した。

「いや、変な人達だなぁと思って。プレオープンから参加してるわりにはバリバリの初期装備だし。かと思うと2人ともやたら強いし」

言葉に追い詰められそうになった時、今まで沈黙を通していた少年インプが唇を動かした。

「俺達、昔アカウントを作ったんだが、今までは別のVRMMOをやっていた。このゲームを始めたのはつい最近だ」

「へぇー」

どうも()に落ちないところもあったが、他のゲームでアミュスフィアに慣れているというなら、ズバ抜けた反射速度を持っていることについても頷けなくもない。

「それはいいけど、なんでインプとスプリガンがこんなところでウロウロしてるのよ。領地はもっと東側でしょ」

「あ、その、俺達、み、道に迷って……」

「迷ったぁ?」

情けない顔でスプリガンが返した答えに、リーファは思わず吹き出してしまった。

「方向音痴にもほどがあるよー!キミ達変すぎー!」

スプリガンの傷ついた表情で(うな)()れる姿を見ていると腹の底から笑いがこみ上げてくる。一方インプは、道に迷ったの一言でここまで笑えるものなのかどうかに疑問を抱くばかりだった。

一頻(ひとしき)りケラケラと笑うと、リーファは右手に下げたままだった長刀を腰の鞘に収め、言った。

「まあ、ともかくお礼を言うわ。助けてくれてありがとう。あたしはリーファっていうの」

「……俺はキリトだ。こいつはネザー。それでこの子はユイ」

スプリガンが手を開くと、頬を膨らませたピクシーが顔を出した。ペコリと頭を下げて飛び立ち、スプリガンの肩に座る。

リーファは、なんとなくこのキリトと名乗る少年ともう少し話をしたいと感じている自分に気づいて少々驚いた。人見知りとまでは言わないが、決してこの世界で友達を作るのが得意ではない自分にしては珍しいことだった。傍らのネザーという少年はともかく、キリトは悪い人ではなさそうだし、思い切って言ってみる。

「ねぇ、キミ達、この後どうするの?」

「や、特に予定はなんだけど……」

「そう。じゃあ、その……お礼に一杯おごるわ。どう?」

するとキリトは顔中でニコリと笑った。リーファは内心で、へえ、と思う。感情表現の大雑把(おおざっぱ)なVR世界で、ここまで自然に笑える人間はなかなかいない。笑うといえば、傍らの彼は笑顔どころか、いっさいの表情を見せない。ずっと無表情のままだった。

俺のことを半端(はんぱ)恐れてるような態度のリーファに、キリトは言った。

「それは嬉しいな。実はいろいろ教えてくれる人を探していたんだ」

「色々って……?」

「この世界の情報が欲しい。特に……」

キリトは視線を北東の方角に向けながら言う。

「……あの樹のことをな」

「世界樹?いいよ。あたしこう見えても結構古参なのよ。……じゃあ、ちょっと遠いけど北のほうに中立の村があるから、そこまで飛びましょう」

「あれ?スイルベーンって街のほうが近いんじゃ?」

リーファはやや呆れた途端、俺がキリトの顔を見ながら教えた。

「あそこはシルフの街。多種族の俺達は入れない」

「何か問題あるのか?」

あっけらかんとしたキリトの言葉に、俺は思わず絶句する。

ALOにログインする事前に多少の下調べをしたおかげで、このゲームのことは大体わかってる。しかし、キリトのこの様子は下調べをまったくしていない証だ。

「……問題っていうか……街の圏内じゃキミ達はシルフを攻撃できないけど、逆はアリなんだよ」

「へぇ、なるほどね……。でも、別にみんなが(そく)襲ってくるわけじゃないんだろ?リーファさんもいるしさ。シルフの街って綺麗そうだから見てみたいなぁ」

「……リーファでいいわよ。まあ、そう言うなら構わないけど……命の保証まではできないわよ。ネザーさんは構いませんか?」

リーファは肩を竦め、俺に敬語で話した。やんちゃで子供っぽいキリトとは違い、俺に対しては気高い目上な男として見ているようだ。

寝所(ねどこ)と情報が得られるなら、どこでも構わない」

あっさりと答えられ、全員が了承ということになった。

「じゃあ、スイルベーンまで飛ぶよ。そろそろ賑やかになってくる時間だわ」

ウィンドウをちらりと確認すると、リアル時間は午後4時になったところだ。まだもう少し潜っていられる。

リーファは飛翔力がかなり回復し、輝きの戻った翅を広げて軽く震わせ、続いて俺も翅を広げた。するとキリトが首を傾げながら言った。

「あれ、2人はコントローラーなしで飛べるの?」

「あ、まあね。でもネザーさん、初心者って割にはうまく飛べてましたね。さっきここに着地する時なんか」

「何となくできただけだ」

実を言うと、俺がコントローラーなしで飛べたのは、翅を動かす感覚が、カブトの時に使う翅を制御する感覚に似ているからだ。

「キリト君はどう?」

「ちょっと前にこいつの使い方を知ったところだからなぁ」

キリトは左手を動かす仕草をする。

「そっか。随意(ずいい)飛行はコツがあるからね、できる人はすぐできるんだけど……試してみよう。コントローラーを出さずに、後ろ向いてみて」

「あ、ああ」

リーファはクルリと体を半回転させたキリトの背中に両手の人差し指を伸ばし、肩甲骨(けんこうこつ)の少し上に触れる。

「今触ってるの、わかる?」

「うん」

「あのね、随意(ずいい)飛行って呼ばれてはいるけど、本当にイメージ力だけで飛ぶわけじゃないの。ここんとこから、仮想の骨と筋肉が伸びてると想定して、それを動かすの」

「……仮想の骨と、筋肉……」

あやふやな声で繰り返すキリトの肩甲骨(けんこうこつ)がピクピクと動く。その頂点から、黒い服を貫いて伸びる実体のない灰色の羽根が、動きに同期して小刻みに震える。

「おっ、そうよ、そんな感じ。最初は思い切って肩や背中の筋肉を動かして、羽根と連動する感覚を掴んで!」

言った途端、少年の背中がギュッと内側に収縮(しゅうしゅく)した。羽根の振動がピッチを上げ、ヒィィィン、という音が生まれる。

「そう、そのまま!今の動きをもう一度、もっと強く!」

「むむむ……」

キリトが唸りながら両腕をグイッと引き絞った。充分な権力が生まれたと感じた瞬間、リーファはどんっと思い切りその背中を押し上げた。

「うわっ!?」

途端、スプリガンはロケットのように真上へと飛び出した。

「うわあああぁぁぁー」

キリトの体はたちまち小さくなり、悲鳴も遠ざかる。バサバサと葉を鳴らす音がしたと思うとあっという間に 梢こずえの彼方へと消えていった

「………」

リーファは、自分の傍にいた俺と、キリトの肩から転げ落ちたユイと顔を見合わせた。

「やばっ」

阿呆(あほ)が」

「パパー!!」

3人は飛び立ち、後を追う。樹海(じゅかい)を脱し、クルリと夜空を見渡すと、やがて金色の月に影を刻みながら右へ左へとフラフラ移動する姿を見つけた。

「わああああぁぁぁぁ……止めてくれえぇぇぇぇ」

情けない悲鳴が広い空に響き渡る。

「……ぷっ」

再び顔を見合わせたリーファとユイは同時に吹き出した。

「あはははは」

「ご、ごめんなさいパパ、面白いです〜〜」

並んで空中にホバリングしたまま、お腹を抱えて笑う。ただ1人を除いて__。
 
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